2018年2月11日 (日)

浅草十二階 凌雲閣の赤レンガ遺構(とみられるもの)を見てきた

 明治から大正期にかけての日本で最も高い建築物で、関東大震災で半壊し解体された「凌雲閣(りょううんかく)」の基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部が、東京都台東区浅草二のビル工事現場で掘り起こされた。「話には聞いていたが、初めて見た」と街の話題になっており、工事の柵越しにスマートフォンで撮影する人もいる。

 

東京新聞 2018年2月10日 朝刊

浅草12階 凌雲閣 (19)

 開業を伝える1890(明治23)年11月9日付朝日新聞掲載の広告

 早速私も行ってきて写真をTwitterにあげたところ沢山のリアクションをいただいた。

 なんで調子にのって早速ブログにUPしてみる。

 場所は、浅草花やしきの西側、ひさご通り商店街の「すき焼き米久本店」さんのところの角を西に入ったところ。幸信ビル(1階はラーメン屋さん)の交差点の南東側角。

浅草12階 凌雲閣 (16)

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002978781_o.html

東京市全圖 : 早見」1922(大正11)年・刊 国際日本文化研究センター・所蔵

浅草12階 凌雲閣 (17)

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/004922845_o.html

東京市淺草區全圖 : 明治四十年一月調査」1907(明治40)年・刊 国際日本文化研究センター・所蔵

※上2つの国際日本文化研究センター所蔵の地図は右が北側。

浅草12階 凌雲閣 (6)

 ここが当該現場。写真を撮っている同好の士がいらっしゃる。

浅草12階 凌雲閣 (2)

 肉眼だと工事のフェンス越しとなってしまうので、カメラをフェンスの上からかざす形でみんな撮影している。

浅草12階 凌雲閣 (8)

 フェンスの上からだとこんな感じ。東京新聞の記事だと「基礎部分とみられるれんがと、八角形のコンクリートの土台の一部」とのことである。

浅草12階 凌雲閣 (12)

浅草12階 凌雲閣 (10)

浅草12階 凌雲閣 (11)

浅草12階 凌雲閣 (18)

 京都大学 デジタルアーカイブシステムhttp://das.rra.museum.kyoto-u.ac.jp/infolib/supsearch/defaultの「京都帝国大学工学部建築学教室35mmフィルム : 実写 関東地方大震災」の10分50秒過ぎに写った凌雲閣のレンガの壁と比べてどんなものだろうか?

浅草12階 凌雲閣 (13)

 この管は当時のものかな?違うかな?

浅草12階 凌雲閣 (4)

浅草12階 凌雲閣 (5)

 煉瓦のことはよく分からないので、お詳しい方でお気づきの点があればコメント欄にでも記入いただければ幸いです。

浅草12階 凌雲閣 (14)

浅草12階 凌雲閣 (15)

 ぼんやりしてよく分からないのだけれども、東京スカイツリーとも一緒に収めてみた。

浅草12階 凌雲閣 (1)

 南側のパチンコ屋さん(サンシャイン浅草店)の前に「浅草凌雲閣 記念碑」がある。

---------------------------------

(追記)

 新聞記事にも「「凌雲閣」の基礎部分とみられる」とあるように、断定するのは尚早ではないかとご指摘するツイートがあったので引用させていただく。(あわせて題名も修正した。)

---------------------------------

(追記その2)

 過去にも近くで発見されているようだ。そういう意味では、今回の発見は「世紀の大発見」というわけではなさそうだ。

浅草12階 凌雲閣 (20)

浅草12階 凌雲閣 (21)

1981(昭和56)年7月21日付読売新聞

 このときの発掘記録が「浅草六区 : 興行と街の移り変り 」台東区教育委員会 編 に掲載されている。

浅草12階 凌雲閣 (22)

浅草12階 凌雲閣 (24)

 また、「震災予防調査会報告. 第97号甲」には、凌雲閣の図面が掲載されている。

浅草12階 凌雲閣 (25)

 この辺を重ね合わせていくとこんな感じか。

浅草12階 凌雲閣 (23)

---------------------------------

※余談 杉並区南阿佐ケ谷駅付近に「阿佐ケ谷凌雲閣マンション」がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月10日 (土)

TOKYO LITTLE HOUSE

TOKYO LITTLE HOUSE とは

東京・赤坂で築70年の民家を改修するプロジェクトです。

東京の喧騒の真ん中にあって、三世代にわたって家族の暮らしの場所として残されてきた赤坂の家。焦土の暗闇からネオンの光まで、文字通り歴史の明暗を見守ってきた家の記憶を、現在に開こうとするプロジェクトです。

https://www.facebook.com/TokyoLittleHouse/から引用

昨年12月にオープンした2階の宿泊施設に加え、いよいよ明後日より1階のカフェがオープンします。そこで、2/9(金)、10(土)、11(日)の3日間、約半年にも及んだ改修工事の完成を記念し、2階の内覧会を開催します!

カフェは東京のルーツをテーマにした小さな展示とライブラリーを併設、かつてこの都市に生きた人々が目にした風景をおさめた貴重書なども手にとってご覧いただくことができます。

そして最初の企画展は、第二次世界大戦後・占領期の東京や、米国立公文書館に収蔵されている写真の調査・研究を行ってきた佐藤洋一氏をキュレーターに招き、佐藤氏が近年進めている「東京零年」プロジェクトより、米軍によって撮影された敗戦直後の東京を題材とした写真の展示を行います。

コーヒーやビール、ソフトドリンク、焼き菓子を販売します。お時間のある方、ぜひこの機会に赤坂にお越しいただき、全館まるごとお楽しみください。

ということで、図々しく初日2月9日にお邪魔してきました。

tokyo little house (5)

tokyo little house (3)

tokyo little house (2)

 コーヒーやビールをいただけます。私はビールを。。。

tokyo little house (1)

 「東京零年」プロジェクトの写真の展示の様子です。

tokyo little house (17)

 本を展示している後ろの緑色の板は2階の雨戸だったとか。こんな感じで元の家の部材を活用しています。

tokyo little house (16)

 元の家の図面。

tokyo little house (4)

 2階の宿泊施設も見せていただきました。

tokyo little house (8)

tokyo little house (6)

tokyo little house (11)

tokyo little house (9)

tokyo little house (13)

 外交官ナンバーのBMWが停まっている赤坂の夜の風景と古民家のギャップが。。。

tokyo little house (10)

tokyo little house (14)

tokyo little house (7)

tokyo little house (12)

tokyo little house (15)

 階段を下りるのはちょっと怖い。

http://www.littlehouse.tokyo/

https://www.airbnb.jp/rooms/22035987

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 4日 (日)

東京新聞福岡範行記者「首都高は『高速』にあらず?→『自動車専用道路』です」を検証する。

 前回の「佐々木俊尚氏の「高速道路は基本100kmh制限です」ツイートを整理してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/100kmh-4ecd.htmlに続いて、高速道路の最高速度に関する記事である。

【TOKYO発】首都高は「高速」にあらず? 「自動車専用道路」です

 

「首都高速は『高速道路』ではありません」。警視庁が昨年末から、謎かけのような呼び掛けを道路上やネット上で続けている。名前は「高速」。料金もかかる。違反車を取り締まるのも「高速隊」。それなのに高速道ではないとは? 理由を探ってみた。

文・福岡範行

http://www.tokyo-np.co.jp/article/thatu/list/CK2018012202000159.html

 

 2018(平成30)年1月22日付東京新聞に上記のような記事が載っていた。

 東京新聞のウェブサイトでは全文は読めないが、なぜか販売店のウェブサイトでは読めるようになっている。http://seibuhanbai.com/column/1%E6%9C%8831%E6%97%A5%E3%80%80%E9%A6%96%E9%83%BD%E9%AB%98%E3%81%AF%E3%80%8C%E9%AB%98%E9%80%9F%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%9A%EF%BC%9F/

 一応魚拓もとっておく。 http://gyo.tc/1JXuj

ざっくりまとめると

・首都高速道路は「高速道路」なのに制限速度が50km/hの区間も多い。何故か?

・そもそも高速道は「高速自動車国道」と「自動車専用道路」に分けられ、首都高は後者。

・設計速度も高速自動車国道の大半は80~120km/hだが、首都高など大都市や山間部は60km/hと定められている。

・首都高の生い立ち(東京五輪のため完成を急ぎ川の上などにルートを設定した結果、カーブが多い)にも起因。

・あくまでも「高速」だが首都高は実体が伴わない。

といったところか?

 記事中紹介のあった「警視庁が最近配ったチラシにも「首都高は『高速道』ではない」と書いてあった。 」とは、下記のチラシのことか。

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotsu/jikoboshi/torikumi/kotsu_joho/sogo.files/20171127.pdf

---------------------------------

 まずは、基礎的なデータから。

 国土交通省のウェブサイトに掲載された資料http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/syutokou/06/02.pdfによると、首都高速道路の設計速度と規制速度は下記のとおりである。

(設計速度と規制速度の違いは、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/100kmh-4ecd.htmlを参照のこと。)

首都高速の最高速度 (2)

首都高速の最高速度 (1)

 そして、「道路構造令の解説と運用」日本道路協会・刊126頁に掲載された高速自動車国道及び自動車専用道路の設計速度は下記のとおりである。

高速道路の速度9

 ここでいう「2種2級」が、首都高速道路の設計速度60km/hの区間の規格なのである。

---------------------------------

 ということであれば、「何もお前が東京新聞福岡範行記者の記事をとやかくいう必要はねえじゃねえか」ということであるが、ではこの60km/hの制限は首都高速道路の計画が立てられた際に「道路構造令」に定められていたのだろうか?

 旧道路構造令の制定当時(33年8月)、我が国で初めての高速道路である名神高速道路の計画が検討中であったが、高速道路に関する知識も乏しく、構造令の規定はもっぱら一般国道などに関する事項となっていた。

 

「首都高速道路公団20年史」63頁

 福岡範行記者は「首都高など大都市の都心部や交通量の少ない山間部は60キロと法令で定められている。」と記事に書いているが、首都高の当初計画時にはその「法令(道路構造令)」には都心部の自動車専用道路についての定めはそもそも無かったのである。それは理由にはならないのではなかろうか?

 というか、仮に「大都市の都心部や交通量の少ない山間部は60キロと法令で定められている。」というのが先に定められていたにせよ、「どうして道路構造令は都心部は高速自動国道と異なり60キロに定めたのか?」という理由・思想を書かないとダメなのではないか?「60キロに定めたから60キロなんだ」では、堂々巡りになるのではないか?

---------------------------------

 どういう経緯で60km/hになったのか整理してみる。

 東京都が1959(昭和34)年に発行した「東京都市高速道路の建設について」には下記のとおり書かれている。

首都高が河川を活用することはオリンピック決定よりずっと前に決定

 

 福岡範行記者は「1964年の東京五輪を目指し完成を急ぎ、用地買収の必要がない曲がりくねった川の上などにルートを設定した結果、カーブが多くなった。」と書くが、オリンピック開催決定(1959年)の前の1957年に既に「設計速度は1時間60キロを原則とする」とし、「つとめて不利用地、河川又は運河を使用する」と決めているのである。

オリンピックに関係なく首都高は川の上だった2

 1957(昭和32)年8月16日付朝日新聞に当初の路線の原型が掲載されている。

 なお、この辺の経緯は、以前「首都高はオリンピックに間に合わせるために河川上に作ったというのは嘘と言ってよいのではないか」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/--bdc4.htmlという記事にまとめているので、興味のある方はお目通しいただきたい。

 また、オリンピック後に建設された7号小松川線や、3号渋谷線の国道246号上の部分が60km/hとなっていることもこれでは説明できないのではなかろうか?

---------------------------------

 福岡範行記者が首都高速が「60キロ以下制限が大半」である理由とする

・60キロと法令で定められている

・東京五輪を目指し完成を急ぎ、用地買収の必要がない曲がりくねった川の上などにルートを設定した結果、カーブが多くなった。

について、このブログを見ていただいている皆様はどのようにお感じになるだろうか?

---------------------------------

 では、福岡範行記者が書いていない「どうして首都高速道路が60km/hとなったのか」についての思想について深堀してみよう。

二 東京都市高速道路の性格

 此の高速道路は主として東京都内の外周部一帯から発生して、都心部に流入する膨大な都市内交通量に短時間で、円滑に処理するために、一般の街路とは分離して設けられる平面交叉のない自動車専用の高速道路である。簡単に申せば、都市内交通のための高速道路であり、能率的な都市内の平面交差点のない立体道路である。それ故高速道路網の組み方も主要な放射幹線を各方面(八方向)に配置してあるのである。東京の高速道路も各都市間を連絡する、遠距離道路との連絡も一応考えてはいるが、あくまでもそれが主目的ではないのである。したがって諸外国において既に数多く建設されている所謂高速道路とは大分趣を異にしておるのである。

三 東京都市計画都市高速道路網計画

 東京の全般的交通処理方策にもとづき、この都市高速道路は環状六号線以内の平面の幹線道路の交通能力を補うのが目的であって、高速度そのものが直接の目的ではない。いわば交差点のない道路をつくろうということである。したがって、設計速度は60粁/時度とした。

 

東京の都市高速道路の其後」 新都市1959年1月号 岩出進(東京都建設局都市計画部技術課計画第二主査・当時)

※旧漢字は引用者が修正した。

 いかがであろうか?もういっちょいこう。

 都市高速道路という高速道路は、 これは名神高速道路とか東名高速道路とかいう高速道路とは違うのであります。 スピードをあげるための高速道路ではないのであります。先ほども申し上げましたように、平面の道路だけでは処理できないから、土地を空間的に使う,立体的に使うわけです。そのための道路です。また平面の道路は交通能率が非常に悪い。悪いのは交差点があるからだ。そこで交差点を立体化しよう。ところが都市内の交差点は連続しておりますから、一連の連続している交差点を立体化してみたところが、 これは高架の道路になった。あるいは掘割式の道路になったというのが都市高速道路であります。そこで私どもはこんな道路にスピードを期待する必要がないわけでございます。時間的スピードはもちろん期待はしておりますが、物理的な速度は期待する必要がない。そこで設計速度平均 60 km とこういうことにいたしておりますが、もう一つこの都市高速道路の特長となることは、これは長距離の高速道路と違いますから、長距離を短時間で結ぶのではなくて、その道路の流域から最能率的に交通をそこに吸収することが使命でございます。道路を作りましても、使わない道路を作っても能はないわけでございます。なるべく使い易くしてやる必要がある。首都高速道路の計画をごらんになりますと、曲りくねっている。これはまあ、まっすぐに作りにくい市街地がすでにできておることもございますが、曲った方がそれだけ流域面積がふえるわけでございます。道路の流域面積がふえるということは道路利用価値が上がるということです。そういう意味で もっとも曲がっていることをはずかしいとは思っていないわけでございます。曲がった方がいい場合が多々あるわけです。

 

「東京都の都市計画について」昭和38年トヨペットマネジメントスクールにおける講演要旨 「時の流れ・都市の流れ」 山田正男(東京都整備局長・当時)

 長いよ、読めねえよと怒られそうなのでシンプルなやつもいっとこう。

 市街地に於いては主要な交叉点を立体化しようとすれば、結局高架の道路となる。従ってこの都市高速道路は、名古屋-神戸間の高速自動車国道のような長距離的な道路とは根本的に違う。これは平面街路の交通能力の不足を補うものである。従ってスピードも100キロ、120キロを要求する必要はなく、60キロで結構だと思う。

 「都市高速道路を中心とした東京都の道路政策」昭和33年 「時の流れ・都市の流れ」 山田正男(東京都整備局長・当時)

 如何であろうか?福岡範行記者の記事を読んだときのモヤモヤ感は解消していただけただろうか?

 福岡範行記者は「あくまでも「高速」だが実態が伴わない首都高」と書くが、実際に計画を担当していた東京都の技術者にとっては、首都高に求める「実態」が、機能が「東名高速や中央道、東北道など」とはそもそも違っているということなのだ。

---------------------------------

 福岡範行記者は、「もうひとつ、首都高が「高速」と異なる点がある。道路の右側の出入り口が多いことだ。」とも書いている。

 しかし、「なぜ首都高は右側の出入り口が多いか?」には触れていない。

 日本道路協会が発行する「道路用語辞典」で調べてみた。

センターランプ

 どうやら高架道路が接続する街路の幅員、交差点との関係、交通状況によっては、道路の中央に設けなければならないということである。

 「東名や東北道などでは、出入り口は基本的に左側」なのは、接続する街路の幅員、交差点との関係、交通状況に制約されることが少ないからということであろうか。

 いや、事実を並べて違うというだけではなくて、こういう違う理由を調べて読者に伝えることが新聞記者にとって大事なんじゃないの?

 なお、上記の文献は、東京新聞のある日比谷から地下鉄日比谷線ですぐ行ける都立中央図書館にあることを申し添える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 3日 (土)

佐々木俊尚氏の「高速道路は基本100kmh制限です」ツイートを整理してみる

 togetterで「高速道路で追い越し車線を90Kmくらいで延々とのんびり走ってる車の後ろについた場合どうすべきか「諦める」?「追い越す」?」https://togetter.com/li/1195319というまとめを読んだ。

 本筋の諦めるか追いこすかはここでは触れない。気になったのは「高速道路における法定速度について」の項のところ。

 「90キロは法定速度超過だ」とか「そうじゃない」とか各種ツイートがまとめられているなかで、佐々木俊尚@sasakitoshinao氏がこんなツイートをしている。

 ええっ。それは正しい断面もありつつも非常に誤解を招くツイートではないのか?

 少し古い統計なのだが、警察庁が公表しているものがあるので見てみよう。

高速道路の速度

https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/seibi2/kisei/mokuteki/kiseisokudo/pdf/H18houkokusyo.pdf

「警察庁委託調査研究 平成18年度 規制速度決定の在り方に関する調査研究 報告書」 から

 もう10年ほど前の資料となり、詳細については変更されていると思うが、この段階では規制速度が100km/hが最高の区間と同じくらい80km/hの区間があるように見える。

 佐々木俊尚氏は「世の中には高速道路の最高速度が80kmhぐらいと思い込んでる人が案外多いのではないでしょうか」とツイートしているが、実際には相当の割合の区間の規制速度が最高速度80km/hなんである。

 ちょいとこの辺を順をおって整理してみる。

---------------------------------

 まずは、道路交通法の世界から整理してみる。

 道路交通法を所管する警察庁のウェブサイトに「高速自動車国道等における最高速度規制について」というPDFがUPされている。http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/jidounten/kentoiinkai/02/shiryou3.pdf

高速道路の速度2

 高速自動車国道等の最高速度は道交法第22条第1項道交法施行令第27条に基づいて定められている。

高速道路の速度3

 これが佐々木俊尚氏がいう「高速道路は基本100kmh制限です。」の根拠なのだろう。「法定速度」ということに限ればそれで正解である。しかし冒頭に示したグラフにあるように実際には相当の80km/hの区間がある。

高速道路の速度5

警察庁「交通事故抑止に資する取締り・速度規制等の在り方に関する懇談会 速度規制等ワーキンググループ検討状況中間報告資料」から引用。

https://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/regulation_wg/2/shiryou5.pdf

 詳細はよく分からないけど、道路の構造や交通事故の発生状況等を踏まえて個別に定めていくということだろう。この作業を踏まえて、都道府県公安委員会が実際に高速道路に建てられる速度規制標識の具体の数字が定まっていくわけだ。それによって、一律100km/hではなく、80km/hや70km/hの区間もできてくる。

※例えば千葉県内の高速道路の規制速度は下記のように定められている。

http://www.police.pref.chiba.jp/kotsukiseika/traffic-safety_revision-speed_limit.html

(参考)高速道路における100km/hを超える規制速度の試行開始について

http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku92/shinntoumei.pdf

---------------------------------

 ここまでは警察の役割について述べてきた。しかし実際に高速道路を作るのは、各道路会社(旧道路関係公団)だったりする。ここからは、国土交通省(旧建設省)のサイトから関係資料をUPしてみる。

「道路構造令について」から引用

http://www.mlit.go.jp/road/sign/pdf/kouzourei_full.pdf

 高速自動車国道や一般国道等の道路法に定められている道路の構造は、道路構造令において規定されている。

高速道路の速度6

高速道路の速度7

 道路の種類を大きく4つに分けている。高速道路は「高速自動車国道及び自動車専用道路」として第1種(地方部)か第2種(都市部)に分類される。更に地形や交通量によって細分化された区分ごとに道路構造令第13条において120km/hから50km/hの間で設計速度が定められる。

高速道路の速度9

道路構造令の解説と運用」日本道路協会・刊126頁から引用

 ちなみに設計速度は下記のように定義づけられている。

高速道路の速度10

 具体的には、各道路の整備計画において定められている。下記は、外環道の関越道~中央道の間の区間の整備計画である。http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/kansen/20090427.htmlから引用。

高速道路の速度11

 全国の高速自動車国道の設計速度を一覧できる資料としては、やや古いが日本道路公団の年報がある。国会図書館のアーカイブに平成15年版の年報が掲載されているのでそこからピックアップしてみよう。http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/236639/www.jhnet.go.jp/publish/nenpou/H15/pdf/4-03.pdf

 110km/hの試行が話題になっている新東名高速道路の設計速度は下記のとおりである。

高速道路の速度12

 一方、中央自動車道の設計速度は、下記のとおりほとんどが80km/hであり、一部都内区間では60km/hの区間もある。

高速道路の速度13

 以上のところを読んでいただけると

というツイートはちょっと大丈夫ですかねえという私の危惧もご理解いただけるんではないかと。

 

(参考)首都高速道路の設計速度と規制速度は下記PDFをご参照あれ。

http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/syutokou/06/02.pdf

---------------------------------

 ところで、

 とあるように、「高速道路(高速自動車国道)と自動車専用道路は異なっていて、最高速度も異なっている。(自動車専用道路の方が劣る)」と思われているようなフシがある。

 道路構造令で見れば

高速道路の速度6

高速自動車国道及び自動車専用道路は大きくひとくくりにされて同じ規格を適用されているし、

高速道路の速度9

「道路構造令の解説と運用」でも若干の違いはあるものの大きな違いには見えない。

 冒頭に紹介したhttps://www.npa.go.jp/bureau/traffic/seibi2/kisei/mokuteki/kiseisokudo/pdf/H18houkokusyo.pdf

「警察庁委託調査研究 平成18年度 規制速度決定の在り方に関する調査研究 報告書」では、自動車専用道路の設計速度と規制速度は下記のように紹介されている。

高速道路の速度14

 自動車専用道路でも100km/h規制は普通にあるのが分かる。

 なお、設計速度60km/hの道路が高速自動車国道に比べて多いのは、ここに首都高速道路や阪神高速道路が含まれるからである。

 実際に圏央道(高速自動車国道ではなく、一般国道468号の自動車専用道路)の規格はどうなっているjかを、高速道路債務返済機構のウェブサイトにUPされた資料で見てみる。http://www.jehdra.go.jp/pdf/kyoutei/k1002_1.pdf

高速道路の速度15

高速道路の速度16

 道路構造令の第1種第2級で設計速度100km/hである。高速自動車国道に比べて遜色はない。

 こういったツイートについても、上記を読んでいただければ判断できるであろう。

 高速道路の最高速度は100km/hとか80km/hとか決めつけで思い込まないで、都市部なのか山地なのか等によって変わってくることを念頭に規制標識に気を付けることが重要だと思われる。

---------------------------------

※次も高速道路の速度関係の記事を書いたので是非!

「東京新聞福岡範行記者「首都高は『高速』にあらず?→『自動車専用道路』です」を検証する。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-f8a8.html

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年1月27日 (土)

首都高速の工事中に首相官邸から東条英機が作った防空壕が出てきた

 今回は秋庭大先生ぽい「帝都の地下」ネタである。それも大先生の大好きな「首相官邸の地下」である。

 まあ、題名のとおりでそれ以上でもそれ以下でもないのだが。

 首都高速道路公団の広報誌「首都高速」のバックナンバーを見ていたら「秘密のヴェールをぬいだ防空ごう」の題字が飛び込んできた。

場所は

である。

 首相官邸の南側が擁壁となってその下を首都高速道路都心環状線が走っている。ここを切り開く際に防空壕が発掘されたというのだ。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (2)

 この記事のキャプションを転記してみる。

  都心と渋谷を結ぶ高速3号線(延長6.30キロメートル)の建設工事は、その1部をオリンピックまでに完成するためいま急ピッチで工事を進めていますが、3月25日午後、永田町の首相官邸裏の工事現場にぽっかりと大穴があいた。

---縦1.8メートル、横2.26メートル、厚さ0.5メートルで固められた防空ごうはがんじょうそのもの。昭和17年に東条英機首相が空襲したの閣議用に建築した防空ごうあとだということ。

---官邸の食堂わきにある入口かららせん状の階段を下りて地下20メートルのところに閣議室(40平方メートル)が中央廊下をはさんで3室づつ6室、浄化装置、自家発電装置も完備されている。250キロ爆弾の直撃でも大丈夫だそうだが、これをこわすのがひと仕事。「東条さんも大変なものを残してくれたものです」と作業員はぼやいていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (3)

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (4)

 

 同じく首都高速道路公団の「首都高速」No47(1965年6月15日発行)において、公団の担当者が当時の工事を振り返っているのだがそこでも首相官邸の防空壕について触れられている。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (1)

---------------------------------

 同様の戦争遺構は他でも発見されている。皇居の北の丸を横断する箇所でも防空壕が工事の支障となっていた。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (5)

---------------------------------

 それなら参謀本部があった三宅坂インターチェンジ(ジャンクション)はもっとどでかいものが出てきそうである。

首都高工事時に首相官邸から防空壕が発掘された (6)

 しかしながら「首都高速」の別の号によると「図面が消失してしまい地下の埋設管が分からなかった」とだけある。地下に何が埋まっているかわからないまま東京オリンピック開催に間に合わせるためにあの巨大な地下ジャンクション工事を発注していたということだ。(なおこういう場合にありがちなことだが、用地買収もしていないうちに発注している。)

---------------------------------

(参考)

山田正男「宮城外苑地下道計画案に就いて」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-6c82.html

 以前の記事では、戦前の皇居前広場にいざというときには地下防空壕になる地下自動車道の計画があったことにも触れているのであわせてご覧いただければ幸甚である。

---------------------------------

(追記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月10日 (水)

「夢の超特急」は、国鉄社内からの「新幹線なんかできっこない」とバカにする気持ちを込めた蔑称だった

 講談社の「現代ビジネス」というウェブサイトに、川口 マーン 惠美氏が「ドイツ版新幹線がお披露目した「夢」のようなポンコツっぷり」という記事を寄稿した。

 私はドイツの新幹線には関心がないのでスルーするとして、文中「東海道新幹線の構想が公にされたのは1957年。しかし当時は、鉄道は過去の交通機関で、これからは飛行機と自動車の時代という風潮が強く、「できないもの、無用のもの」という揶揄を込めて、「夢」の超特急と呼ばれていたという。」という記載に対して、鉄道趣味者の方から「初耳だ」「ソースを出せ」「どうせマスコミが(ry」といったリアクションが見受けられた。

 

 私は天邪鬼なので、「じゃあソースを探してみるか」とちょいと探したら、すぐ出てきた。

 

 国鉄幹線調査室調査役から新幹線局営業部長等を歴任した角本良平氏はこう語っている。角本氏は、中公新書「東海道新幹線」等の著書もある。

高嶋 「夢の超特急」という言い方はいつごろ出てきたんですか。

角本 最初だと思います。誰がつけたか、私は知らない。だけど、最初のころでしょう。これは2つ意味があって、「夢の」というのは「どうせできっこない」ということです。営業局の人たち、彼らは「どうせできっこない」と思っていた。実際に予算がついて、建設が始まってからも、非常に多くの営業局マンは、そう思っていた。ということは、我々、期限を切っているでしょう。「そんな期限でできるはずはない」と。実際は半年期限延びたわけですから。

二階堂 「新幹線自体が永久にできるわけない」ということではなくて、「そんなに早くできるわけがないということ。

角本 そうそう、そういう意味。それからそんなに速い速度のものができるわけがない」と、そんな意味もあったと思います。ですから、篠原研究所長、それから海軍出身の技術屋、皆それを実際にやったことがないから、「そんなのできるだろうか」という疑問でしょうね。営業から言えば。

二階堂 「できっこない」と思っていたのは営業局、という認識が、角本さんのなかで強いわけですね。

角本 私は、そう思っています。

 

角本良平オーラル・ヒストリー」交通協力会・刊

 「できないもの」と揶揄して夢の超特急と呼んでいたのは、マスゴミではなくて最初から国鉄社内だったということだ。

 角本良平氏一人のコメントだけでは不十分かもしれない、角本氏と同時期に幹線調査室の総括補佐を務めていた矢田貝淑朗氏のコメントも見てみよう。

幹線調査室

中村 幹線調査室が発足した段階では、もちろん予算もついていなければ、計画も雲を掴むようなものであった、と。

矢田貝 もう何もなかったはずです。私が行ったときですら、ほとんど何もありませんでしたから。「弾丸列車、夢の超特急、速度が凄いらしいが、矢田貝さん、そんなことできるの?」とどこへ行ってもそうだったのです

中村 その段階ではもう、時速200キロという数字は出ていましたか。

矢田貝 出ておったんです。だから「夢の超特急」という言葉があったんです。これはそんなことできるわけがない」という意味の「夢」で、部内でバカにされるときの言葉なんです。そろそろ幹線調査室から幹線局になる頃にも、有名な作家で「万里の長城、戦艦ヤマトと並ぶ大バカだ」と言ったのがおったじゃないですか。

二階堂 阿川弘之です。

矢田貝 そうだ。そうやって笑い物にされたり、バカにされたり、「普通の鉄道なら地方に利益もあるだろうが、田んぼに万里の長城を造られたって困る」という雰囲気だったんですよ。そういうときですから。

矢田貝淑朗オーラル・ヒストリー」交通協力会・刊

 角本氏は「国鉄営業局が」と語っているが、矢田貝氏は「どこへ行ってもそうだった」「部内でバカにされる」と語っている。

 川口 マーン 惠美氏の肩を持つつもりもないし、余計な詮索をするつもりもないが、ジャンピング土下座を自主的にやった方がよい方もいらっしゃるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 8日 (月)

シン・ゴジラと条文の書き方

 今更「シン・ゴジラ」ネタでもないかもしれないのだが、一点野暮なネタでも。

シン・ゴジラと条文の書き方 (1)

 ゴジラに対して自衛隊をどういう理屈で出動できるのかを関係各省の官僚が議論するシーンがあり、そこに自衛隊法の条文がだーっと出てくる

 私は法律をちょこっと齧ったことがあるので、この字面のレイアウトが気になった。

シン・ゴジラと条文の書き方 (2)

 正確に書くならこうである。

 シン・ゴジラの出来には満足しており、ケチをつけるつもりは毛頭ないのだが、「せっかくならこの辺も気合入れてくれると約1名が喜びましたよー」というだけである。

 あ、でもそれを分かっていたうえで、「例のフォントで画面いっぱいに文字を埋め尽くすことの様式美」を追求した可能性もあるな。それならそれで美しいかもしれない。

 

 ちなみに、読み方はこうなる。

シン・ゴジラと条文の書き方 (3)

 時々、「76条の一」とか「76条の2」といった書き方・読み方をする方が見受けられるが、「アラビア数字の2」は「第2項」であり、「漢数字の二」は「第二号」という決めである。

 「第1項のアラビア数字の1は無いのか?」という方もいるかもしれないが、「日本の法令の書き方では、通常、第1項の1は書かないが、私企業の社内文や契約書では書いてもいいんじゃないの?」ということになる。

 この際覚えていただけるとおじさんは嬉しい。

 

 ついでに書くと、マイクロソフトワードで「項」、「号」の条文を書くときにスペースを入れて調整する人がいるが、それをやると修正するときに一字ずつずらさなければならなくなるので大変うっとおしいし、ミスを誘発する可能性もある。

シン・ゴジラと条文の書き方 (5)

 「行間のオプション」を選択し、

シン・ゴジラと条文の書き方 (4)

 「インデント」を設定するとうまくいくぞ。

 ゴジラとは全く関係なくなってしまった。

 ちなみに私は、郵研社の「公文書作成の手引」を愛用しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

京葉道路と首都高7号小松川線の境界はどこだ?

 今年は、ガンガンと道路ネタで攻めていきたいと思いますので宜しくお願いします。

 

 さて、表題のようにNEXCO東日本のE14京葉道路と首都高速道路7号小松川線は接続しているのだが、そこの境界はいったいどこでしょうか?というチビネタが今回の話題。

京葉道路と首都高小松川線

 上記は、NEXCO東日本のドラぷらから引用してきた路線図だが、ICやJCTといった施設で明確に区切られているわけではない。

 で、各種地図サイトを見るとこれがバラバラなのだ。

 ※著作権的には、地図サイトの画面をキャプチャしてUPすることはアウトですが、各地図の内容を検証し、よりよいものにするための提言を行うための最小限の作業ということでお許しください。

 

 まずは、googleである。

googlemap

 首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いであり、更に一之江から都心側にも京葉道路の表記がある。

 次いで、ヤフー!である。

Yahoo

 ヤフー!も、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いである。

 そして、ゼンリンのいつもNAVIである。

itsumonavi

 ゼンリンもgoogle、ヤフー!と同様に、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いである。尤も、google、ヤフー!ともに、地図のベースはゼンリンなので同じ結果であってもおかしくはない。

 

 こちらもゼンリンをベースにしているNVITIMEである。

navitime

 やはり同様の結果である。

 ではMapionはどうか。

Mapion

 Mapionも、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て京葉道路という扱いである。ゼンリンの地図をベースにしているとみんな同じなのだな。当然か。

 次は、カーナビベースのMapfanである。

mapfan

 今までと違って、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て首都高速という扱いである。

 衆知を集めて作られているはずのOpenstreetmapはどうか?

openstreetmap


大きな地図を表示

 こちらも、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て首都高速という扱いである。ルートマーカーの「7」が篠崎をこえて江戸川まで入っているのが気になるが。

 ---------------------------------

 というわけで、地図会社には大きく2つの表記があるようだ。

 では、本家首都高速道路株式会社の地図ではどうなっているのか?

 「首都高ナビマップ(路線概略図)」http://www.shutoko.jp/use/network/navimap/の頁からダウンロードできる地図を見てみよう。

syutoko

 こちらも、首都高一之江~京葉道路篠崎間は、全て首都高速という扱いである。

 ということで、取りまとめてみるとこんな感じ。

keiyou_syutoko1

 ということで、「正解はMapfanとopenstreetmapでした!」パフパフパフ~  

 

とならないのが俺の性格である。こんな簡単なことなら記事にはしないのだ。

 

 首都高速道路株式会社のサイトには、「首都高最終出口のご案内」http://www.shutoko.jp/use/network/jct/exit/という頁がある。「首都高の終点に一般道路への出口がない(他の高速道路のみに接続している)場所をご案内します。」という趣旨だ。

 そして、この頁の真っ先に登場するのが「【谷河内】(7号小松川線下り→京葉道路接続)」である。

yagouti

 一之江出入口と篠崎ICの間に出入口のない「谷河内」が接続点だということである。

 NEXCO東日本のサイトではどうか?「首都高速7号小松川線 一之江 ~ 京葉道路 原木IC間 夜間通行止めのお知らせ」http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/kanto/h26/1219b/には、下記のような図面が掲載されている。

01

 数字が若干違うけど、中間地点にて区分が違うようになっていることが分かる。

 つまり、こういうこと。

keiyou_syutoko2

 大丈夫か、首都高ナビマップ。

---------------------------------

 現地にそれらしい標識等はないのか?

 まずは、上り線都心方面に向かう区間に、「ここから首都高速道路」の標識と「0キロポスト」がある。

 逆に、下り線都心から千葉方面へ向かう区間には「ここから京葉道路」の標識と「0キロポスト」がある。

 よく見ると中央分離帯のガードレールや遮音壁の形態もその前後で異なっている。

京葉道路起点

 場所は、ここ。ここが江戸川区谷河内なんである。ここが首都高速道路7号小松川線とE14京葉道路との本当の境界なのである。首都高ナビマップと違って。

---------------------------------

 なぜ、こんな中途半端なところが境界なのか?

 ここからは、私の推測である。

 そこには、京葉道路の成り立ちが関係あると思われる。

京葉道路当初路線図

 これは「道路公団年報」(1958年刊行)に掲載された京葉道路の路線図である。

 京葉道路は、もともと、日本道路公団による、江戸川区一之江から船橋までの一般有料道路として1960年に開通し、途中に一つ料金所があるだけだった。現在の無料区間はその名残であろう。

 一之江橋のたもとには、今でも「京葉道路終点」の標識と「0キロポスト」がある。

 先ほども紹介したNEXCO東日本のサイトに掲載された路線図で「首都高区間1.5km」とされた赤い部分の上部にある緑の線が京葉道路の現在は無料で一般道路とは違いが分からないのだけれども、現在もNEXCO東日本によって管理されている区間である。参考→http://www.jehdra.go.jp/pdf/hoyu/h027.pdf

01

 この京葉道路の後に、首都高速小松川線が建設された(1971年開通)。そこで、もともと日本道路公団の京葉道路の敷地であった部分(谷河内から篠崎まで)はそのまま京葉道路として日本道路公団が建設・管理することとなったのではないか?

 その結果、江戸川区谷河内という出入口も何もないところに京葉道路と首都高7号小松川線の境界ができたのではなかろうか?

 以上、推測終わり。

 ということで、地図会社各位におかれましては、表記方法をご検討いただければ宜しいのではないかと。。

 特に自動運転等の技術においては、デジタルマップの役割は大きいので。

---------------------------------

(追記)

 「こんなのは一般道路利用者には関係なくて、オタクだけしか気にしないんじゃないの?」という趣旨のレスポンスを頂戴しました。

 細かいことを言い出しますとですね、首都高速は、ETC車に従前の均一料金から対距離制の料金制度を導入した際に、従来は無料というか料金に変動はなかった「一之江~京葉道路接続部(谷河内)」にもその距離分の料金を設定したのである。

首都高7号線の距離

http://www.jehdra.go.jp/pdf/kyoutei/k1004_8.pdfから抜粋。2.1km分料金が違うのだ。

 そういった意味でも、料金トラブルを防ぐために、正確に表示することで一般道路利用者に寄与する部分もあるのではないかと思う。

(追記終わり)

---------------------------------

 他の道路でも同様の問題は多発している。

 ※中央自動車道と首都高速道路4号新宿線の境界は環状八号線だが、googlemapの表記は実際とは異なっている。

首都高と中央道の位置が違う地図

 現地に行くとこんな誤った地図が表示されていたりする。(まさにここで中央道反対運動を展開していたにもかかわらず!)

 データの持たせ方がうまくいっていないんだろうなあ。ICやJCTの分岐点にしか代表点を持たせられない仕組みになっていて、本線の途中で切り替える現実に対応できていないのかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月26日 (日)

他都市の高速道路計画網を見るのも楽しい。1963年の横浜市高速道路計画2

横浜自動車道調査報告書

 前の記事では「横浜自動車道計画調査報告書」に掲載された横浜市の高速道路計画を紹介したのだが、横浜市との比較で他都市の高速道路計画も紹介されている。

img646

 まずは首都高速道路

首都高速道路計画路線図

 この調査報告書には白黒しか載っていないが、このブログでは以前カラー版を紹介したことがあるので再掲したい。

昭和36年の首都高速道路構想(未成道が山盛り)

 

---------------------------------

次いで、阪神高速道路

阪神高速道路網計画路線図

 神戸線が2重ルートになっているのと、守口線が名神高速の茨木インターチェンジまで伸びていることが目に付く。

 以前「「名神全通50周年企画」建設時のインターチェンジ青焼き図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-bf00.htmlで、阪神高速道路と接続する計画図を紹介している。

祝名神高速全通50周年 茨木IC将来計画図 (10)

 また、名神茨木インターチェンジから鳥飼の新幹線貨物駅を経由して大阪市内中心部へ向かっている点も指摘したい。

 昨今、「貨物新幹線は世界銀行向けのダミー」等という説を言う人が見受けられるが、世界銀行向けのダミーにすぎないのなら、このように阪神高速の路線計画に盛り込まれるだろうか?

 その辺は、過去に「阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d2af.html

「東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-a11f.html

「貨物新幹線の経緯はどのようなものだったのか?~「角本良平オーラル・ヒストリー」を読む(その1)」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-6d9d.htmlといった記事に書いてある。

---------------------------------

 最後に名古屋都市高速道路。まだこの段階では名古屋都市高速道路公社自体が設立されていない段階だ。

名古屋都市高速道路網計画路線図

 残念ながら、名古屋の高速道路については、あまり勉強していないので語るべきネタがない。何かおもしろい気づきがあれば是非ご教示いただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第四京浜道路計画があった。1963年の横浜市高速道路計画

 ベイスターズの季節が終わってしまった。今年は人生の中で最も多く野球を見、横浜スタジアムに駆けつけることになった。

 そのついでと言ってはなんだが、神奈川県内の図書館等にも行く機会が増え、楽しい資料を見つけることもできた。

 この「第四京浜」等が掲載されていたのは、下記の「横浜自動車道計画調査報告書」であり、1963年に発行されている。

横浜自動車道調査報告書

 首都高速道路公団が設立されたのが1959年、第三京浜道路が全通したのが1965年、東名高速道路が全通したのが1969年である。

 昨今東京オリンピックと首都高速道路の関係が話題になるが、オリンピック前に横浜市内の高速道路計画が考案されていたことは興味深い。当然この時期には、首都高速道路が横浜市内の路線を建設することは決まっていない。接続する横羽線自体が、そこを調査したのは日本道路公団(横浜羽田道路)であり、当然に首都高速道路が建設することにはなっていなかった。

基本コンセプトは下記のとおり。

横浜高速道路計画 (1)

 そこで作られた路線網が下記のものである。

横浜都市高速道路網計画図

横浜高速道路インターチェンジ及びランプ

 ここにいう「インターチェンジ」は「ジャンクション」、「ランプ」は「出入口」と考えていただければよい。

横浜高速道路計画 (2)

横浜高速道路計画 (4)

 東京都心と同じく運河を活用した路線計画について触れられている。横浜市内であれば大岡川等だ。

 

 能書きはともかく、計画された各路線を紹介していこう。

1 臨港線

横浜高速1号臨港線(首都高速道路計画)

 現在の横羽線の一部であろう。

横浜駅IC

横浜駅インター

桜木町IC

山下町IC

2 都心環状線

横浜高速道路2号都心環状線(首都高速道路計画)

 大岡川、中村川、堀川といった横浜市内中心地の河川上を一方通行で環状線を形成している。

大岡川に首都高速環状線ができる計画だった (2)

 ここを高速道路が走るはずだったのだ。

大岡川に首都高速環状線ができる計画だった (1)

 この向こうには臨海線と分岐する桜木町インターチェンジが作られるはずだった。

 放射状路線と接続する吉野町インターチェンジはラウンドアバウト型式を採用している。最近日本でもラウンドアバウトが実用に供されるようになったが、50年以上前の日本でこのようにラウンドアバウトを積極的に計画していたことは驚きだ。

吉野町IC

3 磯子線・横須賀線

横浜高速道路3号磯子線(首都高速道路計画)_stitch

 今や、横浜市内の首都高未成線といえば、磯子線が有名だが、当初は湾岸線の計画はなく、こちらが横須賀方面へのメインルートとなる計画だったようだ。

杉田IC

4 弘明寺線・鎌倉線

横浜都市高速4号弘明寺・鎌倉賀線(首都高速計画)_stitch

 この路線は、現在に至るまで高規格な道路はないといってよいのかな?

日野IC

5 花見台線・町田線

横浜都市高速5号花見台・町田線(首都高速計画)_stitch

 現在の首都高狩場線、横浜新道(国道16号区間)と保土ケ谷バイパスか。

 下図「花見台インターチェンジ」は、現在の「新保土ケ谷インターチェンジ」であろう。その中「横浜バイパス」は「横浜新道」のことだが、ここもラウンドアバウトもどき?で処理しようとしているが、今の交通量では無理だろうなあ。

花見台IC

6 三ツ沢線

横浜都市高速6号三ツ沢線(首都高速計画)

 現在の首都高三ツ沢線と同じか。

三ツ沢IC

7 郊外環状線

横浜都市高速7号郊外環状線(首都高速計画)_stitch

 都心環状線と郊外環状線の2つの環状線を計画していた。今は首都高横浜環状線(北線、北西線)、環状2号線がある。

名瀬IC

岡津IC

今宿IC

中山IC

小机IC

子安IC

8 第四京浜

横浜都市高速8号第四京浜線(首都高速計画)_stitch

 第四京浜道路である。ネーミングのインパクトとしては一番大きい。国道246号を補強する形だったのだろうか。港北から東側の川崎市、都内等の接続がどのようになっていたかが気になる。

横浜高速道路建設順位

 これらの建設順位がこのように決められていた。

横浜市高速道路及び一般街路計画路線図

 高速道路だけでなく一般道も含めた将来構想図である。高速道路とは位置付けられていないが、ベイブリッジも計画されていることが分かる。

 横浜市都心部を拡大すると下記のとおりでる。

横浜市高速道路及び一般街路計画路線図2

おまけ ハマスタレジェンドマッチ スタメン発表・応援歌

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«ベイスターズ 日本シリーズ予想のまとめ