2017年8月17日 (木)

首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)

 細かく引用しなくても大丈夫だと思うが、最近首都高の日本橋周辺の地下化の話題がいろいろ出ている。

 で、首都高の日本橋附近が景観を無視しているとか無粋だとかなんとか言われたりもしているので、例の如く当時の資料から実際にはどのように進められてきたかを検証してみる。

 

 このブログでは何度も出しているネタだが一応おさらいで。

 もともと日本橋川は高架ではなく、1号線の都心区間のように川底を走ることを検討していた。

首都高速の日本橋附近は掘割型式で進めるはずだった

 「東京都市高速道路の建設について」(1959年4月 東京都・刊)から抜粋。

 全体をご覧になりたい方は、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-c06b.htmlをご参照されたい。

 ところが、神田川の治水上、日本橋川を干拓することはできず、現在のように高架を日本橋川上空に架けることとなった。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (10)

 「首都高速1・4号線の開通に当って」西畑正倫(元・首都高速道路公団理事)「高速道路と自動車」1964(昭和39)年9月号27頁から引用。

 当時から地元の地下化要望はあったようだ。地下化については、工期や技術的な問題ではなく「日本橋川の河積を狭めることは殆ど不可能」なのでできなかったとしている。

 ところで、日本橋川附近の施工にあたってデザイン等はどのように考慮されていたのか?

 それを順次紹介したい。

 首都高速道路公団では線形が決定した1960年12月橋梁設計会社20社から「このインターチェンジ(※引用者注:当時の首都高速の「インターチェンジ」は、現在の「ジャンクション」を意味する。)を如何なる構造にすべきか?」広くアイデアを募り,構造型式選定の資料とした。

 

 「江戸橋インターチェンジについて」西野祐治郎・和田宏造・前田邦夫「道路」1964年7月号517頁から引用

 その募集に応じたアイデアのうちの幾つかが「日本橋及び江戸橋周辺の高速道路について」西野 祐治郎・前田 邦夫「道路」1961年6月号427頁以降に掲載されている。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (2)

 「地元の要望」がなければ道路元標等を「取壊し」していた可能性があったのか気になるところではある。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (3)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (5)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (4)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (6)

 この「写真-6」のアーチ橋は、「道路」1964年7月号517頁によると「好評を得た」とのことである。こんな風に豪快なアーチ橋も思い切っていてよいものだ。

 以下の案は、「道路」1961年6月号431頁によると「高架橋のファンタジー」として提出されたものということだ。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (7)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (8)

ガラスブロックで採光をよくするというアイデア。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (9)

 モノレール計画などなかったはずだが、モノレールとの合築案。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (14)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (13)

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (12)

 首都高が日本橋の上に架かることを報じる1962(昭和37)年12月24日付読売新聞

 「橋脚や街燈は原型損なわない」という見出しに 「感傷も吹き飛ばすように工事が近づいてきた日本橋」「スマートになる完成予想図」というキャプションがついている。

 当時の読売にとっては、日本橋なんかは感傷にすぎなかったと。

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (11)

 「首都高速 記念切手」の画像検索結果

首都高速の日本橋川に架かる高架橋のデザイン等  (1)

 首都高開通の記念切手と風景印(特殊通信日附印)は、首都高が日本橋を覆いかぶさっているところを採用している。

 そういう風景を前向きに捉えている時代の雰囲気があったことは間違いないと思うのだ。(当時から反対していた人がいたのは前述のとおりだが。)

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2017年8月 5日 (土)

明石海峡大橋に鉄道が建設されなかった経緯等

 これは本四高速の明石海峡大橋の車道の下の管理用通路の部分である。

 先日、ここの写真をTwitterにUPしたところ、「新幹線が通るはずだったところ」といった指摘をいただいたので、ちょっとその辺の経緯を調べてみた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (8)

 まずは、調査の経緯から。国鉄→鉄道建設公団による鉄道の調査と建設省→日本道路公団による道路の調査が並行して行われている。これが本州四国連絡橋公団が設立されて一本化されたわけだ。

 明石海峡大橋部分の鉄道(本四淡路線)の調査は、1950(昭和30)年4月に開始されている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (9)

 本四公団設立にあわせて鉄道と道路の基本計画(調査)指示がなされている。

 そして1972(昭和47)年に本四公団から調査報告書が出ているのだが、そのうち明石海峡大橋に係る部分を抜粋してみる。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (4)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (6)

 冒頭にUPした動画の管理用通路のところに複線の鉄道が予定されていたことが分かる。(当然構造は異なるが。)

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (5)

 「図2」を見ると「鉄道(本四淡路線)」と「鉄道(新幹線)」の2種類のルートが引いてあるのが分かるが、当時は在来線か新幹線かどちらかになるかが決まっていなかったため両論併記となっていたということだろうか。

(新幹線が徳島市内に入らず、高徳本線吉成駅あたりに接続しているように見えるのも興味深い。世が世であればここが新幹線の「新徳島駅」だったのだろうか?)

※ ここまでの図面や文章の引用元は、「道路」1973年1月号「本州四国連絡橋の計画」本州四国連絡橋公団。

 ここまで見ると、今にでも明石海峡を新幹線が通りそうなものだが、実際には技術的なハードルは高かったようだ。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (2)

 「道路」1985年6月号「大鳴門橋の開通にあたって思う」村上永一・著によれば上記のように「明石海峡大橋の架橋の困難さは他の橋梁に較べて格段の差があった。」「早期に完成すべき道路鉄道併用ルートを選ぶとすれば,児島・坂出ルートなりと受け止めてもよい。」としている。

 そこにオイルショックによる工事中止や国鉄改革等が重なった。1981(昭和56)年には、社会経済情勢、国鉄の財政事情等を勘案し、関係省庁協議のうえ「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させており、「道路単独橋は「技術的にも採算性の面からも可能」との報告が大鳴門橋開通の2か月前となる1985(昭和60)年4月に行われている。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (1)

 「道路」1985年6月号「最盛期を迎えた本州四国連絡橋」花市 頴悟(本州四国連絡橋公団企画開発部長)著

 ここで興味深いのは神戸・鳴門ルートに建設するはずだった鉄道利用客が道路に転換することで道路の利用客が増えて採算性が取れるようになるという点である。巷間言われるように「予算削減するために鉄道をやめた」のではなくて、「41%(11%は誤植と思われ)費用負担するはずだった鉄道が「撤退する」って言ってるけど、道路単独の費用負担でペイできるかどうか」の検討をしたのではないか?

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (7)

 「道路」1986年4月号「大規模プロジェクトの新たな展開」溝口忠(建設省道路局有料道路課建設専門官)著 によると、本四公団からの調査結果の報告を受けて、1985(昭和60)年8月に、国土庁長官、建設大臣、運輸大臣による道路単独橋として整備する方針が合意されている。

 

 これだけだと、政治的、経済的理由で鉄道の建設を取りやめたように見えるが、前述のとおり技術面でも厳しい部分があったようだ。

伊東 鉄道をやめたのはどんな理由なのですか。当初、三橋とも鉄道が併設されるという話でしたね。

井上 西は違っていたと思います、鉄道はなし。

伊東 真ん中と明石海峡。

井上 それで、真ん中ももうできましたし、鉄道もできていますが、東の明石海峡をやめたのは、やはりあれだけの長大吊り橋になると、 たわみが大きくて、吊り橋のジョイントというのか、あそこで非常に危険があるというようなのが最後の決め手になったみたいでやめましたけれども。

伊東 技術的な理由で。

井上 ええ。まあ、克服できないものではないと思いますがね。あそこしかないとなったらやるでしょうけれどもね。鉄道もあそこはあきらめるということで、割にすんなりといきました。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

井上孝氏(元建設省事務次官・元参議院議員・元国土庁長官)

 鉄道橋を明石海峡に架けるのが難しいのなら、鉄道単独でトンネルを掘ればよいと思う方もいらっしゃるかもしれないが、それもまた難しいようだ。

伊東 明石海峡大橋を鉄道は通さないことにして、あと別ルートを考えるとすれば、どんなことが今考えられているのですか。

山根 トンネルにする案では、水深一○○mの明石海峡の下をトンネルで通っても、明石海峡大橋に乗せても、鉄道の規格にもよりますが、 神戸の駅に取り付かないのですね。

伊東 そうなのですか。たわみがすごくなるということですか。

山根 そうではなくて。

伊東 取り付けの問題なのですか。

山根 そうです。方法としては紀淡海峡を抜ける案が考えられます。

伊東 経営上はどうですか。

山根 備讃線でもう精一杯ではないでしようか。備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。

 

土木史研究におけるオーラルヒストリー手法の活用とその意義:高速道路に焦点をあてて

山根孟氏(元建設省道路局長・元本州四国連絡橋公団総裁)

 山根氏のいう「備讃線でさえ止めようと話が出たくらいですから。」については、以前ブログで記事を書いたので参照されたい。

「JR30周年記念:国鉄改革で本四備讃線(瀬戸大橋線)は建設中止になるはずだった!?」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/jr30-0cd3.html

 つまり、技術的にも採算的にも神戸・鳴門ルートの鉄道は困難だったということか。

瀬戸大橋 (2)

 「明石海峡大橋に鉄道を架設しなかったのはけしからん」、「大鳴門橋の鉄道投資が無駄になった」等との話をよく目にするが、実際には大鳴門橋建設中に「やっぱ鉄道やめよっかな」という話になっていた。

明石海峡大橋に鉄道(新幹線)が建設されなかった経緯 (3)

 これは「道路」1985年6月号に掲載された「大鳴門橋の建設を振り返って」という対談からの抜粋である。

 発言しているのは、布施洋一(建設省道路局高速道路課長)、遠藤武夫(本州四国連絡橋公団工務第一部長)、松崎彬麿(トピー工業(株)常任顧問)の各氏である。

 1977(昭和52)年の段階で、神戸・鳴門ルートの鉄道建設については「やめるかもしれない」ということになっていたというのだ。

 道路側の発言だけでなく、鉄道側の発言の裏もとってみよう。

大鳴門橋も鉄道(新幹線)建設をやめるはずだった

 昭和54年交通年鑑の、昭和53年3月9日の項に、「大鳴門橋を鉄道併用橋から道路単独橋に変更する方針を固めた」とある。いや鉄道さん全然やる気ないじゃないですか。

 そして、実際の施工にあたっては「単線載荷」にする等必要最小限の工事だけにしている。もうこの段階で明石海峡大橋への鉄道の施工は実体的にはほぼ可能性がなくなっていたのだろうな。

 前述のとおり、1981(昭和56)年に「道路単独橋の可能性等」を本四公団に検討させているのは、この大鳴門橋の問題を踏まえて、とどめを刺す(あるいは関係者に言い含める)ための手順だったということだろうか。

新全総新幹線

 ※ 参考 1967「(昭和44)年5月30日に新全総(新全国総合開発計画)が閣議決定されており、そこに記された新幹線計画の抜粋

「東京発成田経由仙台行常磐新幹線~未成新幹線を国立公文書館デジタルアーカイブからまとめてみる」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-855c.html

 ※ ときどき「阪神淡路大震災で予算が不足したから新幹線ができなくなった」とか「阪神淡路大震災で主塔がずれたから新幹線ができなくなった」という説を目にするのだが、取りやめたのは1985年なので、全くのデマである。

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2017年7月16日 (日)

1970(昭和45)年の阪神高速道路構想は未成道の宝庫だった

阪神高速道路未成構想 (3)

 ここに「都市高速道路網図」と題された地図がある。阪神高速道路っぽいが赤い線は第二京阪もあれば全然見たことのない路線もある。

 実は、これは1970(昭和45)年1月に「大阪地区都市高速道路調査委員会」により制定された「大阪地区における都市高速道路に関する答申書」に添付された図面であり、当時の阪神高速道路将来構想といったところなのである。

阪神高速道路未成構想 (2)

 上記のような基本構想に基づき、下記のようなパターンが作成された。

阪神高速道路未成構想 (1)

 これだけの路線(約152.6km)を1985(昭和60)年までに整備しようというのだから、流石オイルショック前の高度成長期である。

 大阪万博がこの3月に開幕するということで、大阪の道路網はそれにあわせて急スピードで整備されたのだが、万博後に更にステップアップするといった位置付けになるのだろうか。

 屁理屈はこれくらいにして、各路線について紹介してみよう。

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第2環状線

 本路線はパターンの骨格をなすものであり、現環状線を補完し、新計画放射路線からの都心交通の分散、導入を図ると共に、放射線相互間の分散を図るものである。

[主要ルート]

 中津川―大川―京橋―平野川―阿倍野墓地―南海高野線―旧境川運河―六軒屋川

[起点]福島区下島町附近 [終点]福島区下島町附近 [延長]約28.0km

[ランプ位置]

 大淀町南附近、中津浜通附近、豊崎西通附近、都島本通附近、新喜多町附近、猪飼野中附近、猪飼野東附近、桑津町附近、杭全町附近、阿倍野筋附近、松通附近、津守町東附近、千鳥町附近、北境川町附近、西野下之町附近、下島町附近

阪神高速道路第2環状線(未成道)

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長堀線

 本路線は第2環状線を短絡し、あわせて都心部交通の便を図るものである。

[主要ルート]

 第2環状線―木津川―長堀川―九条深江線―環狀線

[起点]浪速区木津川町附近 [終点]東成区南中町附近 [延長]約6.8km

[ランプ位置]

 空堀町附近、末吉橋通附近、西長堀南通附近

阪神高速道路長堀線(未成道)

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高槻線

 本路線は淀川以北の京阪間交通のための路線であり、吹田、茨木、高槻方面と大阪市との連絡を図るものである。さらに京都方面との接続を考慮する必要がある。

[主要ルート]

 第2環状線―長柄橋―柴島浄水場―十三吹田線―神崎川、安威川―東海道新幹線―大阪外環状線

[起点]大淀区長柄西通附近 [終点]高槻市辻子町附近 [延長]約18.0km

[ランプ位置]

 淡路本町附近、内本町附近、三島附近、鳥飼八町附近、辻子附近、辻子附近

阪神高速道路高槻線(未成道)

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第2京阪線

 本路線は平面街路部分とあわせて、淀川以南における京阪間交通の基幹道路となるものであり、門真、寝屋川、枚方方面と大阪市との連絡を図るものである。さらに京都方面との接続を考慮する必要がある。

[主要ルート]

 第2環状線―桜島守口線―大阪枚方京都線―大阪府界

[起点]都島区都島中通附近 [終点]枚方市長尾附近 [延長]約23.8km

[ランプ位置]

 古市南通附近、(くさかんむりに稗)島附近、小路附近、交野町附近、杉附近

阪神高速道路第2京阪線(未成道)

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東大阪線(延伸線)

 本路線は既定の大阪東大阪線の東伸線であり、東大阪方面と、大阪市との連絡を密にするものである。さらに奈良方面との接続を考慮する必要がある。

[主要ルート]

 大阪東大阪線―築港枚岡線―大阪外環状線

[起点]東大阪市長田附近 [終点]東大阪市弥生町附近 [延長]約4.0km

[ランプ位置]

 荒本附近、弥生町附近

阪神高速道路東大阪線(延伸)

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八尾線

 本路線は東大阪、八尾方面と大阪市との連絡を図るものである。さらに奈良南部との接続を考慮する必要がある。

[主要ルート]

 第2環状線―東部市場―大阪楽音寺線―大阪外環状線

[起点]東住吉区杭全町附近 [終点]八尾市楽音寺附近 [延長]約11.0km

[ランプ位置]

 巽四条町附近、美園町附近、楽音寺附近

阪神高速道路八尾線(未成道)

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泉北線

 本路線は堺市を含む南大阪方面と大阪市との連絡を図ると共に、和歌山方面との接続を図るものである。

[主要ルート]

 第2環状線―国鉄阪和線―浅香山向陵線―下石津泉ケ丘線―近畿自動車道和歌山線

[起点]阿倍野区美章園町附近 [終点]堺市東八田附近 [延長]約13.2km

[ランプ位置]

 長池町附近、長居町中附近、山之内町附近、浅香山町附近、黒土町附近、百舌鳥陵南町附近、東八田附近

阪神高速道路泉北線(未成道)

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大阪港線

 本路線は大阪港及び臨海工業地帯と都心部との接続を図るものである。

[主要ルート]

 大阪湾岸線―築港深江線―大阪東大阪線

[起点]西区江之子島西之町附近 [終点]港区港晴附近 [延長]約5.6km

[ランプ位置]

 九条通附近

阪神高速道路大阪港線(構想時)

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阪神山手線

 本路線は豊中方面、及び阪神間と大阪市との連絡を図り、同時に高槻線との接続によって、北大阪の円滑な交通の便を図るものである。

[主要ルート]

 第2環状線―阪急宝塚線―  三国塚口線―大阪府界

 高槻線―神崎川―

[起点]大淀区中津浜通附近及び吹田市南吹田附近 [終点]豊中市庄本町附近 [延長]約8.9km

[ランプ位置]

 十三東之町附近、三国本町附近、江の木町附近、庄内西町附近

阪神高速道路阪神山手線(未成道)

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淀川右岸線

 本路線は臨海工業地帯から副都心となるべき新大阪周辺への連絡を図るものである。

[主要ルート]

 阪神山手線―北方貨物線―大野川―淀川北岸線―大阪湾岸線

[起点]東淀川区野中南通附近 [終点]西淀川区中島町附近 [延長]約km

[ランプ位置]

 野里東附近、大和田西附近

阪神高速道路淀川右岸線(未成道)

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大和川線

 本路線は臨海工業地帯と南大阪内陸部との連絡を図り、あわせて中央環状線、大阪湾岸線 と一体となって大阪市域をつつむ、大きな環状線を形成するものである。

[主要ルート]

 大阪湾岸線―大和川―国鉄阪和貨物線―大堀天美線―大阪松原線

[起点]住吉区北島町附近 [終点]松原市三宅町附近 [延長]約8.6km

[ランプ位置]

 南加賀屋町附近、墨江中附近、天美西附近

阪神高速道路大和川線(構想時)

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大阪湾岸線

 本路線は大阪湾々岸道路計画の一環としての路線で臨海部交通の便を図るものである。 さらに兵庫及び和歌山方面への接続が必要である。

[主要ルート]

 松原泉大津線―大阪臨海線―南港―大阪港第2突堤―中島町―大阪府界

[起点]西淀川区中島町附近 [終点]高石市高師浜丁附近 [延長]約17.1km

[ランプ位置]

 中島町附近、島屋町附近、港晴附近、南港東附近、南港東附近、大浜北町附近、出島浜通附近、高師浜丁附近

阪神高速道路湾岸線(構想時)

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(以下は、革洋同によるコメント)

 大変盛大な構想であるが、この中で実現したのは湾岸線、東大阪線。第二京阪線は日本道路公団→西日本高速道路の手によって完成した。(当時は、京都は阪神高速道路の事業区域ではなかった。)

 大和川線は一部完成し、全通に向けて工事が進められている他、淀川「右」岸線ならぬ淀川「左」岸線も一部完成し、残りは工事中だ。

 

 なお、これより古い、最初期の構想を「「名神全通50周年企画」なぜ名神高速道路は神戸まで行かないのか」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-d2b3.htmlのなかで紹介している。あわせてご参照いただきたい。

 また、同時期の首都高速道路構想も未成道満載なので、お好きな方はどうぞ。

「昭和37年の首都高速道路将来計画」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/37-ddb3.html

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2017年7月15日 (土)

「東京 消えた! 鉄道計画」中村建治(著)が怪しい~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(番外編)

 西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れについては、以前ぎっちりとまとめたところではあるが、「東京 消えた! 鉄道計画」に掲載された新宿駅乗入れの記事がどうも怪しい。というかはっきり言って嘘。著者の中村健治氏は鉄道史学会会員ということらしいが困ったものだ。

「東京 消えた! 鉄道計画 」中村建治 の西武新宿線乗り入れに係る嘘 (2)

「東京 消えた! 鉄道計画 」中村建治 の西武新宿線乗り入れに係る嘘 (1)

 以前も「西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-4221.htmlで怪しいやつをいくつか潰したつもりだが、ここまであからさまな嘘はアカンやろ。

 「建築界」1964年8月号「新宿東口民衆駅・新宿駅東口地下駐車場」に、新宿ステーションビル竣工時の図面が載っているので見てみよう。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (2)

 この1枚で西武駅(改札の右側にホームが設置されるはずだった)と吹き抜けの関係が全くないことが分かる。

 「狭い駅ビル内ではホームの長さが足りない」もなにも、駅ビル内にホームは乗り入れていないし、「高い天井」は「電車を待ち受け」たりしていないのである。

 現在のルミネ・エストのフロアマップhttp://www.lumine.ne.jp/est/map/#F2と比べてみると、「ローリーズファーム」や「イーハイフンワールドギャラリー」のあたりが、改札、ホーム事務室、出札室となっていることが分かる。「今でも同ビル内には、やや広めの駅スペースがあ」ったりはしないのである。

 参考までにホームと駅ビル、新宿駅全体との位置関係を示すと下記のとおりである。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (9)

(国鉄停車場技術講演会第14回資料「ターミナルビルの最近の傾向について」318頁から引用)

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (5)

(東工15巻4号「新宿駅改良工事の計画と施工について」21頁から引用)

 ところで改札はビルの2階だけではない。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (8)

 西武駅に係る部分を拡大してみる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (7)

 どうやら東口のびゅうプラザがあるあたりに西武の改札口や出札室が予定されていたようだ。2階の改札はともかく、1階の改札を明らかにした事例は少ないのではないか。そして1階の方がメインのように見える。

 また、3階にも西武駅務室が予定されていた。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (6)

 フロアマップhttp://www.lumine.ne.jp/est/map/#F3によると、現在「スリーコインズ」があるあたりが駅務室だった。

 なお、鉄道ピクトリアル1964年7月号「近代化した民衆駅…新宿駅ビル誕生」に掲載された写真には、西武駅ホーム接続部分の仮覆い?的なものが見られる。この大きさでホームや電車そのものが乗り入れられるように見えるだろうか?

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (1)

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 やはり諸悪の根源は、河尻正氏の日経東京ふしぎ探検隊「西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画」の思わせぶりな書き方なのだろうか?

「東京ふしぎ探検隊」河尻正の西武新宿乗り入れ記事が怪しい

http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2103N_S2A121C1000000?channel=DF280120166608&page=2

 「新宿民衆駅ステーションビル」の2階部分の設計図。」は、上記で引用した「建築界」掲載の図面とは形状が異なり、完成形のものではないと思われる。

 また、「ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。」とするも、「建築界」掲載の図面と比べてみると、何を根拠に天井高や吹き抜けが「西武線乗り入れ計画の名残」としているのか訳が分からない。

 ちなみに「建築界」に掲載された断面図がこちら。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (10)

 1階の高さは5000mm、2階は4200mm、3階から上は概ね3800mmである。「2階はかなり低い」わけではない。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (11)

 拡大してみると、1階の出札や改札口の様子がわかる。

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 ところで地下1階はこんな感じ。西武ホームに沿って右斜め上に柱が入っていることが分かる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (3)

 ベルクあたり拡大してみる。

西武鉄道新宿駅 ルミネ(マイシティ)乗り入れ計画図面 (4)

 ベルク店内の柱が西武線ホームの名残であることがよくわかる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗り入れ計画 (81)

(「新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには?」井野朋也・著 スペースシャワーネットワーク ・刊 から引用)

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(1)プロローグ

(2)戦前の新宿駅乗り入れ構想

(3)戦後新宿駅乗り入れの具体化へ

(4) 魑魅魍魎うずまく新宿ステーションビル

(5)新宿ステーションビルへの西武線乗り入れ

(6)新宿ステーションビルへの乗り入れ中止

(7)地下道による西武新宿駅と営団地下鉄・国鉄新宿駅との連絡

(8)西武新宿線の営団地下鉄東西線・有楽町線乗り入れ構想

(9)西武新宿駅の開発

(10)西武新宿線の地下複々線化による新宿駅乗り入れ

(11)西武百貨店堤清二による新宿ステーションビル乗っ取り失敗

(12)高島屋、西武に競り勝ち、新宿へ悲願の進出

(13)新宿駅東口2階の吹き抜けに西武新宿線が乗り入れるはずだったのか?

(14)新宿ステーションビルとベルクと井野家

(15・終)エピローグ

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京葉道路は陸軍の軍用鉄道跡地に、東北自動車道は武州鉄道跡地に

 鉄道敷地跡に高速道路をひいているという事例としては、名神高速道路の旧東海道本線敷地とか北陸自動車道の旧北陸本線敷地あたりが有名である。

 名神高速道路の山科バスストップは、旧山科駅でもある。

 

 この他にも事例はあって、京葉道路は陸軍の軍用鉄道跡地を利用している区間がある。

 京葉道路敷地の登記簿を調べたら「陸軍省」名義の土地があるかも。

 参考「廃線探索 鉄道連隊演習線習志野線(歩鉄の達人)」http://www.hotetu.net/haisen/kanto2/101106tetudourentainarashino.html

 また、東北自動車道は、武州鉄道跡地を利用している区間がある。

 参考「帝都を目指して武州鉄道は雑木林の向こうに消えた」https://togetter.com/li/857706

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 この他、旧信越本線の別線複線化により不要となった橋梁を日本道路公団が有料道路に魔改造した「越路橋」というものもある。

 参考「越路橋(旧鉄道橋)拡幅工事」土木学会誌http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/44-02/44-2-14338.pdf

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2017年6月25日 (日)

電柱への無断架線でゆうせんの宇野社長は逮捕されたが、関西電力、中国電力、九州電力の社長は逮捕されないのか?

 電力会社が、道路法上の手続きを経ずに無許可で電線を張っている事例が続々と明らかになっている。

中電が道路占用許可得ず電線設置 管内に7万5千カ所

 

   中国電力(広島市中区)は31日、道路法が定める自治体の道路占用許可を得ないまま、他の事業者の電柱を借りて設けた電線が、管内に約7万5千カ所あると発表した。未払いの道路占用料は推計で年間約3800万円で、同社は「許可申請や支払いについて各自治体と相談し、適切に対応したい」としている。

 同社によると、岡山、広島県など管内で利用している道路上の電柱は自設が約56万本、他社の設置が約15万5千本あり、このうち自設電柱は電線設置と合わせて道路占用許可を申請しているという。しかし、他社電柱のうち電線について申請の記録が残っているのは約8万本だけだった。

 昨年4月に島根県から指摘を受けて調査し、申請漏れが判明した。同社は今後2カ月程度で現地調査を終え、必要な申請手続きなどを行う方針。

 同社は「電線設置に道路占用許可が必要との認識を徹底できていなかった。記録がないため、いつから許可を得ていないのか特定できず、今後支払うことになる道路占用料の総額は現時点では不明」と説明している。

(2017年05月31日 21時29分 更新)

http://www.sanyonews.jp/article/540111

https://megalodon.jp/2017-0612-0010-47/www.sanyonews.jp/article/540111

・中国電力記者発表資料

道路占用許可申請(共架電線類)の適正化に向けた対応について 平成29年05月31日

http://www.energia.co.jp/press/2017/10474.html

道路占用許可申請(共架電線類)の適正化に向けた対応計画

http://www.energia.co.jp/assets/press/2017/p170531-1a_1.pdf

https://megalodon.jp/2017-0612-0013-14/www.energia.co.jp/assets/press/2017/p170531-1a_1.pdf

 

 これはどういうことかというと

道路法

 (道路の占用の許可)

第32条  道路に次の各号のいずれかに掲げる工作物、物件又は施設を設け、継続して道路を使用しようとする場合においては、道路管理者の許可を受けなければならない。

一  電柱、電線、変圧塔、郵便差出箱、公衆電話所、広告塔その他これらに類する工作物

(以下略)

 道路上(上空、地下も含む)に電柱、電線を設置する場合には、その道路を管理する者(県道なら県、市道なら市といった感じで)の許可を事前に得る必要がある。

 その許可手続きを行うことなく、電力会社が電線を設置していたのだ。

道路法

 (占用料の徴収)

第39条  道路管理者は、道路の占用につき占用料を徴収することができる。ただし、道路の占用が国の行う事業及び地方公共団体の行う事業で地方財政法 (略)第6条に規定する公営企業以外のものに係る場合においては、この限りでない。

2  前項の規定による占用料の額及び徴収方法は、道路管理者である地方公共団体の条例(指定区間内の国道にあつては、政令)で定める。但し、条例で定める場合においては、第35条に規定する事業及び全国にわたる事業で政令で定めるものに係るものについては、政令で定める基準の範囲をこえてはならない。

 そして、規定の占用料を支払う必要があるのだが、電力会社は許可手続きをとっていないので、本来払うべき占用料を支払わずにいたのである。

 この後、続々と類似の例が発覚している。

 

九電が電線無許可設置 県内9500カ所 占用申請怠る

2017年06月04日 07時57分

 九州電力(福岡市、瓜生道明社長)が佐賀県内の約9500カ所の電線を無許可で設置していたことが3日、分かった。地方道の上に電線を架ける場合、自治体の道路占用許可が必要で、九電は3月までに佐賀県と20市町に占用料計3500万円を支払った。

 九電は2015年3月、佐賀県から指摘を受けて調査を実施。申請漏れがあったのは通信会社など他の業者が設けた電柱に架けた電線で、「2次占用」の許可申請が必要だったという。九電の広報担当者は「認識不足による手続きミス。再発防止に向けて意識を高めていく」と語った。国道では同様のミスは無かった。

(以下略)

 

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/435002

https://megalodon.jp/2017-0611-2315-09/www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/435002

 中国電力では、昨年島根県から指摘されたことを踏まえ公表したようだが、九州電力は一昨年佐賀県で指摘されていたが、中国電力が5月31日に公表するまでは黙っていたわけだ。そして大分県に対しては佐賀県分を公表したのちにお詫び行脚に入ったという。

九電が県内1万7千か所で無許可電線設置(6/5(月) 20:03)

九州電力が自治体の道路占用許可を得ずに、県内およそ1万7千か所で電線を設置していたことがわかりました。九州電力大分支店によりますと許可を得ないまま電線を設置していたのは県内でおよそ1万7千か所です。他社の電柱を利用して電線を設置する場合、自治体への申請と占用料が必要で、担当者の認識不足で手続きを怠っていたということです。九州電力はおととし佐賀県で同様の申請漏れが発覚したことを受けて調査を開始。5日は九州電力大分支店の関係者が県と18市町村を訪れ、これまでの経緯を説明したということです。

(以下略)

 

http://www.e-obs.com/news/detail.php?id=06050037709&day=20170605

 西の雄、関西電力も負けじと中国電力の後追いだ。

関西電力 電線の占用許可申請せず

2017年6月3日 大阪朝刊

 関西電力は2日、公道への電線設置に必要な占用許可を、自治体に申請していなかったと明らかにした。2005年に約7万1000カ所で発覚し、翌年から申請手続きを進めているが、近畿2府4県と岐阜、三重、福井各県で1万1867カ所(今年3月末)が未許可のままになっている。

 許可を申請していなかったのは、通信会社など他社の電柱を利用して架けた電線。05年5月に市民団体の指摘で発覚した。関電は来年3月までに申請を終え、今年3月末時点で未許可だった各自治体に、年間640万円の占用料を支払うとしている。

(以下略)

https://mainichi.jp/articles/20170603/ddn/008/020/006000c

 なお、関西電力のウェブサイトhttp://www.kepco.co.jp/corporate/pr/index.htmlや九州電力のウェブサイトhttp://www.kyuden.co.jp/press_2017.htmlには掲載はなく、両者のTDnetでの開示にも該当するものはなかった。この姿勢の違いはなんだろうか?自治体を舐めているかどうか、予定外の支出が発生することについて投資家に告知する姿勢が欠けているかどうかといったところだろうか? 

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 ところで、どうしてこのようになったのか?

 実際に、NTTが敷設した電信柱に電力会社が電線を架設したり、その逆だったり(2次占用)ということは、道路管理者の許可を得て、至極一般的に行われている。

 その許可を取らずに、他人の電柱、電信柱に音楽放送線を張りまくってそのあげく社長が逮捕されたのが大阪有線である。(後述)

九電は「許可が必要という認識が不足していた」としている。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20170604-OYT1T50012.html

 果たして、九州電力は2次占用に許可が必要な許可が必要という認識は無かったのか?

 九州電力のウェブサイトに「電柱共架について」という頁がある。

認定電気通信事業者等のお客さまに、当社の電柱や管路等を有効にご活用していただくため、ご利用条件・手続き等を以下のとおりご案内致します。

http://www.kyuden.co.jp/service_pole-tube_denchu_01.html

https://megalodon.jp/2017-0612-0113-34/www.kyuden.co.jp/service_pole-tube_denchu_01.html

 九州電力が所有する電柱等に他の事業者が共架する(つまり「2次占用」する)ことについての手続きを自社ウェブサイトに公開し、例えばNTTが九州電力の電柱を利用したいときには必要な官公庁の許可(「2次占用の許可を道路管理者から得ることも含まれると思われる。)をさせたうえに電柱共架料までとっているのである。

 ここまでやっていて、自分が(例えば)NTTの電信柱に九州電力の電線を共架する場合の手続きを知らないというのはありえないだろう。「認識が不足していました」と言われて「はいそうですか」と引き下がってくるマスコミも愚かである。いやはや。

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 そして、もう一つ「電力会社が2次占用を知らないわけがねえだろ」というのが、前述の「大阪有線」

有線宇野社長逮捕

 これは、大阪有線放送の宇野社長(現在USENの会長である宇野康秀氏のお父上)が道路法違反で逮捕された際の読売新聞の記事である。

 このときの被害者は無許可で道路上空を使われた道路管理者であり、無許可で自社の電柱を使われた(無許可2次占用された)電力会社、電話会社である。

 有線の無許可二次占用の大変な被害にあった電力会社が「他人の電柱に無許可で電線を架けてはいけないとはどう考えても知らないわけがないだろう。再発防止のための組織に電力会社も加盟しているのである。

道路行政セミナー1991年5月号

http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1991_data/seminar9105.pdf

「有線音楽放送施設に係る正常化の現状」等を参照のこと。

 

キャリアの原点

マイナス800億円の“遺産”を背負って

U-NEXT社長・USEN会長 宇野康秀氏(上)

 

 同じ頃、私は村井ゼミ出身の社員を通じ、直接、先生とお話させていただく機会を得ました。その時、先生から「有線放送のネットワークを使って日本でインターネットを広げられないだろうか」という話も出たんです。「どうして有線なんですか?」って聞いたら、こんな話を教えてくれました。

 なんでも、村井先生が慶大の湘南藤沢キャンパス(SFC)の近くに事務所をつくった。「電話回線を引きたい」とNTTに電話をしたら、いろいろあって2、3週間かかってしまったそうなんです。一方で、音楽好きな村井先生が有線を引こうと思って有線に電話をしたら、その日のうちに工事をしてつなげてくれた。「だから僕は、日本でインターネットを広めるのはこういう会社だと直感的に思ったんだ」と、おっしゃって。

 その頃の大阪有線放送はコンプライアンス(法令順守)的に言うと、完全にアウトの会社でした。有線放送のケーブルを張るために、電柱を無断で使用するなどしていましたから。けれど、先生は「それくらいやんちゃな会社じゃないと、インターネットは広められない」と思ったらしいんです。

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO03737500X10C16A6000000

 なんでNTTは、「いろいろあって2、3週間かかってしまった」のかというと、その部分に新規で通信線を架設するのであれば、当該道路管理者の占用許可等の手続きが必要である。そして有線がなぜ「その日のうちに工事をしてつなげてくれた」のかというと大阪有線は、必要な行政上の手続きをとらず、自分で電柱を設置することもせず、他事業者の電線に無許可で音楽放送線を架設するから早いのである。それが宇野氏のいう「コンプライアンス(法令順守)的に言うと、完全にアウト」であり、「それくらいやんちゃな会社じゃないと、インターネットは広められない」とは、村井純氏は何をみていたのだろうか。それをいい話風に話す宇野氏といい話風に掲載する日経のコンプライアンス感覚はどうなっているのだろうか?

 なお、大阪有線がこういう違法営業により、他ライバル企業を駆逐してしまい、有線放送といえば大阪有線(現・USEN)という恰好になってしまった。道路法上は適正化したが、営業活動ではあいかわらず、キャンシステムと違法営業合戦を繰り広げ行政指導の打ち合いとなっている。

 とまあ違法営業をいけしゃあしゃあと美談にしたててしまう有線に煮え湯を飲まされ続けてきたのが電力会社なのである。許可が必要であることを知らないわけないだろう。許可なしの電線架設は、自らを有線と同じレベルに落とすことなのだから

TBS がっちりマンデー 2005.9.18 ONAIR USEN

さて、スタジオでは宇野社長にお話を伺いました。

Q:それにしてもお父さんはすごいですね、40年間勝手に電柱を使ってたということですもんね(笑)!

 

http://www.tbs.co.jp/gacchiri/archives/20050918/1.html

https://megalodon.jp/2017-0612-0151-45/www.tbs.co.jp/gacchiri/archives/20050918/1.html

 

 なにが「お父さんはすごいですね、40年間勝手に電柱を使ってたということですもんね(笑)!」だ。道路法で逮捕された犯罪者に「すごいですね(笑)!とは、いくらがっちりマンデーが企業ヨイショ番組であってもこれは情けないにも程がある。

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 で、道路に無許可で設置して同様に道路法違反で刑事事件及び民事事件となった事例がある。

 たばこ会社、飲料会社の「はみだし自販機」である。今でこそスリムな形の自動販売機が建物と道路のスキマに立っていたりするが、平成に入ってしばらくは、分厚い自動販売機が道路に堂々と無許可ではみ出していた。

 これを市民団体が告発したり、道路管理者に占用料相当を請求するよう求めたり、たばこ・飲料会社に不当利得の返還請求を求めたりといった法的手段に出たのである。概要はこちら。https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/senyou_bukai/pdf/2.pdf

はみだし自販機訴訟

 詳細は下記リンク先をご覧いただきたい。

https://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/library_data/soshoujirei_data/0411soshoujirei.pdf

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/310/052310_hanrei.pdf

http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/35-2-05.pdf

 なお、上記の民事事件に並行して刑事告発が行われている。

 平成6年1月には、たばこや酒類の自動販売機を道路からはみ出して設置し、歩行者の通行を妨害したなどとして、市民団体の告発を基に大阪府警が道路法違反(不法占用)などの疑いで大阪市内の酒類販売業者16社、社員48人、たばこ製造会社1社、社員130人を書類送検し、平成5年2月には飲料メーカー1社を書類送検している。

 

道路行政セミナー2004年11月号「不法占用の放置と行政の責任 -はみだし自販機住民訴訟<最高裁>55頁」

http://www.shufuren.net/modules/tinyd4/print.php?id=2

によると、訴訟の被告は、「はみ出し自販機の中身メーカーのうち、特に悪質だった日本タバコ産業、東京コカ・コーラボトリング、サントリーフーズの3社と東京都知事」ということである。

 このはみだし自販機事件から得られる教訓としては、

 違法事態を長期間正常化できなかった電力会社と自治体等に対して不服不満があれば、

・自治体へ占用許可を得ていない期間についても有線のように占用料相当額を請求するようもとめる。(住民監査請求や民事訴訟)

・占用許可の正常化が終わらないようであれば電力会社を刑事告発する。

といった手段により法律に基づくそのふるまいの是非を問うことができることが打ち手としてかんがえられそうだ。(必ず勝てるとは言っていませんのでご注意を)

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新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅だったか検証してみる

 東海道新幹線が架線事故のため岐阜羽島駅等で立ち往生したことを受けて、「岐阜羽島駅が政治駅だ」とかそうじゃないとか新幹線の駅じゃないとかコンビニがあるとかないとかいう話がTwitter等で盛り上がった。

 これに関して、「乗りものニュース」がまたもや「いかにもタイミングを逃さずヤフーニュースで注目してもらうためだけに粗製しました」と言わんばかりのしょっぱい記事を書いたので、ちゃんと調べてやろうかと思った次第。

 羽島駅が東海道新幹線に追加されると分かった際の新聞記事がこちら。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (3)

1959(昭和34)年11月18日付朝日新聞

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (4)

1959(昭和34)年11月18日付読売新聞

 朝日は「政党幹部」とぼやかしているが、読売はいきなりしょっぱなから「伴睦老に寄切られる?」と大野伴睦代議士(当時は自民党副総裁)の名前を出している。

そして早速当日の国会で野党から追及されるわけである。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (2)

1959(昭和34)年11月18日付朝日新聞夕刊

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (5)

1959(昭和34)年11月18日付読売新聞夕刊

 では、ここで国会で追及された国鉄・運輸省側の言い分を聞いてみよう。

○十河信二説明員(国鉄総裁) ただいまお話のありましたように、私は国鉄の経営についてはガラス張りで仕事をやっていきたいという信念も変わりませんし、今日もそういうふうにやっておるつもりであります。東海道新幹線の経過地並びに停車駅につきましては、いろいろな検討をいたしまして、名古屋までは比較的順調に進んだのでありますが、名古屋から先、なるべく直線に行きたいと思って、鈴鹿の山脈の地質調査を長いことかかって検討いたしました。そうしていろいろなルートを調べてみたのでありますが、どうも地質がよろしくない。しかしながらできるだけ短距離で結びたいということで、名古屋から関ケ原の方へ直線で結ぶことにいたしました。そうなりますと豊橋から米原までの間は相当長い距離になりまして、豊橋、名古屋、米原という三つの駅を置くか、あるいはもう一つその間に駅を置くかということをいろいろ検討いたしまして三駅案、四駅案と、いろいろな案がありますが、御承知のように、新幹線はなるべく曲線をなくして直線にして、そうして踏み切りをなくして、経済的の最高のスピードで走るようにしたい、そういうことを考えまして、そうすれば特急は大体最高二百キロくらいの速力で走れば三時間で、非常に経済的にスピードアップができるということで三駅の方がよかろうかということを考えておりました。ところが特急だけではいけない、特急は東京、名古屋、大阪、この三駅へとまる計画でありますが、それだけではいけない、やはり地方の都市にもとまる必要があるということで、特急のほかに急行をどうしても走らさなければならぬ。そうなりますと、特急と急行との行き違いの関係もありまして、豊橋、名古屋、米原と行くよりか、その間に一つ駅を作ったらよかろうというふうなことが最終の案として決定いたしまして、それで運輸大臣に申請して認可になった次第であります。その間、そういうふうに長いことかかっていろいろ検討いたしておりましたので、それで世間で――いろいろその間を測量するとか調査をするということがありまして、事前にいろいろなことが漏れて、皆さんにいろいろな疑惑をおかけしたことは、はなはだ遺憾であります。事情は今申し上げた通りであります。さよう御了承を願いたいと存じます。

 (略)

○平井委員長 委員長からこの席で総裁に質問をいたします。

 新幹線の駅は初めからどうして十カ所にしなかったのですか。九カ所と発表してあと十カ所となったので、井岡君が非常に心配をして質問いたしておるのでありますが、その点をはっきりさしていただきたい。岐阜にできるのはけっこうでございますけれども……。

○十河説明員 東海道新幹線の駅は初めからおよそ十ほどということをわれわれは言っておったわけであります。きまったものとして、九つにきまったとか十になったとかいうことは今日まで発表しておりません。昨日発表したのが初めてであります。いろいろ調査をしておる過程で皆さんが想像して、新聞なんかでいろいろ書かれることはありますけれども、正式に発表したものではないのであります。その点は御了承を願いたいと思います。

 (略)

○山内公猷説明員(運輸省鉄道監督局長) 現在考えておる新しい岐阜県内の駅というものは、まだ始点がはっきりいたしておりません。それで的確にお答えできないわけでございますが、このところにどうして駅を置くかということでございますが、実はわれわれ審査をいたしました事務当局といたしましては、大臣が言われましたように、岐阜県内に一つも駅がないということも一つの理由であるし、かつまたこれは釈迦に説法のきらいがありますが、現在の線におきましても運転上の都合によりまして方々に信号所を置いている。運転の整理のためにはどちらかといえば駅がたくさんあった方が、運転の整理がつきやすい。しかし、これを全部とめれば非常に時間がかかるということでございまして、この駅にどういう列車をとめるかということは、やはり運転上の必要で十分考えまして、ダイヤを入れてから十分検討すべき問題である、かように考えております。とりあえずは特急線がとまるということはない。御承知のように特急と普通急行とを走らせるつもりでございますから、ある程度スピードの違う列車を走らせるので、行き違いにそういう施設があった方が国鉄としては便利であるという観点に立っておりますし、われわれの方はそれに加えて岐阜県の中で三十キロに新しい線の延びがある。そこに一駅も置かないということは県民の協力も得られないし、かつまた岐阜、大垣の方々の利用を得ることも必要であるということで、実は事務的には一つの駅を作る方がベターであるという結論に達したわけでございます。そうしますと、今度これができますのが今の計画では五年計画になっております。結局その場合の交通上の状態を考えて、いかにしてこの駅が利用されるかということは、われわれとしては今後見ていかなければならないわけでございます。現在の道路の状況でいいますと、はっきりはいたしておりませんが、大体考えられる駅の地点というものは、大よそ岐阜市から十五キロくらい、大垣市から十キロくらい、それから羽島市から八キロくらいという、岐阜、大垣の方々に利用していただこうというふうに考えておるわけであります。

 

昭和34年11月18日衆議院運輸委員会

 この国会論争を受けて、読売新聞は18日付夕刊で「退避駅」ではなく「政治家の圧力からの退避した結果」だと追及している。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (14)

 また、朝日新聞は翌朝の社説で「政治駅の設置はご免だ」との論説をはっている。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (1)

1959(昭和34)年11月19日付朝日新聞

 また、羽島市への新幹線駅の設置は駅誘致に動いていた周辺各地からも反発をかったようだ。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (8)

1960(昭和35)年1月12日付朝日新聞

 そもそも岐阜県自体が反対したまま正式決定されたというのも異例ではある。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (11)

1960(昭和35)年1月12日付朝日新聞

 この記事にあるように「国鉄原案」から「本決まりになった路線」が羽島市を通るように北へ移っているあたりも「政治駅」としての印象を強くさせているようだ。尤も後述のように国鉄によれば、この辺のルートどりは、大河川を渡ることによる制約が大きかったようであるが。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (7)

1960(昭和35)年1月15日付読売新聞

 このように国鉄や運輸省の弁解?にもかかわらず、マスコミは「政治駅だ」としたわけである。

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 実際のところはどうだったのか。国鉄新幹線総局で営業部長等を務めた角本良平氏は、「角本良平オーラル・ヒストリー」において、次のように語っている。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (9)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (10)

 角本氏は、「岐阜市を外れることについて揉めない」ための国鉄の策において、「悪いくじを引き受けてくれたのが大野伴睦という政治家」「本来ならば、大野伴睦が非常に強く言えば、岐阜市に寄せざるを得なかっただろうということ。」「羽島を識別するためじゃなくて、岐阜県を象徴するための駅名にしたということで、大野伴睦の顔が立った。」という見方を示している。

 他方、角本氏は京都駅が当初予定から変更されたことについて、地元に苦言を呈している。リニアモーターカーの京都誘致に対してJR東海がつれないのもこの辺が国鉄からJRへと引き継がれているのかしらん。

新幹線京都駅の経緯

 なお、鈴鹿経由とならず、関ケ原経由となったことについては、以前、「新幹線が鈴鹿山脈越えをあきらめた理由を検証してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-1c6b.htmlという記事を書いたので、併せて参照いただきたい。

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 とまあ、駆け足で当時の報道や関係者の言い分を振り返ってみた。この辺を踏まえて「岐阜羽島駅は政治駅だったか」をご判断いただければ宜しいのではないかと。

 ところで、マスコミはその後どう扱っているかというと

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (12)

1964(昭和39)年9月1日付朝日新聞夕刊

 というように「交渉に手を焼いた国鉄が大野伴睦老に頼み込んでこの人を引張り出し、岐阜県側の主張を押さえてもらって、そのお陰でやっと現在の線で話がついたのが真相だという」「駅の決定についても伴睦老は、国鉄の技術的な決定によるべきだと、全く干渉がましいことはいわなかった。」と、つい数年前に社説で「政治駅の設置はご免だ」と叩いたのをすっかり忘れたかのような書きぶりである。

 神田記者もこうツイートしている。

 他方、読売新聞はというと

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (6)

1989(昭和54)年7月19日付読売新聞

 と、少なくとも昭和末期においても「岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅」という認識を持っていたようである。今はどうか知らんが。

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 ところで、現在岐阜羽島駅には名鉄線が延伸されているが、当時岐阜市内からモノレールを建設する構想があったことを1961(昭和36)年2月8日付読売新聞夕刊が伝えている。

名鉄の岐阜羽島モノレール構想

 岐阜市内の路面電車が廃止となった際に、鉄道マニアが「無策だ」なんだと勝手なことを言っていたが、岐阜市内線のモノレール化計画は日本でも先頭をきって進められていたのである。

 その辺は「大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-3d23.htmlにかつてのモノレール計画の一覧表を載せているのであわせてご参照いただきたい。

新幹線岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅か (13)

 新幹線開業直前の何もないっぷりを伝える1964(昭和39)年7月12日付読売新聞。

 その後の状況は「今昔マップ」でどうぞ。

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2017年5月21日 (日)

地下鉄銀座駅の階段がズレているのは、そこに旧数寄屋橋の橋脚が埋まっているから

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (4)

 東京メトロ銀座駅から日比谷方面に向かう階段が左右ずれている。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (5)

 現地で見てもごらんのとおり。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (3)

 なぜ、まっすぐ並べられないのか?左右の階段を繋げて広く使えばよいのではないか?

 それには、かつてここに何があったかを思い出す必要がある。

Sukiya_bashi_old

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sukiya_bashi_old.jpg

 そう、かつてここには外濠川が流れ、数寄屋橋がかかっていた。現在はそこに東京高速道路(KK線)が走っている。

東京高速道路

 実は、ここには、旧数寄屋橋の橋脚・橋台が埋まったままなのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (12)

 日比谷線建設史394頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

 そして、旧数寄屋橋と地下鉄日比谷線が直交していないため、橋脚跡と階段が斜めにズレる形となっているのだ。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (15)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (14)

 この地下通路の床に斜めにひかれている3本の線は、ここに数寄屋橋が架かっていた(外濠川が流れていた)ことを示すものなのだろうか?

 さて、日比谷線建設時には、既に外濠川、数寄屋橋は無くなっていたはずである。なぜこのようなものが地中に残っていたのか?

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (11)

 丸の内線建設史(下巻)104頁から引用

 丸ノ内線建設時に、東詰の橋台や上部工部分は撤去したようだが、丸ノ内線に支障ない真ん中の橋脚や西詰の橋台は地上に存置されたままだったようだ。

 では、日比谷線建設時にそんな不要な橋脚は撤去してしまえばよいのではないかと思うであろう。ところが撤去できないのである。

 上空を通る東京高速道路の橋脚が旧数寄屋橋橋脚の上に建設されたからである。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (16)

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (13)

 日比谷線建設史392頁から引用

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (10)

 日比谷線建設史391頁から引用

 使っていないからといって今更撤去するわけにはいかなかったのである。斯くて、銀座駅から日比谷方面へ向けて降りていく地下階段は、旧数寄屋橋橋脚を避けて、心なしか、気持ち急勾配で、ズレた階段で降りていくのである。

 

 旧数寄屋橋橋脚が影響しているのは、地下鉄通路だけではない。

銀座駅の階段がずれているのは数寄屋橋の橋脚がそこに埋まっているから (7)

 日比谷線建設史405頁から引用

 その上をかすめるようにして日比谷地下自動車道が通っているのである。

 日比谷地下自動車道については、以前

・東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

・東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

・日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

といった記事も書いているので、ご関心のある方は、あわせてお目通しいただけると幸甚である。

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

 

※東京メトロの主要路線の建設史は、「メトロアーカイブアルバム」で見ることができる。

https://metroarchive.jp/history.html

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2017年4月 9日 (日)

力道山が経営していた赤坂リキマンションの分譲パンフレット

赤坂リキマンション(力道山) (1)

 赤坂にリキマンションというマンションがある。言わずと知れたプロレスラー力道山が実業家として経営していた(竣工は没後)マンションである。

 ここを分譲するときに作成したと思われるパンフレットを早稲田大学が所蔵していたので、ご紹介したい。

赤坂リキマンション(力道山) (2)

 現在もマンションの屋上に描かれている「R」は当然「力道山」の「R」であろう。

赤坂リキマンション(力道山) (3)

赤坂リキマンション(力道山) (4)

 開発は、力道山と大和土地建物の共同事業ということだ。

赤坂リキマンション(力道山) (5)

 イメージパースでは屋上に「R」の文字は描かれていないのだな。

赤坂リキマンション(力道山) (6)

赤坂リキマンション(力道山) (7)

 都電が走っている。また「クラブリキ」という文字が見える。力道山が経営していたナイトクラブのようだ。クラブリキについては、このブログに詳しい。http://blog.goo.ne.jp/59ra9do/e/13bbdfe1c8c29ea10f5c0acf238cf5aa

赤坂リキマンション(力道山)リキアパート (8)

 隣接していたリキアパートは、現在は別のマンションになっているようだ。下記の「今昔マップ」では、プールが写った航空写真を見ることができる。

赤坂リキマンション(力道山) (9)

赤坂リキマンション(力道山) (10)

 玄関ホール

赤坂リキマンション(力道山) (11)

 ロビー

赤坂リキマンション(力道山) (12)

赤坂リキマンション(力道山) (13)

 エレベーターは三菱製だそうだ。

赤坂リキマンション(力道山) (14)

 間取りである。49坪とは大変広いものだ。高級マンションだったことがうかがえる。

赤坂リキマンション(力道山) (15)

赤坂リキマンション(力道山) (16)

赤坂リキマンション(力道山) (17)

赤坂リキマンション(力道山) (18)

赤坂リキマンション(力道山) (19)

赤坂リキマンション(力道山) (20)

赤坂リキマンション(力道山) (21)

赤坂リキマンション(力道山) (22)

 居間。ピンボケですまんの。

赤坂リキマンション(力道山) (23)

 和室。同じくピンボケ。鮮明なやつが必要な方は早大に申請すれば撮れますのでどうぞ。

赤坂リキマンション(力道山) (24)

 ページごとに色違いの「R」が描かれている。

赤坂リキマンション(力道山) (25)

 台所、食堂

赤坂リキマンション(力道山) (26)

 玄関、バルコニー、浴室、洗面所

赤坂リキマンション(力道山) (27)

赤坂リキマンション(力道山) (28)

 建築概要 施工は佐藤秀工務店(現・株式会社佐藤秀)

赤坂リキマンション(力道山) (29)

 部屋割り

赤坂リキマンション(力道山) (31)

赤坂リキマンション(力道山) (30)

赤坂リキマンション(力道山) (32)

 お値段。昭和37年当時の1500万円はどれくらいの価値があったのだろうか。お分かりの方はご教示ください。

 

 現在の様子は、不動産物件サイトに載っているので下記をご参照あれ。

http://www.tomo-real.co.jp/es/building/889f3c6c-e51a-431c-aed7-f0b6dec0a41b

https://www.ma-minatoku-chintai.com/rent_view/29933

http://zero-revo.com/archives/205667

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2017年4月 8日 (土)

三原橋地下街絶賛解体中

 三原橋のことを書くのは久しぶりだ。見た目があまり動いていないから。ただし、現場では新たな工事が発注されて確実に動いているのでご紹介したい。

三原橋地下街解体中 (1)

 いつもの某老舗百貨店からの写真。南側(画面では右側)に現場事務所らしきものが建ち上がっている。

三原橋地下街解体中 (2)

 三原橋地下街へ降りる階段は健在のようだが、建物が立っていたあたりは、鉄板に置き換えられたかな?

三原橋地下街解体中 (4)

三原橋地下街解体中 (8)

三原橋地下街解体中 (3)

 工期は、平成32年2月23日までとなっている。東京オリンピック・パラリンピックまでには間に合わせるということか。

 「道路整備工事」なのに、発注者は「東京地下鉄株式会社(東京メトロ)」となっている。以前は、東京都建設局が関連工事を発注していたのに。

三原橋地下街解体中 (7)

 工事件名は、「三原橋周辺の再整備計画に伴う三原橋撤去及び地下歩道改良土木工事」である。

 銀座街づくり会議NEWS LETTER97http://www.ginza-machidukuri.jp/activity/pdf/NL97.pdfによると、

(1)太鼓状の橋を撤去し、晴海通りを平らにする。

(2)地下街空間はコンクリートで埋め、空間をなくす。

(3)銀座駅⇔東銀座駅間の地下歩道の階段・2本のうち1本をスロープにし、バリアフリー化を行う

ということである。

 この「銀座駅⇔東銀座駅間のバリアフリー化」とは

IMG_4509

 この階段を撤去するということか。

日比谷線-三原橋付近縦断図

 営団地下鉄の日比谷線建設史https://metroarchive.jp/hibiya.htmlによると、この付近は地下鉄の躯体と一体化しているため、道路管理者である東京都から東京メトロに工事を委託した方が進めやすいということなのだろうか。

 メトロ開発株式会社のウェブサイトhttp://www.metro-dev.co.jp/history.htmlによると、「主な業務実績」に

「平成27年 東京都建設局:三原橋周辺再整備計画に伴う三原橋撤去及び地下歩道改良土木工事価格調査業務」とある。設計の段階から東京都はメトロの子会社に業務を発注していたのだな。

三原橋地下街解体中 (6)

 3月現在の作業は「三原橋上部工下受け工」ということなので、既存の三原橋の基礎を新しいものに取り換えているということか。

三原橋地下街解体中 (5)

 「コンクリート造構造物解体中」である。

三原橋地下街解体中 (8)

三原橋地下街解体中 (13)

 南側には、工事請負人の鉄建建設の旗がひらめいている。

三原橋地下街解体中 (11)

三原橋地下街解体中 (9)

三原橋地下街解体中 (10)

 東側は牛だったが、西側は猫と犬だ。

三原橋地下街解体中 (12)

 銀座街づくり会議NEWS LETTERは、100号でも、三原橋の再開発について触れているのであわせてご覧いただきたい。http://www.ginza-machidukuri.jp/activity/pdf/NL100.pdf

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■ 過去の三原橋関係記事

三原橋地下街に係る疑獄について(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-d614.html

三原橋地下街に係る疑獄について(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-554e.html

三原橋地下街と銀座シネパトス さようならhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-60c3.html

三原橋地下街 銀座シネパトス最終日http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-f962.html

日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-0de1.html

三原橋地下街や観光センターの経営者の新東京観光株式会社についてのメモhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-8445.html

三原橋地下街や橋上のビルに係る経緯の公式見解(都議会議事録)にたどり着いたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-4930.html

三原橋地下街等をめぐる経緯を年表にしてみたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-2781.html

三原橋地下街の当初占用許可に係る東京都庁議公文書http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-3f36.html

昭和31年2月28日東京都庁議「三原橋」問題の処理について→関係局間においてなお検討することhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html

三原橋(6月15日時点)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/615-23dc.html

三原橋の建物は、地元から撤去せよとの訴訟を起こされていたというお話http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-81bb.html

「銀座地下街ラジオくん 声のアーカイブ展」~三原橋地下街の一件から、これからの街づくりを考える~http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-1c0a.html

東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-7702.html

三原橋地下街 カレーコーナー三原最終営業日http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-8f73.html

三原橋の解体・撤去は、平成25年度内に決定済。コンサルにも発注済。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/25-b992.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その2)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-30b7.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その3)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-7114.html

三原橋の既設橋は撤去することで詳細設計を発注済http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-27a4.html

「安井都政の七不思議」と山田正男と三原橋地下街http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-740c.html

斉藤 理 山口県立大学准教授の「川がない橋が秘めた東京の履歴」を読んでhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-924f.html

三原橋と「銀座の幻の地下街」に係る最近の東京都の動きhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c5c2.html

東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かったhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

工学部の学者「石川栄耀は有名建築家を呼び込んだ!」商業実務者「都庁が呼んだ有名建築家の建物は使えねえ」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-fe0f.html

三原橋ビル(三原橋観光館)解体済(その4)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-60e0.html

1962年の三原橋http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/1962-dad9.html

「安井都政の七不思議」って結局どの七つなのか調べてみた。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-c0c2.html

日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていたhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-b86d.html

東銀座 幻の地下街について東京都の公式コメント(議会答弁)があった。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-8d34.html

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