2017年2月25日 (土)

リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅

 「京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-1315.htmlにおいて、京葉線が当初は晴海、新橋、赤坂見附、新宿、浜田山、三鷹と経由して中央線に乗り入れる計画だったことを紹介した。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁(「総武開発線計画について」国鉄東京第一工事局調査課・林良一氏)から引用

 また、それに併せて、汐留駅を第二東海道新幹線と京葉線(総武開発線)のターミナルとする構想であったことも紹介した。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 その構想図がこちらである。「新幹線ホーム(第2東海道)」という字が見える。

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」317頁から引用

 もう一つドン!

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」318頁から引用

 こちらにも「新幹線ホーム(第2東海道)」という字と車輌らしきものが見える。拡大してみよう。

汐留駅は京葉線総武開発線とリニアモーターカーのターミナルとなるはずだった (3)

 リニアモーターカーだ!それも大阪万博のやつ!

 若人達にはピンとこないかもしれないが、私のようなおっさん世代には、リニアモーターカーというとこいつなのである

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 「そもそもリニアモーターカーは中央新幹線のはずであって、第二東海道新幹線なんか知らんぞ」とおっしゃる方もいらっしゃるだろう。

 ところが、歴史をたどってみると、元々はリニアモーターカーと言えば第二東海道新幹線のことだったのである。

 いつもながらではあるが、国会の答弁を見てみよう。

○勝澤分科員 もう一問だけ、時間がありませんので。

 この運輸政策審議会の総合交通体系の答申によりますと、超高速の第二東海道新幹線の建設という構想が出されておりますけれども、最近新聞、雑誌などで、相当技術的な開発も進んで、具体的にいろいろと述べられておるのですが、この機会にぜひこの超高速の第二東海道新幹線についての構想をひとつ御説明願いたいと思います。

○山口政府委員(運輸省鉄道監督局長) 超高速鉄道による第二東海道新幹線の構想でございますが、これは先生御指摘のように、運輸政策審議会の答申の中に、需要のきわめて多い東京-大阪間においては、超高速第二東海道新幹線を建設する必要があるという趣旨のことがございます。そして一方、私ども運輸省の機関でございまする運輸技術審議会というのがございまして、この運輸技術審議会におきまして、超高速鉄道に関する技術的な問題を検討いたしまして答申をしております。その内容によりますと、東海道新幹線につきましては、その需要の予測を、航空機あるいは高速道路、そういう影響を考慮した上で検討いたしましても、昭和六十年度には大体四十年度に対して六倍半の需要があるであろう。そして現在の東海道新幹線の最大の輸送力というものは、昭和五十三年度ないし五十五年度にはもう限界に達してしまってどうにもならないということになるであろう。したがって、そこに新しい超高速鉄道が必要なわけでございます。

 東海道の新しい鉄道を、表定速度を別にいろいろ試算を行なって、どういうようにすれば一番輸送力が大きく経済的であるかということをやってまいりましたところ、浮上方式による表定速度三百キロメートル、時速三百キロメートル以上の超高速鉄道にすることが一番合理的である。そして、その超高速鉄道の技術的な可能性というものを運輸技術審議会でいろいろ各種の方式について検討をいたしまして、これがたとえば磁気浮上方式だとか空気浮上方式だとかあるいは車輪支持方式だとか、あるいはモーターにつきましてもリニアモーター方式だとか、その他現在の推進方式だとか、いろいろあるわけでございますが、そういった各種の方式を検討いたしました結果、浮上方式といたしましては磁気浮上方式、推進の方式としてはリニアモーターの推進方式ということが最も望ましい、こういう結論が出たわけでございます。それでこういう方向にのっとりまして、国有鉄道におきましていまその技術開発を進めておる、こういう段階でございます。

 

昭和47年03月24日 衆議院 予算委員会第五分科会

 この答弁が行われたのは1972(昭和47)年であり、 「第27回停車場技術講演会」が行われたのは1976(昭和51)年である。オイルショックを経て、第二東海道新幹線リニアモーターカーは汐留を起点とする計画が構築されていたのである。

 国立公文書館のデジタルアーカイブにも第二東海道新幹線が見て取れる。昭和45年3月11日に鉄道建設審議会が全国新幹線整備法案の検討を決議したものである。

新幹線鉄道整備法案要参考図

新幹線鉄道整備法案要綱別表

(※最終的には、全国新幹線鉄道整備法には別表という形で計画の一覧表を載せる方式はとられなかった。)

 結果的には、汐留貨物駅は国鉄の分割民営化の中で売却処分され、リニアモーターカーは中央新幹線において建設されることとされ、ターミナルは品川駅になったことは皆さんご存知のとおりである。

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京葉線はかつて新橋経由で都心(新宿、三鷹)に乗り入れる計画だった。

 京葉線の新宿乗り入れについては、かつて「京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.htmlで記事にしたところである。

 ところで、京葉線の東京駅はかつての成田新幹線構想に基づく東京駅の空間を利用したものであった。  では、成田新幹線構想が生きていたころの京葉線の都心への延伸はどうなっていたのか?それが分かる資料が国鉄に残されていたので紹介したい。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (2)

 「第27回停車場技術講演会記録」307頁から引用

 まあ、上図をご覧のように新橋駅経由だったわけだが。

 出典は国鉄で1976(昭和51)年12月8日及び9日に開催された「第27回停車場技術講演会」における「総武開発線計画について」で、国鉄東京第一工事局調査課の林良一氏によるものである。

 この頃は、「京葉線」はあくまでも貨物線の名称であり、旅客線は「総武開発線」と呼び分けていたようだ。

 上図では駅をどこに設置するかはよく分からないが、別図では下記のとおりとなっている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」308頁から引用

内房線の蘇我駅から中央開発線の三鷹までの間に、新幕張、若松町、新浦安、新砂町、有明、新橋、赤坂見附、新宿、弥生町、新浜田山の駅が予定されていたようだ。蘇我-新橋間が総武開発線、新橋-三鷹間が中央開発線という区分である。

 若松町は、現在の南船橋駅のことか?

 新砂町は、現在の新木場駅のことか?

 弥生町は、下記のとおり中野区にある。

 新浜田山駅が設置されるということは、新宿-吉祥寺間は方南通り、井の頭通りの地下に設置する計画ということか。

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 ルートの考え方は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (1)

 「第27回停車場技術講演会記録」306頁から引用

 「汐留駅をターミナルとし、第二東海道新幹線」云々(でんでんじゃないよ)とあるが、これについてはおって詳細に紹介したい。→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

 蘇我から三鷹までの縦断図は下記のとおりである。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (5)

総武開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (6)

中央開発線の都心付近の拡大図はこちら

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (7)

 それぞれ「第27回停車場技術講演会記録」311頁から引用

 新橋駅は、既に総武快速・横須賀線の地下駅を設置しているため、その下に設置するようで標高約35m(地下約43m)と大変深い位置に計画されていた。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (8)

 「第27回停車場技術講演会記録」312頁から引用

 なお、新橋駅の位置については、案3まで掲載されている。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (11)

 「第27回停車場技術講演会記録」321頁から引用

 また、中央開発線の縦断図では新宿駅で上越新幹線の下を通っていること等が分かる。

 新宿駅のホームや詳細な位置取りは、以前「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlで紹介しているので、併せてご覧いただきたい。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (4)

 「第27回停車場技術講演会記録」371頁から引用

 「横十字」が中央・総武開発線である。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会記録」377頁から引用

 左右に伸びる地下ホームが上越新幹線新宿駅であり、その下(地下5階)に上下に伸びるホームが、中央・総武開発線である。

 中央開発線の三鷹駅が地下に計画されていたことも分かる。

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 「京葉線は、貨物と旅客の複々線とする予定であった」と言われるが、その計画が分かる図面もある。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (10)

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (9)

 「第27回停車場技術講演会記録」320頁から引用

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■地下鉄有楽町線への乗り入れの検討

 昨今、京葉線とりんかい線の相互乗り入れによる新宿直通案の具体化が図られているが、当時営団地下鉄有楽町線(8号線)との相互乗り入れが検討されていたようだ。

京葉線の都心新宿三鷹方面への乗り入れ計画 総武開発線 (12)

 有楽町線乗り入れが実現されていれば、もっと早くに都心への直通が実現できていたと思われるが、特急、快速等が運行しづらいことや、ホームが10両しかないこと(快速は15両を想定していた)、何より、有楽町線が海浜ニュータウン方面(幕張、稲毛付近)への延伸が想定されていたことを排除するために?有楽町線乗り入れを排除していたようだ。

 

 次は「リニアモーターカー(第二東海道新幹線)と京葉線のターミナルとなるはずだった汐留駅」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-67ee.html

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2017年2月20日 (月)

高速道路ナンバリングの一覧表を作ってみた

 今週末の圏央道開通にあわせて高速道路のナンバリングが実施される。

 必要な省令や通達も出そろったようであるが、国土交通省のウェブサイトの非常に深い位置にPDFで載っているだけなので、利用者サービス的には不完全である。

 そこで、暫定的に私が国交省に代わってお客様サービスに努めてあげよう。問い合わせの電話やメールが減るかもしれないぞ。

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高速道路ナンバリングの導入について」国道企第55号平成29年2月14日道路局長通達

 http://www.mlit.go.jp/road/sign/numbering/files/numbering_tsuchi002.pdf

 訪日外国人をはじめ、すべての利用者にわかりやすい道案内の実現を進めるため、「高速道路ナンバリング の実現に向けた提言」(平成28年10月24日高速道路ナンバリング検討委員会とりまとめ)を踏まえ、我が国の高速道路ネットワークにおいて、路線名による案内に併せ、別紙の図表のとおり、路線番号により案内する高速道路ナンバリングを導入する。道路標識、文書又は音声による案内(ウェブサイトを利用するものを含む。)において、高速道路ナンバリングを活用し、わかりやすさの改善を推進されたい。

【都道府県、政令市あて】

 なお、貴管内道路管理者に対しても、この旨周知方お取り計らい願いたい。

 図 高速道路ナンバリング全国図

高速道路路線番号 ナンバリング 一覧

 表 高速道路ナンバリングの路線番号・路線名対応表

路線番号 路線名
E1 東名高速道路名神高速道路
E1A 新東名高速道路新名神高速道路伊勢湾岸自動車道
E2 山陽自動車道
(※引用者注 広島岩国道路、山口宇部道路等含むか?)
E2A 中国自動車道関門自動車道
E3 九州自動車道
E3A 南九州自動車道
E4 東北自動車道
E4A 東北縦貫自動車道八戸線(安代~青森)
(※引用者注 八戸自動車道・青森自動車道か?)
E5 北海道縦貫自動車道
(※引用者注 道央自動車道、名寄バイパス等か?)
E5A 北海道横断自動車道(黒松内~札幌)
(※引用者注 札樽自動車道、黒松内道路等か?)
E6 常磐自動車道仙台東部道路三陸沿岸道路(仙台港北~利府)、
仙台北部道路
E7 日本海東北自動車道秋田自動車道(河辺~小坂)
E8 北陸自動車道
E9 京都縦貫自動車道、鳥取豊岡宮津自動車道、山陰自動車道
E10 東九州自動車道(北九州~清武)宮崎自動車道
(※引用者注 椎田道路、宇佐別府道路含むか?)
E11 徳島自動車道(徳島~鳴門)高松自動車道松山自動車道(川之江~松山)
E13 東北中央自動車道(相馬~福島北)東北自動車道(福島北~福島)東北中央自動車道(福島~横手)
E14 京葉道路、館山自動車道、富津館山道路
E16 横浜新道(新保土ヶ谷~狩場)、横浜横須賀道路
E17 関越自動車道
E18 上信越自動車道
E19 中央自動車道(小牧~岡谷)長野自動車道
E20 中央自動車道(高井戸~岡谷)
E23 東名阪自動車道伊勢自動車道
E24 京奈和自動車道
E25 名阪国道、西名阪自動車道
E26 近畿自動車道阪和自動車道(松原~和歌山)
E27 舞鶴若狭自動車道
E28 神戸淡路鳴門自動車道
(※引用者注 山陽自動車道(三木~神戸西)含むか?)
E29 中国横断自動車道姫路鳥取線(播磨~鳥取)
(※引用者注 播磨自動車道・鳥取自動車道等か?)
E30 瀬戸中央自動車道
(※引用者注 山陽自動車道(倉敷~早島)含むか?)
E31 広島呉道路
E32 徳島自動車道(徳島~川之江東)高知自動車道(川之江~高知)
E34 大分自動車道(日出~鳥栖)長崎自動車道、ながさき出島道路
E35 西九州自動車道
E38 北海道横断自動車道根室線(千歳恵庭~釧路東)
(※引用者注 道東自動車道・釧路外環状道路か?)
E39 旭川・紋別自動車道
E41 東海北陸自動車道能越自動車道
E42 近畿自動車道紀勢線(勢和多気~和歌山)
(※引用者注 紀勢自動車道・阪和自動車道等か?)
E44 北海道横断自動車道根室線(釧路東~根室)
E45 三陸沿岸道路(利府~八戸)
(※引用者注 三陸自動車道・八戸久慈自動車道等か?)
E46 釜石自動車道東北自動車道(花巻~北上)秋田自動車道(北上~河辺)
E48 仙台南部道路、東北自動車道(仙台南~村田)山形自動車道
E49 磐越自動車道
E50 北関東自動車道、東水戸道路、常陸那珂有料道路
E51 東関東自動車道水戸線(市川~茨城町)
E52 新東名高速道路清水連絡路中部横断自動車道(新清水~双葉)中央自動車道(双葉~長坂)中部横断自動車道(長坂~佐久小諸)
E54 尾道自動車道松江自動車道
E55 四国横断自動車道(徳島~阿南)、阿南安芸自動車道、高知東部自動車道
E56 四国横断自動車道(高知~大洲)松山自動車道(大洲~松山)
(※引用者注 高知自動車道・宇和島道路等か?)
E58 沖縄自動車道那覇空港自動車道
E59 函館・江差自動車道
E60 帯広・広尾自動車道
E61 北海道横断自動車道網走線(本別~網走)
E62 深川・留萌自動車道
E63 日高自動車道
E64 津軽自動車道
E65 新空港自動車道
E66 首都圏中央連絡自動車道(栄~戸塚)
E67 中部縦貫自動車道
E68 中央自動車道(大月~河口湖)、東富士五湖道路
E69 新東名高速道路引佐連絡路三遠南信自動車道
E70 伊豆縦貫自動車道
E71 関西空港自動車道、関西国際空港連絡橋
E72 北近畿豊岡自動車道
E73 岡山自動車道中国自動車道(北房~落合)米子自動車道
E74 広島自動車道中国自動車道(広島北~千代田)浜田自動車道
E75 東広島呉自動車道
E76 尾道福山自動車道瀬戸内しまなみ海道今治小松自動車道
E77 九州横断自動車道延岡線
E78 東九州自動車道(清武~加治木)
(※引用者注 隼人道路含むか?)
E80 あぶくま高原道路
E81 日光宇都宮道路
E82 千葉東金道路
E83 第三京浜道路、横浜新道(保土ヶ谷~戸塚)
E84 新湘南バイパス(茅ヶ崎~茅ヶ崎海岸)、西湘バイパス
E85 小田原厚木道路
E86 のと里山海道(千鳥台~徳田大津)
E87 知多半島道路(大高~半田中央)、セントレアライン
E88 京滋バイパス
E89 第二京阪道路
E90 堺泉北有料道路
E91 南阪奈有料道路、南阪奈道路、大和高田バイパス(弁之庄~四条)
E92 第二阪奈有料道路
E93 第二神明道路
E94 第二神明道路(北線)
E95 播但連絡道路
E96 長崎バイパス
E97 日出バイパス、大分空港道路
E98 一ツ葉有料道路(南線)
C3 東京外環自動車道
C4 首都圏中央連絡自動車道(釜利谷~木更津)
(※引用者注 新湘南バイパス(藤沢~茅ヶ崎)含むか?)
CA 東京湾アクアライン、東京湾アクアライン連絡道
C2 名古屋第二環状自動車道
C3 東海環状自動車道

(※道路局長通達はここまで)

(※高速自動車国道を赤高規格幹線道路のうち一般国道の自動車専用道路を緑で着色してみた。)

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 この他、道路地図やカーナビでの使い方の指針となると思われる「高速道路ナンバリングの表示方法・読み方ガイドライン」http://www.mlit.go.jp/road/sign/numbering/files/numbering_guideline.pdfも公表されている。

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■ここからは、ナンバリングのルールを「高速道路ナンバリング検討委員会 配付資料」http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/numbering/pdf99/1.pdfから引用

 ナンバリングルールで基本とする事項としては、以下のとおりとする。

1.親しみ

・地域でなじみがある、かつ、国土の根幹的な路線の既存の国道番号を活用

2.シンプルでわかりやすく

・原則2桁以内

・同一起終点など、機能が似ている路線のグループ(ファミリー)化

・道路種別や機能をアルファベットで表現

3.国土の骨格構造を表現

・主要な国道番号で、国土の骨格構造を表現できるように、路線の起終点を設定

 

 ナンバリングの具体的ルール(抄)

〇1桁・2桁国道に並行する路線は、当該国道番号を付番

〇首都圏、名古屋圏の環状道路は、アルファベットで区別。その際、既存の都市高速道路の環状道路との整合性にも配慮(首都高速道路都心環状線は C1 、首都高速道路中央環状線は C2、 名古屋高速道路都心環状線は R)

〇高速道路の近傍にはないものの、1桁・2桁国道で、かつ、同一地域内で高速道路と大きな方向が一致している路線は、並行路線として扱い付番

〇並行する国道が3桁番号である、又は並行する国道の国道番号を別路線に付番する路線で、隣接して2桁国道がある場合は、当該2桁番号を延伸して付番

〇その他の路線は、以下に従い、1桁・2桁国道に並行する路線、1桁国道とグループ(ファミリー)化する路線、環状道路、1桁・2桁国道に並行する路線の対象を拡大して付番する路線以外の対象路線に付番する。

・付番されていない高規格幹線道路について、59 番以降の番号を沿道の都道府県コード及び市区町村コード順に基づき付番。

・付番されていない高規格幹線道路以外の路線について、他の路線に付番の後、80 番以降の番号を沿道の都道府県コード及び市区町村コード順に基づき付番。

〇一般国道や都市高速道路と区別するため、数字の先頭に、高速道路(Expressway)を意味する「E」を付けたものを高速道路の路線番号とする。ただし、環状道路(C3等)については、既存の都市高速道路の路線番号との整合性、シンプルさを考慮し、「E」は付与しない。

高規格幹線道路以外の路線でナンバリングの対象となった道路は下記のとおり。

高速道路ではないのに路線番号 ナンバリング の対象となった路線一覧

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■ここからは、革洋同による検討等

〇欠番となった路線番号

 並走する国道を原則としたので、どうしても欠番が出るのはやむを得ない。以下の番号が欠番となった。

 12号(札幌市-旭川市)

 15号(東京都中央区-横浜市)

 21号(瑞浪市-米原市)

 22号(名古屋市-岐阜市)

 33号(高知市-松山市)

 36号(札幌市-室蘭市)

 37号(北海道山越郡長万部町-室蘭市)

 40号(旭川市-稚内市)

 43号(大阪市-神戸市)

 47号(仙台市-酒田市)

 53号(岡山市-鳥取市)

 57号(大分市-長崎市)

 このうち、12号、36号、37号及び40号については、実際には、北海道縦貫自動車道(道央道)が並走しているにもかかわらず、「北海道縦貫自動車道は、国土全体及び北海道の骨格構造を表現する路線であることから、全線を5号と付番」とされたため、あえなく欠番となった。

 北海道横断自動車道(札樽道、道東道)は、E5A、E38とE44に分割されている点とは対照的だ。

 

〇一本の路線が複数の路線番号に分割されたもの

 北海道横断自動車道 E5A(黒松内~札幌)、E38(千歳恵庭~釧路東)、E44(釧路東~根室)

 秋田自動車道 E7(河辺~小坂)、E46(北上~河辺)

 東九州自動車道 E10(北九州~清武)、E78(清武~加治木)

 徳島自動車道 E11(徳島~鳴門)、E32(徳島~川之江東)

 松山自動車道 E11(川之江~松山)、E56(大洲~松山)

 横浜新道 E16(新保土ヶ谷~狩場)、E83(保土ヶ谷~戸塚)

 中央自動車道 E19(小牧~岡谷)、E20(高井戸~岡谷)、E68(大月~河口湖)

 阪和自動車道 E26(松原~和歌山)、E42(和歌山以南)

 高知自動車道 E32(川之江~高知)、E56(高知以東)

 三陸沿岸道路 E6(仙台港北~利府)、E45(利府~八戸)

 新東名高速道路 E1A、E52(清水連絡路)、E69(引佐連絡路)

 圏央道 E66(栄~戸塚)、C4(釜利谷~木更津)

 新湘南バイパス E84(茅ヶ崎~茅ヶ崎海岸)、C4(藤沢~茅ヶ崎)

※ 「横浜新道って国道16号区間もあるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、保土ケ谷バイパスの新保土ケ谷ICと横浜横須賀道路の狩場ICの間は、国道16号横浜バイパスの無料区間である。

 

〇同一の区間に複数の路線番号が重複しているもの

 東北自動車道(福島北~福島) E4とE13

 東北自動車道(花巻~北上) E4とE46

 東北自動車道(仙台南~村田)、E4とE48

 中央自動車道(双葉~長坂) E20とE52

 中国自動車道(北房~落合) E2AとE73

 中国自動車道(広島北~千代田) E2AとE74

※この論法でいくと、東北自動車道(岩舟~栃木都賀)もE4とE50(北関東道等)で重複していなければならないと思うのだが、何故かそうなっていない。

 

〇一番多くの路線番号を持つ道路

 中央自動車道 E19、E20、E52、E68

 東北自動車道 E4、E23、E46、E48(上記のように北関東道との重複を押さえていれば、東北道が一位だった。)

 

〇距離が一番短い路線番号

 圏央道 E66(栄~戸塚)・・・・横浜市内(栄区と戸塚区)におさまってしまう。2キロしかない。

※沖縄道と那覇空港道は途中で分岐しているにもかかわらずE58一本にまとめてあるのに、何故ここだけわずか2キロのために別番号を持たせるのかよくわからん。

 

〇重複した路線番号

 C3 東京外環自動車道と東海環状自動車道

 名古屋圏の環状道路については、首都高速道路都心環状線 C1 、首都高速道路中央環状線はC2であるのに対して、名古屋高速道路都心環状線はRであることから、名二環状をR2、東海環状道をR3とする検討も行われていたが、採用されなかった。

名古屋地区の環状道路ナンバリングの別案

 第5回 高速道路ナンバリング検討委員会 配付資料http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/numbering/pdf05/3.pdfから引用

 

〇ナンバリングと引き換えに無くなりそうなもの

 きゅうまるいち(@QOIQOIQOI )さんが指摘している。

 実際にフランスで撮影した高速道路のサイン(路線番号標識もわかるよね)

ヨーロッパの高速道路のサイン

〇E14は京葉道路と東関東道のどっち?

 千葉と東京を結ぶ国道といえば14号だが、有料道路としては京葉道路と東関東道の2本がある。どちらにE14をつけるのが相応しいのかはともかく、実際には京葉道路がE14となり、東関東道はE51を名乗った。

 京葉道路は国道14号の有料バイパスであり、まあ妥当であろう。一方東関東道のE51のもととなる国道51号は、本来千葉市-成田市-水戸市を結ぶ路線であり、東京-千葉間は路線に含まれない。

 なお、E14は館山道経由で富津館山道路をその終点とした。富津館山道路は一般国道127号(館山市-木更津市)の有料バイパスである。14号であり、127号でもあるというわけだ。

 

〇先祖返りの番号?

 いわゆる「B路線」(高規格幹線道路の一般国道自動車専用道路:上記表の緑色着色路線)については、1991年の一般国道の路線を指定する政令において、オリジナルの路線番号を持つ路線と既存の国道のバイパスとして整備されるものとが分けられた。

高規格幹線道路のうちの一般国道自動車専用道路

 この際に、例えば圏央道は国道16号から468号へ、京都縦貫自動車道は国道9号から478号へ、西九州自動車道は国道35号から497号へ変更された。

国道番号の変更

 それが今回のナンバリングで京都縦貫道はE9、西九州道はE35というように元の並行する国道の番号に戻ってしまった。いわば先祖返りである。

 他方、圏央道はE16ではなく環状道路ということでC3になった。E16を名乗るのは横浜横須賀道路+横浜新道(狩場-保土ケ谷)である。「東京環状」とも呼ばれる国道16号であるが、高速道路ナンバリングでは三浦半島+αにおさまってしまった。

 B路線でもう一つ先祖返りがある。上記表に「西神自動車道 28号 神戸市-三木市」という路線がある。「そんな高規格道路聞いたことはない」という方がほとんどであろう。実際には三木JCTから神戸西ICまでは山陽自動車道に、神戸西IC以南は神戸淡路鳴門自動車道として整備された。神戸淡路鳴門自動車道は国道28号の有料バイパスという位置付けだからE28で違和感は無いのだが、三木JCTから神戸西ICまでは高速自動車国道山陽自動車道になったので国道28号ではなくなってしまった。それが(おそらく)E28を名乗ると思われる。(表を見ても明示されていない。)

 

〇「A’」はどうなるの?

 「A’」とは「高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路」のことであり、山陽道における広島岩国道路、山口宇部道路、東九州道における椎田道路、宇佐別府道路、延岡南道路、隼人道路、館山道における富津館山道路のような道路である。

 今回の「高速道路ナンバリングの路線番号・路線名対応表」では、その辺の扱いがはっきりしない。まちまちである。

 例えば、E14であれば「京葉道路、館山自動車道、富津館山道路」とA’路線である富津館山道路をE14とすることが明記されているが、E2では「山陽自動車道」とだけ書いてあるためA’路線である広島岩国道路や山口宇部道路がE2となるのかが明らかではない。

 おそらくネットワークからすると含まれるのだろうが、これがE4Aの「東北縦貫自動車道八戸線(安代~青森)」だと、NEXCOが営業する百石道路は当確にしても、青森県道路公社が営業するみちのく有料道路や第二みちのく有料道路が含まれるかは悩ましいところである。

 「東北縦貫自動車道八戸線(安代~青森)」のように道路名ではなく高速自動車国道の路線を指定する政令の路線名で記載している路線は、A’を含むという見方もできるのだろうか?

E5A 北海道横断自動車道(黒松内~札幌)、E29 中国横断自動車道姫路鳥取線(播磨~鳥取)等がそうである。

また、E56のように「四国横断自動車道(高知~大洲)、松山自動車道(大洲~松山)」という書き方の路線がある。四国横断自動車道(高知~大洲)は、高速自動車国道の路線を指定する政令の路線名であり、「松山自動車道」は、高速自動車国道の路線を指定する政令の路線名では四国縦貫自動車道であり、その道路名が「松山道」なのである。同じ枠の中に違う性格の道路名称が使われている。これはE56の四国横断道(高知~大洲)の区間内に高速自動車国道の高知道に加え、A’路線の宇和島道路、大洲道路等も含まれるからではないだろうか?一方四国縦貫道(大洲~松山)は全区間が高速自動車国道の松山道である。

 

〇また気が付いた点があれば追加していきたい。

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2017年2月18日 (土)

583系引退と聞いて、俺の583系フォルダが火を噴くぜ(駄

583系引退と聞いて、俺の583系フォルダが火を噴くぜ

というか単なる便乗お蔵出しで身も蓋もない

583系みちのく (5)

583系みちのく

583系はくつる (3)

583系はくつる

583系ゆうづる (2)

583系ゆうづる

583系 ひたち(4)

ゆうづるのヒルネ 583系ひたち

583系はつかり (1)

583系はつかり

583系みちのく (6)

583系みちのく

581系なは (9)

581系なは と50系レッドトレイン

581系 明星(7)

581系 明星

581系有明 (8)

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2017年2月13日 (月)

上越新幹線新宿駅と都営地下鉄新宿線及び大江戸線との位置関係を確認してみる

 ここまでグダグダと上越新幹線新宿駅延伸に関して記事を書いてきたが、小ネタをちょこちょこと出して整理しておく。

 「都営新宿線や都営大江戸線があんなに深いのは上越新幹線を避けているため」と言われることがあるがそれは事実なのか?

 文献によって確認してみた。

 まずは都営地下鉄新宿線である。「トンネルと地下」1978年3月号に「新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド」という記事が掲載されている。著者は、日本国有鉄道東京第三工事局新宿工事区の田中逸男区長と吉永則雄助役である。都営地下鉄なのになぜ国鉄の人が報文を書いているかというと、国鉄線の地下部分を通る箇所は東京都から国鉄に工事が委託されているからである。(同様に、小田急線の地下は小田急が受託している。)

 さて、「新幹線」というキーワードは出てくるのか?

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (1)

 「新幹線の新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して」と書いてある。

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (2)

 ただし図面上は新幹線の絵は出てこない。ヒントとなるのが、先述の箇所で「「新幹線の新宿乗り入れなどの将来構想を考慮して32/1,000の急勾配で下り、貨物線の下に至る.これよりさらに2/1,000で下ってから民有地の発進立坑に到達する.」とある。

 勾配が32/1,000と2/1,000に切り替わる箇所がキーポイントのようだ。図面を見てみると山手貨物線の地下あたりで切り替わっている。

 これは、「大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.html等で紹介してきた上越新幹線新宿駅ホームの構想箇所と合致すると言ってよいだろう。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 「第27回停車場技術講演会」「新宿駅将来計画」国鉄東京第三工事局調査課補佐・石倉勝美・著から引用。

 また、「新宿駅線群の下を抜く 地下鉄10号線シールド」には「薬液注入計画」の図面が掲載されている。

上越新幹線新宿駅と都営新宿線の位置関係 (3)

 これが、「勾配が32/1,000と2/1,000に切り替わる箇所」から笹塚寄りのワンスパン分に薬液注入工が行われていないことを表している。将来新幹線ホーム掘削工事を行う際に薬液注入していると妨げになるという判断があったのだろうか???

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 次いで、都営地下鉄大江戸線(12号線)である。実は、これについては適当な文献を見つけられていない。

上越新幹線新宿駅構想 (6)

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」国鉄新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会 から引用。

 今まで多くの図面を活用してきた「新宿駅貨物敷活用基本構想」によると、都営12号線は地下3階で京王線の下・京王新線(都営新宿線)の上の「B3Fレベル」を通っている。しかし現在は地下7階だ。この違いはなにか?

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (15)

 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」34頁から引用

 都営大江戸線は、現在とは違って当初は新宿駅に停車することなく、代々木駅から直接都庁前に向かっていた。このときは地下3階でよかったのが、新宿駅に停車することとなって地下7階になったということか?その辺の経緯はよく調べきれていない。

 京王線と京王新線の間にある微妙な空間は、本来都営大江戸線が入る空間だったということでよいのか?(この空間をして、「京王線と京王新線の間に上越新幹線ホームが計画されている」説を述べる人がでてきたということだろうか?)

 いずれにせよ、地下3階はともかく、地下7階まで下がるのは上越新幹線のせいではなさそうだ。

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2017年2月 5日 (日)

上越新幹線新宿駅-大宮駅間ルート「川島令三案」を徹底検証してみた

 もうずいぶん長い間、上越新幹線新宿延伸ネタを引っ張っている。まだ終わらないのか。もう俺は飽きてきて他のネタを(他人に先に書かれないうちに)早く書きたいのに。

 それならやめとけばよいのに、まだ書くのは、川島冷蔵庫の妄想が大変深く根を張っているようなのでしっかり潰しておく必要があると思ったからである。

上越新幹線大宮駅-新宿駅延伸ルートの川島令三案と国鉄・鉄道建設公団案の比較

 個人ブログや、鉄道トリビア本等で左側の「川島妄想ルート」はよく見かけるが、真ん中の国鉄が公表しているルートはあまり見かけないだろう。

 例えば、「完全版 新宿駅大解剖 」 横見浩彦・監修の105頁にも「上越新幹線の経路だが、荒川付近から地下を通り、池袋駅付近では地下鉄有楽町線と副都心線のトンネルの間に新幹線トンネルがあるようだ。」とすっかり川島一派である。横見浩彦氏の本は当時の新聞すらも調べずに書いたレベルと言えばそれまでなのかもしれないが。

 上記の絵ヅラで、川島ルートが妄想であろうことは概ね分かるが、しっかり理詰めと時系列で潰しておこう。

上越新幹線大宮駅-新宿駅延伸ルートの川島令三案と報道の比較

 ルート図と同じく、左側が川島妄想で右側が当時の新聞である。

 川島妄想の概要は、

・大宮駅-荒川間は、東北・上越新幹線と埼京線の3複線で、上越新幹線用地は「緩衝緑地」を使う。

・荒川-池袋駅間は、地下に潜り「おそらくは」国道17号(中山道)の地下を走る。

 というものである。

 ここで、上記の新聞報道あるいは私のブログの以前の記事「上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlをご覧いただきたい。

1971(昭和46)年10月14日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可

東北新幹線 南埼玉トンネルで一部地下
上越新幹線 未公表(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) なし(東北貨物線?)
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 

1973(昭和48)年3月10日 佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示 

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 この経緯で見ていただいて分かるように、当初案は、「埼京線なしの東北新幹線のみ地下」で、1973年に「埼京線+東北新幹線の高架及び東北貨物線活用の上越新幹線」という公表経緯であり、川島令三の言うような「東北・上越新幹線と埼京線の3複線」が世間に出たことは歴史的に存在しないのである。(国鉄内部での構想段階ではいろんな案があったかもしれないが。)

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 そして、川島令三が<図解>新説 全国未完成鉄道路線でここに上越新幹線の高架橋が併設される。」と述べる「環境緑道」であるが、当初は存在しなかったのである。もし川島令三の言うように上越新幹線を東北新幹線に併設させるつもりだったら当初から「環境緑道」が存在していなくてはならない。

 上記右側毎日新聞記事の末尾に埼玉県知事が「幅6.5mの側道設置」を要求している。現在の「環境緑道」は幅員20mだが、当初は新幹線は4mの側道しか計画していなかったのである。それをせめて6.5mに広げて2.5mだけでも新幹線と民地を離してくれというのが埼京線と東北新幹線の高架併設案が地元提示された段階の計画であったのだ。

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない

 1975(昭和50)年11月8日付朝日新聞にも当初計画では「側道は幅4m」だが、騒音対策で20mに広げると書いてある。川島令三はいったいどこに上越新幹線を作るつもりだったのか。

 下記は、昭和56年2月4日付の国鉄東京第三工事局長から国鉄総裁への上申文「東北新幹線・通勤別線建設に伴う都市施設用地の取得について」の抜粋である。(「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」112頁)

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない2

 国鉄として幅20mの「都市施設用地」の取得に正式に動き出したのはこの段階である。

 「国鉄は、地元の環境対策に理解を示したふりをして、したたかに将来の上越新幹線用地を確保したのだ。」等と考える方もいるかもしれない。

 ただし、上記東三工局長文をよく読むと、地元自治体へ譲渡することが前提であることが分かる。

○岩橋説明員(日本国有鉄道建設局審議役) お尋ねの環境空間ということでございますが、御指摘のとおり、埼玉県下の大宮以南の新幹線を建設するに当たりまして、地方公共団体との間で、両側に二十メーターばかりの環境空間をとってほしい、こういうような御要望がありまして、私ども、これは地方公共団体がお使いになる用地の先行買収というふうに理解をいたしまして買収を進めてきたところでございます。したがいまして、この土地を戸田、浦和、与野の三市に買っていただきたいとずっと申し上げてきたわけでございます(略)

 

1985(昭和60)年6月7日 衆議院環境委員会

 と国会でも明確に国鉄側が答弁している。上越新幹線を作るのであれば「戸田、浦和、与野の三市に買っていただきたいとずっと申し上げ」たりしてはいけないはずだ。

 なお、実際には自治体への有償譲渡は難航しており、会計検査院に再三指摘されている。(上記の国会答弁も会計検査院の指摘を受けてのもの。)

埼玉県内の新幹線の緑地帯は上越新幹線用地ではない3

 1984(昭和59)年11月6日読売新聞にも報道されている。右下のイラストを見ても、譲渡予定の20mの幅の他に上越新幹線用地があるとは思えない。しかも川島令三の「西側がやや広い」というのも否定されてしまう東西等間隔ぶりである。

 (余談だが、新聞の左下の「投資ジャーナル 中江滋樹」に時代を感じますな。平成生まれのゆとり世代は置いてきぼりですまんな。昭和時代には下記のような番組がゴールデンで流れていたのだよ。)

 

・昭和59年度決算検査報告 東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm

・平成10年度決算検査報告 東北新幹線の建設に伴い取得された都市施設用地について http://report.jbaudit.go.jp/org/h10/1998-h10-0540-0.htm

 この2つの報告を読めば、川島令三の「ここに上越新幹線の高架線が併設される。これは筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている。」という記述が如何に馬鹿げたものかが分かるであろう。

 なお、ノート:上越新幹線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%B8%8A%E8%B6%8A%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9Aの「新宿駅への延伸計画における緩衝地帯について」には「ネットで調べたところ、この緩衝地帯は、国鉄がJRになる時に、国鉄清算事業団に払い下げられたのではなく、JRの関連会社に払い下げられたそうです。」なんて書いてあるが、上記会計検査院報告には「都市施設用地は国鉄から保有機構に承継され、その後、保有機構からJR東日本に260,579m2 が譲渡されている」とある。いったいネットのどこを調べたのか。これだから「嘘ペディア」は困る。

 

 ああ疲れた。「おそらくは、池袋駅から中山道に向かい、中山道の地下を走って、荒川を渡る」なんて部分は、川島令三本人が「おそらく」にすぎないと言っているのだから検証の必要もないよね。

 なお、「新幹線池袋駅の設置も考えられていると思える。」(<図解>新説 全国未完成鉄道路線(140頁)については、「上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのか」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-2c6b.htmlにおいて、下記のとおり否定されているので改めてご紹介を。

上越新幹線と池袋駅 (5)

「複合機能としての旅客駅計画 池袋駅」国鉄東京第三工事局調査課 荒井良明・著

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2017年1月30日 (月)

東北新幹線は浦和市営モノレールの導入空間を空けて今でも待ってる

 「浦和市営モノレール」でぐぐっても1件もヒットしない。「なんじゃあこりゃああ!(ジーパン刑事)」な人がほとんどであろう。

都市モノレール・新交通システム 未成線及び事業化路線一覧

 これは、「公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 に掲載された1973(昭和48)年から1983(昭和58)年までの「都市モノレール等調査実施箇所と事業化状況」という一覧表である。

 この54年度に「川口・浦和線」が載っているのが分かるだろう。

 東北新幹線は、このモノレールとの交差に関して浦和市と設計協議を行い、東北新幹線の高架下に浦和市営モノレールが通れるよう導入空間を空けたのである。

 

浦和市営モノレール計画線と東北新幹線の交差

 「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」432頁に掲載された当該箇所に係る部分である。

 「事業主体である浦和市とモノレール交差の技術的検討に加え、(略)昭和56年12月12日の3者会議(モノレール委員会、浦和市、東三工)の席において(略)交差断面スケルトンが決定した。

 

 ここで、「浦和市営モノレールなんて聞いたこともないし、グーグルで検索しても出てこないぞ」とおっしゃる方がいるかもしれない。

 ところが私は、モノレールと聞くと社団法人モノレール協会の機関誌「モノレール」を探せばいいと勘づくぐらいには鍛えられているので、さっそく国会図書館で探索すると、下記のような図面がでてきた。

浦和市営モノレール計画線

 「モノレール」42号(1980(昭和55)年11月)「今年度部市モノレール等調査都市の交通事情--浦和市の都市交通の現状と課題 / 井上竹明(浦和市企画部交通対策室副参事) ・著」から引用

 ついでに川口市営モノレールについては、下記のような図面がでてきた。

川口市営モノレール計画線

 「モノレール」41号(1980(昭和55)年7月)「今年度都市モノレール計画調査都市の交通事情--川口市の都市モノレール等予備調査 / 大野順四郎(埼玉県川口市企画審議室理事) ・著」から引用

 浦和市と川口市で連携して環状モノレールのようなものを計画していたようだ。

 

 このモノレールが通る空間を準備して待ち続けていた場所を探してみるとどうやらここのようだ。

 前後に比べるとスパンが長い。

浦和市営モノレールが東北新幹線の下をくぐるはずだった道場三室線

 モノレールもできるはずだった都市計画道路にしては随分寂しい光景だと思ったら、まだ東北新幹線に届いてすらいないのね。。。

http://www.city.saitama.jp/001/010/018/007/005/p007073_d/fil/h22_doujou.pdfから引用。

 これができていれば南与野駅は埼京線と浦和市営モノレールの乗換駅として賑わっていたのだろうか。

※追記

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2017年1月29日 (日)

大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡

 今まで、上越新幹線新宿駅-大宮駅間のルートについて述べてきたところ、新宿駅池袋駅ときたので、大宮駅についても紹介していきたい。

 上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlにおいて、

上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は、「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」も何にも決まっていないのである。

本稿を書くにあたって「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」「上越新幹線工事誌(大宮水上間)」「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に目をとおしたが、新宿-大宮間の具体的なルートに言及したものは一切なかった。冒頭でご紹介した一文が全てである。(ただし、部分的にそれらしいものがチラチラ見えたりするのでそれはおってご紹介したい。)

 と述べてきた。

 その「部分的にそれらしいもの」をチラチラ紹介していきたい。

 1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」において

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (24)

「東北新幹線配線略図」が掲載されており、新宿方面への分岐線らしきものが見える。

 今の大宮駅は6面のホームがあるが、上図では4面だ。この間の経緯を説明しているのが、1981(昭和56)年10月20・21日に開催された「第32回停車場技術講演会」における国鉄東京第三工事局停車場第一課補佐の金子彦隆氏による「大宮駅」の報告である。

 そこでは下記のような東北・上越新幹線配線略図を示すとともに

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (2)

 その見直しの経緯を述べている。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (1)

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 まず注目したのは、盛岡・新潟方面の破線である。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (4)

 「土木施工」1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」植月躋(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課長)には、

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (8)

「東京発新潟行と新宿発盛岡行に支障がないよう」と書いてあるのだが、この破線部分ができれば、そのあたりがうまく運用できるのだろうか?(「図-3はこちらhttps://flic.kr/p/QcGiQx

 また、2017(平成29)年1月12日 信濃毎日新聞「過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間」http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.phpでは、「JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。」という記事が掲載されてたが、これで大宮発着分もうまく折り返せるのだろうか?

 私は配線等には全く知識がないので教えて偉い人!(ウゴウゴルーガ)。

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 次に注目したのは、東京方の破線である。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (3)

 「上越上・下」という線が東北新幹線の下をくぐるような配線が見て取れる。

 新宿-大宮間ルートを探っている身にとっては大変気になるのだが、これ以上の手がかりがない。

 

 一方、「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に、当該箇所についての手がかりらしきものがあった。407頁の図面に、破線の将来施工の複線と思われる箇所がある。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (7)

 上図の右端はもう大宮駅のホームである。

 断面図の右端「P11」は、現在の大宮駅ホームの手前の配線で3複線の線路が敷設されており、真ん中の「P6]では3線、左端の「P1」では現在は複線だが、破線で将来的には複々線とすることを想定していると思われる。

 この地理院地図に当該橋脚を落としてみるとこんな感じであろうか。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (9)

 

 更にその南側の「与野線路橋」にも「2期施工」と書いた破線が出てくる。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (6)

 「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」398頁

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (5)

 「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」394頁

 この「2期施工」分が上越新幹線新宿―大宮ルートなのだろうか。この区間では、現在の東北上りが上越上りに、東北下りが東北上りに切り替わり、2期施工区間が東北下り、上越下りになるということだろうか。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (8)

 こちらも地理院地図に落としてみた。

 

 さて、ここから東北貨物線に沿って赤羽方向へ向かうはずだ。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

  「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」から

 下図は、「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」18頁に掲載された荒川―大宮間線路平面図である。破線が当初計画の「埼玉南トンネル」のルートで、実線が現在のルートである。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (10)

 大宮駅付近を拡大してみる。

大宮駅付近の上越新幹線新宿ルート準備工等 (11)

 先に紹介した「与野線路橋」の南側で上越新幹線は東北貨物線に沿って赤羽方向に向かうものと思われる。この図面では大宮操車場の西端を走って貨物線に合流すればよさそうに思われる。

 だが、しかし

 今はそこにさいたまスーパーアリーナができちゃったんだよなあ。。。

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 <追記>

 記事をUPした後のフォロワーさんとのツイートから。

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上越新幹線の池袋駅はどうなっていたのか

 ここまで、上越・北陸新幹線の新宿駅乗り入れについてホーム位置やらルートやらを検証してきたわけだが、ここで池袋駅についても検証してみたい。

 そして、新幹線池袋駅の設置も考えていると思える。

 

「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」川島令三・著 140頁)

 果たして池袋駅に上越新幹線の駅は設置される予定だったのか?それとも川島某がいつもの如く勝手に思っているだけなのか?

 

 上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlにおいて、新宿駅-大宮駅間のルート決定の経緯を述べたところであるが、1971(昭和46)年1月13日に鉄道建設審議会が東北、上越、成田新幹線を基本計画に定めることを答申して以来、東京側のターミナルがどこになるかについては、都内各所で誘致運動が行われている。

 

1971(昭和46)年3月15日付毎日新聞「上越新幹線池袋発車に」

上越新幹線と池袋駅 (10)

 

1971(昭和46)年6月25日 読売新聞夕刊「東北-上越-成田 三新幹線 加熱、ターミナル誘致合戦」

上越新幹線と池袋駅 (12)

上越新幹線と池袋駅 (9)

 池袋電車区あたりに上越新幹線のホームを作れるのではないかと地元は考えていたようだ。

 

 しかし、東北新幹線は東京駅、上越新幹線は新宿駅と決まり、池袋は外れたようだ。

1971(昭和46)年9月15日 読売新聞「新宿から「上越」新幹線 国鉄、鉄建公団の最終構想」

新宿から「上越」新幹線

国鉄、鉄建公団の最終構想

山手貨物線使う

東京駅は「東北」と「成田」

上野 池袋 誘致運動にケリ

 51年完成をめざす東北、上越、成田の三新幹線建設をめぐって、大きな焦点となっていた東京都内のターミナル駅は、東京駅を東北、成田、新宿駅を上越ターミナルとする”両立て方式”となることがはっきりした。建設に当たる国鉄鉄道建設公団では、いま新幹線のルートや停車駅を確定させるにしぼってきた構想を修正、「新幹線利用客がふえた際に改めて考えよう」と、第二候補にしてきた「新宿駅」を一躍、東京駅と並ぶ”主役”に抜てきしたもの。正式決定は、今月中に丹羽運輸相の承認を得てからとなるが、新宿、上野、池袋の三つどもえとなって地元から激しい誘致運動が展開されてきたターミナル問題も、ようやくケリがつくことになる

(略)

読売新聞1971(昭和46)年9月15日朝刊

 

 まあ、このあたりまでは以前の記事で紹介してきたところであり、あまり目新しいものではない。

 ここでは、「新幹線通過駅としての池袋駅」の構造が分かるものを紹介していきたい。

 国鉄東京第三工事局が発行した「東三工十年史」(1977(昭和52)年11月)の「4.主なターミナルの姿」という項があり、そこへ池袋駅の将来計画が載っている。

上越新幹線と池袋駅 (2)

上越新幹線と池袋駅 (1)

 上図は、左側が東武・西口、右側が西武・東口となる。現在の埼京線・湘南新宿ラインの地下に4階まで掘りこんだ施設が見える。

上越新幹線と池袋駅 (3)

 地下4階に上越・北陸新幹線のルート(ホームではなくて、あくまでも「ルート」)を計画していたようだ。

 

 「東三工十年史」が発行された翌年の1978(昭和53)年11月14・15日に行われた「第29回停車場技術講演会」において、国鉄東京第三工事局調査課の荒井良明氏が「複合機能としての旅客駅計画 池袋駅」という報告を行っている。

 「Ⅲ 池袋駅に関連する鉄道整備計画」において今後池袋駅に関連して整備される鉄道計画を紹介している。そこに「6 新幹線計画」があげられている。

上越新幹線と池袋駅 (5)

 「北陸・上越新幹線のルートは池袋駅周辺を通過することになり」とある。やはり川島氏の著書はいつものように妄想に基づくものであったようだ。

 また、「Ⅴ 池袋駅の将来計画」の「2 将来線形とホームの配置」に、上越新幹線と東北東海道開発線の地下配置計画が述べられている。

上越新幹線と池袋駅 (6)

 「4 全体構想」では

上越新幹線と池袋駅 (7)

 地下4階に上越新幹線と東北東海道開発線を配置することとされている。その断面図は下記のとおりである。新幹線の姿が見えないのが残念だが、単に通過するだけなので重要視されていなかったということなのだろうか?

上越新幹線と池袋駅 (8)

 

 このあたりは、前述の「東三工十年史」と平仄がとれていると思われる。

 

 ところで、上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-6d67.htmlにおいて、赤羽以南のルートが、初期の新聞記事には「田端分岐」とされ、後の図面では「赤羽分岐」になっているように見える。

 1973(昭和48)年3月11日 毎日新聞では

上越新幹線と池袋駅 (11)

 と赤羽以南は山手貨物線経由とされており、まあ決め手が無いというところである。

 では、この「複合機能としての旅客駅計画 池袋駅」という報告で何か路線図が掲載されていて、池袋駅-赤羽駅間が、赤羽線経由なのか田端駅経由なのかが分かるヒントになるものがないかと思って探してみた。

 結論は。。。

上越新幹線と池袋駅 (4)

「池袋駅中心鉄道計画網図」は掲載されていたが、そこに上越新幹線の計画は載っていなかったということである。

 東京メトロ副都心線(13号線)も掲載されているが、上越新幹線とどちらが上でどちらが下なのかは本稿では言及されていなかった。

 http://www.tokyometro.jp/station/ikebukuro/yardmap/によると、副都心線は地下4階となっているが、前述の国鉄資料でもいずれも上越新幹線は地下4階となっている。果たして真相や如何に。

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<追記>

 フォロワーさんからご教示いただいた。

3分58秒あたりでのメトロ広報氏の腕の振り方からすると副都心線の方が新幹線の下を通るのかな??

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 次は、「大宮駅付近に見る上越新幹線新宿-大宮ルートの痕跡」を。

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2017年1月22日 (日)

上越新幹線 新宿-大宮間ルートの経緯を整理してみる

 「やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?」 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.htmlがえらいアクセスを頂戴した。ありがとうございます。変人窟さんにもリンクいただいたし。(何年ぶりかなあ)

 ところで、新宿駅だけではなくて、新宿-大宮間ルートの経緯についても整理してみたい。

 というのは、この件を調べていると、川島某とか川島冷蔵庫とかwikipediaとかyahoo!知恵袋とかのウソがはびこっていて、デタラメだし、ネットでも「用地はほとんど買収済です」「プロ市民の妨害で用地交渉が頓挫しています」とか矛盾する話がいっぱい出回っているので、「よっしゃここは俺が整理してやろうじゃないか」と頑張ってみたわけである。

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 まずもって、基本的なところを

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (4)

 これは「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」日本鉄道建設公団東京新幹線建設局・編からの引用である。

 「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出することとした。」とある。つまり、当該区間は他の区間とは異なり、まだ工事実施計画が提出されていないということである。

 では「工事実施計画」とはなんぞやということになるが、同書から同じく引用してみると下記のとおりである。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (3)

 「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」等が工事実施計画で決められるということである。ということは、これが決められていない上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は、「線路の位置」「停車場の位置」「工事予算」も何にも決まっていないのである

 (この辺は、行政法を勉強した方は、処分性のとこで出てくる必須判例である「成田新幹線工事実施計画認可取消請求訴訟を思い出すことであろう。http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/154/018154_hanrei.pdf

 私が以前UPした図面のように、当然事務方の腹案はあるだろうが、日本の法律上の手続きでオーソライズされたものは一切無いのである。よって「上越新幹線の東京(新宿)-大宮間は〇〇だ」と断言しているものは、(私のブログも含めてw)ことごとく眉唾で見る必要がある。ルートも予算も決まっていないので用地買収もできないし、反対派のせいで買収が頓挫することもありえない(他の工事の際に空けて待っておくくらいはできるだろうが)。もちろん川島本等は論外である。

 ちなみに、本稿を書くにあたって「上越新幹線工事誌(大宮新潟間)」「上越新幹線工事誌(大宮水上間)」「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」に目をとおしたが、新宿-大宮間の具体的なルートに言及したものは一切なかった。冒頭でご紹介した一文が全てである。(ただし、部分的にそれらしいものがチラチラ見えたりするのでそれはおってご紹介したい。)

 ということで、上越新幹線新宿-大宮間のルート経緯をたどるには、新聞や業界誌等に断片的に見え隠れするものをチマチマと積み上げていく(ないものはないと言う)のが誠実な方法であろう。よってその成果をひたすらダラダラとご紹介していきたい。

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1970(昭和45)年5月18日 全国新幹線鉄道整備法制定

 

1971(昭和46)年1月13日 鉄道建設審議会が東北、上越、成田新幹線を基本計画に定めることを答申

 

1971(昭和46)年1月18日 運輸大臣が基本計画を告示

 上越新幹線 新宿-大宮間ルート (11)

 「起点 東京都」と定められているのが分かる。「上越新幹線の法律上の起点は新宿だ」としったかぶりをする方が見られるが、「東京都」までしか定められていない。新宿までは言及していない。もっとも全国新幹線鉄道整備法では(別表で全国の高速道路の路線を定めた国土開発幹線自動車道建設法とは異なり)一切路線を法律のなかでは定めていないので、「法律上は何も決まっていない」というべきかもしれないが。

 

1971(昭和46)年1月19日 運輸大臣が国鉄及び日本鉄道建設公団に調査を指示

 

1971(昭和46)年1月30日 国鉄及び日本鉄道建設公団が調査報告書提出

 上越新幹線の調査報告書が埼玉県立図書館にあるようなのでご関心のある方はどうぞ(私はそこまでやる気が起きないので他力本願・・・。)

 

1971(昭和46)年4月1日 運輸大臣が整備計画決定。国鉄と公団に対して建設を指示。

 ここまで、私が調べた範囲では、新宿うんぬんということは出てこないようだ。

 

1971(昭和46)年6月15日 東京都知事から国鉄総裁へ協議「国鉄新幹線の東京乗り入れについて」

上越新幹線新宿駅構想 (19)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.htmlでご紹介したもので、出典は国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。

 

1971(昭和46)年6月25日 読売新聞夕刊「東北-上越-成田 三新幹線 加熱、ターミナル誘致合戦」

 「停車場の位置」は工事実施計画で定められると上述したとおりであるが、工事実施計画の策定を前に、東京都内では、東京、上野、新宿、池袋、田端等が候補地とされて、ターミナル誘致の陳情合戦が繰り広げられたようである。上記の読売新聞記事はそれを記録するひとつである。

 

1971(昭和46)年9月15日 読売新聞「新宿から「上越」新幹線 国鉄、鉄建公団の最終構想」

上越新幹線新宿駅乗入れ (1)

 陳情合戦のなかからターミナルに東京と新宿が選ばれたとの記事である。尤も「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 111頁では、基本計画の段階で新宿を想定していたかのような書きぶりではある。

 問題は着工時期だが、現在、鉄建公団が建設中のいわゆる外環状線(武蔵野線、小金線、京葉線の一部をつなぎ東京外周をぐるり取り巻く新線)が、52年に全線開通すると、新宿を含め、いまの国電山手線に並行する山手貨物線はすべて外環状線経由となり、山手貨物線が不要となる。新幹線はそのあとを利用する計画で、国鉄、鉄建公団では当面、東京駅のホーム増設工事を先行させ新宿ターミナルは外環状線工事の進行状況とにらみ合わせて建設準備を進め東京駅より2、3年遅れの着工となりそうだ。

 国鉄、鉄建公団では、51年の開通当初は東北、上越両線を東京駅から大宮駅付近まで併用とし、新宿駅完成後に東北新幹線は東京駅、上越新幹線は新宿駅に分離したい考え。東京駅を出た列車は、高架から秋葉原付近でいったん地下にもぐり、田端付近でカオを出すが、分離後の上越新幹線は、この田端を分岐点に、山手貨物線あとをたどり新宿駅と結ばれる。さらに新宿から山手貨物線あとを延長し大崎付近で東海道新幹線と直通させる計画も出ている。

読売新聞1971(昭和46)年9月15日朝刊

 田端分岐で山手貨物線を使うとは書いてあるが、田端以北のルートについては言及していない。また、東海道新幹線への直通計画に言及していることも興味深い。

 

1971(昭和46)年9月20日 朝日新聞「将来、上越は新宿移転」

上越新幹線新宿駅乗入れ (3)

 東京のターミナル構想には当初、上野、池袋などもあがり、盛んな誘致運動も行われたが、新幹線ホームをつくるスペースが不足などの理由から”脱落”した。

 (略)

 当初東京駅にはいる上越新幹線を将来新宿駅へ移すのは、武蔵野線など東京の外をとりまく貨物線が昭和52年に完成すると、いまの山手貨物線、新宿貨物駅の転用ができ、さらに田端から新宿まで東北新幹線と分かれて山手貨物線ルートで上越新幹線をいれることもできる、東北新幹線の新宿乗り入れや大崎付近から東海道新幹線との直結もできる、などの点からである。当面は上越新幹線の需要増が見込まれる段階で新宿ターミナル構想の具体化を検討する方針だが、こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。

朝日新聞1971(昭和46)年9月20日朝刊

 概ね、先行した読売の報道を裏付ける形となっている。

 

1971(昭和46)年10月12日   東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可申請

上越新幹線新宿駅構想 (17)

上越新幹線新宿駅構想 (18)

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.htmlでご紹介したもので、出典は国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」である。

 上記の朝日新聞記事で「こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。」とあるが、実施計画の参考別紙という形になったようだ。ちなみに冒頭の鉄道建設公団の上越新幹線工事誌と同じ文のようである。

 

1971(昭和46)年10月14日 東北新幹線・上越新幹線工事実施計画その1認可

東北新幹線 南埼玉トンネルで一部地下
上越新幹線 未公表(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) なし(東北貨物線?)
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 

1971(昭和46)年11月13日 国鉄総裁から都知事へ回答「東京と新宿に設置」

上越新幹線新宿駅構想 (20)

 鉄道建設公団が運輸省に説明した内容と同趣旨を国鉄が東京都に回答しているということか。

 

1972(昭和47)年3月 土木施工1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」植月躋(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課長)

 建設業界誌に鉄道建設公団の課長が工事概要の報文を執筆している。その中で

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (8)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (7)

と、大宮駅で分岐する上越新幹線ルートを示している。また、「東京発新潟行と新宿発盛岡行に支障がないよう」と書いてあることから、東北新幹線の新宿始発も想定していたことが伺える。(東海道新幹線との東京駅でのホームの取り合いについてもわかる。)

 

1972(昭和47)年4月24日 参議院 予算委員会第三分科会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (12)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (13)

 国鉄理事の長浜正雄氏が、「上越新幹線につきましては、新宿のターミナルを考え、将来は東海道とも接続できるようにしようという計画を進めている」と答弁している。新宿までのルートについては触れられていない。

 

1972(昭和47)年6月29日 北陸新幹線の基本計画告示

 

1972(昭和47)年6月9日 参議院 運輸委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (15)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (14)

 国鉄理事の長浜正雄氏が、「将来新宿のほうに入れるということになりますると、この山手貨物線のあきました用地を活用していこう」と武蔵野線開通後の山手貨物線を活用して上越新幹線の新宿乗り入れを図りたいと答弁している。山手貨物線と大宮をどうつなぐかについては触れられていない。

 

1973(昭和48)年3月10日 佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示

 当初、東北新幹線の埼玉県内は、南埼玉トンネルで一部地下化するものであった。それに対して、埼玉、東京の沿線自治体が全線地下化を要望にいったところ、逆に運輸省は、東北新幹線の全線高架化、通勤別線(埼京線)の併設、上越・北陸新幹線の東北貨物線敷地活用を提示した。これにより自治体、沿線住民は硬化し、更に反対が強まるきっかけとなったものである。

 反対運動についてはここで詳細を述べる余裕はないが、本稿としては、上越新幹線の大宮以南のルートが初めて東北貨物線敷地として公表されたところが重要である。

 通勤別線(埼京線)が上越新幹線の計画地を転用したというのは少なくとも表向きは事実ではない。

 この時点まで上越新幹線の大宮以南ルートは公になっていない(はず。)。事務方では当然いろいろあっただろうが。

 また、この段階では、環境施設帯(都市施設用地)は予定されていない。東北新幹線+通勤別線(埼京線)+4m幅の側道の計画である。環境施設帯(都市施設用地)はこの後昭和50年代に地元との交渉の中で着地点として出てきたものである。つまり、東北新幹線+上越新幹線+埼京線の3複線の用地幅の計画なんてものはハナから存在しないのである。

 同様に、東北新幹線と並走して高架を走る上越新幹線の計画も存在しなかった(上越新幹線の初出が既に東北貨物線)なので、本来複々線で上越新幹線を作るはずの用地を譲って埼京線が出来たという話も極めて怪しい

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
なし(側道4mのみ)

 以下に関連する報道を紹介する。

 

1973(昭和48)年3月11日 朝日新聞 「上越・北陸新幹線 新宿乗入れに見通し」

上越新幹線新宿駅乗入れ (4)

上越・北陸両新幹線

新宿乗入れに見通し 運輸省

 運輸省は10日、埼玉県の畑知事、東京都北区の小林区長が東北、上越、北陸各新幹線の建設について地元側の希望を陳情したのに対し①48年度中に着工ずる北陸新幹線の大宮以南は、原則として上越新幹線の線路と共用、新宿を始発駅とする②東北新幹線と並行して赤羽ー大営間に通勤新線を建設し、現在の赤羽線と結ぶ③赤羽駅はすべて高架にする、などの構想を明らかにした。

 運輸省が上越、北陸新幹線の新宿乗り入れの可能性をはっきり述べたのは初めて。すでに発表されている東北、上越新幹線の工事計画によると、52年4月の開業後10年ほどは、どちらも東京駅を始発都市、東京-大宮間は複線の線路を共用し、大宮北方の埼玉県北足立郡伊奈町で分岐することになっていた。

 その後、47年6月、北陸新幹線の基本計画が決り、48年度に着工、53年度松までに完成をめざして建設されることになったので、東京-大宮間は複線では無理なため、この区間の複々線化について検討していた。

 その結果、48年4月、武蔵野線が開通するのを機会に東北線の貨物線、山手貨物線がいらなくなるので、その敷地を利用して大宮-赤羽-新宿間に上越、北陸新幹線を乗入れることができると考えた。(略)

 この計画では上越新幹線ははじめ東京始発、その後新宿始発とする計画だったのが、開業時から新宿始発ができる見通しが強まった。

 一方、東北、上越新幹線は46年11月着工、51年度中に完成し、52年4月から開業する方針。工事計画によると東京-秋葉原(高架)、秋葉原-日暮里(地下)、日暮里-戸田(高架)、戸田-浦和-与野(地下)、与野-大宮(高架)となっている。埼玉県と東京・北区の陳情は、これを全線地下にしてほしいというもの。

 これに対して、運輸省は荒川両岸の地域は10年間に1メートルの地盤沈下があり、地下にするのは技術的に困難なので、工事計画を変更して日暮里-大宮間は全線高架にしたいと強調。さらに地元側でそれを了承してもらえれば、通勤用の電車新線を建設してもよい、との構想を明らかにした。

 この計画は、大宮または伊奈-赤羽間の約18キロを東北新幹線と並行して現在線の西5キロのところを高架で走り、赤羽から池袋までの赤羽線とつなごうというもの。赤羽-池袋間は将来、複々線にすることも計画している。

(略)

朝日新聞1973(昭和48)年3月11日朝刊

 

1973(昭和48)年3月11日 読売新聞「東北上越新幹線 首都圏ルートで新提案」

 記事の内容は上記の朝日と同様であるが、北陸・上越新幹線の新宿延伸に係る部分を紹介する。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (9)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (16)

 地図の東北本線沿いに「上越・北陸新幹線」と明記してある。実は貴重品である。以前の記事と違い田端分岐ではなく、赤羽分岐で赤羽線沿いに見える。どこまで意図しているのか(よくわからないからたまたま既存の路線に沿って描いただけなのか、赤羽線沿いとする明確な意図があったのかはこの記事では分からない。)

 

1973(昭和48)年4月1日 武蔵野線 府中本町~新松戸開通

 貨物関係の施設の完成はもう少し後になるのだが、東北貨物線及び山手貨物線の活用の前提条件はある程度整ったことになる。

 

1973(昭和48)年4月12日 衆議院交通安全特別委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (17)

 3月10日の運輸省と地元自治体との折衝を受けての答弁がなされている。ここでは、「3月7日の国会答弁では、武蔵野線が出来たら空いた東北貨物線は通勤用の新線に使うとしているのに、3月10日には東北貨物線は上越新幹線に転用すると地元に回答したのは何故か」ということを問うているのだが明確な答弁はなされていない。

 地質状況のあらましは当初から予測できたのではないか。では、どうして最初に地下ルートと決めたのか。また、どうしてすぐに通勤別線併設の話が出てきたのか。その経緯を示す資料は見当たらない

 

「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 128頁

 

1973(昭和48)年7月12日 参議院 運輸委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (18)

 国鉄の内田理事の答弁では、「工事認可当時は相当開業が先と思われていた北陸新幹線の建設が具体化してきたことに伴い、1本では不足するのでもう1本を東北貨物線を通すこととした」とされている。

 

1973(昭和48)年9月4日 参議院 運輸委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (19)

(中略)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (20)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (21)

 磯崎国鉄総裁がいわゆる「大新宿構想」に触れたものである。

 かつての「大新宿構想」とはなんぞやというと、1972・73(昭和47・48)年に、建設省と運輸省において国土総合開発事業調整費による大規模プロジェクト推進のための調査として「新宿副都心総合整備計画調査」を実施した成果であり、上越新幹線、地下鉄12号線(大江戸線)、13号線(副都心線)等の新しい交通網や淀橋浄水場跡地の副都心開発等を織り込んだものと言ってよいだろう。

 

1974(昭和49)年4月8日 参議院 予算委員会第三分科会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (22)

 運輸省の秋富鉄道監督局長が中央新幹線新宿駅について答弁している。

 

1975(昭和50)年5月 「建築ニュース」1975年5月号「新宿駅の今と昔その将来」

 著者は、国鉄東京第三工事局調査課の市川政治氏と中山秀雄氏。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (15)

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (17)

 といった図面等は掲載されているが、大宮方面への具体的なルートは掲載されていない。

 

1975(昭和50)年4・5月 「交通技術」1975年4・5月号「新宿副都心総合整備計画の概要 その1・その2」

 大新宿駅構想の解説文である。

新幹線新宿駅2

 このような断面図等は掲載されているが、大宮方面への具体的なルートは掲載されていない。

 

1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」

 著者は、西田博氏(国鉄新幹線建設局企画課)及び草間一氏(日本鉄道建設公団新幹線部新幹線第一課)である。

 ここには、東北新幹線単独のルートと、東北新幹線と上越新幹線が分離されたルートが比較できる図が掲載されている。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (23)

 武蔵野線に東北貨物線が移行後、もう1ルートの新幹線に充当することを考えているとある。1973(昭和48)年3月に運輸省が地元自治体に提示したルートの考えに係る報道と同旨である。

 「大宮以南のルート略図」では赤羽駅で分岐しているが、赤羽線とは微妙に離隔をとった矢印となっている。赤羽駅以南は未定(もしくは業界誌でも掲載できないレベル)ということであろうか。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (24)

 大宮駅で上越新幹線が分岐している。これは土木施工1972年3月号「上越新幹線の建設計画について」に掲載されている配線図と同旨である。ところで、この配線図では上越新幹線は図面上方(西側)に分岐しているが、「大宮以南のルート略図」では東側に分岐しており、私の頭の中ではうまく整理できない。

 

1977(昭和52)年10月4日、5日 「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」

  「停車場技術講演会」というのは、国鉄の停車場関係者が集まった社内研究発表会のようなものだと推測しているのだがその中で「線区整備計画」というテーマがあり「高崎、東北線」について三行俊城氏(国鉄東京第三工事局調査課)が報告をしている。

 テーマの本題は、輸送力が限界に達している東北・高崎線の将来整備計画であるが、そのなかで「東北貨物線を利用した在来線の輸送力増強を検討しているが、将来的には新幹線に転用するので、いつまでも貨物線をアテにできない」という経緯で新幹線の将来計画が掲載されている。

 1973(昭和48)年段階では上越新幹線新宿-大宮間がいまにも工事が始まりそうな勢いだったが、オイルショック等を挟んで後退したのだろうか??

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (25)

  「通勤別線(埼京線)の複々線化の検討しておく必要がある」としてある。1973(昭和48)年3月11日の朝日新聞にも同旨の記事が書いてあるのは興味深い。国鉄は大宮~赤羽間の東北新幹線横に、上越新幹線用の複線の土地を考慮するのではなく、埼京線用の複々線化用の土地を検討していたわけだ。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (2)

 ところで、この「図-12 新幹線ルート計画変更案」だが、「旧計画(昭和46年10月実施計画認可)」に「新幹線A」「新幹線B」が並走して南埼玉トンネルを走っているように見える。他方、「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」の「図-2 大宮以南のルート略図」の現計画では、新幹線Bに該当する路線は描かれていない。また「新計画」の赤羽以南の描きかたも「交通技術」1976年1月号とは違い、赤羽線に密着しているように見える。

 世間への公表ベースでは、上越新幹線の大宮以南のルートは、1973(昭和48)年3月10日の、佐藤運輸政務次官が、畑埼玉県知事と小林東京北区区長に対して、東北、上越、北陸の三新幹線の運輸省案路線計画を提示した段階が初登場のはずなのだが、それ以前に国鉄内部では、新幹線Bルートとして上越新幹線ルートが内定していたというのだろうか??

 他方、当初から上越新幹線は東北貨物線を想定していたとする資料もある。

 基本計画策定時、大宮から東京都心へ、二つの新幹線ルートが考えられた。それを、当時、第一新幹線・第二新幹線ルート、もしくは、A幹線・B幹線ルートとも呼んだ。その一つが東京駅に向けてであり、もう一つが新宿駅に向けてであった。ともに「起点東京都」である。

 当時在来線の東北・上越・京浜東北からの東京都心への通勤定期客の赤羽駅での流動は、上野方面3に対して池袋方面1であった。このような実績を踏まえ、まずは東京駅ルート(A幹線)が選択された。

 輸送需要から、開業当初から当分の間は、さしあたり東京・大宮間を共有し、数年後に新宿ターミナルと新宿・大宮間の建設をすることにした、と言われている。

 なお、当時から、大宮から赤羽、田端を経て、池袋、新宿さらに渋谷、大崎への山手貨物専用線のルートがあった。現在、湘南ライナーが走っている線路である。大宮から新宿への第2新幹線(B幹線)ルートは、このルートの活用が基本であった。

 

「鉄道ルート形成史―もう一つの坂の上の雲」高松良晴・著 111頁

 高松氏によると、上越新幹線(B幹線)は、基本計画当初から東北貨物線ルートであり、「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」「図-12 新幹線ルート計画変更案」のような南埼玉トンネルを上越新幹線が通ることはなかったことになる。

 このあたりの経緯が分かる一次資料があれば是非ご教示いただきたい。

 

1976(昭和51)年12月 「第27回停車場技術講演会」「新宿駅将来計画」

 記事の内容から、あえて順番を逆にしてしまったが、この石倉勝美氏(国鉄東京第三工事局調査課補佐)の報文では、新宿駅の上越新幹線ホーム平面図が掲載されている。

大新宿構想時代の上越新幹線新宿駅地下ホーム (3)

 詳細は、大新宿構想時代(昭和50年前後)の上越新幹線新宿駅地下ホーム等の図面http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-bfa5.htmlをご覧いただきたいが、新宿-大宮間のルートについては触れられていない。

 

1979(昭和54)年12月7日  戸田、浦和、与野市の各市議会で条件付賛成を可決

 20mの都市施設用地を国鉄が自治体の代わりに先行買収すること等を条件に地元自治体の議会が東北新幹線の受け入れを決定した。上越新幹線ルートについては触れられていない。

 

1980(昭和55)年1月12日 荒川-大宮間のルート変更に係る工事実施計画変更(その4)認可

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (26)

東北新幹線 全線高架
上越新幹線 東北貨物線(工事実施計画なし)
通勤別線(埼京線) 東北新幹線に並行
都市施設用地
(環境施設帯)
20m
(自治体に売却前提で国鉄が買収)

 

1982(昭和57)年10月21、22日 「第33回停車場技術講演会」「赤羽駅改良」

 いろいろな国鉄内部資料を知ることができ停車場技術講演会記録に赤羽駅の報文が掲載されていると知って、「上越新幹線は赤羽分岐なのか田端分岐なのか」「B幹線は地下なのか地上なのか高架なのか」等が分かる図面が掲載されていることを期待して閲覧したのだが、東北新幹線に係る高架工事については触れていたものの、上越新幹線のB幹線に係る記載は一切無かった。

 

1983(昭和58)年4月 「新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会」を国鉄に設置

 運輸白書に「国鉄用地活用のモデルプロジェクトとして,新宿駅貨物敷等4地区を対象地とする計画検討委員会及び基本構想研究委員会を国鉄に設置し,再開発計画及び開発整備構想の検討を鋭意進めている。」とされているものである。新宿貨物駅をタカシマヤタイムズスクエアやNTTドコモ代々木ビルに切り売りするための検討を開始したわけだ。

 

1984(昭和59年度)会計検査院決算報告「東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について」

http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm

 川島令三が「ここに上越新幹線の高架線が併設される。(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」141頁)」とする「環境緑道」は、実際には

「東北新幹線の建設に伴い、本線用地及び工事用道路用地のほかに沿線の大宮、与野、浦和及び戸田の各市の要望に基づき、各市が将来、道路、公園等として利用したいとしている用地」であり、

「その取得に要する費用負担については、将来、関係4市と有償譲渡の協議を行うこととして、国鉄の費用で先行取得することとしたものである。」

「国鉄は、その後、埼京線が60年9月に開業の予定となったことから、同年7月に県南3市内8駅の暫定駅前広場の整備に係る都市施設用地の一部約8,200m2 (都市施設用地全体の3%に相当)について、全体から切り離して有償譲渡することとする協定を締結(価格は61年3月までに決定することとなっている。)しているものの、大部分の都市施設用地約266,800m2 については、その後においても何ら実質的な協議を行うことができない状況のままとなっている。」

 上越新幹線用地であれば保有しておけばよいのだが、本来沿線自治体に有償で売却しなければならないので無駄遣いになっていると会計検査院に指摘されているわけだ。新幹線建設用地として手つかずのままにしているわけではないのである。

 現在もJR東日本はこれらの土地の売却交渉を続けている。上越新幹線建設のために「荒地のまま放置されている(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」川島令三141頁)」のではなく、売りたくても買ってもらえていないのである。1998(平成10)年度の会計検査院の検査結果によると、売却すべき土地の帳簿価格は1220億4655万余円である。

 そんな土地を川島令三が上越新幹線建設用地だと主張する根拠は、「これは、筆者が、ここの工事にかかわった職員から直接聞いている(「<図解>新説 全国未完成鉄道路線」141頁)」という検証不可能なものである。

 

1985(昭和60)年3月 新宿駅貨物敷活用基本構想研究委員会「新宿駅貨物敷活用基本構想」

上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認するhttp://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.htmlで紹介した図面を含む将来計画(ここから先は処分するよ、ここまでは国鉄(JR)が利用する予定があるよ)について一定の整理をしたものと思われる。最終版ではなさそうだ。

上越新幹線新宿駅構想 (25)

 土地の切り売りが主目的であるためか、新宿-大宮間のルートについては触れられていない。

 

1993(平成5)年6月 JREA1993年6月号「北陸新幹線東京乗り入れに伴う東京駅改良の概要」

 1973年頃の話では、北陸新幹線が開通すれば、現在のままでは輸送力が不足するので新宿-大宮間が必要ということだった。

 では実際に北陸新幹線が開通する際にはどのように判断されたのか?

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (6)

 見づらくて恐縮だが「北陸新幹線の東京乗り入れは、現在の東北・上越新幹線の線路容量にまだ余裕があることから、高崎~東京駅間は現在の線路を利用することとした」とある。

 著者は、池田尚氏(東日本旅客鉄道建設工事部工事課長)及び中井雅彦氏(東日本旅客鉄道東京工事事務所土木第九主任技師)である。JR東日本として、北陸新幹線(少なくとも長野開業までは)では線路容量が賄えるという判断をしているわけだ。

 

1995(平成7)年3月 日本鉄道建設公団三十年史

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (5)

 冒頭に、「新宿-大宮間は工事実施計画が出されていない」ことを記したが、鉄道建設公団の公式見解としては、1995年段階でも「現在に至っている」と、まだ仕掛途中という認識というようだ。少なくともこの段階では「中止された」とか「東京駅起点に変更された」ということではないのだろう。

 

2005(H17)年1月8日 日経新聞夕刊「新幹線 新宿ー大宮線が浮上 自民検討、地下に建設」

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (10)

 自民党は現行の整備新幹線計画とは別に、大宮(埼玉)―新宿駅間の地下新幹線ルート建設の検討に入る。北海道や北陸への新幹線の延伸が決まり、大宮―東京駅間の輸送力が将来、限界に近づくと判断。整備新幹線等鉄道基本問題調査会(小里貞利会長)を中心に、国土交通省やJR東日本などとの調整に着手する。

 建設費は概算で六千億円強とみられ、同党は八戸―新青森など建設中の路線が完成する二〇一〇年度以降の着工を目指す。ただ、新宿駅の大幅改造や騒音、振動への対策などで膨らむ公算が大きく、予算確保が大きな課題となる。

 現在の大宮―東京駅ルート(三十キロメートル)は、東北、上越、長野の三線が共用している。混雑時には一時間あたり片道十五本前後が運行し、輸送力は飽和状態に近い。住宅地を通るため速度は百十キロに規制され、区間通過に約二十六分かかる。

 「新宿ルート」(二十七キロメートル)は大宮駅で東京駅に向かう既存ルートと分岐し、JR埼京線や山手線の地下を通って新宿駅の地下ホームに乗り入れる計画。地下路線のメリットを生かし最高速度二百六十キロを想定、所要時間は約十一分を見込む。

 整備新幹線計画には費用対効果などの面から批判が根強いが、昨年末には「北海道」「北陸」「九州・長崎ルート」の三区間の着工が決定。新構想には都市部の交通対策を打ち出すことで、同計画への国民の理解を得る狙いもあるとみられる。

 何年も表舞台に出てこなかった新宿-大宮間ルートであるが唐突に出てきた。地下を時速260キロで走るとなれば、今までの東北貨物線ルートとは全く異なるルートなのではないか?(記事には「埼京線や山手線の地下を通って」とある。)

 ただし、現在の東北新幹線、埼京線ルートは、地元の地下化要望に対して、国鉄が「軟弱地盤で技術的に不可能に近い」と突っぱねた区間であるのだがどうなっているのだろうか?

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (28)

「東北新幹線工事誌(上野大宮間)」13頁から引用

 

 これを受けて、北陸新幹線沿線にいろいろ動きが出たようだ。

 

2005(平成17)年6月5日 読売新聞「新宿―大宮間の新幹線整備、検討すべき」自民・久間総務会

 自民党の久間総務会長は4日、福井市で開かれた北陸新幹線福井駅の着工記念県民大会であいさつし、今後の整備新幹線の建設の見通しに触れ、「大宮、上野、東京はものすごい(乗降客)人数になる。大宮から池袋を通って新宿までを併せて完成させないと、さばき切れるのか」と述べ、新宿―大宮間の整備を検討すべきだとの考えを示した。

 

2005(平成17)年7月10日朝日新聞「北陸新幹線の全線実現決議 小松市民会議が総会 /石川県」

 北陸新幹線建設促進小松市民会議の総会が9日、小松市土居原町の県こまつ芸術劇場うららであった。会長の森喜朗・前首相や名誉会長の谷本正憲知事、副会長の西村徹小松市長らのほか、国会議員や県議、市議や市民ら約250人が参加し「北陸新幹線の全線フル規格による整備実現へ全力をつくす」などとした決議をした。

 森氏は、構想が語られる大宮―新宿間の地下利用の新ルートに触れ、「新宿―東京間は早くて30分。北陸新幹線が仮に新宿につながると、東海道新幹線への乗り換えに30分余計にかかり、容認できない。東京への乗り入れを半分ぐらい確保しておきたい」と語った。

 

 国会でも質疑があった。

2005(H17)年10月14日 衆議院 国土交通委員会

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (27)

 政府の答弁は一般論の域を出ないものにすぎない。少なくとも喫緊の課題ではないという認識のようだ。

 小里議員は、平成22年3月1日にも同様の質問をしているが、具体的な中身のある答弁を引き出せていない。

 

2017(平成29)年1月12日 信濃毎日新聞「過密ダイヤ 改めて注目 新幹線 東京―大宮間」

 北陸新幹線(長野経由)で未着工となっている福井・敦賀以西の延伸に向けて与党の検討が進む中、東京―大宮(30キロ)の新幹線ダイヤの過密問題が改めて注目を浴びている。同区間は北陸だけでなく、東北、上越の両新幹線も通っており、延伸に伴って増便させる場合にはJR東日本は大宮発着も想定しているからだ。

(中略)

 「東京―大宮間がいっぱいだ。もう一本(線路を)引くのを計算しないと話は成り立たない」。麻生太郎財務相は昨年12月13日、記者会見でこう発言。北陸新幹線敦賀―新大阪の早期開業に関し、大宮以南の線路を増強し、運行本数を拡大する必要があると指摘した。10年ほど前に与党内で一時浮上した新宿と大宮を結ぶ新幹線構想にも言及した。

(中略)

 一方、JR東日本は、巨額の投資が必要な大宮以南の線路増強について慎重だ。「現有の新幹線設備を有効活用することで、利用状況を踏まえた列車本数を確保できると考えている」(広報部)とする。今後、需要が増える場合には「大宮発着の列車の運行などを必要に応じて検討していくことになる」との立場だ。

(後略)

 

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170112/KT161230CUI090002000.php

 既に記したように、北陸新幹線(長野新幹線)の東京駅乗り入れにあたって「現在の東北・上越新幹線の線路容量にまだ余裕がある」と判断したからこそ、わざわざ中央線を移設してまで東京駅にホームを作ったということなのだろうか。

 

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 とりあえず、上越新幹線の過去の経緯について見つけた一次資料を目いっぱい載せてみた。出てきた路線図は下記のとおり。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (9)

1973(昭和48)年3月11日 読売新聞「東北上越新幹線 首都圏ルートで新提案」

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (1)

1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (2)

1977(昭和52)年10月4日、5日 「第28回停車場技術講演会」「高崎、東北線」

 

 ところでwikipediaの「新幹線」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A#.E6.9C.AA.E6.88.90.E7.B7.9Aの項に載っている

上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり、東北新幹線に乗り入れとなったが、一部区間では用地買収が済んでおり、新宿駅地下にもスペースが確保されている[注 3]。整備新幹線開業後の大宮 - 東京間および東京駅の容量逼迫に備えてこの区間の建設を再開すべきだという意見がある。ただし、埼京線高架沿いの空き地は「環境空間」と呼ばれる騒音問題を考慮して設けられた緩衝地帯であり、延伸のために確保された用地ではない。1987年の国鉄分割民営化に伴い、国鉄からJRに引き継がれた公文書でも「大宮側は二重高架とすること」が記されている

2017年1月22日閲覧

「大宮側は二重高架とすること」って何が根拠なんですかね?

 私が調べた範囲では、少なくとも公表された範囲では、上越新幹線を現在の東北新幹線に沿って走らせる計画は一切ないようであるが。

 二重高架にして「新幹線鉄道騒音に係る環境基準について」http://www.env.go.jp/kijun/oto3.htmlを満足できるとも思えない。

上越新幹線 新宿-大宮間ルート (26)

今のルートにする際に「日照など沿線住民におよぼす影響を考慮」とあるのに、更に日照を悪化させるような二重高架が受け入れられるとも到底思えない。

 また「上越新幹線は新宿駅 - 大宮駅間の建設が中止となり」についても、中止どころか始まっていない(工事実施計画を提出していない)ので正確とはいえない。どなたか中止の指示を正式にされたことがあるのだろうか?(1971(昭和46)年4月1日 運輸大臣の公団に対してなした建設指示が取り消されたのであれば間違いなく中止と言えるであろう。)

 「一部区間では用地買収が済んでおり」というのも、工事実施計画の認可がおりていないため用地費を始めとした建設予算は一切ついていないことから、買収は不可能である。いったいどこを買ったのか明示できるのか?仮に東北新幹線の予算でうまいことやろうとしても、東北新幹線は国鉄事業、上越新幹線は鉄道建設公団事業と別れており、ハードルは高い。

 

 大宮-荒川間は線路別複々線、荒川以南では東北新幹線と別れて地下線で新宿に達する予定だった。さらにこれら路線の両側に並行して緩衝緑地帯を設置することになり、そのため用地は東北新幹線、上越新幹線、通勤新線の3複線と、それにプラス緩衝緑地帯分という広大なものになった。

 

「全国鉄道事情大研究 東京北部・埼玉篇1」川島令三・著 13頁

 これなんか真っ赤なウソである。

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