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2010年11月19日 (金)

首都高の昔の路線図

※このページは、昔の首都高速道路の路線図を紹介したものです。
現在の路線図をお探しの方は、首都高速道路株式会社のサイトを御覧ください。http://www.shutoko.jp/service/map/index.html

首都高横羽線調査報告-1

首都高横羽線調査報告-2

↑首都高速道路横羽線調査報告書より。

世界銀行から金を借りないといけないので英文で作成している。

3号線が渋谷から東名に直結せずに、第三京浜と東名の間へ向かっている。

小松川線が、瑞江ではなく、平井で国道14号へ接続している。

東京外郭環状道路が多摩川河川敷ルートだ。

昭和36年の首都高速道路構想(未成道が山盛り)

昭和37年段階での将来構想を検討したもの。具体的な計画に入ったわけではない。

昭和40年代前半の首都高速道路路線図

内環状線があったり、磯子線があったり、2号線が第三京浜につながっていたりする。

湾岸線が横浜まで伸びる計画がないので、磯子線はそれなりに意味があったのだなあと思う。

【追記】東関東道と京葉道路が入れ替わっている?と思ってよく見たら、後に「北千葉道路」と呼ばれる道路が「東関東道」とされている!

こちらは、ハイウェイテクノフェアの首都高ブースで流れていた記録映画に出てくる昔の計画路線網

第三京浜には、2号線がつながるのではなくて、中央環状線から単独で分岐する形になっておりますなぁ


首都圏既成市街地整備計画に首都高内環状線、10号線、花見台線等の計画が載っている。1号線が川口で東北道に接続してたりする


昭和46年度の首都高決算公告に調査路線として、内環状線だけではなく、南北線、横浜高速中環状線というのも載っている。

国立公文書館のデジタルアーカイブには、昭和48年当時の首都高速の路線一覧表が。

当時の首都高速11号線は、台場線(レインボーブリッジ)ではなく、北千葉道路だったのだ。

 

最後に、バブル真っ最中の昭和63年の路線図を。

昭和63年の首都高速道路計画

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コメント

むかし、たしか大崎のほうだったか、首都高を走っていると、いきなり料金所があって、そこで乗り継ぎ切符を渡していたのを記憶していますが、どこからどこまでなのか、正確に覚えていません。ご存じなら、教えてください。八十年代でした。その乗り継ぎ切符を次の料金所(?)で渡すだけです。今思うと、なつかしいやら、不思議やらという感じです。

投稿: scorpione | 2011年10月10日 (月) 13時33分

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