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2011年1月に作成された記事

2011年1月27日 (木)

昭和50年代の国鉄博多駅で撮った鉄道写真


581系寝台特急 明星@鹿児島本線のどこかの駅 福間の辺?


14系ハザ急行雲仙&西海の到着


雲仙のサボ


581系のヒルネ 有明


キハ82の回送?


キハ82 おおよど


キハ82 おおよど


キハ82 おおよど のサボ


熊本行き急行ぎんなん


ぎんなん のサボ


415or401 特別快速 のサボ


西鹿児島行き急行かいもん のサボ


キハ82系 にちりん


82系 にちりんのサボ


福岡市営地下鉄の回送 @博多駅


福岡市営地下鉄の回送 @博多駅


581系寝台特急なは と50系レッドトレイン


寝台特急富士が西鹿児島行きだったころ


キハ66&67の筑豊・篠栗線 快速のサボ


急行出島にひっついてきた?島原鉄道のサボ「小倉⇔加津佐」

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2011年1月26日 (水)

西鉄 北方線

西日本鉄道北九州市内の路面電車北方線の廃止あたりの写真をUP。





北方車庫




車庫にさよなら電車がスタンバイ


まだ営業中なのに車庫の裏では解体していた



北方線といえば連接車王国だが例外も





車体広告の「ジミ産婦人科」は、国民新党 自見庄三郎大臣の親族経営。自見大臣もお医者さん。



路面電車の廃止後には北九州モノレールができた



おまけ

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2011年1月16日 (日)

野球ができない川崎劇場

川崎球場といえば、高橋ユニオンズ、大洋ホエールズときてロッテオリオンズと3つの球団の本拠地だったわけですが、末期は、ガラガラなので、外野席で麻雀やったり流しそうめんやったり(これは河合塾生らしい。牧野の「予備校にあう」に書いてあった気がする。)
で、テレビ中継もないことから、「テレビじゃ見れない川崎劇場」というキャッチコピーで宣伝していた。
時はたち、耐震上の問題があるということで、スタンドが解体されることになり、最後にロッテと横浜のオープン戦が行われたのは有名なところ。
更に時がたち、現在の川崎球場は依然「球場」と名乗るものの、野球はできない「球技場」になっていた。。。

これは日本社会人アメリカンフットボール(Xリーグ)の試合を見に行ったときのもの。


内野席は土手が残るだけです


バックスクリーンはスポッター席になっています。チアや選手もとても間近で見ることができます。


川崎球場の観客スタンドの基礎は野球のフィールドの中。もう川崎「野球場」ではない。そういう意味ではアミノバイタルフィールドも陸上のトラックのうえにスタンドがたっている。


川崎球場の照明塔 往時をしのばせるものはこれくらいしかない


照明塔の基礎あたり


ピクトさんもいた!


入口はこんな感じ

なお、試合の実況を志生野アナウンサーがやっていた。当日、私はマイアミドルフィンズの往年の名QBマリーノのシャツを着て行ったのだが、ハーフタイム中にすれ違った志生野アナに「お!マリーノだね」と声をかけてもらってちょっと嬉しかった。

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阪神高速道路 梅田出口:ゲートタワービルの立体道路について

阪神高速道路池田線の梅田出口といえば、世界的にも有名(らしい)ビルの真ん中を突き抜ける高速道路。

平成元年の道路法改正に基づく立体道路制度適用第1号。

阪神高速梅田出口立体道路 (1)

阪神高速梅田出口立体道路 (2)
橋脚の立ち方を見ればわかるが、道路と建物はそれぞれ別個に自立している。同じ大阪でも朝日新聞ビルは、道路が完全に建物に乗っかっているのだが。

阪神高速梅田出口立体道路 (3)
ゲートタワービルの各階案内 5階から7階は阪神高速って入居しているわけではなくビルを貫通しているわけだが。

なお、このビル案内で見ると、このビルは16階建てだが、登記上は阪神高速が通過するフロアはカウントしないので、登記上は13階建てなのだそうだ。

阪高立体道路何階

「不動産カウンセラー」No4「座談会 道路一体建物について(阪神高速の現状)」14頁から引用。

梅田の阪神高速立体道路 (1)
隣車線から撮影。5階から7階はこうなっております。
ビルと道路が完全分離しているのが分かります。

梅田の阪神高速立体道路 (2)

ところで、この「ゲートタワービル」という名前、ちょっといわくあり。

当時の大阪は関空バブルでオール関西でトンカチやっていた。この梅田オフランプも阪神高速の渋滞解消として関空バブルの時に追加で作ったわけです。

阪神高速梅田出口立体道路 (4)
左側のランプがゲートタワービルをくぐって梅田北ヤード方向へ向かうランプ。後から付け足した感じがよく出ている。

当時の関西で、「ゲートタワービル」といえば、関西空港手前のりんくうタウン駅につくっていた「ゲートタワービル」が有名だったのだが、りんくうタウンに先行して梅田の方が「ゲートタワービル」を名乗ってしまった。おかげでりんくうタウンの方は、「りんくうゲートタワービル」と名乗るはめに。。

りんくうタウンゲートタワービル

おまけに、りんくうゲートタワービルは本来関空連絡道をはさんで南北にタワーがならぶはずだったのが、関空バブルがはじけてあえなく片側だけになってしまった。。。

それはともかく、詳細な経緯は、下記の報文(「道路行政セミナー」1992年9月号)を御覧ください。

阪神高速梅田立体道路制度 (1)

阪神高速梅田立体道路制度 (2)

阪神高速梅田立体道路制度 (5)

阪神高速梅田立体道路制度 (3)

阪神高速梅田立体道路制度 (4)

最後に図面の部分を拡大してみる。

阪神高速道路梅田出口図面


大きな地図で見る

ビル会社のサイトはこちら 各フロアの図面などがあります。また、ビル会社のサイトで紹介しているつべは下記のとおり。

台湾でも紹介の様子

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横浜スタジアムオープン記念切符(横浜市交通局)

この他にも、相模鉄道が発行していたような記憶があります。確か田代の絵だったような(スタジアム最寄りでも何でもないのに。。。)

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初めての横浜スタジアム

大洋ホエールズが横浜スタジアムに移転してきた昭和53年の写真。
初めてのプロ野球観戦。初めての横浜スタジアム。
この時から現在までひたすら大洋ファンだ。。。


ヤクルト応援団。この中に「岡田のおっちゃん」もいたのか??

78ken

チケットの選手は、左から田代、山下、松原ですかね

左から、松原誠先生、山下大ちゃん、田代

左から福島(晃子のパパ)、斉藤明雄(当時)、平松、高木とっつあん

福島や高木とっつあんのアンダーシャツが湘南ユニのままだ。。

斉藤明雄、田村、田中由郎、関本四十四、野村収、平松政次、高橋重行

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錦糸町駅で撮影した国鉄時代のヘッドマーク付き房総急行

昭和50年代の国鉄房総急行ヘッドマーク付き

急行水郷 165系
急行水郷 165系

急行内房 165系
急行内房 165系

急行外房 165系
急行外房 165系

急行鹿島 153系
急行鹿島 153系

急行犬吠 165系
急行犬吠 165系

総武線101系
総武線101系 冷房なし 夏の総武線の通勤ラッシュを冷房なしで乗り切ってたんだよなー

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2011年1月 4日 (火)

幻の「海老名北JCT」標識

平成21年3月に行われた「横浜横須賀道路開通プレイベント(馬堀海岸IC)」で撮影した、圏央道「海老名北JCT」の標識。

※左に写っているのは、NEXCO東日本のキャラクター「高速人うさぎ」くん。

計画段階では、圏央道と東名の分岐点が「海老名北JCT」で、圏央道と第二東名(新東名)の分岐点が「海老名南ジャンクション」という仮称が設定されていたが、海老名北JCT(仮称)~海老名北IC(仮称)の開通にあたって、正式名称が定められた際に「北」が取れてしまったので、幻の標識になってしまった次第

※蛇足ながら、圏央道の海老名JCT~海老名ICとされている区間は、本当は「第一東海自動車道(東名高速道路)」とされている。

土地収用法の告示等は正式な「第一東海自動車道」としてなされている。

※模型屋さんが、海老名(北)JCT、海老名南JCTの模型をつくっている。

http://www.k-kikaku.co.jp/douro-page.html/20-ebina-kita-jct.html

http://www.k-kikaku.co.jp/douro-page.html/19-ebina-jct-it.html

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迎賓館の下を通っている首都高速を見下ろしてみた

迎賓館の特別参観に何度目かの正直で当選したので行ってきた。

本スジとはちょっと違うが気になったのが、ココはどうなっているのかということ。

大きな地図で見る

大きな地図で見る

で、結果はこんな感じ。







迎賓館の中に首都高速の明かり取りをつくるなんて無粋だなぁと思っていたが、どうやら「この明かり部分を作ることで、迎賓館付近に換気塔を作ることが回避できた」というそれなりの知恵の成果らしい。

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ドボク系の記念風景印

風景印を作成すると官報に載せないといけなかったらしい。
で、官報でいろいろ調べたうち、ドボク系の記念風景印を掲載。


関門トンネル開通記念特殊日附印


若戸大橋開通記念特殊日附印


天草五橋開通記念特殊日付印


名神高速道路開通記念特殊日附印
名神開通記念の切手のモデルが栗東インターチェンジだったなんて!
なお、使用局に「滋賀県石部」というマイナー局があるが、ここには道路公団の植裁場があり、中央分離帯用の木等を出荷していたという繋がりではないかと思われる。


東名高速道路開通記念特殊日附印


首都高速道路開通記念特殊日附印


地味に国際道路会議開催記念 特殊日附印
今となっては、なんてことはないのだが、国際社会に復帰してこのような国際会議を開催すること自体が大国への貴重な一歩と捉えられていたのだろうか?


佐久間ダム完成記念特殊日附印


小河内ダム完成記念特殊日附印
ああ、水源なんだなぁとよくわかる図案

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シベリア鉄道 モスクワ⇔平壌 のサボ

1990年に、シベリア鉄道に乗ったときにすれ違った、モスクワ発平壌行の列車

シベリア鉄道 モスクワ-平壌 サボ

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2011年1月 3日 (月)

国鉄 室木線

国鉄室木線は、鹿児島本線の遠賀川駅から南進して室木駅までを結ぶ短いローカル線。山陽新幹線建設時には、レール等の資材を工事現場まで運んだこともあるらしい。

国鉄民営化に際して廃止されてしまったのだけれども、存命中に乗った時の写真があったのでUP。


国鉄 室木線 終点の室木駅


室木駅から新幹線のレールを運んだ跡かなあと思って撮った写真  その1


室木駅から新幹線のレールを運んだ跡かなあと思って撮った写真 その2

大きな地図で見る このへん。新幹線に近づいていく盛土が今のグーグルマップの写真でも確認できる。


当時の地形図。黄色い線が歩いた道か


その後、宮田線の筑前宮田駅まで歩いて行った。ここももう廃止されてしまっている。

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大阪・梅田の「茶房オリオンズ」

ある日、仕事の打ち合わせ前に時間調整で梅田をウロウロしていたところ、興味深い名前の喫茶店に出くわした。

「茶房オリオンズ」! ビルは大阪毎日新聞ビル。 オリオンズといえば、昨年日本一となった「千葉ロッテマリーンズ」の前身の「ロッテオリオンズ」のまた前身の「東京オリオンズ」のもいっちょ前の「大毎オリオンズ」の更に前の「毎日オリオンズ」ですか?


更にビルの周りを探索してみると、オリオンズの球団旗を掲げているじゃありませんか。

オリオン座にちなんで「☆3つ」なんでしょうか?

オリオンズ・マリーンズの球団旗の変遷は「綱島プロ野球研究所」でご確認ください。


ビルの中に入ってみると、立派なメニューにこれまた球団旗。

仕事の関係でこの日はここまでで断念しました。

で、あらためて別の日にリベンジ。


切り文字の「☆Orions」がカッコイイ


コップもオリジナルですね

メニューもいちいち球団旗が入っている


「イタリアンスパゲッティー」を頼んだら福神漬とラッキョがついたナポリタンがでてきたでござる

レシートも当然球団旗入り。レシートの右側に部署名と「社用」「私用」と書いてあり、毎日新聞社員はツケがきくようですね
海浜幕張のロッテリアよりもむしろ気合が入っているように思いました。ロッテファンは是非行ってみるべきではないでしょうか。

場所は、こちらをご参照ください。

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箱根駅伝の昔の写真

国道1号の横浜市内(平沼か西横浜付近)を走る箱根駅伝の写真(昭和50年代前半)

今日の國學院大學ゴール直前でのコース間違い悶絶記念にw


早稲田大学。このころは伴走車のジープから「都の西北」を歌っていましたねぇ。




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京浜急行の川崎大師初詣ヘッドマーク

大昔に京急で川崎大師へ初詣に行った際に撮った写真

京浜急行500形川崎大師初詣ヘッドマーク付

京浜急行500形

京浜急行700形川崎大師初詣ヘッドマーク付

京浜急行700形川崎大師初詣ヘッドマーク付

だるまついでに、だるまと呼ばれた京急の電車800型も貼っておく。

京浜急行800型

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2011年1月 2日 (日)

Wayback Machineで「横浜ドームを実現する会」のかつてのサイトを発掘してみた

横浜ドームを実現する会の記事3連発w

どんだけドーム好きやねん?とつっこまれそうだが久々にハイになっちゃったw

Wayback Machine(http://www.archive.org/web/web.php)で探してみると結構残っていましたよ。

とりあえずリンク先だけ貼っておきます。

http://web.archive.org/web/20010929011251/http://www.yokohama-dome.jp/

http://web.archive.org/web/20010725093939/www.yokohama-dome.jp/page0_whatsnew.asp

http://web.archive.org/web/20010713141326/www.yokohama-dome.jp/page1_syusi.htm

http://web.archive.org/web/20010718015531/www.yokohama-dome.jp/page2_yakunin.htm

http://web.archive.org/web/20010718020127/www.yokohama-dome.jp/page3_keikaku.htm

http://web.archive.org/web/20010718020601/www.yokohama-dome.jp/page4_dome.htm

http://web.archive.org/web/20010819063432/www.yokohama-dome.jp/page5_syomei.htm

http://web.archive.org/web/20010718020224/www.yokohama-dome.jp/page6_keijiban.asp

http://web.archive.org/web/20010720020123/www.yokohama-dome.jp/page6_keijiban.asp?Page=2

http://web.archive.org/web/20010725095659/www.yokohama-dome.jp/page6_keijiban.asp?Page=3

http://web.archive.org/web/20010727063930/www.yokohama-dome.jp/page6_keijiban.asp?Page=4

http://web.archive.org/web/20010718020816/www.yokohama-dome.jp/page7_link.htm

http://web.archive.org/web/20011127064721/http://www.yokohama-dome.jp/

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横浜ドームを実現する会のシンポジウム(2001年8月?)のログを保存していたのが出てきた

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1012310046/

に出てくる「横浜ドームを実現する会」のシンポジウムの記録が出てきた。

実現する会のサイト( http://www.yokohama-dome.jp/)に掲載されたものをコピーしたものです。コピーの仕方が悪くて誰が発言したのかがわかんないや。

当時も反対する方々が観客席から反対の横断幕かなにかを出したんだよね。

(引用開始)

8月4日に関内ホールにて横浜ドームを実現する会主催の「横浜ベースボールパークフォーラム」を開催した。フォーラムの内容は、佐々木明子の司会で遠藤会長の挨拶、関根順三氏・ミッキー安川氏による記念講演、世界のドーム・日本のドームのスライド上映、平松政次氏・神取忍氏らによるパネルディスカッションを行いました。
 
 開会の挨拶                   遠藤 恵弘会長
1998年に横浜ベイスターズの優勝を機に多くのファンから横浜にもドームが欲しいという声が高まりました。昨年、青年会議所からドームパークを市民で造ろうという提案もあり、アンケートでも90%の方がドームが欲しいと答えました。このような多くの方々の声をもとに、44人の発起人が集まり6月29日に設立総会を開き、「横浜ドームを実現する会」をスタートさせました。発起人は市内の各種団体の方々をはじめ、野球界からは平松氏、土井氏、駒田氏、斉藤氏、屋敷氏、柴田氏、金田氏、文化界からはミッキ?安川氏、玉置 宏氏、小田 和正氏、黒澤 久雄氏らが参加し、ドームが欲しいという気持ちを一つにまとめて9月中旬をめどに100万人の署名を集めて、横浜市・商工会議所又は関係各所に署名と要望書の提出を行います。また、商工会議所には「多目的ドーム建設研究委員会」があり、研究・討議をして建設に関しては、行政の予算を使うのではなく民間の力で建設する事を検討しています。形態に関しては、研究をしていて最新のドームを造って欲しいと思っています。
アメリカとは違い、瑞穂の国である日本は大変雨に恵まれているため、現在、横浜ベイスターズ戦はホーム横浜で7試合、地方球場で1試合が中止になり選手のコンディションにも微妙に影響が出てきています。
ドームがあれば、野球だけでなく様々なイベントを誘致でき、横浜の将来を担う子供たちが夢・楽しみ・喜びを与えることができると思います。
 
 
 1、「プロ野球の発展とドームへの期待」             講演者:関根順三氏
 横浜のユニホームを着たのが昭和57年の監督からで、当時、球場が出来てまもないころに野球界からは「モダン・横浜らしい・素晴らしい球場」と周りからの評判も高く、そこのユニホームを着られて幸せだなと羨ましがられました。横浜の監督時代、特に巨人戦・阪神戦では3万人収容球場でなく、もう少し観客席が広ければよかったと思う事もありました。最近では、監督・選手の間でも、もう少し観客が入ればいいのにという声も耳にします。横浜スタジアムの収容人数がもう少し多ければ、優勝時にはもっと盛り上がったと思うと少し残念です。
 今年は森監督に変わり、7月頃まで阪神と最下位を争っている時は、今年は5位・6位かと思いましたが、最近では勝率を5割に戻し3位まで浮上してきております。フロントとしては森監督を招聘し、ドーム実現前に将来的に安定した戦力を作り上げることが可能になったと考えていると思います。去年は3位で、今年は出足が悪く観客動員数は98年ほどではありませんが、チームが強くなる可能性があり、強くなったときには少しでも多くの人に見てもらいたいと思う時期が必ず来るので、広い球場で収容人数も多くなればという意味でも、心からドーム実現には賛成です。
 今年のペナントレースでは、現時点で残りゲーム数に大きな差があり、2位の巨人に比べて1位のヤクルトは10ゲームも多いです。勝負時である8月・9月のハードスケジュールにしわ寄せがくる事で、一番大事な投手陣のローテーションを組む事はとても難しいと思います。ドームが無かった時代は、空の下でやっていたので、各チームの残りゲーム数が同じような状況で行っていたのがペナントレースの醍醐味であり、常に監督・選手は同じ条件でペナントレースを行いたがっています。私も最も盛り上がる勝負時には残りゲーム数がほぼ一緒、投手陣の使う条件も一緒など同じ条件で優勝を争ってほしいと思います。
 
 2、「国際都市、横浜にふさわしいドームとは・・・」     講演者:ミッキー安川氏
   横浜は外国の影響を最も強く受けた都市です。昔は、とても汚かった外人墓地も、今ではデートスポットに成りつつあり、街も日本離れした雰囲気を持っています。ドームを造るのであれば、市民の意見を反映した世界に誇れる横浜らしいベースボールパークを造って欲しいと思います。例えば、大きな船を持ってきてラスベガスのようなカジノをやってもいいし、アメリカ的な公益ギャンブルなど、横浜から新しい産業を全国に広げてもいいと思いますし、美しく整備された様々な観光施設があることは、横浜全体の活気にもつながって行くと思います。
 

    
コーディネィター
佐々木 明子
(アナウンサー)
 
パネラー
平松 政次
(野球評論家)
 
パネラー
神取 忍
(女子プロレスラー)
 
パネラー
砥上 康二
(横浜市民代表)
 
パネラー
黒川 勝
(横浜青年会議所)
 

:「横浜にとってどんなドームが必要か?」
:下記の条件がクリアできる球場
      1、日程が狂わない。選手にとって気持ちの面ではとても重要 
      2、雨天中止などでファンの期待を裏切らない 
      3、快適に観戦できる
       
:スポーツを通じた町づくり、市民の声を反映した新しい野球場
 
:「「横浜ドームを実現する会」の設立のきっかけは?」
:横浜ベイスターズの優勝を機に、市民からドームが欲しいと多くの声が上がり、昨年7月に青年会議所が行ったシンポジウムが火付け役となり、1月に横浜ベイスターズが市に要望書を提出し、商工会議所に研究会が出来て会が設立されました。
 
:「夜風に吹かれながら、見る野球がいいと言う意見に対しては?」
:青空の下が本来の姿です。現状では日程が狂い消化ゲーム数に差が出てしまうので戦う条件が平等な球場がいいと思います。大都市には各ドームが有るので横浜は少し遅れている気がします。日程が狂わない事が選手の気持ちの面ではとても重要なので、選手は日程通り進めば、後半に過密スケジュールを行わなくてもよくなるなど、ドームと野外では選手のコンディションが異なるので平等ではないと思います。
 
:「コンディション調整に対しては?」
:プロレスでもコンディション調整はとても重要です。ベストなコンディションで横浜出身のレスラーとして横浜のドームで試合を行い、情報発信基地として位置付けたいと思います。
 
:「横浜ドームは多目的利用を視野に入れている事に対しては?」
:日本は野球だけでは採算が取れない為、多目的であれば青空の下で、色々なスポーツ・イベントを含めて行える可能性があります。総合的な事は先の話なので採算を含めて考えていきたいと思います。採算面については民間の方の知恵を集め、単にベースボールパークを、造るのではなく、レストラン・ゲームセンター・ホテルがあったり、以前に行ったアンケートではカジノの併設という意見もあったので、出来る限り多くの方の知恵を集めて考えていきたいと思っています。
 
:「公的資金・公共事業ではないか、税金を使うのではないかと反対意見が多数ありますが?」
:公共で作るとメリット・デメリットがあり、これからはPFIや第三セクターという形式もあります。そして民間の資本で賄う方法もあり、民間で造るとビジネスとして成り立たせなければならないという面で色々な知恵が出て来ます。その中で市民と共に楽しめるものを作るのが望ましいと思います。公共のものでは7万人収容の横浜国際競技場がありますが、これは別の考え方でスポーツ全体の振興を含めた横浜のシンボルとして、採算とは別の部分で公共として造らなくてはならなかったので、ベースボールパークは別の考え方で採算も考えて造っていきたいと思います。
 
:「ドームの具体的内容は?」 
:幾つか提唱したい。 
  1、横浜市民として誇れる
  2、観客のため
  3、選手のため
  4、環境問題・バリヤフリー等
  5、文化遺産に
  6、芝の問題(負担のかかるものは解消しなくてはならない)
  7、経済効果・雇用問題
今は色々な意見が出ていますが、今は、ドームを造ろうという意見を集めて、それから意見交換をしていき反映していきたいと思っています。
 
:「実際はどんな環境がいいのか?」
:多くの観客がくれば、選手も頑張れるし巨人のように満員の中でプレーする選手と、そうでない選手では気持ちが違います。ドームが出来ることにより、多くのファンの前で選手もいいプレーができ、見ているほうも野球が楽しくなります。球場を満員にしてプレーに対する叱咤激励することが優勝の1つの条件になるでしょう。
 
:「どんなボールパークが理想か」
:天気の心配せず、声援が1つになれる環境では選手は100%以上の力を出すことができます。コンディションもちゃんと調整できるのでいいと思います。
 
:「スケジュールが変わらないと観光業にも影響がでるのか?」
:球場内の飲食業も野外ほど無駄が無くなるのでいいと思いますし、修学旅行でも中華街を見た後でもドームで試合を見て帰ることができます。現状では、旅行会社が中華街を見た後に早々に東京ドームに行くツアーも多々有ります。横浜にドームがあれば、横浜で多くの時間を過ごすことが可能になり、横浜全体の繁栄にもつながると思います。
 
:「選手に与える影響は?」
:芝に関しては、人工芝は体に負担がかかるのでベストは天然芝です。しかし、日本では気候の問題がありドームでの天然芝は非常に難しいです。野外スタジアムもいいと思いますが、気候を考えると日本ではドームが良いように思います。
 
:「具体的に開閉式・密閉式等意見が多々ありますが?」
:ドームの形態の関しては開閉・密閉式と色々ありますが、今後はそれぞれのメリット・デメリットについて話し合っていきたいですし、芝に関しては天然芝だけが良いのか、野球界でも話し合って欲しいと思います。
 
:「ドーム実現に対して絶対反対という意見もありますが?」
:選手は新しい球場で、喜びを感じてハッスルプレーをしますので、是非署名活動にも協力して頂ければ幸いだと思います。
:今はアイデアを出していただく時期ですので、多くの意見を集めて、横浜らしいボールパークを目指したいと思います。
 
:反対なりに理由もあると思いますので、理由も寄せてください。理由なき個人向けへのコメントはやめていただきたいと思います。
   
 
 
 閉会の挨拶                高橋 柢祐副会長
7月に関内駅前で初めて署名活動をしたが、直ぐに書いて頂ける方やそうでない方と、色々大変ででしたが、署名活動は9月中旬頃まで続けていきたいと思います。1回目の署名活動の後から横浜ベイスターズが強くなってきたので、この調子で勝ち進んでもらう為にも、少しでも多くの方に署名をしていただき大きな輪を作っていきたいと思います。

(引用終了)

※「屋敷」と書いている段階でもうダメだ。。「野球への愛」以前の問題だ。。


 パネラー 砥上 康二(横浜市民代表) という方がいますが、「横浜市民代表」を名乗るこの人は何者?というところ。

「横浜ドームを実現する会」事務局副代表にして「日本労働組合総連合会神奈川県連合会, 副事務局長」なんですね。推進する事務局の人が「市民代表」を名乗るあたりがとにかくもう。。。

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「横浜ドームを実現する会」が再結成!?

1月1日付の神奈川新聞に下記の記事が掲載された。

(引用開始)

夢の「横浜ドーム計画」再燃へ―。横浜にドーム球場建設を目指す市民団体「横浜ドームを実現する会」が再結成されることが分かった。前回の2001年に活動した横浜商工会議所の会員が中心となり、10年12月の同商議所・政策委員会で、緊急を要する提案書として建設が盛り込まれた。今月上旬に実行委員などを選出し、横浜市、県などに建設要望の署名を再提出する。

 「横浜ドーム」をめぐっては、01年に「実現する会」が44万5千人分の署名を集めて機運を高めたが、当時の横浜市の施策にそぐわなかったことや、経済状況の悪化などから、実現に至らなかった経緯がある。

 今回あらためて活動を再開するのは、候補地のみなとみらい21(MM21)地区の地価下落など、建設を行いやすい環境が整いつつあると判断したため。昨年のプロ野球・横浜ベイスターズの売却騒動で、本拠地移転が取り沙汰されたことも一因となった。

(以下略:引用終了 全文は下記リンクからどうぞ。)

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1012310046/

10年前の時には、「横浜ドーム反対同盟」等と銘打って、いろいろ書いてたのを思い出した。

またこのバナーが出てくるとは思わなかったなぁw。バナーをクリックすると当時のいろいろが出てきます。単身赴任していて当時は夜が暇だったのよねw

この時の45万人の署名っていったって目標は100万だったのが、企業ぐるみ組合ぐるみででっちあげたけど半数もいかなかったんだよな。市民の支持は当時もなかったと。。。

ところで、ゆうせんへの売却反対で記事を書いた時は思わぬ所からリンクが貼られてびっくりしたものだ。「連邦」等の大手なんかからもリンクをいただいた。

http://homepage3.nifty.com/whales/usen/usen.htm

http://homepage3.nifty.com/whales/usen/usen2.htm

(横浜ベイスターズをUSEN(大阪有線、ゆうせん)に売らないでくれ。)

しかし、ドームを作るより、中身を残すほうが優先だろうが。。。

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2011年1月 1日 (土)

新年明けましておめでとうございます

Photo_3

明けましておめでとうございます。

昨年は、今までの大洋ホエールズつながりだけでなく、インターネットやツイッターを通してドボク関係で多くの方にお会いすることができました。大変感謝しています。

今年も宜しくご指導ください。

画像は、うさぎ年にちなんで、NEXCO東日本のオフィシャルカード 「E-NEXCOpass」のキャラクター「高速人うさぎ」君です。

youtubeでも活躍している状況がご覧になれます。

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