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2011年3月に作成された記事

2011年3月27日 (日)

中部横断自動車道 佐久小諸JCT~佐久南IC開通と(仮称)佐久JCT

昨日、中部横断自動車道 佐久小諸JCT~佐久南ICが開通した。


※国土交通省とNEXCO東日本の連名開通告知チラシをスキャン 。クリックすると大きくなります。

さて、この「佐久小諸JCT」なる名称だが、建設中の仮称は「佐久JCT」だった。

高速自動車国道の路線を指定する政令 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S32/S32SE275.html においても、終点は「佐久市」とされている。

しかしながら、地図でよくみると、佐久市と小諸市の境界が入り組んだところに設置されている。

報道を見ると決まるまでに紆余曲折があったようだ。

http://www.47news.jp/CI/200908/CI-20090806-00125.html

2009年8月6日
 中部横断道ジャンクション名称めぐり11市町村長が懇談
 2010年度の部分開通に向け建設中の中部横断道と上信越道のジャンクション(JCT)の名称をめぐり、佐久地方の11市町村長が5日、検討懇談会を設置した。同JCTは小諸市と佐久市の境で、仮称は佐久JCT。両市はそれぞれ「小諸」「佐久」を使いたい意向だが、かつて新幹線の駅名でもめた経緯もあり、広域での合意を目指す。 国土交通省長野国道事務所によると、中部横断道は起点を静岡市、終点を佐久市と定めている。ただ、佐久JCTの建設地は、ほとんど小諸市内だ。
 北佐久郡御代田町で開いた初会合は冒頭を除き非公開。会議後の説明によると、芹沢勤・小諸市長は「98%は小諸市の土地だが、佐久JCTを仮称にしてきた経過もあり、小諸佐久JCTでどうか」と提案。柳田清二・佐久市長は「佐久地方の総称でもあり、佐久JCTが望ましい」とした。仮称が決まった経過確認を求める意見も出たという。 上信越道を管理する東日本高速道路の佐久管理事務所によると、JCT名は同社が地元の意向を尊重しながら素案をつくり、日本高速道路保有・債務返済機構が決める。運転者に分かりやすいことが第一で、一般的には所在地の市町村名を使うが、近隣の名称を使うこともあるという。
 1997年の長野新幹線開業前には、佐久市の新駅の名称で「佐久駅」を主張する同市に対し、「小諸」を使うよう小諸市が要望。当時の吉村午良知事の仲介で「佐久平駅」にまとまった。
 佐久地方のある首長は「新幹線駅とJCTでは重みが全然違う。両市が大人の対応をしてまとめてほしい」と話した。懇談会は9月中旬をめどに方向付けをする考え。座長の藤原忠彦・南佐久郡川上村長は「軟着陸できる方法を考えたい」としている。(長野県、信濃毎日新聞社)

http://www.47news.jp/CI/200909/CI-20090909-00208.html

2009年9月9日
 中部横断道と上信越道JCT 名称「佐久小諸」要望へ 
 佐久市・小諸市境に建設中の、中部横断道と上信越道のジャンクション(JCT)について、両市は8日、「佐久小諸」の名称とするよう、東日本高速道路に要望することで合意した。これまで佐久市は「佐久」を、建設場所の98%を占める小諸市は「小諸佐久」を求めていたが、両者がこの案で折り合った。
 佐久地方の11市町村長でつくる名称検討懇談会の座長を務める南佐久郡川上村の藤原忠彦村長が、佐久市の柳田清二、小諸市の芹沢勤両市長の間に入り調整した。藤原村長らによると、佐久市は「佐久小諸」を採用する場合、JCTと同様に両市にまたがる国道141号インター(仮称)の名称を「佐久北」とするよう主張。小諸市は同市内に設置される料金所の名称を「小諸御影」とするよう求め、双方の要望を取り入れた。
 この日は3首長と長野国道事務所長、東日本高速道路佐久管理事務所長らが佐久市内で会合を開き、藤原村長が経過を報告した。終了後、柳田市長は「小諸市の立場もあり、できる譲歩はした。地域の融和を優先した」と説明。芹沢市長は「苦渋の選択だったが、佐久広域の融和と早期完成のため決断した」と話した。
 「長引けば佐久広域のその他の問題にも影響する。方向性が出せてよかった」と藤原村長。JCT名は上信越道を管理する東日本高速道路が地元の意向を踏まえて素案をつくり、日本高速道路保有・債務返済機構が決定する。(長野県、信濃毎日新聞社)

http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000295851.html

2009年09月11日
高速道路jジャンクション名「佐久小諸」で小諸市と佐久市が合意!! 長野県小諸市から静岡県静岡市を結ぶ「中部横断自動車道」 
 現在工事が進む小諸市から静岡市を結ぶ「中部横断自動車道」で8日、議論となっていた上信越道とのジャンクション(JCT)の名称が「佐久小諸」で小諸市と佐久市が合意に至った。事業を進める東日本高速道路(株)=NEXCO東日本=に要望する。
 中部横断道は昭和62年に閣議決定、平成10年にJCTから佐久市桜井までの佐久南IC(仮称)間約8㎞の施行命令が出され、平成16年に国の新直轄方式に事業に切り替わったことでJCTから八千穂IC(仮称)は通行料が無料、佐久南までの完成は平成22年度末の予定。
 小諸市内はJCTを含む御影地区の約0・9㎞と和田地区約0・6㎞。JCTはその用地の98%が小諸市御影であったが、当初から工事計画で佐久JCT(仮称)とされ、地元や市議会から小諸の名称を入れる要望が強く、小諸市側では佐久市と交渉を続けてきたが平行線が続いていた。佐久広域の11市町村で「中部横断道ジャンクション名称検討懇談会」が結成される中で今回の合意が実現した。
 JCT近くに設置される料金所名は「小諸御影」、国道141号線にアクセスするため小諸市と佐久市境に設置するIC名は「佐久北」で合意した。

佐久北ICの位置も微妙ですね。こちらを「佐久小諸IC」とするよりは、起終点となるJCTの名称を小諸市は優先したということですかね。。。


http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000013729.pdf

 中部横断自動車道のインターチェンジ及びジャンクション等名称について

国土交通省 関東地方整備局 長野国道事務所

 国土交通省 関東地方整備局 長野国道事務所が事業を進めている中部横断自動車道のうち、平成22年度末開通予定のインターチェンジとNEXCO東日本 関東支社 佐久管理事務所が事業を進めている中部横断自動車道と上信越自動車道との分岐であるジャンクション及び料金所の名称が決定しましたので、お知らせします。
■開通予定区間のインターチェンジ及びジャンクション等名称
・佐久南インターチェンジ
・佐久中佐都インターチェンジ
・佐久北インターチェンジ
・小諸御影料金所
・佐久小諸ジャンクション

佐久中佐都ICは市役所の最寄りになるのだから、佐久中央ICとかにはならなかったのか?むしろなぜここだけ東西南北ではなく、ローカルな地名がついたのか??


佐久南ICが唯一順当ですね。。。


小諸市の広報では、

◆JCT等の名称と今後
 「用地のご協力をしていただいた方をはじめ、地域の皆さんのご協力により、JCTの名称に「小諸」の名前が入り、開通後、料金所は永遠に「小諸御影料金所」として地元の名称を残すことができました。」と報告している。

http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1296173154174/html/common/other/4d7eba2d029.pdf


( 終点が政令規定の佐久市じゃなくて小諸市になっている )

全くの私見で根拠はないのだが、いわゆる「一村一品」とか「町おこし、村おこし」という流れのなかで、「我が地元の名前をインターチェンジやジャンクションにつけて情報発信だ!」という傾向が強くなったんじゃないかと?

上信越道では、佐久小諸JCTに限らず、碓氷軽井沢IC(群馬県にあるのに軽井沢?)、上田菅平IC(小諸と違って菅平とはかすってもいない)東部湯の丸ICとか、須坂長野東ICとか豊田飯山ICとか上越高田ICとかいわくありげな名称がならんでいる。
終点の上越JCTも「歴史を示す春日山JCTにしよう」という動きがあったような朧気な記憶が。。

2ちゃんねるによるとw さくらんほ小学校ネタで一世を風靡した東根市は、インターチェンジ名も「さくらんぼ東根IC」にしようとしたと書いてある。
http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1278921.html

また、中央道の相模湖ICは、相模湖町にあるのではなく、藤野町(現・相模原市)にあるのだが、藤野観光協会のサイトでは「相模湖藤野IC」という名称で案内している。
 勝手に自分の町の名前をICにつけているのか?
http://info-fujino.com/
http://info-fujino.com/img/train01b.gif 

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ビュッフェとうきょう(当時)の住居表示がなかなか魅力的

東京高速道路のところは昔運河だったので住居表示がないとかなんとか言う話しを聞いたことがあるが

東京都中央区銀座西八丁目一〇番地先東京高速道路西土橋区路下室二〇八号

とは、ドボク的にはとても素敵な住所だ。

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高速道路の路線番号(高速国道1号は名神で、2号は中央道だった。東名は12号)

日本の高速道路(以下、高速自動車国道に限る)には、路線番号がなくて不便という話がある。

過去には、建設省(当時)も、「ポインタープロジェクト」として、高速道路の路線番号を割り振った案まで公表していたが、何故か立ち消えに。

高速道路のナンバリング(路線番号)

http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1992_data/seminar9206.pdf の67頁から引用。

高速道路の路線番号(ナンバリング)

http://www.mlit.go.jp/road/sign/kentoukai/PDF/3/03_1_jidousha.pdf の20頁にも載ってる。

ところが、一番最初には、路線番号が指定されていたことが分かった。

名神高速道路の路線番号

政令 第275号

高速自道車国道の路線を指定する政令
 内閣は、高速自動車国道法(昭和32年法律第79号)第4条第1項の規定に基き、この政令を制定する。
 高速自動車国道の路線名、路線番号、起点、終点及び重要な経過地は、別表のとおりとする。
   附 則
 この政令は、公布の日から施行する。
別表
路線名
路線番号
起点
終点
重要な経過地
高速自動道車国道中央自動車道
1
小牧市
吹田市
一宮市 尾西市 羽島市 大垣市 岐阜県不破郡関ケ原町 彦根市 八日市市 草津市 大津市 京都市 高槻市 茨木市
高速自動車国道吹田神戸線
11
吹田市
神戸市
豊中市 尼崎市 西宮市 芦屋市

運 輸 大 臣 中村三之丞 
建 設 大 臣 根本龍太郎 
内閣総理大臣 岸  信介

名神高速道路と中央自動車道の路線番号

政令 第93号

高速自動車国道の路線を指定する政令の一部を改正する政令
 内閣は、高速自動車国道法(昭和32年法律第79号)第4条第1項の規定に基づき、この政令を制定する。
 高速自動車国道の路線を指定する政令(昭和32年政令第275号)の一部を次のように改正する。
 別表中
「
高速自動車国道中央自動車道
1
小牧市
吹田市
一宮市 尾西市 羽島市 大垣市 岐阜県不破郡関ケ原町 彦根市 八日市市 草津市 大津市 京都市 高槻市 茨木市
」
を
「
高速自動車国道中央自動車道小牧吹田線
1
小牧市
吹田市
一宮市 尾西市 羽島市 大垣市 岐阜県不破郡関ケ原町 彦根市 八日市市 草津市 大津市 京都市 高槻市 茨木市
高速自動車国道中央自動車道東京富士吉田線
2
東京都渋谷区
山梨県南都留郡河口湖町
東京都杉並区 三鷹市 調布市 府中市 八王子市 大月市 都留市 富士吉田市

」
に改める。
   附 則
 この政令は、公布の日から施行する。
運輸大臣 齋藤  昇 
建設大臣 中村 梅吉 
内閣総理大臣 池田 勇人

ということで、当時は名神の小牧~吹田が路線番号1、名神の吹田~神戸が路線番号11、中央道の渋谷~富士吉田が路線番号2とがわかる。 

なお、中央道東京富士吉田線の東京都渋谷区~杉並区は、その後首都高速新宿線になり、高速自動車国道吹田神戸線(中央道ですらない名無しの路線!)の西宮~神戸は、その後阪神高速神戸線になった。

名神高速道路は、「名古屋も神戸も通らないのに名神とは」とネタにされるが、当時は少なくとも神戸市は通っていたことになる。

では、東名高速道路は何番だったかということになるが、当時は東名は国土開発縦貫自動車道ではなかった(東海道幹線自動車国道)が、別途東海道幹線自動車国道建設法施行令で番号が定められていた。

東名高速道路の路線番号

政令 第223号

   東海道幹線自動車国道建設法施行令
 内閣は、東海道幹線自動車国道建設法(昭和35年法律第129号)第3条第1項及び第5条の規定に基づき、この政令を制定する。
(路線の指定)
第1条東海道幹線自動車国道のうち、東京都から静岡市まで及び豊川市から小牧市までの路線の路線名、路線番号、起点、終点及び重要な経過地は、次の表のとおりとする。

路 線 名
路線番号
起 点
終 点
重 要 な 経 過 地
高速自動車国道東海道幹線自動車国道東京静岡線
12
東京都
渋谷区
静岡市
東京都世田谷区 川崎市 横浜市 大和市 厚木市 秦野市 御殿場市 沼津市 吉原市 富士市 清水市
高速自動車国道東海道幹線自動車国道豊川小牧線
13
豊川市
小牧市
岡崎市 豊田市 名古屋市 守山市 春日井市

 (整備計画)
第2条 (略)
   附 則
 この政令は、公布の日から施行する。
運 輸 大 臣 齋藤  昇
建 設 大 臣 中村 梅吉
内閣総理大臣 池田 勇人

こちらも起点は渋谷区。その後渋谷区~世田谷区は首都高速渋谷線になった。

そして昭和40年11月1日の政令改正で、「本則中「、路線番号」を削る。」という一文が入り、以降、高速自動車国道から路線番号は消えてしまった。

現在は、アジアハイウェイ1号線に指定されているのでやっとついた路線番号というところか。。(写真は、東名高速道路東京IC~東京料金所)

※ 追記

国立公文書館デジタルアーカイブに、東名高速道路建設時の書類が公開されている。
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/DGDetail_0000001953

そこには、渋谷起点の東名高速、新宿起点の中央高速の図面が、、、

※ 追記 2

  - 参 - 建設委員会 - 閉10号 昭和32年09月27日

○説明員(富樫凱一君) 国上開発縦貫自動車道建設法並びに高速自動車国道法が通りましてから以後、小牧から神戸間の高速自動車国道の建設につきましてとられました処置、経過について簡単に御説明申し上げます。この小牧―神戸間の高速国道の建設につきましては、まず国土開発縦貫自動車道建設法に基きまして、小牧―吹田間の基本計画を立てなければならぬわけでございます。また吹田から神戸間の高速自動車国道につきましては、高速自動車国道法によりまして、予定路線をきめなければならぬわけでございます。基本計画につきましては、国土開発縦貫自動車道建設審議会に五月八日付議されまして、路線部会がこの審議に当ったわけでございますが、路線部会を三回開きまして、六月十四日の第二回の審議会におきまして、吹田―神戸間の高速自動車国道の予定路線を原案通りきめたほか、小牧―吹田間の国土開発縦貫自動車国道建設線の基本計画を原案の一部を修正いたしまして議決されました。

 この次に起ります問題は、路線の指定でございますが、路線の指定につきましては、八月二十一日に第三回の審議会を開きまして、原案の一部を修正いたしまして議決、答申されたのでございます。これに基きまして、八月三十日に政令を公布いたしました。この後に残ります問題は、整備計画を立てまして、この整備計画に基きまして、道路整備特別措置法に基いて建設大臣が道路公団に対して工事施行命令を出すわけでございます。この工事施行命令ができましたならば、工事の実施計画書の認可申請を公団は建設大臣に出すわけでございますが、この認可がありまして工事の着手になるということでございます。現在の段階は路線も指定されましたし、基本計画も立っておるわけでございますので、整備計画を急いでおる段階でございますが、この整備計画は、ただいま経過地等につきましては案がまとまっておるわけでございますが、この中に工事費の概算を乗せなければならぬわけでございます。この工事費の概算につきまして、当初いわれておりました工事費が相当額増額されなければならぬ結果になりましたので、この点につきまして大蔵省と折衝中でございます。これをできるだけ早くきめたいということで焦慮いたしておるわけでございますが、今月中にはこの整備計画を決定いたしたく努力いたしておるところでございます。

 一方公団といたしましては、この整備計画がきまる前でございますが、現地に調査事務所を三カ所設けまして、それぞれ所長をきめ、これに理事をあてまして、現地の調査に乗り出しておるわけでございます。現地の態勢ができておりますので、整備計画ができ、施行命令が出され、工事の実施計画書ができますれば、着手ということになるわけでございますが、工事の実施計画書はそれぞれ進めております。施行命令が出ればすぐ計画書が出る段取りにいたしております。
 以上が小牧から神戸間の高速自動車国道の建設についてとられている措置でございますが、なお正確に申しますと、小牧―吹田間は高速自動車国道中央自動車道で、路線番号は一号ということでございますが、それから吹田から神戸間は高速自動車国道吹田―神戸線で、路線番号が十一号ということになっております。以上簡単でございますが、経過報告を申し上げました。

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昭和50年代の筑豊地区の国鉄


嘉穂信号場でタブレット交換


嘉穂信号場 全景


上山田線下山田駅


下山田駅に着いた上山田線だか漆生線だかの単行


当時の地勢図。写真をクリックするとでかいのが見れます。


香月線香月駅

以前書いた国鉄室木線、宮田線のブログは
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-58f6.html

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中国水路をゆく

イカロス出版さんの「水路をゆく」に触発されて書いてみる。
平成元年(天安門事件の直前)に中国に行った際の水路写真。
蘇州と大運河です。


朝の通勤風景


蘇州から杭州へ行く夜行の船乗り場 3艘一組で合計9艘の一団で京杭大運河を行く


蘇州から杭州へ行く夜行の船の切符「臥鋪」ということで寝台。一つの個室に2段ベッド*2と1段ベッド*1の5つのベッド

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2011年3月 8日 (火)

首都高をスカイバスでぐるぐる走るツアー

@sohsaiさんや@hakozakiさん等のご尽力でセットされた「首都高をスカイバスでぐるぐる走るツアー」に参加してまいりました。

日の丸自動車さんの屋根なしバス「スカイバス」で新宿から箱崎までを往復しようというもの。

ルートはこちらです。

動画をとってきましたのでご関心のある方は御覧ください。

中央環状線の西新宿ジャンクション、山手トンネル、大橋ジャンクション等屋根なしバスならではの風景が御覧いただけます。

新宿はモード学園の前を出発して副都心をぐるりとまわり、西新宿ジャンクションの下をくぐります。

都営団地をながめ、幡ケ谷入り口から首都高速4号新宿線に入ります。

そして西新宿ジャンクションから中央環状線に入るはずが。。。諸般の事情で新宿出口へ。。

再度気をとり直して幡ケ谷入り口から首都高速4号新宿線に入ります。

今度こそ西新宿ジャンクションから中央環状線に入り、山手トンネルへ。

ガイドさんも初めてというスカイバスでのトンネル建築限界ギリギリ感を大いに味わい、大橋ジャンクションをぐるぐる回って3号渋谷線に入ります。

3号渋谷線から目的地の箱崎へ。

銀座付近の旧河川跡の堀割区間もスカイバスならではの眺めが楽しめます。

箱崎PAで一休み

箱崎からきた道を戻り今度は都心環状線を霞が関方面へ。

地下ジャンクションの三宅坂ジャンクションを通って名残り惜しくも出発地の新宿へ戻ります。

出発した新宿に戻り、我々とお別れするスカイバス。ガイドさんが笑顔で手を振ってくれました。

日の丸自動車のガイドさんは下準備もバッチリで、特異なお客のツボにもすぐ対応して場を盛り上げていただく等大変よかったです!
@kenkoulanceさんや運転手さんもありがとうございました!

参加者の皆さんのツイートは、http://togetter.com/li/108847を御覧ください。

(追記)あまり楽しかったので、6月3日にまたスカイバスに乗ってきました。
その様子はこちらをどうぞ。

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2011年3月 1日 (火)

首都高速道路台場線レインボーブリッジのゴルフボール避けネット

大きな地図で見る

首都高速道路台場線レインボーブリッジのお台場側にかかっているネットはゴルフ練習場から飛んでくるボールから車を守るためのものなのだが、すでにゴルフ練習場自体がなくなっちゃっているので具体のイメージがわかない。

昔の地図だとこんな感じ。


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【結局誤報・・大阪のゲートタワービルに負けないやつを首都高が作るんかと思った】虎ノ門に超高層複合ビル、都内2番目 森ビル、首都高と一体開発 - SankeiBiz(サンケイビズ)

平成23年2月28日付のSankeiBiz(サンケイビズ)に

虎ノ門に超高層複合ビル、都内2番目 森ビル、首都高と一体開発

との見出しが。すわ、「大阪のゲートタワービルに負けないやつを首都高関係でも作るの?でもどこ?」と思って記事を開くと


すげー違和感。「首都高速環状2号線」ってなんだよ」って思ったら差し替わっていた。

ホントは例のマッカーサー道路だった。なんだ人騒がせな。でもイラストのキャプションにはまだ首都高って残っているが。

現在はそこも修正されたようです。

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110228/bsd1102281708015-n1.htm

これだけでは、人様の揚げ足取りだけなので、環状2号線関連のネタを。

平成22年の「発掘された日本列島」展で、環状2号線関連の遺跡が紹介されていた。
撮影可だったので、ちょっとご紹介。

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