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2012年8月

2012年8月19日 (日)

首都高速道路が三多摩地区を含まない理由

 「東京都民なのに首都高とは別に中央道の料金を払わなきゃいけないのは納得いかない」というのは「三多摩格差」の一つというらしいのであるが、国会ではどのように議論されていたのだろうか。

 もともと首都高速道路公団(当時)の業務範囲は、「東京都の区部と、その周辺」と首都高速道路公団法で定められていたのだが、横羽線を事業化するにあたりそれではまずいのではないかということで質疑が行われた。

 

     
第046回国会 建設委員会 第10号
昭和三十九年三月五日(木曜日) 

○田中一君 いまその点は、提案者が来るからちょっと待ってもらって……。
 これは神崎さんに伺っておきますが、基本計画それから業務方法書、それらのものは、あなたのほうで直接に原案をつくって、政府のほうに協議をするのか、政府のほうでじかに先にぽんと打ち出してきて、これをやれということになっているのか、それが一つと。それから首都高速道路公団という形をとっておりますが、私は、日本道路公団との地域的競合の問題と権限の問題、これらが今度羽田-横浜間というものの高速道路の建設にあたってくずれてくるのじゃなかろうかと思うのです。首都高速道路というのは、首都圏という意味の高速道路なのか。首都圏なら首都圏の高速道路で、業務範囲は首都圏全般をやるということならおのずからわかります。ことに京葉国道なんというものは、これは首都圏の中にありますけれども、これは道路公団が行なっているように承知しております。たとえば神奈県と東京都は、地方行政区分としてははっきり分かれておるはずなんです。これはどういう根拠と、どこにそれらを指定して事業を行なうという権限があるのか、それから日本道路公団法の私どもが通念的に考えておる事業区域と首都高速道路公団の行なうという区域とは、今回の羽田-横浜間の新道の建設によって混乱を生じておるわけなんです。その点は、どういう経緯をもってそういう決定をしたか伺っておきます。

○参考人(神崎丈二君)
 (首都高速道路公団理事長)いま田中委員の御質疑の最初の私どもの基本計画、これは政府において御決定になって、現在の七十キロという分は、昭和三十四年の十月に、建設大臣から私に御指示があったのであります。計画そのものの決定には私どもは関与いたしておりません。
 それから私どもの事業範囲でございますが、私が了解しておることは、首都圏、すなわち、半径五十キロ-東京都を中心にしまして五十キロの範囲の既成市街地に私どもの仕事の範囲があると了解 しております。道路公団と私のほうとの仕事の範疇、区別の基準等は、きょう建設省の方がおいでですから、その方の御意見のほうが私より正確ではないかと思います。いま御質問にあった羽田――横浜間を私のほうで担当することに相なりましたのは、建設省からの御命令によってさようになったのであります。

○田中一君
 鶴海都市局長からお伺いします。

○政府委員(鶴海良一郎君)(建設省都市局長) 首都高速道路公団の行ないます事業の地域的な範囲でございますが、これは公団法の第一条にありますように、東京都の区部と、その周辺というふうに書かれております。その周辺という意味は、どこまでかということにつきましては、法律では明記されておりません。この公団の運用方針といたしまして、建設省で考えておりますことは、都市内の都市高速道路、これを首都高速道路公団でやっていただくという方針でおります。したがいまして、ただいま神崎理事長の言われましたように、主として既成市街地、これは首都圏整備法では、東京都の区部とか川崎、横浜というものが既成市街地になっております。そういった既成市街地内の、都市内の高速道路、これを担当してもらいたいという方針で打ち出しております。

○田中一君
 この公団法の第一章第一条は、「東京都の区の存する区域及びその周辺」となっておるのであって、これは、他県にわたるという読み方は、われわれはこの法律をつくるときからしておらないのです。東京都の区の存しない区域が東京都にあるのです。区の存しない区域があるのです。それを明文化しているんだというようにわれわれは理解して、今日までこの法律の制定以来の認識のしかたをしておるのですが、これによれば、たとえば、ここに既成市街地云々ということもございません。鶴海局長の答弁は、非常に拡大解釈して、どこでもできるんだということは、われわれは受け取り得ないのです。東京都の区の存する区域並びにこの周辺だと、したがって、東京都というものを中心として東京都の場合、たとえば阪神高速道路公団は、阪神という二つの区域にまたがった区域を明示しているわけでありますが、いま鶴海君がここでもって幾ら重ねて答弁をしても、われわれは、この法律をつくったときから承知しておるものでありますから、幾らどういう――この第一条の目的によると、この条文による説明をしても受け取りません。ただ建設大臣が、今度法の解釈はこうしたんだと言うなら、明らかに法律を改正して、われわれの前に示していただきたいと思うのです。建設大臣には、いま鶴海君が、私の質問と違った説明をすると、またあなたとぼくとやり合わなきゃならぬから初めから申し上げます。この三十九年度の予算の説明――大蔵省が出している説明書を見ますと、明らかに外債をとる、外債を首都高速道路公団に五億円というものを計上しておる。したがって、これは前回の委員会においても、羽田-横浜間の高速道路をつくるのだ、そうしてそれによって、委員なども神奈川県からも一人か二人か入れるんだという法律の改正が出ている。したがって、これは、羽田-横浜間を実施するのだという計画に基づいて法律の改正を提案されておるのでありますが、いま鶴海都市局長からも、私の質問したのは、日本道路公団の施行区域並びに首都高速道路公団の施行区域という毛のが、法律で明文化されておるわけです。首都高速道路公団法では、「東京都の区の存する区域及びその周辺の地域において、」ということが明文化されておりまして、局長の解釈では、既成市街地という範囲を新しく加え、かつまた、首都圏というような考え方ですね、いわゆる日本橋だかどこだか知らぬけれども、五十キロの円の周辺が、首都圏整備法の区域になっておりますから、これも含めるのだというような答弁がありましたけれども、このいまの第一条の目的では、そう読めないわけです。そうしてそれらが、むろん今度の羽田――横浜間の工事も、神崎理事長に聞くと、建設省の命令によって、これを自分のほうで受けることになったということであります。そうすると、日本道路公団との区域というものが明確化されないと、これは非常に困ると思うのです。阪神高速道路公団は、阪神という地域を明らかにしておりますけれども、その点もしも首都高速道路公団に、羽田――横浜間の高速道路の新設を担当させるならば、目的を明らかに明文化する法律の改正案を出していただきたいという要求をしているわけなんですが、その点はどう考えますか。

○国務大臣(河野一郎君)(建設大臣) 政府といたしましては、先ほど来都市局長から御説明申し上げておりますような解釈に立ちまして、今回の施行区域につきましては、あらためて田中さんの御主張のような解釈に立たずに、この法律の改正をしなくても、このままで、しいて申しますれば、この首都高速道のほうは、一般道路公団との間に施行区域に混淆があるのじゃないかというお話でございますけれども、このほうは、東京都内もしくはその周辺として、いま神奈川県の川崎-横浜が問題になっておりますけれども、これらの市街区域の工事を施行するという解釈に立ってやっておるのでございまして、同じ神奈川県内でも、神奈川県の市街区域に属さぬところは道路公団でやる、たとえば、東名道路をやるというふうに解釈いたしておるわけであります

○田中一君
 それなら法律を改正してください。明らかにいまのように、首都圏という思想がこの道路公団の施行範囲とするならば、法律を改正してほしい。これは拡大解釈というよりも、もう少し的をはずれているのじゃないかと思うのです。どこをやったっていいじゃないか、おれのほうで言いつけるのだ、こういうことだけではないと思うのです。おのずから私は、大体首都高速道路公団とか阪神高速道路公団なんという団体を、屋上屋を架すようにたくさんつくるのはどうであろうか。道路公団には、何にもその規定はないのです。道路公団は既成市街地をやらなくちゃならないのだということも書いてございません。それがやたらにそういうものをつくって、高級官僚がそこに入り込んで――耳ざわり悪かったらごめんなさい、入り込んで、うば捨て山か、うばあげ山かになるということはいけないのじゃないか。これは河野さん、あなた、いつも持論じゃありませんか。せんだっても閣僚懇談会か何かで議論になったと新聞に出ておりますが、こういうことは必要じゃないのじゃないか。日本道路公団は日本道路公団で全部やったらいいんじゃないか。そして、もしも人によって運営が円滑にならないという心配があるならば、たとえば東京都内の場合には、神崎さんにひとつ全責任を持ってやってもらいたいという形のほうが、道路行政の単一化という面からいっても、一番好ましい姿だということを、私は、この首都高速、阪神高速、両方の法律の提案をされた場合にも議論をしたものであります。しかし実情において、それだけの大きな仕事がとても日本道路公団にしょわしたのではたいへんだ、期待する成果があがらないじゃないかという心配からつくったとすれば、これも一つの、われわれの知らない範囲で皆さん方が行政圏内における判断でもってきめられたものだというふうに理解をしているわけですが、また、ここに明文化されない範囲までも拡大解釈してやるということになりますと、これは、その範囲というものを明かに区分しなければならぬと思うのです。もっとも神奈川県のこの羽田-横浜間には、あなた直接に選挙等に関係ありませんから、これはもう私は変な誤解はいたしませんけれども、やはりはっきりする形をとったらどうかということを私は要求するのでありますけれども、河野さんが大臣のときにはそうやった、今度また次の人が来て、それはいけないから、今度それはやめようじゃないかということになったら困ると思うのですよ。だから、やはり行政の担当者は、法律の命ずるところで行政をやっていただくのが、これが一番正しい姿だろうと思うのですが、どうです。これがいま私が申し上げたような誤解を国民に与えるといけませんから、十分に道路公団とも相談して法律の改正をしたらどうか。そして京葉国道は御承知のように道路公団がやっております。決してこれが全然市街地を通らぬのじゃない。市街地を通っている部分もあるのです。今度の羽田 横浜間は、陸上を通ることは少ないのですよ、やはり海上を通るのだと思います。海上が既成市街地というかどうかわかりません、しかし、少なくとも海上を通るとするならば、これは、たんぼを通るとたいした変わりはないと思うのですがね。その点、私は、こういう首都高速道路公団が仕事をすることはいけないと言っているのじゃないのです。やるならば、だれもが納得する、正しい理解をするような形でやったらどうであろうかということを申し上げているのです。

○国務大臣(河野一郎君)
 ただいまも申し上げましたように、われわれとしては、東京都といいましても三多摩のように、人家の稠密していない農村に属する方面は道路公団、川崎、横浜の人口の非常に稠密しておりまする部分、要するに市街地を主として通る道路については、首都高速道路公団というふうな解釈のもとに扱っておるわけでございます。したがって、決して首都といいましても首都圏という解釈をもってやっておるのじゃないのでございまして、お話のように、この公団の事業の施行区域を明確にするということは、確かに御主張の点も、私はわからぬことはないと考えますけれども、いま私から申し上げますとおりに、人口、人家棚密なところ、市街地の道路を行なうという意味において、阪神といたしましても、首都にいたしましても、そういう意味でこの公団をつくられた。したがって、そういう意味からこの羽田-横浜間におきましても、その精神で延長しておると、こういうことに解釈をしておるのでございまして、決してこれがさらに京葉道路のほうに延びていくことがあるかないかという場合には、そういうことは絶対にないということに御承知をいただきたいと思います。

○田中一君
 私は、やはり建設大臣の言うこともわからないじゃないのです。わかるから明確にそれを規定なさいと、こういうことを言っております。わかるからそれを明確に目的を、拡大解釈よりも、変更したらどうか。それからいまのお話ですと、たとえば、ここにあるのは、東京都の区の存する区域とその周辺だというんです。だから、多摩川を越えた川崎も入るんだよということなのか、あるいは東京都というものは、全部が区の存する区域じゃないわけです。お話のような三多摩もございます。また、首都高速道路公団は、いまお話のように、三多摩は全然しないのだということになるのか、これはあいまいですよ。御発言のように、首都高速道路公団は、三多摩はしないのだ、三鷹、武蔵野だけは、首都圏整備法によって指定区域になっているから、これはするけれども、ほかはしないのだということなのか、その点はやはり明確にせぬといかぬと思うのです、事業区域というものは。しかし、何かそういうことが単に建設大臣の命令ではなくして、根拠がある何かの規定なり申し合わせなり、あるならば、これはまた、忙しいから、どうだい、日本道路公団か首都高速道路公団でやってくれんかということもあり得ると思うのです、実態論からいって。建設大臣、これ以上言っても建設大臣も困るでしょうから、法制的に聞きます。法制局としてはこの読み方を、首都高速道路公団法の一条、この目的は、どういうぐあいに解釈しようとするのか、と同時に、日本道路公団法、首都高速道路公団法、この二つの法律が提案された時期、それから首都高速道路公団法は相当、数年後に出発しております。したがってその場合に、おのずから日本道路公団法と競合しない範囲というものを考えられて法制局としても賛成したろうと思うのです。それらの点を、ひとつ歴史的な事実を明確にしてください。

○説明員(荒井勇君) (内閣法制局総務主幹)所管部長ではございませんが、この高速道路公団法の第一条及び第二十九条第一項におきまして、「東京都の区の存する区域及びその周辺の地域」云々ということが規定されてございます。「東京都の区の存する区域」というのは、法令上非常に慣用されている一定の法律制度を前提とした、いわば既成の概念でございますが、その意味で申しますと、「東京都の区の存する区域」というのが一つのことばでございまして、その次に、「及びその周辺の地域」ということが書かれてございます。それはその二十三区の存する区域の周辺である、それは、東京都はわが国の首都として人口最も欄密であり、政治、経済、産業、そういったものの中心である、そういう区域の周辺にある区域ということでありますし、そしてそこに書いてございますように、その「自動車専用道路の新設、改築、維持、修繕その他の管理を総合的かつ効率的に行うこと等により自動車専用道路の整備を促進して交通の円滑化を図り、もって首都の機能の維持及び増進に資することを目的とする。」ということを書かれておりますので、それは非常に交通の激しい、そういう稠密な地区であるというようなことが、この目的の規定からいってもうかがえるのではないかというふうに思えるわけでございます。
 それからなお、第四条におきまして、その第一条なり、あるいは第二十九条で業務を施行します区域というものが、地域というものがどういうものであるかにつきまして、うかがうに足るような規定があるわけでございます。それは第四条第一項におきましては、「公団の資本金は、十億円と政令で定める地方公共団体が公団の設立に際し出資する際の合計額とする。」と、こうあるわけでございます。これが、東京都内に限るという趣旨でございましたら、そのように規定をしたでありましょうというふうに思えるわけでございます。
 それからなお、第四項に、「政府及び第一項の政令で定める地方公共団体は、前項の規定により公団がその資本金を増加するときは、公団に出資することができる。」と、こうございますが、この第四項につきましては、今回お願いをいたしております一部改正法案におきまして、その「第一項の」というのを削るという改正を入れているわけでございます。それはすなわち、この第一項は、設立に際し出資する額が、政令で定める地方公共団体によって出され、それから十億円は政府自身から出されるということでございますけれども、第四項において書かれておりますところの、この追加出資に関する規定におきましては、そこに追加出資する地方公共団体というものは、第一項の「政令で定める地方公共団体」といたしまして、設立当初に出資をいたしました団体とは異なり得る、異なるということは、範囲が縮小するということは――東京都よりも小さくなるということは考えられませんので、それはむしろ拡大するということが、この第四条第四項の改正の中からうかがいとることができるであろう、こう考えられるわけでございます。以上のように、第一条におきまして、「東京都の区の存する区域」という、法令上慣用されておりますそういう制度上のことばと、「及びその周辺の地域」ということが書かれております点と、第四条におきまして、そういう地方公共団体が、決して東京都という単一のものではなくて、「政令で定める」ということが書かれているということは、必ずしも単一でなくて、複数が出てくる。しかも第一項の、設立当初に出資をいたしました地方公共団体のほかに、なお追加出資をすることができるということが、第四項でうたわれるということは、それだけの変化があり得るということを法制的にいっているものだと考えますので、設立当初の目的からいいましても、必ずしもはずれているといいますか、当たっておらないということにはならない、その意味で、政府が、現在この法律案を出しますにあたって、前提としておりますところは、法律解釈上許されるところである、こう考えております。

○田中一君 首都高速道路公団法のときには、あなた審議したろう、法制局で。

○説明員(荒井勇君) はい。内閣法制局の総務主幹といたしましては、内閣法制局で審査します法律案につきましては、一通りは目を通しておりますが、直接は審査を担当したということはございません。

○田中一君 ちょうどこの法律が出た時期には、京葉道路、東京-千葉の道路をやっておったのです、日本道路公団が。そこで、先ほど首都圏整備法には関係ございませんと言っているけれども、第三十条の基本計画に、明らかに首都圏整備法の思想、考え方というものをその計画の中心にやれということが書いてある。それならば、はっきりと首都圏高速道路公団法でいいじゃありませんか。だから、この法律をつくるときに、ちょうど、首都圏高速道路法では困るのは、やはり京葉道路を日本道路公団がやっているからちょっとそれにのせられない、それで私どもが、もしそういういろいろな意味の伏線がある、われわれの理解できない伏線、官僚独善の、将来どうでも動くのだというような伏線を持っている法律案が今後とも出るならば、私どもはもっと慎重審議しなければならぬと思うのです。

○説明員(荒井勇君) 首都高速道路公団法は、成立いたしましたのが三十四年の四月でございまして、このような公団がこういう事業を実施するということになりましたのは、もちろんその施行された後でございます。京葉国道の場合には、事実関係でございますけれども、伺いますところによれば、首都高速道路公団法が成立する前から施行されているというふうに伺っておりますので、法律の施行前におきましては、当時は、日本道路公団法一本であったという意味で、日本道路公団が実施したのはもちろん当を得ておるところであると思いますし、まあそのことが、しかしながら直ちにその後に施行されました首都高速道路公団法の規定に抵触するということにならないではないかと思います。
 それから、第三十条のほうで、「建設大臣は、首都圏整備法の整備計画に基き、」その「基本計画を定め、これを公団に指示するものとする。」と書かれておりますけれども、これは、「政令で定めるところにより、」ということもございますし、その首都圏整備法の整備計画によったもの、すなわち、首都圏の全地域にわたるものについて、すべてやるということは、この第一条の目的の範囲内に当然規定されるということでございますから、必ずしも首都圏の全体をひっくるめた高速道路公団法ということには当たらないのではないかと存じます

○田中一君 日本道路公団法が制定された際に、地方等が持っておった、施行しておったところの道路が、工事全部、接収ということばでいいのか、あるいはかえって向こうから委託されたのか、少なくとも日本道路公団の事業として工事そのものを接収したのです。これは考えられるのですよ。したがって、あなた方がしょっちゅう高級官僚として、官僚のなわ張り争いというものはおそろしいものでしょう。これはもうちょっとしたことでも、これはおれのなわ張りだといったら、なかなか承知しない。したがって、日本道路公団、首都高速道路公団等が、官僚でないからもっと社会常識によってなされたと思いますが、しかし、法律というものはそれじゃ困るのです。日本道路公団が出発するときには、あらゆる地方の公共団体の仕事は、全部接収しましたよ。いいですか、数を全部教えてもいいですよ。私はあなたに、どこを取った、どこを取ったと、当然、もし首都圏という思想のもとにやろうとするならば、首都高速道路公団が道路公団がやっている京葉国道を引き継いでも一向差しつかえないのです。私は、いま建設大臣に言っているように、実態論としては、非常に買収その他やりにくいところがたくさんある。そういうところは、ひとつまとまったものでやったほうが、よくその地域を知ってているほうが楽じゃないかということでくることはわかりますよ。けれども、この法文の解釈からいった場合に、まあ鶴見も横浜市だといったら横浜市です。周辺というのは飛び地ではむろんないと思います。川崎市があって、その向こうにある川崎市までは周辺という見方をしてもいいけれども、川崎という地方行政区域があって、それを飛び越えて横浜に通ずるものが、「周辺の」とは言えないと思います。しかしながら、三多摩等においては、東京と横浜にくっついている町田というところがあるのですよ。町田というのは隣が横浜市。これならば周辺ということも言えるけれども、これは三多摩地域だから首都高速道路公団の施行区域じゃないと、いま建設大臣が言っている。しかし、常識的に川崎を通って横浜に通ずる道がなければ、道路としての機能はないのだから、川崎と横浜市との間を、向こうは向こうでもって日本道路公団がやるなんというむだな二重投資的なことはしないでもいいのでありますけれども、実態論として反対しているんじゃないのです。明確におしなさい、と言っているのです。明確におしなさい。拡大解釈、つごうのいい解釈でもってものをやったんじゃ困りますよ、ということを言っている。いま建設大臣にこの次に質問する問題もありますけれども、そういう点を将来検討するなら検討するという答弁がないと、なかなかぼくも引っ込まないから、何とか適当なおさめ方をしなければ困ると思う。

○国務大臣(河野一郎君) 将来の運用の基盤となりますように、この機会に建設大臣から明確にいたしておきます。道路公団の扱います事業は、役所の中で申しますれば、道路局が管掌いたしまするし、道路局の所掌事業の中の道路も扱う、首都高速道路公団の扱うもの、阪神の扱うものは、都市局のいわゆる市街街路――といいますか、に属する部分も扱うということに御了解願うと明確になるんじゃないかと 思います。そういうことに将来この法律の解釈を明確にいたしておきます。

ということで、「三多摩地区は、首都高速道路の範囲には入らない」ということになっている。

河野一郎は、後の総理大臣で、息子が河野洋平(元・自民党総裁)で、孫が河野太郎(自民党代議士)。田中一は、社会党参議院議員



環八上にある、「ここから中央自動車道」遮音壁(ノイズリデューサー)の形がここで変わっている。 手前のクリーム・茶色系が首都高で、奥の緑系が中央道

大きな地図で見るgoogle map(というかゼンリン?)の首都高新宿線と中央道の区切りは間違っている。

<上り線> 中央道 → 中央道・高井戸出口 → 首都高
<下り線> 中央道 ← 首都高・高井戸出口 ← 首都高

のように書き分けている模様だが、実際には、上下線とも環状八号線上空で区切りとなっている。


環状八号線(中の橋交差点)のすぐ西側に立つ中央道の橋脚「0.01kp」NEXCO中日本。


環状八号線(中の橋交差点)北東側にある「ここから首都高速」(上り線)

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2012年8月16日 (木)

小林一郎著「ガード下」の誕生-鉄道と都市の近代史(祥伝社新書)が糞だった(その5) 小野田滋氏と比較してみる

 引続き、小林一郎氏の妄想をチェックしていく。

     
 駅舎を営業に使う駅ナカの開発は、派手な宣伝を展開してオモテ舞台に立たせているのにもかかわらず、ガード下利用についてはなぜ、そもそものなり立ちから隠さなければならないのだろうか。
 これについては、このように考えられるかもしれない。人・モノを運ぶのが鉄道輸送の目的で、駅と駅との間はあくまで通路。その通路下が空いているから使おうというのはあくまでも副次的な利用。人やモノを輸送するという本来の業務とはまったく交わらない。あえていえば、鉄道会社がやるべきものではない。
 つまり通路である高架下空間を金を取って利用させるということに抵抗感があったのではなかろうか。通路下の利用は立派な価値創造なのだが、「うしろめたさ」の影を見ずにはいられない。だから社史にも書きこめない。
 副次的な利用法から一歩踏み出し、ガード下の使用を正々堂々と進めるには、それまでの鉄道輸送の既成概念をいったん破壊しなければ出発できなかったかも知れない。価値の薄い通路という既成概念を破壊し、それを読み替え、新たな解釈で新たな価値を創造する。これ自体、革命的な発想の転換だ。
 鉄道関係者に認知されるのに長い長い時間を要したことが、社会的に認知されている現在においてもガード下=裏町のイメージが払拭されない理由のひとつなのではないだろうか。
 こんなことも含めて、さまざまな推測が可能なのがガード下のなり立ちである。

 
小林一郎著「ガード下」の誕生 31~32頁から引用  

 まあ「さまざまな推測が可能」なのではなく、勝手な妄想をこじらせているだけなのだが。

 ところで、小野田滋氏といえば、鉄道総研勤務の技術者で「高架鉄道と東京駅」等の鉄道構造物の著書がある方である。(ブラタモリでもおなじみ)

 その小野田氏が、土木学会の「土木史研究」第21号に「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」という審査付論文を掲載しているので比較してみたい。

(なお、阿部美樹志氏は、東京~万世橋高架橋の設計等に携わった技術者である。)

 当該論文については、http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/2001/21-0113.pdf に掲載されている。

     
2.3 都市鉄道の発展と高架鉄道の普及

 東京の都市計画を掌握していた東京市区改正委員会では、都市部における道路交通との平面交差を解消するため、市中に乗り入れる鉄道については高架鉄道または地下鉄道を原則とする方針を固めていた。そして1900(明治33年)~1910(明治43)年にかけて建設された新永間市街線高架橋は、実質的にその最初の適用事例となってその後の模範を示し、引続いて鉄道院によって東京-万世橋間、神田-上野間の高架工事が行われた。
 一方、鉄道国有化後の1910(明治43)年に公布された軽便鉄道法は、第二次私鉄ブームを惹起し、昭和戦前期に至る約30年間の間に民間資本による郊外鉄道の整備が積極的に進められた。(中略)阿部が関わったほとんどの鉄道高架橋は、この第二次私鉄ブームに呼応して建設されたもので、高架鉄道はまさに時と人を得て発展を遂げたと言える。
 こうした高架鉄道の多くは、国私鉄を問わず駅部を除いた高架下を商店や住宅として賃貸することを前提条件としており、高架下の利用は建設費を補填するための重要な収入源として位置づけられていた。このため、高架橋は単に列車の荷重を支えるのみならず、内部空間の利用を考慮して設計されることとなった。こうしたことから、内部空間が狭く使い勝手の悪いアーチ構造よりも内部区間を最大限に活用できるラーメン構造が好まれ、柱の配置や間隔、隣接する高架橋との継目部の漏水防止などに意が払われた。

小野田滋著「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」から引用 

  整理してみると下記のとおり、小林一郎氏の「高架下ロマン(妄想)」は徹底粉砕されている。

小林一郎氏「ガード下」の誕生  小野田滋氏「阿部美樹志とわが国における黎明期の鉄道高架橋」 
人・モノを運ぶのが鉄道輸送の目的で、駅と駅との間はあくまで通路。その通路下が空いているから使おうというのはあくまでも副次的な利用。人やモノを輸送するという本来の業務とはまったく交わらない。あえていえば、鉄道会社がやるべきものではない。
高架鉄道の多くは、国私鉄を問わず駅部を除いた高架下を商店や住宅として賃貸することを前提条件としており
通路である高架下空間を金を取って利用させるということに抵抗感があったのではなかろうか。  高架下の利用は建設費を補填するための重要な収入源として位置づけられていた。  
副次的な利用法から一歩踏み出し、ガード下の使用を正々堂々と進めるには、それまでの鉄道輸送の既成概念をいったん破壊しなければ出発できなかったかも知れない。   高架橋は単に列車の荷重を支えるのみならず、内部空間の利用を考慮して設計されることとなった。こうしたことから、内部空間が狭く使い勝手の悪いアーチ構造よりも内部区間を最大限に活用できるラーメン構造が好まれ、柱の配置や間隔、隣接する高架橋との継目部の漏水防止などに意が払われた。 

 補足資料としては、土木学会誌「阪神急行電氣鉄道高架線建設紀要」
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/13-03/13-3-11657.pdf
の末尾に「写真第7 茶屋町附近高架下店舗」が掲載されており、大正15年に既に高架下に店舗を配置し、学会誌に写真も掲載されるように、会社も隠していないことが推測される。

 小林一郎氏は「高架下は土木と建築と都市計画の学際分野なので研究が進んでいない」というが(それはそうかもしれないが)、好き勝手に妄想を書き散らかしていいわけではないだろう。しかもタチの悪いことに、「第1章」では、上記のように「なかろうか」とか「かもしれない」とか「推測」と書いてあるところが、筆が進むにつれてラリってきたのか「おわりに」では断定した言いぶりになって確定事項になってしまうのである。いやはや。

(ガード下学会には、建築士やら大学教員等もいるとのことだが、その専門知識を踏まえて査読して、「土木学会のウェブサイトくらい調べた方がいいよ」なんて小林一郎氏にアドバイスしたりしてあげなかったのだろうか。「素人のコバヤシの野郎がはずかしい本書いてるぜ~。」「推測が妄想に化けてる本が出たら晒しものにしようぜ~。」「素人のくせにえらそうな本書くんじゃないよ。はっはっはっ」なんて生温かくウオッチしていただけなんじゃないか??などと邪推してしまいますなあ。)

 なお、こんなトンデモ文もある。

 ところで、新橋-有楽町間の鉄道敷設を設計したのは、ドイツ人のバルツァーという技師。えっ、ドイツ人?と思われる読者も多いかもしれない。
 わが国で初めて新橋-横浜間に鉄道を敷設したのは鉄道発祥国のイギリス人技師。車両もイギリスから輸入された。日本の本州はイギリス、北海道はアメリカ人技師、九州はドイツ人技師-と棲み分けがされえちたようだが、この流れからしてもイギリス人技師に依頼するのが自然。ところが、なぜかこの区間は、お雇い外国人のドイツ人に依頼している。なぜ、ドイツ人に依頼したのかは不明だが、日本の中心部においてはドイツの鉄道技術が導入されていた。 

小林一郎著「ガード下」の誕生 79~80頁から引用  

 
 というか、仮にも「鉄道と都市の近代史」をなのる本が「本来イギリス人に依頼すべきで、なぜバルツァーに依頼したか不明」って断言していいの?祥伝社の担当編集はこんな本を野放しにしていいの?ちゃんとチェックしたの?

 小林一郎氏には、是非、小野田滋氏に論戦を挑んでいただきたいところである。

 

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スリランカ初の高速道路は日本製!

http://www.onlanka.com/news/first-accident-on-the-southern-expressway-injures-two.html

http://www.afpbb.com/article/economy/2842915/8137627

 

黄パトも標識車も日本そっくり!と思っていたらJICA経由でNEXCOの現地支援

http://www.jsce.or.jp/committee/jiban/seminar_2010_2.pdf

この頁下部の Advice on safe use of the Southern Expressway - Video Clipsが楽しい

http://www.rda.gov.lk/supported/expressways/stdp.htm

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2012年8月14日 (火)

すてきなハイウェイ - 二宮ゆき子


歌詞がすごい

1番「エコーラインは蔵王~♪、スカイラインは吾妻~♪」
2番「ターンパイクは箱根~♪、ビーチラインは熱海~♪」
3番「ドライブウエイは比叡~♪、スカイラインは生駒~♪」
4番「パールラインは天草~♪カルデララインは阿蘇よ~♪」

全国の観光有料道路を北から南に列島縦断しているのだった。いやはや。


ヒカシューもいいな

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2012年8月13日 (月)

三原橋地下街に係る疑獄について(その1)

     
東京・銀座唯一の名画座として映画ファンに親しまれている映画館「銀座シネパトス」が来年3月末に閉館することが20日、分かった。閉館を惜しむ俳優の秋吉久美子さん(57)や香川京子さん(80)らが同劇場を舞台にした新作映画に出演し、最後の上映作品となることも決まった。

 閉館は、劇場がある三原橋地下街の耐震性の問題で取り壊しが決まり、東京都から立ち退き命令があったためという。

 銀座シネパトスは1967年から翌年にかけ、銀座の中心部に近い三原橋地下街に「銀座地球座」「銀座名画座」としてオープン。3スクリーンのうち1スクリーンは日本を代表する邦画などを上映してきた。(2012年07月20日共同)    

 

三原橋

三原橋

三原橋

三原橋
三原橋 地上部 川はなくなっているが、橋の名残で、路面に勾配がついている。車の高さとかで分れば幸い

三原橋

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天井のRに注目。橋をそのまま使った名残。

私も大好きな三原橋地下街が取り壊されることになったらしいのだが、ここもまた疑獄があるのであった。

そもそも三原橋地下街の成り立ちであるが

~中央区の堀割をたどる~水のまちの記憶」(中央区立郷土天文館第9回特別展)のパンフレットによると   

昭和20年(1945年)3月の東京大空襲など数度の空襲により、区内はほぼ全域に甚大な被害を受けた。戦後、こうした被害からの復興にあたり、空襲によって生じた膨大な瓦礫をいかにして処理するかという問題が生じた。そこで注目されたのが、水路としての必要性が薄らいできた堀割の埋立てであった。瓦礫処理のために埋められた堀割は、東堀留川・龍閑川、浜町川、新川、三十間堀川と外堀の一部に及んだ。 

とある。同パンフレットによると、三十間堀川は、「昭和23年6月に埋め立てが開始され、同24年7月に完了した」とある。

また、三原橋の親柱や欄干そのままに埋め立てを行っている写真が数点掲載されている。これによると現在の三原橋地下街となっているところも一旦全部埋め立ててしまっているようである。

中央区図書館のサイトで過去の写真を公開しているので関心のある方は「三原橋」「三十間堀」といったキーワードで検索するとよい。

地下鉄日比谷線の上に謎の映画館!?(1) 三原橋地下街の謎

http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-ima-3-1.htm

にも過去のいわくつきの経緯が記載されているが、国会議事録で検索してみた。

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16 - 衆 - 決算委員会 - 35号
昭和28年10月23日

それからまだこれに付随して驚くことは、明らかに駅前の建設の一環と思われるところに鍛冶橋がございます。ところが鍛冶橋の下の川はずつと前から埋め立てておるのであります。皆様御承知のように、あそこに行つてみますと、あそこのためにおまわりさんが難儀しておる。人が死んだり、交通事故が起きたり、東京でも一番たいへんなところなのであります。ところがいまだに埋め立てられたままあの橋はほうり出されて、少しも公共の福祉に符立つていない。しかも新聞で問題になつた観光会館を観光のためにつくるといつて三原橋にハチンコ屋をつくつたと同じようなやり方でもつて――これは要するに新聞に載つておりましたが、あそこの橋の下の約二百七十方メートルは青木何がしが都に二百七十五万円を寄付して、その代償としてあの橋の下に映画館とかガレージとかあるいは娯楽場をつくるというような申請が出ているということについては、まつたく東京都というものの熱意を疑わざるを得ないのであります。

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19 - 衆 - 地方行政委員会 - 83号
昭和29年10月21日

○中井委員長 最近、東京都内において問題となつておりまする高速自動車道路建設に伴いまして、紺屋橋と難波橋との間の公有水面埋立と中央区銀座四丁目地先三原橋道路上の慰物について種々の問題が起りつつあるのでありますが、この問題は一面運輸、建設両委員会に関係いたしまするとともに、また地方行政の上からいつても本委員会の所管事項にも当るのであります。従いましてこの問題の真相を究明し、これによりまして地方行政に資するために参考人として関係者から事情を聴取いたしたいと存じますか、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○中井委員長 御異議なしと認め、さように決定いたします。
 ただいま御承認を得ました参考人として中央区区会議長山下清吉君、及び金森四郎君、この二人から事情の説明を聴取いたしたいと存じます、
 山下、金森両参考人に申し上げますが、本日はかねて問題になつておりまする高速自動車道路建設に関する問題について、地方行政の立場よりあなた方の御説明を承りたいというので参考人として御出頭を預つた次第であります。御多忙中のところ御出席くださつてありがたく存じますが、事柄につきましては、簡明にかつ率直に事実をお述べいただきたいと存じます。
 ます山下参考人から御説明を願いましよう。

○山下参考人(東京都中央区議会議員) 請願の趣旨によりまして御説明を申し上げます。
(中略)
それと同時に皆さんもごらんになつたと思いますが、元三原橋の上に立ちました建物でございます。その書類を見ますと、皆さんのお手元にございます書類の中にもございますが、これは道路占用といたしまして、この土地を借りております。しかもその借りることか、東京都知事が身分がかわつて、社団法人観光協会の安井誠一郎にこの土地を貸しております。そうしてこの貸した土地が、今度は営利会社の新東京観光株式会社に行つております。そうして転貸しをいたしまして、この転貸ししたものに対しては、これは東京都都有財産条例第二十六条だと思いますが、それにおいて転貸しはいけないということで禁止しております。しかもあの土地がもし建物を建てる土地であるとすれば、価格が現在にいたしますと一坪約五十万円くらいであります。それを約百坪くらいを無償で営利会社に貸しておる。そうして観光協会がその会社から年額三十万円なり四十万円をとることを契約書によつて約束しております。そうしてその新東京観光株式会社の運営にあたりましては、都の理事者がこれに参画しております。これはそういう利益をあげて観光協会へ持つて行くような金をやりとりさすようなことは、公務員法違反じやないかというふうに区の方では考えております。かような点につきまして、ぜひとも皆さんの手によつてこういうことをはつきりしていただきたいということをお願いするために、私たち今度陳情した次第であります。
 なお参考人金森議員から、東京都と区の建設委員会との間におきましてとりかわしましたことを説明してもらいたいと思います。

(中略)

○山下参考人 (中略)それから三原橋のあの建物につきましては、都市計画法におきましても、あの通路は拡張することになつておるにかかわらず建てたということに対しまして、それは撤表してもらいたいと思います。さような趣旨でございます。

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19 - 衆 - 地方行政委員会 - 86号
昭和29年11月10日

○中井委員長 最近、東京都内において問題となつておりまする高速自動車道路建設に伴いまして、紺屋橋と難波橋との間の公有水面埋立と中央区銀座四丁目地先三原橋道路上の慰物について種々の問題が起りつつあるのでありますが、この問題は一面運輸、建設両委員会に関係いたしまするとともに、また地方行政の上からいつても本委員会の所管事項にも当るのであります。従いましてこの問題の真相を究明し、これによりまして地方行政に資するために参考人として関係者から事情を聴取いたしたいと存じますか、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○中井委員長 御異議なしと認め、さように決定いんします。
 ただいま御承認を得ました参考人として中央区区会議長山下清吉君、及び金森四郎君、この二人から事情の説明を聴取いたしたいと存じます、
 山下、金森両参考人に申し上げますが、本日はかねて問題になつておりまする高速自動車道路建設に関する問題について、地方行政の立場よりあなた方の御説明を承りたいというので参考人として御出頭を預つた次第であります。御多忙中のところ御出席くださつてありがたく存じますが、事柄につきましては、簡明にかつ率直に事実をお述べいただきたいと存じます。
 ます山下参考人から御説明を願いましよう。

○山下参考人 (中略) それと同時に皆さんもごらんになつたと思いますが、元三原橋の上に立ちました建物でございます。その書類を見ますと、皆さんのお手元にございます書類の中にもございますが、これは道路占用といたしまして、この土地を借りております。しかもその借りることか、東京都知事が身分がかわつて、社団法人観光協会の安井誠一郎にこの土地を貸しております。そうしてこの貸した土地が、今度は営利会社の新東京観光株式会社に行つております。そうして転貸しをいたしまして、この転貸ししたものに対しては、これは東京都都有財産条例第二十六条だと思いますが、それにおいて転貸しはいけないということで禁止しております。しかもあの土地がもし建物を建てる土地であるとすれば、価格が現在にいたしますと一坪約五十万円くらいであります。それを約百坪くらいを無償で営利会社に貸しておる。そうして観光協会がその会社から年額三十万円なり四十万円をとることを契約書によつて約束しております。そうしてその新東京観光株式会社の運営にあたりましては、都の理事者がこれに参画しております。これはそういう利益をあげて観光協会へ持つて行くような金をやりとりさすようなことは、公務員法違反じやないかというふうに区の方では考えております。かような点につきまして、ぜひとも皆さんの手によつてこういうことをはつきりしていただきたいということをお願いするために、私たち今度陳情した次第であります。
 (後略)

(中略)
○門司委員 もう一点聞いておきたいと思いますが、それはこの問題が起つて実は相当長くかかりておるわけであります。それから実際上の問題として、はもう一部分が埋め立てられて、また一部分ではありまするが道路ができているわけであります。従つて今陳情されております目的は、これを全部中止せよというのか、あるいはその他に何かごの陳情をされる目的等がございますなら、この際明らかにしていただきたいと思います。

○山下参考人 (中略)それから三原橋のあの建物につきましては、都市計画法におきましても、あの通路は拡張することになつておるにかかわらず建てたということに対しまして、それは撤表してもらいたいと思います。さような趣旨でございます。

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19 - 衆 - 地方行政委員会 - 86号
昭和29年11月10日

○中井委員長 これよりさらに前回の委員会の決定に基きまして、東京都内における高速自動車道路建設並びに三原橋両側道路占用による建物の問題等について調査を進めることといたします。
 この問題を明らかにするために参考人として東京都知事安井誠一郎、東京都中央区長野宗英一郎君、東京高速道路株式会社社長樋口実君の三名に出席を願い、これを取調べるということに決定されておつたのでありますことろ、本日の出席者は右野宗君、樋口君のお二人だけでありまして、安井知事は知事会が現に宮崎において開かれておりまするため出席いたしがたいとの届出がございました。ついてはそのかわりとして副知事の岡安彦三郎君が出席してお答えをいたしたいとのことであります。都知事にかうるに岡安副知事を参考人として呼ぶことにつき異議はございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○中井委員長 御異議なしと認め、さように決定をいたします。
 参考人の諸君から陳述を、承るに先だちまして、参考人諸君に申し上げて御参考に供したいと思うのでありますが、諸君にここに御出席を願うことになりましたゆえんは、本年十月十九日付をもちまして東京都中央区議会議長宮入正則君から請願書の名をもつて本委員会に陳情書が提出されたのであります。この陳情書の要旨によりますると、高速自動車道路建設に伴い紺屋橋と難波橋との間の公有水面埋立てと、中央区銀座四丁目地先三原橋道路上の建物について疑義があるから貴職において調査を願いたい、こういうのが一つ。もう一つは、三原橋の両側の道路占用による建物について都が許可せられたる趣旨とは全然異なりたる使用方法において現在使用されておる、そこに不正があるように思われる、この許可については都と区との間に行き違いがあり、地方自治法上はなはだ遺憾であるという趣旨のものであります。この問題は現に東京都内におきまして政治的に、あるいは社会的に種々の問題を起しておる問題でありますが、委員会としてこれを取上げ、取調べるに至りましたゆえんは、東京都と東京都内にあるところのいわゆる特別区との間の関係をいかに定めるか、またこれをいかに見るべきか、現状のままではたしてよいのか、あるいは自治法上欠陷があるのではなかろうか、もししかりとするならば自治法の改正も考えねばならぬのではないかというような事柄が根本となりまして、いわばその一例としてここに提供せられた問題につき、この真相を明らかにして委員会の参考にしたいというのがその本旨なので、あります。従いましてこれを社会的な問題とし、政治的な問題として取上げるというようなことは、本委員会の本来の趣旨とするところではございません。こういう問題が起りますことはやむを得ぬことではありますけれども、本委員会においてこの問題を取上げましたゆえんは、右の一遂にほかならぬのであります。自然本日各位の陳述に端を発し、また委員諸君から種々なる御質疑があり、いろいろな方面にわたることは当然のことであろうと思いますけれども、本委員会としての立場をまずもつて明らかにして、参考人諸君の御陳述を承りたいと思うのであります。お忙しいところ御出席をいただきまして、まことにありがたく存じます。参考人諸君はその参考人席に御着席あらんことを願います。
 御意見を伺う前に陳情書の内容を朗読いたしましよう。陳情の本旨は先ほど申した通りでありますが、その内容につきましては、かようになつております。
 (中略)
 それから三原橋の問題につきましては、「昭和三十三年、三十間堀埋立てに始り、代表的な市街を建設するため特に安井都知事を会長に都議会議員各派代表、関係都理事者、地元都議会議員、中央区議会代表者、区理事者、地元住民代表者二十九名をもつて三十間堀埋立運営委員会を組織し、衆知を集めて慎重に同地利用開発と健全発展方策を決定した。」三原橋下は「三原橋下は三十間堀埋立地の中心部であつて、観光都市東京にふさわしい施設たるべきものとし橋上周囲は緑地並にロータリーとすることに決定した。しかるに現在橋下はニユース館が一部を占めるのみで、他の大部分は不健全娯楽で営利を目的とする経営に充てられている。結局これについては、そういう敷地を特に許されたものは、新東京観光株式会社であるのに、それはその目的のために使わずして、他の者に転貸しをし、ここに何らかの不正が行われているのではないか、かようなことを都がなさるについては、その都を形成するところの特別区に対しその意見を無視してやられる等のことについては、この際自治法を改正して区の意見が都の行政の上に徹底するようはかられることが必要であると思う、その点につき地方行政委員会の格別なる考慮を望む、こういうようなことがこの趣旨なのであります。
 一応陳情書の通りを朗読いたしましたが、右のうち特に重要なりと考えられる問題につき、参考人諸君の率直簡明な御意見を伺いたいのであります。まずもつて東京都副知事岡安彦三郎君から陳述をお願いいたしたいと思います。大体陳述の時間は五、六分、必要があればそれ以上でもよろしゆうございますが、その程度で要領のみ、大切なところのみをお話いただきたいと思います。

○岡安参考人(東京都副知事) ただいま陳情書の要旨を聞きましたので、私の考えを申し上げたいと思います。
 (中略)
 それから三原橋の問題でございまするが、確かに陳情の通りでございます。二十三年のころ、東京都の焼跡の残土の処理をいかにすべきかというので都市計画に諮りまして、あの川を埋める際に運営委員会をつくつたことは事実でございます。ただその三原橋のところに、今御指摘のような地下街をまん中につくつたが、これはあまり目的を達していないじやないか、その点は、私も率直に認めざるを得ないと思います。これは私ら所期の目的を達成するように、現在の新東京観光会社に今厳重な申入れをしております。新東京観光でもこれを一日も早く健全娯楽にしたい、こういうことでやつておるようなわけでございます。従つて、ただいまの陳情の趣旨にございますように、地方自治法上都と区の関係がまだはつきりせぬ点がある、これは私らもさように考えております。私らもこれに対しまする意見は持つております。しかし本日はこの問題だけでございますので、今までの経過を率直に申し上げた次第でございます。

(中略)

○石村委員 それではわれわれの方は当事者でありませんから、水かけ論のようなことは別に聞きませんが、その次に三原橋の橋の下の問題で転貸ししておられるようですが、これは観光協会は都に対して使用料か何かを払つておられるのかどうか。また転貸については区議会の方では都有財産条例の二十六条に違反しておるというような御意見があるのですが、この二十六条違反かどうか、御解釈はいかがですか。料金の問題と転貸の条例違反かどうかという問題についての御意見をお聞きしたいと思います。

○岡安参考人 三原橋の問題でございますが、これは観光協会が確かに借りて、観光協会は都の方に使用料を払つております。ただ今の形は観光協会から新日本観光に事務委託をしております。従つてその形が少し転貸というような形になりまするが、これは現に今この問題を解決する方面に向つておるような状況でございます。

○石村委員 そうすると転貸ではない、事務委託をせられておるというようなお話に聞きましたが、この観光協会が都に納めておる使用料と、それから事務委託を受けた新東京観光株式会社ですか、これが観光協会に使用料は払つていないというように事務委託ではなると思いますが、その点はいかがですか。

○岡安参考人 東京都は今申しますように観光協会に貸しておりますので、観光協会から正規の使用料をとつております。それだけであります。

○石村委員 ただいまの御答弁は、ただ観光協会に貸しておるので、観光協会から使用料をとつておるだけだ、こういうことで、それから先のことは観光協会の方でないとおわかりになりませんかと思いますが、しかし観光協会は、安井さんがやはり会長だと思うのですが、都側には観光協会が事務委託をされたなら、反対に使用料を観光協会が払われるくらいに思われるのですが、そうではなしい、その観光株式会社から観光協会が使用料をとつておられるというような事実を御存じかどうか。とつておる事実を――まあ事実がないのかもしれませんが……。

○岡安参考人 新東京観光から観光協会には使用料を払つておる、かように考えております。

○石村委員 今の御答弁がはつきり聞えなかつたのですが、観光株式会社ですか、それが観光協会にまた使用料を払つておるというお話だつたのですか、どうですか。

○岡安参考人 その通りでございます。

○石村委員 その金額等はおわかりにならないでしようか。

○岡安参考人 金額等については今存じておりません。

○石村委員 事務委託なら建物の所有権は観光協会にあるのではないかと思うのですが、建物所有権はどこにあるのですか

○岡安参考人 これは新東京観光の建物だろうというふうに考えております。

○石村委員 建物は株式会社の建物だというお返事がありましたが、そうだとすれば事務委託にはならぬのじやないか、このように解釈しますが、やはり観光協会の建物なんですか。

○岡安参考人 建物自体は新東京観光のものでございまして、観光協会からこういうような事業を委託する、こういう形式になつておるように了承しております。

(中略)

○谷参考人(高速道路建設反対委員会委員長) 先ほどから貴重な時間にいろいろと御参考の御意見を伺いましたが、発言の機会を得ましてありがとう存じます。先ほどからの参考人の意見というものは、都とその関連する会社との関係の参考意見であつて、反対意見というものをほとんど述べられていなかつたので、公平な意見ではなかつたと思うのでありますが、幸い大石先生の御発言によりまして本委員会においてわれわれ反対側が発言することを得ました。この公平なる措置に対して、まず感謝の意を表する次第であります。
 先ほどから伺つておりますと高速度問題ということになつておりますが、問題は二つにわかれているようでありまして、まず最初にこの三十間堀の問題が起つております。これは十月三十日の読売新聞において詳細発表されておるから、大体は御存じのことと存じまするが、東京都において、非常に奇怪千万なことが公々然として行われておつたのであります。しかもこの許可に関しては、知事が知らないうちに許可をされたのだということであります。この委員会はどういう性質の委員会であるか、われわれの民間の者にはわかりませんが、こういう重大な事件、すなわち都知事が知らない間に許可されたという、その許可手続その他のものが正当であるかどうだか、そういうことについて、もし委員長からわれわれ住民の前で聞いていただけるならば、非常にけつこうだと思うのであります。
 まずそういうようにしまして、簡単に申し上げますると、一平方メートル七円五十銭の道路使用料をとつて、新東京観光会社にこれを貸し、新東京観光会社が、聞くところによると最高七十五万円の権利をとつてこれを民間に転貸しておる、こういう事実が三原橋問題であります。こういうことが東京都において行われていることについて、われわれは都民として非常な関心を持つ、こういうことであります。
この手続問題等については、私たちはよくわかりませんが、区会議員の山下満吉氏は詳細これを御存じであります。
 (中略)

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26 - 衆 - 決算委員会 - 30号
昭和32年04月27日

○山田委員 旧朝鮮銀行の当時の整理の衝に当っている者の名前は何というのですか。そしてあなたの方の折衝した人の名前は……。

○渡部証人(前第一相互銀行常務取締役) 朝鮮銀行のは星野喜代治さんが責任者であります。そこに頼みに行きました。

○山田委員 これが全部証人が当ったということは理解できないのですが、証人に話を持ってきた人はだれですか。

○渡部証人 この話を持ってきたのは宮地さんという人でございます。その人が紹介しております。

○山田委員 宮地さんというのは、宮地何という人です。

○渡部証人 宮地智覚という人でございます。

○山田委員 宮地智覚という人はどういう人ですか。

○渡部証人 この宮地智覚という人は三原橋の橋の建築をやった人で、あそこの権利を持っております。

・・・朝鮮銀行の整理に係る疑獄関係者ということでしょうか、なんかきな臭そうですね。。。

≪追記≫ 三十間堀川の埋め立ての経緯については「首都建設法の制定に関する一考察」(長谷川淳一氏著)に詳しい。

http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DB00011600.pdf 
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DB00011657.pdf

≪追記その2≫

国会議事録だけではなく、中央区議会議事録東京都議会議事録でも検索するといろいろ出てきた。ただ惜しむらくは昭和時代の検索ができない。平成の分だけだと肝心なところがわからないんだよな。

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平成15年第二回定例会会議録(第2日 6月24日)

○区長(矢田美英君)
また、もう一つ、風格あるまちですね。首都東京の核である本区において、これが首都東京の核であるかと疑われるような箇所が随分あるわけですから、例えば日本橋上空の高速道路であるとか、あるいはまた銀座地域にも三原橋周辺なんかは、なんと不法占拠なんかもあるわけでございますから、そうした意味では、しっかりとした風格あるまちをつくっていかなければならないなというふうに思っております。

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平成16年  予算特別委員会(第11日 3月23日)
○矢田区長
   まちづくりは、戦後もう間もなく60年を迎えるわけですけれども、この60年間、中央区のまち、随分住民感情、また住民の意向に合わないもの、また後から大きな問題を投げかけているところが随所に見られるわけでございます。日本橋上空の高速道路あるいは昭和通りの道路、まちを二分している道路、また三原橋のところの不法占有、いろいろなところに、国あるいは東京都等のまちの環境とか美観とか、住民のそういう意向を無視したものが、どんどんつくられてきたわけです。それが、今、本当にたまらないほど迷惑になっているわけでございますけれども、これは人がつくったわけです、行政がつくった。これをしっかりと、もとに戻そうにもどうにもならないほど、私たちは苦しめられてきている。23区の中で一番小さい10平方キロ、宅地だけだと5平方キロという、この小さなところでも大きな問題が幾つもある。

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平成19年  環境建設委員会(7月13日)
○矢田区長
 いろいろ環状2号線の問題、また築地市場の移転問題とあるわけでございまして、築地市場移転については国政レベルでも反対論が出てきているではないかと。これはやはりなぜかというと、私たちが断固反対であるという姿勢を貫いているからこそ、移転反対論が国政にも出てきているのではないかな、こういうふうに思っているわけでございます。
 しかしながら、権限がどちらにあるかというと、残念ながら、区にはない。築地市場のあの土地は東京都、また築地市場を経営しているのも東京都である、こういうことでございますから、残念ながら、そういう権限がないわけで、押し切られる。そういうのは多々ありますね。中央区のまちづくりをこれまで見てきても、日本橋上空のあの高速道路を初め、地元は反対でも、なかなか意見は通らなかった。あるいは、昭和通りの下の地下道なんかも、まちを分断されていると。三原橋のところなんかも、あんなに不法占拠されて残念なんですよね。だから、何とかやりたいと思っているけれども、残念ながら権限がない。こういうことで押し切られるケースは残念に思っているところです

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と、地元中央区では、一貫として、美観を害する不法占拠物件扱いです。
一方、東京都議会ではどうかというと。。。

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平成20年_第1回定例会(第3号) 
◯九十五番(立石晴康君) 
 さて、終戦のとき、焼け野原となった東京の当時の復旧のため、まず第一の課題は瓦れきの処理でありました。銀座にある旧三十間堀川の埋め立ては、この瓦れきの処理場として使われました。川は埋められ、三原橋周辺の橋は残されたまま現在に至っています。現在、この橋の安全性はどうか、また、終戦当時の橋付近のいわゆる三原橋問題は、終戦から今日に至るまで、長く地元商店街や町会の悩みでありました
 銀座通連合会事務局長で、半世紀近くこの状況を見続けてきた銀座案内人の故石丸雄司氏の口癖でありました。一日も早く解決して、銀座らしい今日にふさわしい状況にしなければならないと繰り返しいっていました。
 さて、昨年八月、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、ミシシッピ川にかかる高速道路の橋が崩落、夕方六時のラッシュアワー時に現場を走行していた約六十台の車両が川に転落し、十三人が死亡、百人以上が負傷したという事故を思い出します。
 社会基盤施設の適切な維持管理は、いうまでもなく我が国においても重要な課題であります。中でも、幹線道路にかかる橋梁は特に重要な施設であります。都は既に、予防保全型管理の重要性を認識して、道路アセットマネジメントを導入しています。都の進めている道路アセットマネジメントによる、橋梁を中心とした予防保全型管理の今後の取り組みについて所見を伺います。
 次に、私の地元中央区には古くから橋が多く存在しますが、その中の一つに、先ほどの三原橋があります。この三原橋は、架橋から八十年近くたっており、現在、一日約四万台の交通量を抱えていますが、この橋の安全性について改めて伺います。
 また、現在この三原橋のたもとの両側には、二棟の契約切れの建物が存在しています。銀座の街並みが時代の最先端へとリニューアルしていく中、古色蒼然としたこの二棟の建物は、沿道の他の建物の景観から乖離し、周辺の街並みと比べた場合、さきに述べたように明らかに異質な存在となっています。都として今後どのように対応していくのか、所見をお伺いします。

◯建設局長(道家孝行君) 三点のご質問にお答えいたします。
 まず、橋梁の予防保全型管理の取り組みについてでありますが、高度経済成長期に集中的に整備した橋梁が、近い将来、一斉に更新期を迎えることから、更新時期の平準化と総事業費の縮減を図るため、資産管理の手法であるアセットマネジメントを活用し、橋梁の予防保全型管理を進めております。
 これまで実施してきた定期点検結果から、将来の損傷や劣化を予測し、最新の長寿命化技術によって、橋梁の安全性、耐久性を向上させる対策などを盛り込んだ橋梁の管理に関する中長期計画を策定いたします。この計画には、管理に関する基本的な方針、長寿命化の方策やその施工時期などを盛り込み、今後、計画に基づき、橋梁の効率的、効果的な管理に努め、都民の貴重な財産を次世代に継承してまいります。
 次に、三原橋の安全性についてでありますが、昭和四年に建設された三原橋は、都心と臨海部を結ぶ幹線道路の晴海通りにある、長さ約三十メートルの橋梁であります。これまで、五年に一度の定期点検結果に基づき、適時、床版の補強、鋼げたの取りかえや塗りかえ、舗装の打ちかえなどの工事を行ってまいりました。
 今後とも、必要に応じて効果的な補強と適切な維持管理を図り、引き続き安全の確保に努めてまいります。
 次に、三原橋における二棟の建物についてでありますが、この建物は、三十間堀川埋立事業に伴い、昭和二十九年に観光案内所などを目的として建てられたものでございます。その後、当初の目的である観光案内所としての機能が終了したため、都は、道路区域に編入し、道路として活用することといたしました。
 二棟の建物所有者とは、これまで話し合いを行ってまいりましたが、本年二月に至り、双方、解決に向けて協議していくことを確認いたしました。
 今後は、地元区等関係機関と十分な調整を図りながら、解決に向けた協議を進めてまいります

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冒頭に引用した共同通信記事の「閉館は、劇場がある三原橋地下街の耐震性の問題で取り壊しが決まり、東京都から立ち退き命令があったためという」とは、ずいぶんニュアンスが違うことだよ。

※上記は議会議事録を中心にまとめたものですが、新聞記事を中心にまとめた(その2)を追加しましたので、そちらもあわせてご覧ください。

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名画座は嫌いじゃないんですけどね。学生時代に京一会館にはよくいったものだ。。近くの銭湯に割引券が置いてあったんだよな。

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2012年8月12日 (日)

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

最近、国土交通省の「首都高速の再生に関する有識者会議」において、都心環状線の撤去等がとりざたされている首都高速道路だが、一番最初の建設に着手したのは、首都高速道路公団ではなく、日本道路公団だったというコネタ。

首都高速道路公団法が成立し、首都高速道路公団が発足したのは昭和34年6月。

しかし、現在の首都高速道路2号線については、日本道路公団が昭和33年度に事業化し、首都高設立の数ヶ月前に工事開始している。

(官報から引用開始)

道路公団公告第3号
 本公団において、東京都市高速道路の新設工事を下記のとおり実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の規定により公告します。

 昭和34年2月25日
日本道路公団 総裁 岸  道三

              記
 
路線名
都道銀座大崎線
工事の区間
東京都品川区西戸越1丁目から東京都港区芝汐留まで
工事の種類
新設工事
工事開始の日
昭和34年2月26日

(引用終了)

 なお、首都高速道路公団法の附則において、下記の通り引継手続は定められている。この2号線工事だけではなく、首都高速道路公団発足前の段階の諸調査は日本道路公団において実施されていたからである。

(日本道路公団からの引継等)
第9条 建設大臣が第30条第1項の基本計画を公団に指示した場合において、当該基本計画に含まれている道路に係る事業で日本道路公団が道路整備特別措置法第3条第1項の許可を受けて施行しているものについては、公団が同法第7条の3第1項の認可を受けているものとみなし、日本道路公団が当該事業に係る道路に関し同法又は道路法の規定によつてした処分、手続その他の行為は、公団がこれらの規定によつてした処分、手続その他の行為とみなす。この場合においては、日本道路公団は、遅滞なく、当該事業に関する事務を公団に引き継ぐものとする。

第10条 前条の事業に関し、同条の指示の際現に日本道路公団が有する権利及び義務は、その時において、公団が承継する。

第11条 公団は、日本道路公団が附則第9条前段の事業を行うために要した費用を日本道路公団に支払わなければならない。
2 前項の費用の額及びその支払方法については、公団及び日本道路公団が協議して定め、建設大臣の認可を受けなければならない。
3 前項の協議が成立しないときは、公団又は日本道路公団の申請に基き、建設大臣が裁定する。この場合において、建設大臣が裁定したときは、前項の協議が成立したものとみなす。
4 建設大臣が第2項の規定による認可をしようとするとき、又は前項の規定による裁定をしようとするときは、あらかじめ、大蔵大臣と協議しなければならない。

昭和34年8月18日に建設省告示において首都高速道路の当初路線が都市計画決定されているのだが、それをまたずに早々に日本道路公団において建設開始されているのはなぜか?また1号羽田線ならともかく、何故に2号線(地元の反対もあり、東京オリンピックには間に合っていない)なのか。昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録なども参照されたい。

読売新聞1958年(昭和33年)4月29日の記事

読売19580429

※首都高速道路の路線計画に係る経緯等は下記論文に詳しい。

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00041/1985/02-0037.pdf

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00041/1996/13-0001.pdf

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/1994/49-04-0406.pdf

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2012年8月 6日 (月)

日本道路公団の縦読み

日本道路公団がCIを導入して「JH」となったときのイメージソング「風のいるナビシート」

実は、ここに縦読みが仕込まれていた。

「は」なれているから
「い」たくなるこの胸
「う」まく言葉を
「え」らべないけど
「い」ま会いたい

で「ハイウェイ」の完成。

正式な社歌はこちら
http://homepage3.nifty.com/ID-note/midi/sonota/dourokoudan.html

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鳥飼大橋に行ってみた

詳しい形式の話はよくわからないのだが、日本道路公団設立時に大阪府から引き継いだ有料道路であった鳥飼大橋が解体されると聞いたので見に行った。


ここまでが南詰側。

ここからは北詰。



「昭和29年日本道路公団最初の有料橋として開通」といった記事がweb上では散見されるが、鳥飼大橋が開通した時には、まだ日本道路公団はない。(昭和31年4月設立)

昭和27年制定の道路整備特別措置法(旧法)http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01319520606169.htm により、道路管理者が有料道路を建設・管理できるよう定められたところ、下記(昭和29年4月15日の官報資料版から引用。クリックすると大きくなる。)のような有料道路が各道路管理者により建設されたものである。

なお、wikipediaの「鳥飼大橋」の項では「道路特別整備法」となっているが誤り。


昭和29年10月29日に開通して大阪府が管理していた鳥飼大橋を昭和31年7月1日に日本道路公団が引き継いだことが分かる官報公告。

本来は、昭和45年まで料金徴収することになったが前倒しして昭和39年に無料開放されることとなったことを示す官報公告。



なお、料金は、普通車100円、小型自動車70円、路線バス150円、その他のバス250円、特殊自動車250円、軽自動車30円、バイク20円となっている。

いろんなところに「鳥飼大橋は最初の有料道路橋」と書いてあるのだが、「道路法解説(建設省道路局監修)」には、

(引用開始)

旧法以前には、修路架橋運輸ノ便ヲ興ス者ニ入費税金徴収許可方(明治4年太政官布告台648号)により(中略)これに基づき各所に有料の橋や渡船施設が設置された

(引用終了)

とある。また、上記にいう道路法の旧法(大正8年)のことであるが、第25条、第26条に有料橋についての規定がある。

この辺りからすると、「鳥飼大橋は道路整備特別措置法に定められた有料道路としては初めて」というように条件をつける必要があると思われるのだが如何?


http://www.mlit.go.jp/road/ir/yuryou/1pdf/5.pdfから引用。

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200910_705/070505.pdf も参照されたし。

※ http://www.youtube.com/watch?v=OKNBVOe5UX4 に昔の動画が載っていた。

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