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2012年8月12日 (日)

首都高速道路を当初建設着手したのは日本道路公団(JH)だった

最近、国土交通省の「首都高速の再生に関する有識者会議」において、都心環状線の撤去等がとりざたされている首都高速道路だが、一番最初の建設に着手したのは、首都高速道路公団ではなく、日本道路公団だったというコネタ。

 

首都高速道路公団法が成立し、首都高速道路公団が発足したのは昭和34年6月。

 

しかし、現在の首都高速道路2号線については、日本道路公団が昭和33年度に事業化し、首都高設立の数ヶ月前に工事開始している。

 

(官報から引用開始)

 

道路公団公告第3号
 本公団において、東京都市高速道路の新設工事を下記のとおり実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の規定により公告します。

 

 昭和34年2月25日
日本道路公団 総裁 岸  道三

 

 

 

              記

 










 
路線名
都道銀座大崎線
工事の区間
東京都品川区西戸越1丁目から東京都港区芝汐留まで
工事の種類
新設工事
工事開始の日
昭和34年2月26日

 

(引用終了)

 なお、首都高速道路公団法の附則において、下記の通り引継手続は定められている。この2号線工事だけではなく、首都高速道路公団発足前の段階の諸調査は日本道路公団において実施されていたからである。

(日本道路公団からの引継等)
第9条 建設大臣が第30条第1項の基本計画を公団に指示した場合において、当該基本計画に含まれている道路に係る事業で日本道路公団が道路整備特別措置法第3条第1項の許可を受けて施行しているものについては、公団が同法第7条の3第1項の認可を受けているものとみなし、日本道路公団が当該事業に係る道路に関し同法又は道路法の規定によつてした処分、手続その他の行為は、公団がこれらの規定によつてした処分、手続その他の行為とみなす。この場合においては、日本道路公団は、遅滞なく、当該事業に関する事務を公団に引き継ぐものとする。

第10条 前条の事業に関し、同条の指示の際現に日本道路公団が有する権利及び義務は、その時において、公団が承継する。

第11条 公団は、日本道路公団が附則第9条前段の事業を行うために要した費用を日本道路公団に支払わなければならない。
2 前項の費用の額及びその支払方法については、公団及び日本道路公団が協議して定め、建設大臣の認可を受けなければならない。
3 前項の協議が成立しないときは、公団又は日本道路公団の申請に基き、建設大臣が裁定する。この場合において、建設大臣が裁定したときは、前項の協議が成立したものとみなす。
4 建設大臣が第2項の規定による認可をしようとするとき、又は前項の規定による裁定をしようとするときは、あらかじめ、大蔵大臣と協議しなければならない。

 

 

昭和34年8月18日に建設省告示において首都高速道路の当初路線が都市計画決定されているのだが、それをまたずに早々に日本道路公団において建設開始されているのはなぜか?また1号羽田線ならともかく、何故に2号線(地元の反対もあり、東京オリンピックには間に合っていない)なのか。昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録なども参照されたい。

 

読売新聞1958年(昭和33年)4月29日の記事

 

読売19580429

 

 

 

※首都高速道路の路線計画に係る経緯等は下記論文に詳しい。

 

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00041/1985/02-0037.pdf

 

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00041/1996/13-0001.pdf

 

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/1994/49-04-0406.pdf

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