三原橋地下街に係る疑獄について(その2)
三原橋の地下街、建物については以前も国会議事録等にのこされた疑獄について書いたところであるが、撮り壊しも目前に迫ったということでいろいろ記事も出始めた。
読売新聞編集委員・永峰好美氏の署名記事「名画座最後の特集で、昭和の銀座をしのぶ」では
45年の歴史を持ち、銀座唯一の名画座として映画ファンに親しまれてきた映画館「銀座シネパトス」の3月末での閉館が、刻々と近づいている。 閉館は、劇場がある三原橋地下街の耐震性の問題で昨年夏に取り壊しが決まり、東京都から立ち退き命令があったためだ。 同映画館は、1967年(昭和42年)から翌年、「銀座地球座」「銀座名画座」としてオープン。2009年からは3スクリーンのうちの1スクリーンを邦画専門の名画座としていて、特集上映のラインナップの自由さに私は魅惑されていた。そのことは、2010年4月23日付けの小欄に書いた。 名画座番組のプログラム・ディレクターをやっていたのが、映画評論家の樋口尚文さんで、2月4日付けの日経新聞朝刊に「さらば名画座」という一文を寄せている。彼は記す。「昭和の経済と文化の発展を支えた原動力は好きな道でとことん無茶をやるという、コンプライアンスに束縛されぬ自由な精神の賜物だった」と。 |
と呑気な記事が書いてあるのだが、三原橋の地下街、建物そのものが「コンプライアンスに束縛され」ない代物であったという笑えないお話である。
都が立ち退き命令だと? そういう事をさせるために高い都民税を納めているつもりはないし、その程度の杓子定規な判断を下す官吏を食わすために高い都民税を納めているつもりもない。
— 樋口真嗣さん (@higuchishinji) 2012年7月20日
お怒りのシンジくんも、そこの劇場がどういう経緯でそこにあるのか下記の記事等を読んでいただけると幸いだ。
読売新聞 1951(昭和26)年9月11日 生まれかわる三原橋下 将来はテレビ館も 三十間堀の埋立工事により三原橋下に近代的な遊歩階段ができたと思ったトタンリンゴ箱の掘立小屋が出現、都市美台無しと嘆かせているが、このほど都および都観光協会のキモいりで某観光会社が橋下に都内でも珍しい総合娯楽場を設けることとなり今月末着工、12月25日に完成する。 |
まだ、この辺はよかったのだが。。(この「ニュース専門映画館」が銀座シネパトス1の源流のようだ。)
朝日新聞 1953(昭和28)年6月9日 三原橋地下街が大モメ 都・観光協会・地元が三つどもえで 近ごろ三原橋の地下街(中央区三十間堀埋立地)はパチンコ屋、飲み屋が軒なみにふえてきた。ところがこれは「都の観光事業のために使う」という約束で都が財団法人東京都観光協会(代表安井都知事)に貸したもので、地元の中央区議会では「まるでバクチ場みたいになってしまった。約束が違う」とカンカン。都観光協会、地元が三つどもえになって争っている。だが業者たちはどこ吹く風と涼しい顔だ。この紛争、いつ解決するか見通しもつかないようだ。 問題の三原橋下(253坪)は26年7月、東京都観光協会が観光案内書、全国の名物、商品陳列所などの観光事業に使用するといって金60万円余を寄付して東京都から借り受けた同協会はこれを同年8月新東京観光株式会社(代表宮地知覚氏)に又貸ししてしまった。このとき使用目的については都の三十間堀埋立運営委員会の決定に従わなければならないとの条件がついていたというのだ。ところが実際にはパチンコ屋、飲み屋が軒をつらね、最近はまた堂々とビルの建築がはじまった。そこで三十間堀埋立運営委員会では、観光事業どころか風致風俗を俗悪化するばかりだ、と撤去を申し入れたがラチがあかないので、遂に地元中央区議会は「契約を無視した不法使用だ」といきまき、都議会に意見書を提出するほどこじれてしまった。 ”目的違反だ” ”違反ではない” ”使用目的は変更したはず” ”再三撤去を申し入れたが” |
と、間もなく本来の用途ではない使用状況(これは現在にも続いているようだが)が問題になった。
(※ウェブで機種依存文字である丸数字を使うのは私のポリシーに反するのであるが、原文ママということでお許しを)
パチンコ屋、飲み屋では困るから観光事業のために使ってくれと再三申し入れているが、なかなかいうことを聞かない
朝日新聞 1953(昭和28)年8月29日朝刊 なめられた都 弱腰に地元住民怒る 「明らかに使用目的違反だから撤去するよう申し入れる」と岡安副知事が言明した問題の三原橋下ゲームセンター(中央区三十間堀埋立地)は、それから2カ月半もたつというのに都当局や中央区議会をあざ笑うかのように相変わらずパチンコ屋、飲み屋が軒を連ねて大はんじょうだ。「都の弱腰が業者にナメられているのだ」「イヤ、都と業者がグルになっているからだ」とうるさいウワサも飛んで都側の言行不一致と生ぬるい処置に地元はカンカンだ。 一昨年、新東京観光株式会社(代表宮地知覚氏)が東京都観光協会(会長安井都知事)の委託で観光事業に使うという条件で、同地下街を借り受けたが、その大半をパチンコ屋、飲み屋にまた貸ししてしまったもの。これに強く反対した中央区議会では都議会に意見書を出したり、地元有志は「まるでバクチ場みたいだ」と憤っている。 |
「地元はカンカン」で、東京都議会で取り上げられ、都も撤去を申し入れることになったものの対応されない状況。
私が前の記事で取り上げた国会での問答(岡安副知事の答弁については、国会でも行われている。)もこのころに行われている。
都当局や中央区議会をあざ笑うかのように相変わらずパチンコ屋、飲み屋が軒を連ねて大はんじょうだ。
銀座シネパトス閉館記念映画?「インターミッション」のウェブサイトによると、上記記事でやり玉に挙げられた「ゲームセンター」は、1954(昭和29)年に、「銀座東映」になり、後に現在のシネパトス2及び3になったと記されている。
読売新聞 1954(昭和29)年10月30日 三原橋商店街は不法建築 都幹部も運営参加 土一升、金一升といわれる東京だけに道路にまで家がはみ出す不法建築が少なくない。都建設局ではこうした無法な道路侵略者が千数百件にものぼっているので告発や強制執行などの強権を発動して一掃につとめているが、皮肉なことに中央区銀座三原橋の都有地が問題を起こしている。三十間堀の埋立がすんだあとこの三原橋の両側と橋下は道路と指定されたにもかかわらず、安井都知事自身が会長をしている東京観光協会が観光事業のためといって借り受けたうえ、使用料をとて第三者に譲り、いまは商店街に早変わりするという現状である。しかもこの三原橋の運営には都庁幹部も監督上参画しており、都庁自ら道路を不法占用しているという事実がある。 三原橋は三十間堀の埋立工事が行われたとき橋下もふくめて道路ということになった。ところが26年8月28日、東京観光協会の安井協会長名義で橋下を観光案内所と商品陳列所にしたいと都へ使用方が申請され、そのまま許可された。ついで27年9月30日、橋下では観光案内に不適当であるというので橋上の料は輪に2階建のビルを建てたいと同じく安井協会長の名前で申請され、同10月30日観光案内所、常設物産即売所として許可された。 安井知事談『あの問題は私の知らない間に申請、建設されたもので、知事の怠慢といわれればそれまでだが、全く都民に対し申訳ないと思っている。現在都民の納得ゆくような改善工作をすすめ、徹底的に整備するつもりでいるが、なかなか思うようにゆかず困っている』 宮路(原文ママ)新東京観光株式会社社長談『私は二代目社長だが都との使用契約についてよく知らない』 |
読売新聞は「不法建築」と紹介している。永峰好美記者も三文ライターならともかく編集委員なら「名画座最後の特集で、昭和の銀座をしのぶ」なんて呑気な記事を書いていないで、自社記事をひもといて「昭和の銀座の混乱期の象徴もやっと解消」くらいは触れるべきなんじゃないの?
そもそも耐震性の問題よりも「そこにあること自体が問題で行政や地元が長年苦慮してきたところ、やっと耐震の問題もからめて協議に応じた」という状況のように推測されるのだが、「閉館は、劇場がある三原橋地下街の耐震性の問題で昨年夏に取り壊しが決まり、東京都から立ち退き命令があったためだ。」と劇場側の言い分をそのまま書いていいの?それでも編集委員?(読売新聞の記者のレベルはこんなものなんですということを編集委員自らが体現しているというのであればそれはそれで結構)
そんな記事を書くから、上記の@higuchishinjiの怒りのツイートを呼びこんでしまうのだろう。都庁の担当さんは怒られ損だ。
朝日新聞 1969(昭和44)年7月1日 ぜいたくな流用 銀座・三原橋の地下街 商店が入居に反対 万策つきて倉庫街 4年越しお役所仕事の末路 1億81千万円の工費をかけ、40年3月に完成した銀座の地下商店街が、ついに倉庫に化ける。完成当時、都が入居してくれるはずと信じた三原橋会の商店16店舗は「人の通らない場所では商売ができない。地下には絶対、行かぬ」との態度を終始変えず、弱り果てた都が、ついに「とりあえず倉庫と会議室にする」ことにしてしまった。ズサンなお役所仕事が生んだこの地下街騒動、4年を過ぎたが、いまでも解決のメドすらついていない。 |
東銀座の謎の地下街がこんなところでつながってくるのか。。日比谷線建設工事に伴い三原橋地下街が支障となるので、地下鉄工事建設にあわせて立ち退き先を準備→しかし移転しない。→地下街の通路も三原橋地下街を残したままに今もへこんでいる。というわけか。
行政側の視点でいくと「立ち退かないのであれば、行政側で立ち退き場所を公費で準備してまでやっても、結局居すわった」ということですかね。業者側にも言い分はあるのでしょうが。
先ほどの読売新聞永峰記者もそうだが、この朝日新聞記者も、そもそも三原橋に営業する業者がどのような経緯でそこで営業しているかを自社記事で調べて書けばこのような「親方日の丸」で済ませるような記事にはならなかったのではないか。
このあたりのドアを開けると、幻の地下街に通じるのだろうか?(あてずっぽうで全く根拠はありませぬ。)
なお
地下鉄日比谷線の上に謎の映画館!?
によると、下記のへっ込んでいるところが三原橋地下街だという。
東銀座駅~銀座駅の地下通路が一旦上がってまた降りてまた上がるという不思議な階段になっているのは、そこに三原橋地下街があるかららしい。
なお、地下街に係る不法占拠物件に係るトラブルというと大阪の梅田駅地下街新聞販売スタンドにまつわるあれこれ(大阪花の博覧会前に撤去)が有名であるが、下記PDFの31頁以降に経緯が掲載されているのでご参考まで。
http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1991_data/seminar9105.pdf
≪追記≫
Q なぜ閉館してしまうの?
A 2011年3月の大震災をきっかけに、劇場のある三原橋地下街の耐震性の問題が浮上。取り壊しが決まり、東京都より立ち退き要請があったため、2013年3月31日に閉館が決定した。
と記されている。各種記事の「立ち退き命令」とは違う。シンジくんの怒りのツイートのハシゴが外されてしまった。読売の永峰記者の記事も嘘になってしまった。昨年7月20日の最初の記事から何かリアクションがあったことを邪推させる。
また、都議会ネットリポートでは、「二棟の建物所有者とは、これまで話し合いを行ってまいりましたが、本年(注:平成20年=2008年)二月に至り、双方、解決に向けて協議していくことを確認いたしました。」となっているし、この質問の中で三原橋の老朽化についても問答がなされている。シネパトスの「2011年3月の大震災をきっかけ」よりも3年前だ。
このあたりの矛盾も、年月が経てば明らかになってくるのか?矛を収めるためには、それぞれの立場でそれぞれの大義名分が必要ということは理解できる。
「その後、当初の目的である観光案内所としての機能が終了したため」という東京都建設局長の答弁は、そういう意味では簡潔かつ関係各所の顔をつぶさないという意味では名文だ。相当練りこんだものと推測される。
| 固定リンク | 0
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 「せっかく買ったものをNHKにやるのは遺憾千万」~「いだてん」と「ワシントンハイツ」と「NHK」(2019.11.26)
- チコちゃんを叱ってみる「お年寄りをシルバーで呼ぶのは国鉄のシルバーシート由来なのか?」(2018.05.20)
- 「首都高をオリンピックに間に合わせるためには『空中作戦だ』」のアンビリバボーを検証してみる(2018.04.08)
- シン・ゴジラと条文の書き方(2018.01.08)
- サンクトペテルブルグ地下鉄車中で踊るスパイダーマン(2016.05.06)
「道路」カテゴリの記事
- 上越新幹線燕三条駅と北陸自動車道三条燕ICの命名経緯を検証する(2023.06.24)
- 毎日新聞【⿊川晋史記者】「五輪が来たニッポン︓1964→2021 都市の姿、環境優先へ」とプロジェクトX「空中作戦」(2021.08.08)
- 階段国道339号に公共交通機関(JR津軽線と路線バス)で行く方法(2021.05.03)
- 階段国道339号にまつわる謎にチャレンジしてみた(2021.05.02)
「ドボク」カテゴリの記事
- 「京葉線の東京駅は、成田新幹線用に確保した用地に作った」という人が多いから登記簿をとってみた(2021.06.09)
- 富士スピードウェイのストレートは「飛行機の離着陸にも利用できるようにした」と大成建設富士スピードウェイ建設作業所長が土木雑誌に書いている。(2021.04.08)
- 『首都高が日本橋の上を通るにあたって、当時の技術者は「苦渋」「冒瀆」と感じた』と土木学会や佐藤健太郎はいうけれども本当だろうか(2020.11.23)
- 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか(2020.02.18)
- 福川裕一千葉大名誉教授監修の「ニッポンのまちのしくみ」が酷い(2020.02.07)
「高架下」カテゴリの記事
- 東京高速道路(KK線)が廃道になって、高架緑地になるとの報道を聞いて(2020.01.02)
- マスコミは「首都高で日本橋の景観が損なわれた」って言うけど、作った当時は何て言ってたのさ-首都高日本橋附近の地下化関連(2)(2017.08.19)
- 首都高の日本橋川区間のデザイン検討について-首都高日本橋附近の地下化関連(1)(2017.08.17)
- 大阪・中津高架下訴訟の判決は2017年3月30日(追記あり)(2017.03.15)
- 森口将之氏「首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由」は勉強不足(2016.11.04)
「建築」カテゴリの記事
- 新宿西口甲州街道交差点 なぜ南側の一角だけビルの背が低いのか等を登記簿から探る(2021.05.01)
- 住宅公団の団地内店舗設置基準に関する研究結果(2020.03.21)
- 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか(2020.02.18)
- 都庁幹部が語る西武乗り入れ中止の背景~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(22)(2020.01.25)
- 思いもつかないところから西武線新宿駅乗入れのカラー想像図が~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(21)(2020.01.25)
「三原橋地下街」カテゴリの記事
- 東京オリンピックに向けて銀座の地下で何が起こっていたのか(2020.02.18)
- アド街・日比谷特集記念/日比谷地下道はなぜ一方通行なのか?(2018.06.09)
- 三原橋地下街絶賛解体中(2017.04.08)
- 東銀座 幻の地下街について東京都の公式コメント(議会答弁)があった。(2016.10.31)
- 日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた(2015.10.31)
コメント
8月3日(日)14時から、東京国際フォーラム5階 G505会議室で、三原橋の未来と価値を検証する 緊急シンポジウムを開催します。皆様是非ご参加ください。https://www.facebook.com/events/428467660629373/?fref=ts
投稿: 三原橋を考える市民の会 | 2014年7月27日 (日) 11時30分