竹内正浩著「地図と愉しむ東京歴史散歩」を読んで思ったこと(駄)
あまりにどうでもよいことを書くので、まあ読み飛ばしてもらってよいですw
竹内正浩著「地図と愉しむ東京歴史散歩」146頁に下記のような記述がある。
首都高速道路羽田線の一部として平成2年に開通したにもかかわらず、わずか八年で供用中止にいたった羽田可動橋も不思議な存在である。 (中略) 羽田可動橋は間違いなく東京一の無用の長物である。その無用ぶりが愛らしい。 |
だが、竹内氏は、何故に
『「湾岸線が未開通で羽田線の渋滞が深刻だった」平成2年に開通し、「平成6年に空港西~大黒JCTが開通する等湾岸線の整備が進んだ後に」供用中止にいたった』
と書かなかったのだろうか?
平成2年開通等といったことを調べた際に、上記のことは当然出てくるはずなのだが。。
羽田可動橋の意義等については、「道路行政セミナー」1990年8月号 首都高速道路の渋滞対策 ―大井インターチェンジ・羽田トンネル付近改良の効果― に詳しい。
http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1990_data/seminar9008.pdf
高速横羽線上りは、横浜市内と東京23区、千葉方面を直接接続する自動車専用道路であるため、交通需要が集中し、昼間は、羽田トンネルを先頭に10~15kmの激しい渋滞が慢性的に発生していた。この渋滞は、 ①多大な交通需要 ②羽田トンネルによる、交通容量の低下 ③トンネル直前の空港入路からの一日約14,000台もの利用交通量 が、主な原因である。このうち、①の多大な交通需要を分散するために、現在、湾岸線3、4期の建設を進めており、これらが完成する平成6年度には、この渋滞は、解消すると予想される。 |
ということで、当初から湾岸線開通までの時限の渋滞対策だったように思われる。
肝心の羽田可動橋については下記の目的だった。
その、一期工事は、渋滞原因のひとつである、現在の空港入路をトンネル通過後の森ケ崎側に移設するもので、この場合、海老取川を渡河する際には、船舶の航行を考慮して大型の船舶航行時に橋桁が回転して開くユニークな「可動橋」を採用している。 |
その効果については、下記のとおり。
一期工事完成前は、下りの縦断勾配部のトンネル入口という交通容量を減少させる要因のある区間に空港入路が合流していた。完成後は、空港入路の合流が比較的線形が良く、交通容量の減少要因の少ない地点に移ったため、捌け量が増加し、渋滞の緩和に効果を発揮していると考えている。 |
羽田可動橋が役に立ったことを書いてしまうと「無用の長物」という結論が書きにくくなってしまうので、竹内氏はわざと伏せたのだろうか?
なお、上記の「空港入路」は、湾岸線開通後に改称され「空港西」となっているほか、当時は首都高ではジャンクションという用語は使っていなかったため「大井インターチェンジ」となっている。
こちらも併せて読みたい。
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/1990/45-01-0628.pdf
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