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2013年5月

2013年5月25日 (土)

三原橋地下街等をめぐる経緯を年表にしてみた

今まで、三原橋地下街等をめぐる経緯を年表の形でまとめたものを見たことがなかったので、作ってみた。
(もし、追加すべきいいネタがあれば是非ご教示いただきますようお願いします。)
19530331

年月日  事象  引用元
1919年1月19日  現・三原橋開通。歌舞伎座寄贈の大アーチに、橋の両側には紅白の柱に万国旗を渡した式場を設け、東京市長らが渡り初め。築地精養軒で祝賀会。  1919年1月20日読売新聞
1948年2月6日 連合国最高司令部「統制団体除去政策に関する覚書」発出。 長谷川淳一氏論文 
1948年3月30日  東京都議会は、三十間堀川等の都心部河川の残土による埋立案を通過させた。 長谷川淳一氏論文
1948年4月1日  三十間堀川埋め立て工事着工。年内完成予定。「商店もマーケット化を防ぐため都が統制して美しい様式の商店街とする」とのこと。  1948年4月2日朝日新聞
1948年4月2日 朝日新聞に「三十間堀に第二銀座」の記事掲載。 1948年4月2日朝日新聞 
1948年10月22日  読売新聞に「”東銀座”早くも紛争 文化的商店街と分割案対立」の記事掲載。 1948年10月22日読売新聞 
1949年3月8日  三十間堀川埋立地処理審議会規程  東京都公文書館 
1949年3月9日  東京都同人会が三原橋下の使用申請を東京都へ提出(都政相談所、救急治療所、職員倶楽部?、商品陳列、観光案内)。 1956年2月28日東京都庁議 
1949年3月19日  読売新聞に「来春にはモダン街 ”東銀座”月末から入札」の記事掲載。「三原橋付近は事務所として売り出す」とのこと。 1949年3月19日読売新聞
1949年7月 東京都知事名で露天商組合94団体に対して解散指示書が発せられた。 長谷川淳一氏論文 
1949年7月30日 三十間堀川埋立工事竣功認可について  東京都公文書館
1949年9月  東京都と警視庁が露店自体の撤廃(1950年4月から)を決定。 長谷川淳一氏論文 
1949年9月29日  東京都露店整理連絡委員会規程制定 東京都公文書館
1949年12月  東京都観光協会が三原橋下の使用申請を東京都へ提出(観光案内、商品陳列)。 1956年2月28日東京都庁議 
1949年12月13日  読売新聞に「銀座の土地売却中 東京の中心地三十間堀川埋立地を売却いたします」との広告掲載。 1949年12月13日読売新聞
1950年 新東京観光株式会社設立 1982年4月15日朝日新聞 
1950年1月17日 三原橋及び鍛冶橋下の占用について 東京都公文書館 
1950年2月1日  都は、東京都同人会に対して許可することとし、権利金相当の寄付金632万5千円の納入方を通知した。 1956年2月28日東京都庁議 
1950年2月14日  東京都建設局内に臨時露店対策部を設置。石川栄耀局長の指揮の下、露店業者との折衝を強化。 東京都組織沿革
1950年5月12日  東京都同人会は寄付金があまりにも高額であることを理由に申請を取り下げた。 1956年2月28日東京都庁議 
1950年7月21日  東京都同人会が申請を取り下げたため、東京都観光協会へに対して許可することとし、権利金相当の寄付金632万5千円の納入方を通知した。 1956年2月28日東京都庁議 
1951年7月10日  東京都観光協会は寄付金632万5千円の納付を条件として新東京観光株式会社と土地の管理利用に関する事業委託の仮契約を締結した。 1956年2月28日東京都庁議 
1951年8月28日  都は、東京都観光協会に対して三原橋下の道路占用許可を与えた。 1956年2月28日東京都庁議 
1951年8月28日  東京都観光協会は新東京観光株式会社と占用許可を受けた土地の管理利用に関する事業委託の契約を正式に締結した。 1956年2月28日東京都庁議 
1950年10月11日 衆議院地方行政委員会で東京都の露店対策が議論され、東京都石川栄耀局長等が参考人として説明。  衆議院議事録
1951年5月22日  読売新聞に「銀座バタ屋部落 一流の心地よさ 三十間堀埋立地に68戸」の記事掲載。  1951年5月22日読売新聞 
1951年8月  東京都幹部、東京都観光協会、新東京観光株式会社で「三原橋運営委員会」を組織  1954年10月30日読売新聞 
1951年8月28日 東京都観光協会(会長:安井都知事)が、三原橋下を観光案内所にしたいと都に申請  1954年10月30日読売新聞 
1951年9月11日 読売新聞に「生まれかわる三原橋下 将来はテレビ館も 年末に総合娯楽場お目見得」の記事掲載 1951年9月11日読売新聞 
1951年10月25日  新東京観光株式会社は三原橋下の建築許可を受けた。 1956年2月28日東京都庁議 
1951年11月17日  東京都観光協会からの願出により、都は三原橋下の一部を劇場並びに娯楽場に変更することを許可した。 1956年2月28日東京都庁議 
1952年1月  岩波写真文庫47「東京-大都会の顔-」に三十間堀の埋立地、三原橋地下街の写真掲載。キャプションとして「埋立中の壕は被整理露店商の収容地に予定されている」と記載されている。  岩波写真文庫47「東京-大都会の顔-」
1952年3月31日 東京都臨時露店対策部廃止  東京都組織沿革
1952年4月3日 読売新聞に「銀座露店また引越し こんどは三十間堀に」の記事掲載。「露店廃止で銀座を追われ数寄屋橋公園に移転した露店が銀座五丁目三十間堀埋立地に移転。4日から店開きする。」とのこと。   1952年4月3日読売新聞  
1952年4月25日  三原橋下建築の工事完成。 1956年2月28日東京都庁議 
1952年8月7日  新東京観光株式会社が東京都観光協会にビルの貸付を申請(観光協会による都への申請よりも前に?)  都議会議事録 
1952年9月30日 東京都観光協会(会長:安井都知事)が、三原橋の両側にビルを建てたいと都に申請   1954年10月30日読売新聞
都議会議事録
1956年2月28日東京都庁議  
1952年10月30日 上記申請に対しビルの建設が観光案内所、常設物販即売所として許可 1954年10月30日読売新聞
都議会議事録
1956年2月28日東京都庁議
1952年10月31日  東京都観光協会は新東京観光株式会社と三原橋両側の土地の管理利用に関する事業委託の契約を締結した。 1956年2月28日東京都庁議 
1952年11月20日  新東京観光株式会社が旅行あっ旋業の登録(役員の氏名等が掲載)  1953年7月4日官報 
1952年1月26日  都は新東京観光株式会社に三原橋下建築物の増築申請に対して建築許可を与えた。 1956年2月28日東京都庁議 
1953年1月15日  新東京観光株式会社が三原橋両側建築物の建設に着工した。 1956年2月28日東京都庁議 
1953年3月20日   読売新聞に「ニュース専門館に文化映画が進出」の記事掲載。
文中「ニュース映画専門上映劇場」として「テアトル(三原橋)」があげられる。 
1953年3月20日読売新聞  
1953年3月31日  朝日新聞に「銀座 三原橋上にビル 二階建で観光事業に」の記事掲載。
ビル建設中の写真やビル模型の写真が掲載されている。新東京観光の会長が多久元東京市助役とのこと。
1953年3月31日朝日新聞 
1953年6月9日  朝日新聞に「三原橋地下街が大モメ 都・観光協会・地元が三つどもえで ”違約”と怒る区議会 業者は涼しい顔で工事」の記事掲載。  1953年6月9日朝日新聞 
1953年6月10日 中央区議会が都知事並びに都議会へ「三原橋問題に関する質問書」を提出  1953年10月9日都政新報 
1953年6月15日  東京都議会で守本又雄議員が、三原橋地下街等について質問  都議会議事録 
1953年6月19日  朝日新聞に「近く取払い 三原橋地下街ゲームセンター」の記事掲載。  1953年6月19日朝日新聞
1953年8月29日  朝日新聞に「なめられた都 弱腰に地元民怒る ”副知事言明”あざ笑う 相変わらずのパチンコ屋」の記事掲載。 1953年8月29日朝日新聞 
1953年8月31日  三原橋両側建築物が完成した。 1956年2月28日東京都庁議 
1953年9月8日  朝日新聞に「三原橋の両側に橋上ビル店開き」の記事掲載。 1953年9月8日朝日新聞
1953年9月22日 朝日新聞に「遂に消える露天商 三原橋わきの440店 銀座館マートへ」の記事掲載。 1953年9月22日朝日新聞
1953年10月9日  都政新報に「安井謙氏も関係か?=三原橋に歓楽街出現= 中央区会の抗議も無視」の記事掲載。 
安井謙氏は安井都知事の実弟とのこと。
1953年10月9日都政新報  
1953年12月26日  都から東京都観光協会へ三原橋両側土地についての権利金相当の寄付金984万円を納付するよう通知した。東京都観光協会は委託契約により新東京観光株式会社へ同金額を納付するよう通知した。(しかし、1956年2月20日現在で700万円が未納となっている。) 1956年2月28日東京都庁議 
1954年5月25日  朝日新聞に「バタ屋立退き 銀座三原橋きわ」の記事掲載。 1954年5月25日朝日新聞 
1954年7月7日  読売新聞に「三原橋地下街 銀座ゲームセンター」の広告掲載  1954年7月7日読売新聞
1954年10月21日  衆議院地方行政委員会で取り上げられる。 国会議事録 
1954年10月30日  読売新聞に「三原橋商店街は不法建築 使用目的”観光案内所”が化ける」との記事掲載 1954年10月30日読売新聞 
1954年11月10日 衆議院地方行政委員会で取り上げられる。中央区議会議長及び東京都副知事が参考人として事情を説明。  国会議事録 
1954年  銀座ゲームセンターが銀座東映に 銀座シネパトスについて
1956年2月25日 【庁議】「三原橋」問題の処理について 東京都公文書館
1956年2月28日 【庁議】「三原橋」問題の処理について  東京都公文書館 
1957年5月6日 地元ビル会社が都知事、都観光協会等を相手取り、「三原橋の両側使用許可の無効確認、撤去」の訴えを東京地裁に持ち込んだ。  1957年5月28日朝日新聞
1957年5月27日 東京都議会建設労働委員会が、三原橋建物撤去期成同盟から出されていた「三原橋両側の建物撤去」の請願を審議。
(※都議会図書館に確認したところによると、当時の委員会の議事録は作成されていないとのこと。)
1957年5月28日朝日新聞
1957年5月28日 朝日新聞に「三原橋ぎわの建物撤去問題 判決あるまで留保 都議会建設労働委 態度決定延ばす」の記事掲載。  1957年5月28日朝日新聞
1958年2月5日 読売新聞に「三原橋の東映焼く 朝の銀座 まだ開館しないうち」の記事掲載。 1958年2月5日読売新聞
1958年 付近住民から「この土地は緑地になるはずだったのだから、ビルは撤去してほしい」との請願が出され、都議会が採択。 1982年4月15日朝日新聞 
1958年4月 東京都がビルに係る土地使用料(ママ)を請求しなくなる。 1982年4月15日朝日新聞 
1959年5月26日  IOC総会において、東京オリンピックの開催が決まる  
1961年  東京都観光協会が解散 1982年4月15日朝日新聞 
1961年2月  「オリンピックを迎える首都東京の展望」(株式会社政治新聞社刊)に写真掲載。「銀座東映、テアトルニュース」の看板等が見える。  
1961年10月27日 東京都首都整備局は都心部の幹線道路網の改良計画を検討しており、日比谷-三原橋間の地下自動車専用道路計画を発表。
なお地下鉄2号線(日比谷線)が競合する帝都高速度交通営団は反対。
1961年10月28日読売新聞 
1961年10月28日  読売新聞に「都心に地下道 日比谷から三原橋」の記事掲載。 1961年10月28日読売新聞
1961年11月29日 読売新聞に「地下自動車道修正して着工 日比谷-三原橋」の記事掲載。 1961年11月29日読売新聞 
1962年1月13日 読売新聞に「日比谷→三原橋 自動車専用道路 地下三階ときまる 来月早々にも着工」の記事掲載。 1962年1月13日読売新聞
1963年3月15日 読売新聞に「銀座-日比谷地下自動車道 計画本きまり」の記事掲載。 三原橋まで建設されることはなくなった。 1963年3月15日読売新聞 
1964年8月29日 営団地下鉄日比谷線東銀座~霞ケ関開通  東京メトロwebサイト 
1964年10月9日 読売新聞に「愈々明10日・新装開店 テアトル三原橋」の広告掲載。 1964年10月9日読売新聞
1964年10月10日  東京オリンピック開催  
1965年3月  三原橋の商店の移転先として地下街が完成。しかし移転交渉は難航し、移転は実現せず。 1969年7月1日朝日新聞
1992年8月1日読売新聞  
1967年10月3日 テアトルニュース跡に「銀座地球座」をオープン。洋ピンを上映。 銀座シネパトスについて
1968年9月1日 銀座東映跡に「銀座名画座」をオープン。こちらは邦画ピンク映画。  銀座シネパトスについて 
1969年7月1日  朝日新聞に「ぜいたくな流用 銀座・三原橋の地下街 商店が入居に反対 万策つきて倉庫外 四年越し お役所仕事の末路」の記事掲載。  1969年7月1日朝日新聞 
1973年7月31日 通達「地下街の取扱いについて」  
1974年6月28日 通達「地下街に関する基本方針について」地下街の規制に関する取扱方針や設置計画策定に関する基準を示した。  
1982年4月15日  朝日新聞に「銀座のまん中 借地料タダ 都が管理 緑地計画がらみの国有地 立ち退き不調・・・24年 「払う」「いや待ってくれ」」の記事掲載 1982年4月15日朝日新聞
1988年5月17日 朝日新聞に「サラバ ポルノ映画館よ」の記事掲載。
ポルノ映画を上映してきた銀座名画座(邦画)及び銀座地球座(洋画)を一般映画劇場へ、
1988年5月17日朝日新聞
1992年8月1日 読売新聞に「とうきょう地下探訪⑥ 27年開かずの”商店街” 「商売できない」入居ゼロ 結局は都の文書倉庫に」 の記事掲載。 1992年8月1日読売新聞 
2008年2月27日  東京都議会において都建設局長が「二棟の建物所有者とは、これまで話し合いを行ってまいりましたが、本年二月に至り、双方、解決に向けて協議していくことを確認いたしました。」 と答弁 都議会ネットリポート
2010年4月23日  読売新聞に「銀座通信 今だから新鮮な銀座レトロ・スポット 三原橋地下街を探訪」の記事掲載。
「戦後しばらくは、闇市の露店を整理した三原橋観光館があった。」とのこと
2010年4月23日読売新聞
2011年3月11日 東日本大震災   
2012年7月20日 銀座シネパトスの3月末閉館が報道される。  2012年7月20日共同通信ほか
2012年8月27日 東京新聞に「三原橋地下街よさらば 老朽化で取り壊しへ」の記事掲載。
「銀座では路上にあふれる露店商も問題となった。地下街は彼らの営業場所として整備された」とのこと。
取材を受けた方のブログに掲載
2013年4月4日 日刊spaにおいて「名物映画館も消滅…新歌舞伎座の脇に佇む最古の地下街を歩く」の記事掲載。
「震災を機に、この土地を持っている東京都がさ、耐震性がどうのこうのって言ってきたらしくてね。それで、ここで一番大きい(テナントの)映画館が『立ち退きます』って言ってハンコを押しちゃったわけ。映画館がハンコ押しちゃったらもう、ウチらもおしまいだよ」「所有する東京都などは震災後、耐震性や防災上の観点から、こうしたテナント類の道路占有(ママ)許可について更新を断った。」 とのこと。
 日刊spa
2013年4月19日  日本経済新聞に河尻定氏が「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」というずさんな取材のお笑い記事を書く。 2013年4月19日日本経済新聞

こうやって見ると、三原橋地下街等を露店整理のためとした記事は、2010年以降に限られるのであった。
岩波写真文庫のキャプションも「壕」であって、「地下街に露店商を収容」とは書いていない。

読売新聞永峰好美、東京新聞小林由比、日経新聞河尻定の皆さんにはぜひその根拠をご教示いただきたいものだ。

また、建物の保存を各所に働きかけている方は、上記に見るような地元との関係を理解されたうえで取り組まれていることであろうことを望むものである。

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三原橋地下街や橋上のビルに係る経緯の公式見解(都議会議事録)にたどり着いた

日経新聞の「東京ふしぎ探検隊」に、「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ>」という河尻定氏が書いた娯楽記事で「露天商を収容する目的で地下街を造った」なんてことが書かれていた。

河尻定氏の記事について疑問を書き散らしたのが、先日の「日経新聞 「東京ふしぎ探検隊」河尻定氏記事「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」に係る疑義」である。
これをまとめるにあたって、朝日新聞 1953(昭和28)年8月29日朝刊に出てくる「去る6月の都議会で地元選出の守本又雄議員(社)の「使用目的違反だから都側の善処を要望する」との質問に前記岡安副知事の言明となったもの。」というあたりが気になっていたので調べてきた。
(下記画像はクリックすると大きくなります。)
東京都議会 本会議 (1953年6月16日)議事録
三原橋都議会答弁0
三原橋都議会答弁1
三原橋都議会答弁2
三原橋都議会答弁3
三原橋都議会答弁4
三原橋都議会答弁5
〔五十六番守本又雄君登壇〕
〇五十六番(守本又雄君)私は都有財産の管理について知事にお尋ねいたしたいのでございますが、御存じのように都有財産が常に問題を起し、本都議会におきましても都有財産の調査会等を設けまして、起つた問題に対する調査が行われている。こういうことは理事者の皆様も御存じであろうと思うのであります。私はこういう面から考えましてこの都有財産の管理がきわめて放漫である、しかもまた怠慢である、こう考えているのでございます。なぜならば、私どもの知っている範囲内におきましても、たとえば都の住宅用地として指定されている用地を自動車の置場として、しかも終戦後五年も六年もそのまま民間業者に使わして利益をあげさしている。あるいは戦災によって焼けた橋のいわゆる道路に向って、またいろいろな施設をつくって利潤をあげている。あるいはまた緑地地帯として指定されている地帯をこれまた昆間の業者に貸し与えて利潤をあげさしている。こういう管理が行われておりますることはわれわれは非常に遺憾に思うのであります。いわゆる東京都民は終戦以来今日まで犠牲の連続であります。住宅にいたしましても、毎年ふえる多くの人口を抱えながら、しかも住宅の犠牲を払っている。あるいはま
た都市計画が打立てられる面におきましても、立退き等の犠牲を払っているのであります。さらに水害の問題にいたしましても、その水害防止の対策が十分なされないために、いわゆる水害の犠牲をこうむっているというような犠牲の連続であります。さらに重税を課せられている。国税を払ってさらにその所得に事業税がかけられ、さらにまた区民税、都民税がかけられているというような、いわゆる血のにじみ出るような税金を払っているのでございます。かくのごとくにあらゆる犠牲を払っているのでありまずけれども、.東京都の復興のために善良なる都民は協力を惜しんでいるのではありません。協力をしてこの苦しい生活を続けておりまするときに、この気持に対して私は東京都の財産を一坪なりとも無意義にこれを使用さしてはならぬと思うのであります。もしそういう土地が民間に使用させねばならぬというようなことで不要であるならば、それを適正価格によって払下げをして、都の財政の一助にしてしかるべきだろうと思うのであります。かような点から申し上げますならば数限りなくあるのでございまずけれども、それらの面は後日にいたしまして、当面起っておりまする問題を知事にお尋ねいたしたいのであります。
 いわゆる三十間堀の三原橋を中心とした両側に目下鉄筋コンクリートの二階建がつくられております。この鉄筋コンクリートの二階建の敷地が三五一・一平方メートルあるのでありまして、この時価が四千五百万円といわれているのでございます。さらにもう一つお尋ねいたしたいことは、その三原橋の銀座寄りに元橋台敷であったのでありまするけれども、この橋台敷が十一坪でありまするが、これは都の都市計画によって緑地地帯に指定されているのでありまするが、これまた民間に貸しまして、現在緑地の指定をしているにもかかわらず、これを実行しようとしていない。この二点をお尋ねいたしたいと思うのであります。知事も御存じのように昭和二十三年だつたと思いまするが、東京都の残土がうず高くあの道に積み重ねられまして、その上に塵芥が山をなしておったのであります。当時東京都はその塵芥を処理いたしますために三十聞堀の埋立てをいたしまして、そうしてこの埋め立てた土地を売却するという一石二鳥を狙って、地元の強い反対を押し切って遂に埋立てを完了いたしだのでございます。その当時地元の反対を説得いたしますために東京都議会の代表並びに中央区議会の代表、地元民の代表、理事者の代表等二十九名をもつて三十間堀運営委員会で組織されまして、そこで知事の諮問機関として審議決定を見ましたことは、知事の手元までその決定事項が出してありまするし、また知事もそれを了承されたので、よくおわかりになろうと思うのであります。当時の状態から考えますならば、あの土地をやみ市のような不健全な町の性格をつくってはならぬ。さらに防火の面を考えまして、少くとも隣接地域との間に二メートルの間隔を置いて、防火の面に対する処置をとるということも上申されているのであります。さらに三原橋のあの橋はそのまま残しまして、その下を健全な商店とし、あるいは娯楽機関とする。同時にあの周辺をロータリーにいたしまして、三原橋が一周り回れるような構想を立ててやるべきであるということもいろいろ論議されたのであります。さらにまた今コンクリート造りを建てておりまする三五一・一平方メートルのところはこれに緑を植える、こういうことが決定を見ておったのであります。しかるにこの三十間堀運営委員会が決定をいたしまして数年を経過しているのでございまするけれども国会で問題になりましたように東京温泉のような施設ができてみたり、あるいは委員会が決定しているにもかかわらず十三尺の防火の間隔を置かない。こういう姿になって、当時上申いたしましたこととはおよそ違つた性格の町ができつつあるのであります。こういう面から考えまして、三原橋のあそこに何ゆえにああいう防壁のような二階建の鉄筋コンクリートの家をつくらせなければならないのか。知事は少くとも都市計画の面において、駅前のように多くの人が頻繁に通っておりまするところは広場をつくつて、いわゆる交通の緩和をはかるということが考えられているのでございます。しかるに三原橋は東京都の中心地区でありまする関係上、非常な交通量を有しているのであります。この大きな交通量を有しているにもかかわらず、あの両側に高いコンクリートの壁をつくりますと向う先が見えません。ちょうどロータリーの真ん中に家を建てたと同然であります。こういう建物が建てられておるのでございまするが、これが東京観光協会、すなわ東京観光協会の会長は安井さんのはずであります。
この安井さんの会長である東京観光協会があの土地を東京都知事の安井さんから借り受けて、その借り受けた観光協会が新東京観光株式会社という営利を対象とする会社にこれを貸し与えて、この会社がそこに今家をつくっているのでございます。こういう面から考えましても、知事は都市計画を一面には進めながら、一面には埋立てによってあの広場ができたにもかかわらず、知事が関係しているところの観光協会の手を通じて民間業者に貸さなければならなかった理由をお尋ねいたしたいのであります。
 さらにもう一つは、観光協会が東京都に使用許可の申請をいたしましたのが昭和二十七年九月三十日でございます。九月三十日に観光協会が安井誠一郎氏の名前をもつて、東京都知事である,安井さん宛にこの使用の願出をしているのでございます。しかして十月三十日にこの許可がなされております。ところが一面、この東京観光協会が新東京観光株式会社に通達をしているものを考えますと、「昭和二十七年八月七日附をもつて申請に係る表記の件については本月三十日附東京都知事より写の通り許可になったから許可条件に反せぬよう厳重に留意の上施行されたい」という通達が行っているのでございます。こうなって参りますと、観光協会が都に対して使用許可申請をいたしましたより約一箇月と二十五日も早く、新東京観光株式会社から東京観光協会に対して貸してもらいたいという話合がなされておったのではないかと思うのであります。かような公共団体という美名に隠れて、しかも法の盲点といいますか、条例の盲点といいますか、そういう面を潜って、しかも営利会社であるところの新東京観光株式会社にこれを貸し与えている。それが東京都知.事であり、観光協会の会長であるといたしまするならば、この点についてどういうお考えを持っておられるか、これもひとつお聞きしたいのでございます。
 さらにお尋ねいたしたいのでありますが、それは三原橋の銀座寄りにありますところの十一坪の緑地帯であります。これも先ほど申上げましたように、都市計画課より中央区長宛に都市計画用地に変更するからという通達が来ているのであります。従ってあの土地は小公園あるいは緑地帯として都は建設して行かなければならぬにもかかわらず、鳥居とかいうその隣接地域を買った人にその土地をまた貸している。先ほど見て参りますと、そこへちゃんと家が建っている。しかも新東京観光株式会社の建築に用いました事務所がそのまま現存している。それをそのまま無償でもらって、都からは地所をそのまま無償で借りているのでありますから、あれはいわゆるそのまま既成事実をつくって、永久に所得託される結果が招来するのであります。私はあの繁華な、交通量の一番多い地区においては、一日も早く緑地帯をつくってもらわなければならぬ。ああいう壁のようなものをつくってもらったのでは交通上に大きな支障があることを憂えるために、この問題について知事に詳細な御答弁を願い、御説明を願いまして、説明のいかんによりましては再び質問に立ちます。

〔知事安井誠一郎登壇〕
○知事(安井誠一郎君)守本さんの只今の御質問に対しましては、事務上のことがこまかくわかっておりまする岡安副知事より御答弁を申上げますから、御了承願います。

〔副知事岡安彦三郎君登壇〕
○副知事(岡安彦三郎君)只今守本さんから都有財産の管理についての御意見がございましたが、それに関連して三原橋の貸付の問題、さらに橋台敷の緑地の問題の御質問がございましたのでお答え申し上げます。
 まず都有財産の管理でございまずが、これにつきましては先般来問題がございまして、すでに都議会におきましても調査委員会のありますことは御存知の通りであります。ただ都におきましては厖大な土地または家屋を持っておりますので、すでに二年来その調査をいたしまして、去年の暮から一応の線が出て参りましたので、最近おそらく財務委員会の方には御報告したのではないかと思いまするが、その数字によりますると不正確なのは一〇〇%のうち二%半か一%何分、さような数字になっております。しかしそれにしましてもなんとも善良なる管理者として管理すべきでございますので、今後につきましては一〇〇%間違いないようにやりたいということを考えておりますので、この点を申上げたいと存じます。
 そこで御指摘の三原橋の問題でございますが、二十三年にあの三十間堀を埋め立てまして、その土地を売却いたし、これをもって都市計画の財源にいたしましたことは事実でございます。また三原橋のあの.橋の附近は下を健全なる娯楽場にするか、あるいはこれを東京商品の見本の場所にするか、あるいはその際にロータリーにする、こういう話があったことも私は聞いております。しかしごらんになりましたように、あそこはロータリーにはちよつと急激になっておりますのでできかねると思うのであります。三原橋の下に入りますには相当傾斜面が強いのであります。従って今は段々になって中に入っているのであります。ただその橋脚の下を観光協会に貸しまして娯楽場にする、こういう点につきましてはすでに御案内の通り、ことに守本さんよく御存じの通りでございまするが、映画館があり、あるいは娯楽場の一つとしてのパチンコ屋がございます。それから飲み屋がございます。この点につきましては私らもはなはだ遺憾に存じております。従って観光協会を通じ、また新東京観光会社にもこの施設の撤回改善を命じているようなわけであります。そこでこの上の問題が只今出て参りましてが、その通りでございます。
現在約百坪にわたり五十坪五十坪両側になっておりますところに鉄筋コンクリートで二階建の建物が建っておりまするが、これは先ほども申しましたように東京観光協会、これは安井知事が会長でございます東京都のいわゆる外郭団体で、東京都の観光施設、東京都の商品を日本全国に宣伝する、こういう機関として設立していることは事実でございます。その理事には都議会議員の方もなっております。その観光協会にあの土地を貸まして、観光協会で建物を建て、観光宣伝に使うというのが建前でございまするが、御存じのように観光協会には今なかなか資金がございません。東京都から年々わずかでございまするが三十万円の補助をしておりますので、観光協会としましては三十万円では足りない。もっと年額二百万、三百万の補助金がほしい。こういうことになっておりまするが、都の財政上これが許しませんので、今そのままになっております。しかし今申しますように、何としましても都の外郭団体である観光協会をして、東京商品の宣伝、東京の観光施設をつくらせるということは、非常にいいことだと思います。しかし観光協会が自分の費用ではできませんので、新日本観光株式会社に事業委託をやらしたのであります。その結果、あそこに建物を建てました。今後できますれば、あそこで東京商品の陳列、東京へ参ります人に東
京の観光宣伝をする。あるいは東京に参りまする外国人または地方から参ります人に、東京の商品を販売する、こういう計画で建てておるのであります。ただこの間におきまして四千万円というお話がございますが、確かにあれがまともの地所でありますれば、坪三十万円、四十万円はしましよう。しかし御存じのようにこれは宙に浮いた土地であります。従ってこれを普通の土地にしますには相当の費用がかかるのであります。そういう点を勘案いたしまして、現在寄付金と申しますか、権利金等につきましては、観光協会あるいは新日本観光株式会社と折衝中でございます。そういうわけであそこにできまする建物は、私は考えますのに確かに東京の一つの名物に相なるつもりであります。また名物にしたいと思って語ります。東京に行けば観光事業として、こんなりっぱなものがあるという考えを持ってやっております。従ってこの新日本観光株式会社の運営につきましては、都の理事者、観光協会の役員、それと会社の者、この三者寄り集まりましたいわゆる協議会をつくりまして、これが運営につきまして万全を期して行きたい、こういうふうに考えておる次第であります。
 次に橋台敷の十一坪の緑地帯の話が出ておりますが、確かにあそこには昔便所がございまして、そのまわりを緑地帯とするということになったのは事実でございます。これは私らも必ず緑地帯にいたします。ただ現在では三原橋の上の建物のために、臨時に新日本観光株式会社にバラックを建てさせておりますが、これが完成の暁には、このバラックは当然取払わせる、もしも取払わなければ私らは強制執行をいたしまして、その上でこれは緑地帯にいたします。ただここで今回できまする三原橋のすぐそばに、今後指摘の鳥居なにがしが土地を買って語りますが、この人もやはり本建築をしたいので、本建築をする間、工事現場にするために二月でも三月でも貸してくれんかという話がございましたので私の方としましても、あれをすぐ取壊わす、いずれ三原橋の上ができ上れば当然きれいにすべき土地でございますので、その間臨時に、貸しておることは事実でございます。しかしこれも今申しますように臨時でございますので、決してこれに居座わられるとか、あるいはこれを鳥居なにがしに売るとか、こういうことは御懸念はございません。私どもは責任を持ってこれを取戻しまして、緑地帯にいたす、こういう考えでございます。
この点、御答弁申上げます。

〔五十六番守本又又雄君登壇〕
〇五十六番(守本又雄君)只今の御答弁によりますと、岡安さんに私の質問が少し徹底しないのではないかと思いますので申上げますが、いわゆる三十間堀の運営委員会という民意を反映したものに反して、なぜそこにそれを建てなければならないか、観光事業ということに対して、私どもはこれを軽視しておる者ではございませんが、観光事業を行うために、わざわざ地元民、あるいは今日中央区議会では、全面的に反対を表明して東京都議会議長あてに、その意見を聴取したいという書類が参っているはすだと思います。こういうように地元の人たちが反対し、そうした地元のいわゆる民意によって決定されたことをくつがえして、なぜあの三原橋の両側に、その建築をしなければならなかったのかということを、私はお聞きしておるのであります。ただ観光協会が観光事業として三原橋の両側にあれだけの建築をして、両方に壁をつくるのでありますから、なるほどそれは東京一のいわゆる名物になるでありましよう。しかしながらその周辺の商店は、それがためにどれくらいの迷惑をこうむるか、こういうことも私はあわせて考えてもらわねばならんと思うのでありまして、こういう点で私はお聞きしておるわけであります。
あそこを名物にするというならば、都市計画は何のためにやっておるのかということを私はお尋ねしたいのであります。わざわざ人が住んでおるところを、強制立退きで移動させて、しかもそこにわざわざ広場をつくっておる、この都市計画のあり方から考えましても、せっかく埋立てによって、広場ができておる、それをああいう建築をして、そこを狭めて行くといたしますならば、都市計画の将来に対して大きな障害が起るであろうと、私はこの点を杞憂するのであります。
さらに都民の健康の面から考えましても、衛生の面から考えましても、あの通風を妨げけような建物のあり方というものは、不健全な建物であると言わざるを得ないのであります。そういう意味から、いわゆる東京観光協会と東京都とのこの契約内容の中に、いわゆる本件の許可は周囲の利害関係に関する異議の申立てがあったとぎは、必要に応じて許可を取消し、契約者の負担において原状に回復させることにする。こういうようないわゆる条文が入っているのであります。従って今日三原橋のあの建築をめぐって、中央区議会が全面的にこれに反対しているのであります。さらに周辺の住民にいたしましても、あの防塞のような壁をつくられた場合、営業に相当な支障があるというので、反対を続けておるのでありますが、こういう反対が明らかにありました以上は、東京都としては、この許可に際して取消す意思がある.のかどうかということも、あわせてお伺いいたします。
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〔議長退席、副議長着席〕
〔副知事岡安彦三郎君登壇〕
○副知事(岡安彦三郎君)重ねての御質問にお答え申上げます。都市計画の見地からいたしまして広場をつくり、あるいは道路を拡張する、この点につきましては異論のないところであります。ただあの場合にあそこにつくることは都市計画の見地から、私は決して不当ではないと考えたのであります。これは皆様ごらんをいただけばわかると思いますが、そこらの狭い所を広くする都市計画に反対する、あるいは広場をつくるのに反対する、こういう意味ではございません。あそこにつくりましても決して狭まるというようなことは考えておりません。
 それから三十間堀運営委員会の諮問事項でございますが、あれについては私はあの当時、たしか財務局長として一、二回委員会に出ましてお話は承ったのでありますが、あの時には別にあそこにそういうものを建ててはいかんというような諮問の意見はなかった。こういうふうに私は承知して語ります。それから隣り近所の反対、これは確かに観光協会に許可いたしました条件の一つでございますが、私らの申しますところの隣り近所の隣りといいますのは、今回許可いたしました場所とすぐ接続の地主、こういう意味に解釈して語ります。御指摘のようにそのすぐそばの地主さんは、かりに、あそこに大きな建物を建てますれば、非常に迷惑する。そのことは考えられましたので、その条件は確かにつけましたが、これはその関連の地主は、全部了承しておるような次第でございます。従って私はこういう点で、観光協会をして建てさせた、事業委託をさせた、こいうつもりでございます。御了承をいただきたいと思います。

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ご覧のとおり「露天商を収容する目的で地下街を造った」なんてことは一切書かれていない。
「これを読まずして三原橋地下街を語るなかれ」というような一次資料ではないだろうか、と思っていたら、これを入手した直後にもっと重要なのではないかと思われる資料の存在を知った。
東京都公文書館には下記の文書が保存され、閲覧できるらしい。これは行かねば。。
概要情報選択
1 【文書・資料群ID】東京都 【公開件名】【庁議】三原橋及び鍛冶橋の下の占用について 【文書記号・番号】第14号 【補助件名】庁議 【文書年度(和暦)】昭和25年~ 【起案年月日(和暦)】昭和25年01月17日 【文書年度(西暦)】1950年~ 【起案年月日(西暦)】1950年01月17日 【資料種別】公文書_件名_都 【記述レベル】item 【利用可否】利用可 【請求番号】328.A5.01 【収録先簿冊の資料ID】000145462 【マイクロフィルムリール番号 35mm】 (33)018
2 【文書・資料群ID】東京都 【公開件名】【庁議】「三原橋」問題の処理について 【文書記号・番号】第10号 【補助件名】庁議 【文書年度(和暦)】昭和31年~ 【起案年月日(和暦)】昭和31年02月25日 【文書年度(西暦)】1956年~ 【起案年月日(西暦)】1956年02月25日 【資料種別】公文書_件名_都 【記述レベル】item 【利用可否】利用可 【請求番号】328.A7.06 【収録先簿冊の資料ID】000145821
3 【文書・資料群ID】東京都 【公開件名】【庁議】「三原橋」問題の処理について 【文書記号・番号】第10号 【補助件名】庁議 【文書年度(和暦)】昭和31年~ 【起案年月日(和暦)】昭和31年02月28日 【文書年度(西暦)】1956年~ 【起案年月日(西暦)】1956年02月28日 【資料種別】公文書_件名_都 【記述レベル】item 【利用可否】利用可 【請求番号】328.A7.11 【収録先簿冊の資料ID】000145877
(追記) 上記公文書について調べてきました。あわせてご覧ください。

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2013年5月 3日 (金)

ベイスターズ トニ・ブランコ選手 第16号ツーランホームラン

横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン
2013年5月1日横浜DeNAベイスターズ対東京ヤクルトスワローズ戦@横浜スタジアム 7回裏押本投手から一旦逆転となる2ランホームランをブランコ選手が放つ。

得点圏打率4割 長打率8割3分5厘 とおかしなことになっている。



以下、上記動画をばらした連続写真でご覧下さい。

横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン 横浜DeNAベイスターズ トニ・ブランコ ホームラン

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ベイスターズ 中村紀洋選手 日米通算2000本安打をホームランで決める!

同じく、2013年5月1日横浜ベイスターズ中村紀洋選手が日米通算2000本安打をホームランで決めた。

4回の裏の打席

残念ながらホームランの瞬間の写真はありませぬ。。

投手はスワローズ赤川


ラミレスと決めのポーズ!



ライトスタンドへ挨拶

3塁側へも挨拶

レフトスタンドへも挨拶。ノリさん白すぎw

東スポによると

 2000安打といえば打者なら誰もが目標とする数字。2003年12月に名球会の規約が改定されてからは米大リーグでの成績も合算されることになり、中村は堂々と有資格者となった。それなのに派手なセレモニーもなければ記者会見も用意されなかったのは、中村本人の意向があったからだ。

 2005年にドジャースでプレーした中村が放った安打はわずか5本。そのほとんどを傘下の3Aラスベガスで過ごしたこともあり、米国での1年間は本人いわく「罰ゲーム」だった。消去したい過去でしかなく、中村は「(メジャーでの)5本を思い出そうとしても思い出せない。5本はなかったことで。スッキリといい形でいきたい」と日本通算2000安打にこだわった。

 この日はテレビ各局が日米通算2000安打達成のコメントを取ろうと集まったが中村は拒否。通常の囲み取材には応じたものの「勝って気持ちよく名古屋に行ける。3日か4日に意地でも(達成)したいなと思う」と話すにとどまった。


あとは残り5本!!

下記動画は、当日最初の打席のものです

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2013年5月 2日 (木)

ベイスターズ 金城龍彦選手 サヨナラホームラン!

2013年5月1日 横浜DeNAベイスターズ対東京ヤクルトスワローズ戦を見てきました。

ご存じのとおり、金城選手が延長10回裏にサヨナラホームラン!
ビデオで撮った歓喜のヒーローインタビューはこちら!

あとはふつうのデジカメ画像で




























金城選手ありがとう!横浜移転以来の大洋ファンだけど、現地観戦でサヨナラ本塁打で勝ったのは初めて見た!山口が打たれたのはさんざん見たがな!(遠藤が打たれたのも見てます)

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