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2013年6月

2013年6月29日 (土)

横浜スタジアムの位置は市営地下鉄(未成線)でコントロールされていた

横浜スタジアムに行く際に横浜市営地下鉄の関内駅を使う方はそれなりにいらっしゃると思うが、「横浜スタジアムがなぜその位置にあるのか?そこに地下鉄がどう関係しているのか?」というお話。

横浜都市発展記念館で展示された『ベースボール・シティ横浜 ハマと野球の昭和史』の図録に横浜スタジアムの計画図が掲載されていたのだが、そこに市役所右側から日本大通へ抜ける点線が横浜スタジアムの外野席を避けるように走っている。

なんじゃこれ?と思いよく見ると、YMCAの前の交差点あたりに「地下高速鉄道(予定線)」らしき字が見える。

外野スタンドの杭が、地下鉄予定路線にギリギリあたらないようになっているのも分かる。(外野スタンドの雨垂線の下には入っているが、杭は当たらないというまさにギリギリ)
つまり、地下鉄の計画と両立させようとすると、これ以上、横浜スタジアムを海側に持っていくことは不可能だったということ。

横浜スタジアム計画図
横浜スタジアムと未成地下鉄
市営地下鉄(ブルーライン)は、現在でこそ横浜駅から関内駅を経由して戸塚方面に行くルートだが、計画線としては分岐して山下公園から本牧方面に行く路線もあった。

横浜市営地下鉄計画路線

尾上町で赤い路線(戸塚方面)と青い路線(本牧方面)が分岐しているが、その青い路線が横浜スタジアムをかすめるように日本大通から山下町へ向かう計画だったのだなあと。

参考:関内駅にある使用してない線路は何?

http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kids/hushigi/q06.html
横浜市では、ブルーライン(湘南台駅~あざみ野駅間)の関内駅を基点に、湘南台方面を1号線、あざみ野方面を3号線と呼んでいます。計画段階では、3号線が山下町まで延び、関内駅は分岐駅になる予定であったため、同一階のホームで乗り換えることができる形式(島式2面ホーム形式)で造られましたが、みなとみらい線の計画により、3号線の関内~山下町間は廃止になりました。

ついでに余談だが、首都高速狩場線は、今は石川町駅付近の川の上を走っているが、当初の計画は大通公園がある場所を高架で市内に入る予定だった。(坂東橋出入口がその名残なのかもしれない。)
横羽線も高架の予定であったが、あわせて変更になり、半地下に潜った。その余波を受けて、市営地下鉄の桜木町駅を準備していたゴールデンセンタービルのホーム予定施設が使えなくなり、更に一つ地下にホームを作った。というながれだったっけ??

(追記)

横浜市でその辺の業務を担当していた方のレポートが掲載されているのを発見

「都心部の高速道路地下化に至る組織的決定の構造と田村明」 (田口俊夫)

阪東橋出入り口は、やっぱり市内に高架で入っていく名残だった。

(追記終わり)

横浜ドーム(笑)計画のころ、「横浜スタジアムはなぜこれ以上大きくできないのか」については、法令を確認したが、このコントロールポイントは知らんかったわ。

(参考)

都市公園法

(定義)
第2条
第2項 この法律において「公園施設」とは、都市公園の効用を全うするため当該都市公園に設けられる次の各号に掲げる施設をいう。
同項第5号 野球場、陸上競技場、水泳プールその他の運動施設で政令で定めるもの
(公園施設の設置基準)
第4条
第1項 一の都市公園に公園施設として設けられる建築物の建築面積の総計は、当該都市公園の敷地面積の百分の二をこえてはならない。ただし動物園を設ける場合その他政令で定める特別の場合においては、政令で定める範囲内でこれをこえることができる。

都市公園法施行令

(許容建築面積の特例)
第5条
第1項 都市公園に前条第2項に規定する休養施設、同条第4項に規定する運動施設(中略)を設ける場合においては、当該休養施設、当該運動施設(中略)で建築物で あるものに限り、当該都市公園の敷地面積の百分の十を限度として、法第4条第1項本文の規定により認められる建築面積を超えることができる。
(公園施設に関する制限等)
第8条
第1項 一の都市公園に設ける運動施設の敷地面積の総計は、当該都市公園の敷地面積の百分の五十をこえてはならない。

    ※都市公園法施行令は、平成の世になっても「職業野球」という用語を使っていたというマニア向けの施行令でしたが、Jリーグができたときに「プロサッカーチーム」という用語が追加されたのに伴い、「プロ野球チーム」に改正されてしまいました。残念。

右側に建設中の横浜スタジアムが写っています。

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2013年6月14日 (金)

鈍色ではない、京都大学ギャングスターズ

鈍色(にびいろ)という言葉を初めて聞いたのは、甲子園ボウル直前の毎日放送の深夜特番で日本大学フェニックスの篠竹監督(当時)が、京都大学ギャングスターズを指して言ったときである。
京大といえば、緑色と灰色であった。
京都大学ギャングスターズ

2011年東大ウオリアーズVS京大ギャングスターズ定期戦でキープするQB#19小原

ところが、今年、その京大のユニフォームから「鈍色」が消えて、今風になったのである。

これはこれでかっこいいけどね。

2013年6月9日東大ウオリアーズVS京大ギャングスターズ定期戦@アミノバイタルフィールドを観戦してきた。

京都大学ギャングスターズ

QB#19小原、RB#42丸山、RB#21大上、WR#80竹内、WR#84粉川、WR#8大江のバックス陣

え、ショットガンなの?ショットガンにしては、このRBのつき方はなに?おじさんは、ファイヤーフライとかドラゴンフライとかゴールデンドラゴンフライなら分かるけど最近のは分からんのよ。(後で調べるとピストルフォーメーションと言うらしいですな。)

京都大学ギャングスターズ

QB#19小原からボールを受けるRB#7鈴木、リードブロッカーRB#42丸山

京都大学ギャングスターズ

QB#19小原からボールを受けゴールラインに突進するRB#21大上

京都大学ギャングスターズ

京都大学ギャングスターズ

パス攻撃に出るQB#19小原

京都大学ギャングスターズ

WR#80竹内パスキャッチ成功

京都大学ギャングスターズ

WR#11飯坂へパスを投じるQB#19小原

京都大学ギャングスターズ

東大のパス攻撃をインターセプトするLB#3鶴薗

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2013年6月12日 (水)

昭和31年2月28日東京都庁議「三原橋」問題の処理について→関係局間においてなお検討すること

先に、三原橋地下街の当初占用許可に係る文書を紹介したのだが、私のブログでも取り上げているように、その後大きな問題となっていった。都議会のみならず、国会でも取り上げられるようになり、東京都としても対処に迫られたものと思われる。

三原橋地下街経緯公文書016

三原橋地下街経緯公文書001

三原橋地下街経緯公文書002
三原橋地下街経緯公文書003
三原橋地下街経緯公文書004
三原橋地下街経緯公文書005
三原橋地下街経緯公文書006
三原橋地下街経緯公文書007
三原橋地下街経緯公文書008
三原橋地下街経緯公文書009
三原橋地下街経緯公文書010
三原橋地下街経緯公文書011
三原橋地下街経緯公文書012
三原橋地下街経緯公文書013
三原橋地下街経緯公文書014
三原橋地下街経緯公文書015
三原橋地下街経緯公文書017

いきなり「マル秘」に心が小躍りしてしまうわけだが、マル秘のぶっちゃけ内部文書にも「露店を収容」とは一言も出てこないのだよ>日経の河尻定さん。











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三原橋地下街の当初占用許可に係る東京都庁議公文書

さんざん書き散らかしてきた三原橋についてだが、やっと本丸にたどりついた感じ。
日経新聞の「東京ふしぎ探検隊」、「東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ」での河尻定氏の

東銀座周辺にはかつて三十間堀川が流れ、三原橋という橋が架かっていた。終戦後、戦災で生じたがれきの処分先として川は埋め立てられたが、なぜか橋桁だけが残った。1952年(昭和27年)に露天商を収容する目的で地下街を造った際も、橋桁を残したまま開業した。 

という記述のインチキさを証明しようとして、ずいぶん無理なアクセルを踏み込んできたような気もするが。

川尻定氏のインチキ記事と下記東京都の公文書とを比較していただきたいものだ。

(記事はクリックすると大きい写真にジャンプします。)

三原橋地下街経緯公文書018

三原橋地下街経緯公文書019

三原橋地下街経緯公文書020

三原橋地下街経緯公文書021

三原橋地下街経緯公文書022

三原橋地下街経緯公文書023

川尻定さん見てる~?「露店商を収容」ってどこに書いてある~?

「なぜか橋桁だけが残った」(川尻定サイト)のではなくて「交通その他の事情を考慮し現状の儘当分これを存置」(上記文書1頁目)ともあるねえ。

それはさておき、三原橋下の出願者は第1に「東京都同人会」とあるが、これは許可は得たものの、寄付金の高さに辞退した。そこで、件の「東京都観光協会」が繰り上がったものである。この辺の経緯は別頁で。

また、許可条件に「13.許可期間が満了したときは、道路管理者の指示に従い、遅滞なく施設物を撤去し現状に回復すること」とある。

どなたかのブログに、現在三原橋地下街で営業中の店主が「都は立ち退き料も払わない」と言った云々という記事を拝見したが、そもそも、立ち退き料どころか、自費で地下街を撤去して都に返すというのが条件なのである。

しかし、これを読んでいると鍛冶橋の下にも同じような(それも三原橋よりも大規模な)地下街が作られることになっていたのである。この辺どうなったのだろう。

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2013年6月11日 (火)

#路面電車の日だから路面電車の写真挙げる

6月10日は、「路面電車の日」らしいので参戦してみた。













あと、ここも

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6a0e.html

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