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2013年8月22日 (木)

国道1号の未成道路「第二横浜新道」

第二横浜新道記事(1971年9月2日読売)

第二横浜新道事業化を報じる記事(1971年9月2日読売)
要約すると、日本道路公団は昭和47年度の事業計画を公表。一般有料道路として「第二横浜新道」横浜市港北区菅田町-藤沢市城南 22.8kmに新規着工する。完成予定は昭和53年4月。といったところですか。
(※記事中「南横浜バイパス」とは、現在の「横浜横須賀道路」のこと)
手元の地図では港北区菅田ではなく神奈川区菅田のような気もするが、記事は記事なのでしゃあない。
神奈川区菅田(第三京浜道路から分岐?)
藤沢市城南(新湘南バイパスへ合流?)
 
「よこはまの道路 1979」(横浜市道路局・編)によるとこんな感じの道路ネットワークとなるようだ。
第二横浜新道 横浜小田原道路 首都高磯子線

 「横浜小田原道路」は、現在の圏央道(横浜横須賀道路金沢支線、横浜環状道路南線、横浜湘南道路)とダブる。また「横浜県央道路」は、現在の武相幹線(第二東名)であろうか。(2)神奈川区域

 昭和47年3月22日付け官報に掲載された「首都圏近郊整備地帯整備計画」では

2 道路整備計画

(2)神奈川区域

ⅰ 横浜・川崎地区  本地区と既成市街地及び周辺主要都市とを連絡する一般国道1号、16号等の主要な道路の整備をすすめるとともに本地区及び周辺地区における住宅団地の開発、工業、流通業務地の整備、レクリエーション地区の整備等に伴なう交通需要の増大に対処するため東京環状道路、第2横浜新道及び横浜県央道路等の基幹道路の建設を推進する。

昭和49年6月8日付け官報に掲載された「昭和四十九年度首都圏事業計画」では調査、設計を行うこととされている。

第二横浜新道

その後、どうなっていったかというと、昭和47年にさっそく路線変更の請願が国会に提出されている。

      
- 参議院 - 建設委員会 - 2号
昭和47年11月13日

本日の会議に付した案件
(中略)
○第二横浜新道(計画路線)の路線変更に関する請願(第二二一号)

地元で反対があり、事業はストップしてしまったようだ。オイルショックの影響もあったのかもしれない。(根拠なし)

       
-衆議院-予算委員会第五分科会-1号
昭和54年02月27日

○草野分科員 次に、別な問題でございますけれども、第二横浜新道、かつて計画がございまして、この計画はいろいろと地元でも反対があったようでございますけれども、その後どうなっているのか、また他の路線というようなことも考えておられるのかどうか。

○山根政府委員 第二横浜新道につきましては、先ほど先生御指摘のように種々の問題がありまして、なかなか計画を固める段階に至らないまま今日に来ているというのが実情でございます。
 では、この地域の長期的な道路網をどう考えるか、こういう点につきましては、関東地方建設局が中心になりまして各地方公共団体といろいろ打ち合わせをしながら、どういう考え方をとるべきかということを現在いろいろ検討している段階でございます。  

で、そのまま消え去り、NEXCOには引き継がれなかったのであった。。
 
 国会答弁にある「この地域の長期的な道路網」ということで、機能自体は、横浜環状道路や横浜環状2号線に引き継がれたのだろうか?
 
 なお、別線を作ることが断念された横浜新道は、現道を4車線から6車線に拡幅する工事がその後行われている。
 
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(追記)昭和57年5月4日付け神奈川新聞に幻化した状態の記事が掲載されていた。
未成道 第二横浜新道

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