「海の廃道 道路公団フェリー」
以前、某所に提供したスライドをUPしてみる。文章は、プレゼン用のコメントなので「しゃべり言葉」である。気持ち悪いかもしれないがご容赦いただきたい。
かつて「日本道路公団が管理していたフェリー」に注目しています。
道路法第2条で、渡船施設が道路として認められていることについては、皆様は、既にご存知と思います。
道路公団フェリーについては、道路法に加え、有料道路として管理していくうえで、道路整備特別措置法において位置づけられる必要があります。
道路整備特別措置法については、日本道路公団設立前の昭和27年に施行された「旧法」があり、公団フェリーのうち、明石フェリーと鳴門フェリーが、公団設立前に「有料道路」として供用開始しています。
これは、旧道路整備特別措置法において有料道路として位置づけられていたものです。
赤枠で囲った部分に明石フェリーと鳴門フェリーがあります。
関門トンネルと真鶴道路(新道)は、いわゆる「維持管理有料」で、永久有料とすることが特別に認められた有料道路です。
立山道路は、現在は一般の車は通行できませんが、扱いは道路整備特別措置法上の有料道路です。
昭和31年に、道路整備特別措置法の新法と日本道路公団法が施行され、県が管理していた明石フェリーと鳴門フェリーが日本道路公団へ引き継がれました。
昭和時代に、既に全ての航路が道路公団の手を離れ、現在は、九四フェリーを残すのみとなっています。
さて、道路公団から民間企業に譲渡(廃道)されてから30年近くたっていますが、実際 に、明石フェリーの現場に、「日本道路公団フェリー」時代の名残を探してみましょう。
(写真は、平成22年の夏に現地を訪れたものです。) これは、淡路島側の岩屋港の桟橋です。 後ろに見える白いつり橋は明石海峡大橋です。
いきなり、「追突注意」が公団フォントです。
これは、明石港の一般道の案内看板ですが 「姫路」「神戸」「深夜出口」が「公団フォント」です。
右側は、先ほどの岩屋港の桟橋の公団フォント付きの情報板ですが
左側は、昔の日本道路公団のインターチェンジの料金所の写真です。
情報板が同じようなものを使っているのがお分かりでしょうか?
※現在は、ETCレーンのガントリーがあったり、LED化されたりしていますが、昔は字幕式の情報板がインターチェンジに設置されていました。
同じ機械を桟橋にも設置したのではないでしょうか。
こちらは、明石港の入口にあった情報板です。
左側が、かつての道路公団が設置していた情報板です。
今でこそ、ブラックフェイスにカラーLEDですが、昔は「ドブメッキ」に字幕式の表示でした。 これも高速道路と同じ機械が港に転用されていたものと思われます。
料金所も見てみましょう。
これは明石港の料金所です。
赤マルの部分をご注目ください。
「料金所一旦停止」の看板が「公団フォント」ですね。
左は、現在のインターチェンジですが、料金所レーンに設置されているコンクリートの舟型のブロックが類似しています。
また、レーンの上部の屋根に設置された赤青の信号灯も類似しています。
高速道路が住宅地等を走っている際にドライバーに「静かに」と訴えている看板です。
「静かに坊や」と呼ぶ方もいらっしゃるようですが、それが住宅地に設置されている様子です。
右側は岩屋港、左側は明石港です。
なお、本来は高速道路に設置される「静かに坊や」の看板が、一般道に設置されている様を、公団フォント作成者の「ぱんかれ」さんが「野良(のら)静かに坊や」と呼んでいますが、その典型ですね。
これは、岩屋港のマンホールです。
JHマークではなく、円形の旧・道路公団マークです。
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昭和末期のバブル時代から平成の初頭にかけて、企業では「CIブーム」が巻き起こり、多くの企業で、社名やマークを変更することとなりました。
日本道路公団が愛称を「JH」とし、マークもJHマークとしたのは、平成3年です。(かつてハイウェイラジオのジングルとして使われていた「風のいるナビシート」もCI導入の一環です。)
昭和61年に公団から民間企業に移管された明石フェリーには、当然JHマークはついていません。
青い空の下、緑の大地を白い道が突き抜けていくイメージですね。
空にある丸は、太陽のようですが、よく見ると「公団」の「公」の字です。
これは、明石港にある、明石フェリーの記念碑です。
よく見ると、一番下に「完成昭和38年」とあります。
先ほどもご紹介したように、兵庫県により明石フェリーが供用開始したのは、昭和29年です。
ところが、この記念碑には「昭和38年完成」と記載されています。
これはどういうことなのでしょう?
資料を調べてみると 昭和31年に兵庫県から日本道路公団が引き継いだ後に、フェリーや接岸施設を増強した工事が行われており、その完成記念碑のようです。
注:スライド3ページの明石・鳴門フェリーでは、2つの航路で「フェリー4隻、接岸施設4か所」とある。
スライド23ページの石碑では、明石フェリーだけで「フェリー3隻、接岸バース4か所」とある。
道路公団のフェリーは、道路としての道路法、有料道路としての道路整備特別措置法の手続に基づいて管理されています。
ここが、民間企業の「国道フェリー」との大きな違いになります。
では、道路施設としてのフェリーに道路区域をかける場合には、どの範囲を示すのでしょうか?
ここで引用しているのは「道路管理の手引」という専門書ですが「海上ルートの点線部分は、道路区域決定しない」とあります。 一方、「船舶は道路区域決定する」とあります。
これは、官報に告示された、明石フェリーの道路区域や供用開始に係る告示です。
通常、道路がおかれている土地の地番が記載されている「区間」の公に「あさしお丸」とか「あさかぜ丸」などと記載されているのがお分かりになりますでしょうか?
見づらいので、一部を抜粋してみました。
フェリーが新規に追加された際に「一般国道28号」として「第2あさかぜ丸」が道路として区域決定され、供用開始したことを示すものです。
先ほども申し上げたように、一般の道路の供用開始告示であれば、ここには起点終点を現わす地名、地番が入るところです。
一方、昭和61年に日本道路公団から、民間企業に明石フェリーが譲渡された際の道路法の手続を示すものです。
フェリーという見た目の営業形態は変わりませんが、道路公団から民間企業へ譲渡されたということで、道路法上の道路施設としての渡船ではなくなってしまいました。 実質的には「廃道」なのですが、国道28号の接岸施設とフェリーの部分を道路区域から外すという形の手続がとられています。
これも見づらいので、抜粋してみましょう。
「区間」の項では、上段にあったフェリーや「明石港」といった部分が道路区域から外れていることが分かります。
また、「敷地の幅員」の項では、もともと最大幅員が76mあったものが10.4mに減少しています。 76mは駐車場の幅員でしょうか?
なお、最小幅員が8mだったものが、フェリー移管後は9.6mになっています。 この8mは何でしょうか?ここだけでは分かりませんが、フェリーの幅員が8mだったのでしょうか、それとも桟橋部分でしょうか。
「延長」の項では、約100m減少していることが分かります。駐車場と接岸施設の延長が100mあったということでしょうか?
フェリー自体が、従前は、道路区域がかかっていて、民間移管の際に、道路区域から除外されたということは、つまりこのフェリーも「元・道路区域の敷地」、「廃道」であると言えるのかもしれません。
明石港の現在の地図です。 幅員76m延長100mの除外された駐車場と接岸施設はこのあたりでしょうか?
同じ場所を航空写真で見てみましょう。
大分、イメージがわくのではないでしょうか?
こちらも、かつては、最大87mの幅員があったということで、この辺の駐車場等が廃道敷かと。。
岩屋港の写真です。
道路のレーンが書かれている手前部分が現在の国道28号でしょうか? 実地に行った際に「境界杭」等を確認する時間がなかったことが悔やまれます。
政府機関では、公文書の情報公開が可能です。
国交省兵庫国道事務所管理第一課には、当時の区域変更に係る書類が保存されているようですので、どなたか確認してきていただける方はいらっしゃいませんか?
保存期間満了が2016年ということですから、あと数年のうちに見ておかないと廃棄されてしまうかもしれません。
ご覧の方で、関西在住の方、いらっしゃいませんか?いかがでしょうか?
以上、道路法において、「道路施設であるフェリーがどのように扱われているか」をご紹介してみました。
道路として区域除外の手続をとられており、明石フェリーはこのあと、一般のフェリーとして、海運関係の法手続きによって運航されていったのでしょう。
しかし、道路としては「廃道」だと言えるのではないでしょうか。
おさらいになりますが、多くの国道の海上区間をフェリーが結んでいますが、一般の民間企業が運航するフェリーは道路法上の手続をとっていません。
単に、海上国道の点線部分をトレースしているだけです。
一方、道路公団のフェリーは、道路法に基づき区域決定や供用開始の手続をとっており、その料金徴収の根拠は、高速道路等と同じように、道路整備特別措置法の手続に基づいているのです。
さて、明石フェリーから離れて、北海道の厚岸フェリーについて見てみましょう。
こちらは、昭和34年に日本道路公団によって供用開始したフェリーです。
当時は、厚岸湖をまたぐ厚岸大橋がありませんでしたので、そこを結んだ極めて延長が短いフェリーです。
ちなみに、皆さんも大好きな「テキサス大アーカイブ」ではどうなっているでしょうか?
「Ferry」と書いてあります。
ただし、これは、公団フェリー以前の渡船のことかもしれません。
(申し訳ありませんが未検証です。)
さきほど、明石フェリーでは、道路法の手続をみてきましたが厚岸フェリーでは、道路整備特別措置法の手続をみてみましょう。
有料道路として工事を開始する際には、道路整備特別措置法に基づいて「工事開始公告」をしなければなりません。
注目すべきは「工事の種類」の項で、通常は道路について記載されるところが「航送船及び接岸施設」となっています。
※道路整備特別措置法は、道路公団民営化に伴い、大きく改正されていますので、この条文では現在は違うことを指していますのでご注意を。
(公団の行う有料の道路に関する工事の公告)
第10条 公団は、第3条第1項の許可を受けた道路の新設又は改築に関する工事を行おうとするときは、あらかじめ、当該道路の路線名及び工事の区間、工事の種類並びに工事開始の日を官報で公告しなければならない。
有料道路として料金を取る際には、同様に「料金徴収公告」を行う必要がありますが、そこには「有料道路厚岸フェリー」とあります。
「リヤカー100円」なんていう料金設定がされているあたり、普通の有料道路のイメージとは大きく異なりますね。
(料金の額及び徴収期間の公告又は公示)
第14条 公団は、料金を徴収しようとするときは、あらかじめ、その額及び徴収期間を官報で公告しなければならない。当該料金の額又は徴収期間を変更しようとするときも、同様とする。
そんな厚岸フェリーですが、予定よりも早く厚岸大橋が開通することになったようで、本来の営業期間である昭和54年を前倒しにして、昭和47年に営業を終了しました。
私が現地に行ったのではなく、実際に行った方にいただいた写真をご紹介します。
現地の資料館にご覧のようにフェリーの模型や日本道路公団の事務所の看板が残されているそうです。
手前にある小さな船は、フェリー供用開始前の渡船でしょうか?
また、緑のフェリーと同じガラスケースに船長さんや水夫さんの帽子がありますが、その帽子のおでこの部分には、さきほどご紹介した「公団マーク」が縫い付けられているようです。
こちらも写真をいただいたのですが、その方が「ここが厚岸フェリーの桟橋」とおっしゃる箇所です。私が検証しているわけではないので、もし違ったらごめんなさい。
ここも明石フェリー同様、道路区域から外れた敷地ということで「廃道敷」と言えるのでしょう。
以上、「海上国道が廃道になるとどうなるのか?」をご報告させていただきました。
ご清聴ありがとうございました。
おまけに、往時の日本道路公団フェリーの時刻表を貼っておく。(友人からいただきました)
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