webちくま「この珍地名が気になる!」と、名神高速道路 大津IC
今尾恵介氏のwebちくま「この珍地名が気になる!」第1回「京都・音羽珍事町」を拝見して、思ったこと等を書き散らす。
名神高速道路京都東IC付近に、京都府(京都市)と滋賀県(大津市)の境界が入り組んでいるという話は、初見であった。
そして合点がいった点があった。
実は、名神高速道路の計画当初は、大津ICというのは、現在の大津SAに併設されたものではなく、現在の京都東ICのことを大津ICと呼んでいたのである。
出典「日本道路公団事業箇所めぐり」(昭和35年)・・国会図書館にもある。道路公団の初期の一般有料道路を調べる方には必見の基礎資料である。
位置的には、京都市山科なのに、どうして、これで「道路等との連結地 大津市附近(下記基本計画参照)」なんだろうと不思議であった。(尤も、栗東ICも「草津市附近」であるが。)
上記地図のように、これだけ大津市が出張ってきていれば、現・京都東ICは、十分「大津IC」と呼んでも差し支えないのであろう。
当初の計画では「大津IC(現在の京都東IC)」と「京都IC(現在の京都南IC)」を設置することとしていた。
↓
後に計画が変更され、大津SAに、現在の大津ICが併設されることとなった。
↓
これにより京都市内に二つのICが設置される位置づけとなったため、IC名称を呼び分けなければならない。
↓
鉄道の駅のように「東京都IC」と「南京都IC」と方角を地名の前につけると「とうきょうとIC」と誤読されてしまう?
↓
「京都東IC」というように、方角を地名の後ろにつけることとした?
↓
以降、高速道路のIC名称は、方角は地名の後ろにつけることが定着した?
(参考)
http://www.umemurajunichi.jp/media/2/20120610-022-5meisyoukijun.pdf
というのが、私の邪推である。(文献等の根拠は無いので誤解されぬよう。)
※名神高速道路の大津~京都南間は、旧東海道線の跡地を活用して作られたことは、私が言及するまでもなく有名な事柄ではあるが、「京都の近代地図」を参照すると非常によくわかるのでご参考まで。
近傍には、名神高速道路起工の碑と山科駅跡の碑が並んで立っているとのこと。
名神高速道路最初の工事開始公告
なぜ、ここが最初の工事区間となったかということについては、「高速道路(現・高速道路と自動車)」1959年7月号「名神高速道路工事現況」に
「この地区は公団発足以来「京都バイパス」区間の一部として計画されていたので、名神間では最も早く用地も妥結し、設計も完了していた。」
と記載されている。
では、「京都バイパスとは何ぞや」ということになるが、上記では「京都インターチェンジ~大津インターチェンジ間10km」とのことである。
現在の京都南IC~京都東ICについては、名神高速道路以前に、国道バイパスとして旧東海道線跡地を活用する計画が進んでいたということを示唆するものである。
※※ 国道161号の終点は、大津市なのであるが、地図を見ていると、ギリギリに大津市内におさまるように出来ている。京都市にはみだすと、政令改正が必要になるので、むりやり大津市内におさめるように作ったのかもしれない。(これも邪推)
磯部祥行さんにこのブログを教えていただきました。ありがとうございます。
(個人的備忘)
名神高速道路開通時の道路地図を日本国際地図学会機関誌「地図」のアーカイブで公開
https://www.jstage.jst.go.jp/・・・/1/2/_contents/-char/ja/
https://www.jstage.jst.go.jp/・・・/jjca1963/1/2/1_2_AP1/_pdf
高速道路地図も日本で初めて作ったという経緯
https://www.jstage.jst.go.jp/・・・/jjca1963/1/2/1_2_39/_pdf
戦前にこの辺の国道改良工事を行った記録
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/j_naimusyo/kawa/38554/bun2.pdf
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