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2013年12月30日 (月)

第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

川崎市立図書館に「第三京浜道路調査報告書(昭和35年)」があるというので、閲覧してきた。

第三京浜調査報告-1

作成したのは、日本道路公団東京調査事務所。東京調査事務所は、首都高速道路公団設立前に、首都高速道路の計画業務等も行ってきた。(土木学会誌昭和31年12月号60頁参照

「首都高物語」一般財団法人首都高速道路協会著・青草書房刊には、全くシカトされているけどねw

<そもそも第三京浜の位置づけはどういうものだったのか?>

第三京浜道路調査報告書の最初の頁に書いてあることをざっくりとまとめると、京浜間の交通が飽和しているので、第三京浜道路と京浜臨海高速道路(のちの首都高速道路羽田線及び横羽線)の2本で分担する。区間交通は臨海高速道路が担い、通過交通は第三京浜道路が担うものとされている。東名高速道路については一切言及されていない。

なお、首都高速道路公団設立後も、日本道路公団が京浜臨海高速道路の調査を行っており、日本道路公団が昭和36年に作成した「横浜羽田道路予備調査報告書」は同様に川崎市立図書館で閲覧できる。

<なぜ玉川ICはそこにあるのか?>

玉川ICは、他の高速道路等にも接続せず、放射状の国道・都道とも接続せず孤高の地位??を占めており、なぜそこにあるのかがそれなりに話題になっている。
この報告書では、玉川ICの位置の選定理由を下記のように述べている。

東京側起点については
a) 首都高速路線、特に最も交通要請の大きい中央区以東の地区を背後地に持つ「五反田線」及「渋谷線」え(ママ)の連絡が滑かに行くこと。
b) 多摩川の線より首都高速道路までの間は家屋密集地区で工費が多大となるので差し当り第三京浜の計画から外し、多摩川左岸を起点とするが、将来高速道路が延長される場合延長工事が比較的容易であること。
c) 高速道路が延長される迄一般道路を利用しなければならないが、現在輻輳していない道路であること。
d) 起点近傍の多摩川右岸川崎市内の工場や家屋の状況よりみて通過しやすい箇所であること。
e) 起点附近に設けるインターチェンジの作り易い所であること。
以上のことを考慮し、目黒え(ママ)抜ける現在交通量の少ない放射3号線と、渋谷え(ママ)抜ける放射4号線との間で前者に近い多摩川左岸の地点に起点を定めることとした。

※首都高速五反田線は、現在の2号目黒線。放射3号は「目黒通り」、放射4号は「玉川通り」。

第三京浜調査報告-21

第三京浜調査報告-22

ここで注目したいのは、bである。第三京浜の玉川ICは、東京側起点としては、暫定的なものであり、都心方面への延伸を匂わせる記述となっている。実際、当初の首都高速道路は羽田線以外は環状6号線内を事業エリアと考えていた。
また、国会議事録には下記のような記載がある。

昭和33年10月31日衆議院 - 建設委員会

○石塚説明員(首都圏整備委員会事務局計画第二部長) 東急が考えております、三軒茶屋から多摩川を通りまして江ノ島方面に参ります東急ターンパイクと称する有料道路がございます。これは、運輸省並びに建設省に申請は出ておるようでございますが、実はまだ認可にはなっておりません。この問題につきまして、首都圏道路網計画でどう考えていくべきかという問題がありしました。しかし、一方におきまして実はこれが国道網の整備計画と若干調整を要するという問題がございまして、私どもの方といたしましては、その調整さえつければ別に異存はないという考え方をとっておったわけでございます。これは、多々ますます弁ずという意味から異存がない。しかし、やはり交通道路網の一環として考えますと、できるだけこれは有効に、また効率的に考えて参らなければならぬと考えております。そこで、実は現在第三京浜と申します路線がございます。これは、横浜から三軒茶屋に抜ける路線でございますが、この第三京浜の整備という問題を私どもも幹線道路網計画で実はうたっておるわけでございます。ところが、戸塚線の道路公団で現在やっております有料道路、これが大体来年一応完成するわけでございまして、これを都内にさらにどう延ばすかという問題を現在道路公団でも検討中でございまして、第三京浜の交通量の調査を現在やっておるわけでございます。

ここには、第三京浜について「横浜から三軒茶屋に抜ける路線」と述べられている。
いずれにせよ、計画段階の第三京浜道路は、首都高速を介さずに、直接環状8号線の内側へ乗り入れる構想だったようだ。

また、放射3号「目黒通り」、放射4号「玉川通り」との詳細な接続方法の検討については、

東京側起点を定めるにつき多摩川沿い川崎市内の通過し易い様選ぶのが起点決定の一要素であったが、これを検討する意味もあって図-2第三京浜道路計画路線図にある様に大きく分けてA案、B案、AB折衷案の3路線につき比較検討した。
a) A案
起点を最終案の多摩川左岸放射3号線と放射4号線との間3号寄りにとり、(略)
b) B案
起点を放射3号線に直結する位置に定めたもので、(略)
 a)放射3号との連絡は最も良好である。
 b)(略)
 c)将来首都高速道路と結ばる(ママ)場合、放射3号と直結しているだけ連絡方法に困難が予想され
 d)放射4号と離れ過ぎ
(略)
工費の最低なのはA案であって、起点の位置も良好であるのでA案をもって最良と定めた。

第三京浜調査報告-31

第三京浜調査報告-33

ということで、放射3号と放射4号のいずれにも遠からず近からずということで、どちらにも直結しなかったようだ。
なお、当初案では、環状8号線ではなく、多摩堤通りに接続することとなっており、アバロン乗馬学校があったあたりが玉川ICとなる計画であった。

また、当初計画では、現在の6車線ではなく、4車線であった。

第三京浜調査報告-5

(追記)

昭和35(1960)年8月18日付読売新聞に第三京浜道路の着工を報じる記事が掲載されているが、そこには「公団としては、将来玉川野毛町から渋谷までも同様の自動車専用道路を作って結ぶ考え」とある。

第三京浜道路は玉川から渋谷まで延伸する計画があった

<第三京浜は東名高速道路だったのか?>


「第三京浜は、当初、東名高速の一部として計画された」という説がいろいろ出ているし、その根拠として、日本道路公団の「第三京浜道路建設誌」にその旨の記述があるようだ。(残念ながら未見)
とりあえず、この第三京浜道路調査報告書における扱いを見てみる。
本文中の路線の検討経緯の中では、東名高速道路についての記述は一切ない。
ただし、報告書の箱に一緒に入っていた資料に建設省道路局が作成した「東海道交通処理対策調査(案)第一次報告書(第二部)附属資料 基準年度における転換交通量の推定(案)(昭和34年10月)」というものがある。おそらく、第三京浜道路の交通量推計の参考としたと思われるが、この資料に、「東京-名古屋間高速自動車国道勢圏図」という頁があり、そこには中央自動車道(南アルプスぶち抜きルート)と東海道自動車国道が記載されている。
また、別頁には、IC名とキロ程表があり、現在の東名とほぼ同一の経路となっている。
ここから推測するには、少なくとも昭和35年にこの報告書が作成された時点では、第三京浜は東名高速とは別物として位置づけされていた模様である。



scan-2

scan-1

(追記)

昭和35(1960)年2月27日付朝日新聞に「東京周辺自動車道は第三京浜道路終点の横浜から小田原方面に通る道で、公団は現在の東海道1号国道の北側を予定しているが、国会で問題化している東海道第二国道建設問題にからむのでルートの公表を避けている」との記事が報じられている。ここに言う「東海道第二国道」が東名高速道路のことであり(※自動車道は中央道と同義なので、「東名高速道路」とは言い難い時期があった)、第三京浜は、やはり東名高速とは別路線なのかなーと思わせる記事である。

<第三京浜道路には、首都高速道路2号目黒線が接続するはずだったのか?>

ここからは、「第三京浜道路調査報告書」とは別の話。

第三京浜道路調査報告書には、首都高速道路との接続の具体的な話は出ていない。(あるとしても上述がすべて。)

「道路界の川島令三」こと清水草一氏が「実際、首都高2号線は、昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした。」と記しているが、どうなのか?

当時の資料を見てみる。

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■首都高速3号線が第三京浜に直結していた構想

まずは、東京都首都整備局が作成した「道路整備事業10年計画」(昭和36年度を初年度とし、昭和45年度を終期とする道路整備事業計画)では、下記のとおりとなっている。

2号線ではなく、3号線が第三京浜道路と直結しており、東名高速道路には首都高速道路は直結していない。

昭和33年の国会における「横浜から三軒茶屋に抜ける路線」という答弁ともイメージが合致する。

「東京都道路整備10ケ年計画について」( 「時の流れ・都市の流れ」山田正男・著) 560頁には下記のような路線図も掲載されている。

第三京浜と首都高速道路3号線が直結している路線図

 

また、昭和36年度東京都市高速道路調査報告書でも同様である。

東京都市高速道路調査報告書1

 

東京都市高速道路調査報告書2

 「3号線延長線」の起点は、渋谷区大和田町。終点は世田谷区玉川野毛町。「摘要」部分を拡大すると「終点にて第3京浜有料道路に接続」と明記している。

東京都市高速道路調査報告書3

3号線と第三京浜が直結される計画であることが明記されている。

 東京都は、昭和36年度から建設省委託調査として大都市幹線街路調査を実施し、この中で当初計画を外郭環状線付近まで延伸する首都高速道路のネットワークの計画の立案に取り組んだ。

 昭和36年度には、既定計画のうち、1号線の多摩川の都県境までの延伸と、3号線、4号線、5号線、6号線、7号線の延伸計画を中心に、中央環状線、内環状線の2環状についても調査予定線として検討した。

 この内、3号延伸線は、三軒茶屋付近から民有地を通り環8付近で第3京浜と接続する案であった。

 4号延伸線は、外環予定地で中央道と接続させている。

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅 57頁

現在の、首都高3号線が東名高速と接続している形からすると、3号線が第三京浜に接続しているのは意外に思えるかもしれないが、そもそも、東名高速の計画が具体化するまでは、3号線の前身である2号玉川線は玉川と永田町を結ぶ計画であったのだから、これはこれで自然な姿であろう。

一方、当初、東名高速は渋谷起点だった。

国立公文書館のデジタルアーカイブで昭和38年の東名高速の計画図を見る事ができる。

http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/DGDetail_0000001953

東京都・首都高速道路公団と建設省・日本道路公団でいろいろ綱引きがあったのだろうか。

 東名が決まってからだな。首都高速道路を延ばすか、東名をもっと中にもってくるという論争を建設省の尾之内由紀夫と僕の間で何回か往復したですね。その時ああいう道路を都心まで持ってこられちゃ迷惑だな。都市計画のことを考えないで持ってこられるから。それで都市内はこちらで引き受けると。

 外郭環状線の計画をつくっているから、それから中はこちらが引き受けるということにした。だから、外郭環状線を造ることを条件として、都市内高速と都市間高速を接続すると言う約束をしたんだが、約束を守ってくれないんだから困るんだな。都心まで持ってくる分を曲げれば、同じ金でできちゃうんだ。各都市間高速をね。

東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」 91頁から引用

東名が渋谷乗り入れで、3号線(城南線)が第三京浜接続と分かれていればそれはそれでよかったのかもしれない。

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■首都高速3号線(城南線)が東名高速と第三京浜の中間点(二子橋付近)で外環を経由して接続していた構想

また、首都高速道路公団が作成した「羽田横浜高速道路建設計画に関する資料-世界銀行提出-(1964年5月)」(これも川崎市立図書館で閲覧できる。)添付図面では、下記のとおりとなっている。

3号線の延伸部分が「城南高速道路」として、東名高速道路と第三京浜道路の間(玉川通りをそのまま二子橋までいく感じ)に進み、東京外郭環状道路を介して接続する形となっている

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■首都高速2号線とも3号線とも異なる路線が第三京浜に直結していた構想

数年前の、ハイウェイテクノフェアの首都高速ブースで上映していた昔の記録映画で流れていた路線図。(作成時期不明)

城南線が現在の3号線と同様な形になっている一方、2号線が第三京浜とは別の方向に延伸し、2号線でも3号線でもない路線が第三京浜道路に連結している。

(追記)

 当時の構想図がこちら。「首都高速道路と都市間幹線道路との連絡に関する研究」(昭和37年)から抜粋。

昭和36年の首都高速道路構想(未成道が山盛り)

都心環状線から第三京浜までの区間を拡大してみる。

第三京浜道路が首都高速3号線とも2号線とも異なる路線で直結していた計画図

 昭和37年度には、2号延伸線について、幅員40mの導入空間が無いことから、往復分離させて、第2京浜及び中原海道の上を通す案とした。また3号延伸線は、新たに決まった東名高速道路と接続する案に変更した。併せて第3京浜と接続し中央環状線の中目黒付近とを結ぶ線を加えた。(略)

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅57頁

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参議院 - 建設委員会 - 昭和32年11月11日 で下記のような答弁がある。

その次が高速道路の整備でございますが、都心近くの交差点交通が非常に行き詰まりまして、東京都の周辺部から都心への交通が非常に阻害されておる状況にかんがみまして高速道路をぜひ東京都内に建設をしたい。来年度はその高速道路の一つのモデルにする、こういうような意味で、一番交通量が多い五反田から都心に至る道路、それらをぜひ建設をいたしたい。そういうことで約三十億円の事業費をもちまして道路公団をして実施せしめる。それから第三京浜、戸塚の有料道路を延長ずるというような建設、それから継続事業の京葉国道の建設を促進する、こういう事業を計画いたしておるわけであります。

この答弁からもわかるように、現在の交通量はともかく、首都高速で最初に着工されたのは2号線であり、その目的は、国道1号の混雑緩和である。

それに対して、上述のように第三京浜道路は通過交通を分担することとなっていたのだから、交通計画的には、2号線に接続するよりも、3号線に接続するほうが合点がいく話である。

当時は、首都高速も第三京浜も上述の日本道路公団東京調査事務所が計画を担当していたのだから、違う公団同士で組織間の意思の疎通が図れなかったということもないのではないか?

もちろん、現在の「3環状9放射」では、2号線と第三京浜道路を接続させようとしているっぽい絵が描いてあることは、百も承知である。

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■用地買収が困難であることから、首都高速道路と第三京浜直結を断念していた

 

 昭和38年度には、2号延伸線について、幅員25mの中原街道と幅員30mの第2京浜に往復分離で入れることの困難性などから、割愛した。また、第3京浜との接続路線についても、用地取得の困難性から取り止めることとした。

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅57~58頁

 

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■首都高速道路2号線が第三京浜に直結していた構想

 昭和40年9月、第12回東京都市計画高速道路調査特別委員会(委員長:金子源一郎)は、首都高速道路の延伸計画の検討に入った。(略)

 高速道路のランプ配置に当って、ランプ利用圏を都心部では半径500m、副都心環6付近では半径1km、外周部では半径2kmという設定をし、外環の内側における地域をほぼこの考えで覆うこととした。このため昭和39年度大都市幹線街路調査における提案の網計画を一部修正し、更に城南方面に2号線延伸の1路線、城東方面に11号線の1路線を追加し、それぞれの方面の将来の交通需要に対処することとした。(略)

 表2-3-4 高速道路調査特別委員会の延伸計画路線(昭和43年) 

追加延伸計画(抄)

路線名 延長>Km 起点 終点
2号延伸線 7.40 品川区荏原1丁目 世田谷区玉川野毛町

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅 62~64頁

昭和40年代前半の首都高速道路路線図

昭和44年頃の道路セミナーに掲載されていた路線図では、2号線の延長線が第三京浜につながっている。

 昭和45年3月,首都圏整備委員会は「首都圏整備法(中略)に基づき,第5次首都圏規制市街地整備計画を首都圏整備委員会告示第2号により公表した。(中略)

 なお、第3京浜道路方面に連絡する路線,北千葉空港線方面に連絡する路線および環状線の整備とあいまって都心部の交通混雑の緩和を図るため1号線と平行する路線等の整備についても調査検討する。

首都高速道路公団30年史 122頁~124頁

東京都が発行した「PLANNING OF TOKYO 1975 首都の整備」には下記のような路線図が掲載されている。

昭和50年の首都高速路線図

なお、昭和63年の首都高速道路計画路線図には、2号線と第三京浜を連絡する路線は掲載されていないし、民営化にあたっても計画には入っていない。

一方、東京都都市整備局の平成20年の「首都高速道路網図」には、微妙な延伸の「構想路線」が入っている。

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(余談)

第三京浜が当初開通した際には、片側三車線どころか、片側一車線の対面通行だった。

その際の写真が、土木学会のデジタルアーカイブに掲載されているので、是非とも下記リンク先をクリッククリック!

http://library.jsce.or.jp/jsce/mjsce_photo/225.htm

http://library.jsce.or.jp/jsce/mjsce_photo/224.htm

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