東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残
有楽町駅横にJR線をくぐる一方通行の短い地下道があるが、あれは本来、東京オリンピック(先代)対策に日比谷から三原橋まで現在の地下鉄銀座駅のコンコースがあるところに地下自動車専用道路を作る計画の名残で、もとをたどると首都高速道路の計画線でもあったのである。
しかしながら、同時にオリンピックを目指して建設していた営団地下鉄(当時)日比谷線との調整の中で、計画は縮小され、現在の形になっている。
最初の計画は、現在の地下鉄銀座駅1階コンコースを道路にするもの。
この図は、「都市計画と東京都」都政調査会発行(1960)から引用したもの。
読売新聞1961(昭和36)年10月28日
営団地下鉄の反対により、日比谷線の横に並走する形で地下3階に
読売新聞1962(昭和37)年1月13日
この辺の経緯が国会審議にも登場している。東京オリンピックに間に合うか関係者をやきもきさせていたようだ。
第39回国会 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第5号
昭和36年10月25日
○牛島参考人(帝都高速度交通営団総裁) この点につきましては、すでに三年くらい前から都市計画と話し合いをやっておるのでございます。それで、話し合いの内容と申しますか、私どもの計画といたしましては、皆さん御承知の通り、三号線の銀座の駅と四号線の銀座の駅がございますが、これを東西に結びまして、この線路の下に新しい二号線を入れまして、この間にプラットホームを作りまして総合駅を作りたい、こういうことでございます。これに対しまして、都市計画の方の構想としましては、日比谷方面から三原橋に至る区間の地下に自動車道を作る、その自動車道は、ちょうど私の方の総合駅にする地下一階の面を自動車道にしよう、こういうお話でございまして、ここ三年程度いろいろとお話し合いを続けておる次第でございます。
○羽田委員 まあ三年越しにわたる長期の論争をしておる。まだ見込みは立っておるか立っておらぬか知りませんが、とにかく三年越しに論争をしておるということは、役人仕事として少し長過ぎはしないか。これは私鉄の免許なんかのこともありますが、少なくとも一年か一年半くらいで 東京湾の漁業交渉というような民間との話し合いとは違いまして、お役所あるいは営団の立場のお話でございますから、三年もということは少し長過ぎる、これは私はほんとうにそう思うのでございます。 (略)
(略)
○羽田委員 (略)東京都に首都交通対策審議会というのがございまして、その答申が先般出されておるのでございます。それによりますと、将来の首都の交通の根幹は地下鉄である、地下鉄を都内全部に張りめぐらして、路面電車を漸減して、補助交通機関としてバスとかタクシーをもってすべきである、こういうふうに地下鉄の将来に対して非常に希望を寄せておるのでございます。世界の一流国家の首都においても、いずれも地下鉄というものが今日は主要なる市民の交通機関になっておることは、言うまでもないところでございまして、交通対策審議会がこういう答申を出したということは、もっともな話であると思うのであります。
そこで、牛島総裁にお尋ねいたしたいのでございますが、銀座を中心とする東銀座駅、あるいは銀座駅、西銀座駅という、二号、三号、四号の連絡のために、地下道で連絡して総合駅を作ろう、こういうお話でございますが、この地下道は、大体オリンピックというか、昭和四十年ごろの想定でけっこうでございますが、一体どのくらいの人が通行するのかということをお尋ねいたしたい。
○牛島参考人 私どもの想定では、昭和四十年に、この三駅間に乗りかえをするのが一日約五十八万人程度あるという計算をいたしておるわけであります。さらに、数寄屋橋より銀座に至る問の地下一階を一般の通路に開放いたしますので、これを利用する方を入れますれば、一日に約七十万人の人になるのではないか、こう考えております。
○羽田委員 乗りかえに五十数万、そして七十万という人が昭和四十年には通行が予想される、こういうお話でございますが、そうすると、もし東京都の地下道かできて、連絡の総合駅というものができない場合においては、各線が分断せられた形になりまして、今度は乗りかえの五十数万の人が路面に出て、雨に降られながら、雪にたたかれながら乗りかえをしなければならぬ、路面もまた非常に混雑してくる、こういうふうに考えますが、それについてはどうでございますか。
○牛島参考人 もしも地下に自動画道を作ると仮定いたしますと、地下一階の面を使います。それに壁が両側にあるので、地下一階は使えなくなります。従って、南北と申しますか、その歴にさえぎられた方面の通行はその面ではできない。従って、それをもう一つ下に下げなければいかぬという問題があります。ところが、それを地下二階の血に下げるといたしますと、階段の広さ、幅の問題とか、あるいは現在あすこの道路の地下に入っております埋設物がたくさんございます、そういう埋設物を共同溝のようなものを作って地下二階に入れるということになります。従いまして、この地下二階というものが旅客の通行に非常に不便なものになりはしないか。従いまして、乗客は路面に出て歩く人もふえてくると思います。また、地下の自動車道を作りますと、現在ございます銀座駅、西銀座駅両方とも大改造を行なって参らなければなりません。これに伴いまして旅客の取り扱いというものも、現在でも困っておりますのが、さらに階段の位置、階段の幅その他から非常に混雑をして参りまして、ラッシュの場合等におきましては非常に安全を心配しなければならなくなりはしないか、こういうふうに考えておるのであります。
○羽田委員 そうすると、東京都の計画する都市計画による地下道ができると、地下二階に下げなければならぬ、そのために、駅の改造また埋設物等のいろいろな関係からお客に対して非常な不便になってくる、こういう大体のお話だと思うのでございます。私、これはしろうとの個人的な見解でございますが、三十九年あるいは四十年というふうにだんだんときがたちますと、東京都の自動車が、先ほどもお話がありましたように非常な数になってくる。しかも、日比谷から三原僑に至る地下道というようなことになってくると、出動車が殺到してきはせぬか、そういうことになると、自動車の排気の問題が出て参って、あるいは窒息死をするような者も現われてくるのではないか、こういう危険も感ぜられるのでございます。そういう意味で、私としては、やはり地下鉄を利用する大衆という点に重点を置いて、自動車というような これは個人の自家用なり、あるいはタクシーでございますが、一つの車にはごくわずかの人しか利用しておりませんが、そいうようなものの便益をはかって、地下鉄を利用する七十万という諸君に非常に迷惑がかかるというようなことは、東京都の交通計画からいって、まことにまずいことじゃないかというふうに思うのでございます。これは東京都からもおいでになっておりますので、山田首都整備局長にもお話を伺っておくのがよろしいと思いますが、ただ、この委員会で三年越しのものをまたここで繰り返してもらってもまことに意味がございませんで、その三年越しのものを早く断ち切って、そして一本化していくという体制のために質問をいたしておるのでございますから、山田局長にはあえて質問をいたしませんが、とにかくそういうわけでございまして、地下鉄という新しい時代の東京都の交通機関、こういうものに重点を置いていくということが何よりも必要であり、あるいはまた、先ほども警視庁の交通部長からお話がございましたが、まだ十分案を練っていないというお話でございましたけれども、もし必要な場合においては、日比谷から三原橋までは自動車を規制して通さぬというようなことをして、ほかの線を利用させて東西の自動車交通に当てるというようなこともできると思うのでございまして、そういう意味で、私はやはり地下鉄に重点を置いていくべきであるというふうに考えるのでございます。これは私ただ単なるしろうと考えであり、三年越しの論争に対して、しろうとが結論を与えるというような僭越な意味ではございませんが、とにかく、そうことが首都の一番中心部の交通対策として必要ではないか、こういうふうに私は考えておるのでございます。
そういう意味から申しまして、牛島地下鉄総裁に承りたいのでございますが、東銀座から霞ケ関線を完成するために一体どのくらいな時間が必要であるか、それを承り、三十九年の秋のオリンピックに問に合うように、逆算していつごろまでに着手をしなければならぬかということをお尋ねいたしたいのでございます。
○牛島参考人 東京都とは、先ほど申しましたように長い月日をかけましていろいろと協議をしておるのでございます。私も、この線の完成がオリンピックよりおくれるということを非常に心配いたしまして、いろいろ検討をいたしました。それで、現在、東京都と私の方と、それから建設省、運輸省、首都圏の方等相集まりまして、すでに先月より、今月末までに結論を出すように、いろいろと技術的に、また運輸上の問題等につきまして協議を行なって参っておる次第でございます。これには、首都圏の整備委員の金子さん、あるいはまた、元大阪の電気局長をやられました橋本柊之さん、あるいは建設省におられました都市計画の松井達夫さんの三人の方も一緒に入っていただきまして、この結論を出すように目下いろいろお願いをいたしておる次第でございまして、私どもといたしましては、この委員会と申しますか、ここにおきまして地下の自動車と総合駅、これを面立してやるということはなかなかむずかしい、不可能に近い、こういう考えのもとにいろいろ御説明をして参っております。これらはやがて結論といいますか、その協議の集約ができると思っております。従いまして、この十月末までにその結論を出しまして、私どもとしましては、十二月の末までに設計を完了いたしまして、運輸省、建設費に申請の手続をいたしたいと思っております。従来の例からいたしますと、申請しましてから相当長い時日がたちますが、こういう協議をして了解の上でできた設計でありますれば、早く手続を進めていただけるものと私どもは期待いたしておるのでございますが、それによりまして明年の五月には着工しなければいけないと思っております。明年の五月に着工いたしまして――どういう結論になりますか、私どもは両立することは非常にむずかしいと思っておりますが、私どもの総合駅の案でありますれば、それより二十七カ月かかるのです。従いまして、昭和三十九年の七月末までには地下鉄を完全に開通させたいと考えております。従いまして、本年中に設計が完了し諸般の手続が終わりまして、明年五月に着工いたしますれば、三十九年の七月末までには開通させることができる自信を持っております。
○羽田委員 ただいまのお話によりますと、建設省、運輸省、首都圏整備委員会、交通営団並びに東京都と、この五者の間においてせっかく協議を進め、さらにまた、金子、橋本、松井というようなその道の専門家がお入りになって御相談をなすっていらっしゃる、十月末には結論を出される、こういうお話でございますが、十月も月末に迫っておりますから、すぐにそういう結論が出ると思いますが、これについて計画局長はその十月末までにお出しになれる御自信がございますかどうか、一つ承りたい。
○関盛政府委員(建設省計画局長) ただいまお尋ねのございました計画につきましては、もとより前々からの懸案でございまして、昨年以来、ただいまお尋ねのように、オリンピックの計画に伴いまする東京都内全体の建設省関係の道路を初めとする諸般の事業が予定通り進むための協議会というものに、大臣も出られ、東京都は知事、それからここにおいでになります神崎さんの方も出られまして、大体昨年の秋以来二カ月おきぐらいに集まりまして、今日まで進んで相談をしておる状況でございます。その中におきまして、この地下鉄問題と、いわゆる銀座、日比谷方面の交通問題、これについての話が出たわけなんです。もとより、首都高速道路の計画を都市計画として公団が実施することになりましたときにおきまして、三宅坂から三原橋方面の東西交通に対する対策いかんということが、あの当時におきましてはペンディングになっておったのでございます。今回申し上げております銀座を中心とする東西交通という問題は別にいたしましても、現在の銀座から三原橋方面の市街地の土地利用の現況というものは、おおむね二階半くらいの高さの建物の土地利用の状況でございまして、従って、これが将来五階程度の規模にならざるを得ないだろうというふうなことが、都市計画上、土地の利用関係からいたしまして考えられます。そういたしますと現在の道路率ではとうていもの足りないのじゃないか、従って、そこへ集まって散っていくところの交通、こういう交通に対する対策は、市街地の再開発との見通しにおいて、地下鉄工事の開始と並んでどのようにその対策をとるべきかということが、ここ当面の問題になります。今総裁からもお話がありましたように、ゆっくり検討しておっては間に合わない、そこで、先月の下旬から毎週専門家にも出ていただきまして、この問題は、運輸省、建設省の問題であり、また東京都の大問題でもありますので、それぞれの両省は、大臣にまでお答え願い、次官同士で話し合い、また東京都の副知事も参画されました協議会を作りまして、そして十月までに結論を出し、地下鉄は地下鉄の要請する工事の工期が間に合うように今鋭意検討中でございますので、御三人の方々に裁判官になっていただきまして、いろいろ技術的な問題初め諸般の問題は今検討いたしておりますので、お話のような御心配を早く解決をいたしたい、そして都会の交通関係というものを早く見通しのできるようにいたしたい、こういうふうに、建設省といたしましても運輸省と相談いたしまして進んでおります。
結局今の形(区間短縮、一方通行)へ。
読売新聞1963(昭和38)年03月15日
これのどこが首都高やねん?ということだが、昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録には下記のような記録がある。この委員会の議題は「都内高速度道路整備計画に関する件」ということで、藤本勝満露東京都建設局長や藤森謙一日本道路公団計画部長等を参考人として呼び意見を聴取したものである。
(参考)下記は、「東京都市高速道路の建設について」1959年東京都作成
首都高速の当初計画には、現在の都心環状線の霞が関附近から銀座方面への路線がなかったが、引き続き検討することとされていたようで、結局実現はされなかったのであるが、その名残が東京オリンピックを機に上記のような形ででてきたのであろうか?
上記の昭和36年の国会議事録で「すでに三年くらい前から都市計画と話し合いをやっておるのでございます。」と営団地下鉄総裁が答弁しており、昭和33年の答弁とは、整合はとれそうだ。
なお、この地下鉄との競合について、「首都高物語―都市の道路に夢を託した技術者たち」
首都高速道路協会 (著) では、『国会の永田町と銀座、築地を直結する高速道路建設が、都市計画審議会でも何度か議題に上がったが、これは実現していない。山田(※山田正男 東京都建設局長、首都高速道路公団理事長等を歴任し「山田天皇」とも呼ばれた都市計画の実力者)が当時の事情を語っている。「首都高とは直接つなげられなくても、銀座界隈の最後の道路交通対策として、地下鉄丸ノ内線(ママ※管理人注 日比谷線の誤りであろう。)の工事と一緒に地下の自動車専用道路でつなぐ工事を実施しようとした。けれど、オリンピックのために工期の期限があって、断念した。結局、銀座側から日比谷側へ抜ける地下道路だけできたけれど、反対車線ができないなんて、中途半端なことになってしまった・・・・・。」』と記している。
(注:ここからは根拠のない妄想)当該地下道路に三原橋地下街が支障となる為、移転先として、日比谷線建設にあわせて幻の地下街を作ったのならタイミングはバッチリなのだが、そんなうまい話でもないだろうなあ。。。。
(追記)
山田正男氏は自著「時の流れ・都市の流れ」の中で下記のとおり語っている。
「七不思議」というのは「安井都政の七不思議」のこと。幻の地下街との関連はともかく、この際、七不思議のひとつである三原橋地下街を消し去りたいと画策していたことは間違いない。
(追記その2)
「そんなうまい話」が判明したので、ご関心のある方は
東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html
を、あわせてご参照いただければ幸いである。
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