横浜DeNAベイスターズの順位予想w
以前、websiteで毎年度の横浜大洋ホエールズ(ベイスターズ)の順位予測のまとめを記録していたが、ここ数年は意味がない(ほとんどが最下位予想なのでwwww)のでやっていなかったが、今年はまとめる意味がありそうなので、久々にやってみた。
いや、久々にAクラス予想がこんなに。それもネタ狙いじゃなくて阪神系や中日系の解説者が自分のとこよりも上に横浜を予想しているのが結構ある。
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以前、websiteで毎年度の横浜大洋ホエールズ(ベイスターズ)の順位予測のまとめを記録していたが、ここ数年は意味がない(ほとんどが最下位予想なのでwwww)のでやっていなかったが、今年はまとめる意味がありそうなので、久々にやってみた。
いや、久々にAクラス予想がこんなに。それもネタ狙いじゃなくて阪神系や中日系の解説者が自分のとこよりも上に横浜を予想しているのが結構ある。
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いつもMCで奮闘している南隼人さんの声で開幕気分を盛り上げよう!
スタメン紹介
まといタイム
投手交代
熱き星たちよ
ヒーローインタビュー
一緒にCSに行きましょう!
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開幕記念2 は、横浜DeNAベイスターズ チャンステーマ集だ!
チャンステーマ0
ドン!ドドン!ドンドンドドン!×3 (オイ) ドン!ドドン!【選手名】 ララララ~ さぁ燃え上がれ 我らの 期待をのせて オーオオオーオーオーオー今 鋭く放て この一打
チャンステーマ1
(ファンファーレ)Let's Go BayStars (ドド)オイ (ドド)オイ (ドド)Get The Chance ×2 (メロディ)Let's Go BayStars (ドンドンドン)オイ (ドンドンドン)オイ(ドンドンドンドン) そーれいけいけ【選手名】 ×3(ドンドドン)オイ (ドンドドン)オイ (ドンドドン)Let's Go BayStars
チャンステーマ2
(メロディーLet's Go ×4) 打て 打て【選手名】 打て 打て【選手名】 打て 打て【選手名】 打て 打て【選手名】 かっとばせ~【選手名】 (ドンドンドンドンドンドン) Let's Go ×4
チャンステーマ4
(旧ローズのテーマ-曲にあわせてHey!) 勝つぞ(ドドドン) 横浜(ドドドン) 倒せ(ドドドン) 【相手チーム名】
「Fight oh! YOKOHAMA」
前奏「・・オイ ×2 ♩♩ (メロディーに合わせて ・・オイ ×3)」 ・・・・・・ go for it! X3 ・・・・・・Baystars! (メロディーに合わせて Fight oh! YOKOHAMA ×2)・・・オイ ×4
「攻めまくれ」
ララララ~ラ~ ×2 ララララ~ 我らの星ヨコハマ 闘え 誇りを胸に 我らの星 ヨコハマ 今こそ攻めまくれ ・・・・・・(相手チーム名)倒せ! ・・・・・・絶対勝つぞBaystars!
勇者の遺伝子
星空に響け 激しく 魂がうねる音 闘えWarriors 俺達は生きる 勝利の女神 抱くため 情熱の火よ 我が道を照らせ Wow wow wow BAYSTARS 勇者の遺伝子
スタンドに刺され 眩しく 流星のホームラン 輝けGlorious 俺達は創る 夢見る者の 伝説を 逆境こそが 最高の舞台 Wow wow wow BAYSTARS 勇者の遺伝子
熱き星たちよ
Oh Oh Wow Wow DeNAベイスターズ 燃える星たちよ Let's Go ! Oh Oh Wow Wow DeNAベイスターズ 夢を追いかけろ
いくぞCS!
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今度の週末はプロ野球開幕だ!
1番セカンド7石川 雄洋
栄冠掴むその日まで恐れず飛び込めベースへ 君の熱き血潮で 燃えろ雄洋
2番ショート0山崎 憲晴
並みいる敵をなぎ倒し 派手に決めろ大舞台 新たな未来切り開け 晴れ渡る明日へと
3番ライト3梶谷 隆幸
新たな歴史に その名を刻め 梶谷隆幸 蒼い韋駄天
4番ファースト42T. ブランコ
揺るがぬ確かなプライド 決め球斬る一太刀 仕留めろ鮮やかに 魅せろトニ・ブランコ
5番レフト25筒香 嘉智
さぁ打て筒香 飛ばせ空の彼方 横浜に輝く大砲 かっとばせホームラン
6番サード52A.バルディリス
勝利への道を照らせ 今ここで 導け夢の舞台へ 振り抜けバルディリス
7番センター1金城 龍彦
見せてくれ見せてやれ 超スーパープレイを ハマの風に乗った 男の意地を
8番キャッチャー9黒羽根 利規
ホームベース守り抜け 我らの司令塔 刺せ白い矢で 黒羽根利規
9番ピッチャー17三嶋 一輝
たたかうぞ 闘志みなぎらせて勝利の海 行くぞベイスターズ
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旧国鉄101系が最後だーラストランだー引退だーと聞いたので、手持ちのタマでも出しておくか。
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日地出版の「全国版道路地図ハイパワーA」1984年1月版を見ていると、福岡北九州都市高速道路の未成道路が掲載されていた。
現在終点となっている下到津から八幡駅付近までの破線の路線がそれである。
北九州都市モノレールも、現在は小倉駅から志井に向かう小倉線のみだが、計画としては黒崎から南に延びる黒崎線と小倉と黒崎を結ぶ東西線があったと記憶する。
一方、現在は都市高速4号線となっている北九州道路・北九州直方道路は、この当時は日本道路公団の一般有料道路だった。この区間の北九州都市高速への編入については、道路行政セミナー1991 年7 月号「北九州都市高速道路と「北九州道路等」との一体化について」に詳しい。
http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1991_data/seminar9107.pdf
衆議院 予算委員会第八分科会 - 1号 1990(平成2)年4月26日では、下記の発言もある。
下記にこの動きに係る官報の関連事項を掲載しておく。
1991(平成3)年3月15日の官報に下記の公告(北九州都市高速道路4号線の追加)が掲載されている。
また、1991(平成3)年3月15日の官報に下記の公告(日本道路公団の有料道路としての北九州道路及び北九州直方道路の営業の終了)が掲載されている。
1991(平成3)年3月30日の官報に下記の告示(一般国道の道路区域の減少)が掲載されている。
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ご存知のとおり、来る2014年4月1日から消費税率が改定され、新しい「平日朝夕割引」の導入等ETC割引等も再編される高速道路料金であるが、道路会社から解説パンフレット等がほぼ出揃ったので、単にリンク集として紹介しておく。
■独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構と高速道路株式会社との「協定」等について (平成26年3月14日)
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封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業 という記事を先日書いたわけで、そこではwikipediaと小川裕夫は、「近江鉄道の眺望権補償1億円の件は、新聞記事の書き方が悪いんだー風評被害だー」みたいなことを書いているが、それはおかしいんじゃないの?ということもご指摘申し上げたつもりである。
果たして実際はどうなのか。その新聞はそんなに不当なことを書いているのか?
朝日新聞1963年3月14日
○岡本政府委員(運輸省鉄道監督局長) これも先ほど国鉄の方からお答え申し上げましたように、この地方鉄道軌道整備法二十四条の場合は、新しく国有鉄道が線路を敷設したために既存の地方鉄道がこれによって営業上の影響を受けまして、つまり今まで地方鉄道で運んでおった旅客が全部、新しく敷設された国有鉄道の線路に移る、あるいはそのために営業が成り立ち得なくなった、こういう場合とか、あるいはお客が減ってきて現実に収益が減ってきたというふうな場合でございまして、この近江鉄道と東海道新幹線の関係は、営業上の競合は全然ないわけでございます。つまり近江鉄道の言い分は、自分の線路で運んでおった観光客が、東海道新幹線の築堤によって観光価値が減少するために、その観光旅客が減るという主張をいたしまして、その補償を要求いたしたのでございますので、この第二十四条によるべきものではないというふうに考えております。
○十河説明員(日本国有鉄道総裁) 先ほど申し上げましたように、また同じことを繰り返すようでありますが、四億円、五億円と要求されたものを二億五千万円に切り詰める、圧縮して妥協をするためにそういういろいろな名義を使った。景色の補償とか何とかいう名目にはいろいろ問題があろうかと思いますけれども、やったことはできるだけ補償を少なく圧縮しようというためにやったことであると私は申し上げた次第であります。その名目にはいろいろの問題がありましょうけれども、それよりかできるだけ補償額を少なくしたいということに私は重きを置いているのですから、そういうことの努力を相当やったんじゃないか、そう認めておるということを申し上げた次第であります。名義については、お話の通りいろいろ問題があるかと思います。そういう次第でありますから、これはやむを得なかったのではないか、こう思っておるところであります。
○大石説明員(日本国有鉄道常務理事) こういうふうに並行いたしまして相手の踏切を直す、またこちらの工事がほかの沿線の私鉄に影響を及ぼしまして、そこに補償を払うというようなケースはほかにございません。
読売新聞1963年6月6日
○磯崎説明員(日本国有鉄道副総裁) 三十六年の十二月に払いましたのは一億五千万円でございますが、実はただいま政務次官から御説明のございましたとおり、当初の七億の要求あるいはその後の併設高架の要求等に対しましていろいろ折衝しておったようでございます。そうしていろいろの交渉の過程におきまして、とにかく全額二億五千万円程度でもって妥結しようというような話になった。ただそれにつきまして私のほうの現地の当局といたしましては、少しでもそれを安くしたいという努力をいたしましたが一方工期が迫っておりますし、何とか早く工事に着手したいということで、とりあえずそれでは一億五千万円だけ払う、一億五千万円払えば工事に着手してよろしい、こういう協定を三十六年の十二月に結んでおります。そして、それは当時の当事者から聞きますと、残りの一億は何とかもう少しまけさしたいという気持ちもあって、とりあえず会社が工事に手をつけなさいと言ってくれる最小限――会社から申しますれば最小限、こちらから申しますれば最大限の金を一応出して、それからあと半年ばかりの間に残りの金についていろいろ折衝したい、こういうつもりで一億五千万円を先に出しまして、それでもってとりあえず工事を始めたということになっております。
この一億五千万円の金の出し方は、前回の委員会で肥田先生の御要求がありまして御説明申し上げ、資料も出しておりますが、三十六年の十二月に払いました金は用地費と用地附帯費という名目になっております。こまかく申しますと、一億四千九百五十万円が用地付帯費で、五十万円が用地費、こういう内訳になって私どもの支払いができております。その後種々折衝いたしまして残りの一億は――とうとう一億をそれ以上に切り下げることができず、約半年たちまして三十七年の七月に残りの一億を、これは用地附帯費ということで支払っております。前回の委員会で矢尾先生の御質問に対しまして私からお答えいたしましたとおり、いままでのいきさつを私も書類あるいは関係者等に当たっていろいろ調べてみますと、やはりいま政務次官のおっしゃったとおり、二億五千万円という一種の全般的な金のワクとして話がきまったというふうないままでの経過になっております。当委員会で数回にわたって国鉄側の説明がまちまちであったという点につきましては、前回深くおわびいたしたわけでありますが、きょうまたこの席を拝借いたしまして、もう一ぺんいままでの説明が非常に不備であったという点につきましては、深く陳謝の意を表する次第であります。
「これに何か問題でも?」という状況。私の先の記事には、詳細な答弁を引用してあるが、夫々の答弁とかけ離れたものではないとほぼ断言してよい。
元ネタの鉄道ピクトリアルの記事を読んでいないから断言はできないけど、結局当該新聞記事の裏取りをしていないんじゃないかなあ。
で、鉄道好きなwikipedia編集子が「マスゴミの風評被害によって僕の大好きな鉄道が貶められている!真実は鉄道関係者が語っているし、P誌なら間違いない!」とばかりに(新聞記事を読まずに?)「真相は異なる」と書いちゃう。
ところが新聞記事には、十河国鉄総裁や磯崎国鉄副総裁の答弁として引用しているので、「国鉄の総裁・副総裁が風評をまきちらしている」ということになってしまい、結果として「マスゴミsage、鉄道age」のつもりが「国鉄総裁・副総裁sage」になっちゃっている皮肉。
で、またそれを検証しない小川裕夫が「封印された鉄道史」だ!と書いちゃう負の連鎖だと。
あえて言うなら「眺望が遮られるという名目で国鉄に交渉し、補償金を得たという逸話が伝えられているが、真相は異なる。」のは確かに正解であって、「7億7千万の要求に対して、眺望権や安全設備の補償とかの名目で2億5千万も払っちゃったけど、その名目は法律にも根拠がないデタラメなものでした。ごめんなさい。」というのが真相だったというべきじゃないかなあ。
十河国鉄総裁は、事業費不足の詰め腹を切らされて引責辞任し、開通式にも呼ばれなかった悲劇の総裁といった取り上げ方がよくされるが、新聞記事にあるように「新幹線の事業費不足が審議されている国会において、近江鉄道には法律的に根拠のない補償金を億単位で支払ったことを「7億から値切ったんだからいいじゃないか」と開き直ったような答弁をするようでは見限られても仕方がないような気がする。
東海道新幹線50周年ということで、この辺もまた掘り返されるかもしれんが、国会議事録くらいはタダで検索できるんだから、ライターさんも手間を惜しまずにチェックしようぜ。
まあ、私も当該鉄道ピクトリアル誌の記事を読みもせずに上記のようなことを書いちゃうので同レベルですわな。でも図書館とかにあるわけでもないしなあ。編集部に「貴社の記事の真偽を検証したいのですが。。」とお願いしたら見せていただけるものなんでしょうか?
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有楽町駅横にJR線をくぐる一方通行の短い地下道があるが、あれは本来、東京オリンピック(先代)対策に日比谷から三原橋まで現在の地下鉄銀座駅のコンコースがあるところに地下自動車専用道路を作る計画の名残で、もとをたどると首都高速道路の計画線でもあったのである。
しかしながら、同時にオリンピックを目指して建設していた営団地下鉄(当時)日比谷線との調整の中で、計画は縮小され、現在の形になっている。
最初の計画は、現在の地下鉄銀座駅1階コンコースを道路にするもの。
この図は、「都市計画と東京都」都政調査会発行(1960)から引用したもの。
読売新聞1961(昭和36)年10月28日
営団地下鉄の反対により、日比谷線の横に並走する形で地下3階に
読売新聞1962(昭和37)年1月13日
この辺の経緯が国会審議にも登場している。東京オリンピックに間に合うか関係者をやきもきさせていたようだ。
第39回国会 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第5号
昭和36年10月25日
結局今の形(区間短縮、一方通行)へ。
読売新聞1963(昭和38)年03月15日
これのどこが首都高やねん?ということだが、昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録には下記のような記録がある。この委員会の議題は「都内高速度道路整備計画に関する件」ということで、藤本勝満露東京都建設局長や藤森謙一日本道路公団計画部長等を参考人として呼び意見を聴取したものである。
(参考)下記は、「東京都市高速道路の建設について」1959年東京都作成
首都高速の当初計画には、現在の都心環状線の霞が関附近から銀座方面への路線がなかったが、引き続き検討することとされていたようで、結局実現はされなかったのであるが、その名残が東京オリンピックを機に上記のような形ででてきたのであろうか?
上記の昭和36年の国会議事録で「すでに三年くらい前から都市計画と話し合いをやっておるのでございます。」と営団地下鉄総裁が答弁しており、昭和33年の答弁とは、整合はとれそうだ。
なお、この地下鉄との競合について、「首都高物語―都市の道路に夢を託した技術者たち」
首都高速道路協会 (著) では、『国会の永田町と銀座、築地を直結する高速道路建設が、都市計画審議会でも何度か議題に上がったが、これは実現していない。山田(※山田正男 東京都建設局長、首都高速道路公団理事長等を歴任し「山田天皇」とも呼ばれた都市計画の実力者)が当時の事情を語っている。「首都高とは直接つなげられなくても、銀座界隈の最後の道路交通対策として、地下鉄丸ノ内線(ママ※管理人注 日比谷線の誤りであろう。)の工事と一緒に地下の自動車専用道路でつなぐ工事を実施しようとした。けれど、オリンピックのために工期の期限があって、断念した。結局、銀座側から日比谷側へ抜ける地下道路だけできたけれど、反対車線ができないなんて、中途半端なことになってしまった・・・・・。」』と記している。
(注:ここからは根拠のない妄想)当該地下道路に三原橋地下街が支障となる為、移転先として、日比谷線建設にあわせて幻の地下街を作ったのならタイミングはバッチリなのだが、そんなうまい話でもないだろうなあ。。。。
(追記)
山田正男氏は自著「時の流れ・都市の流れ」の中で下記のとおり語っている。
「七不思議」というのは「安井都政の七不思議」のこと。幻の地下街との関連はともかく、この際、七不思議のひとつである三原橋地下街を消し去りたいと画策していたことは間違いない。
(追記その2)
「そんなうまい話」が判明したので、ご関心のある方は
東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html
を、あわせてご参照いただければ幸いである。
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スポーツ界で出囃子などに「ももクロ」を使うのがはやっていると聞いていたが、あまりももクロに関心がなかったのが正直なところだった。
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大変場違いなのですが、「取材協力」に私の名前が載っております。私のブログの写真もご活用いただけているようです。お時間のある方は是非。
「銀座地下街ラジオくん」
現在、JIA 建築家協会の中央地域会の方々を中心に、
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「高速道路と自動車(財団法人高速道路調査会刊)」に掲載された日本道路公団昭和35年度着工予定箇所に「高知徳島道路」という聞きなれない割には壮大な名前の有料道路が掲載されている。
二級国道高知木頭徳島線とは、現在の一般国道195号だ。
高知県香美郡物部村大字別府~徳島県那賀郡木頭村大字北川というと下記の場所か。
昭和36年1月14日付官報には、下記のとおり徳島県議会も「日本道路公団が新設する有料道路「高知徳島トンネル」の協議について」なる議決を行っている。
これは、道路整備特別措置法第6条第2項に基づく県議会の議決であろう。
ここまで手続きが進んでいながら、実際には、通常の国道として整備された模様。
TNL Projectさんhttp://cdcdcd.ikaduchi.com/route/kc/kcR/R195/yotsu.htmによると
四ッ足峠トンネルは「竣工1964年12月」ということだから、何かトラブルがあって、工事ができなくなったわけでもなさそうだ。何故に有料道路としての整備がストップしたのだろうか?
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