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2014年3月に作成された記事

2014年3月31日 (月)

横浜DeNAベイスターズの順位予想w

以前、websiteで毎年度の横浜大洋ホエールズ(ベイスターズ)の順位予測のまとめを記録していたが、ここ数年は意味がない(ほとんどが最下位予想なのでwwww)のでやっていなかったが、今年はまとめる意味がありそうなので、久々にやってみた。

いや、久々にAクラス予想がこんなに。それもネタ狙いじゃなくて阪神系や中日系の解説者が自分のとこよりも上に横浜を予想しているのが結構ある。

1位

2位
池谷公二郎(週ベ)、カネシゲタカシ(週ベ)、週刊ベースボール報道陣56人最多、安田猛(ZAKZAK)

3位
淡口憲治(報知)、有藤通世(スポニチ)、安藤統男(報知)、江本孟紀(エキサイトレビュー)、大谷津統一(毎日新聞記者の目)、金村義明(Sportiva)、北別府学(週ベ)、清原和博(ニッカン)、黒江透修(トーチュウ)、工藤公康(ニッカン)、小早川毅彦(週ベ)、小松辰雄(トーチュウ)、小宮山悟(ニッカン)、高木豊(週ベ・報知)、高橋雅裕(週ベ)、田口元義(Number)、武田一浩(週ベ)、田淵幸一(スポニチ)、梨田昌孝(ニッカン)野村弘樹(サンスポ)、細谷拓海(毎日新聞記者の目)、堀内恒夫(報知)、松中みなみ(週ベ)、松村邦洋(週ベ)、松本匡史(週ベ)、やくみつる(週ベ)、藪恵壹(週ベ)、吉井理人(週ベ・Sportiva)、吉村禎章(週ベ・スポニチ)、鷲田康(Number

4位
赤星憲広(スポニチ)、飯田哲也(ZAKZAK)、石田雄太(週ベ)、石富仁(週ベ)、井上一樹(トーチュウ)、大野豊(スポニチ)、緒方耕一(週ベ・ニッカン)、落合英二(トーチュウ)、掛布雅之(報知)、金村義明(報知)、川藤 幸三(スポニチ)、掛布雅之(THEPAGE)、金本友憲(スポニチ)、河合じゅんじ(週ベ)、小林誠二(週ベ)、佐々木一浩(エキサイトレビュー・ニッカン)、篠塚和典(ニッカン)、綱島理友(週ベ)、彦野利勝(トーチュウ)、広澤克実(週ベ・スポニチ)、福本豊(報知)、槙原寛己(週ベ)(Sportiva)、水野雄仁(週ベ・報知)、矢野燿大(スポニチ)、山田久志(ニッカン)、若菜嘉晴(スポニチ)

5位
荒木大輔(週べ)、井上弘昭(トーチュウ)、井森美幸(週ベ)、岩本勉(週ベ)、牛島和彦(スポニチ)、氏原英明(Number)、大島康徳(週ベ)、大友進(週ベ)、鹿取義隆(報知)、川又米利(トーチュウ)、衣笠祥雄(週ベ)、木俣達彦(トーチュウ)、工藤一彦(報知)、桑田真澄(報知)、篠塚和典(週ベ)、しゅりんぷ池田(週ベ)、鈴木啓示(スポニチ)、須藤豊(ZAKZAK)、高橋直樹(週ベ)、田口壮(週ベ)、武井壮、千葉功(週ベ)、土肥義弘(週ベ)、中居正広、中村昌也(週ベ)、西村徳文(週ベ)、張本勲(スポニチ)、東尾修(エキサイトレビュー・スポニチ)、桧山進二郎、堀口文宏(週ベ)、槙原寛己(スポニチ)、松沼博久(週ベ)、宮本慎也(ニッカン)、森高夕次(週ベ)、谷沢健一(トーチュウ)、山田久志(週ベ)、山崎武司(ZAKZAK)、薮田安彦、(Sportiva)、与田剛(Sportiva)、若松勉(サンスポ)

6位
石井一久(スポニチ)、今中慎二(トーチュウ)、スージー鈴木(週ベ)、権藤博(ニッカン)、鈴木英世(毎日新聞記者の目)、外木場義郎(週ベ)、中村計(Number)蓑田浩二(週ベ)、吉見裕都(毎日新聞記者の目)

2位~6位
柴田勲(週ベ)、野村克也(サンスポ)
ちなみに

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2014年3月24日 (月)

開幕記念3 横浜DeNAベイスターズ スタジアムDJ南隼人さん!

いつもMCで奮闘している南隼人さんの声で開幕気分を盛り上げよう!

Photo

スタメン紹介

まといタイム

投手交代

熱き星たちよ

ヒーローインタビュー

一緒にCSに行きましょう!

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開幕記念2 横浜DeNAベイスターズ チャンステーマ集!

開幕記念2 は、横浜DeNAベイスターズ チャンステーマ集だ!

チャンステーマ0

ドン!ドドン!ドンドンドドン!×3 (オイ) ドン!ドドン!【選手名】 ララララ~ さぁ燃え上がれ 我らの 期待をのせて オーオオオーオーオーオー今 鋭く放て この一打

チャンステーマ1

(ファンファーレ)Let's Go BayStars (ドド)オイ (ドド)オイ (ドド)Get The Chance ×2 (メロディ)Let's Go BayStars (ドンドンドン)オイ (ドンドンドン)オイ(ドンドンドンドン) そーれいけいけ【選手名】 ×3(ドンドドン)オイ (ドンドドン)オイ (ドンドドン)Let's Go BayStars

チャンステーマ2

(メロディーLet's Go ×4) 打て 打て【選手名】 打て 打て【選手名】 打て 打て【選手名】 打て 打て【選手名】 かっとばせ~【選手名】 (ドンドンドンドンドンドン) Let's Go ×4

チャンステーマ4

(旧ローズのテーマ-曲にあわせてHey!) 勝つぞ(ドドドン) 横浜(ドドドン) 倒せ(ドドドン) 【相手チーム名】

「Fight oh! YOKOHAMA」

前奏「・・オイ ×2 ♩♩ (メロディーに合わせて ・・オイ ×3)」 ・・・・・・ go for it! X3 ・・・・・・Baystars! (メロディーに合わせて Fight oh! YOKOHAMA ×2)・・・オイ ×4

「攻めまくれ」

ララララ~ラ~ ×2 ララララ~ 我らの星ヨコハマ 闘え 誇りを胸に 我らの星 ヨコハマ 今こそ攻めまくれ ・・・・・・(相手チーム名)倒せ! ・・・・・・絶対勝つぞBaystars!

勇者の遺伝子

星空に響け 激しく  魂がうねる音  闘えWarriors  俺達は生きる  勝利の女神 抱くため  情熱の火よ  我が道を照らせ  Wow wow wow BAYSTARS  勇者の遺伝子

スタンドに刺され 眩しく  流星のホームラン  輝けGlorious  俺達は創る  夢見る者の 伝説を  逆境こそが  最高の舞台  Wow wow wow BAYSTARS  勇者の遺伝子

熱き星たちよ

Oh Oh Wow Wow DeNAベイスターズ  燃える星たちよ Let's Go !  Oh Oh Wow Wow DeNAベイスターズ  夢を追いかけろ

いくぞCS!

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2014年3月23日 (日)

開幕記念1 横浜DeNAベイスターズ2014スタメン応援歌!

今度の週末はプロ野球開幕だ!

そこで記念企画として、2014年横浜DeNAベイスターズ スターティングメンバー応援歌集だ!

1番セカンド7石川 雄洋

栄冠掴むその日まで恐れず飛び込めベースへ 君の熱き血潮で 燃えろ雄洋

2番ショート0山崎 憲晴

並みいる敵をなぎ倒し 派手に決めろ大舞台 新たな未来切り開け 晴れ渡る明日へと

3番ライト3梶谷 隆幸

新たな歴史に その名を刻め 梶谷隆幸 蒼い韋駄天

4番ファースト42T. ブランコ

揺るがぬ確かなプライド 決め球斬る一太刀 仕留めろ鮮やかに 魅せろトニ・ブランコ

5番レフト25筒香 嘉智

さぁ打て筒香 飛ばせ空の彼方 横浜に輝く大砲 かっとばせホームラン

6番サード52A.バルディリス

勝利への道を照らせ 今ここで 導け夢の舞台へ 振り抜けバルディリス

7番センター1金城 龍彦

見せてくれ見せてやれ 超スーパープレイを ハマの風に乗った 男の意地を

8番キャッチャー9黒羽根 利規

ホームベース守り抜け 我らの司令塔 刺せ白い矢で 黒羽根利規

9番ピッチャー17三嶋 一輝

たたかうぞ 闘志みなぎらせて勝利の海 行くぞベイスターズ

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旧国鉄101系が最後と聞いて

旧国鉄101系が最後だーラストランだー引退だーと聞いたので、手持ちのタマでも出しておくか。

 
国鉄101系 (3)
国鉄中央・総武緩行線(参照)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-51da.html

国鉄101系 (1)
国鉄中央線

国鉄101系 (2)
国鉄武蔵野線

鶴見線72形

国鉄101系 (4)

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2014年3月22日 (土)

福岡北九州都市高速道路の未成道と北九州道路

日地出版の「全国版道路地図ハイパワーA」1984年1月版を見ていると、福岡北九州都市高速道路の未成道路が掲載されていた。

北九州道路と都市高速未成道

現在終点となっている下到津から八幡駅付近までの破線の路線がそれである。

北九州都市モノレールも、現在は小倉駅から志井に向かう小倉線のみだが、計画としては黒崎から南に延びる黒崎線と小倉と黒崎を結ぶ東西線があったと記憶する。

一方、現在は都市高速4号線となっている北九州道路・北九州直方道路は、この当時は日本道路公団の一般有料道路だった。この区間の北九州都市高速への編入については、道路行政セミナー1991 年7 月号「北九州都市高速道路と「北九州道路等」との一体化について」に詳しい。
http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1991_data/seminar9107.pdf

衆議院 予算委員会第八分科会 - 1号 1990(平成2)年4月26日では、下記の発言もある。

○東(順)分科員 次は、私はぜひ要望しておきたいことでございますけれども、北九州におきまして、北九州都市高速道路と北九州道路、この一元化というようなことが今地元では大きな話題に上っております。
 昭和六十三年三月末の九州縦貫自動車道の市内全線開通によりまして、北九州道路及び北九州直方道路が代替してきました国の基幹道路としての役割は、これでもって九州縦貫自動車道が受け持つことになりまして、北九州道路等は都市部の高速道路としての性格が強まってきております。このため、北九州都市高速道路と北九州道路等の一体的利用を望む声が今市民の間に強く、大きく起こってきているわけでございまして、都市内高速道路のネットワークとしての機能を高めるため、これらの道路の管理や料全体系の一元化が大変重要なこととなってきております。低料金で能率的に利用できる一元化が実現いたしますと、これまで乗り継ぎによりまして料金二重払いというようなことが現実にあってきたわけでございまして、この料金の二重負担や料金所通過の時間的なロス、朝なんか大変ラッシュで込み合うわけで、こういったことが解消されるだけではなくて、料金格差による交通量の偏りなども是正される、このように私は思います。
 北九州は、今懸命になって地域経済の活性化を目指して闘っている真っ最中でございまして、この北九州市のためにも、もちろん公社、公団という道路主体の違いはございますけれども、この実現に向かいましてひとつ全力を挙げてくださるよう私は要望しておきたいと思います。よろしくお願いを申し上げます。

下記にこの動きに係る官報の関連事項を掲載しておく。

1991(平成3)年3月15日の官報に下記の公告(北九州都市高速道路4号線の追加)が掲載されている。

北九州都市高速

また、1991(平成3)年3月15日の官報に下記の公告(日本道路公団の有料道路としての北九州道路及び北九州直方道路の営業の終了)が掲載されている。

北九州道路

1991(平成3)年3月30日の官報に下記の告示(一般国道の道路区域の減少)が掲載されている。

北九州道路 北九州直方道路 区域減少

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2014年3月21日 (金)

4月からの高速道路料金 道路会社公式パンフ リンク集

ご存知のとおり、来る2014年4月1日から消費税率が改定され、新しい「平日朝夕割引」の導入等ETC割引等も再編される高速道路料金であるが、道路会社から解説パンフレット等がほぼ出揃ったので、単にリンク集として紹介しておく。

■そもそもの全体形の概要
 
 
<各道路会社毎の個別の公式パンフレット>
 
■NEXCO東日本(東日本高速道路)
 
■NEXCO中日本(中日本高速道路)
 
■NEXCO西日本(西日本高速道路)
 
■JB本四高速(本州四国連絡高速道路)
 
■首都高速
 
■阪神高速
 
 
■ETCマイレージ申し込み等(平日朝夕割引に必要)
<料金の根拠となる「協定」>

■独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構と高速道路株式会社との「協定」等について (平成26年3月14日)

 
<新料金検索>
出発日時を4月1日以降に設定したうえで検索すると、新料金が表示されるとのこと。
■NEXCO公式高速道路料金検索アプリ

http://www.driveplaza.com/info/dorapura_app/

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封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業(その2)

封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業 という記事を先日書いたわけで、そこではwikipediaと小川裕夫は、「近江鉄道の眺望権補償1億円の件は、新聞記事の書き方が悪いんだー風評被害だー」みたいなことを書いているが、それはおかしいんじゃないの?ということもご指摘申し上げたつもりである。

再掲するとwikipediaには下記のとおり書いてある。(注:下記はブログ記載時のもので、後日修正対応していただいております。)
かつて東海道新幹線の建設に際し、自社路線との並行区間で鈴鹿山脈の眺望が遮られるという名目で国鉄に交渉し、補償金を得たという逸話が伝えられているが、真相は異なる。詳しくは「近江鉄道本線」を参照のこと。
高宮駅 - 五箇荘駅間で東海道新幹線と並行している。この新幹線建設時に伊吹山鈴鹿山脈の眺望が失われるとして、近江鉄道が当時の国鉄に補償を求めたという話があるが、実際には新幹線によって交差する道路の安全確認が困難となり、踏切改良、警報器設置などの「防護補強工事費」および新幹線の「併設による旅客収入減」等への補償を求めた[2]というのが真相で、協議の末、実際に当時で1億円が支払われている。この時、影響の一つとして眺望も付記したことを新聞に「景観料」と面白く書き立てられて風評が広がったと、2000年に林常彦近江鉄道取締役(当時)は鉄道雑誌『鉄道ピクトリアル』で話している[3]

果たして実際はどうなのか。その新聞はそんなに不当なことを書いているのか?

朝日新聞1963年3月14日

近江鉄道眺望権補償 朝日新聞1963年3月14日

○岡本政府委員(運輸省鉄道監督局長) これも先ほど国鉄の方からお答え申し上げましたように、この地方鉄道軌道整備法二十四条の場合は、新しく国有鉄道が線路を敷設したために既存の地方鉄道がこれによって営業上の影響を受けまして、つまり今まで地方鉄道で運んでおった旅客が全部、新しく敷設された国有鉄道の線路に移る、あるいはそのために営業が成り立ち得なくなった、こういう場合とか、あるいはお客が減ってきて現実に収益が減ってきたというふうな場合でございまして、この近江鉄道と東海道新幹線の関係は、営業上の競合は全然ないわけでございます。つまり近江鉄道の言い分は、自分の線路で運んでおった観光客が、東海道新幹線の築堤によって観光価値が減少するために、その観光旅客が減るという主張をいたしまして、その補償を要求いたしたのでございますので、この第二十四条によるべきものではないというふうに考えております。

○十河説明員(日本国有鉄道総裁) 先ほど申し上げましたように、また同じことを繰り返すようでありますが、四億円、五億円と要求されたものを二億五千万円に切り詰める、圧縮して妥協をするためにそういういろいろな名義を使った。景色の補償とか何とかいう名目にはいろいろ問題があろうかと思いますけれども、やったことはできるだけ補償を少なく圧縮しようというためにやったことであると私は申し上げた次第であります。その名目にはいろいろの問題がありましょうけれども、それよりかできるだけ補償額を少なくしたいということに私は重きを置いているのですから、そういうことの努力を相当やったんじゃないか、そう認めておるということを申し上げた次第であります。名義については、お話の通りいろいろ問題があるかと思います。そういう次第でありますから、これはやむを得なかったのではないか、こう思っておるところであります。

運輸省の幹部が、「近江鉄道から、東海道新幹線の築堤によって観光価値が減少するために、その観光旅客が減るという主張をいたしまして、その補償を要求いたした」と答弁している。
また、安全施設に関する補償についても下記のように他にはそんな補償はしたことはないと述べている。

○大石説明員(日本国有鉄道常務理事) こういうふうに並行いたしまして相手の踏切を直す、またこちらの工事がほかの沿線の私鉄に影響を及ぼしまして、そこに補償を払うというようなケースはほかにございません。

読売新聞1963年6月6日

近江鉄道眺望権補償 読売新聞1963年6月6日

○磯崎説明員(日本国有鉄道副総裁) 三十六年の十二月に払いましたのは一億五千万円でございますが、実はただいま政務次官から御説明のございましたとおり、当初の七億の要求あるいはその後の併設高架の要求等に対しましていろいろ折衝しておったようでございます。そうしていろいろの交渉の過程におきまして、とにかく全額二億五千万円程度でもって妥結しようというような話になった。ただそれにつきまして私のほうの現地の当局といたしましては、少しでもそれを安くしたいという努力をいたしましたが一方工期が迫っておりますし、何とか早く工事に着手したいということで、とりあえずそれでは一億五千万円だけ払う、一億五千万円払えば工事に着手してよろしい、こういう協定を三十六年の十二月に結んでおります。そして、それは当時の当事者から聞きますと、残りの一億は何とかもう少しまけさしたいという気持ちもあって、とりあえず会社が工事に手をつけなさいと言ってくれる最小限――会社から申しますれば最小限、こちらから申しますれば最大限の金を一応出して、それからあと半年ばかりの間に残りの金についていろいろ折衝したい、こういうつもりで一億五千万円を先に出しまして、それでもってとりあえず工事を始めたということになっております。
 この一億五千万円の金の出し方は、前回の委員会で肥田先生の御要求がありまして御説明申し上げ、資料も出しておりますが、三十六年の十二月に払いました金は用地費と用地附帯費という名目になっております。こまかく申しますと、一億四千九百五十万円が用地付帯費で、五十万円が用地費、こういう内訳になって私どもの支払いができております。その後種々折衝いたしまして残りの一億は――とうとう一億をそれ以上に切り下げることができず、約半年たちまして三十七年の七月に残りの一億を、これは用地附帯費ということで支払っております
。前回の委員会で矢尾先生の御質問に対しまして私からお答えいたしましたとおり、いままでのいきさつを私も書類あるいは関係者等に当たっていろいろ調べてみますと、やはりいま政務次官のおっしゃったとおり、二億五千万円という一種の全般的な金のワクとして話がきまったというふうないままでの経過になっております。当委員会で数回にわたって国鉄側の説明がまちまちであったという点につきましては、前回深くおわびいたしたわけでありますが、きょうまたこの席を拝借いたしまして、もう一ぺんいままでの説明が非常に不備であったという点につきましては、深く陳謝の意を表する次第であります。

「これに何か問題でも?」という状況。私の先の記事には、詳細な答弁を引用してあるが、夫々の答弁とかけ離れたものではないとほぼ断言してよい。

元ネタの鉄道ピクトリアルの記事を読んでいないから断言はできないけど、結局当該新聞記事の裏取りをしていないんじゃないかなあ。

で、鉄道好きなwikipedia編集子が「マスゴミの風評被害によって僕の大好きな鉄道が貶められている!真実は鉄道関係者が語っているし、P誌なら間違いない!」とばかりに(新聞記事を読まずに?)「真相は異なる」と書いちゃう。

ところが新聞記事には、十河国鉄総裁や磯崎国鉄副総裁の答弁として引用しているので、「国鉄の総裁・副総裁が風評をまきちらしている」ということになってしまい、結果として「マスゴミsage、鉄道age」のつもりが「国鉄総裁・副総裁sage」になっちゃっている皮肉。

で、またそれを検証しない小川裕夫が「封印された鉄道史」だ!と書いちゃう負の連鎖だと。

あえて言うなら「眺望が遮られるという名目で国鉄に交渉し、補償金を得たという逸話が伝えられているが、真相は異なる。」のは確かに正解であって、「7億7千万の要求に対して、眺望権や安全設備の補償とかの名目で2億5千万も払っちゃったけど、その名目は法律にも根拠がないデタラメなものでした。ごめんなさい。」というのが真相だったというべきじゃないかなあ。

十河国鉄総裁は、事業費不足の詰め腹を切らされて引責辞任し、開通式にも呼ばれなかった悲劇の総裁といった取り上げ方がよくされるが、新聞記事にあるように「新幹線の事業費不足が審議されている国会において、近江鉄道には法律的に根拠のない補償金を億単位で支払ったことを「7億から値切ったんだからいいじゃないか」と開き直ったような答弁をするようでは見限られても仕方がないような気がする。

東海道新幹線50周年ということで、この辺もまた掘り返されるかもしれんが、国会議事録くらいはタダで検索できるんだから、ライターさんも手間を惜しまずにチェックしようぜ。

まあ、私も当該鉄道ピクトリアル誌の記事を読みもせずに上記のようなことを書いちゃうので同レベルですわな。でも図書館とかにあるわけでもないしなあ。編集部に「貴社の記事の真偽を検証したいのですが。。」とお願いしたら見せていただけるものなんでしょうか?

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2014年3月20日 (木)

東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

有楽町駅横にJR線をくぐる一方通行の短い地下道があるが、あれは本来、東京オリンピック(先代)対策に日比谷から三原橋まで現在の地下鉄銀座駅のコンコースがあるところに地下自動車専用道路を作る計画の名残で、もとをたどると首都高速道路の計画線でもあったのである。

 

 しかしながら、同時にオリンピックを目指して建設していた営団地下鉄(当時)日比谷線との調整の中で、計画は縮小され、現在の形になっている。

 

日比谷地下道

 

 

最初の計画は、現在の地下鉄銀座駅1階コンコースを道路にするもの。

三原橋地下街を潰すはずだった銀座地下道計画

 この図は、「都市計画と東京都」都政調査会発行(1960)から引用したもの。

 読売新聞1961(昭和36)年10月28日

 

 

 

 営団地下鉄の反対により、日比谷線の横に並走する形で地下3階に

 

 読売新聞1962(昭和37)年1月13日

 この辺の経緯が国会審議にも登場している。東京オリンピックに間に合うか関係者をやきもきさせていたようだ。

 

 

 

第39回国会 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第5号
昭和36年10月25日

 

○羽田委員 第一号線から第五号線まで詳細なお話を承ったのでございますが、そのうちで二号線が一番問題であろうと思うのでございます。ただいまのお話だと、東銀座から霞ケ関までの間が、東京都の都市計画と話し合いがつかないというお話でございますが、途中が抜けてしまって、北千住から東銀座まで来、また霞ケ関から中目黒までということであると、これは完全に画竜点晴を欠くというか、肝心かなめのところの中途が抜けてしまうということになるのでございますが、それについて、一体東京都の都市計画と地下鉄当局がいつごろからその交渉を始められておるのか、どのくらいの時間がかかっておるかを承りたい。
○牛島参考人(帝都高速度交通営団総裁)  この点につきましては、すでに三年くらい前から都市計画と話し合いをやっておるのでございます。それで、話し合いの内容と申しますか、私どもの計画といたしましては、皆さん御承知の通り、三号線の銀座の駅と四号線の銀座の駅がございますが、これを東西に結びまして、この線路の下に新しい二号線を入れまして、この間にプラットホームを作りまして総合駅を作りたい、こういうことでございます。これに対しまして、都市計画の方の構想としましては、日比谷方面から三原橋に至る区間の地下に自動車道を作る、その自動車道は、ちょうど私の方の総合駅にする地下一階の面を自動車道にしよう、こういうお話でございまして、ここ三年程度いろいろとお話し合いを続けておる次第でございます。
○羽田委員 まあ三年越しにわたる長期の論争をしておる。まだ見込みは立っておるか立っておらぬか知りませんが、とにかく三年越しに論争をしておるということは、役人仕事として少し長過ぎはしないか。これは私鉄の免許なんかのこともありますが、少なくとも一年か一年半くらいで  東京湾の漁業交渉というような民間との話し合いとは違いまして、お役所あるいは営団の立場のお話でございますから、三年もということは少し長過ぎる、これは私はほんとうにそう思うのでございます。 (略)
 (略)
○羽田委員 (略)東京都に首都交通対策審議会というのがございまして、その答申が先般出されておるのでございます。それによりますと、将来の首都の交通の根幹は地下鉄である、地下鉄を都内全部に張りめぐらして、路面電車を漸減して、補助交通機関としてバスとかタクシーをもってすべきである、こういうふうに地下鉄の将来に対して非常に希望を寄せておるのでございます。世界の一流国家の首都においても、いずれも地下鉄というものが今日は主要なる市民の交通機関になっておることは、言うまでもないところでございまして、交通対策審議会がこういう答申を出したということは、もっともな話であると思うのであります。
 そこで、牛島総裁にお尋ねいたしたいのでございますが、銀座を中心とする東銀座駅、あるいは銀座駅、西銀座駅という、二号、三号、四号の連絡のために、地下道で連絡して総合駅を作ろう、こういうお話でございますが、この地下道は、大体オリンピックというか、昭和四十年ごろの想定でけっこうでございますが、一体どのくらいの人が通行するのかということをお尋ねいたしたい。
○牛島参考人 私どもの想定では、昭和四十年に、この三駅間に乗りかえをするのが一日約五十八万人程度あるという計算をいたしておるわけであります。さらに、数寄屋橋より銀座に至る問の地下一階を一般の通路に開放いたしますので、これを利用する方を入れますれば、一日に約七十万人の人になるのではないか、こう考えております。
○羽田委員 乗りかえに五十数万、そして七十万という人が昭和四十年には通行が予想される、こういうお話でございますが、そうすると、もし東京都の地下道かできて、連絡の総合駅というものができない場合においては、各線が分断せられた形になりまして、今度は乗りかえの五十数万の人が路面に出て、雨に降られながら、雪にたたかれながら乗りかえをしなければならぬ、路面もまた非常に混雑してくる、こういうふうに考えますが、それについてはどうでございますか。
○牛島参考人 もしも地下に自動画道を作ると仮定いたしますと、地下一階の面を使います。それに壁が両側にあるので、地下一階は使えなくなります。従って、南北と申しますか、その歴にさえぎられた方面の通行はその面ではできない。従って、それをもう一つ下に下げなければいかぬという問題があります。ところが、それを地下二階の血に下げるといたしますと、階段の広さ、幅の問題とか、あるいは現在あすこの道路の地下に入っております埋設物がたくさんございます、そういう埋設物を共同溝のようなものを作って地下二階に入れるということになります。従いまして、この地下二階というものが旅客の通行に非常に不便なものになりはしないか。従いまして、乗客は路面に出て歩く人もふえてくると思います。また、地下の自動車道を作りますと、現在ございます銀座駅、西銀座駅両方とも大改造を行なって参らなければなりません。これに伴いまして旅客の取り扱いというものも、現在でも困っておりますのが、さらに階段の位置、階段の幅その他から非常に混雑をして参りまして、ラッシュの場合等におきましては非常に安全を心配しなければならなくなりはしないか、こういうふうに考えておるのであります。
○羽田委員 そうすると、東京都の計画する都市計画による地下道ができると、地下二階に下げなければならぬ、そのために、駅の改造また埋設物等のいろいろな関係からお客に対して非常な不便になってくる、こういう大体のお話だと思うのでございます。私、これはしろうとの個人的な見解でございますが、三十九年あるいは四十年というふうにだんだんときがたちますと、東京都の自動車が、先ほどもお話がありましたように非常な数になってくる。しかも、日比谷から三原僑に至る地下道というようなことになってくると、出動車が殺到してきはせぬか、そういうことになると、自動車の排気の問題が出て参って、あるいは窒息死をするような者も現われてくるのではないか、こういう危険も感ぜられるのでございます。そういう意味で、私としては、やはり地下鉄を利用する大衆という点に重点を置いて、自動車というような  これは個人の自家用なり、あるいはタクシーでございますが、一つの車にはごくわずかの人しか利用しておりませんが、そいうようなものの便益をはかって、地下鉄を利用する七十万という諸君に非常に迷惑がかかるというようなことは、東京都の交通計画からいって、まことにまずいことじゃないかというふうに思うのでございます。これは東京都からもおいでになっておりますので、山田首都整備局長にもお話を伺っておくのがよろしいと思いますが、ただ、この委員会で三年越しのものをまたここで繰り返してもらってもまことに意味がございませんで、その三年越しのものを早く断ち切って、そして一本化していくという体制のために質問をいたしておるのでございますから、山田局長にはあえて質問をいたしませんが、とにかくそういうわけでございまして、地下鉄という新しい時代の東京都の交通機関、こういうものに重点を置いていくということが何よりも必要であり、あるいはまた、先ほども警視庁の交通部長からお話がございましたが、まだ十分案を練っていないというお話でございましたけれども、もし必要な場合においては、日比谷から三原橋までは自動車を規制して通さぬというようなことをして、ほかの線を利用させて東西の自動車交通に当てるというようなこともできると思うのでございまして、そういう意味で、私はやはり地下鉄に重点を置いていくべきであるというふうに考えるのでございます。これは私ただ単なるしろうと考えであり、三年越しの論争に対して、しろうとが結論を与えるというような僭越な意味ではございませんが、とにかく、そうことが首都の一番中心部の交通対策として必要ではないか、こういうふうに私は考えておるのでございます。
 そういう意味から申しまして、牛島地下鉄総裁に承りたいのでございますが、東銀座から霞ケ関線を完成するために一体どのくらいな時間が必要であるか、それを承り、三十九年の秋のオリンピックに問に合うように、逆算していつごろまでに着手をしなければならぬかということをお尋ねいたしたいのでございます。
○牛島参考人 東京都とは、先ほど申しましたように長い月日をかけましていろいろと協議をしておるのでございます。私も、この線の完成がオリンピックよりおくれるということを非常に心配いたしまして、いろいろ検討をいたしました。それで、現在、東京都と私の方と、それから建設省、運輸省、首都圏の方等相集まりまして、すでに先月より、今月末までに結論を出すように、いろいろと技術的に、また運輸上の問題等につきまして協議を行なって参っておる次第でございます。これには、首都圏の整備委員の金子さん、あるいはまた、元大阪の電気局長をやられました橋本柊之さん、あるいは建設省におられました都市計画の松井達夫さんの三人の方も一緒に入っていただきまして、この結論を出すように目下いろいろお願いをいたしておる次第でございまして、私どもといたしましては、この委員会と申しますか、ここにおきまして地下の自動車と総合駅、これを面立してやるということはなかなかむずかしい、不可能に近い、こういう考えのもとにいろいろ御説明をして参っております。これらはやがて結論といいますか、その協議の集約ができると思っております。従いまして、この十月末までにその結論を出しまして、私どもとしましては、十二月の末までに設計を完了いたしまして、運輸省、建設費に申請の手続をいたしたいと思っております。従来の例からいたしますと、申請しましてから相当長い時日がたちますが、こういう協議をして了解の上でできた設計でありますれば、早く手続を進めていただけるものと私どもは期待いたしておるのでございますが、それによりまして明年の五月には着工しなければいけないと思っております。明年の五月に着工いたしまして――どういう結論になりますか、私どもは両立することは非常にむずかしいと思っておりますが、私どもの総合駅の案でありますれば、それより二十七カ月かかるのです。従いまして、昭和三十九年の七月末までには地下鉄を完全に開通させたいと考えております。従いまして、本年中に設計が完了し諸般の手続が終わりまして、明年五月に着工いたしますれば、三十九年の七月末までには開通させることができる自信を持っております。
○羽田委員 ただいまのお話によりますと、建設省、運輸省、首都圏整備委員会、交通営団並びに東京都と、この五者の間においてせっかく協議を進め、さらにまた、金子、橋本、松井というようなその道の専門家がお入りになって御相談をなすっていらっしゃる、十月末には結論を出される、こういうお話でございますが、十月も月末に迫っておりますから、すぐにそういう結論が出ると思いますが、これについて計画局長はその十月末までにお出しになれる御自信がございますかどうか、一つ承りたい。
○関盛政府委員(建設省計画局長) ただいまお尋ねのございました計画につきましては、もとより前々からの懸案でございまして、昨年以来、ただいまお尋ねのように、オリンピックの計画に伴いまする東京都内全体の建設省関係の道路を初めとする諸般の事業が予定通り進むための協議会というものに、大臣も出られ、東京都は知事、それからここにおいでになります神崎さんの方も出られまして、大体昨年の秋以来二カ月おきぐらいに集まりまして、今日まで進んで相談をしておる状況でございます。その中におきまして、この地下鉄問題と、いわゆる銀座、日比谷方面の交通問題、これについての話が出たわけなんです。もとより、首都高速道路の計画を都市計画として公団が実施することになりましたときにおきまして、三宅坂から三原橋方面の東西交通に対する対策いかんということが、あの当時におきましてはペンディングになっておったのでございます。今回申し上げております銀座を中心とする東西交通という問題は別にいたしましても、現在の銀座から三原橋方面の市街地の土地利用の現況というものは、おおむね二階半くらいの高さの建物の土地利用の状況でございまして、従って、これが将来五階程度の規模にならざるを得ないだろうというふうなことが、都市計画上、土地の利用関係からいたしまして考えられます。そういたしますと現在の道路率ではとうていもの足りないのじゃないか、従って、そこへ集まって散っていくところの交通、こういう交通に対する対策は、市街地の再開発との見通しにおいて、地下鉄工事の開始と並んでどのようにその対策をとるべきかということが、ここ当面の問題になります。今総裁からもお話がありましたように、ゆっくり検討しておっては間に合わない、そこで、先月の下旬から毎週専門家にも出ていただきまして、この問題は、運輸省、建設省の問題であり、また東京都の大問題でもありますので、それぞれの両省は、大臣にまでお答え願い、次官同士で話し合い、また東京都の副知事も参画されました協議会を作りまして、そして十月までに結論を出し、地下鉄は地下鉄の要請する工事の工期が間に合うように今鋭意検討中でございますので、御三人の方々に裁判官になっていただきまして、いろいろ技術的な問題初め諸般の問題は今検討いたしておりますので、お話のような御心配を早く解決をいたしたい、そして都会の交通関係というものを早く見通しのできるようにいたしたい、こういうふうに、建設省といたしましても運輸省と相談いたしまして進んでおります。

 

 

 

 

 

 

 

結局今の形(区間短縮、一方通行)へ。

 

読売新聞1963(昭和38)年03月15日

 

 

 

 

 これのどこが首都高やねん?ということだが、昭和33年4月10日衆議院建設委員会議事録には下記のような記録がある。この委員会の議題は「都内高速度道路整備計画に関する件」ということで、藤本勝満露東京都建設局長や藤森謙一日本道路公団計画部長等を参考人として呼び意見を聴取したものである。

 

 

○藤本参考人 皇居の南側において、すなわちこの国会方面から、桜田門、日比谷、数寄屋橋を通って銀座方面に通ずる路線の計画が、この計画には入っておらない。その点については、実際上、技術上非常な困難があるけれども、この路線はぜひほしいところなんで、これについても慎重検討をして結論を出す(略)

(参考)下記は、「東京都市高速道路の建設について」1959年東京都作成

東京都市高速道路の建設について2

 首都高速の当初計画には、現在の都心環状線の霞が関附近から銀座方面への路線がなかったが、引き続き検討することとされていたようで、結局実現はされなかったのであるが、その名残が東京オリンピックを機に上記のような形ででてきたのであろうか?

 

 上記の昭和36年の国会議事録で「すでに三年くらい前から都市計画と話し合いをやっておるのでございます。」と営団地下鉄総裁が答弁しており、昭和33年の答弁とは、整合はとれそうだ。

 

 

 なお、この地下鉄との競合について、「首都高物語―都市の道路に夢を託した技術者たち」
首都高速道路協会 (著) では、『国会の永田町と銀座、築地を直結する高速道路建設が、都市計画審議会でも何度か議題に上がったが、これは実現していない。山田(※山田正男 東京都建設局長、首都高速道路公団理事長等を歴任し「山田天皇」とも呼ばれた都市計画の実力者)が当時の事情を語っている。「首都高とは直接つなげられなくても、銀座界隈の最後の道路交通対策として、地下鉄丸ノ内線(ママ※管理人注 日比谷線の誤りであろう。)の工事と一緒に地下の自動車専用道路でつなぐ工事を実施しようとした。けれど、オリンピックのために工期の期限があって、断念した。結局、銀座側から日比谷側へ抜ける地下道路だけできたけれど、反対車線ができないなんて、中途半端なことになってしまった・・・・・。」』と記している。

 

(注:ここからは根拠のない妄想)当該地下道路に三原橋地下街が支障となる為、移転先として、日比谷線建設にあわせて幻の地下街を作ったのならタイミングはバッチリなのだが、そんなうまい話でもないだろうなあ。。。。

 

(追記)

 山田正男氏は自著「時の流れ・都市の流れ」の中で下記のとおり語っている。

 

日比谷地下道と三原橋

 「七不思議」というのは「安井都政の七不思議」のこと。幻の地下街との関連はともかく、この際、七不思議のひとつである三原橋地下街を消し去りたいと画策していたことは間違いない。

 

(追記その2)

 

 「そんなうまい話」が判明したので、ご関心のある方は

 

東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

 

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html

 

を、あわせてご参照いただければ幸いである。

 

 

 

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2014年3月14日 (金)

ベイスターズとももクロ

スポーツ界で出囃子などに「ももクロ」を使うのがはやっていると聞いていたが、あまりももクロに関心がなかったのが正直なところだった。

ところが、先日、友人の結婚式の2次会のBGMでももクロがかかって、選曲した方の熱いももクロ(紫)論を拝聴することとなった。
で次の週に横浜スタジアムへ野球を見に行くと、石川の登場曲がももクロじゃないですか。前の週の2次会でかかったやつ(走れ!)。
)
もう1曲も
)

気になって前に撮った映像を見ると、ここでも!
そういえば、この試合(2014.08.04YOKOHAMA STAR NIGHT)の試合が終わって、電車で帰るときに、日産スタジアムのももクロのコンサート帰りの人が随分いたもんだ。
(追記)
また撮った。

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2014年3月13日 (木)

「銀座地下街ラジオくん 声のアーカイブ展」~三原橋地下街の一件から、これからの街づくりを考える~

大変場違いなのですが、「取材協力」に私の名前が載っております。私のブログの写真もご活用いただけているようです。お時間のある方は是非。

 

「銀座地下街ラジオくん 声のアーカイブ展」
〜三原橋地下街の一件から、これからの街づくりを考える〜
日時:2014/3/19(水)~26(水)12:00~18:00
場所:community space&gallery KANDADA3331(千代田区神田錦町2-1 TEL:03-3518-9101)
容:

 「銀座地下街ラジオくん」は銀座4丁目三原橋地下街の取り壊し問題を東京芸大を中心とした学生たちが取材し、2013 年4 月~ 8 月にネットラジオにて配信されたラジオ番組です。地下街の店主らの想いを「声」で残そうというコンセプトで始まりました。地下街店主らへのインタビューを中心に、周辺の飲食店、画廊などにも意見を伺い、番組としてまとめました。今までの銀座の街の変化と、これからの銀座のあり方を、集まった街の「声」から浮かび上がらせ、考えるきっかけを作るものとなりました。

 現在、JIA 建築家協会の中央地域会の方々を中心に、この地下街の保存運動も動き始めています。今回のアーカイブ展では、私たちの活動を展示すると共に、銀座のこれまでの開発の歴史を写真展示で振り返り、古い建物の有効活用の可能性も含めて街づくりとは何かという問いを共有できる空間を作ります。お茶をご用意してお待ちしておりますので 、どうぞお気軽に足をお運び下さい。(企画・大絵晃世)

主催:学生報道局「ざぎんWAVE」(代表・大絵晃世)

東京新聞にも紹介されていた。

銀座地下街ラジオくん活動年表

俺の名前があるやん。。

大絵さん三原橋展示1


大絵さん三原橋展示2

大絵晃世さんが発掘してきた土浦亀城設計事務所名入りの三原橋観光館の図面が展示されていました。

土浦亀城設計の三原橋観光館


土浦亀城設計の三原橋観光館1
三原橋観光館の屋上に広告塔が!!!

土浦亀城設計の三原橋観光館2


土浦亀城設計の三原橋観光館3

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2014年3月 1日 (土)

日本道路公団の有料道路になるはずだった「高知徳島道路(=R195四ッ足峠トンネル)」

「高速道路と自動車(財団法人高速道路調査会刊)」に掲載された日本道路公団昭和35年度着工予定箇所に「高知徳島道路」という聞きなれない割には壮大な名前の有料道路が掲載されている。

二級国道高知木頭徳島線とは、現在の一般国道195号だ。

高知県香美郡物部村大字別府~徳島県那賀郡木頭村大字北川というと下記の場所か。

昭和36年1月14日付官報には、下記のとおり徳島県議会も「日本道路公団が新設する有料道路「高知徳島トンネル」の協議について」なる議決を行っている。

これは、道路整備特別措置法第6条第2項に基づく県議会の議決であろう。

 (道路管理者との協議等)

第六条 公団は、第三条第一項の許可又は前条第一項の許可(前条第四項の許可を含む。以下同じ。)を受けようとする場合において、申請に係る道路が一級国道又は二級国道であるときは、あらかじめ、当該道路の道路管理者と協議し、都道府県道又は指定市の市道であるときは、あらかじめ、当該道路の道路管理者の同意を得なければならない。

2 前項の規定により道路管理者が協議に応じ、又は同意をしようとするときは、道路管理者である地方公共団体(都道府県知事又は市の長である道路管理者にあつては、その統轄する都道府県又は市)の議会の議決を経なければならない。

ここまで手続きが進んでいながら、実際には、通常の国道として整備された模様。

TNL Projectさんhttp://cdcdcd.ikaduchi.com/route/kc/kcR/R195/yotsu.htmによると

四ッ足峠トンネルは「竣工1964年12月」ということだから、何かトラブルがあって、工事ができなくなったわけでもなさそうだ。何故に有料道路としての整備がストップしたのだろうか?

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