昭和28年 「らい予防法闘争」の裏で行われた患者の強制収容に係る厚生省と都のやりとりを示す公文書
今までは、おちゃらけた記事しか書いたことがないこのブログだが、初めて?真面目な記事を書く。
らい予防法案の提出
一九五三年(昭和二八)三月十四日に提出されたらい予防法案は、いわゆるバカヤロー解散によって即日廃案となったが、六月三十日特別国会に再度提出された。全患協は各支部に対して、多磨全生園への代表者の派遣を呼びかけ、これに応じた各園の代表者らは、国会や厚生省での座り込みなどの激しい反対闘争を連日展開した。また、法案を廃案に追い込むため、作業拒否を含む実力行使を各支部に要請し、決起集会や作業ストライキ、デモ行進などが多くの支部で行われた。しかし、激しい反対運動にもかかわらず、八月六日法案は原案のまま可決成立した。ただし、患者家族の生活保護など九項目にわたる付帯決議は、その後の処遇改善要求での足がかりとなるものであった。
「おかやまハンセン病啓発ホームページ」から引用http://www.hansen-okayama.jp/img/kataru/kouhen/05.pdf
この「国会や厚生省での座り込み」において、昭和28年8月13日には宮崎事務次官を筆頭とした厚生省と全患協との会談の際、宮崎事務次官は「諸君が心中持っている気持ちに対しては、私共も十分分る。局長や、課長の人々が諸君の代表と5日間い亘って諸君と話し合った。かくのごときはその遺憾をまことにあらわしている。(中略)私は役人生活を20数年やっているが、5日間も話し合ったことはない。そちらの意見も十分に聴き、こちらの意見も充分伝えた。言明したことは責任をもって行いたいと思う。(中略)長い間無理をされたので帰られたら充分治療し、静養されて、園に協力していただきたい。(中略)一同拍手をもって別れよう。」と発言している。(大谷藤郎著「らい予防法廃止の歴史」から引用)
<しかし、その一方で、宮崎事務次官らは、癩予防法(旧法)に基づき、全患協を強制的に収容しようと東京都へ働きかけていたということが分かる東京都の公文書を下記に掲げるものである。
概要情報 | 選択 | |
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1 |
らい患者の都内示威更新の概略と都の方針について
らい予防法の全面的改正に当り、法案に反対する目的から全国国立療養所入所中の患者が蹶起し、その一部は都内多摩全生園に集結して、法案上程の前後に国会陳情のため示威行動を起こした。行動の大要は下記のとおりである。
記
国会裏天幕張り座込み 自7月3日至7月8日約80名 自7月29日至8月4日約130名
厚生省に陳情と座込み 自8月4日至8月8日現在約130名
徒歩行進(7月31日) 多摩全生園から都心に向け約350名所沢街道田無町にて国警約150名と対峙
以上に対しl厚生省では、宮崎次官、山口局長等から口頭又は電話をもって約10数回又7月4日付両局長(公衆衛生、医務)名公文書をもって、本都に対し法第3条の規定による知事の強制入所命令の発動により鎮圧されたい旨の強硬な要請があった。本都はこれに対し、患者の都内外出を制止するよう反復申出ると共に次の見解をとった。
A.現在は、法第3条の発動の時期ではない。
1.患者は国家施設の収容管理課にあって一般都民ではない。
2.法第3条を発動しても同様事態を再三繰返へす。
3.130名に及ぶ患者を実力で収容することは不可能である。
B.法第3条を発動することは厚生省が次の條件を充した場合である。
1.)再び外出をさせない保障とする。
2.)国立療養所の患者でないことの証明書を発行すること。
3.)伝染のおそれがあることを証明すること。
4.)示威行動患者の正確な名簿を提出すること。
厚生省宮崎事務次官以下は、1.)については保障を与へられない旨であったが、2.)3.)4.)の項目についてはこれを快諾した。
本都は、2.)3.)4.)の項目が充された場合次の三段階の方法で処理することを対策とした。
1.衛生局長から引揚勧告を行う。
2.一定期限を付けて入所すべき命令を発する。
3.一定期限後速刻入所の命令を考慮する。
既に予防課長は、前後5回に亘り患者一同に対して都の公衆
衛生上集結状態から離脱して都内はいかいを戒められたい旨申入れを行い、更に患者の使用した便所、水道施設等は、その都度消毒をもって予防措置を講じている。
らい患者の都内示威行動の記録と都衛生局の方針
6月25日
1.厚生省からの電話通報によれば
今回らい予防法改正案反対のため全国国立療養所の患者代表が国会陳情の目的をもって全生園からデモ行動を起こす情勢にあり、その際は法第3条を発動されたいとの申し出があった。
2.衛生局予防課では直に国立療養所多摩全生園に電話をもって事実を照会したところ大臣代理として曾田医務局長が出張説得することになったので、同日のデモは中止の様であるが今後当分警戒を要する旨回答があった。
3.午后厚生省 椎名、宮山両事務官来訪
予防課長に対し今後の患者でも行動に関しては法第3条を発動せられたき旨要望があったが確答を與へなかったのみでなく、従来の癩予防行政の実地の困難を傳へて今後の全書を求め、更に患者デモが都の公衆衛生に及ぼす影響を慮って制止されたい旨を傳へた。
7月1日
厚生省からの電話により、らい患者多数が国会衆議院面会所に集合している由で、都からも立会い監視されたい旨の要求があった。連絡の意味で4名を派遣した。即ち衛生局予防課課員小沢、川出を厚生省に又仝熊谷、益戸を厚生省政府委員室に赴かしめた。午后6時以降予防課大久保主事が国会に詰めた。
この間患者側は、代議士10数名に面会した模様である。
午后8時20分頃患者側は徒歩で引揚げた。(都電、国電、タクシーを利用)その数約40数名
7月2日
前日同様国会えデモを行った。此の日は国立療養所全生園のバスを利用して居り同園の職員も附添って居る。
7月3日
患者は、参議院常任委員会建物前にテントを張り坐込みをはじめた。その数約200名交通機関は全生園その他国立医療機関のバス、延長以下職員の附添っていた。
7月4日
1.午前中局長室において、局長、総務部長、予防部長
予防課長、管理課長参集これが対策について協議。続いて厚生省公衆衛生局山口局長、聖成課長来訪により之を加へて凝義した。厚生省は重ねて3条の発動方要請があり更に公文書をもって都は必要な措置を講じなお事態の推移如何によっては3条を発動せられたいと要請があった。(※筆者注:後述)衛生局では患者が一般都民ではないので都で直に取り扱うべきでないとの見解をとった。
衛生局長は事態を副知事に報告し、国立療養所管理課の患者を徒に外出せさぬよう厚生省に申出つることその他の支持を受けた。
2.午后
国会座込みの患者に対し厚生省は職員数十名を派遣したので本都も厚生省の懇請に応じこれを応援する意味で予防課員を主とする職員15名を派遣し同時に局長は政府委員室を訪れ3条の発動は伝染のおそれがある者のみに限るので、本都は届出、検診、説得の結果行うが、国の管理下にある患者については発動できない旨申入れた。
3.その間厚生省は医務局長、小山総務課長、聖成課長が患者代表に対して引揚げ方説得するも効果なし
7月5日
事態に備へて予防課員数名出勤で情報を蒐集
7月6日 午前中
局長室において対策を協議す
局長から法第3条の規定は腕力をもって身体を拘束し得るや否やについて法制意見局に質問するよう命令があったので、総務課長あて照会した。(※筆者注:後述)
7月7日
去る4日厚生省の公文書に対し副知事から厚生省の責任において至急事態を収拾すると共に今後再び外出せしめぬやう努力せられたい旨講義的回答文を発するよう命があったので起案した。
7月8日
1. 法第3条の規定の解釈について総務局長から回答があった(身体を拘束し得るとの事である)
2.厚生省佐分利技官から予防課長へ電話により座込中の患者は全部引揚げた旨報告があった。
7月9日
抗議的回答文書決裁すみ直ちに配達証明付速達にて発送した。
7月13日
参議院厚生委員長から局長に対し参考人として出頭を求め
る通知があり局長出席さる(13日午后1時)
7月28日
参議院事務局で癩患者に電話を使わせたので同局からその消毒依頼があった。
7月29日
1.厚生省から電話で参議院面会室附近に患者数名ありとの通報があり予防課では課長以下3名直ちに現場に出張視察するに、患者約100名が参議院裏に徘徊して居た。参議院の警備部長に面会を求め、協同対策を諮ると共に今後の連絡を密にするやう申出た。
更に厚生委員長の専門委員たる前都衛生課長草間氏に面会し、委員会における審議の進展状況を質す外その動向の連絡を依頼した。
2.患者は前回の場所に天幕を設営座込を開始、その数約130名
7月30日
早朝 厚生省山口局長から衛生局長に対し、電話を以て都の協力を求め、又その依頼により局長と予防課長とは参議院政府委員室に赴き 厚生省の課長数人と協
議した。都では 患者が現在国家機関の管理下に在ることと、行動目的が残存する限りでは第3條の発令が至難たる旨を傳へた。
午后厚生省佐分利技官来訪し、予防課長は第3条発動の体制を整へられたい旨要請があったが、第3條は知事の判断を以て知事が発令するものであり、厚生省の要請のみでは客観情勢が熟して居ない旨を説明し、発動には確答を與へず。
7月31日
1.早朝山口局長から 衛生局長への電話によれば全生園患者約500名が徒歩又は交通機関を利して朝来全生園を脱出参議院に向かって行動を起した。
衛生局長 総務部長 予防課長などは直に協議 その対策(後記)を以て午後厚生省と打ち合はせをすることとし、総務部長と予防課長とは都庁内新聞記者に事態を説明し 記事の慎重を期するやう協力を求めた。
2.国警都本部警ら交通課より電話によれば、らい患者300余名徒歩により全生園を出発田無街道を都心に向けデモ行動を開始しつつありと通報があった。
3.直ちに全生園に電話して情勢を再確認し、都内の公衆衛生上病院と患者との自粛を求めた
4.午后 大久保、下川両主事は現場視察を兼ね全生園に出張す。
デモ隊患者約300名は全生園から約5kmの地点において国警田無地区署警官隊約150名と対峙中であり 午后9時頃厚生省聖成課長到着説得に努むるも功を奏せず、患者の希望をいれて自動車により国会座込中の代表を激励に行く事を承諾す。
5.局長、総務部長、予防課長は政府委員室を訪問 次官と面会3条発動を前提として次の四点を求めた
1.患者を再び出さぬ保障
2.患者が国家機関管理課から離脱せしめた証明
3.デモ中の患者の名簿
4.各患者が傳染源たるおそれありとの証明書
1.については保障を拒み、2.3.4.については次官が口頭を以て確約した。
6.午后6時すぎ予防課長、大久保、下川3名は座込み中の患者に面会を求め、都の公衆衛生上彼等が集結
場所以外に徒に徘徊せぬやう申出て患者一同の快諾を得た。3名は更に夜半10時まで田無街道の現場に赴き事態の動向を視察した。
8月1日
午后国会座込み患者説得
1.都の立場として患者は自由にはいかいしないよう患者代表に申入れた(予防課長)(第2回)
2.午前10時予防部長室において国警、警視庁に参集を求め、局長、総務部長、予防部長、予防課長、管理課長出席 法第3条を発動した場合の協力方を要請した。
3.正午頃厚生省聖成課長は局長を訪問 第3條発令方を懇請したが局長は前日の厚生次官との取決めの線に沿ふ旨を重ねて説明した。
4.予防部長、予防課長等は台風来襲の予報を故として患者の引揚を勧告した。
5.夜10時厚生省は患者の引揚を説得夜半2時に及んだが成功しなかった。
8月2日(日曜)
衛生局長、予防課長、大久保、下川等は患者の動靜を視察すると共に藤楓協会と情報を交換し対策を練った。
予防課長等は前日同様患者代表に申入れを行った(第三回)
8月3日
1.厚生省からの招きにより、国警察警視庁、東京都、厚生省との合同会議に予防課長外2名が出席した。厚生省は事態の説明と今後の協力を求める抽象的な内容に止った。
2.午后政府委員室に予防部長が来訪を求められ大久保主事が同行した。
「事態が法第3条の発動を必要とする段階になってきたので、都側の態勢をととのえられたい旨」であった。
8月4日
1.参議院常任委員会裏の貯水池 三宅坂下の公衆便所を患者が使用したとの情報に本都は直ちに手配をして消毒をした。
2.患者は本日から厚生省に移動し玄関及び大臣室、次官室前の廊下に座込みを行うとしている。
8月5日
1.午前中大久保、下川両主事は厚生省の現場を視察 日比谷公園内の公衆便所(厚生省寄り)が患者により使用された様子が見受けられるので直ちに手配消毒を実施した。
2.午后 厚生省玄関前の患者に対して、遊歩しないよう予
防課長が注意を与えた。
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上述の7月6日に「局長から法第3条の規定は腕力をもって身体を拘束し得るや否やについて法制意見局に質問するよう命令があったので、総務課長あて照会した。」とあるが、下記がその照会に対する回答である。
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概要情報 | 選択 | |
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1 |
件名:らい予防法第3条の適用の可否について(回答)昭和28年7月7日総総文第161号
昭和28年7月6日付衛予予発第300号をもつて御照会のことは下記により御了承されたい。
記
設問:今国会に上提のらい予防法の改正法案に反対し、らい患者の代表者が全国から陳情に上京している。
これららい患者は、一部を除き殆んど療養■■の一時外出証明書をもっている者あるいは、療養■■、■■■それら関係者のつきそいがあり、病的には伝ぱの
おそれはなく、それらの行動は、都内をはいかいすることなく一定の場所に秩序を保ち座り込みを行っている。
以上のよう■らい患者に対し癩予防法第3条第1項を発動し、知事は強制入所の措置がとれるか。
回答
癩予防法第3条第1項は、知事の強制入所に関する権限を規定したもので、らい患者の保護及び一般福祉の増進を図り、知事がらい予防上必要
と認め且つ、らい患者で病毒伝ぱのおそれある場合にのみ権限が行使されることになっている。「病毒伝播ノ虞レアルモノ」とは、伝ぱの事実の発生を必要としないが、単に主観的に特定人が危難の念をいだくというだけでは足らず、一般人がみて伝ぱするという客観的可能性があると考えられるだけの事由のあるものでなければならない。
設問の趣旨に従い■■的事案にあたって同法第3条第1項適用の可、不可をのべる。
1 療養所長の管理作用として正当に発せら
れた証明を保持している者であればその証明書の内容に左右されると思うがその有効期間は、療養所長の■■権力に服している者であるから知事の職務権限のうちにはない。その期間経過後にあってはあらたな証明書の交付をうけない限ぎり、一般の居住者として、病毒伝ぱのおそれあることをもって強制入所をさせることができる。
2 証明書の交付をうけることなく正当な手続きによる療養所関係職員を伴っている者であれば、なお療養所長の管理下にあり療養所の延長とも考えられるので同条適用の対象にはならない。
衛予予発第300号
昭和28年7月6日
総務局長殿
衛生局長
国会に陳情中の国立療養所収容中のらい患者に対しらい予防法第3条の規定を適用の可否についての照会
去る7月1日以来国立療養所収容中のらい患者48名がらい予防法改正法案の反対を叫び、国会に陳情を続け参議院事務局附近に天幕を設営して座り込みを行っているが、これらの患者に対して、厚生省側は別紙写の通り本都知事あてにらい予防法第3条の規定を発動して強制収容の措置を採るよう要請があり又厚生省公衆衛生局長等は本都に衛生局長を訪ねて同様趣旨の依頼があった。しかしながら本都においては、今回の事態については下記の如く解釈しているのでこの際厚生省の見
解のように同法第3条の規定を発動することが果して打倒であるやについて疑義があるので、らい予防法第3条の執行に当って患者が収容を拒む場合には実力行使を以て送院し得るや否やご意見を承わりたい。
なお、この問題は緊急を要するので至急御回答を煩わしたくお願いする。
記
衛生局の見解
1.今回上京した全国国立療養所の患者代表はその所管療養所長から一時外出の証明書の交付を受けているので、患者の籍は国立療養所にあり一般都民ではない。
2.この患者等には一部国立療養所の所長、医務課長、看護婦等が附き添っており国立療養所の管理の下にある外出と認められる。
3.この患者等は秩序ある集団行動をなし、特定の
自動車又は一定の場所に他の陳情団と同様に起居しており都内を自由にはいかいしていない。
4.この患者等は療養所において永い間治療を受けているので同法第3条に規定する「伝染の恐れある者」とのみとは解し難い。
5.たとえ同法第3条を今発動しても、この患者等はらい予防法改正法案反対という目的があるので何等かの解決策があるまでは同様事態を繰り返へすことになる。
6.同法第3条を執行するにも届出、検診、説得後に行うもであるから速時収容はできない。
衛発第510号
昭和27年(※筆者注:28年の誤りか)7月4日
厚生省公衆衛生局長
厚生省医務局長
東京都知事殿
らい患者対策について
らい予防法案の制定に関して最近、国立療養所の入所患者は、所内において作業拒否その他による運動を続けて来たが、最近国会議員に陳情する目的で多数の患者が国立療養所から国会まで再度にわたり外出し、今後においても引続き患者の国会の外出があることも考慮され地元の非常注意を要することとなった。東京都においては、この事態にかんがみ、必要な措置を講じられたい。
なお、事態の推移如何によっては、これらの患者に対してらい予防法第3条の規定に基く国立療養所への強制収容措置も必要かと考えられるが、この措置をとるについてあらかじめ必要な態勢を整えておかれたい。
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問題の癩予防法は、下記のとおりである。
http://law.leh.kagoshima-u.ac.jp/STAFF/uneme/ls6.htm
鹿児島大学法文学部「ハンセン病訴訟に学ぶ」より転記
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