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2014年6月に作成された記事

2014年6月29日 (日)

圏央道の青梅市内を歩いてみる(その2)

圏央道の青梅市内を歩いてみる(その1)の続き。

青梅の町中を歩いていると、何やら石碑が。

圏央道 青梅トンネル (16)

圏央道 青梅トンネル (14)

「圏央道 青梅トンネル 貫通点」と書かれている。

圏央道 青梅トンネル (15)

圏央道 青梅トンネルの概要

延長 2,095m(開削トンネル1,002m 非開削トンネル1,093m)

断面積 約230㎡

特色 上下線2層一体構造

ちなみに平成13年度土木学会技術賞を受賞している。リンク先には、トンネルの実物の断面の写真が載っているので是非見てほしい。

業績は「日本で初めてのNATMによる二階建て超大断面道路トンネルの施工技術」とある。

工事を担当した鹿島建設のウェブサイトhttp://www.kajima.co.jp/news/digest/oct_2001/genba/genba.htmにはこう記されている。

「トンネル中央部は,市街地を通る市道の直下につくるため,地域住民の生活環境や自然環境に配慮する必要があった。そこでトンネルを市道の幅約16mの範囲内に収めるよう,2層式の構造にし,地上から開削して建設する方法ではなく,地中を掘り進むNATMという施工方法をとった。」

圏央道 青梅トンネル8

青梅市が施工した区画整理の地形にあわせて圏央道は走っているのであろう。市内をトンネルで抜けるのも、青梅トンネルが2階建てなのも、地中で急カーブするのもそういう理由であると思われる。

(参考文献)

市街地道路直下の二層道路トンネルの施工〜首都圏中央連絡自動車道青梅トンネル〜http://ci.nii.ac.jp/els/110003975896.pdf?id=ART0005461386&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1403964829&cp=

土被りの浅い大断面 トンネルにおける 地山挙動の非線形逆解析http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00047/1999/09-0095.pdf

JR青梅線と圏央道が立体交差する部分には、一般道の立体交差を含めた三層構造となっている。

圏央道 青梅トンネル (17)

当該区間の模型を作製した会社のウェブサイトhttp://www.k-kikaku.co.jp/douro-page.html/13-oome-tonneru.html

ライオンズマンション河辺東の東側に緑地があってその中に石碑が。

圏央道 青梅トンネル (25)

奥の黒赤の杭の赤い部分に「JH」のマークが見える。

圏央道 青梅トンネル (24)

先程のJRとの立体交差区間も含め、多くの関係者が携わった大工事だったことと思われる。

圏央道 青梅トンネル (23)

この地区は、多摩川の河岸段丘である。

圏央道 青梅トンネル9

圏央道 青梅トンネル10

新奥多摩街道の南側は、また青梅市の緑地の下を青梅トンネルが走っている。

圏央道 青梅トンネル (31)

緑地内にJHマーク入りの杭がある。

圏央道 青梅トンネル11

ここには、以前は、奥多摩街道沿いに青梅スケートセンターがあった。(下記写真の青い屋根)

圏央道 青梅トンネル12

目の前の土手を登ってみると

圏央道多摩川橋 (70)

多摩川を二階建てで渡る圏央道多摩川橋が見える。

圏央道多摩川橋 青梅市内 (83)

多摩川の河原から見ると、左手の河岸段丘のど真ん中をぶち抜いて青梅トンネルからいきなり多摩川橋になる。

圏央道多摩川橋  青梅トンネル

こんなイメージでw

圏央道多摩川橋  青梅トンネル2

グーグルアースで見るとこんな感じ

国土地理院の3D地図で見るとこんな感じ

圏央道多摩川橋  青梅市内 (74)

反対側(南東側)の住宅地から見るとこんな感じ

このあたりは、規制される前は、多摩川の川砂利を採っていた。青梅線からの引き込み線もあった。

小河内ダム建設に寄与したそうな。http://www.the-orj.org/yokkiren2/ogouti/main.html

圏央道多摩川橋  青梅トンネル3

国土地理院航空写真MKT615-C22A-12によると多摩川に砂利採り用の橋まで架けていたのがよくわかる。

圏央道の青梅市内を歩いてみる(その3)に続く

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2014年6月28日 (土)

圏央道の青梅市内を歩いてみる(その1)

圏央道の相模原愛川IC~高尾山ICが開通して東名高速と関越道が繋がった記念に圏央道関係の記事を書いてみる。

圏央道の青梅市内は、短区間に2階建ての青梅トンネルや多摩川橋があっていろんな構造物が満載だ。というかふつうの盛土区間は殆ど無い。そこを歩いて確かめてみる。

圏央道 青梅市内 (112)

歩いて回るので、まずは青梅線小作駅から西東京バスで物見塚へ

青梅スタジアム

青梅IC南側に隣接する青梅スタジアムは、川崎球場に本拠を置いていたころのロッテオリオンズの二軍球場。当時はティアックが所有していた。

圏央道 青梅インターチェンジ

青梅ICは、圏央道が平成8年3月に初めて開通したところ。当時の開通式には、青島幸男東京都知事がテープカットに参加していた。

1996.03.26 圏央道 青梅~鶴ヶ島JCT

開通告知のキャラクターは鈴木蘭々。ポンキッキーズに安室奈美恵と一緒に出ていたころかな?

圏央道 青梅市内 (9)

「インター入口」という標識↑は珍しくないが、「インター下」という標識↓は珍しいのではないか?

圏央道 青梅市内 (6)

圏央道 青梅市内 (4)

青梅ICから東側は高架橋の区間となる。

圏央道 青梅市内 (5)

消失点スキーにおすすめの場所である。

セーラーロボットマシン

高架橋の南側には「セーラーロボット」の工場が!?セーラームーン型のロボットでも作るのか!?(セーラー万年筆の工場です。)

圏央道 青梅市内1

東京エックスを生み出した東京都畜産試験場の北側を高架で進んでいく。

青梅トンネルに入っていくため西側に進むにつれて徐々に下がっていく。

圏央道 青梅市内2

圏央道 青梅市内 (12)

一般道を持たない圏央道にとって非常に珍しい「ルート468」の表示。尤も、国交省は記者発表資料で「R468」のおにぎり表示をつかうのが好きなようだが。

圏央道 青梅市内3

ここで高架橋も終了。短い擁壁区間から青梅トンネルへ潜っていく。

圏央道 青梅市内4

圏央道 青梅市内5

圏央道 青梅市内6

圏央道 青梅市内 (21)

ここは、NEXCO東日本の管轄。

圏央道 青梅市内7

半地下(掘割)区間になっていくと、二階建ての青梅トンネルに入るために、内回りと外回りの路盤の高さが違ってくる。(二階建ての下に入る外回りが段々内回りよりも下になってくる。)

圏央道 青梅市内8

圏央道 青梅市内9

圏央道 青梅トンネル

ここから青梅トンネルに入る。この場所ではまだ卵型でもないし上下2段でもない。この先の地下で徐々に内回りと外回りが寄って行って2段になっていくのである。

この区間の模型作成を担当した会社のサイトを見ると構造がよく分かる。http://www.k-kikaku.co.jp/douro-page.html/21-oomehoriwari.html

圏央道 青梅トンネル3

青梅トンネルの上空は、青梅市の緑地になっている。

圏央道 青梅トンネル換気塔

この窓が無い建物が青梅トンネルの換気塔である。

圏央道青梅トンネル3

青梅トンネル4

換気塔の西側もまた緑地

圏央道 青梅トンネル (1)

青梅トンネルの2階建て構造の解説を書いた看板があった。

トンネルのカーブにあわせて地上に緑地が設置されていることが分かる。

圏央道 青梅トンネル5

圏央道 青梅トンネル (7)

道路は地下だが、地上には「日本道路公団」と記した鋲がある。

圏央道 青梅トンネル6

圏央道 青梅トンネル7

神社の境内の地下を圏央道が走っている。

圏央道 青梅トンネル (12)

ちょうどこの新町御嶽神社の鳥居の下を青梅トンネルがカーブしながら走っていることになる。

圏央道の青梅市内を歩いてみる(その2)へ続く

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2014年6月23日 (月)

昭和28年 「らい予防法闘争」の裏で行われた患者の強制収容に係る厚生省と都のやりとりを示す公文書

今までは、おちゃらけた記事しか書いたことがないこのブログだが、初めて?真面目な記事を書く。

三原橋や東急ターンパイクのことを調べるために東京都公文書館に何回か足を運んできた。その際、請求したファイルの中に綴られている他の文書にも目を通すようにしている。
すると「不忍池を野球場にしたいという請求を不許可にした」とか「玉川上水はもう水道としては使わなくなったので、所管部署を水道局から建設局に移管する」といった文書を見つけることができた。
ただ、今回の文書は、たまたま見つけたにしては非常に重たい文書である。
恥ずかしながら、「ハンセン病」については従前はロクな関心も知識もなかったが、今回の文書に触れる機会があったため駆け足で勉強したような次第である。しかし、まずは紹介することに意義があるのではないかと思い掲載するものである。
そもそもの時代背景としては、下記を参照されたい。

一方、このような全患協の予防法改正運動に協力したのが社会党左派代議士の長谷川保であった。長谷川は全患協の要求事項を受けてハンゼン氏病法(草案)を作成し、議員提出による法改正を目指した(中略) 。しかし、この動きに対抗するため厚生省は政府提出による法改正準備を急いだ。その内容は療養所内で医療と福祉を行うことを明記したものの、都道府県知事による強制入所や外出制限などを設けるなど旧法以上に厳しい隔離原則を持つものであって、法案が提出されると全患協はらい予防法闘争と呼ばれる激しい反対闘争を展開することになるのである。

らい予防法案の提出
  一九五三年(昭和二八)三月十四日に提出されたらい予防法案は、いわゆるバカヤロー解散によって即日廃案となったが、六月三十日特別国会に再度提出された。全患協は各支部に対して、多磨全生園への代表者の派遣を呼びかけ、これに応じた各園の代表者らは、国会や厚生省での座り込みなどの激しい反対闘争を連日展開した。また、法案を廃案に追い込むため、作業拒否を含む実力行使を各支部に要請し、決起集会や作業ストライキ、デモ行進などが多くの支部で行われた。しかし、激しい反対運動にもかかわらず、八月六日法案は原案のまま可決成立した。ただし、患者家族の生活保護など九項目にわたる付帯決議は、その後の処遇改善要求での足がかりとなるものであった。

「おかやまハンセン病啓発ホームページ」から引用http://www.hansen-okayama.jp/img/kataru/kouhen/05.pdf

この「国会や厚生省での座り込み」において、昭和28年8月13日には宮崎事務次官を筆頭とした厚生省と全患協との会談の際、宮崎事務次官は「諸君が心中持っている気持ちに対しては、私共も十分分る。局長や、課長の人々が諸君の代表と5日間い亘って諸君と話し合った。かくのごときはその遺憾をまことにあらわしている。(中略)私は役人生活を20数年やっているが、5日間も話し合ったことはない。そちらの意見も十分に聴き、こちらの意見も充分伝えた。言明したことは責任をもって行いたいと思う。(中略)長い間無理をされたので帰られたら充分治療し、静養されて、園に協力していただきたい。(中略)一同拍手をもって別れよう。」と発言している。(大谷藤郎著「らい予防法廃止の歴史」から引用)

<しかし、その一方で、宮崎事務次官らは、癩予防法(旧法)に基づき、全患協を強制的に収容しようと東京都へ働きかけていたということが分かる東京都の公文書を下記に掲げるものである。

概要情報選択
1 【文書・資料群ID】東京都 【公開件名】【庁議】らい患者の都内示威行動の記録と都衛生局の方針 【補助件名】庁議 【文書年度(和暦)】昭和28年~ 【起案年月日(和暦)】昭和28年08月11日 【文書年度(西暦)】1953年~ 【起案年月日(西暦)】1953年08月11日 【資料種別】公文書_件名_都 【記述レベル】item 【利用可否】利用可 【請求番号】328.A6.07 【収録先簿冊の資料ID】000145706

0011

らい患者の都内示威更新の概略と都の方針について

らい予防法の全面的改正に当り、法案に反対する目的から全国国立療養所入所中の患者が蹶起し、その一部は都内多摩全生園に集結して、法案上程の前後に国会陳情のため示威行動を起こした。行動の大要は下記のとおりである。

国会裏天幕張り座込み 自7月3日至7月8日約80名 自7月29日至8月4日約130名

厚生省に陳情と座込み 自8月4日至8月8日現在約130名

徒歩行進(7月31日) 多摩全生園から都心に向け約350名所沢街道田無町にて国警約150名と対峙

以上に対しl厚生省では、宮崎次官、山口局長等から口頭又は電話をもって約10数回又7月4日付両局長(公衆衛生、医務)名公文書をもって、本都に対し法第3条の規定による知事の強制入所命令の発動により鎮圧されたい旨の強硬な要請があった。本都はこれに対し、患者の都内外出を制止するよう反復申出ると共に次の見解をとった。

0012

A.現在は、法第3条の発動の時期ではない。

1.患者は国家施設の収容管理課にあって一般都民ではない。

2.法第3条を発動しても同様事態を再三繰返へす。

3.130名に及ぶ患者を実力で収容することは不可能である。

B.法第3条を発動することは厚生省が次の條件を充した場合である。

1.)再び外出をさせない保障とする。

2.)国立療養所の患者でないことの証明書を発行すること。

3.)伝染のおそれがあることを証明すること。

4.)示威行動患者の正確な名簿を提出すること。

厚生省宮崎事務次官以下は、1.)については保障を与へられない旨であったが、2.)3.)4.)の項目についてはこれを快諾した。

本都は、2.)3.)4.)の項目が充された場合次の三段階の方法で処理することを対策とした。

1.衛生局長から引揚勧告を行う。

2.一定期限を付けて入所すべき命令を発する。

3.一定期限後速刻入所の命令を考慮する。

既に予防課長は、前後5回に亘り患者一同に対して都の公衆

0013

衛生上集結状態から離脱して都内はいかいを戒められたい旨申入れを行い、更に患者の使用した便所、水道施設等は、その都度消毒をもって予防措置を講じている。

0014

らい患者の都内示威行動の記録と都衛生局の方針

6月25日

1.厚生省からの電話通報によれば

今回らい予防法改正案反対のため全国国立療養所の患者代表が国会陳情の目的をもって全生園からデモ行動を起こす情勢にあり、その際は法第3条を発動されたいとの申し出があった。

2.衛生局予防課では直に国立療養所多摩全生園に電話をもって事実を照会したところ大臣代理として曾田医務局長が出張説得することになったので、同日のデモは中止の様であるが今後当分警戒を要する旨回答があった。

3.午后厚生省 椎名、宮山両事務官来訪

予防課長に対し今後の患者でも行動に関しては法第3条を発動せられたき旨要望があったが確答を與へなかったのみでなく、従来の癩予防行政の実地の困難を傳へて今後の全書を求め、更に患者デモが都の公衆衛生に及ぼす影響を慮って制止されたい旨を傳へた。

0015

7月1日

厚生省からの電話により、らい患者多数が国会衆議院面会所に集合している由で、都からも立会い監視されたい旨の要求があった。連絡の意味で4名を派遣した。即ち衛生局予防課課員小沢、川出を厚生省に又仝熊谷、益戸を厚生省政府委員室に赴かしめた。午后6時以降予防課大久保主事が国会に詰めた。

この間患者側は、代議士10数名に面会した模様である。

午后8時20分頃患者側は徒歩で引揚げた。(都電、国電、タクシーを利用)その数約40数名

7月2日

前日同様国会えデモを行った。此の日は国立療養所全生園のバスを利用して居り同園の職員も附添って居る。

7月3日

患者は、参議院常任委員会建物前にテントを張り坐込みをはじめた。その数約200名交通機関は全生園その他国立医療機関のバス、延長以下職員の附添っていた。

7月4日

1.午前中局長室において、局長、総務部長、予防部長

0016

予防課長、管理課長参集これが対策について協議。続いて厚生省公衆衛生局山口局長、聖成課長来訪により之を加へて凝義した。厚生省は重ねて3条の発動方要請があり更に公文書をもって都は必要な措置を講じなお事態の推移如何によっては3条を発動せられたいと要請があった。(※筆者注:後述)衛生局では患者が一般都民ではないので都で直に取り扱うべきでないとの見解をとった。

衛生局長は事態を副知事に報告し、国立療養所管理課の患者を徒に外出せさぬよう厚生省に申出つることその他の支持を受けた。

2.午后

国会座込みの患者に対し厚生省は職員数十名を派遣したので本都も厚生省の懇請に応じこれを応援する意味で予防課員を主とする職員15名を派遣し同時に局長は政府委員室を訪れ3条の発動は伝染のおそれがある者のみに限るので、本都は届出、検診、説得の結果行うが、国の管理下にある患者については発動できない旨申入れた。

3.その間厚生省は医務局長、小山総務課長、聖成課長が患者代表に対して引揚げ方説得するも効果なし

7月5日

0017

事態に備へて予防課員数名出勤で情報を蒐集

7月6日 午前中

局長室において対策を協議す

局長から法第3条の規定は腕力をもって身体を拘束し得るや否やについて法制意見局に質問するよう命令があったので、総務課長あて照会した。(※筆者注:後述)

7月7日

去る4日厚生省の公文書に対し副知事から厚生省の責任において至急事態を収拾すると共に今後再び外出せしめぬやう努力せられたい旨講義的回答文を発するよう命があったので起案した。

7月8日

1. 法第3条の規定の解釈について総務局長から回答があった(身体を拘束し得るとの事である)

2.厚生省佐分利技官から予防課長へ電話により座込中の患者は全部引揚げた旨報告があった。

7月9日

抗議的回答文書決裁すみ直ちに配達証明付速達にて発送した。

7月13日

参議院厚生委員長から局長に対し参考人として出頭を求め

0018

る通知があり局長出席さる(13日午后1時)

7月28日

参議院事務局で癩患者に電話を使わせたので同局からその消毒依頼があった。

7月29日

1.厚生省から電話で参議院面会室附近に患者数名ありとの通報があり予防課では課長以下3名直ちに現場に出張視察するに、患者約100名が参議院裏に徘徊して居た。参議院の警備部長に面会を求め、協同対策を諮ると共に今後の連絡を密にするやう申出た。

更に厚生委員長の専門委員たる前都衛生課長草間氏に面会し、委員会における審議の進展状況を質す外その動向の連絡を依頼した。

2.患者は前回の場所に天幕を設営座込を開始、その数約130名

7月30日

早朝 厚生省山口局長から衛生局長に対し、電話を以て都の協力を求め、又その依頼により局長と予防課長とは参議院政府委員室に赴き 厚生省の課長数人と協

0019

議した。都では 患者が現在国家機関の管理下に在ることと、行動目的が残存する限りでは第3條の発令が至難たる旨を傳へた。

午后厚生省佐分利技官来訪し、予防課長は第3条発動の体制を整へられたい旨要請があったが、第3條は知事の判断を以て知事が発令するものであり、厚生省の要請のみでは客観情勢が熟して居ない旨を説明し、発動には確答を與へず。

7月31日

1.早朝山口局長から 衛生局長への電話によれば全生園患者約500名が徒歩又は交通機関を利して朝来全生園を脱出参議院に向かって行動を起した。

衛生局長 総務部長 予防課長などは直に協議 その対策(後記)を以て午後厚生省と打ち合はせをすることとし、総務部長と予防課長とは都庁内新聞記者に事態を説明し 記事の慎重を期するやう協力を求めた。

2.国警都本部警ら交通課より電話によれば、らい患者300余名徒歩により全生園を出発田無街道を都心に向けデモ行動を開始しつつありと通報があった。

0020

3.直ちに全生園に電話して情勢を再確認し、都内の公衆衛生上病院と患者との自粛を求めた

4.午后 大久保、下川両主事は現場視察を兼ね全生園に出張す。

デモ隊患者約300名は全生園から約5kmの地点において国警田無地区署警官隊約150名と対峙中であり 午后9時頃厚生省聖成課長到着説得に努むるも功を奏せず、患者の希望をいれて自動車により国会座込中の代表を激励に行く事を承諾す。

5.局長、総務部長、予防課長は政府委員室を訪問 次官と面会3条発動を前提として次の四点を求めた

 1.患者を再び出さぬ保障

 2.患者が国家機関管理課から離脱せしめた証明

 3.デモ中の患者の名簿

 4.各患者が傳染源たるおそれありとの証明書

1.については保障を拒み、2.3.4.については次官が口頭を以て確約した。

6.午后6時すぎ予防課長、大久保、下川3名は座込み中の患者に面会を求め、都の公衆衛生上彼等が集結

0021

場所以外に徒に徘徊せぬやう申出て患者一同の快諾を得た。3名は更に夜半10時まで田無街道の現場に赴き事態の動向を視察した。

8月1日

午后国会座込み患者説得

1.都の立場として患者は自由にはいかいしないよう患者代表に申入れた(予防課長)(第2回)

2.午前10時予防部長室において国警、警視庁に参集を求め、局長、総務部長、予防部長、予防課長、管理課長出席 法第3条を発動した場合の協力方を要請した。

3.正午頃厚生省聖成課長は局長を訪問 第3條発令方を懇請したが局長は前日の厚生次官との取決めの線に沿ふ旨を重ねて説明した。

4.予防部長、予防課長等は台風来襲の予報を故として患者の引揚を勧告した。

5.夜10時厚生省は患者の引揚を説得夜半2時に及んだが成功しなかった。

8月2日(日曜)

衛生局長、予防課長、大久保、下川等は患者の動靜を視察すると共に藤楓協会と情報を交換し対策を練った。

0022

予防課長等は前日同様患者代表に申入れを行った(第三回)

8月3日

1.厚生省からの招きにより、国警察警視庁、東京都、厚生省との合同会議に予防課長外2名が出席した。厚生省は事態の説明と今後の協力を求める抽象的な内容に止った。

2.午后政府委員室に予防部長が来訪を求められ大久保主事が同行した。

「事態が法第3条の発動を必要とする段階になってきたので、都側の態勢をととのえられたい旨」であった。

8月4日

1.参議院常任委員会裏の貯水池 三宅坂下の公衆便所を患者が使用したとの情報に本都は直ちに手配をして消毒をした。

2.患者は本日から厚生省に移動し玄関及び大臣室、次官室前の廊下に座込みを行うとしている。

8月5日

1.午前中大久保、下川両主事は厚生省の現場を視察 日比谷公園内の公衆便所(厚生省寄り)が患者により使用された様子が見受けられるので直ちに手配消毒を実施した。

2.午后 厚生省玄関前の患者に対して、遊歩しないよう予

0023

防課長が注意を与えた。

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上述の7月6日に「局長から法第3条の規定は腕力をもって身体を拘束し得るや否やについて法制意見局に質問するよう命令があったので、総務課長あて照会した。」とあるが、下記がその照会に対する回答である。

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概要情報選択
1 【文書・資料群ID】東京都 【公開件名】らい予防法第3条の適用の可否について 【文書記号・番号】総総文収第161号 【文書年度(和暦)】昭和28年~ 【起案年月日(和暦)】昭和28年07月07日 【文書年度(西暦)】1953年~ 【起案年月日(西暦)】1953年07月07日 【資料種別】公文書_件名_都 【記述レベル】item 【利用可否】利用可 【請求番号】リール番号 34-277 【収録先簿冊の資料ID】000146904

0001

件名:らい予防法第3条の適用の可否について(回答)昭和28年7月7日総総文第161号

0002

 昭和28年7月6日付衛予予発第300号をもつて御照会のことは下記により御了承されたい。

 設問:今国会に上提のらい予防法の改正法案に反対し、らい患者の代表者が全国から陳情に上京している。

 これららい患者は、一部を除き殆んど療養■■の一時外出証明書をもっている者あるいは、療養■■、■■■それら関係者のつきそいがあり、病的には伝ぱの

0003

おそれはなく、それらの行動は、都内をはいかいすることなく一定の場所に秩序を保ち座り込みを行っている。

以上のよう■らい患者に対し癩予防法第3条第1項を発動し、知事は強制入所の措置がとれるか。

 回答

 癩予防法第3条第1項は、知事の強制入所に関する権限を規定したもので、らい患者の保護及び一般福祉の増進を図り、知事がらい予防上必要

0004

と認め且つ、らい患者で病毒伝ぱのおそれある場合にのみ権限が行使されることになっている。「病毒伝播ノ虞レアルモノ」とは、伝ぱの事実の発生を必要としないが、単に主観的に特定人が危難の念をいだくというだけでは足らず、一般人がみて伝ぱするという客観的可能性があると考えられるだけの事由のあるものでなければならない。

 設問の趣旨に従い■■的事案にあたって同法第3条第1項適用の可、不可をのべる。

1 療養所長の管理作用として正当に発せら

0005

れた証明を保持している者であればその証明書の内容に左右されると思うがその有効期間は、療養所長の■■権力に服している者であるから知事の職務権限のうちにはない。その期間経過後にあってはあらたな証明書の交付をうけない限ぎり、一般の居住者として、病毒伝ぱのおそれあることをもって強制入所をさせることができる。

2 証明書の交付をうけることなく正当な手続きによる療養所関係職員を伴っている者であれば、なお療養所長の管理下にあり療養所の延長とも考えられるので同条適用の対象にはならない。

0006

衛予予発第300号

昭和28年7月6日

総務局長殿

衛生局長

国会に陳情中の国立療養所収容中のらい患者に対しらい予防法第3条の規定を適用の可否についての照会

 去る7月1日以来国立療養所収容中のらい患者48名がらい予防法改正法案の反対を叫び、国会に陳情を続け参議院事務局附近に天幕を設営して座り込みを行っているが、これらの患者に対して、厚生省側は別紙写の通り本都知事あてにらい予防法第3条の規定を発動して強制収容の措置を採るよう要請があり又厚生省公衆衛生局長等は本都に衛生局長を訪ねて同様趣旨の依頼があった。しかしながら本都においては、今回の事態については下記の如く解釈しているのでこの際厚生省の見

0007

解のように同法第3条の規定を発動することが果して打倒であるやについて疑義があるので、らい予防法第3条の執行に当って患者が収容を拒む場合には実力行使を以て送院し得るや否やご意見を承わりたい。

 なお、この問題は緊急を要するので至急御回答を煩わしたくお願いする。

衛生局の見解

1.今回上京した全国国立療養所の患者代表はその所管療養所長から一時外出の証明書の交付を受けているので、患者の籍は国立療養所にあり一般都民ではない。

2.この患者等には一部国立療養所の所長、医務課長、看護婦等が附き添っており国立療養所の管理の下にある外出と認められる。

3.この患者等は秩序ある集団行動をなし、特定の

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自動車又は一定の場所に他の陳情団と同様に起居しており都内を自由にはいかいしていない。

4.この患者等は療養所において永い間治療を受けているので同法第3条に規定する「伝染の恐れある者」とのみとは解し難い。

5.たとえ同法第3条を今発動しても、この患者等はらい予防法改正法案反対という目的があるので何等かの解決策があるまでは同様事態を繰り返へすことになる。

6.同法第3条を執行するにも届出、検診、説得後に行うもであるから速時収容はできない。

0009_stitch

衛発第510号

昭和27年(※筆者注:28年の誤りか)7月4日

厚生省公衆衛生局長

厚生省医務局長

東京都知事殿

 らい患者対策について

 らい予防法案の制定に関して最近、国立療養所の入所患者は、所内において作業拒否その他による運動を続けて来たが、最近国会議員に陳情する目的で多数の患者が国立療養所から国会まで再度にわたり外出し、今後においても引続き患者の国会の外出があることも考慮され地元の非常注意を要することとなった。東京都においては、この事態にかんがみ、必要な措置を講じられたい。

 なお、事態の推移如何によっては、これらの患者に対してらい予防法第3条の規定に基く国立療養所への強制収容措置も必要かと考えられるが、この措置をとるについてあらかじめ必要な態勢を整えておかれたい。

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問題の癩予防法は、下記のとおりである。

第三條 行政官廳ハ癩豫防上必要ト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ癩患者ニシテ病毒傳播ノ虞アルモノヲ國立癩療養所又ハ第四條ノ規定ニ依リ設置スル療養所ニ入所セシムベシ

http://law.leh.kagoshima-u.ac.jp/STAFF/uneme/ls6.htm

鹿児島大学法文学部「ハンセン病訴訟に学ぶ」より転記

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2014年6月14日 (土)

オランダ代表スナイデルが話題ですが、ここで日本の「ツナイダル」を見てみましょう

サッカーのワールドカップも始まり、オランダがスペインを破ったとか話題になっているところで、「スナイデル」ならぬ、日本の「ツナイダル」を見てみよう。

ツナイダルは落橋防止構造の一つで、連結された高強度チェーンの内部及び周囲に加硫ゴムを配したブロッ ク型ゴム被覆チェーン式の落橋防止装置です。
ツナイダルはゴムとチェーンの複合体でU字型構造になっており、3次元の揺れに対してフレキシブルに変形・追従し、地震時の衝撃を和らげ、落橋を防ぎます。

http://www.bridgestone.co.jp/business/dp/construction/znaidal/index.html

地震の際に、橋がはずれて落ちないように繋ぎとめているブリヂストンの商品だと思えばよい。

ツナイダル (4)

ツナイダル (1)

ツナイダル (2)

ツナイダル (5)

橋脚の両側にビッシリとツナイダルが!

ツナイダル (6)

ツナイダル (15)

一箇所で一番多いツナイダルを見たのはここ。

ツナイダル (14)

ツナイダル (11)

JRの貨物線を跨ぐ橋梁に設置されている。

ツナイダル (13)

橋を支える両側の橋脚にそれぞれ12ケのツナイダルが!

ツナイダル (15)

ツナイダル (3)

横向きのツナイダルも。(橋桁同士を繋いでいる)

ツナイダル (10)

ツナイダル (9)

ツナイダルは、何故か大阪に多く、東京には少ない模様。

東京で見かけたのは下記くらい。

ツナイダル (18)

ツナイダル (17)

ツナイダル (19)

ツナイダル (16)

貴重なので何枚もUPしてみるw

いいねえ。。。君も、地震に耐えて橋を守る守備的MF?ツナイダルを応援しよう!

ツナイダル (8)

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三原橋の解体・撤去は、平成25年度内に決定済。コンサルにも発注済。

三原橋地下街は閉鎖され、三原橋ビル(三原橋観光館)も解体中で、その後はどうなることか注目を集めていたわけだが、東京都では既に三原橋自体を撤去する方針で、建設コンサルタント会社にも工法検討等を発注済だった。

下記は、「東京都 電子入札情報」の検索結果だ。

 
採用者情報
採用項目 採用内容
契約部署 建設局第一建設事務所庶務課
契約番号 25-00243
見積日時 平成25年11月7日 午前9時30分
見積場所 第一建設事務所 1階 入札室
件 名 【電子】道路構造物計画検討(晴海通り)
採用者氏名 株式会社ドーコン
採用金額 4,620,000円
公表通知書 PDF選定の理由帳票
見積経過情報
No 見積者氏名 見積金額 備考
1 株式会社ドーコン 4,400,000円  
2 株式会社エイテック 6,900,000円  
3 株式会社エーシーイー 8,400,000円  
4 株式会社復建エンジニヤリング 9,500,000円  
5 株式会社エイト日本技術開発 9,500,000円  
6 日本工営株式会社 9,530,000円  
7 株式会社長大 辞退  
ハッシュ値一覧
記事 履行場所  東京都中央区銀座五丁目地内
工事概要  道路構造物計画検討(晴海通り)
(1)設計計画(2)現地踏査(3)三原橋撤去に伴う検討①晴海通り道路改良計画②三原橋撤去の概
略施工計画③地下歩道のバリアフリー化計画④地下2階における概略補修計画の検討⑤概算工事費
⑥課題の整理(4)交通量調査(歩行者)(5)竣工図面のデータ化(6)整備イメージパースの作成(7)照査
(8)報告書作成(9)設計協議(中間2回)
【分野:道路】
工  期  契約確定の日から平成26年 3月31日まで

注目すべきは「(3)三原橋撤去に伴う検討①晴海通り道路改良計画②三原橋撤去の概略施工計画③地下歩道のバリアフリー化計画④地下2階における概略補修計画の検討」の部分である。

・三原橋を撤去して晴海通りを改良する。

・現在、三原橋地下街が支障となって一部階段となっている地下歩道を「バリアフリー化」する。

・地下2階(例の「幻の地下街」のことか??)を補修する。

IMG_4509

「地下歩道のバリアフリー化」ということは、この階段を無くすということか??

IMG_4508

営団地下鉄(当時)の資料によると、三原橋地下街と当該地下歩道と「幻の地下街」と日比谷線の関係は下記のような感じになっている。

日比谷線-三原橋付近縦断図

三原橋の前後だけ「伸縮継手」になっているということは、ここだけいつの日か改修する予定があり、遂にその日が来たということなのだろうか?

東京都の発注資料によると、既に三原橋解体後の「イメージパース」も納品されているはずだから、どなたか「情報公開請求」でもしてみては如何か?

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2014年6月11日 (水)

三原橋地下街 カレーコーナー三原最終営業日

いってきました。25日と26日の連日

細けえことはまた整理してUPするわ。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140425/k10014036081000.html

NHKでも報道されたようです。

テレビ朝日の「報道ステーション SUNDAY」でも報道されました。

眼鏡っ子記者が一生懸命取材していました。

三原橋地下街テレビ朝日痛恨のミス

そしてグラフィックで三原橋地下街の生成過程を紹介!

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (1)

三十間堀川は東京大空襲のガレキを埋めて、土地は売り出されたのでした。

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (2)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (3)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (4)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (5)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (6)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (7)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (8)

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (9)

嗚呼、せっかくCGまで作っていただいたのに店の向きが違うよ!

これだと、どこから地下街に入るんだよ。。。

正解は下記のとおり。

三原橋地下街 テレビ朝日痛恨のミス (10)

これと見比べていただければよいのではないか?

三原橋地下街経緯公文書009

この図だと上下方向が晴海通りで左右方向が地下街だ。

更に言えば、橋の図面が先代のもので現在三原橋地下街を構成する橋とは違うのだ。

http://doboku.metro.tokyo.jp/start/03-jyouhou/nenpo/24nenpo/2423.pdfから

三原橋一般図

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三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1)

三原橋ビル(三原橋観光館)が解体中だ。

三原橋解体中 (21)

三原橋解体中 (1)

三原橋解体中 (2)

三原橋解体中 (5)

三原橋解体中 (18)

三原橋解体中 (8)

三原橋解体中 (6)

三原橋地下街にも重機を入れて撤去工事中の模様。

三原橋解体中 (7)

シネパトスの部材なのか大量の鉄骨?フレーム?

三原橋解体中 (17)

三原橋解体中 (16)

どこかのドアが搬出されている。

三原橋解体中 (15)

三原橋解体中 (4)

三原橋解体中 (9)

目隠し板の部材が搬入されている。

三原橋解体中 (11)

三原橋解体中 (10)

カレーコーナー三原のあたりも撤去が行われている模様。

三原橋解体中 (12)

三原橋解体中 (14)

三原橋解体中 (20)

三原橋解体中 (19)

追記:東京MXテレビでも報じられていたようだ。

三原橋センター 解体工事始まる (地域・まち - 2014年5月19日)
中央区東銀座の地下街と観光館としておよそ60年親しまれてきた「三原橋センター」がきょうから解体工事に入ることになりました。
 三原橋センターは江戸時代の運河の一つ、三十間堀川が埋め立てられた後、1952年から1953年にかけて三原橋の下に地下街、橋の両端の地上部分に店舗などが入るビルが建てられました。中央区では建物が老朽化したことや耐震性などを不安視する声も出ていることから、最後まで残っていた店舗が退去したことを受けて解体することにしました。
 今回の解体について、日本建築家協会は舛添知事と中央区の矢田区長に「三原橋センターは歴史的・文化的・都市景観的にも価値のあるもの」として、未来へ伝えるための検討委員会を設置するよう要望しています。

中央区議会では、要望されたその区長が

○矢田区長
   まちづくりは、戦後もう間もなく60年を迎えるわけですけれども、この60年間、中央区のまち、随分住民感情、また住民の意向に合わないもの、また後から大きな問題を投げかけているところが随所に見られるわけでございます。日本橋上空の高速道路あるいは昭和通りの道路、まちを二分している道路、また三原橋のところの不法占有、いろいろなところに、国あるいは東京都等のまちの環境とか美観とか、住民のそういう意向を無視したものが、どんどんつくられてきたわけです。それが、今、本当にたまらないほど迷惑になっているわけでございますけれども、これは人がつくったわけです、行政がつくった。これをしっかりと、もとに戻そうにもどうにもならないほど、私たちは苦しめられてきている。

と答弁しているのに「三原橋センターは歴史的・文化的・都市景観的にも価値のあるもの」という日本建築家協会の主張には大いなる違和感を感じる。むしろ地元にケンカ売ってるのかという感じ。

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その2)はこちらを参照ください

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2014年6月 7日 (土)

「ハートマーク♡」付の橋の名前 「備前♡日生大橋」

「親しみやすい公共事業」を目指して、施設の名称を公募で決める例が増えている。

そのために、日本中に「ふれあい橋」とかいった名前が増殖中だ。そして、ついに「ハートマーク♡」付の名称が登場している。

岡山県備前市では、建設中の日生大橋(仮称)の正式名称を「備前♡日生大橋」と決定した。「びぜんひなせおおはし」と読み、ハートマークには読み仮名はついていないようだ。

【山陽新聞から引用】
 11月定例備前市議会は28日開会。吉村武司市長は政務報告で、日生諸島の鹿久居島と本土を結び、2015年春の開通を目指して建設中の橋の正式名を、公募により「備前〓日生大橋」に決めたことを紹介した。 市内外から寄せられた221点の中から、浜本由美さん(61)=同市=の案を採用。事前に11点に絞り、市幹部12人の投票で選んだ。浜本さんは「備前と日生の熱い思いと願いが込められた待望の大橋」と由来を説明している。
 市長は、同大橋へのアクセス道として同時に開通させる橋の名称についても、地元の地名に由来し仮称で使ってきた「梅灘橋」としたことを報告。194点の応募から、シンプルで分かりやすいことを理由に挙げた朝倉修さん=札幌市=の案を取り入れた。 「備前〓日生大橋」(同市日生町日生)は延長765メートルで、従来の仮称は「日生大橋」。梅灘橋(同市日生町寒河)は同166メートル。
〓は「ハートマーク」

備前市のウェブサイトも参照されたい。

http://www.city.bizen.okayama.jp/busyo/kakyou/taisaku_index.html

「備前♡日生大橋」は、三井住友建設が受注したエクストラドーズド橋だ。

http://www.smcon.co.jp/wp-content/themes/smc/resource/images/page_images/service/pcnews_pdf/PCN165.pdf

三井住友建設は、以前も受注した橋の名称がおかしなことになってしまっている。施主に変な名前をつけられる呪いでもかかっているのか?

NEXCO西日本が三井住友建設に発注した東九州自動車道の「田久保川橋(仮称)」

http://www.qsr.mlit.go.jp/n-shiryo/kensyu_ronbun/04/03.pdf

世界初のバタフライウェブ橋ということであったが、正式名称は「寺迫ちょうちょ大橋」。。。

http://www.smcon.co.jp/2013/10236590/

バタフライウェブだから「ちょうちょ」なんだろうか。せっかく田中賞もとったのに。

顔文字付学部名として一部で有名な「鈴峯女子短期大学」の「日本語日本文化(^^)コース」を思い出したわ。

http://www.suzugamine.ac.jp/department/linguistic/course/japanese_c.html

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2014年6月 6日 (金)

箱根ターンパイクがNEXCO中日本に買収されて子会社になっていた

2014年6月5日に、NEXCO中日本(中日本高速道路)が平成26年3月期決算を発表していた。


そこに、しれっと

「当社の子会社である(同)NEXCO中日本インベストメントは、道路運送法に基づく自動車道事業の運営を目的として、箱根ターンパイク㈱の株式を取得し、子会社としました。」

と書いてある。

Nexco

グループ企業の一覧にも箱根ターンパイクが入っている。
Nexco_2

NEXCO西日本が以前、芦有ドライブウェイ http://www.royu.co.jp/ を買収しているので、旧建設省管轄の旧道路公団が、旧運輸省管轄の一般自動車道を買収した2例目の事例となる。


箱根の方は、ネーミングライツで「TOYO TIRES ターンパイク」を名乗っているので、NEXCO中日本の営業路線にネーミングライツが導入されたということにもなるのかな。

この際、新東名等にもネーミングライツを入れてしまえばよいのではないかw


ところで、箱根ターンパイクは、東急の五島慶太が、田園都市開発と箱根のお山大戦争のために、渋谷から箱根にかけての自動車道を建設するはずが、日本道路公団の第三京浜道路と競合したため、実際には小田原から箱根の路線しか認可されなかったといわれているが、外資を経由して、結局旧道路公団の会社に買収されるとは皮肉なことだ。

(参考)

また、ここを東急から買収した外資は、オーストラリアのマッコリー(韓国のお酒じゃないよ)のはずで、「PFIの先駆け」とか「日本のインフラにも外資が参入」といった感じで取り上げられていたはずだが、どうして手放したのだろうか?東急から買収した額とNEXCOへ売却した額にも随分差があることだよ。

(参考)

http://www.jice.or.jp/oshirase/201110110/kanai_04.html


※一般自動車道の法律的な性格等は下記の5頁~9頁を参照されたい。

※追記

http://facta.co.jp/article/201408017.htmlに下記のような記事が

コンセッション狙い中日本高速が「忍び足」

愛知県有料道路の運営権に虎視眈々の旧道路公団。“肩慣らし”に箱根ターンパイクを買った。

2014年8月号

    苦心の末に摑んだ“規制緩和の果実”はトンビにさらわれてしまうのか――。愛知県が国に提案した全国初の「有料道路コンセッション(運営権の民間売却)」方式が新成長戦略に事実上盛り込まれ、ようやく実現の目鼻がついたが、関係者の表情から硬さが消えない。

    関連法の改正スケジュールがまだ決まっていないのも理由の一つだが、それ以上に大きいのは、旧道路公団の分割会社で、有料道路やサービスエリアの管理・運営ノウハウを握っている中日本高速道路(NEXCO中日本、名古屋市)が不可解な動きをみせていることだ。

    表向きは静観の構えだが、裏ではこっそり関東地方の有料道路運営会社を買収するなど、コンセッション獲得に向けた“肩慣らし”ともとれる動きをちらつかせている。

    ※追記その2

    西村 京太郎の十津川警部 箱根バイパスの罠 (講談社文庫) という本は外資の有料道路である「箱根バイパス」の買収を巡る殺人事件だ。

    NEXCO中日本も死人が出なくてよかったなw

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    東京江之島間有料専用道路申請書が出て来た~東急ターンパイクの考察(その1)

    東急五島慶太の自動車道計画の全貌~東急ターンパイクの考察(その2)

    何故に東急ターンパイクの免許は認可されなかったのか~東急ターンパイクの考察(その3)

    (参考)

    箱根ターンパイクがNEXCO中日本に買収されて子会社になっていた

    東急プラザは東急ターンパイクのバスターミナルになるはずだった

    「トトロの住む家」が本社だった高速道路会社があった

    第三京浜道路調査報告書を読む~玉川ICは、何故そこにあるのか?~

    清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(2)

    東急ターンパイクに係る東京都庁議書類

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