三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1)
三原橋ビル(三原橋観光館)が解体中だ。
三原橋地下街にも重機を入れて撤去工事中の模様。
シネパトスの部材なのか大量の鉄骨?フレーム?
どこかのドアが搬出されている。
目隠し板の部材が搬入されている。
カレーコーナー三原のあたりも撤去が行われている模様。
追記:東京MXテレビでも報じられていたようだ。
三原橋センター 解体工事始まる (地域・まち - 2014年5月19日)
中央区東銀座の地下街と観光館としておよそ60年親しまれてきた「三原橋センター」がきょうから解体工事に入ることになりました。
三原橋センターは江戸時代の運河の一つ、三十間堀川が埋め立てられた後、1952年から1953年にかけて三原橋の下に地下街、橋の両端の地上部分に店舗などが入るビルが建てられました。中央区では建物が老朽化したことや耐震性などを不安視する声も出ていることから、最後まで残っていた店舗が退去したことを受けて解体することにしました。
今回の解体について、日本建築家協会は舛添知事と中央区の矢田区長に「三原橋センターは歴史的・文化的・都市景観的にも価値のあるもの」として、未来へ伝えるための検討委員会を設置するよう要望しています。
中央区東銀座の地下街と観光館としておよそ60年親しまれてきた「三原橋センター」がきょうから解体工事に入ることになりました。
三原橋センターは江戸時代の運河の一つ、三十間堀川が埋め立てられた後、1952年から1953年にかけて三原橋の下に地下街、橋の両端の地上部分に店舗などが入るビルが建てられました。中央区では建物が老朽化したことや耐震性などを不安視する声も出ていることから、最後まで残っていた店舗が退去したことを受けて解体することにしました。
今回の解体について、日本建築家協会は舛添知事と中央区の矢田区長に「三原橋センターは歴史的・文化的・都市景観的にも価値のあるもの」として、未来へ伝えるための検討委員会を設置するよう要望しています。
中央区議会では、要望されたその区長が
○矢田区長
まちづくりは、戦後もう間もなく60年を迎えるわけですけれども、この60年間、中央区のまち、随分住民感情、また住民の意向に合わないもの、また後から大きな問題を投げかけているところが随所に見られるわけでございます。日本橋上空の高速道路あるいは昭和通りの道路、まちを二分している道路、また三原橋のところの不法占有、いろいろなところに、国あるいは東京都等のまちの環境とか美観とか、住民のそういう意向を無視したものが、どんどんつくられてきたわけです。それが、今、本当にたまらないほど迷惑になっているわけでございますけれども、これは人がつくったわけです、行政がつくった。これをしっかりと、もとに戻そうにもどうにもならないほど、私たちは苦しめられてきている。
まちづくりは、戦後もう間もなく60年を迎えるわけですけれども、この60年間、中央区のまち、随分住民感情、また住民の意向に合わないもの、また後から大きな問題を投げかけているところが随所に見られるわけでございます。日本橋上空の高速道路あるいは昭和通りの道路、まちを二分している道路、また三原橋のところの不法占有、いろいろなところに、国あるいは東京都等のまちの環境とか美観とか、住民のそういう意向を無視したものが、どんどんつくられてきたわけです。それが、今、本当にたまらないほど迷惑になっているわけでございますけれども、これは人がつくったわけです、行政がつくった。これをしっかりと、もとに戻そうにもどうにもならないほど、私たちは苦しめられてきている。
と答弁しているのに「三原橋センターは歴史的・文化的・都市景観的にも価値のあるもの」という日本建築家協会の主張には大いなる違和感を感じる。むしろ地元にケンカ売ってるのかという感じ。
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