昭和28年の首都高速道路計画
昭和28年4月28日に、首都建設委員会は「首都高速道路に関する計画」の勧告を発表した。
その路線図が下記のものである。
※http://www.road.or.jp/road_newsite/member_area/magazine/1954/1954-01.pdf から引用
現在の首都高速のように運河や河川の上を通らず、堂々と町中を貫いているのが印象的である。
また、羽田空港への路線が無いことから、当時は空港への需要があまり重要視されなかったのだろうかと推測される。
1号線 角筈三丁目~岩本町
経過地 千駄ヶ谷、紀国坂、日比谷、万年橋、千代田橋、岩本町
分岐線 万年橋~浜離宮前
2号線 玉川町~永田町
経過地 柿木坂、上目黒、霞町、竜土町、永田町
3号線 西大崎~駒形橋
経過地 泉岳寺前、芝公園、日比谷、大手町、昭和通、浅草橋
4号線 池袋一丁目~大手町一丁目
経過地 大塚、八千代町
5号線 浜離宮~市場通中橋
分岐線 八重洲口分岐線
分かりにくいので色を付けてみた。
なお、4号池袋線の八千代町は、現在の小石川一丁目
http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.71510656646504&lng=139.75047133204657
5号数寄屋橋線の市場通中橋は、現在の入船町一丁目
http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.67448525848955&lng=139.7767355227204
また、5号数寄屋橋線には、東京高速道路会社線(KK線)が取り込まれている。
首都高速道路公団20年史によるとこの高速道路網は下記の原則によるものとしている。
(Ⅰ)高速道路網は都市における自動車交通に対して幹線道路網とともに総合交通網を構成し、現在および将来の主流交通を仁族、安全かつ能率的に運行せしめるよう計画すること。
(Ⅱ)都心、副都心、主要交通の中心等を連絡し、郊外主要幹線との連けい(ママ)に留意する。
(Ⅲ)高速鉄道、運河、幹線街路との適当な連絡地点を勘案する。
これに対して、現在の首都高速道路網の原型が決定されたのは、この後昭和32年となる。
昭和33年4月10日衆議院建設委員会では、藤本勝満露東京都建設局長が下記のように答弁している。
「経過地に当っては不利用地、治水、利水上の支障のない河川、または運河を使用して、やむを得ざる場合だけが幅員40mの道路に設置する、建前としては道路上には設置しないように」「物件移転費という欄の一番下の欄をごらんいただきますと、878という数字が出ております。これは移転棟数の合計でございます。これだけの事業をいたしますのに、移転棟数がともかく千棟以下であるという点については、やはりできるだけ民有地あるいは民家というような面において御迷惑を少くするという配慮をいたした一つの現われだと存ずるのであります。」
用地買収を減らす形の路線選定に切り替えたというわけだ。
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