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2014年7月に作成された記事

2014年7月 8日 (火)

「トトロの住む家」が本社だった高速道路会社があった

トトロの家

東京都杉並区の「トトロの住む家」こと「Aさんの庭」。実際には近藤謙三郎という戦後の道路史に欠かせない人物の旧邸だったところ。

実は、ここを本社とする民間の高速道路会社があった。

高速車道株式会社 杉並区阿佐ヶ谷五丁目75番地 発起人総代 近藤 謙三郎

申請の区間 総粁程 24粁650

(A)池袋線 粁程 7粁000 巾員15米000

起点 池袋駅東口広場

終点 神田末広町(千代田区神田五軒町21)

経過地 大塚氷川町谷中初音町本郷弓町、湯島

(B)中央線 粁程 6粁530 巾員15米000

起点 神田末広町(千代田区神田五軒町21)

終点 虎の門(港区西久保明舟町

経過地 秋葉原、和泉橋、昭和通、蓬莱橋、新橋駅

(C)新宿線 粁程 5粁600 巾員15米000

起点 新宿駅西口

終点 虎の門(港区西久保明舟町

経過地 追分大木戸四谷見附紀之国坂、赤坂見附

(D)五反田線 粁程 5粁500 巾員15米000

起点 大崎広小路(品川区五反田2-336)

終点 虎の門(港区西久保明舟町

経過地 五反田駅、白金三光町竹谷町永坂町飯倉片町

高速車道株式会社線路線図

実は、これは、「東京高速道路株式会社」がいわゆる「KK線」の免許取得時審査書類の中で、「附近における自動車道事業、自動車運送業、鉄道、軌道、索道等の出願があるときはその種類、区間、申請者及び申請書の受付年月日」を記した中に出てくるもの。つまり「KK線」のライバル出願企業だったということだろう。

「首都高速道路以前の構想をめぐって」新谷洋二(高速道路と自動車1979年7月号)によると、

満州より帰国してきた近藤謙三郎は東京高速道路の計画を熱心に提唱し、彼を中心とした13名のグループは昭和26年に運輸・建設両省に対して高速自動車道の免許申請を行った。
(中略)
この出願は当局から公共性の高い企画であると認識されつつも、資本の態勢に欠けていると考えられ、結局のところ許可はおりなかった。

とある。

東京高速道路-03

 

東京高速道路-04

 

東京高速道路-05

 

東京高速道路-06

なお、運輸省所管の一般自動車道の免許関係書類らしく、自動車道だけでなく、関係する鉄道等の出願路線も記されているところが興味深い。

・京浜急行電鉄株式会社

申請の区間延長 6粁800

起点 品川駅(港区芝高輪南町26)

終点 東京駅八重洲口(中央区槇町一丁目)

経過地 田町、浜松町、新橋、西銀座

起点より港区田町附近迄は地上式とし、同地点より終点迄の間は地下式とする。

・京成電鉄株式会社

申請の区間 延長 7粁600

起点 墨田区向島押上町203

終点 千代田区有楽町一丁目地先

経過地 押上、業平橋、東駒形、石原、蔵前、浅草橋、小伝馬町より昭和通りを経て木挽町、銀座四丁目、数寄屋橋、有楽町に至る

ちょうど都営浅草線をトレースするような形で両社がそれぞれ直接都心に乗り入れる計画だったようだ。

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2014年7月 6日 (日)

昭和63年の首都高速道路計画

昭和63年の首都高速道路計画

首都高速道路公団30年史からの引用

なお、この時期の首都高速は、ジャンクションのことをインターチェンジと呼んでいた。

現在未成となっている路線の紹介文を下記に引用する。

<高速10号線>

高速10号線は、中央環状線と外郭環状道路を東西に結び、東京西部地域への交通サービスの向上、関越自動車道と首都高速道路網との連絡を諮る路線である。

 

<都心新宿線>

都心新宿線は、千代田区丸の内を起点とし、新宿区西新宿を終点とする延長8.0kmの路線である。

この路線は、東京都庁の新宿副都心移転を契機に「地下弾丸道路」として構想が浮上し、昭和61年12月の首都圏整備計画の改定で「首都高速道路4号線の機能強化について計画を進める」ものとして新たに位置づけられた。また、昭和63年度に新規調査路線として認可され、現段階では国道20号を基本ルートとして、起終点に各3箇所程度の出入路を設けるほかは中間出入路を設けないという新たな性格をもった高速道路計画である。

この路線は、地下30~40mときわめて深い箇所を通過すること、多大の事業費を要することが予想されるため、事業実施にあたっては極力現道敷地内を通過する計画であるが、さらに換気所、出入路の用地については公共用地の無償提供、無利子資金の導入等の工夫が必要である。さらに、利用交通の特性、換気所数での制約、出入路設置上の現場の制約条件、トンネル断面縮小の可能性等の観点から、わが国初の乗用車専用道路の可能性について検討を進めているところである。

 

<臨海線(晴海線および都心臨海線)>

臨海線は、首都高速1号線の中央区新富町付近を起点とし、江東区有明附近で高速湾岸線に、将来は東京第二湾岸道路にも接続する晴海線および同線と都心新宿線を結ぶ都心臨海線とからなっており、延長4.6kmの路線である。東京臨海部の都市整備に応えるべく計画されており、この路線の整備によって東京臨海部および臨海部と都心・副都心との交通機能の強化が確実にはかられることから、昭和63年度に新規調査路線として認可された。

ルートについては晴海通りルートを中心に検討が進められており、事業手法についても何らかの形で沿道地域における開発利益を還元することにより事業費の軽減を図るべく、関係機関とともに検討を進めている。

晴海線の位置等は東京都都市計画情報インターネット提供サービスから見ることができる。

首都高速道路晴海線

首都高速道路晴海線2

首都高速道路晴海線3

<内環状線>

内環状線は、首都高速7号線の墨田区立川を起点とし、文京区後楽の飯田橋附近で首都高速5号線に接続する延長4.0kmの区間(1期)と、飯田橋附近から中央環状新宿線に接続する延長7.4kmの区間(2期)に分けて検討を進めている。

この路線は、都心環状線北側部分のバイパス路線として、都心環状線の混雑緩和を図るとともに、都心部ネットワークの強化を図るものである。

飯田橋附近で内環状線を空けて待っている部分(橋脚に出っ張りがつけてある)

首都高速内環状線予定地2

首都高速内環状線予定地

<高速11号線>

高速11号線は、中央環状線(首都高速葛飾江戸川線)の江戸川区松島で分岐し、東進しながら江戸川を越えて市川市で東京外郭環状道路および北千葉道路に接続する延長7.9kmの路線である。

この路線は北千葉道路と一体となって東京都心と新東京国際空港、千葉ニュータウン方面への連絡、さらには首都高速7号線の混雑緩和に寄与するものである。

北千葉道路については、下記を参照されたい。

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000051516.pdf

http://www.pref.chiba.lg.jp/kitachi-do/kitachiba/jigyounogaiyou.html

<磯子線>

磯子線は、横浜市南区睦町で横浜高速2号線から分岐し、掘割川に沿って南下、磯子区磯子で高速湾岸線(5期)に接続する延長3.6kmの路線で、業務核都市である横浜市の高速道路ネットワークの強化の一環として、横浜中心部と臨海部との有機的連絡、国道16号等一般街路の交通混雑の緩和を諮ることを目指すものである。

横浜市南区睦町は、ここ。ちなみに、3号狩場線は、もともと阪東橋出入口のランプ方面が本線で、大通り公園をとおって横羽線に接続するはずであった。このあたりの経緯は「都心部の高速道路地下化に至る組織的決定の構造と田村明」 (田口俊夫)に詳しい。

 

<その他構想路線>

イ 高速川崎縦貫線(1期)をさらに東名高速道路方面へ延伸する同線(2期)

ロ 高速湾岸線の交通需要の増大に対処する第二東京湾岸道路

川崎縦貫道

高速川崎縦貫線(2期)は、この図の破線区間やね。

 

第二東京湾岸道路は、下記の図に載っている。

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/06/060601_2/04.pdf

※平成20年時点の東京都都市整備局の「首都高速道路網図」には、晴海線も10号線も11号線も載っている。民営化したからといっても一応何かしら東京都の方では検討しているのかな?

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昭和37年の首都高速道路将来計画

昭和37年の首都高速道路計画図

当初の首都高速道路公団の計画は、環状6号線内のみ(上図の細い実線部分)となっており、東名高速道路、第三京浜道路等との接続は具体化されていなかった。

しかし、上記の都市間高速道路が続々と具体化されるなかで、これらの東京周辺から流入してくる交通をいかに処理するべきかという問題に対処する必要があった。

このような状態で、首都高速道路公団は「首都高速道路と都市間幹線道路との連絡に関する研究」を都市計画協会に委託し、昭和36年から検討を始めた。

上記の図は、昭和37年9月に都市計画協会が提案した延長161km(外環は除く)からなる延伸基本計画である。

実際には、これらの成果等を踏まえ、建設省や東京都において検討が進められ、絞り込まれている。

 

第三京浜には2号線ではなく、内環状線から新たな放射路線が伸びて接続している。

また、東側は外環や中央環状線が、全体的に都心寄りになっている。ここには示さないが、かつては圏央道も国道16号に沿った形で千葉市附近で京葉道路に接続していたようである。

用地の取得困難からか開発のポテンシャルが上がったからなのか全体的に首都圏の環状道路は更に東側に拡張した形で実施されていくことになる。

(参考及び図の引用)

「首都高速道路の路線計画に関する史的研究(後編)」新谷洋二(高速道路と自動車1980年3月号)

 

(追記)実際の報告書から路線図を。。

昭和36年の首都高速道路構想(未成道が山盛り)

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昭和28年の首都高速道路計画

昭和28年4月28日に、首都建設委員会は「首都高速道路に関する計画」の勧告を発表した。

その路線図が下記のものである。

昭和28年の首都高速道路計画図

昭和28年の首都高速道路計画

http://www.road.or.jp/road_newsite/member_area/magazine/1954/1954-01.pdf から引用

現在の首都高速のように運河や河川の上を通らず、堂々と町中を貫いているのが印象的である。

また、羽田空港への路線が無いことから、当時は空港への需要があまり重要視されなかったのだろうかと推測される。

1号線 角筈三丁目~岩本町

 経過地 千駄ヶ谷、紀国坂、日比谷、万年橋、千代田橋、岩本町

 分岐線 万年橋~浜離宮前

2号線 玉川町~永田町

 経過地 柿木坂、上目黒、霞町、竜土町、永田町

3号線 西大崎~駒形橋

 経過地 泉岳寺前、芝公園、日比谷、大手町、昭和通、浅草橋

4号線 池袋一丁目~大手町一丁目

 経過地 大塚、八千代町

5号線 浜離宮~市場通中橋

 分岐線 八重洲口分岐線

分かりにくいので色を付けてみた。

昭和28年の首都高速道路網図

なお、4号池袋線の八千代町は、現在の小石川一丁目
http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.71510656646504&lng=139.75047133204657

5号数寄屋橋線の市場通中橋は、現在の入船町一丁目
http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.67448525848955&lng=139.7767355227204

また、5号数寄屋橋線には、東京高速道路会社線(KK線)が取り込まれている。

首都高速道路公団20年史によるとこの高速道路網は下記の原則によるものとしている。

(Ⅰ)高速道路網は都市における自動車交通に対して幹線道路網とともに総合交通網を構成し、現在および将来の主流交通を仁族、安全かつ能率的に運行せしめるよう計画すること。

(Ⅱ)都心、副都心、主要交通の中心等を連絡し、郊外主要幹線との連けい(ママ)に留意する。

(Ⅲ)高速鉄道、運河、幹線街路との適当な連絡地点を勘案する。

首都高速道路計画

これに対して、現在の首都高速道路網の原型が決定されたのは、この後昭和32年となる。

昭和33年4月10日衆議院建設委員会では、藤本勝満露東京都建設局長が下記のように答弁している。

「経過地に当っては不利用地、治水、利水上の支障のない河川、または運河を使用して、やむを得ざる場合だけが幅員40mの道路に設置する、建前としては道路上には設置しないように」「物件移転費という欄の一番下の欄をごらんいただきますと、878という数字が出ております。これは移転棟数の合計でございます。これだけの事業をいたしますのに、移転棟数がともかく千棟以下であるという点については、やはりできるだけ民有地あるいは民家というような面において御迷惑を少くするという配慮をいたした一つの現われだと存ずるのであります。」

用地買収を減らす形の路線選定に切り替えたというわけだ。

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2014年7月 5日 (土)

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その2)

三原橋ビル(三原橋観光館)解体中(その1)はこちらを参照ください

三原橋ビル解体中 (10)

三原橋ビル解体中 (9)

三原橋ビル解体中 (6)

三原橋ビル解体中 (1)

三原橋ビル解体中 (7)

三原橋ビル解体中 (8)

三原橋ビル解体中 (5)

三原橋ビル解体中 (4)

三原橋ビル解体中 (2)

三原橋ビル解体中 (3)

足場の道路占用許可(占有じゃないよ!)の期限を見ると7月27日までに解体工事は終了するのではないかと思われる。

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圏央道の青梅市内を歩いてみる(その3)

圏央道の青梅市内を歩いてみる(その2)から続く

圏央道多摩川橋 (2)

多摩川の下流側から、青梅トンネルの南側坑口から出てきた圏央道を望む。上段が中央道方面の内回り、下段が関越道方面の外回り。

圏央道多摩川橋1

圏央道多摩川橋 (5)

圏央道多摩川橋は、羽村市羽西三丁目と青梅市友田町三丁目を結んでいる。これは多摩川の河川区域を占用許可を受けて道路橋を設置しているということを示すもの。

圏央道多摩川橋2

多摩川の上流側から圏央道多摩川橋を望む。上流側は人家が無い(公園)ので、下段の外回りには遮音壁が無い。

圏央道多摩川橋 (9)

奥(下流側)に見えるのは友田水管橋。

友田水管橋

今度は友田水管橋から上流側に向かって圏央道多摩川橋を望む。

圏央道多摩川橋 (12)

圏央道多摩川橋 (11)

圏央道多摩川橋 (17)

多摩川右岸(青梅市友田町)側から圏央道多摩川橋を望む。

圏央道多摩川橋 (18)

圏央道多摩川橋 (20)

圏央道多摩川橋 (16)

多摩川を渡りきると、橋の型式が変わり、橋脚も丸い形から、栓抜き状の形に。

圏央道多摩川橋 (21)

ここから中央道側に向けて、上下2段の橋が、左右に分かれていく。

圏央道多摩川橋3

圏央道多摩川橋4

この辺までは一本の橋脚で上下線を支えている。

圏央道多摩川橋5

内回りと外回りが分離し始めた。

圏央道多摩川橋6

圏央道友田高架橋1

圏央道多摩川橋7

完全に分離した。

圏央道 青梅市内 (111)

圏央道友田高架橋2

友田トンネルへ向かっていく。

圏央道友田高架橋3

圏央道友田高架橋4

友田トンネル北側坑口から多摩川橋方面を望む。

圏央道友田高架橋5

内回りと外回りが分離する辺りをアップで。

圏央道友田高架橋6

まだ友田トンネル南側坑口から菅生トンネルまで青梅市域は続くが、このブログではこれにておしまい。

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