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2014年9月23日 (火)

「安井都政の七不思議」と山田正男と三原橋地下街

山田正男(元東京都首都圏整備局長)の自著「時の流れ・都市の流れ 」を読んでいたら、下記のような記述があった。

安井都政の七不思議と山田正男と三原橋

 

安井都政の七不思議と山田正男と三原橋3

 

日比谷地下道と三原橋

この地下道の話は、以前ブログでも取り上げた。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/--4890.html

三原橋地下街を潰すはずだった銀座地下道計画

この図は、「都市計画と東京都」都政調査会発行(1960)から引用したもの。

三原橋と同様に「都政七不思議」の一つで鍛冶橋の下にあった映画館については、同じ「都政七不思議」の東京高速道路の延伸(実際には首都高速道路八重洲線)により撤去して一石二鳥であった。

片や、三原橋については、1956(昭和31)年の段階で東京都として撤去も含めて抜本的に(道路法に基づいた理詰めの正攻法で)対応しようとして庁議にまでかけた
http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html
が、「なお検討すること」とされ、ちゅうぶらりんになってしまった。

ついで、都心の渋滞対策兼(実際には首都高速道路として取り組みたかった路線の代替案)オリンピック対策の地下道路を三原橋にぶちあてることで、「都政七不思議」の三原橋地下街を撤去しようとしたが競合する地下鉄日比谷線との協議が整わず地下道は三原橋まで届かなかった。これにより、三原橋は「今だにその醜態をさらしている」のである。

その「醜態」三原橋も山田が断念した東京オリンピックから時を経て、2回目の東京オリンピック前にようやく撤去されたわけだ。

山田正男は、「山田天皇」とも揶揄された東京都の都市計画の実力者であり、石川栄耀と比較されることが多く、建築家サイドなんかが書いたものを読むと、ロマンチストの石川英耀に比べて、現実主義的な実務者でオリンピックに間に合わせるために堀を埋め立て首都高を日本橋の上に架けた(実際は違うのだが)山田正男として低く評価されがちだが、山田の著書を読むと、石川がやりかけてぶんなげたものを(都政七不思議も含む)を一生懸命後片付けし、石川が埋めた三十間堀川を残念に思う等、印象が随分異なってくる。(当事者だから自分に都合のよいように書いている部分もあるとは思うが。)

「東京の都市計画に携わって-元東京都首都圏整備局長・山田正男氏に聞く-」によると
「(山田)おそらく、石川栄耀はKK線を伸ばしていって全体の東京の高速道路網にするつもりでおったんだと思うよ。そうでなきゃ、東京高速道路株式会社なんていう名前を付けられないよね。しかし、そういうことは僕らには言わないもんだから、1キロくらいの高速道路の免許を申請して、何が高速道路だというんだというので押さえ込んでいたんだけどね。」
「(聞き手)あれは石川栄耀氏がいろいろと役割を果たされたんですか。
(山田)まあ、役所としてはそういうことになっているね。陰には秀島乾。あれが石川さんのところへ入り浸りだったんだろう。東京都と東京高速道路株式会社との契約は、全くいい加減だ。」
といった記載があり大変興味深い。

「スカイビル」マンセーな方々は是非一度お目通しいただきたい。

 

この辺を堀田典裕の「自動車と建築」のような一面的な見方で書いている本とじっくり比較しながら読むとよいのではないか。

 

※山田正男は、「東京高速道路株式会社30年の歩み」に対談で登場しているのだが、上記の本とニュアンスが全然違うので、私は大笑いしてしまったことだよ。

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