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2014年9月23日 (火)

斉藤 理 山口県立大学准教授の「川がない橋が秘めた東京の履歴」を読んで

ミツカン水の文化センターというところが機関誌『水の文化』を出していて、その47号が「つなぐ橋」という特集であった。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no47.html#08

そこに斉藤 理 山口県立大学准教授が「川がない橋が秘めた東京の履歴」という一文を寄稿している。

そのうち三原橋関連で気になった点がいくつかあった。

 三原橋地下街に入居した店舗の多くは、水路のあった時分に水辺に連なった屋台が基になっています。水辺は人を惹きつけますが、特に橋のたもとには賑わいが生まれて、商売の場としても最適だったはずです。都市を歩いて不思議に感じたことを探っていくと、まちの成り立ちや隠れた履歴が浮かび上がってきます。橋の痕跡は、そんな謎解きのヒントになるのです。

「水路のあった時分に水辺に連なった屋台」??

 

こう書くからには、三十間堀川の水辺に屋台が連なっている様を思わせる。実際に三十間堀川の水辺には屋台が連なっていたのか?

中央区立図書館ウェブサイトにアーカイブされている写真を見てみよう。

https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/bookdetail;jsessionid=FC1E05FF163D2E57006EA877E615F5C3?0&num=1989513&ctg=1&area=2&areaimage=1

https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/bookdetail?5&num=1989516&ctg=1&area=2&areaimage=1

https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/bookdetail?9&num=1989507&ctg=1&area=2&areaimage=1

リンク先を見ると分かるが、水辺には屋台が連なるどころか、建物が立て込んでいる様子がうかがえる。

また、東京都臨時露店対策部が編集した「露店」(まぼろし闇市へ、ふたたび 続東京裏路地「懐」食紀行 に掲載されていたものを引用)から、銀座周辺の露店の出店状況を見てみると。。。

銀座の露店

数寄屋橋の近辺にはあるが、三十間堀川の周辺ではない。

数寄屋橋周辺の露店が三十間堀川埋立地に移転して、更に銀座館マートに移ったという話はあるんだがなあ。。

斉藤 理准教授がどこを「歩いて」何を「探っ」たら「水路のあった時分に水辺に連なった屋台」が出て来たのか是非ご教示いただきたいところである。(※コメント欄にでも書いていただけたら幸いです。)

一般論として、「橋詰」にたまり機能、賑わい機能があることは分かるのだが。。。

ちなみに、三原橋地下街の設立目的は、露店の収容ではないことは、東京都の公文書から明らかである。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-3f36.html

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-4930.html

杉村暢二氏の「日本の地下街」によると実態としては下記のようなものであったようだ。

日本の地下街

そしてそれに伴うトラブルは下記にまとめてある。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-554e.html

私のブログは斉藤 理准教授の「謎解きのヒント」になっただろうか?

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