新幹線が鈴鹿山脈越えをあきらめた理由を検証してみる
東京オリンピックに間に合わせるために関ヶ原越えを選んだ?東海道新幹線って云う話はもっともらしいけど実際のところ公式な文書で残ってるとか、決定権の有った人間の回想録に書いてあるとかの一次資料があったら見てみたい。その結果、雪に祟られ続けた事への意見も知りたい。
きかんしゃトーマス好きのdarby (— @darbyz80) 2014, 10月 12
できる範囲で調べてみた。
まずは、私の得意な国会議事録から。ここでは「タテマエ」論が分かる。
衆 - 運輸委員会 - 4号 昭和34年11月18日
参 - 運輸委員会 - 5号 昭和34年11月19日
- 衆 - 予算委員会第四分科会 - 2号 昭和35年02月25日
- 衆 - 運輸委員会 - 4号 昭和36年10月10日
それでなければhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja/で検索を。ここでは技術論が分かるはず。
国鉄東海道新幹線計画について 加藤 一郎(日本国有鉄道新幹線 総局計画審議室長) 電氣學會雜誌 Vol. 81 (1961) No. 879
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/81/879/81_879_2053/_pdf
国鉄新幹線関ケ原ずい道の地質 伊崎 晃(鉄道技術研究所地質研究室) 応用地質 Vol. 4 (1963) No. 4
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjseg1960/4/4/4_4_199/_pdf
国鉄の東海道新幹線は,計画当初名古屋-京都間のルートをいかにとるかについて,非 常に大きな比較問題に直面 した。すなわちここを最短距離で結べば標高1000m級の鈴鹿山脈をどこかで大トンネルにより横断しなければならず,これを避けて低処を越えるとすれば,北方へ関ケ原付近まで迂回する外ない。そこで昭和33~34年頃図上でいろいろルー トを検討したり現地で地質の概査を行って比較研究した結果,鈴鹿越えの主ルー トと目されていた御池岳~鈴ケ岳付近を貫くトンネルは多くの断層に遭遇する上,伏流水に富んだ石灰岩の部分が多いので,多量の湧水が予想され,また南方の八風峠ルー トは地形上片勾配の長大トンネルとなるため工期的に非常な難点のあることが明らかとなった。一方関ケ原付近も大きく見れば地質的には鈴鹿主脈と大差がないが,ト ンネル延長が比較的短かくてすむこと,および北陸方面との連絡に至便(米原で)なため,結局ここが最終案として本決りとなった次第である。
余談だが、伊崎氏は、「国鉄における海峡調査の歴史と現況」という報文も執筆しており、戦前の朝鮮海峡トンネルの調査状況等の興味深い実態をほうこくされているので是非ご一読を。
ついで、本を探してみた。
「証言記録 国鉄新幹線」 柳井潔著 新人物往来社刊
著者は元国鉄副監察役で国鉄総裁室修史課嘱託。国鉄100年史の編集執筆を担当された方とのこと。
(イ) 関西線に沿って桑名、亀山を経由して大阪に出るもの。
(ロ) 八風峠を貫いて草津近辺に出るもの。
(ハ) その他、桑名附近から鈴ケ岳を通って笠置山系に出るもの。
(ニ) その他、関ケ原を経由するもの。
等があった。これらのうち、関ケ原以外は、鈴鹿山系の横断に、いずれも12キロ級のトンネルが必要であり、加えて地質的にも複雑な断層等があるとして不適格とされた。
一方「関ケ原ルート」は雪害の心配はあるが、米原へ出ることによって北陸線との連絡も可能であり、その他工期・建設費・利用価値等の諸点から、結局関ケ原経由の決定となったものである。
「新幹線開発物語」 角本良平著 中央公論社刊
著者は、国鉄新幹線総局営業部長、監査委員等を歴任。同書の「あとがき」に「著者も本社計画部門の一員として最初からこれに参加する機会をえた。」とある。
「5年以内にはできない」というのが「オリンピックに間に合わない」ということを直接意味するのかどうかは分からないが、@darbyz80さんの疑問点の回答に一番近いものだろうか。
なお、雪害については
としか書いていない。もともとは1964年に発行されたものなので、開通前にはその程度の認識だったということだろうか?
あとは「東海道新幹線工事誌」を確認しなければいけないのだが、あれを読むには、電車を乗換え、えっちらおっちらと●●図書館迄行って禁帯出の書庫から出してもらわねばならぬので、また調べ物に行く用事があった際にでも。。
ところで、貨物の件を調べた際にも思ったんだけど、新幹線で不思議なことは何でもかんでも世界銀行のせいにするネット上の風潮ってなんなんだ。時系列的には先に決まっているような事柄まで「世銀に言われたからこうなった」ばかり。
東名高速に係る世銀との交渉記録は、国立公文書館のデジタルアーカイブに随分掲載されているのだが、新幹線関係は載っていないんだよなあ。
(追記)
交通協力会の電子図書館で国鉄関係の機関誌等をざっと見渡してみたが、世銀に変な条件付けられたとは書いていなかった。。
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