« 三原橋と「銀座の幻の地下街」に係る最近の東京都の動き | トップページ | 西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その1 »

2014年10月19日 (日)

新幹線が鈴鹿山脈越えをあきらめた理由を検証してみる

できる範囲で調べてみた。

まずは、私の得意な国会議事録から。ここでは「タテマエ」論が分かる。

衆 - 運輸委員会 - 4号 昭和34年11月18日

○十河説明員(日本国有鉄道総裁) ただいまお話のありましたように、私は国鉄の経営についてはガラス張りで仕事をやっていきたいという信念も変わりませんし、今日もそういうふうにやっておるつもりであります。東海道新幹線の経過地並びに停車駅につきましては、いろいろな検討をいたしまして、名古屋までは比較的順調に進んだのでありますが、名古屋から先、なるべく直線に行きたいと思って、鈴鹿の山脈の地質調査を長いことかかって検討いたしました。そうしていろいろなルートを調べてみたのでありますが、どうも地質がよろしくない。しかしながらできるだけ短距離で結びたいということで、名古屋から関ケ原の方へ直線で結ぶことにいたしました。そうなりますと豊橋から米原までの間は相当長い距離になりまして、豊橋、名古屋、米原という三つの駅を置くか、あるいはもう一つその間に駅を置くかということをいろいろ検討いたしまして三駅案、四駅案と、いろいろな案がありますが、御承知のように、新幹線はなるべく曲線をなくして直線にして、そうして踏み切りをなくして、経済的の最高のスピードで走るようにしたい、そういうことを考えまして、そうすれば特急は大体最高二百キロくらいの速力で走れば三時間で、非常に経済的にスピードアップができるということで三駅の方がよかろうかということを考えておりました。ところが特急だけではいけない、特急は東京、名古屋、大阪、この三駅へとまる計画でありますが、それだけではいけない、やはり地方の都市にもとまる必要があるということで、特急のほかに急行をどうしても走らさなければならぬ。そうなりますと、特急と急行との行き違いの関係もありまして、豊橋、名古屋、米原と行くよりか、その間に一つ駅を作ったらよかろうというふうなことが最終の案として決定いたしまして、それで運輸大臣に申請して認可になった次第であります。その間、そういうふうに長いことかかっていろいろ検討いたしておりましたので、それで世間で――いろいろその間を測量するとか調査をするということがありまして、事前にいろいろなことが漏れて、皆さんにいろいろな疑惑をおかけしたことは、はなはだ遺憾であります。事情は今申し上げた通りであります。さよう御了承を願いたいと存じます。

参 - 運輸委員会 - 5号 昭和34年11月19日

○説明員(小倉俊夫君:日本国有鉄道副総裁) 新幹線のルートにつきましては、非常に重大な問題でありますから、国鉄があげてこれの研究調査をいたしたのであります。名古屋から西がルートが最後まで残りましてあるいは鈴鹿隧道がいいのか――これが一番短距離でございますので、研究したのでありますが、これが土質が悪く、しかも十三キロの超大隧道を掘らなければならぬということにかんがみまして路線が北のルートを通り、岐阜県の長い距離を通過して、米原付近に抜けるというルートが最適であるということになったのでございます。それで、前々から東海道新幹線の停車駅につきましては各方面、各地元の皆さんから非常に要望が熾烈でありました。岐阜またしかりでございました。で、私どもは、やはり国民の国鉄でありますから、地方民の熱誠なる、要望にはいろいろ耳も傾けて、それと同時に国鉄としての輸送機関の使命というものを、まあ調和して参らなくちゃならぬと、かねがねそう思っております。それにつきましては、岐阜が通過地でありまして、現在線と一番離れるのが、この名古屋――米原間が一番現在線と新東海道線のルートが離れるのであります。それで東海道新幹線の使命は、東京――大阪を至短時間で結ぶということも使命でございまするが、一つには、現東海道線の輸送力の行き詰まりを打開して、現在線の旅客、貨物の輸送をもっと便利にするというところに一つの大きな使命があるのであります。そういう点から申しますと、現在線から比較的よけい離れて突っ走るというところが、一番まあ新しい東海道線――現在線の輸送力緩和という点が問題になって参ります。それで、東海道新幹線は、旅客ばかりではございませんで、貨物ということも考えておりまするので、そういたしますと、岐阜で今問題になっておりまする、その付近の人口が少ないとか多いとかいうことも論議になっておりますが、その人口の点につきましても、岐阜、大垣を加えますれば非常に大きな乗降客になって参りますが、まあ旅客はさておき、貨物の点なんかも考えますると、岐阜はいろいろ物資も相当ございまするので、そういう物の集散というものを考えますれば、この名古屋――米原間に一駅ありましてもいいのではないかというようなことは、まあはっきり突き詰めてはございませんでしたけれど、考えないわけでもなかったということでございまして、全然空から降ってわいて駅を作ったというようなことではございませんで、そういう点は御了承願いたい、こう考えております。

- 衆 - 予算委員会第四分科会 - 2号 昭和35年02月25日

○山内(公)政府委員(運輸省鉄道監督局長) 現在の東海道線は三十七、八年ごろには輸送力が一ぱいになってくる、これは御承知の通りであります。それで新しい幹線は現在の東海道線の輸送力の行き詰まりを救済するためにまず考えられたものでございまして、そのためには東京、名古屋、大阪と初めから三駅になるものを考えておりません。できるだけ旧東海道線の急行、特急の客をこちらに吸収するようにということを考えておるわけでございます。また新しくそういう線を作りまして、東京、名古屋、大阪の客だけでは、はたしてそれだけの利用率があるかどうかはわかりません。初めから国鉄で考えておりましたのは、そういったいわゆる急行的なものと、ただいまお話にありました特急的なものとを考えて計画をいたしておったわけでございます。それではなぜ岐阜にとめないのかというお話でございますが、それはただいま大臣がお答えになりました通りでございまして、岐阜に参りますと非常に迂回になります。曲がりくねって引いておるとおっしゃいますが、実は現在の東海道線が曲がりくねっておるわけでございまして、新線はできるだけカーブもゆるく、直線を旨として引いておるわけでございます。鈴鹿がどうしても地質の関係上通れないので、あそこをずっと関ヵ原寄りに引いたわけでございますが、新しいあの駅がなぜ必要かといいますと、たとえば小田原にとまって熱海にとまります。これは必要ないではないかという御意見がありますが、熱海は土地が狭くてあそこで行き違い施設をするような十分な土地がとれません。どうしても小田原にとまらないと行き違い施設がとれないので――待避線ですね。小田原にもとめなければならぬ。そういう事情が名古屋にもございまして、御承知のように名古屋市の都市計画というものもきまっておりまして、相当前から新幹線の用地というものもきまっております。名古屋では待避施設がとれないので、岐阜県に一カ所作ってそこでとめよう。なぜかといいますと、急行と特急というものが走りますので、特急は急行を追い抜いていかなければなりませんので――これは楯さんのような専門家に御説明するまでもないことでございますが、そういった運行上の必要からそういうものがぜひ必要であるというふうに、技術的にも考えておるわけでございます。

- 衆 - 運輸委員会 - 4号 昭和36年10月10日

○中村説明員(日本国有鉄道常務理事) 専門ではございませんので、あまり詳しいことは実は御答弁いたしかねるのでございますが、地質調査につきましては、相当慎重にやったと思います。と申しますことは、現に先生も御存じと思いますが、北陸隧道が、地質調査をあまり十分にやらないで、途中から非常に難工事になりまして、かなり予算を食いまして、皆さんにも御迷惑をかけたということもございますので、この新幹線におきましては、特にボーリングについては慎重を期したと思います。それによりまして、たとえば鈴鹿を抜けるルートはどうしても地質上無理だ、現在の技術をもってしては非常に金もかかり、時間もかかって無理だということがわかりまして、関ケ原を迂回するようにきまったわけであります。そういう点につきましては、決してむだな金を使ったとは私たちは考えておりません。工事を慎重にやるために、十分に事前の調査をやりたというふうに考えております。

それでなければhttps://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja/で検索を。ここでは技術論が分かるはず。

国鉄東海道新幹線計画について 加藤 一郎(日本国有鉄道新幹線 総局計画審議室長) 電氣學會雜誌 Vol. 81 (1961) No. 879

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/81/879/81_879_2053/_pdf

名古屋から関ケ原回りとするか,鈴鹿山脈をくぐって一気に京都-大阪に出るかについては,前計画以来種々検討されたが,今回は工期の関係から12km余のトンネルを含む鈴鹿案をやめて,関ケ原回りを選ぶこととした

国鉄新幹線関ケ原ずい道の地質 伊崎 晃(鉄道技術研究所地質研究室) 応用地質 Vol. 4 (1963) No. 4

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjseg1960/4/4/4_4_199/_pdf

1.  ルー ト決 定のいきさつ

国鉄の東海道新幹線は,計画当初名古屋-京都間のルートをいかにとるかについて,非 常に大きな比較問題に直面 した。すなわちここを最短距離で結べば標高1000m級の鈴鹿山脈をどこかで大トンネルにより横断しなければならず,これを避けて低処を越えるとすれば,北方へ関ケ原付近まで迂回する外ない。そこで昭和33~34年頃図上でいろいろルー トを検討したり現地で地質の概査を行って比較研究した結果,鈴鹿越えの主ルー トと目されていた御池岳鈴ケ岳付近を貫くトンネルは多くの断層に遭遇する上,伏流水に富んだ石灰岩の部分が多いので,多量の湧水が予想され,また南方の八風峠ルー トは地形上片勾配の長大トンネルとなるため工期的に非常な難点のあることが明らかとなった。一方関ケ原付近も大きく見れば地質的には鈴鹿主脈と大差がないが,ト ンネル延長が比較的短かくてすむこと,および北陸方面との連絡に至便(米原で)なため,結局ここが最終案として本決りとなった次第である。

余談だが、伊崎氏は、「国鉄における海峡調査の歴史と現況」という報文も執筆しており、戦前の朝鮮海峡トンネルの調査状況等の興味深い実態をほうこくされているので是非ご一読を。

ついで、本を探してみた。

証言記録 国鉄新幹線」 柳井潔著 新人物往来社刊

著者は元国鉄副監察役で国鉄総裁室修史課嘱託。国鉄100年史の編集執筆を担当された方とのこと。

 さて、新幹線ルートのうちで、一番問題視されたのは名古屋・大阪間のルートだった。これにはさまざまな案があった。すなわち、

 (イ) 関西線に沿って桑名、亀山を経由して大阪に出るもの。

 (ロ) 八風峠を貫いて草津近辺に出るもの。

 (ハ) その他、桑名附近から鈴ケ岳を通って笠置山系に出るもの。

 (ニ) その他、関ケ原を経由するもの。

等があった。これらのうち、関ケ原以外は、鈴鹿山系の横断に、いずれも12キロ級のトンネルが必要であり、加えて地質的にも複雑な断層等があるとして不適格とされた

 一方「関ケ原ルート」は雪害の心配はあるが、米原へ出ることによって北陸線との連絡も可能であり、その他工期・建設費・利用価値等の諸点から、結局関ケ原経由の決定となったものである。

新幹線開発物語」 角本良平著 中央公論社刊

著者は、国鉄新幹線総局営業部長、監査委員等を歴任。同書の「あとがき」に「著者も本社計画部門の一員として最初からこれに参加する機会をえた。」とある。

 名古屋-大阪間は弾丸列車計画でもルートが決定しなかったところである。今回も前回同様に米原まわりと鈴鹿越えが比較された。鈴鹿越えにも数案あり、いずれも距離は米原まわりよりは近くなるけれども、13キロぐらいの、しかも名古屋側から上り一方のトンネルを掘らねばならぬことが実地調査で明らかとなった。それではとても5年以内にはできないので、米原案が選ばれた

 「5年以内にはできない」というのが「オリンピックに間に合わない」ということを直接意味するのかどうかは分からないが、@darbyz80さんの疑問点の回答に一番近いものだろうか。

なお、雪害については

 雪害は関ケ原付近で若干ある程度である。

としか書いていない。もともとは1964年に発行されたものなので、開通前にはその程度の認識だったということだろうか?

あとは「東海道新幹線工事誌」を確認しなければいけないのだが、あれを読むには、電車を乗換え、えっちらおっちらと●●図書館迄行って禁帯出の書庫から出してもらわねばならぬので、また調べ物に行く用事があった際にでも。。

 

ところで、貨物の件を調べた際にも思ったんだけど、新幹線で不思議なことは何でもかんでも世界銀行のせいにするネット上の風潮ってなんなんだ。時系列的には先に決まっているような事柄まで「世銀に言われたからこうなった」ばかり。

東名高速に係る世銀との交渉記録は、国立公文書館のデジタルアーカイブに随分掲載されているのだが、新幹線関係は載っていないんだよなあ。

(追記)

交通協力会の電子図書館で国鉄関係の機関誌等をざっと見渡してみたが、世銀に変な条件付けられたとは書いていなかった。。

| |

« 三原橋と「銀座の幻の地下街」に係る最近の東京都の動き | トップページ | 西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その1 »

鉄道」カテゴリの記事

東海道新幹線 開通50周年」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新幹線が鈴鹿山脈越えをあきらめた理由を検証してみる:

« 三原橋と「銀座の幻の地下街」に係る最近の東京都の動き | トップページ | 西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その1 »