« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

2014年11月に作成された記事

2014年11月16日 (日)

新幹線を妨害しようとした?伊豆箱根鉄道下土狩線(未成というか無免許工事線)その2

以前、「 新幹線を妨害しようとした?伊豆箱根鉄道下土狩線(未成というか無免許工事線)」という記事を書いたのだが、その後実際の資料が早大大学史資料センターに保管されていることが分かったため、その資料を交えて更に深堀してご紹介したい。(資料の掲載にあたっては、承認をいただいております。)

そもそもの顛末を改めてざっくりとご紹介すると

・東海道線が御殿場経由だった際に、駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)駿豆線が東海道線三島駅(現・下土狩駅)で接続していたが、丹那トンネル経由で現東海道線が乗り入れる際に、駿豆鉄道は補償金を得て、現・三島駅へ線路を付け替えた。

・東海道新幹線が駿豆鉄道の廃線跡を通過するため、国鉄が用地買収を伊豆箱根鉄道へ申入れた。

・伊豆箱根鉄道は下土狩駅への路線の申請を運輸省へ提出し、認可を得ないまま工事を始めた。

・それにより新幹線と競合することになった。

・西武鉄道系では近江鉄道が新幹線が隣接して走ることから種々の補償を国鉄に求めており、国会、マスコミ等で大きく取り上げられた。

というものである。

位置は、当時の図面でいくと下記のとおりである。(北が右側になる)

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (7)

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (8)

ピンク色の「駿豆線計画線」が問題の路線だ。

鉄道の線路だけでいくと下記のとおり。

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (1)

以下、背景が水色のボックスは、早大に保管されている「新幹線(下土狩線経緯)について」というメモを書き起こしたものである。

・昭和37年3月30日付静幹工37第1211号にて、伊豆箱根鉄道(株)所有地である下土狩線の用地を新幹線が買収したき旨照会があった。

下記が国鉄からの文書と思われる。

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (9)

伊豆箱根鉄道下土狩線文書 (3)

・昭和37年4月25日に37伊豆箱鉄第108号にて伊豆箱根鉄道(株)は全線社有地であるところの下土狩線の延長を運輸大臣宛認可申請書を提出

この経緯を以前も紹介した国会議事録から抜粋すると、昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。

新幹線の工事が進むようになりましてから、その廃線を復活して、もう一度下土狩を通って吉原のほうへ行くという鉄道の認可を伊豆箱根鉄道が持ち出しまして、その認可を待たずに相当高い築堤の工事を始めました。廃線敷の土地はそのまま西武系の伊豆箱根鉄道が持っておったのでありますが、率直に申し上げますと、非常にりっぱな築堤をつくりまして、高さもちょうど新幹線と同じくらいの高さにずっと築堤をつくりました。

「非常にりっぱな築堤をつくりまして、高さもちょうど新幹線と同じくらいの高さにずっと築堤をつくりました。」というが、どのくらいの高さになるのか?

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (6)

青線が新幹線で、赤線が下土狩線である。実線が既に工事を始めた部分で、破線が新幹線の上を下土狩線がオーバーパスすると仮定した場合の高さである。下土狩線の現路盤と新幹線の高架の間は2.5mしかない。どちらかが高さを変更しなくてはならない。

また、「認可を待たずに相当高い築堤の工事を始めました」という状況が下記の写真である。

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (1)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (2)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (3)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (4)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (5)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (6)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (7)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (8)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (9)

伊豆箱根鉄道下土狩線写真 (10)

随分な大工事のようだが「無認可」の工事である。

・昭和37年7月18日以来双方協議をもつ

伊豆箱根鉄道(株)は原則として国策である新幹線と下土狩線の交叉を認めるがただし交叉についてはいずれか上側の立体交叉を為すかについて協議する

◎国鉄新幹線が伊豆箱根鉄道下土狩線の下部を交叉する事を主張する

その理由として国鉄側に於いて設計変更する事は手続及工期と会計検査院の承認の困難なこと工費が高価なる事を挙げる

従って伊豆箱根鉄道下土狩線が新幹線の上部を立体交叉する事を国鉄は希望し、下土狩線の立体交叉の勾配を30/1,000にて計画提案し設計変更分の工費は国鉄側が負担する旨言明した

◎伊豆箱根鉄道側は原則として下土狩線の申請書に基く原設計を主張せるも、一応新幹線の上部を下土狩線が立体交叉する事が可能として協議を進める

・主張として下土狩線の勾配は12.5/1,000とする事

理由は現在の伊豆箱根鉄道駿豆線が最急12.5/1,000であり今後の新設線はこの12.5/1,000以上の急こう配は会社の方針として好ましくないという事、

これについて国鉄側が下土狩線が12.5/1,000の勾配で設計されたのでは原設計と設計変更による追加工事費が約8億円も要するので18/1,000で設計考慮したい旨申出がある

・伊豆箱根鉄道はこれに対し将来に於ける鉄道線を考慮した場合18/1,000では禍根となるため不同意 よって双方の交渉はこのため進展せず

昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。

それに対してこちらが通過する路線も協議いたしましたところ、非常に高い金を出してまいりました。こちらといたしましては、三島の駅には車両の留置線を置きまして、それからまた軌道用地もございます。それらの関係からそう高くは――三島の駅を出てすぐのところでございます。向こうがもしそれを築堤にいたしますと、これを乗り越すという設計がこちらはできませんで、したがいまして、その下をくぐるということにいたしまして、向こうの築堤をもっと高くして向こうの下をくぐるというようなことで交渉をいたしたのですが、この場合にも六億円というような程度の金が要る、その程度でずっと先のほうからつけかえをしてこなければならないというようなことで、容易にこちらの協議に応じないという状況でございます。

こちらは国鉄が協議用に作成したものと思われる横断図だ。新幹線の高架橋をそのままに下土狩線を高くした場合の想定

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (4)

こちらは下土狩線の盛土をそのままに新幹線の高架橋の高さを挙げる場合の想定。新幹線を5m程高くしなければならないようだ。

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (5)

今度は縦断図。12.5‰とあるから、上記交渉メモ中の国鉄主張の「勾配は12.5/1,000」とされたものであろう。

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (3)

新幹線をオーバーパスするためには、そこだけではなく、三島田町駅の南側から駆け上がることとなる。(破線の勾配は12.5/1,000で、赤実線は更に緩和されたものだろうか?)

伊豆箱根鉄道下土狩線図面 (2)

分岐点の高さが上がっているため、従来の三島駅への乗り入れる路線も、かさ上げする必要が出てくる。これが6億円とも8億円ともいう工費増につながっている。近江鉄道のときと同じレベルの額が争点となっていたわけだ。

ところで、この交渉の風向きが変わったようだ。昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。

三十七年十一月でありますが、名古屋の陸運局長から伊豆箱根鉄道に対して、免許申請して、まだ工事の認可もしていない線路の工事を始めるのは独走のそしりを受けるもので、厳に戒めなければならないという厳重な注意がまいりました。それからまた国鉄といたしましても、その後近江鉄道の問題などが非常に国会の議にのぼりますし、世論の批判も受けましたりいたしまして

近江鉄道の件が国会で追及されはじめたのは昭和38年3月である。

・当社は協議の結果堤会長の決断により国家的見地より新幹線優先の原則にたち伊豆箱根鉄道下土狩線の延長を断念

伊豆箱根鉄道下土狩線文書 (1)

この昭和38年4月5日付のメモが、「新幹線(下土狩線経緯)について」の上記記載事項と一致するかどうかは定かではないが、内容的にはリンクしているもの(延長断念の交換条件)のように思われるのは私だけだろうか。

1.国鉄から出来る丈の保証額を取る

2.熱海駅乗入れ(1日10往復)

3.新幹線熱海駅北口(乗降口)の開設

4.来の宮(旧河川広場)継続借用する。(政令改正が成立したとき随契にする。)

5.熱海乗入れのための車輌の貸与

6.其の他懸案事項の解決を促進すること

・以上国鉄の承認を得ること

堤清二氏のサインも見える。後に西武鉄道グループと袂を分かち、セゾングループを率いることになる堤清二氏だが、昭和38年(堤康次郎氏が亡くなる1年前)段階では西武百貨店の社長であるとともに、康次郎氏の後継者と目されていたようだ。

小島と読めるサインは西武鉄道社長の小島正治郎氏だろうか。まさに西武グループ一丸となってこの案件にかかわっていたわけである。(近江鉄道の件も国鉄と交渉したのは西武鉄道の小島氏である。)

来宮の河川広場とは、新丹那トンネルのズリ捨て場にして西熱海ホテルとのイロイロがあった土地であるが、これは別稿を起したい。「随契」とは「随意契約」のことで、公開の競争入札等は行わず、伊豆箱根鉄道(若しくは西武鉄道)を決め打ちで払下げをするようにしたいということであり、結果的にはそのようになっているようだ。

熱海駅北口には、西武関連の土地か施設でもあったのだろうか?JRの構内図を見るとこれは実現しなかったようだ。

熱海駅乗入れは実現したのかどうかは私の力では分からない。

・昭和38年5月2日に静幹工38第1968号にて国鉄新幹線静岡工事局より伊豆箱根鉄道申請下土狩線の社有地を新幹線が早期着工のため用地買収の申入あり

昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。

五月の二日に公文書でもって、これを譲り受けたい、それについてはその用地代として五百二十何万円を支払うということで譲ってもらいたいというのを工事局長名で公文書を出しまして、同時に収用法を前提といたしまして事業認定を受けまして、両方並行して進めております。そのために先方もこれはいかぬと考えたのでありましょう、昨年の八月の十日にこちらの提示額のとおりに五百二十八万五千八百四十円で、こちらは所定の高さのままで向こうへ通していく。向こうの築堤は全然意味のないことになりますが、こういうことでこれは解決をいたしまして、すでにこの工事は完成しております。

おって、昭和38年6月28日の参議院決算委員会では、

○佐藤芳男君 私どもの班は、六月十四、十五の二日間、神奈川、静岡の両県下に派遣せられました。参加委員は、大森、和泉の両委員と私とでありました。

 以下、実地視察の概要を御報告申し上げます。

 視察日程の第一は、三島付近下土狩の新幹線用地の取得の問題であります。

 この用地は、伊豆箱根鉄道会社の所有地で、その前身たる駿豆鉄道が経営しておりました鉄道の廃線跡の路盤なのであります。

 今回の新幹線と交差しますのは一千四百九平方メーターでありまして、国鉄が近隣を買収した際の価格標準に基づきまして、五百二十八万円で買収しようということで伊豆箱根側との間に契約手続を進めつつある状況であります。

 現場では、廃線路盤に伊豆箱根側が施した相当堅固な盛り土工事などが交差地点一帯にそのあとをさらしていたのであります。伊豆箱根側のこの工事は、廃線を復活すべく運輸省に提出している鉄道敷設の申請に関連して行なわれたものと推測すべきか、あるいはまたこの地区の有利な補償獲得のための作為とみなすべきかなどの、問題のある工事なのであります。

 私どもは、前に述べました五百二十八万円で円滑かつすみやかに伊豆箱根側との間に本件買収契約が成立し、新幹線工事計画も渋滞しないことを希望しているのでありますが、これらの盛り土工事などを施した伊豆箱根側から何らかの形でその分の補償の要請が出されるだろうということは、現地当局も予想しているとのことであります。

 そこで、今後の処理にあたっては、関係当局におかれましては、

 一、当該路線の廃線化に伴って昭和六年に鉄道省が駿豆鉄道に交付した二十万円と重複支払いの面が起こらないようにすること。

 二、いわゆるゴネ得との印象を与えるようなことのないようにすること

 以上の二点を御考慮の上、慎重かつ明快な処理がなされるべきだと思うのであります。

 日程の第二は、来宮付近の国鉄用地についてであります。この土地の借主は伊豆箱根鉄道会社でありましたが、新丹那トンネルのずりを捨てるために国鉄が返還を要請し、鉄線でまわりを囲みましたところ、借主たる伊豆箱根鉄道が、占用妨害だとして、その妨害禁止の仮処分を裁判所に申請しました、問題の土地であります。

 しかし、この件につきましては、その後、先方が任意その申請も取り下げまして、問題は解決して、現にずり捨ても終わっている現況でありました。

なお、これらの交渉事項は、国鉄の東海道新幹線工事誌には一切出てこない。近江鉄道との件では、相当の頁数を割いていることとは対照的だ。(あるいは私が見つけられていないだけかもしれないが)

また、「新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?」の記事で紹介した「運輸ジャーナル」第127号(昭和38年2月10日号)「特集 政商に蝕まれる国鉄新幹線」には、下記のように取り上げられている。

運輸ジャーナル伊豆箱根鉄道関係記事

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月14日 (金)

西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その2

先般、「西武百貨店A館B館の間の地下通路は宇田川の暗渠のせいで作れなかったというのは事実ではない。地下通路はある。」というツレからの伝聞を書いたのだが、気になって、本職の方に問い合わせしてしまったら、ご多忙中のところ、わざわざお調べのうえ回答をいただいてしまった。(ありがとうございます。)

で、結論はこちら、じゃーん!

西武百貨店渋谷店A館とB館の間の地下通路と宇田川暗渠の関係図

 「地下通路はある」ということで確定です。

 今回、問い合わせをさせていただいたのは渋谷区役所さん。

 西武百貨店渋谷店A館とB館の間の「井の頭通り」は渋谷区道なので、上空の通路はもちろん、地下に通路があれば、道路法第32条に基づき占用許可をしているはずなので、道路管理関係の文書を閲覧すれば分かるのではないかと思ったわけです。

 実際には、文書の閲覧ではなく、ご担当者様から電話で回答を頂戴しました。

 その要旨は

地下3階、地下13mの部分にA館とB館を結ぶ通路があります

というもの。

 下水道台帳によると深さ2.67~3.33mの下に4.4mの高さのボックスカルバートが暗渠として埋められているということなので、その暗渠の下に通路があることになります。

 

 また、実際に西武百貨店渋谷店に行ってみると、営業中フロアーの最下層であるA館地下2階及びB館地下1階の階段からは、「staff only」の看板の向こうに更に下に降りていく階段が確認できます。

 「宇田川の暗渠のせいで営業用の地下通路ができなかった」ということは事実ではありますが、「宇田川の暗渠の下に業務用の地下通路があるので、通路が無いと言うと嘘になる。」ということでしょうか。

-------------------------------------------

<追記>

 当時の建築業界誌に「A・B館の地下3階を結ぶ連絡地下道」の文字が!

西武百貨店渋谷店A館とB館を結ぶ地下通路2

平面図には、A館とB館の間に「地下ずい道」の文字が!

西武百貨店渋谷店地下通路2

詳細は

西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その3

へ!

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月 3日 (月)

新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?

新幹線開通50周年ということでいろいろ裏話を調べてみたところで、新横浜駅と新大阪駅の用地買占めについて書いてみる。西武(その手先のブローカー)がやったというがどうなのか?

まずは、国鉄の新幹線工事誌から関係個所を抜粋。

新幹線工事誌から新横浜駅周辺の用地買収関係

ところで、早稲田大学大学史資料センターに故・堤康次郎氏関係の文書が保存・公開されているというので閲覧をさせていただいた。

保存資料に「運輸ジャーナル」第127号(昭和38年2月10日号)「特集 政商に蝕まれる国鉄新幹線」というものがあり、ぶっちゃけて言うと、堤康次郎VS国鉄新幹線@新横浜、@伊豆箱根鉄道下土狩線、@近江鉄道と3箇所での攻防戦を記事にしたものである。そのうち、新横浜関係の記載部分を抜粋してみる

新横浜駅の土地の買占め

新横浜駅用地買占め事件の謎の人物中地新吾の黒幕は堤康次郎氏だったという。国鉄はこれに対して・・・・・・
 近江鉄道の問題のまえに、ぜひふれておかなければならない問題がある。それは、つい先ごろ”国外逃亡”で新聞、週刊誌をにぎわした中地新吾なる人物が、一介の不動産業者から一躍風雲児となりおおせた、いわゆる新横浜駅周辺土地の買占め事件である。
 この事件が摘発されたのは昨年10月のことだが、捜査の手が中地の資金ルートを追い、意外や堤康次郎氏を探り当てたトタンに大きなカベにぶっつかってしまった。
 (このことは腕利きの事件記者のあいだで周知のことといわれている・・・)
しかも、捜査が念入りに国鉄当局を洗いだしているうちに、肝心の中心人物、中地新吾は僅か一ト月のあいだに渡航手続きを済ませ、11月9日ごろ羽田からホノルルへ飛び去ってしまった。これを捜査当局が知ったのは年が明けてからで、地団駄ふんでも後の祭りである。
 中地のこの鮮かな手際は、それまで海外往来のない本人に出来る芸当ではない。背後に某大物ありと読売新聞も報道したものだ。
 ところで、中地が買占めた新横浜駅周辺の土地は国鉄に打った8千坪の10倍、8万坪を下らないといわれている。これを中地は坪7千円~8千円で買入れているが、実際は片っぱしからバックの金主に見返りとして持ち込んでいた。そのとき儲けのつもりで履いたゲタが露見して、別によけてあった土地まで召しあげられたという。いずれにせよ黒幕の金主は、時価にして何と30億から40億円のボロ儲けをしている勘定になる。
 一方、国鉄が中地から買収した値段は坪当り3万円、36年度中に数回にわたって約8千坪を買入れている。この地区の新幹線路線の最終決定は35年のはじめであったが、その時すでに中地の買占めは粛々進められていた。事態を知った現場当局は、中地に手をひくよう交渉したが、かえって中地に開き直られ「オレの背後には大物が控えている。君らのような下ッ端にはわからんだろうが首脳部も了解していることだ。オレは国鉄に有利なように、国鉄に代って買収を進めているのだから余計な干渉はしないでもらいたい」と雄弁にまくし立てられ、スゴスゴひき下らざるをえない不可解な一と幕があったそうである。
 7千円~8千円で手に入れた土地を4倍もの値段で売りつけておいて、何が「国鉄のため」かといいたくもなるが、奇妙なことに、今月7日、衆議院決算委員会の席上、木村公平代議士の質問に答えた国鉄大石重成常務理事の答弁は中地の詭弁をそのまま鵜呑みに肯定しているのである。
「自分は土地の者でないから、土地の方々があとまで買収に応じなくとも、私のところは先に買え、こういうようなお話があったわけで、結果的にみると、いま買収している値段の相当安いところで買えた。その他の区間については5、6万ないし10万というような値段で買収しておるのが実績です」(議事録より)
 まるで中地に感謝状でも出したい口ぶりである。
 中地の買占めを知っていて、それに手をこまねいていて―捜査陣は中地と汚職関係ありと見てこの事件を摘発したのだが―しかも、その後つり上がった地価と比較してヌケヌケこんな答え方をするあたり、驚くべき強心臓だ。しかし一面では「国鉄の制度や機構からして、後手後手となるのもやむをえない」と同情する向きもないではない。
 だが果たしてそうだったろうか。中地の跳業に手も足も出ぬほど国鉄は弾力性のない、やりにくいところであろうか。それは近江鉄道にたいする大胆きわまる不当支出が、事実によって「否」と答えている。

「運輸ジャーナル」自体がブラックジャーナリズムみたいなもののようだが、これを「ピストル」堤氏が大事に保存してあったというのが味噌である。

では、オフィシャルにはどのようなやりとりがあったかを例によって国会議事録から拾ってみたい。太字のところだけ拾い読みしていただければ十分かと。

--------------------------------------------------

新横浜の買い占めにあたり警察は国鉄の用地課長を背任の疑いで捜査していた。また、買い占めの費用は三和銀行が融資していた?

- 参 - 決算委員会 - 閉5号 昭和37年10月29日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/041/0106/04110290106005a.html

○大森創造君 その問題については、この質問のあとのほうからまた詳しくお聞きしたいと思いますが、汚職か汚職でないかまだ判明いたしませんが、私はおそらく汚職になっているだろうと思うのでありますが、横浜と、それから名古屋、それから大阪の新幹線のうち用地買収をめぐる問題について、以下お尋ねをしていきたいと思いますが、この問題はなかなか複雑微妙で、非常に広範囲にわたると思いますから、私の質問も、きょうの委員会のみならず、自今二、三回続けるつもりでございますので、ひとつお含みおきを願いたいと思います。

 まず、ざっくばらんにお聞きいたしますが、横浜のほうに限ってきょうは御質問いたします。用地買収のプロセスですね、どういうプロセスで用地を買収なされるのか、それから測量というものはどういう順序でやられるのか、そういうことをしろうとの私にもわかるようにひとつお答えいただきたい。

○説明員(大石重成君:日本国有鉄道常務理事) 順序といたしまして、測量を開始いたします順序から御説明いたします。測量を開始いたしますにあたりましては、最初にどの地区を――測量と申しましても、いろいろ測量がございますが、第一回にやります測量は、地形測量と申しまして、市販しております五万分の一のような地図をもっと精確に、国鉄で使っておりますのは二千五百分の一の精度の図面を作るのでありますが、この地図を作ります測量が第一回の測量でございます。この場合に、関係の沿線の市町村に、この地区を鉄道が通る予定でございますので測量をさせていただきたいという通知をいたします。この範囲は、およそ大体五万分の一の地図に、線路がここを通りますという予定をいたしまして、その範囲に測量のために立ち入りをいたしますので――私たちは立ち入り通知と言っておりますが、その御通知をいたします。次に、その地図ができますと、その地図によりまして一段と精確な計画をいたしまして、再びその地図に基づきまして、今度は線路がこの点を通るという計画を室内においてやりまして、地元の方々と協議をいたします。新幹線の場合でございますと、その場合に、ほとんど今までの例といたしましては、測量反対、立ち入り反対という声を承りました。したがって、測量をいたしますとぎには、事前に相当の御了解を得ませんと、まず立ち入りができませんでした。で、そのようなことをいたしまして、今度はここに線路が通るというような図面ができますと、再び詳細な測量をやりますという立ち入りの通知をもう一度やります。そのときには、地元の方々に御了解を得るために、事前に十分御説明もし、お話し合いもいたしまして、御了解を得た後に測量立ち入りの通知をいたします。そうして、線路が直接ここを通るという点が出て参りますと、次にやります測量は、そのきまりました――私たち中心線と言っておりますが、その中心線に沿いまして、鉄道用地にかかります幅につきまして、一筆々々、何と言いますか、丈量という言葉を使いますが、これはたんぼであり、これは畑である、これはどなたの所有地であるというようなことまで詳細なものを書いた用地図を作ります。測量といたしましては、今申し上げましたように、最初に地形図を作りまして、その次に中心を置きます測量をやりまして、その次に用地の詳しい明細がわかりますような用地図を作る、こういう三回の測量をいたす段取りに相なっております。  それから、用地の買収方法、これはどういうふうにするかというお話でございますが、この点につきましては、ただいま申し上げました詳細な用地図ができますと、今度はそれに基づきまして、たとえばどこに土管が入り、どこに橋ができ、どこに道路ができ、どこに石垣ができる、こういうようなこまかいものをその図面の上に書き上げますことによりまして、どなたの地面にはどういうどぶがつぶれて土管ができるとか、どこにはどういう道路がこちらに曲るというような詳細なものができて参りまして、これに基づきまして地元の方々と設計協議というものを始めます。お宅の道路はこういうふうに曲りますというふうに。また、国道に関しましては、国 建設省とその話をやります。また、県道関係のものにつきましては県庁、さらに林道その他につきましては農林省、それぞれ大きいものは所管官庁と設計の協議をやります。個人の私道、また私有地につきましては、各地主さん方と設計協議を始めるのであります。

 ところが、今回の幹線の場合には、先ほどもちょっと申し上げましたように、ほとんどのところが、建設、立ち入り反対、用地を売ることも反対というようなことに相なりましたので、地元の方といたしましては対策協議会――初めのときは大体これが反対同盟会というようなものができて参りまして、それといろいろお話をしておりますうちに、その反対同盟会が対策協議会というようなことに看板が変わって参りまして、その対策協議会というのは、ほとんど地元の有志の方々が入りましたものができまして、これが各町村の部落といいますか、ブロックごとにそういうような協議会ができまして、その協議会と設計の協議をする。同時に、横浜でございますと、横浜市の方もそれに参画いたしまして設計の協議をいたします。

 かようなことをいたしまして、設計の御了解と申しますか、われわれの考えておりますることと地元の方の御要求というものが合致いたしますと、今度はこれが用地の買収の協議会に変わって参ります。そうなって参りますと、その対策協議会におきまして、一般の場合でございますと、一筆ずつ、各人と交渉をしないで、協議会において、その範囲におきましてまず土地に等級をつける。たとえば一等地から十等地までの等級をつける。その等級のおのおのについての価格をオープンのところできめてくれる。そうして、それがきまりましたならば、その地区につきまして、国鉄もお話し合いをいたしますし、また、協議会の会長さんも、責任を持ってその土地をまとめていく、こういうようなことが荒筋でございます。

○大森創造君 大石常務理事は、警察のほうに参考人か何かで出られましたか。

○説明員(大石重成君) 私は警察に、まだ参考人として呼ばれたこともございません。

○大森創造君 今のプロセスは大体わかりましたけれども、この事件について、測量とか、それから用地買収について、重大な段階があったと思うのですが、仮測量をいつ始めて、それがいつ終わって、それが本測量と申しますか、そういうものがいつ始まって、いつ終わって、それからいわゆるセンター・ラインというものの測量はいつ始まり、それから用地買収の手続は、昭和何年の何月ごろ始まって、いつ終わったということについて、そういう時間に焦点を合わせて、ひとつお答えをいただきたいと思います。

○説明員(大石重成君) 横浜駅付近の今までの作業につきまして、時間と申しますか、いつどういうことをやったかということを簡単に御報告申し上げます。最初申し上げました一番最初の大きな図面を、これは飛行機で航空測量をやったのでありますが、この幅の所を航空写真でとりますという御通知を申し上げましたのが三十三年八月でございます。それから中心測量の立ち入りの通知をいたしましたのが――今度は線路がここを通りますという中心をきめます測量の通知をいたしましたのが三十四年十月でございます。それから、三十四年十月九日に通知をいたしまして、測量開始をいたしましたのが十月十五日でございます。一週間おくれて直ちに測量を開始いたしました。それから、用地がここにきまり、これだけの幅の鉄道の用地がかかりますという用地の測量をいたしましたのが三十五年九月、それから、その用地の幅につきまして一筆々々、所有者を調べて参ります測量をいたしましたのが三十五年十月、こういうことでございます。

 そして、この場合につきますと、ここで先ほど申し上げました設計協議なり、用地買収をいたそうといたしましたところが、設計協議がきまるまでは用地の買収は待ってくれというようなお話がございましたので、まず設計協議に重点をおきまして設計の協議をしたのであります。

 それから、この用地の買収の状況は、ただいまも、まだ買収が完了したというところに参りませんで、買収の協議をしておる段階でございます。ですから、買収がただいま進行中でございます。

 この場合に、買収が進行しないでなぜ工事をやったかという御質問があるかと思いますが、この場合は、起工承諾というものを地元の方々は出しております。工事はやってもよろしい、単価をきめるのは待ってくれ、土地の値段をきめるのはあとにしてもらいたい、工事はやってよろしいというような話し合いになって、ただいま工事はやっておりますが、買収は全部終わったという段階ではございません。

○大森創造君 そうすると、中心測量の通知をしたのが三十四年十月九日、開始したのが十月十五日ということでございますが、買収の進行中であって、まだ未完了であると私は了解いたしますが、買収を始められたのはいつですか。

○説明員(大石重成君) 一番初めに買収いたしましたのが三十六年四月であります。

○大森創造君 そうすると、三十四年の十月ごろ中心測量を始められたということでありますが、三十六年四月に実際用地の買収を始めたということでありますが、これは普通中心測量を始めると、ほとんど同時くらいに、あるいはそれが完了した――その中心測量が完了したのはいつごろでございますか。中心測量を始めたのが、通知したのが三十四年十月九日、始めたのが十月十五日、その終わったのはいつですか。

○説明員(大石重成君) 終わった日は、確認をしてございませんので、調べて参りますが、測量して参りまして、設計がある程度まとまりまして本社に、こういうふうにもつていきたいといって書類の出て参りましたのが三十五年七月でございます。ですから、三十四年の十月から開始いたしまして七月に書類が完成しておりますから、期間は、この間だと思いますが、日にちが確といたしませんので、後刻調べて参ります。

○大森創造君 用地買収を始めたのは、さっきお話がありました三十六年四月に間違いございませんか。

○説明員(大石重成君) 最初の用地買収をいたしましたのが三十六年四月に間違いございません。

○大森創造君 それではお尋ねしますけれども中心測量を始める――これは終わった日時がわからないということでございますが、これが、まず中心測量をずっと始めていくというと、大体それとほとんど時を同じくして、そのあとを追って用地買収が始められるのが、よその地区については通例でございますね、どうですか。

○説明員(大石重成君) 新幹線の場合におきましては、中心測量をやりまして、直ちに用地買収をしたいのはもちろんでございますが、全線にわたりまして、一カ所もそういう場所はございません。直ちに設計協議ということで、各所において相当時間がかかっております。

○大森創造君 これはひとつ、あとで私も調べてみますが、三十四年十月九日に中心測量の通知をされて、始めたのが十月十五日だと。そして実際に用地の買収を始めたのは三十六年、二年近く日時がかかって用地買収を始めているということは、おそ過ぎはしませんか。

○説明員(大石重成君) これは決して早いとはいえないのでありますけれども、非常に今回の新幹線の建設につきましては、沿線の方が測量をいたしまして、用地買収までの間に時間をかけられますので、その程度のものがほとんどでございます。

○大森創造君 これは用地買収の時期を決定するのは、一体だれですか。

○説明員(大石重成君) これは現地の工事局長、中心点の本社の認可がございますと、現地の工事局長が権限におきまして、可及的すみやかに交渉するということに相なっております。

○大森創造君 国鉄本社の新幹線総局用地部次長橋本巌さんは一これは警察の方、おいでになっておりますか――出頭を求めて、いろいろ事情を聞かれたと思いますが、私の調べでは、この次長の下にいる人が、この問題の新幹線の横浜新駅ができるところの用地の買収については、あれはもう話が済んでいるのだから、買収の話はそっとしておけということを、しきりに当時言うていたという事実が私の調べではあるのだけれども、これは事実でございますか。

○説明員(宮地直邦君:警察庁刑事局長) まだ、目下捜査中でございますので、具体的な事実まで私どものほうに入っておりません。

○大森創造君 この新幹線の工事局用地課長というのは当時だれだったですか。大石さん御存じございませんか。

○説明員(大石重成君) 名字を知っておりますが、名前まで存じません。石原という者でございます。

○大森創造君 私の調べでは、石原という用地課長が、あの辺はすでに話がついているからと言うて、部下の買収工作を押えたということを私の調べでは出ている。警察の関係はどうなんですか。

○説明員(宮地直邦君) 本人の個々の言動までは入っておりませんけれども、今申されました用地課長の石原につきましては、私のほうも調べておるところでございます

○大森創造君 調べた結果はどうなんですか。

○説明員(宮地直邦君) 今鉄道のほうで申されましたように、昭和三十六年の五月ごろ東京新幹線の工事局が、横浜市の港北区の土地の買収に関しまして、国鉄の内部規定でございますが、用地購入価格等評定要綱、その他内部の諸規定に反しまして、土地の中間ブローカー的なものが介在いたした、そのために土地が非常に高価に購入せられておるという事実を私のほうはつかみまして、石原用地課長その他関係者を中心といたしまして調べておるのでございます。

○大森創造君 この中心測量というものが始まるとほとんど前後して、問題の中地社長というのが、八百万円の資本金のブローカー会社でございますが、それが問題の所を他人名義で買収し始めた。これについて警察の方にお伺いいたしますが、銀行は三和銀行だと思いますが、一体その三和銀行支店から用地買収費として日本開発株式会社中地新吾氏、そっちのほうに融通した金額はお調べになっておりますか

○説明員(宮地直邦君) 本件につきましては、今名前をあげられました日本開発株式会社を中心といたしまして、本月の十一日と記憶いたしますが、兵庫県、大阪、東京、神奈川等十二カ所にわたりまして捜索をいたしまして、関係資料を押収いたしておりまして、これらの証拠に基づきまして、目下捜査中でございますので、捜査の途中の問題といたしまして、どういうふうな状況になっておるかということにつきましては、しばらく御猶予願いたいと思います。

○大森創造君 大石さんにお伺いしますけれども、用地買収、それから中心地の測量、私どもは国鉄の技術屋でないからわかりませんけれども、相当時間のズレがあると思う。警察のほうは、今捜査中だからはっきりこうだということをおっしゃられませんけれども、どうも私は、ほかの地点に比べて、この地点の用地買収並びに中心測量の、時期のズレが相当あると思う。そういうことについて私の調べた限りでは、その石原用地課長が、あの辺はすでに話がついているから、しばらく待てということを言うて、そうして地価が暴騰してくる。これはごたぶんに漏れず相当ここの地価が暴騰してくるから、結局早く買収しないと困るんだ。私は、とにかく測量の技術がどうのこうの、いろいろなプロセスはございましょうけれども、冒頭にお尋ねしたように、百五十億の予算が、やがてこの用地買収、全部完了するためには四百億を突破するというふうなことが見込まれる場合には、これはどうしても、用地をいち早く押えなければいかぬ、買収を始めなければいかぬということが良心的な国鉄としての立場だろうと思うし、用地費がかさむということは、国民にとっても国鉄にとっても望ましくないところで、一体よその地区に比べて非常におくれているのはどういうことだと、大石さんのほうは督促をされたり、あるいは大石さんのさらに上のほうの人から、新幹線の新駅の用地買収については、どういうふうに話が進捗しているんだということを、再三督促になったと思う。これは推測にかたくない。その辺の事情はどうですか。

○説明員(大石重成君) 本社におきまして、特に横浜地区がおくれているということを考えてはおりませんでした。全般的に非常に設計協議がもつれておって、実はまだ話がつかないところもあるわけでございます。そういうようなことで早く話をつけろというようなことは、抽象的といってはあれでございますけれども、各工事局に、本社としては早く話をつけろというようなことは、業務として言っておりますが、特に横浜がおくれておったということでなくて、むしろ私といたしまして心配しておりましたのは、そのほかのところもあるのでありまして、全体的に早くということは言っておりますけれども、横浜だけ早くというようなことは言っておりませんでした。

○大森創造君 それではお尋ねしますけれども、用地買収、まだ夫完了だそうでありますけれども、この横浜の問題について、用地の買収費を幾らお支払いになりましたか。だれにお払いになりましたか。

○説明員(大石重成君) これは用地の買収費は各地主に払っておるものだと私は思っておりますが、こまかい事務は現地でやっておりますが、今の御質問は、だれに払ったかという御質問でございますが、これは所有者に金を払っております。

○大森創造君 日本開発の中地社長のほうに払ったのですか。それとも個々の、そうでない名義を代理している人に払ったのですか。おわかりになりませんか。

○説明員(大石重成君) その点、こまかいところまでちょっと私、ただいま資料を持っておりませんが、もし御必要であれば調べて参ります。ただいま、だれに払ったというところまでは承知しておりません。

○委員長(鈴木壽君) ちょっと速記をとめて。

  〔速記中止〕

○委員長(鈴木壽君) 速記を起こして。

○大森創造君 警察の方にお伺いいたしますが、この問題について、警察ではどういうところに主点をおいて調査をされましたか、捜査の基本方針をひとつ……。どういう端緒で捜査を開始しましたか。

○説明員(宮地直邦君) これ、先ほど申しましたように、国鉄の用地購入関係者が、それぞれの国鉄の内部規定に違反して土地の測量の間に中間ブローカー等の介在をせしめて、それらの者を、ここでは背任と私のほうは考えておりますが、任務に反して用地を高く結果的に国鉄に買わしめた背任容疑をもって、そういう事実の立証に今努力をいたしておるのであります

○大森創造君 この問題は、だんだんに質問をして参りますが、大石さんのほうにお伺いしますが、警察のほうでは、背任横領ということにねらいをつけて捜査を始めておられる。で、私もこの周囲の状況を見るというと、非常に背任横領があったであろうというふうに推測をされる。警察のほうでも、まだ捜査途中でありまするし、国鉄のほうでも背任横領でないという見解を出しているのでありましょうが、どういうところに、これは問題があったというふうにあなたお考えになりますか。

 私の調べた限りでは、この問題の横浜市の郊外の東横線菊名駅周辺のこの用地の買収三万坪というものを日本開発の中地社長、またこの人と、どういう関係があるかを私は警察の方にお伺いしたいと思いますが、京浜建設という地元の土地会社の遠藤勇という人、大胆に買いまくっているのですね、土地を。当時千五百円か二千円、せいぜい三千円ぐらいの農地、たんぼの農地というものを、実に大胆不敵にばんばん買いまくっている。この当時の地元の人たちは、ここを東海道の新幹線が通るということは、全然夢にも思っていない、こんな畠の真中に横浜駅が作られるということは夢にも思わなかった。で、国鉄側が最終的に測量を開始したのは、この土地がすっかり売られてしまってからであった。問題の中地氏、社長なる人は測量が始まってからでも、その地点の周辺を確実に買い足していった。地主の中には、国鉄が買い上げに来ても、きっと国鉄なんだから、公共性があるのだから買い上げに来ても、きっと市価よりは割り安で交渉してくるだろうということで、中地氏のほうに、あるいは遠藤氏のほうに、みずから進んで売っていったという事実がある。一方銀行のほうではこの八百万円のブローカー会社に、これを警察の方に、この点をお聞きしますが、相当まとまった金額をどさっと貸し与えた、この金額は幾らになりますか。

 それから、あなたのほうの調べでは、この銀行が、三和銀行がどういうわけで、こういう中地社長に何億という用地買収資金を貸したか、ここらに当然疑問が出てきます。大阪の場合もそうです。今度の横浜の場合もそうです。期せずしてぴったり、国鉄が中心測量を始めるその前、三十四年の十月ごろ、確実に大胆に買収を開始しているという事実がある。これは、あまりにも符合が一致し過ぎている。この点について、国鉄はこれは形式的に見るというと、いかにもやるべき事務を正しく取り行なったというふうにとれますけれども、これは国民から見るというと、膨大な金額です。算術計算すると十何億か、二十億近くの金がころがり込んでくることになる、中地社長のほうに……。商売としては、こんなうまい商売はない。これは税金なんですから……。国鉄は今から反省してみて、この測量、用地買収が、何か今から考えてみても、これ以外の方法はなかったのですか。おそろしいわれわれから見るというと不経済な感じがする。これは二十億くらいの金が不経済になる。片方はもうけている。こういう方法しか取り得なかったのか、別な方法はあり得なかったか、これをひとつ、大石さんにお伺いします。

○説明員(大石重成君) まず最初に、これは私たち警察でございませんので、裏の裏はわかりませんが、私たちの国鉄が中地さんの会社から買いました坪数は二万五千平米と申しますから、坪にいたしますと、これの三分の一でございます。約八千坪ぐらいを二億買いまして、その総計は二億三千百万円あまりでございます。でございますので、今のお金が相当大きいとか非常に広い面積というお話がございましたが、国鉄といたしましては、先方から買いましたのが二万五千平米、金額にいたしまして二億三千一百万円あまりでございます。

 それからもう一つ、別の方法はなかったかと申しますが、別の方法と申しましても、先ほど申し上げましたように、ここは横浜市並びに対策委員会におきまして、設計協議が終わるまでは一切土地は売らぬし、立ち入りも困るということでございましたので、私たちといたしましては、用地を買う方法がございませんので、設計協議に全力を注いでおりました。まあ私も、裏の裏はわかりませんが、国鉄でわかっておりますのは、この間に中地さんの会社だけは、おれは対策委員会の中に入っていないから、自分のものだけは買ってくれ、こういうことで買収を始めたというふうに事務的に報告を受けております。

 それから、買いましたものも、中地さんの会社から買いました土地の平均が、さっき総額が二億三千一百万円あまりと申しましたが、二万五千平米で平均単価が九千二百三十三円ということになっております。これは平米当たりでございます。国鉄でただいま用地を買いますときに平方メートル当たりでやっておりますので、平方メートル当たりを申し上げております。坪でありますと、これを三・三倍いたしますと坪になります。そのほかの一般の地主さんから買っておりますのは、時間が設計協議のためにズレておりまして、今年三十七年になってから買収を開始いたしておりますが、平米当たり二万七千円というような値段に相なっております。ですから、もっとうまい方法がなかったかというと、これはほかに全然ございませんと申し上げるほど完璧であったかどうかはわかりませんが、結果的に申し上げますと、ただいまいろいろな問題が出ておりますが、私といたしましては現地におきます従事員が、必ずしも違反をし、また国鉄に対して非常な損害を与えたというふうにきめつける私たちといたしましては資料を持ち合わせておりません。

○説明員(宮地直邦君) 今警察が捜査の対象といたしておりまして、国鉄職員以外においてやっておりますのは、今申し上げました日本開発株式会社の中地氏及びその取締役の中氏及び今これも御発言がございました株式会社京浜建設商事の取締役遠藤氏等を任意の取調べの対象にいたしておるのでございます。この間に、いろいろとうわさその他につきましては、われわれ耳にいたしておるところでございますが、何分、警察がこれを捜査するということになりますと、疑うに足る相当の資料なり、証拠に基づかなければできませんので、うわさはうわさといたしまして、われわれのほうでは、まだ御質問のような点についてお答えするような段階に達していないのでございます

○大森創造君 警察も、新たなことをここで発表しないようでございますから、私のほうでひとつ要求いたしますが、私はどうも、まあ国鉄が背任横領の事実がなければ、これは幸いなことであるし、しかし、どうも疑問が持たれる点がございますので、ひとつ後ほど委員長理事打合会でおきめいただきたいと思うのでございますが、問題の中地社長、それから、三和銀行の当時の支店長と、それから三和銀行の頭取の上枝さんですか、それと問題の新横浜駅についての、これにまつわる地主の代表の方、これは次回の委員会に参考人としてひとつ、本委員会に出席されるようにお願いしたい。もう一回申し上げますというと、関係地主の代表の人と、それから日本開発の社長の中地社長と、それから八百万円の資本金の小さな会社に三和銀行の支店が七億から十億の資金を回してやったということでございますから、こういう大まかな貸し方のできる銀行というのは、これはどうも顔を見たい、何なら私も借りてみたい。この銀行の上枝頭取と、それから当時の支店長、これは本委員会に参考人として出席してもらうように要求をいたします。そうして、そのあとさらに、この問題について掘り下げて質問をいたしたいと思います。きょうは、私に限っては、この問題については質問を終わります。

- 衆 - 運輸委員会 - 10号 昭和37年11月01日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/041/0016/04111010016010a.html

○赤松委員 (略)

 委員長、十月の二十七日に、盛岡工事局の汚職の問題が発生をしております。これは業者が二人逮捕されております。それは東北本線の花券-二枚橋間の複線化工事の際に、さきに収賄容疑で逮捕された同工事局第三土木係長の林松一郎、これにそれぞれ数万円ずつ贈って、そのために逮捕をされております。それから同じく十月の十八日、これは名古屋の幹線工事局の者でありますが、この名古屋幹線工事局第一課の職員、これがやはり金銭の贈賄を受けまして、そして家宅捜索をされて、本人は逮捕されておる。すでに起訴されておるようであります。それから横浜における、この間参議院の決算委員会で問題になりました日本開発KK、この問題でありますが、この日本開発KKというのは、資本金がたしか八百万円の小さな会社です。この資本金八百万円の会社で、名前は日本開発ということになっておりますけれども、ただオフィスを持っているだけで、土地のブローカーのようなことをやっておるようです。これは、横浜で七千五百円で買った土地を一年たたない間に三万円から四万円で売って、一挙に何十億という  約二十億、この報道がはたして誤りであるかどうかわかりませんが、とにかく二十数億円の利益をあげたことがあるのです。八百万円の会社で、国鉄が土地を買収するということを、これは聞いたか情報をとったかわかりませんが、土地の買収を七千五百円でやって、そしてこれを国鉄に三万円から四万円で売り渡しておるという事実があるわけでございます。この男は、元国鉄に勤めておりまして、国鉄の内部には相当のコネクションがあるようであります。横浜地区の場合は、昭和三十五年の夏までに測量が終わった。初めは三万坪を買い付けて、それから十万坪以上の土地を買い付けた。このために、この事件について、すでに検察庁が乗り出しまして、本人が逮捕されておるということも、これは事実であります。また、その裏には銀行と政界人がおるのではないか。つまり銀行は、八百万円の小さな会社に対して七億から八億の融資をしておるわけです。七億から十億の資金を担保物件もなしにここへ回しておるという事実、さらにその口添えについては政界のある者が動いておるという事実、こういうことが報道されておりますが、一体こういう汚職事件が頻発をする。ことに横浜の場合は、先ほど言ったように、外国からお金まで借りて新幹線をつくろうというときに、一銭一毛たりといえども、これは国民の負担になるのでありますから、大切に使わなければならぬ。それをこの土地ブローカーに二十数億円一挙にもうけさせるということは、要するに、国鉄が二十数億円損をするということになるわけです。この事件に対して、総裁はどのように考えられておりますか

○十河説明員 そういうことが問題になりましたことは、まことに遺憾千万だと存じております。しかし、ただいま司直の方の取り調べ中でありまして、事実はどういう事実があったのか、事実の詳細はわかりません。私どもは、その中地の会社が、幾らでいつその土地を買ったものか、そういうことをよく存じません。しかし、とにかくこういうことが問題になったことは、今お話のあったように、どこでも――東海道新幹線に限らないのでありますが、特に東海道新幹線は、国際的にも注目の的になっております。そういうことのないようにということで、かねてから厳重に戒めておったところであります。そういうことが起こりましたということは、まことに遺憾千万だと、私は深く反省をいたしております。

○赤松委員 遺憾千万だ、残念である。そういうことの起こらないように注意をしておったが、こういう結果になってまことに遺憾である。深く反省をしております。そういうことは、何度も何度もあなたは言っているわけですね。三河島事件以来、何度も反省されているわけだ。しかし、反省々々と言っている口の下から、こういう事件がどんどん起きてくる。現にこの汚職事件については、今東京都千代田区神田三崎町二の六鉄道建設興業会社の営業部次長をやっている石原という男が関係している。この石原という男は、その当時国鉄の課長をやっておった。そうして日本開発会社が買収をしたときには、これは普通で言えば、対策委員会というものが、土地の関係者などや市町村関係者によってつくられておる。そこで説明会を開いて、その後対策委員会で買収価格を提示して、そうして折衝をして、その後に最終契約をするというのが、今までの国鉄のやり方なんです。それが三十六年の九月に、横浜駅の周辺を買収する際、このときは日本開発会社が買収した。そのときに石原課長が、あの用地の買収はすでに話がついている、こう言って、用地課員の買収折衝を押えたというのが、疑いの原因として石原が逮捕されているわけです。これは明らかに中地という社長と意思を通じてやったのであろうという疑いから、ただいま逮捕をされているわけであります。この課長が、つまり用地課員が買収折衝手続をとろう、そういう今言ったような対策委員会を設けて、買収価格を提示して折衝する手続をしようとしたときに、課長が、あの用地はすでに買収の話がついているから、だからやる必要はないと言って押えておる。中地と石原の関係というものは、もう疑うべき余地がないわけです。国鉄の課長が、この汚職を、二十数億円の不当利益を、これをみずから助けておるという事実、そうしてその後彼は、その犯罪をくらます意味でしょう、国鉄をやめまして、現在は鉄道建設興業株式会社というものに勤めて営業部の次長をやっておる。国鉄の労働組合の組合員がやめると、これは行く先がありませんから、中には日雇いをやる人もある。あるいは他の工場で働くという場合もあるわけですが、国鉄の、少なくとも課長以上ぐらいなクラスになって参りますと、ほとんど国鉄関係の外郭団体に入ってしまう。そうして汚職の手引きをやっておる。今まで汚職の発生したのは、もうほとんど、国鉄の高級職員として勤めておった諸君が外郭団体に入って、そして内部の者とコネをつけて汚職をやっておることは、ずっと系統的にあるわけです。総裁が、ただ遺憾であります。残念であります。反省いたします。こういうふうにおっしゃいましても、三河島事件以来の事故の問題、さらに相次ぐ汚職の問題、こういう点から申しまして、これ以上、国民としても、国会としても、もう黙っておるわけには参らぬ。ことに国会の承認を経て、内閣はあなたを総裁として指名したのでございますから、私どもとしましては、これ以上黙っておるわけには参らない。先ほど来私は申し上げましたように、あなたは鉄道マンとしては豊かな経験を持っていらっしゃる。高邁なる識見も能力も持っていらっしゃる。私は、その人物におきまして、あなた自身を高く評価しておるわけでありますけれども、そのことと、監督の責任、つまり職責に対するところの義務違反というものとは、おのずから違うと思うのです。なぜこういう問題が発生するか――いや、おれでなくたって、だれが総裁をやっておっても、汚職は、出てくるときは出てくるよ、やるときはやるんだよ、事故が発生するときは発生するんだよ、こうあなたが一言おっしゃれば、問題は全部終わっちゃう。それでは責任を負う者はないわけです。われわれは選挙がある。選挙でもってわれわれはきびしく批判される。あなたは選挙がないから、内閣があなたを罷免しない以上、あるいはあなたが自発的に国鉄をおやめにならない以上、これは何ともできない。どんなことが起きたって、反省します。遺憾でございますと言っておれば、そのままいすにすわっておれるのだということになって参りますならば、やはり政治の倫理という立場からいって、私はこれは非常な問題ではないかというように考えるわけであります。そこで、十河さん、日本の鉄道マンとしてはまさに最高の人物なんですから、もうこれ以上国鉄におられまして、私のような若い者からやいやい言われて恥をかくよりも、この際は、きれいさっぱり――新幹線の工事もいよいよ着工されて、だれが申しましても、これは歴史に残るのです。十河さんがおやりになったということは、歴史に残ります。これは、汚職が起きても、事故が起きても、その歴史を抹殺するわけには参らぬのであります。それはさん然として歴史の一ページに刻み込まれるのでありますから、この際あなたは一つ、余生を大いにゆうゆうと自適していただく、この辺がどうも、失礼ながら引退の時期ではないかというように私は判断をするのであります。国鉄は、有為な人材も下にはたくさんおるのでありますから、あなたは引退されて、そして人事を大いに刷新されまして、生き生きとした人事交流をやって、新しい民主的な国鉄をつくり上げるという突破口をこの際おつくりになる意思はないでございましょうか。私はもうこれ以上――今後も、あなたがやめぬ限りは、何度も何度もやらざるを得ないのでありますが、いかがでございますか。あなたの心境をこの際お伺いしたいわけです。

○十河説明員 私に対して過分のお言葉をいただきまして、また、御親切な御忠告をいただきまして、私は感謝にたえません。しかし、汚職の問題も、ただいま申し上げました通り、目下司直の手で取り調べております。石原も、今、逮捕せられたというお話でありますが、私が聞いておるところでは、逮捕せられていないように伺っております。そういうふうななにがどういうふうに発展いたしますか、わかりません。いろいろ事件が起こりまして、私は深く反省して、こういう事件や事故をなくするようにできるだけの努力をいたしております。ただいまのところ、こういう汚職の問題があるからといって、今すぐやめるという考えは、遺憾ながら持っておりません。

疑惑の中地氏は海外へ高飛びしていた。

- 衆 - 決算委員会 - 2号 昭和38年02月07日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0106/04302070106002a.html

○木村(公)委員 最後に、国鉄総裁並びに大石幹線局長が来ておられますので一つお尋ねして勝澤委員に譲りたいと思います。今度の東海道新幹線の用地の問題ですが、この間用地を国鉄内部の者と通謀したような疑いで事件にもなっておるようですが、若干の用地を先買いをして不当に高い値段でもって国鉄にこれを売りつけて、そうして国並びに国鉄に損害を与えた、そういう事件があって、その本人は今ハワイに逃げて、ハワイでぜいたくな生活をしておるそうでありますが、それはそれとしまして、沿線にそういうことがずいぶんあるんじゃないかと思われるのです。たとえば、滋賀県の地内に行きますと、数十万坪あるいは数百万坪にも及ぶところを一会社が坪百五十円ぐらいで買って、それをあなたの方へ三千円ぐらいで売りまして巨利を得ておるという事例がありまして、今地元で大もんちゃくを起こしている。白紙委任で判を押しておるが、値段もまだきめてないとかなんとか、大へんなことがあるのですが、いわゆる高速道路それに東海道の新幹線が国民歓呼の声を浴びながら今建設されておるわけでありますが、その用地の買収が、そのように不正、不当に用地が一部の者に買い上げられて利用されて、そして国並びに国鉄そのものが非常に大きな損害を受ける。そういうことがあるために今度は先買い権というものをつくろうというので、法案の準備ができてこれを審議するばかりになっておるわけですけれども、総裁がおられますが、東海道新幹線の用地でそのような問題になった、この間のハワイに逃げていった人は名前も知りませんが、それのことについても御承知でしょうが、それのことも比較的詳しく伺っておきたいし、さらに滋賀県における会社の名前を私が申し上げる必要もないし、代表社員の名前も申し上げる心要はございませんが、そんなようなこともあるはずですが、総裁御承知ですかどうですか。

○十河説明員 東海新幹線の建設につきましては、ただいまもお話のありました通り、内外から非常に大きな期待をかけられております。この建設については、毛頭そういう天下の疑惑を受けることのないようにということで、初めから非常に注意いたして警戒いしておったのであります。私の方では東海道新幹線のできる前からでありますが、事前に契約審査役というものを設けまして、工事を計画し、執行するものと全く違ったものがその工事の用地の買収であるとか、あるいは建設資材等の適否、不当がないか、違法がないかということを事前に検査させることにいたしております。

 先ほどもお話のありましたように、予算をとるときには一生懸命やるけれども、あとはずさんなやり方をしては困るということで、これは監察の制度がありまして、あとをずっとトレースして間違いのないように検査をいたしましてそれぞれ修正させるとか、あるいは間違いの起こった場合には、適当な処分をいたして戒告をするとかいうようなことをいたしまして、そういうことを絶無にするように努力いたしておりますが、なかなか絶無になりませんでまことに申しわけがないと考えております。

 用地の問題につきましては、東海新幹線の工事でもその他の工事でも同様でありますが、特に東海道新幹線の工事は停車駅が少ないために、地方の方は利益を受ける度合いが現在線の普通の鉄道建設よりか薄いところがたくさんあるのでありまして、東海のような大きなところは相当利益を受けますが、そうでないところは駅がないということで、自分の方は何もおかげをこうむらないじゃないかというようなことで用地の買収が非常に困難であります。用地の買収は御承知の通り最初図上で測量いたし、およそ線路をここへ引っぱったらいいだろうという計画をいたしまして、それから認可を得てずっとくい打ちをして実測をして、そうしてから後でないと買収にかかれないのであります。私の方ではあらかじめこのあたりを通るのだからここらを先に買収しておこうというようなことができませんので、どうしてもここをこれだけ買うのだ、どうしてもこれだけ買わなければ東海通新幹線はできないのだということがみなわかってしまう。それでありますから非常に注意はいたしておりますけれども、どうしてもそういうことがあって、ブローカーが活躍するというようなことがあって、所有者になっておればその人を相手にしないというわけにいかないのでありまして、それで非常に困っております。今お話のあった某会社で問題を引き起こして取り調べられておることも承知いたしておりますし、それらの内容も聞いておりますけれども、ここに担当の理事が出ておりますから、担当の大石理事からそれらの詳細を御説明甲し上げさせたいと存じます。

○大石説明員 ただいまお話のありました横浜の件と滋賀県の問題、滋賀県の問題につきましては、実は私詳細に承知いたしておりませんので後刻取り調べてお答えいたしたいと思います。横浜の件につきましては、まことに不手ぎわといいますか、疑義を持たれたという点につきましては、われわれといたしまして、その点まことに申しわけないと存じておりますけれども、ただいま私たちが承知いたしておりますのは、先般警察当局から私たちの職員の直接関係しております者が数名参考人としていろいろと取り調べを受けましたが、その後何のごさたもございません。私たちといたしましては、一応私たちの方の取り調べにつきましては御了解を得られたのではないかというふうに承知いたしております。その後取り調べもお呼び出しもございません状態でございます。呼ばれた者も、おのおの各人一回、多いので二回という程度でございまして、まあ私、少し好意的に考え過ぎるのかもしれませんが、被疑者という立場よりも参考人という立場で取り調べを受けたのではないかというふうに承知をしております

 それから、横浜につきましてはどういう点が問題になったのかと申しますと、これは今総裁も御説明いたしましたように、私たちといたしましてはこの土地に新しい駅をつくるという点につきまして測量をいたしますところから始めるわけでございますが、ただいまの状況でございますと、測量いたしますときに地元の県、町村、また地元の代表者の方々にいろいろと御説明をいたしまして、御了解を得て立ち入りの測量をいたす次第でございますので、ここに大体どういうようなものができるかということを十分御了承を得ておきませんと全く秘密にしておくということができない、やるべきでないということで、そういう方法でやっておりますので、事前に漏れるという言葉は言い過ぎますかも知れませんが、十分御了解を得た上で測量にかかって参る次第でございます。そういうときに、たまたま今お話しのようなことが起きたのでございますけれども、横浜につきましては、結果的に見ますると国鉄といたしましては、今買収しております値段の相当安いところで買えたというような結果には相なっております。と申しますことは、横浜につきましては用地買収にかかりましたときに地元の方々が一団となりまして、いわゆる設計表示と申しておりますが、今度はどこにどういう橋ができる、どこにどういう高架線ができる、自分の家の前の道はどういうふうに変わっていくんだということをしっかりきめていただきませんことには買収に応じません、こういうようなお話が――これは各所であることでございますが、出てきたのでございますが、たまたまその会社の買いました土地につきましては、持ち主からの申し出によりまして、自分は土地の者でないから、土地の方々があとまで買収に応じなくとも、私のところは先に売るから買え、こういうようなお話があったわけでございます。それで、今ちょっと関係の書類を持っておりませんので日にちがはっきりいたしませんが、そういうことで、一昨年ぐらいからもう買収に応じてよろしいということで、概略申し上げますと、坪三万円程度のもので売るから買えということの話が持ち上がったのでございます。それで私たちといたしましては、当時、その他の地価から比べまして、それが相当であるということを認めましたので買収の契約をいたしたのであります。その他の区間につきましては、設計表示その他をやらなければきかないというようなことがありまして買収の点が済みましたので、五、六万ないし十万というような値段で買収しておるのが実態でございます。いろいろ私たちも反省はしておりますけれども、ただいまのところでは、著しく国鉄が損害をこうむったというようなことにも相ならぬということで、またその当時その方は地元のいわゆる協議会というものに入っておらないということから、自分のものを自分で売るのだから買わないか、買わなければあとでは売らぬぞというような話のやりとりがございましたので買い取ったわけでありますが、とかくの批判を受けましたことにつきましては十分反省をいたしておるわけでございます。

- 衆 - 予算委員会 - 19号 昭和38年06月03日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0514/04306030514019c.html

○楯委員 (略)

 疑惑の第一は、もうすでに昨年の暮れから大きく新聞、雑誌等に取り上げられて周知のことでありますが、新横浜駅の日本開発株式会社の中地真吾氏による買い占め事件がございます。これは新幹線の路線の決定が行なわれました際に幹線用地となる土地を、中地真吾氏なる人が八千坪の土地を三、四千円、最高でも八千円の金で買って、そうして三十六年に二万九千五百円の単価で八千坪国鉄にこれを売っておる。これも大きな疑惑の一つだと私は思う。この間運輸委員会の速記録を見ますると、しかし、その後三万円で買ったのは安いのだ、そのあとどんどん上がって高いのだ。――こんなことは私は理屈にならぬと思う。なぜ路線決定のときに国鉄が必要な土地を買わなかったのか、こういうブローカーをなぜ入れたのか、なぜ容認をしておいたのか、こういう疑惑が第一の私どもの調査した結果であります。この点について、長い答弁は要りません。簡単にひとつ答弁をしていただきたいと思います。

○磯崎説明員 私、まだあまり詳しいことまで存じておりませんが、一応私が着任いたしましてから取り調べました結果だけを申し上げさせていただきます。

 過般、運輸委員会におきましても御答弁申し上げましたように、新横浜駅付近におきましては、いわゆる中心測量というものが昭和三十五年二月に終了いたしまして、用地の数量をはかることもその年の十一月に完了いたしましたが、地元に対策委員会ができまして、その対策委員会では、市当局との設計協議が終わらなければ用地買収は受け付けない、こういうことであったわけでございます。そこで、昭和三十五年の十二月十九日から設計協議を開始いたしまして、昨年の三月に最終的に終わったわけでございます。しかしながら、先ほど申し上げましたように、地元の委員会に加入しておりませんでした日本開発株式会社から、ちょうどその中間の昭和三十六年二月に、国鉄に単独で買収方を申し入れてまいったので、これを相手にいたしまして買収の交渉に入ったわけでございます。この日本開発株式会社が一応法律的に正式な地主の代理権を持っておりまして、そのために、これを相手にして買収をしたわけでございます。当時、その中地とかいう人が三千円で――私のほうではたしか九千円で買ったというふうに話を聞いておりますが、地主の方々から幾らで買ったということなどは、実は詳細に調べてなかったというふうに聞いております。

 いずれにいたしましても、その問題の人物がすでに日本におらないというようなことも聞いておりますが、それが一応法律的に正当な権限を持っておりますために、それと交渉したわけでございまして、そういった問題につきまして疑惑がいろいろ起きたということにつきましては、大へん遺憾なことというふうに考えております

○楯委員 私どもが不可能に思いますのは、中地氏から国鉄が土地を買ったのは、三十六年です。ところが、中地真吾氏は路線決定と同時に三十四年かと予定地を買っておるわけです。ところが、国鉄の資料を見ますと、三十四年に九億、三十五年に百十五億円の金を繰り越しておるのです。だから単純に申し上げますと、中地氏が買える土地を、なぜ九億も百十三億も繰り越しておきながら、国鉄は買えなかったのか。買えないとすれば怠慢ですよ。そうでしょう。国鉄は金がなければ別です。三十四年九億、三十五年百十三億も金が余ったといって繰り越しながら、三十六年に、二年前から中地氏の買っておる土地を、その当時の三倍も四倍もかけて買っておる。ここに私は大きな疑惑が生まれてくると思うわけです。それから幹線総局の用地部長あるいは国鉄監察局の長井嘱託が、その前に中地氏とたびたび会っておるということは、警視庁はよく知っております。聞いてごらんなさい。よく知っておりますよ。

 もう一つの疑惑は、週刊雑誌や新聞で中地氏の身辺がやかましくなったときに、中地氏はアメリカ、メキシコへ旅行しましたね。外務省と大蔵省へ聞きましたら、十一月九日に、二十日間の旅行日程で、外貨の割り当ては五百七十ドル、名前も黒潮ガーデン渉外担当という名前でアメリカのほうに渡っておる。五百七十ドルですから、常識からいったら、二十日たってすぐ帰ってこなければならぬ。ところが、いまに至って本帰国しておらぬ。こういうことがあるから、私どもはこの新横浜駅の土地買収に対しては大きな疑惑がある、箱口令がしかれておる、こういうふうに思うのです

新横浜駅の土地を買い占めた中地氏は新大阪駅の土地も買い占めていた。そして「国鉄の職員で、宮原操車場かどこかの運転士」だったのではないかと。

- 衆 - 決算委員会 - 19号 昭和39年04月14日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0106/04604140106018a.html

○押谷委員 やはり新幹線の関係ですが、大阪の新駅ができましたその付近の土地におきまして、所有者から国鉄が買収をしなければならぬということになったうちに中地新吾という者がおります。これの土地を国鉄が買収せられたのは、これは新聞雑誌等によって必ずしも一致はいたしておりませんが、大体九千九百平方メートルではないかと思います。あるいはもう少し多いかもしれません。この買収せられた金額は相当高い値段でありまして、坪二、三万円から高いものは二十数万円にものぼっていると聞いております。これは昔から持っておった祖先代々の土地であるとかあるいは自分が終戦後苦労してこの土地を持ち続けてきたとかというような所有者ではないのです。国鉄の新駅がこの付近にくるということをあらかじめ勘で押えたか、とにかくこの国鉄の新駅を目安にいたしまして、たちまちその付近で大量の土地を買い占めた。それが中地新吾です。そのバックの会社は三百万円の資本を持っている日本開発株式会社、名前からいうと、何か政府がやっているような名前になっております。ところがこの中地にいたしましても日本開発株式会社にしても、この資本の程度をもっていたしましてはとても及びもつかぬような大きな土地を各所で買っているのです。横浜においてもそうです。横浜の新駅においても中地が国鉄へ売りつけた坪数はずいぶん大きなものだと聞いております。それは三十万平方メートル近くのことを聞いておるのですが、はっきりわかりません。こういうものを各所で買って、自分の資本で足りないところは銀行のバックアップを受けておる。この金額は十数億ないし二十億あるいは二十五億というような大きなものを受けておる。こうなりますと、中地個人としての信用ではとうていなし得ないのである。日本開発は三百万円という資本で、名前こそでかいけれども、資本や信用の量においてはとても及びもつかないのだから、そうすると、ここに黒幕があるということが考えられる。中地はかいらいであって、そのかいらいを使っているかいらい師がある、黒幕があるということを考えますと、この問題はなかなか大きなところに根が伸びているということを思わなければなりません。これはただいま申しました伊豆箱根鉄道にも関係があるかもわかりません。近江鉄道の関係にもつながりがあるかもわかりません。こうなってみると、国家が運命を賭して開発しようとする大鉄道計画にだれか黒幕の者がそれを企画して金もうけをしようとする。こういうような大きなはったりをやったり山子をやったりしているということは、許しがたい事柄じゃないかと考えます。  そこで私は、これを聞かなければならないのでありますが、一体中地新吾から大阪の新駅付近においてどれくらいな土地を何ぼでお買いになっているかを伺いたいと思います。同時に、その中地の名前かあるいは日本開発株式会社の名前かわかりませんが、この二つを合わせた坪数、金額を伺いたいと思います。

○石原説明員(日本国有鉄道常務理事 石原 米彦) お答えいたします。

 最初に新大阪駅付近の日本開発株式会社から買収いたしました数量でございますが、三十六年五月一日と五月十五日の二度にわたりまして九千六百三十七平米の土地を買収いたしました。単価は平米当たりで一万一千三百四十円でございます。両方合わせまして一億九百万円ばかりでございます。その後に八月二十六日に追加払いといたしまして一平米当たり五千二百九十円、合計五千万円余りを支払っております。結局日本開発株式会社に支払いましたのは一億六千万円ちょっとでございます。追加払いをいたしたと申しますのは、用地買収をいたします場合に必ずそういう手を打つのでございますが、まず概算払いをいたしまして、その後にその付近を全部買収いたしました場合、他の土地の一般価格が高く買いました場合には、先に売った者が損をしないように追加払いをするという契約をしておりまして、妥結する者からどんどん妥結していこうとするような形にしております。言いかえますと、この新大阪駅付近につきましては、日本開発から買いましたものは一般のそのほかの者から買いましたものよりも結果において実質的には安かったから、それであとから買いました周囲の者に調子を合わせまして追加払いをしてやったということでございまして、したがって、新大阪駅に関する限りは、日本開発から買いましたものは高いものをつかまされたということにはなっておりません。ただ初めに一般論的に先生から御質問がございましたように、実は横浜にいたしましても、新大阪にいたしましても、羽島にいたしましても、とにかく国鉄が駅をつくるということによりまして土地の価格が百倍も千倍も騰貴いたします。それで少し鉄道の事情のわかっておる者ならば、大体ここら辺に駅ができるということは測量している間からわかるわけでございまして、そういう土地を先に買収してしまうというのは少し事情のわかった者ならばできないことはないのでございます。これはさいぜん御指摘になりました近江鉄道の場合のように今後起こりそうもない特殊な事情と違いまして、今後も起こってくる問題だと思います。これはいままでのやり方では防ぎようがなくて、しかも将来起こり得る問題でございまして、国鉄だけではやり得ないのでございます。結局鉄道が通るために土地の利用価値が上がって、その利用価値が上がったということで国鉄が被害者になるという立場になります。これは逆の場合私鉄なんかについて申し上げますれば、先に私鉄が買収しておきまして、駅ができるために土地の価格が上がったということは会社の利益になるというやり方ができると思いますが、国鉄は逆に自分が土地の価格をつり上げるような、土地の利用価値を上げるようなことをしておいて、自分が被害者になるということになりますので、これは何とかそういうことなしに済むような方法を将来考えなければならぬのではないか。これは国鉄だけでやれるものではありませんが、今度の経験に徴しましてそういうことを痛切に感じております。

○押谷委員 日本開発株式会社からお買い上げになった土地及びその支払われた金額について、それが安いとか高いとかいうことを申し上げているのではないのでありまして、これは適正値段でお買いになったと思うのでありますが、ここに国鉄の駅ができるということはおおよそ関係者ならばだれでも一応の想像はつく、その想像のもとに投機的に土地を買っておくという者は一応賢い人である、これは防げない、せんじ詰めればこういうような御答弁と思われますけれども、ここに問題になるのは、大阪の新駅はそう簡単にあそこにできたものではないのです。実は私が一部関係いたしておりまして、大阪市民の要望としてはただいまの大阪駅に乗り入れてくれというきつい要望であったのです。いろいろの関係でそれはでき得ないのでありましょうが、しかし大阪の要望としては、現大阪駅に乗り入れてくれという問題をかかえておったのですから、どこへ持っていくかということは相当大きな問題であったのです。私は、当時吾孫子さんから一ぺん相談をしたいから来てくれということがありまして、国鉄本社に行ったことがあるのです。そしていよいよ新駅をここにきめたいと思う、だがこれについては地元の代議士と相談をし、地元の代議士の了解を得なければならぬであろうかどうかという相談を受けたのです。私はとんでもないことだ、こんなことで地元の代議士の了解を得られますと、地元の代議士は非常に迷惑をする、国鉄の新大阪駅がどこにできるということを早耳で知ることになるのですから、知ったならば世間からいろいろな目をもって見られるであろう、知らぬところに値打ちがあるのですから、一切言わずに、そういうことは了解を得ないでずばりと国鉄の意見できめてくださいと言ったことがあるのです。私は大体そのときに知りましたが、いただきましたこの図面も私の手元にじっと押えて、家族の者にも事務所の事務員にも一切言わずに、国鉄の発表までは隠しておきました。これがほんとうなんです。こういうような配慮を私はしてきたのでありますが、大阪の国会議員全部はたとえ知っても早耳で知るようなことのないようにというみずから配慮をしてきたのが、この駅なんです。そう早く漏れるはずがない。一応土地はじりじり上がってきましたが、そのときに中地がわあっと買い占めたという。この中地の前身を調べますと、国鉄の関係者なんです。国鉄の職員であったのです。ここに問題があるのでありまして、国鉄の職員であった中地がこの付近において一ぺんに大きな土地を買い占めて、しかもどこからか経済の大きな援助を受けて、銀行からのバックアップがあって、何億か何十億かの金あるいはもっと大きな金を横浜や大阪の新駅でもうけておるというのが現実なんです。これは手腕家である、やり手であるといえばそれまででありますが、しかし国鉄の職員であったということにかんがみますと、これは容易ならぬことであって、りこうな商人であるとかりこうな金もうけの鋭い男であるということばでもって見のがすわけにいきません。そこでこの問題については大阪の府警本部において手を入れようとして、うまく証拠も上がらない。今度警視庁において手を入れようとしたことは御存じでしょう。この男はいま夫婦で日本の国から外国へ旅行しております。アメリカに行っております。新聞の報道は国外に逃亡したと伝えています。私はここで逃亡などということばは使いたくはありませんけれども、国外に出ているということだけは明らかである。しかもアメリカのニューヨークにいるのです。そういうことは御存じですか。そしてニューヨークにおってどんな生活をしているかということまではお調べにならぬのが普通でしょうけれども、私は一応調べてみました。国鉄の職員であった者がこういう大きな買い占めをして、しかも何十億という巨利を博し、それが国鉄の新幹線という事業にからんでおるということを考えますと、いまのあなたの御答弁だけではああそうですかと聞きのがすわけにいきません。中地が国鉄の職員であったということで、世間においては国鉄の内部から漏らしたであろうといわれているのです。そこで早耳で彼が聞いてやったのだ、内外呼応してやったと伝えられている向きもあるが、それについていかがなお考えを持っていらっしゃいますか。

○石原説明員 ただいまのお話は、新聞、週刊誌などで見ましたけれども、その後は私中地がどういう者かも実は存じませんので、調べておりません。国鉄としても特別の調べはしておりません。

○押谷委員 中地が国鉄の職員で、宮原操車場かどこかの運転士か何かであったということは……。

○石原説明員 そういうことは聞いてはおりましたが、しかしよく存じませんでした。

○押谷委員 これは鋭い金もうけのじょうずな男の仕事でありますから、適法と考えれば御調査も困難なことだと思います。したがって、的確に私が求めているような御答弁はちょうだいできないこともあらかじめわかりますけれども、しかし何といっても中地が国鉄の元職員であって、そうして早耳で大阪の新駅が現在のところにできるということを知って、百姓の持っている土地を坪二千円とか三千円とかでぞろっと買い集めて、そして国鉄へ売るときにはそれが坪四万円とか五万円とか二十万円とか、場所によってはそういう高値で売りつけて、そして巨利を博したということになりますと、内部から適当に出ているのじゃないかといわれているのです。これは直接御職務に関係のあることとも思いませんけれども、一応最高の責任者の立場にいらっしゃるあなたとしては、十分これにつきましては御調査をなさるべきであり、一応の事態を把握しておられるということが、今後に処す上においても必要だと存じますから、これはお願いをいたしておきます。

ざっと国会のやりとりを見ていただいた。これらの影響を受けてのことなのか、新幹線の整備計画と高速道路の整備計画では一点大きな違いが発生している。高速道路の整備計画にはインターチェンジを設置する市町村名が明記されるのに対して、新幹線の整備計画では駅は記されず、その後の工事実施計画の段階で記されることになっている。

高速道路の場合→https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/kansen/20031225/42.pdf

新幹線の場合→http://www.pref.nara.jp/secure/103796/1-6seibikeikaku.pdf

昭和45年の全国新幹線鉄道整備法施行令の関係資料の中には、新幹線と高速道路の整備計画の違いを縷々述べるとともに、用地が高騰するからとも書いてある。http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/H1530a00870000/024704398137.pdf

新幹線の停車場

新幹線の停車場2

用地の高騰を押えるため

 一般に整備計画が決定されてから、工事実施計画の申請までにはかなりの期間が必要と考えられる。

整備計画であらかじめ停車場の位置が決定されていると、周辺の土地の高騰を招き、事業の執行を阻害することとなる。

 したがって工事実施計画の段階で決定し、直ちに用地買収にとりっかるのが得策と考えられる。

東海道新幹線開通直後の新横浜駅の周辺はこんな感じ

http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/library/localinfo/hokubu/oy-map/shinyoko-area/kh11097.html

※ その2に続く

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

弾丸列車の予算が「改良費」だったから新幹線も「新線の建設」ではないということ

東海道新幹線は、新線の建設ではなく、在来線の東海道線の改良の扱いなのだが、それは昭和16年の弾丸列車の建設開始時の鉄道会議で定められた予算費目が影響していたからというお話。

- 衆 - 予算委員会 - 12号 昭和34年02月18日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0514/03102180514012a.html

○楯委員 そういう希望的観測を述べられても、先ほど申し上げましたように、具体的な構想というものがない以上承知することができぬ。

 それから大蔵大臣と運輸大臣は考え方が違いますよ。この五カ年計画の完遂をしたあとに引き続いてやるという大蔵大臣の考えと、それから運輸大臣の考えは明らかに違うと思います。しかし私は時間がございませんから、こんなことばかりやっておりましても進みませんから、やめますけれども、こういう資金調達の見通しも説明のできないような形でこういう大工事をやられますから、非常に疑惑を世間に与える、こういうふうに私は思います。この点は早急に構想を立てられて、そうしてわれわれにもお示しを願いたいと思います。

 それから次にお伺いをいたしたいのは、東海道の新幹線をなぜ鉄道建設審議会に諮らなかったか。私は当然東海道は新線だと思います。従って法律の定めるところに従って、当然建設審議会に諮問をして行わるべきものだと考えておりますが、この点どうですか。

○永野国務大臣 御説の点につきましては、一体鉄道敷設法にいう新線をどういうふうに解しておるかという基本の問題になるのでございますが、私どもが了解しております新線は、いわゆる日本の鉄道網を拡充するものを新線と申しておるのでありまして、一定の区間内の輸送力増強のために施設いたしますものは改良費的のものだ、こういうふうに従来取り扱っておるのであります。従いまして、その慣例によったという点が一つ。

 それからもう一つには、これは御承知の通り、昭和十六年の鉄道会議でこれを改良費でやるということをきめまして、今日まで用地買収では二七%ぐらい、トンネルの方は三〇%ぐらいすでにやっておるのであります。でありますから、実質上は一種の継続事業のような関係になるのでございます。これはずっと今まで改良費で出してきて、おるのであります

 従いまして今申しましたような理論的の理由と、それから実際上の扱い方と両方面から見まして、これをいわゆる新線の中には加えなかったのであります。しかしながらその経済上の影響から申しますと、他のどの新線よりも最も大きい影響がございますので、そういう見方はありますけれども、今後これを実行していきます上には、ぜひ建設審議会の方にこれを報告いたしまして、皆様の意見を十分に取り入れてその実行に移りたい、かように考えております。

○楯委員 かけられなかったからそういう答弁をなさるのだと思うのですが、これば明らかに、あなた方の方の資料を見ましても、新線ですよ。新線という字句があなた方の資料の中には全部使われておるのです。東海道の改良だとおっしゃいますが、これはあなたがそうおっしゃるだけで、おそらく日本の国民は、東海道は今あるものより、もっと幅の広い、東京―大阪間の、しかも経過地が違うじゃないですか。経過地が極端に違うところへ、関西へ入りまして鈴鹿山脈を抜く、こういうようなことをこの資料ではうたってありますが、全然経過地の違うところへ、現在あるものより以上に規格の変った、軌間の変った大幹線を建設するのでありますから、幾らあなたが建設審議会にかけなかったからそういうふうに答弁をおっしゃっても、これは認めるわけにはいかないのであります。これはあなた方の資料を見て明らかに新線とうたってあるのですから、この点どうですか。

○永野国務大臣 先ほども申し上げますように、昭和十六年これに着手いたしますとき、鉄道会議の議を経て改良費でやるということにきめました、その工事の継続であります上に、両地点、その間途中で線路の要るところは、従来の改良計画でも、たとえばカーブをなす――これは専門家の楯さんの方が私よりももっとおくろうとだと思いますけれども、ある区間の全く新しいところへ線を引っぱるようなことがありましても、それはみな改良費でやっておるのであります。この文書の中に新線という字を使っておるではないかという御指摘でござでいました。その通りでございます。しかしこれはごく法律的の意味でなくて、経済的の意味であると御了承を願いたいと思います。

○楯委員 どうですか、そういう詭弁を弄されぬでも、はっきり新線だ、ただし建設審議会にはいろいろな事情があってかけることができなかったから、おそまきではあるけれども、委員もきまったことであるから、これからかけて事後承諾を得てやっていく、こういう工合に答弁されたらどうですか。あなた方も新線だといい、あなた方の出された資料には新線ということが書いてあるのです。それから法律にははっきりと附則の別表を改正をして、いわゆる追加をして法律に載せて実施をしていく、こういうことになっておるが、これはどうですか。

○永野国務大臣 先ほども申し上げましたように、今までは今申し上げましたようなことでかけませんでしたが、今後は新線同様、すべて建設審議会の御意見に従いましてこの工事の施行をいたす決心でございます。

○楯委員 そうすると、結局過去とってきた取扱いというものは誤まりであるということを、あなたは認めておいでになるのじゃないですか。今までのものは改良だ、継続だ、しかし今後は建設審議会にはっきりかけて実施をしていく。どうも筋が一貫しないようにとれるのですが、どうですか。

○永野国務大臣 先ほども申し上げましたように、昭和十六年この線にかかりますときには、鉄道会議の決議を経まして、改良費でやるということをきめて、すでに三分の一の工程を終ってるのであります。従いまして、これを、継続事業とは私決して申しませんけれども、継続的の意味がが多分にございますので、改良費予算で工事をしているのをそのまま続けてやってきておるのであります。しかしながら今、楯委員のお話の通り、非常に大きな問題でありますから、従来改良費の勘定でやっておりましたけれども、今後はあらためてこれを建設審議会の議に付しまして、十分な御了承を得てこれを運用して参るつもりでございます。

○楯委員 運輸大臣の答弁は、鉄道敷設法の改正前の議論だろうと私は思うのです。数度法が改正になって、第三条で明らかに鉄道建設審議会を設けて、すべて新線はこれに諮れ、こういうふうに改正になったと私は思うのですが、運輸大臣はそれ以前の――あなたのおっしゃるのは戦争前の話でしょう。そのきまったとおっしゃるのは……。

○永野国務大臣 昭和十六年。

○楯委員 そういう議論は、私は今は通用しないと思うのですが、どうですか。

○佐藤国務大臣 それは今予算に計上いたしておりますように、東海道線建設費はいわゆる新線建設費ではございません。これは線路増設費のうちから別な費目を実は設けておるのであります。この点は先ほど来運輸大臣が申しておりますように、また楯君も鉄道の御出身だから、これはもう御承知のことだと思いますが、こういう場合におきましてば改良工事として、改良費として指定しておる、これは鉄道が在来からずっとやってきておることでございます。従いまして今回の吸い方が特に異例な扱い方をしておらないということを私ははっきり申し上げたいし、予算の項目におきましても新線建設費ではないということを一つはっきり御了承をいただきたい。

 ただ建設審議会の問題になりますと、いわゆる建設審議会に報告というか、あるいは全然相談なしというか、そういうことはあるいは不穏当であるかわかりませんが、運輸大臣の申されるのはそういうような意味でございまして、予算編成上なりその項目としては、ただいま出し上げるように、いわゆる新線建設費としてはこの問題は取り上げないということ、これを御了承いただきたいと思います。

○楯委員 大蔵大臣のおっしゃるように、三十億が新線建設費として盛ってない。これは盛ったらえらいことですよ。新線建設費の九十五億の中三十億入れたら、ここで論議する必要はないのです。これは全然あなた方の黒星ですよ。そんなことは理由にならない。私はこれは明らかに運輸省の手落ちであると考える。

 しかしこれまた時間を食いますので、次に移りたいと思いますが、それなら、昨年の鉄道建設審議会において、わが党の審議委員が、これは新線建設ではないかといって質問をしたときに、どういう答弁をなされ、どういう取扱い方がなされておるかということをお聞きしたい。今この席上であなた万がおっしゃったように、社会党の審議委員の方が質問をされて、了解をされておればいいです。それでいいと思うのだが、そのまま聞きっぱなし、言いっぱなしになっておるじゃないですか、はっきりした結論を出しておらぬじゃないですか、この点どうですか。

○永野国務大臣 お説の通りでございます。この前の建設審議会のときに、淺沼委員からその御指摘があったことはよく承知いたしてわります。ところが、御承知の通り、その後建設審議会のメンバーに変動がございまして、その新幹部がこの研究をしております間に時がたってしまったわけであります。御承知の通り、鉄道建設審議会は運輸大臣の権限の中の機構ではございませんで、独立の機関でございますので、その会長がこれを招集いたしませんと、運輸大臣がこれを招集するわけには参りません。その招集がおくれておりましたことはまことに相応まぬことだと存じております。今度さらにまたそのメンバーがかわりましたので、今度はなるたけ早く招集していただくことを懇請しておりますから、そう遠くないうちにその会議が聞けると考えております。

なお、のちに昭和45年の全国新幹線鉄道整備法案質疑応答資料では、新幹線は新線であり鉄道審議会に諮ることとされている。

http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/H1530a00870000/024704398137.pdf

新幹線は新設か

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

新幹線車両の運搬のために道路公団の料金所を一部撤去していた

「新幹線開発物語」(角本良平著)の中で、下記のような記述がみられる。

 運送でとくに頭を悩ましたのは、図体の大きい車両である。(略)

 車両基地は品川と鳥飼(大阪府三島町)で、品川へは埼玉県蕨市と東京都江東区の車両工場から、鳥飼へは大阪市、神戸市、山口県の下松市から搬入することにした。(略)鳥飼の方は鉄道から離れているので、道路よりほかに方法がない。下松市からは大阪港へ陸揚げして、あとは道路ということになった。昼間の混雑を避けて、夜間のろのろと運ぶのである。淀川を渡る鳥飼大橋は有料で、その料金徴収所の門がひっかかるので、一時撤去という前代未聞の処置を講じてもらうこととした。

どんな料金所だったかというと

鳥飼大橋2

(「道路公団5年のあゆみ」から)

角度はちょっと違うけど、数年前まだギリで鳥飼大橋があった頃はこういう風景に。中央環状線、近畿自動車道、大阪モノレールと沢山の橋が架かっている。

鳥飼大橋

鳥飼大橋

(「日本道路公団年報」から)

「門がひっかかる」程度ですんだんですかねえ。。。

鳥飼大橋解体中

この橋ももう解体されて跡形もなく。

神奈川県立図書館で見た「レイル」には「新幹線試作電車(日立下松工場製)は海上輸送され横浜港に揚陸、臨港線を通って、鴨宮基地に回送された。」というキャプション付きで、新幹線が「汽車道」をDLに牽引されている写真が載っていた。

汽車道

ここを新幹線が通ったということですよね。。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年11月 2日 (日)

「つばめマークのバスが行く」加藤佳一(交通新聞社刊)を読んで

労作にケチをつけるわけではなくて、「著者は分かってるんだろうけど、この書き方じゃ読者は分からんだろうなー」という部分があったので、補足してみる。

名神ハイウェイバスの開業と成長(124頁)

この年(注:1965年)の9月、名神高速道路の制限時速が100kmに変更されている。

(126頁)

高速道路の制限時速が100kmに引き上げられたことを受け、各メーカーは新しいエンジンの開発に取り組んだ。

これだと、名神高速は普通車も含めて当初の制限速度が100km/hより低く抑えられてたものが1965年に100km/hに引き上げられたように思えてしまうが、そうではない。

普通車はもともと100km/hが上限だったことに対してバスは80km/hに抑えられていた。これが解消されたのが1965年9月ということなのである。

例えば、高速道路調査会発行の「高速道路と自動車」1965年8月号には、特集記事として「名神高速道路のバスの最高速度80キロ制限批判」という題目のもと
・「切望される再検討」山上孝史(運輸省自動車局旅客課長)
・「高速道路のバスの最高速度」並木芳賢(日本国有鉄道自動車局総務課長)
・「高速バス百キロの主張」福島真義(日本乗合自動車協会専務理事)
・「80キロ制限の不合理性」大久保修(日本高速自動車株式会社常務取締役)

といったバス業界からの声が寄せられている。

高速バス速度規制2

そういった声を反映したからか、1965年9月1日に法定速度の引上が行われている。

高速バス速度規制

(高速道路と自動車1965年12月号から引用)

 

この辺を念頭に置くと、労作がより分かりやすくなるんじゃないかな。

なお、「高速道路と自動車」には、上記の他にも高速バス関係の記事が掲載されているので、関心のある方は国会図書館あたりで探してみるとよいのでは?総目次(PDF)は高速道路調査会のサイトで公開されている。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

50年前の常磐線品川乗り入れ計画~横須賀常磐ラインは新幹線東京乗り入れがきっかけ

JRの上野東京ラインが来春完成し、常磐線の「ひたち」や「ときわ」等が品川まで乗り入れるとの報道がなされているが、常磐線の品川乗り入れは約50年前に計画されていたというお話。それも都心の地下経由で横須賀線との直通で。

ざっくりパワポでまとめてみるとこんな感じ。

都心鉄道改良計画

首都圏整備計画の基本計画及び整備計画(昭和33年7月4日 首都圏整備委員会告示 第2号)によると

§6 既成市街地における主要な鉄道軌道等の整備計画

Ⅲ 計画の概要
 前記の方針に基くほか、なお、住居都市が建設された場合には、既成市街地との間における輸送力増強についても併せて考慮するものとし、各交通機関について既ね次の通り整備するものとする。
(1) 国有鉄道
 既設路線の輸送力については、車輛その他各般の改良を実施し、次の通り線路増設を実施するものとする。
(イ) 線路増設
   (a) 東海道線  東京・大船間の線路増設(横須賀線と湘南電車線の分離)
   (b) 東北線  赤羽・大宮間の線路増設(電車線と汽車線の分離)
   (c) 中央線  東京・三鷹間の線路増設(東京・三鷹間の複々線化、緩行線の東京乗入れ)
   (d) 総武線  両国・市川間の道路増設(電車線と汽車線の分離)及び都心乗入れ
   (e) 常磐線  都心乗入れ
   (f) 南武線  溝ノ口・立川間の路線増設(南武線の複線化)
   (g) 横浜線  東神奈川・原町中間の線路増設(東神奈川・原町田間の複線化)
 上記各駅の輸送力の増強については、それぞれの交通需要に基き、次の表のごとき計画によつて、これを実施するものとする。
表 2
国 有 鉄 道 整 備 計 画 
年  度
項  目
昭和
  32     35           41  
東京・三鷹間の複々線化              
南武線及び東神奈川・原町田間の複々線化                
横須賀線及び湘南電車線の分離        
その他(東北、常磐、総武線各線)        

というように、東海道線と横須賀線の分離等の輸送力増強の取り組みが実施されていた。ところが、新幹線の東京駅乗り入れのために、東海道線と横須賀線の分離のために確保してきたスペースを新幹線に明け渡すこととなり、東海道線・横須賀線の分離については別線を計画する必要が生じた。

また、中央線についても東京~三鷹間の複々線を計画していたが東京~御茶ノ水の用地買収が難航し、新幹線の東京駅乗り入れ検討線の一つである市ヶ谷駅付近から外堀を経由して東京駅に乗り入れるルートを中央線に転用したようである。

この辺の経緯は先日別稿に記したところである。

→首都高直結の八重洲地下駐車場の場所に新幹線の東京駅が入る計画があった http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-f1bf.html

その辺りを、日本道路協会の「道路」昭和36年3月号に国鉄常務理事(当時)滝山養氏が「東京都心及び周辺の鉄道計画」という報文にまとめている。

b)中央線と総武線

 中央線の通勤対策としての線路増設案は都市交通審議会の第一次答申(昭31.8)に次の如く取り上げられている。

 中野―三鷹間の複々線化

 御茶水―東京間の複々線化

 国鉄はこの線に沿って先づ輸送力の行詰まりの著しい代々木―千駄ヶ谷の混雑緩和のため、緩行線の東京乗り入れを策して昭和33年3月東京―御茶水間の線路増設に着工せんとしたが、地元の反対のため用地買収と道路使用に関する設計協議とが困難となり、その代案として東京―市ヶ谷間の地下鉄による短絡案をとらざるを得なくなった。(略)

 

c) 東海道線と常磐線の線路増設について

 東京―品川間の線路は横須賀、湘南両線通勤電車と遠距離急行列車と競合して増発のためには線路を増設することが急務とされたが、東海道新幹線の東京駅乗入れが決定したため、これに遠距離列車を移すことにより当面の解決を見ることとなった。しかしこのまま推移し横須賀、湘南両電車の大船以東の共用が問題となった場合、一部電車を品鶴貨物線の活用を考え分離すると、品川以北の別線を必要とするに至る。

 一方常磐線は現在上野打ち切りとなっており、そのため山手線外回り、京浜東北線南行の上野―東京間に負担をかけ、地下鉄2号路線(中目黒―北千住)の開通を見てもこのまま推移すれば行詰りを生ずるに至る。

 東海道線、常磐線ともそれぞれ都心に乗り入れるためには現状では高架線によるはり付けの線路増設は不可能なので地下鉄路線によらざるを得ない。一応考えうる路線は品川から地下鉄8号路線により日比谷、大手町を通り地下鉄9号線に沿って三河島に抜けるものである。これによれば横須賀、常磐両線の直通が可能となる。

路線図はこんな感じ。

常磐線と横須賀線の相互の乗り入れ

昭和45年には横須賀、常磐両線の直通が開始されるよう目論んでいたようである。

(東陽町までの計画だった地下鉄5号線(東西線)が亀戸で総武線と乗り入れしている辺りも興味深い。)

常磐線と横須賀線の相互の乗り入れ2

なお、同報文では、貨物線の増強案として武蔵野線や京葉線(東京湾岸鉄道)の新設も語られているが、武蔵野線の路線図が一直線に近い線で描かれていて興味深い。月島線は汐留―越中島―小名木川を結ぶ計画だ。

武蔵野線・京葉線計画図

余談1 瀧山氏(同一の方と思うのだが)は、こんな講演録もあるのでご関心のある方はどうぞ。業界内の講演ということでなまなましい話も散見されて興味深いです。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsee1953/27/2/27_2_4/_pdf

余談2 東北縦貫線については、http://www.kanda-kankyo.net/pages/40years1.html によると東北新幹線の東京乗り入れに際して「縦貫線は廃止する」との確認書を地元に提示しているようだ。

その一方で

 JR東日本の山之内秀一郎・元会長が書いた「東北・上越新幹線」(JTBキャンブックス)に当時の秘話が載っている。
 「なんとか可能性だけは残しておきたい。そこで新幹線の工事にあたって、線路の基礎構造物を強くし、将来新幹線の真上に、在来線の線路をつくっても十分に支えられる構造にした」
 地上に線路がないのなら、線路の上に線路をつくればいい――。なんと将来を見越して、2階建ての高架構造に対応できるよう、工事を行っていたのだ。そしていま、神田駅では新幹線の上に線路を敷設している。先を見据えた基礎工事が、30年という時を超えて結実しようとしている。

東京駅に新路線、100年来の構想実現 「新東京駅」計画も

2012/7/6 6:30日本経済新聞 電子版

としてやったりのドヤ顔が見えちゃうということは、地元をだましていたか確認書なんてえのはハナから守る気がなかったということですかねえ。当時の国鉄の財政事情の中でこんな金の使い方をしていたのがばれたら大蔵省や会計検査院はだまっちゃいませんぜ。「東京ふしぎ探検隊」の河尻定は、そういうとこは絶対見てないよなあ。一面的なものの見方しかできねえ記者だなあ。「秘話」さえみつかりゃ大喜びなだけだもんなあ。「目的を達成するためには国会も大蔵省も地元も騙し抜く、これぞ十河、島以来の国鉄新幹線屋魂!」てな感じでそこのところを掘り下げて取材してこそ「秘話」であって、本のコピペしただけで「秘話」扱いとは日経のデスクもぬるいですなあ。

ところで、山之内秀一郎氏が「東北・上越新幹線」を出版したのは、東北縦貫線の工事着手前なのだが、こんな本音を書いちゃうとあとあと地元と協議する際にもめるのが分かりそうなもんだけど、本人も周囲も気にしないのかねえ。「後輩が苦しむより、俺様の手柄」なのかなあ。これ読んだときに地元の人がどう思うか考えないのかなあ。こういう本って現役が下調べしたり、草稿のチェックしたりすると思うんだけど、当時のJR東日本の関係者は地元関係の対応をどう考えていたんでしょうねえ。

地元に対する国鉄(JR)マンの意識は、http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d1de.html のころとあんまり変わっていないということなんですかねえ。

余談3 東京の地下鉄路線の経緯については、「東京の通勤鉄道路線網計画に関する研究」八十島 義之助等もあわせてお目通しいただくとよろしいのではないか?

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscej1984/1986/371/1986_371_31/_pdf

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »