新幹線を妨害しようとした?伊豆箱根鉄道下土狩線(未成というか無免許工事線)その2
以前、「 新幹線を妨害しようとした?伊豆箱根鉄道下土狩線(未成というか無免許工事線)」という記事を書いたのだが、その後実際の資料が早大大学史資料センターに保管されていることが分かったため、その資料を交えて更に深堀してご紹介したい。(資料の掲載にあたっては、承認をいただいております。)
そもそもの顛末を改めてざっくりとご紹介すると
・東海道線が御殿場経由だった際に、駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)駿豆線が東海道線三島駅(現・下土狩駅)で接続していたが、丹那トンネル経由で現東海道線が乗り入れる際に、駿豆鉄道は補償金を得て、現・三島駅へ線路を付け替えた。
・東海道新幹線が駿豆鉄道の廃線跡を通過するため、国鉄が用地買収を伊豆箱根鉄道へ申入れた。
・伊豆箱根鉄道は下土狩駅への路線の申請を運輸省へ提出し、認可を得ないまま工事を始めた。
・それにより新幹線と競合することになった。
・西武鉄道系では近江鉄道が新幹線が隣接して走ることから種々の補償を国鉄に求めており、国会、マスコミ等で大きく取り上げられた。
というものである。
位置は、当時の図面でいくと下記のとおりである。(北が右側になる)
ピンク色の「駿豆線計画線」が問題の路線だ。
鉄道の線路だけでいくと下記のとおり。
以下、背景が水色のボックスは、早大に保管されている「新幹線(下土狩線経緯)について」というメモを書き起こしたものである。
下記が国鉄からの文書と思われる。
この経緯を以前も紹介した国会議事録から抜粋すると、昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。
「非常にりっぱな築堤をつくりまして、高さもちょうど新幹線と同じくらいの高さにずっと築堤をつくりました。」というが、どのくらいの高さになるのか?
青線が新幹線で、赤線が下土狩線である。実線が既に工事を始めた部分で、破線が新幹線の上を下土狩線がオーバーパスすると仮定した場合の高さである。下土狩線の現路盤と新幹線の高架の間は2.5mしかない。どちらかが高さを変更しなくてはならない。
また、「認可を待たずに相当高い築堤の工事を始めました」という状況が下記の写真である。
随分な大工事のようだが「無認可」の工事である。
伊豆箱根鉄道(株)は原則として国策である新幹線と下土狩線の交叉を認めるがただし交叉についてはいずれか上側の立体交叉を為すかについて協議する
◎国鉄新幹線が伊豆箱根鉄道下土狩線の下部を交叉する事を主張する
その理由として国鉄側に於いて設計変更する事は手続及工期と会計検査院の承認の困難なこと工費が高価なる事を挙げる
従って伊豆箱根鉄道下土狩線が新幹線の上部を立体交叉する事を国鉄は希望し、下土狩線の立体交叉の勾配を30/1,000にて計画提案し設計変更分の工費は国鉄側が負担する旨言明した
◎伊豆箱根鉄道側は原則として下土狩線の申請書に基く原設計を主張せるも、一応新幹線の上部を下土狩線が立体交叉する事が可能として協議を進める
・主張として下土狩線の勾配は12.5/1,000とする事
理由は現在の伊豆箱根鉄道駿豆線が最急12.5/1,000であり今後の新設線はこの12.5/1,000以上の急こう配は会社の方針として好ましくないという事、
これについて国鉄側が下土狩線が12.5/1,000の勾配で設計されたのでは原設計と設計変更による追加工事費が約8億円も要するので18/1,000で設計考慮したい旨申出がある
・伊豆箱根鉄道はこれに対し将来に於ける鉄道線を考慮した場合18/1,000では禍根となるため不同意 よって双方の交渉はこのため進展せず
昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。
こちらは国鉄が協議用に作成したものと思われる横断図だ。新幹線の高架橋をそのままに下土狩線を高くした場合の想定
こちらは下土狩線の盛土をそのままに新幹線の高架橋の高さを挙げる場合の想定。新幹線を5m程高くしなければならないようだ。
今度は縦断図。12.5‰とあるから、上記交渉メモ中の国鉄主張の「勾配は12.5/1,000」とされたものであろう。
新幹線をオーバーパスするためには、そこだけではなく、三島田町駅の南側から駆け上がることとなる。(破線の勾配は12.5/1,000で、赤実線は更に緩和されたものだろうか?)
分岐点の高さが上がっているため、従来の三島駅への乗り入れる路線も、かさ上げする必要が出てくる。これが6億円とも8億円ともいう工費増につながっている。近江鉄道のときと同じレベルの額が争点となっていたわけだ。
ところで、この交渉の風向きが変わったようだ。昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。
近江鉄道の件が国会で追及されはじめたのは昭和38年3月である。
この昭和38年4月5日付のメモが、「新幹線(下土狩線経緯)について」の上記記載事項と一致するかどうかは定かではないが、内容的にはリンクしているもの(延長断念の交換条件)のように思われるのは私だけだろうか。
1.国鉄から出来る丈の保証額を取る
2.熱海駅乗入れ(1日10往復)
3.新幹線熱海駅北口(乗降口)の開設
4.来の宮(旧河川広場)継続借用する。(政令改正が成立したとき随契にする。)
5.熱海乗入れのための車輌の貸与
6.其の他懸案事項の解決を促進すること
・以上国鉄の承認を得ること
堤清二氏のサインも見える。後に西武鉄道グループと袂を分かち、セゾングループを率いることになる堤清二氏だが、昭和38年(堤康次郎氏が亡くなる1年前)段階では西武百貨店の社長であるとともに、康次郎氏の後継者と目されていたようだ。
小島と読めるサインは西武鉄道社長の小島正治郎氏だろうか。まさに西武グループ一丸となってこの案件にかかわっていたわけである。(近江鉄道の件も国鉄と交渉したのは西武鉄道の小島氏である。)
来宮の河川広場とは、新丹那トンネルのズリ捨て場にして西熱海ホテルとのイロイロがあった土地であるが、これは別稿を起したい。「随契」とは「随意契約」のことで、公開の競争入札等は行わず、伊豆箱根鉄道(若しくは西武鉄道)を決め打ちで払下げをするようにしたいということであり、結果的にはそのようになっているようだ。
熱海駅北口には、西武関連の土地か施設でもあったのだろうか?JRの構内図を見るとこれは実現しなかったようだ。
熱海駅乗入れは実現したのかどうかは私の力では分からない。
昭和39年4月14日衆議院決算委員会において石原米彦 日本国有鉄道常務理事が下記のように説明している。
おって、昭和38年6月28日の参議院決算委員会では、
以下、実地視察の概要を御報告申し上げます。
視察日程の第一は、三島付近下土狩の新幹線用地の取得の問題であります。
この用地は、伊豆箱根鉄道会社の所有地で、その前身たる駿豆鉄道が経営しておりました鉄道の廃線跡の路盤なのであります。
今回の新幹線と交差しますのは一千四百九平方メーターでありまして、国鉄が近隣を買収した際の価格標準に基づきまして、五百二十八万円で買収しようということで伊豆箱根側との間に契約手続を進めつつある状況であります。
現場では、廃線路盤に伊豆箱根側が施した相当堅固な盛り土工事などが交差地点一帯にそのあとをさらしていたのであります。伊豆箱根側のこの工事は、廃線を復活すべく運輸省に提出している鉄道敷設の申請に関連して行なわれたものと推測すべきか、あるいはまたこの地区の有利な補償獲得のための作為とみなすべきかなどの、問題のある工事なのであります。
私どもは、前に述べました五百二十八万円で円滑かつすみやかに伊豆箱根側との間に本件買収契約が成立し、新幹線工事計画も渋滞しないことを希望しているのでありますが、これらの盛り土工事などを施した伊豆箱根側から何らかの形でその分の補償の要請が出されるだろうということは、現地当局も予想しているとのことであります。
そこで、今後の処理にあたっては、関係当局におかれましては、
一、当該路線の廃線化に伴って昭和六年に鉄道省が駿豆鉄道に交付した二十万円と重複支払いの面が起こらないようにすること。
二、いわゆるゴネ得との印象を与えるようなことのないようにすること
以上の二点を御考慮の上、慎重かつ明快な処理がなされるべきだと思うのであります。
日程の第二は、来宮付近の国鉄用地についてであります。この土地の借主は伊豆箱根鉄道会社でありましたが、新丹那トンネルのずりを捨てるために国鉄が返還を要請し、鉄線でまわりを囲みましたところ、借主たる伊豆箱根鉄道が、占用妨害だとして、その妨害禁止の仮処分を裁判所に申請しました、問題の土地であります。
しかし、この件につきましては、その後、先方が任意その申請も取り下げまして、問題は解決して、現にずり捨ても終わっている現況でありました。
なお、これらの交渉事項は、国鉄の東海道新幹線工事誌には一切出てこない。近江鉄道との件では、相当の頁数を割いていることとは対照的だ。(あるいは私が見つけられていないだけかもしれないが)
また、「新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?」の記事で紹介した「運輸ジャーナル」第127号(昭和38年2月10日号)「特集 政商に蝕まれる国鉄新幹線」には、下記のように取り上げられている。
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