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2014年12月に作成された記事

2014年12月30日 (火)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その5)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その4)では、国鉄と近江鉄道の補償に係る項目を見てきた。

昭和36年12月15日に、ついに国鉄と近江鉄道(代理人として西武鉄道小島社長)の契約書が締結された。

新幹線に係る国鉄と近江鉄道の契約書

契約書

 滋賀県甲良町、豊郷村、愛知川町内(延長約7.5KM)において近江鉄道株式会社々線に併行して東海道新幹線増設工事を施行するについて近江鉄道株式会社代表取締役山本広治代理人西武鉄道株式会社々長小島正治郎を甲(以下「甲」という)とし、日本国有鉄道大阪幹線工事局長高橋好郎を乙(以下「乙」という)として次の条項により契約を締結する。

 (補償の対象と補償額)

第1条 乙は、新幹線の工事に基因し甲の所有用地買収に伴う施設物等の移転、甲施設の防護補強工事及び向う10ケ年の増加経費に対する補償ならびに用地買収費として、本契約成立後甲の請求により概算金150,000,000円をすみやかに甲に支払うものとする。

この補償金の精算は昭和37年3月末とする。

 (用地の使用)

第2条 乙は本契約成立後、直ちに甲所有の土地について工事に着手することができるものとし、甲は乙の工事に必要な別紙明細書の甲所有地内に所在する甲の支障施設物等を昭和37年3月末日までに移転を完了するものとする。

 (工事の施行)

第3条 甲は乙の工事施行に伴う甲の防護補強工事等については甲が責任をもって関係箇所と協議する。

 (その他)

第4条 この契約に定めない事項又は疑義を生じた事項については、その都度甲、乙協議して決定するものとする。

 以上契約の証としてこの証書を作成し、甲乙おのおの1通を保有する。

昭和36年12月15日

甲 近江鉄道株式会社

 代表取締役 山本 広治

代理人

西武鉄道株式会社

 社長 小島 正治郎

乙 日本国有鉄道

 大阪幹線工事局長 高橋 好郎

そしてこれには、覚書が添付されている。

新幹線に係る国鉄と近江鉄道の覚書

昭和37年12月15日付契約書附属

覚書

 近江鉄道株式会社代表取締役山本広治代理人西武鉄道株式会社々長小島正治郎(以下「甲」という)と日本国有鉄道大阪 幹線工事局長高橋好郎(以下「乙」という)は東海道新幹線を近江鉄道株式会社々線に併設施行することについての契約締結にあたり下記のとおり覚書を交換する。

 記

1. 昭和36年10月31日附甲より乙宛の新幹線並行敷設に対して補償御願書中の観光旅客収入減その他の補償については、別途甲、乙協議調査することとして、決定する。

 但し、支払については、昭和37年3月末日を目途として、甲に支払う様努力するものとする。

2. この契約に基く、金額に対し、甲は乙に何等の追加要償をしないものとする。

甲 近江鉄道株式会社

 代表取締役 山本 広治

 代理人

 西武鉄道株式会社

  社長 小島 正治郎

乙 日本国有鉄道

 大阪幹線工事局長

 高橋 好郎

 早大に残されている資料では、この覚書に記された別途協議することとされた「観光旅客収入減その他の補償」分の契約書は見当たらなかった。

 ここの経緯を国鉄の東海道新幹線工事誌から引用してみる。

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分5

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分6

また、国会では、下記のとおり答弁されている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/043/0016/04303260016013c.html

第043回国会 参議院運輸委員会 第13号

○説明員(大石重成君) (略)

ところが、総額二億五千万円という数字におきまして会社が妥結をする様子が見えて参ったのでございます。そこで、私たちといたしましては、この総額二億五千万円ということであれば、まず私たちが全面的に高架をすれば四億かかるであろうということから見ますると、相当内ワクにこれを押えたのでございますし、もちろんこれは全面高架の問題ではないということで承知をして参りましたので、ここでもう一つ一押ししようという努力をしまして、まずしからば二億五千万円をあなたのほうでおのみになるということになるならば、七億数千万円の補償に対しまして二億五千万円ということできたのだから、これをあなたのほうはどう解釈するかという、折衝のうちに話が持ち上がったのでございます。そういたしましたところが、会社といたしましては、自分たちが最初二億六千万円設備改良その他にかかるというものが、この二億五千万円のワクにはめてみると一億五千万円になるということを会社のほうが申してきたのでございます。そこで、私たちといたしましては、それでは一応二億五千万ということにつきましては、あなたのほうから設備の改良その他につきまして一億五千万という数字が出てきた、この問題の一億五千万ということについては直ちに話がわかりました――これは近江鉄道の用地も使っておりますし、いろいろな問題が入っておりますので、話がわかりました。それでは一応一億五千万円を最初差し上げることによりまして工事に着工さしてくれということを話をしたのでございます。これが三十六年の十二月でございます。そのときに、一応設備改良その他につきまして一億五千万円の補償を払うことによって直ちに全面的に工事着工の承諾を得たのでございます。そうして同時に、残る一億につきましては、なおこの線路ができましたためにいろいろと支障を来たすことによって減収をするという問題については私たちも納得がいきかねるから、もう少し資料を突き合わせて調査をしようというようなことを申し残しまして、工事に着工したのでございます。そのときに、十二月に金を一億五千万円払いまして、年度内にこの話をつけてくれ、そういうことを目途にして協議をいたしましょうということで、工事に着工をしたのでございます

 その後、現地におきまして、いろいろと調査をし、協議をいたしましたが、なかなか結論に到達をいたしませず、三十七年の三月になりましてもまだ結論が得られずにおりましたところが、近江鉄道といたしましては、総額二億五千万というものについて国鉄と当会社とが協議が整っておるのに対しまして、一億五千万だけ払って工事をやって、その後何ら誠意を見せてこないので、今までの話はやめて工事を中止してくれという申し入れが出て参ったのでございます。そこで、私たちといたしましては、工事を中止するというわけにも参りませずいたしますので、再びいろいろな資料をとりまして検討をいたしました結果、残りの一億を三十七年の六月に支払うという段取りに相なったのでございます。そのときに、もはやいかなる要求も今後はしない、二億五千万円において――これは、私たちといたしましては、いろいろ問題がごたごたいたしまして、再び全面高架というようなことを言い出されましても、問題が複雑になるということも考慮いたしましたし、また用地その他につきましても、沿線の地元の方と近江鉄道との言い分が食い違っておるところもございますしいたしますような問題が残っておりましたので、あとで何かこの問題につきましての要求がましきことが出てこられては困るということを考えましたので、これをもってすべてを打ち切りにするという一札を取りまして、三十七年六月に残り一億を支払ったのでございます。そういたしまして、その支払うときに、近江鉄道のほうの総額が四億を、私たちといたしましては二億五千万に妥結をいたしましたので、内訳を近江鉄道の出して参りました七億の内訳に合わせまして、一億五千万は設備改良その他、一億は減収その他ということで支払ってほしいという要求がございましたので、総額が二億五千万に押えられておれば、内訳は会社の最初に申し出ました姿にし、また会社の要求の姿に合わせてやるということが話を妥結させますのに便利であろうかというふうに考えまして、ただいま申し上げましたように、一億五千万は設備改良その他、一億円は減収その他に対する補償であるということで、二億五千万円を支払ったのであります

 上記の青焼きの契約書と覚書については、押印もされていないもので正本かどうか分からないのだが、国鉄側の説明と矛盾していないことから、契約前に案の段階で事前に堤康次郎に説明があったものと考えられるのではないか?

 なお、会計検査院の昭和37年度決算検査報告の内容とも整合している。

 では、「交通経済情報」ではこのあたりをどう述べているか?

△妥結の内容

 ともかく、これでやっと国鉄、近江両社間の話し合いが成立、近江は去る36年12月に踏切改良費の名目で1億5千万円を国鉄側から受けとり、37年6月になって旅客減収に伴う営業補償(向う13カ年分)として1億円を受けとっている。

 この2億5千万円のなかには、前記した通り近江の所有地約3千平方米(約90坪)の無条件譲渡も含まれているが、近江側では、当然国鉄が補償すべき ①防音装置 ②橋梁の修理などに伴う費用は含まれていない、と説明している。

 これが2億5千万円で国鉄、近江が妥結をみたイキサツである。

 ともあれ、この特例中の特例といわれる補償問題は近江側にいわせれば「営業廃止の覚悟さえして、国鉄新幹線建設に協力したのだ」ということになるが、一方これから本誌でとりあげるように「いかに例外であっても、国鉄は国民の鉄道である。あくまでも国民の納得のいかない名目で国鉄がカネを使うことは許されないのではないか」という批判もあるわけで、十河総裁の「景色補償」という答弁から、問題はこじれるのである。(以下次号に続く)

 翌昭和38年6月には国会でこの補償について取り上げられている。我々も「次号に続く」こととしよう。

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その6)へ続く

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2014年12月29日 (月)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その4)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その3)で佳境に入ってきた国鉄と近江鉄道の交渉だが、早大にはこの後の交渉に係る現物の資料は保存されていない。

 よって、また「交通経済情報」に話を進めてもらおう。

△鉄道の譲渡を決意した近江

 しかし、国鉄としては近江の路線と五百米離して敷設することは ①用地買収の困難 ②路盤整理の困難などから不可能である。という解答を出した後の交渉だから、近江の要望を受け入れることは勿論できない立場である。

 そこでとに角近江を口説く、という一点張りで押しまくった結果、近江から「いっそ、それじゃうちの鉄道を全部国鉄で買い上げてもらいたい」という申し入れを受け、第二の壁を迎えることになった。

 この時の近江側の言い分は「うちは今日まで赤字を抱えたまま地元開発のためにあえて、事業を続けて来たんだが、その上6メートルもの築堤がうちの鉄道の横を走り、視界がゼロになるようなカタチになれば、旅客は減少の一途を辿り、この鉄道が駄目になることは明白だ。交通革命の谷間をノロノロ走る囚人列車のようなもんだ。それならいっそ、鉄道を廃止した方がましだ」ということになった。

 こう泣きつかれては自然国鉄としてもどうしようもないが、私鉄を国鉄が買い上げるということは慣例上不可能であるし、運輸省も許可する筈はない、ということで、国鉄は「なんとか協力して欲しい」と、これの説得に努めた結果、近江鉄道では、「それでは仕方がないから、新幹線の路盤と近江の路盤を同じ高さにして欲しい」と申し入れた。

 しかし、これも国鉄にして見れば、6億円も7億円もかかるし、出来ないということで近江側の申し入れを断わり、今度は国鉄側も「補償金でがまんして欲しい」と申し入れた。「とにかく、近江の実情はよくわかるから補償をする。なんとか納得してくれ」ということで国鉄側も真剣だったようだ。(国鉄新幹線総局中畑総務局長談)

 こうなると、国鉄との連絡運輸なども行っている同業者としての近江としては弱い。

△堤会長の決断

 止むを得ず、近江側では遂に堤康次郎、西武鉄道会長の裁断を仰ごうということになったが、堤氏は、「国鉄新幹線建設は国のきめたことである」ということで、「余りいろいろ云わんで協力せい」という“鶴の一声”で「補償をするから協力を・・・・・・・・・」という線で国鉄の申し入れを受け入れたという。

 そこで、近江側はその後新幹線が同社路線に平行して走った場合の影響として、 ①自動車等の踏切横断に危険を伴う ②このため、同社乗務員が極度に神経を使うことが予想される ③同社路線が谷間におかれるため、枕木の腐蝕が早くなるなどをあげ、更に同社の旅客は将来他の交通機関に乗り移ることは明白として、このための営業補償とあわせ、合計4億円の補償要求を国鉄に申入れた

 これの内訳をみると踏切53個所の改良費ほか人件費等に2億5千万円、又15カ年先までの旅客減少に伴う減収補償として1億5千万円ということになるが、国鉄側は早速その裏付調査を開始、結局踏切改良費などに土地買収費(約三千平方米)を含め1億5千万円、また13年先までの営業補償として1億の計2億5千万円の補償は止むを得ないとして、近江側と折衝に入った。

 そしてついに前記堤康次郎氏の決断によって、国鉄側の査定を全面的に呑んで協力するということになった。

 とは言っても、所詮業界タブロイド紙である。どこまでホントかよくわからん。国鉄を叩きたいのは分かるが、とは言ってもどこまで西武の味方なのかもわからん。国鉄の言い分とも突き合わせてみる必要がある。

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分4

当初は「近江鉄道と新幹線を500メートル離せ」

ダメなら「国鉄が近江鉄道を買い取れ」

それもダメなら「近江鉄道を高架化せよ」

それでもダメなら「補償金で我慢するけど4項目の要求ね」

という流れであったと整理できるか。

交通経済情報 新幹線建設誌 補償要求額
(新幹線建設誌)
自動車等の踏切横断に危険を伴う 防護補強費 1億3900万円
同社乗務員が極度に神経を使うことが予想される 毎年必要経費増 1億1695万5945円
同社路線が谷間におかれるため、枕木の腐蝕が早くなる (上記に含む) (上記に含む)
-- 用地費その他 620万円
同社の旅客は将来他の交通機関に乗り移ることは明白として、このための営業補償 併設による旅客収入減 1億5410万4825円→後に5億1400万円に訂正
総額 合計4億円の補償要求を国鉄に申入れた 要求額総計4億1626万770円→後に7億7600万円を主張

 このうちの4の旅客収入減に係る営業補償がいわゆる「景観補償」に係る部分である。運輸省の岡本鉄道監督局長の国会答弁によると、「近江鉄道の言い分は、自分の線路で運んでおった観光客が、東海道新幹線の築堤によって観光価値が減少するために、その観光旅客が減るという主張をいたしまして、その補償を要求いたしたのでございます」とある。また、十河国鉄総裁も「四億円、五億円と要求されたものを二億五千万円に切り詰める、圧縮して妥協をするためにそういういろいろな名義を使った。景色の補償とか何とかいう名目にはいろいろ問題があろうかと思いますけれども、やったことはできるだけ補償を少なく圧縮しようというためにやったことであると私は申し上げた次第であります。」と答弁している。この補償の根拠として「景観」を原因にするのか否かについては、後に近江鉄道側が異を唱えるのだが、それは後述する。

 鉄道ピクトリアル記事で近江鉄道林取締役は「新幹線については景観料のことばかり有名になってしまいましたが、これは新聞がおもしろく書いただけのことで、当社としては新幹線建設により被る影響の最後の一項目として挙げたにすぎません(以下略)」と述べている。

 「新幹線建設により被る影響の最後の一項目」といえば、「新聞もヒドイなあ」と思ってしまうのだが、当初要求で1億5千万、国鉄資料によると最後は5億円の要求じゃないですか。いやはや。wikipedia民も釣られ損ですな。こりゃ。

 ところで、「乗務員が極度に神経を使う」とか「路線が谷間におかれるため、枕木の腐蝕が早くなる」ということを理由に1億1695万5945円を要求しているが、こんな補償はありうるのか?

 このあたりを国会答弁で確認すると下記のとおりである。

・「乗務員が極度に神経を使う」ことへの補償について

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0016/04303130016014c.html

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昭和三十八年三月十三日(水曜日)


○久保委員 先般資料提出を要求いたしまして、本日出て参りましたが、この中で、二、三お尋ねをしたいのです。用地補償の方針並びに基準については後刻お尋ねしますが、具体的な問題として近江鉄道に対する補償の算定基準の中で、一つは業務員の待遇改善というのが、額は少ないのでありますが、出ております。これは運転手、車掌に対するということでありますが、こういうのはいかなる観点からこれは補償の対象になるのか。さらにもう一つは、まくら木の腐食が増加するということで、これまた出ておる。それから踏切設備の保守でありますが、これはいわゆる一方的な補償であって、この施設をやるかどうかはどういうふうになっておるか。言うなれば、こういう踏切設備の保守のごときは、人件費は別として、国鉄においてその設備をして近江鉄道に与えるべきではなかろうかと思うのです。そういう点についてまずさしあたり御答弁をいただきたい、かように思います。
○大石説明員(日本国有鉄道常務理事) ただいまの御質問にお答えいたします。
 この踏切警報機また踏切の幅を広める、その他そういうような工事を仰せのように現物をこちらでつくりまして補償する場合と、これを算定いたしまして相手方の基準で相手方にやっていただきます場合と二つの方法がございますが、私たちといたしましては、実はこちらでやりますと、設備の大きなよりよきものを要求されるというようなことと、またそれができましたあとに、もしそれが故障を起こしました場合に、工事と申しますか、設備の責任といいますか、それをこちらに転嫁されてくるようなケースもございますので、打ち切り補償的に金で補償いたしまして、相手方の責任においてやっていただくということの方が、国鉄の施設に直接影響がございますものはさようなことは申しておりませんが、そういうようなものでないものは、できるだけ相手方にやっていただくということの方があとくされがないと申しますか、そういうようなことを考えまして金で補償をしたのでございます。
 それから乗務員の待遇改善費というようなものにつきましては、これは相当問題がありまして、私たちといたしましても折衝をしたのでありますけれども、ここの十三ページに図面がございますように、近江鉄道と新幹線の構造並びに位置は、この十三ページの図面のような格好に相なりまして、今までは踏切が平面で遠くから乗務口の踏切に対します注意また停止もできたのでございますけれども、こういうふうに片方が高架になりますと、穴の中から踏切に飛び出してくるというようなケースもございますので、相当な労働過量になるということで、これに対しまして乗務手当と申しますか、そういったものも多少改善をしなければならぬというような要求がございまして、かような算定をしたのでございます。
 それからまくら木につきましては、やはりこの図のように風通しも悪くなりますし、また排水その他につきましても、前よりもまくら木に対しましては条件が悪くなるということで、かようなまくら木に対します処置を考慮したのでございます。
(中略)
○久保委員 それから乗務員の手当の問題でありますが、これは見通しが悪くなるというのだが、それ相当に踏切は全部五十三カ所に防護措置をとったわけであります。今までは何らの防護措置がないのがほとんどだと思いますが、こういう観点から言って、これはいかなる算定基準をもっておやりになったのか。科学的根拠は何もないように思うのでありますが、これはどうなんですか
○中畑説明員(日本国有鉄道新幹線総局総務局長) 御説明いたします。乗務員と出しますのは、運転手と車掌の二つの職種に対してでございます。問題になっております並行区間七・五キロの運転時分を計算いたしまして、それに運転手と車掌の平均賃金を単位当たり出したもので計算いたしたわけであります。運転手が一割、車掌が一割程度疲労度が増大するということで単価計算をいたしまして、その総額が二百三十万円になったわけであります。
○久保委員 疲労度の計算で一割とか二割とかの割掛をしたようでありますが、それは別段に根拠がおありですか。
○中畑説明員 これは会社の方の従業員からの非常に強い要望があるというので、一割、二割という目安できめたようなわけであります
○久保委員 別に根拠がなくて要求に従ったということでございますが、百歩譲って疲労度が増すということになりますれば、運転手にはあるいは理由がつくかもしれない、百歩譲っても・・。しかしこの疲労度に関しては、車掌はこの鉄道では前方注視も全部しょっちゅうやっているんでしょう、いかがでしょう。
○中畑説明員 さいぜん説明申し上げましたように、七・五キロの並行区間にはたくさん踏切を設けざるを得なくなりましたので、運転手並びに車掌にいたしますと、従来の業務に比べて非常に骨が折れるということでございまして、従業員からの要求があるからというので、強い要望がございましたので、きめましたようなわけでございます。
○久保委員 そうしますと、とにかく理由はいずれにしても、要求があるから補償した、こういうことでありますね。
 そこで、この問題でありますが、額は少々でありますが、要求があるから出したということではどうも筋が通らぬように思うのです。こういう点についていかように考えておりますか。
○中畑説明員 もちろん会社が要求いたしましたから、それをそのまま認めたというわけではございませんで、七・五キロの並行区間を私ども判断いたしまして、疲労度がそれだけ加わるんじゃないかということを認めましたから、その要求を認めることにしたわけでございます。

・「路線が谷間におかれるため、枕木の腐蝕が早くなる」ことへの補償について

○久保委員 (略)
 それからもう一つ、まくら木の腐食増ということ、これも額は小さいのでありますが、二百七万ほど、これは積算基礎になっておるようでありますが、「枕木耐用年数を平均八年とする。年間所要額に対し幹線の影響により一ケ年短縮するものとし」八分の一、イコール一二五%を補償した、こうなっておりますね。これはどうなんです。人間の問題じゃなくて、まくら木の腐食度が増加するということは科学的に出るわけです。先ほどもお話がありましたが、ここにも現場の写真がたくさんございますから、局長はごらんになったかもしれませんが、総務局長はごらんになっているかどうか知りませんが、こういうのがいわゆる理由だろうと思う。こういう写真がある。幹線ののり下と近江鉄道の間に適当な排水溝をとればこれは問題がないはずです。これは聞くところによればたんぼの中だそうであります。たんぼの中にあるものがどうして八分の一補償しなければならぬのか、科学的の根拠が出ているのかどうか。国鉄には鉄道研究所というものもございまして、こういうものに影響を与えるのはどの程度与えるものか、こういうものでも研究して補償されましたか
○中畑説明員 今回新幹線を建設いたしました七・五キロの並行区間は、水路の非常に低いところでございますので、雨が降り、雪が降りますと、在来におきましても線路がやられて、その保守に骨が折れるところであるということは、現在の東海道線につきましても同じような傾向がございますので、そのような土地の状態を勘案いたしまして、査定をいたしたようなわけでございます。
○久保委員 中畑局長、どうも答弁がはっきりしない。人間の問題でなくて物の問題でありますから、もう少し科学的な御説明があろうかと思うのでありますが、東海道新幹線にしても、この写真を見ますと、こののり面に排水溝が相当あります。穴があいております。これは当然であります。この水が落ちた場合、当然排水しなければのり下の方がくずれるという心配も出てきはしないかと思うのであります。国鉄の防護のためにも排水溝が必要である、そういうことになるのでありまして、まくら木の問題ではなくて排水溝の問題ではありませんか。近江鉄道自体従来もこういう地盤のところにあったので、東海道のお話が出ましたが、必要ならば当然排水溝を設備すべきであって、新幹線ができたからまくら木の腐食度が増すということは、ちょっと理由にならぬかと思うのであります。これはいかがですか。これも仕方ない、要求が過大であったが、ここまで値切って落着したという数字でありますか
○中畑説明員 まくら木の耐用年数を通常八年と見ておるのでございますが、約一年間程度腐食率が高いという判断をいたしましたのは、先ほど申し上げましたようなことからでございます。
 建設いたしました現場の地形から考えますと、ちょうど琵琶湖の湖水と反対側に、新幹線の路盤でございますが、高い築堤を工事いたしておりますので、水はけも悪くなりますので、腐食率が高い、こういうふうに判断をいたしました。
○久保委員 中畑局長、今のお話は逆でしょう。近江鉄道の琵琶湖の方から見れば外側に新幹線ができておるのです。だから、本来ならば、琵琶湖に向かって水は流れるわけです。それを防ぎとめる役目を新幹線がするわけですよ。そういう理論から言うならば、まくら木の腐食度はさらに軽減されるということになる。逆に向こうから補償をもらわなければいかぬ。そういうことになればそうでしょう。近江鉄道の琵琶湖側から見て中側に新幹線ができるならば、なるほどあなたのおっしゃる通りです。これは外側ですよ。しかも一年短縮すると言うが、一年の根拠がないのではないか。どういう要求があったのですか。具体的に一つだけ聞きましょう。近江鉄道からまくら木腐食度についてはどういう要求がなされたのですか。
○中畑説明員 ただいまお話のございました初めの点でございますが、路盤ができますと、それで水をとめるように考えやすいのでございますけれども、そこは判断でございますが、水をとめてかえって新幹線の路盤のすぐ横にある近江鉄道の線路に浸水の可能性が生ずる、こういうように私ども判断したわけでございます。
 それから一年間という見方でございますが、いろいろ見方もあろうかと思いますけれども、私どもの東海道現在線での事情などから考えまして、この程度でないか、こういうように査定をいたしたわけでございます

 果たして、枕木が腐食するほど風通しや水はけが悪くなっているように見えるだろうか??

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (2)

○大石説明員(日本国有鉄道常務理事) こういうふうに並行いたしまして相手の踏切を直す、またこちらの工事がほかの沿線の私鉄に影響を及ぼしまして、そこに補償を払うというようなケースはほかにございません。

 

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その5)に続く

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2014年12月23日 (火)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その3)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2)では、国鉄と近江鉄道の交渉の序盤について述べてきた。

 この後、更につっこんだ交渉となる。

近江鉄道から国鉄大阪幹線工事局長への文書1

近江鉄道から国鉄大阪幹線工事局長への文書2

近江鉄道から国鉄大阪幹線工事局長への文書3

近江鉄道から国鉄大阪幹線工事局長への文書4

近江鉄道から国鉄大阪幹線工事局長への文書5

甲丑第533号

昭和36年6月19日

日本国有鉄道

 大阪幹線工事局長

 高橋 好郎 殿

 

滋賀県彦根市古沢町50番地

 近江鉄道株式会社

 代表取締役 山本 広治

東海道新幹線の当社線路と並行建設について

 

昭和36年4月4日附大幹工丑第818号を以て標記の件について御回答に接しましたが、当社と致しましては尚納得の致しかねる点が御座いますので更に別紙の通り事情を具申し貴局の御配慮を賜り度く存じますから何卒よろしく御願い申し上げます。

 

貴東海道新幹線を当社鉄道貴生川~米原線に膚接並行して敷設せらるる件につき当社土地境界の立会方、去る昭和35年11月8日附大幹工子第1788号を以って御申入れありましたに対し、当社より昭和35年12月14日附貴局長宛の別添文書を以って御再考方申し進めました処、昭和36年4月4日附大幹工丑第818号を以って殆んど全面拒否に等しき御回答に接しましたのは、当社の甚だ遺憾とする処であります。

大幹工丑第818号の御回答によれば(1)路線の変更は殆んど不可能であり、(2)路線平行に伴う保安上の問題は監督官庁の指示に従う、(3)近江鉄道路線の買収は実現不可能である。との事でありますが、具体的な解決案のお示しもなき斯かる形式的の御回答では新幹線敷設で致命的打撃を蒙る当社は不安解消の根拠となる何物をも認め得る事ができません。当社は常に国の交通幹線を担当せらるる国鉄に経緯を表し民業の分に応じ御協力申し上げる事にやぶさかなるものではありませんが、新幹線の建設工事をこの尽御遂行相成に於いては一般通行者の安全には勿論のこと当社自体の存亡にも関し、今回の御回答を以ってしては、遺憾乍ら貴御当局に対し具体的問題に御協力申し上げるべき基礎となり得ないのであります。 即ち(1)新幹線を現計画に依り敷設せらるるに於ては、当社鉄道は全く展望を遮蔽する高い壁を以って遮断され、当社乗客は窓外の眺めも不可能となり、斯くては交通の快適性と観光価値を奪い去られる結果となり、これは旅客輸送機関として堪えうる処に非ざる点訴えたのでありますが、今回御回答には之に対し一顧も与えられず、何らの解決策もお示しになっておりません。また(2)無数の踏切の安全確保より見て、新幹線の現計画を遂行されるならば、事故防止の万全を期し難くその他種々の困難なる障害事項が予想される点を訴えましたのに対し今回御回答は陸運局の指示に従うとのみで、当社の真剣な心配に対し顧慮しようとの御意向は全然示されておりません。然るに(3)当社が問題と致しますのは単に監督官庁の指示される規定や寸法の範囲の事を申すのではなく、当社電車の進行中に新幹線の築堤内を通り抜けて出てくる人や車は踏切の直前に差しかからねば判明出来ない状況と相成るべく、斯ゝる状況が電車進行中次から次へと出てくる状態で電車線を運営せねばならぬ事となりましては、四六時中踏切事故に「おびやかされ、瞬時も非常体制を解き得ない事と相成るべく、運転従事員は常時最高度の緊張を要求され不安感にさらされる事となるのは必然で異常の疲労を伴うべく、これでは人間の運転する旅客輸送事業は成立し得るものではありません。斯ゝる状況の出現は必至と考えられますので、当社は之が回避予防の策を求めたのでありますが、貴局の御回答は全く当社の信頼と期待に反し何等具体的意志の御表示もなく、且つまた今日までの御回答に関する限り新幹線の平行敷設により全く死活の岐路に立たされる地方民業当社に対する暖かい思いやりのお気持ちすら伺えなかった事は、誠に心外で衷心遺憾に堪えません。若し万一斯ゝる現況の下に貴局の御計画が強行されますならば、現況さらでだに赤字経営の当社鉄道は益々斜陽化に拍車をかけられ多年困難なる条件に堪えて来た当社2000人の従業員は全く退勢挽回の希望を失い遂に企業は壊滅の一途をたどらなねばならなくなるのは必至であります。

(4)尚また貴国鉄自動車部門に於かれましては名神間高速自動車道の敷設に伴いこの程17系統にも及ぶ路線免許を出願されましたが、これとても当社既設バス木の本-彦根間33粁9系統に重複し、而も仝大垣-大津間101粁10系統の現行路線に完全並行する競合申請で、前叙鉄道部門の赤字を補いつゝ当社の事業基礎を一応安定して来た当社自動車部門いもその死命を制するが如き影響を与える重大案件ではあります。

さり乍ら当社は貴国有鉄道の立場を尊重申し上げて、他同業が挙げて貴国鉄自動車の申請に協力反対をなしているにもかゝわらず、にわかに之に同調することなく貴国鉄自動車に依る幹線輸送網の造成には賛同して話し合いたいとの方針を打ち出し、御協力申上げているのであります。勿論、貴国鉄自動車当局ではこの大方針実現のためには関係民業と十分協調する用意ある旨言明されてはおりますが、さればとて貴国鉄自動車御当局よりは現状之に対する何等の具体的保証を得ているものではありません。若し万一、一方的に何の話合いもなくして高速自動車道に依る国鉄自動車の路線設定を強行されるならば当社自動車部門もこれ亦新幹線により大影響をうける鉄道部門同様に恐らくは崩壊の運命をたどらねばなりません。斯くては自動車部門の黒字によりかろうじて余喘を保持し得ている当社鉄道部門は、この面よりも更に壊滅的な圧迫を受け、益々窮地に追い込まれるは火を見るよりも明らかであります。

(5)前叙の次第にて貴新幹線の建設といい名神間高速自動車道上に於ける貴国鉄自動車の路線選定といい悉くが当社の事業基盤を根底よりゆさぶり、当社企業を不安のどん底につき落とさんとする謂わば会社の存亡にもかゝわる重大な問題を包蔵するものでありますだけに、当社経営者は申すに及ばず2000人従業員とその家族10,000人の一員に至るまでが挙げて最大の関心を寄せ、貴御当局の深き御良識と御誠意の発動をかたずをのんで凝視し、御善処を切望している次第であります。

重ねて申し上げますが、当社は貴国鉄が幹線輸送動脈網を造成されるに対し御協力申上げるには聊かもやぶさかなるものではなく、この御計画を御強行相成る場合当社の受ける深刻なる影響に対し真摯なる関心をもたれ具体的の対応策を示されん事を要請する以外に何等他意はありません。何卒前叙の事情御賢察賜り誠意ある御配慮に接したく玆に重ねて御再考を御願い申し上げる次第であります。

鉛筆で加筆されているのは、この大阪幹線工事局長への文書をもとに後に紹介する国鉄総裁への文書が作られたことを意味しているのだろう。また、このような経緯が残った文書が堤康次郎の手元に保管されているということは、近江鉄道と国鉄との交渉に堤康次郎が途中経過も含めて深い関心を持っていたことを示すのではないかと思われる。

ところで、この加筆は中嶋弁護士なのだろうか?交渉窓口は西武鉄道の小島社長になったというから西武本体の顧問弁護士が担当している可能性が高いが。。。

国鉄から近江鉄道への回答文書3

国鉄から近江鉄道への回答文書4

日本国有鉄道 大幹工丑第1570号

昭和36年7月12日

 

滋賀県彦根市古沢町50

近江鉄道株式会社

代表取締役 山本 広治殿

 

 日本国有鉄道

 大阪幹線工事局長

 高橋 好郎

 

東海道新幹線を貴社と並行し建設することについて。

 

 東海道新幹線建設につきましては種々御高配を賜り厚く御礼申し上げます。

 さて、本年6月19日付甲丑第533号で再度御要望のありました標記のことにつきましては、当局としても一方的に処理いたすつもりは毛頭なく、十分協議の上円滑に工事をすすめたいと存じております。

 つきましては、展望遮蔽並びに運転事故防止など貴社の具体的対策についての細部にわたる協議を戴きたく当局といたしましては、本社の指示もうけ出来得る限り御要望に副えますよう善処いたす所存でありますので、是非貴社の具体的御意見を至急御提示願えれば幸甚に存じます。

又、自動車路線関係のことにつきましては、早速関西支社長へ連絡しておきましたので何卒御了承下されたくお願い申し上げます。

 なお、今後は、一層密なる御連絡をさせて戴き円滑に工事の推進を図りたい所存でありますので何卒一層の御教示り絶大なる御協力を得たく重ねてお願い申し上げます。

 今までのゼロ回答から急に国鉄の回答が低姿勢になっている。何故??工期上厳しくなってきたからなのか??

 また、「自動車路線関係」については、名神高速バス参入にあたり、名鉄、近鉄等の大手私鉄ですら合弁会社を設立しての参入しかできなかったにもかかわらず、中小では近江鉄道のみが単独で参入できたことに関係があるのかもしれない。

 6月の大阪幹線工事局長あて文書にあった高速バス関連のくだりが7月の総裁あて文書からは一切削除されているあたり何かここで決着していることを推測させるものである。関西支社長へは「何を」連絡したのだろうか?

 

 ここで、近江鉄道側は、国鉄の今までの交渉相手であった大阪幹線工事局を飛び越えて国鉄総裁等あてに文書を発送する。

近江鉄道から国鉄総裁等への陳情書 (2)

近江鉄道から国鉄総裁等への陳情書 (3)

近江鉄道から国鉄総裁等への陳情書 (4)

近江鉄道から国鉄総裁等への陳情書 (5)

近江鉄道から国鉄総裁等への陳情書 (6)

近江鉄道から国鉄総裁等への陳情書 (1)

陳情書

近江鉄道株式会社

 

甲丑第621号

昭和36年7月17日

 

日本国有鉄道

 総裁 十河 信二 殿

(同一の内容を、新幹線総局長 大石 重成へも発送)

 

滋賀県彦根市古沢町50番地

 近江鉄道株式会社

 代表取締役 山本 広治

 

東海道新幹線を当社鉄道線に膚接並行して建設されるに対し御再考方陳情の件

 

貴東海道新幹線を当社鉄道貴生川~米原線に膚接並行して敷設せらるる件につきましては貴国鉄大阪幹線工事局長殿に対し再三再四御再考方申し進めておりますが、殆んど全面拒否に等しき御回答に終始しており、当社の立場を顧慮された誠意ある御回答に今以って接し得ませんことは甚だ遺憾に堪えません。

大幹工丑第818号に依る貴大阪幹線工事局長殿の御回答によれば(1)路線の変更は殆んど不可能であり、(2)路線平行に伴う保安上の問題は監督官庁の指示に従う、(3)近江鉄道路線の買収は実現不可能である。との事でありますが、具体的な解決案のお示しもなき斯かる形式的の御回答では新幹線敷設で致命的打撃を蒙る当社は不安解消の根拠となる何物をも認め得ないというのが当社の切なる申し入れの主眼であります。当社は常に国の交通幹線を担当せらるる国鉄に経緯を表し民業の分に応じ御協力申し上げる事にやぶさかなるものではありませんが、新幹線の建設工事をこの尽御遂行相成るに於ては一般通行者の安全には勿論のこと当社自体の存亡にも関し、今日迄の御回答を以ってしては、遺憾乍ら貴御当局に対し具体的問題に御協力申し上げるべき基礎となり得ないのであります。

即ち(1)新幹線を現計画に依り敷設せらるるに於ては、当社鉄道は全く展望を遮蔽する高い壁を以って遮断され、当社乗客は窓外の眺めも不可能となり、斯くては交通の快適性と観光価値を奪い去られる結果となり、これは旅客輸送機関として堪えうる処に非ざる点を再三再四訴えている次第でありますが、貴国鉄当局に於かれては之に対し一顧も与えられず、未だ何らの解決策もお示しになっておりません。

また(2)無数の踏切の安全確保より見て、新幹線の現計画を遂行されるならば、事故防止の万全を期し難くその他種々の困難なる障害事項が予想される点を訴えましたのに対しては陸運局の指示に従うとのみで、当社挙げての真剣な心配に対し顧慮しようとの御意向は全然示されておりません。

(3)監督官庁の指示命令を順守して施工されるのは当然の事で、当社は斯ゝる規定や寸法の範囲について申し立てを致しているのでは決してなく当社電車の運転者は進行中に新幹線の築堤内を通り抜けて出てくる人や車を踏切の直前に差しかからねば判明出来ない状況と相成るべく、かかる状況が電車進行中次から次えと続出する状態で電車線を運営せねばならぬという極めて危険な事態の出現であります。これは恰かも盲人と盲人の衝突が何時起るかもしれないという極めて危険な状態に踏切が四六時中さらされる結果、瞬時も非常体制を解き得ない事と相成るべく、当社電車の運転従事員は申すに及ばず踏切を横断する人や車も常時最高度の緊張を要求され不安感にさらされる事となるのは必然で斯かる危険きわまる事態の出現は貴重な人命と財産を預かる鉄道運送事業にとって断じて許されるべき事ではありません。当社は深く思いを玆に致し之が回避予防の策を求めたのでありますが、貴局の御回答は全く当社の信頼と期待に反し何等具体的意志の御表示もなく、且つまた今日までの御回答に関する限り新幹線の並行敷設により全く死活の岐路に立たされる地方民業当社に対する暖かい思いやりのお気持ちはおろか人命の危険が明らかに予知される由々しき問題であるに拘らずこれが対策について寸分の御配慮すら伺えなかった事は誠に心外で衷心遺憾に堪えません。若し万一斯かる現況の下に貴局の御計画が強行されますならば、現況さらでだに赤字経営の当社鉄道は益々斜陽化に拍車をかけられ多年困難なる条件に堪えて来た当社2千人の従業員は全く退勢挽回の希望を失い遂に企業は壊滅への一途をたどらなねばならなくなるのは必至であります。

(4)前叙の次第にて現御計画による貴新幹線の建設は当社の事業基盤を根底よりゆさぶり、当社企業を壊滅状況につき落とさんとする謂わば会社の存亡にもかかわる重大な問題を包蔵するものでありますだけに、当社経営者は申すに及ばず2千人従業員とその家族1萬人の一員に至るまでが挙げて最大の関心を寄せ、貴御当局の深き御良識と御誠意の発動をかたずをのんで凝視し、御善処を切望している次第であります。

(5)就面、貴幹線の現計画御強行に依り誘発される前叙の重大事態を回避するには今日まで貴御当局あて送達の文書でも具陳しました通り、貴幹線ルートを当社線より300米以上間隔を置いて新設する事に現計画を変更されることであり、これが最良の方式であることは論を待たない次第でありますから、斯様に計画変更される様改めて強く要望申し上げます。今日までの貴幹線工事局長名御回答では関係手続き或は諸般の対外交渉経過等より殆んど不可能との事でありますが、一地方民業の当社に壊滅的不利益を及ぼすのみならず、関係地方民をして極端なる交通不安に陥入れ、人名の危険を誘発する虞れあることが明確に予見せられるにも拘らず一切変更不可能との頑迷とも思はれる態度に終始されていることは国民の国鉄たる御立場として甚だ了解に苦しまざるを得ません。

 何卒前叙の次第を再検討相成り利用者地方民のため当社の重大視する運転上の不安除去と踏切事故の絶滅を期せられまして右300米以上の間隔を置くことに計画御変更かた重ねて御再考を求める次第であります。

重ねて申し上げますが、当社は貴国鉄が幹線輸送動脈網を造成されるに対し御協力申上げるには聊かもやぶさかなるものではなく、この御計画を御強行相成る場合当社並びに当社線利用者の受ける深刻なる影響に対し真摯なる関心をもたれ具体的の対応策を示されん事を要請する以外に何等他意はありません。何卒前叙の事情御賢察賜り速やかに誠意ある御配慮に接したく玆に重大決意を以って重ねて要望申し上げる次第であります。

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その4)へ続く

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新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その1)では、路線選定の経緯等を述べてきた。

いよいよ、国鉄と近江鉄道(西武鉄道:堤康次郎)との交渉の経緯に入っていく。

国鉄から近江鉄道への土地収用関係照会文書 (3)

日本国有鉄道 大幹工子第1788号

昭和35年11月8日

 

彦根市 近江鉄道株式会社

代表取締役社長 山本 広治殿

 日本国有鉄道大阪幹線工事局

 局長 五味 信

 

 土地境界確認のため現地立会の依頼について

 

 東海道広軌新幹線の建設につきましては、格別の御配慮をいただき厚く御礼申し上げます。

 さて、当局管内新幹線ルートのうち、末尾記載の貴社所有地との境界確認のため、御多忙中誠に恐縮に存じますが、御担当係員の現地立会方お取計い下さるようお願い申し上げます。

 

 (以下略)

 

これに対する近江鉄道の反応を「交通経済情報」から引用してみる。

△国鉄計画に難色示した近江鉄道

 この時、近江鉄道が示した態度について、西武側を代表して折捗に当った小島西武鉄道社長は次のように説明している。

 「国鉄の計画をみて驚ろきました。とにかくうちの線路にぴったりくっついて新幹線の築堤が敷かれるようになっているんです。これではうち、交通革命の谷間で自滅の一途を迎えるだけですからね。だから、うちの沿線を走るのは仕方ないけど、なんとか五百米くらい離してほしい、ということを云ったんですよ」

 ここで参考までに付け加えると、近江鉄道の路線に沿って走る新幹線の築堤の高さは約6メートル平均である。しかも国鉄の計画では、その築堤が近江の路線にほとんどくっついて走ることになっていたのだ。国鉄新幹線土木課の話によれば、その間はゼロメートルということになるが、ゼロメートルといえば、電信柱一本がようやく立つぐらいのものである。

 「新幹線の築堤が出来ると、その下が道路になりますから、自動車などはそれがうちの踏切を横切るということになりますからね。これは列車の運転士もオロオロしていられないし、第一危険ですよ」と小島社長の話は続く。

近江鉄道は国鉄からの文書に対して下記のように回答した。

近江鉄道から国鉄への土地収用関係回答文書 (2)

甲1,085号 昭和35年12月14日

近江鉄道株式会社 代表取締役 山本 広治

日本国有鉄道大阪幹線工事局

 局長 五味 信殿

 

昭和35年11月8日附大幹工子第1788号を以て当社土地境界の立会方のご依頼状を頂きましたが貴計画路線について平面図によりますと既設の当社線路に対し著しく不利の影響を与えること又旅客の立場になって考えましても全く展望を遮へいする高い壁を以って遮断されて窓外の眺めも不可能となり観光価値と交通の快適性を奪い去る状況にしてこれは旅客輸送機関として堪える処ではありません。殊に最近は著しくバスの進出により鉄道旅客が減少の傾向にある際鉄道沿線の環境と風致を著しく害する施設はサービスに逆行し旅客の減少を来たす事は明かであります。更に当社は観光開発をもって旅客誘致の主目的とする趣旨に対しても相反する結果となり而も経営本体である鉄道を利用する旅行者に不愉快の念を起させる様では何の観光ぞやと世論の批判を受けることは必至であり、当社の最も忍び難き処であります。のみならず洪水の場合或は無数の踏切の安全確保より見て事故防止は期し難くその他種々雑多の困難なる障害事項が予想されるので、国の交通幹線建設に対する御熱意は了解しますが現在の御企画を以って強行せらるる事は当社社業の遂行上致命的の障害となる事を憂慮するものであります。これ等を容易に解決する為には数百米当社線より間隔を置く様に御考慮下さいますか、又抜本的方策としては国鉄に於かれ当社線を買収された上適当に処理される事も一案かと思料しております。

従って御申越しの境界の立会は尚早と存じますのでこの際御遠慮申し、右述の如き根本的の諸問題につき再考を御願いする次第であります。

 

 林常彦近江鉄道取締役(当時)は鉄道雑誌『鉄道ピクトリアル』で

新幹線については景観料のことばかり有名になってしまいましたが、これは新聞がおもしろく書いただけのことで、当社としては新幹線建設により被る影響の最後の一項目として挙げたにすぎません

と述べているが、上記文書の一発目に「全く展望を遮へいする高い壁を以って遮断されて窓外の眺めも不可能となり観光価値と交通の快適性を奪い去る状況にしてこれは旅客輸送機関として堪える処ではありません。」と国鉄に通知しているではないか。

 また、回答の順序は逆になるが、先に国鉄から照会のあった土地収用法関係の照会文に対して下記のとおり回答している。

近江鉄道から国鉄への土地収用関係回答文書 (1)

甲丑第19号

昭和36年1月13日

近江鉄道株式会社

 代表取締役 山本 広治

日本国有鉄道

 大阪幹線工事局長

 五味 信殿

土地収用法第18条第2項第3号の規定に基く意見について回答

昭和35年8月1日附大幹工子第1、121号の1を以て御照会の件左記の通り御回答いたします。

1、彦根市鳥居本町、同市高宮町、神埼郡五個荘町大字小幡、近江八幡市西宿町の鉄道用地については跨線橋建設の場合と考えられますが当社線路軌条面上と貴橋桁下面との間隔及当社の要望等の協定成立如何により築堤高も変更を来し従って土地面積も変りますし更に第2項の状況により位置も異なりますので協定如何によって意見を述べたいと思います。

2、犬上郡豊郷村字石畑、愛知郡愛知川町字市の鉄道用地については貴計画が既設当社線路に隣接して計画されているので当社としては種々の支障ありと考え、之れについて別途善処方を要望する書類を提出している関係上只今の処では諾否の意見を述べることは出来ません。

 以上

これらの近江鉄道の要望に対する国鉄の回答は、ゼロ回答に等しいものであった。

国鉄から近江鉄道への回答文書1

 

国鉄から近江鉄道への回答文書2

日本国有鉄道 大幹工丑第818号

昭和36年4月4日

近江鉄道株式会社

代表取締役 山本 広治殿

 日本国有鉄道

 大阪幹線工事局長 五味 信

 

東海道新幹線を近江鉄道貴生川~米原線に平行して敷設することについて。

 

 陽春の候、貴社ますます御隆昌の御こととお喜び申し上げます。

さて、昭和35年12月14日付甲第1085号でお申し越しの標記については、種々検討いたしましたが、下記のような事情で貴意に副いかねますので、悪しからず御了承下さるようお願い申し上げます。

  記

1.路線の変更について

 近江鉄道と平行する区間の前後の関係と現在までの経緯(関係官公庁及び関係市町村ならびに関係者との協議その他)等より見て、甚だ遺憾ながら路線を変更することは殆んど不可能であります。

2.路線平行に伴う保安上の問題について

 監督官庁である大阪陸運局のご意見もあることと思いますので、監督官庁の御指示に従いたいと存じます。

3.貴社路線の買収について

 現状に於ける諸種の条件より実現不可能と考えられます。

4.以上のような実情でありますのでできるだけ速かに御協議を戴き、具体的な問題の円滑なる解決を計りたいと考えておりますから、まげて御協力を賜りたく御依頼申し上げます。

 ところで、近江鉄道からは国鉄による同線の買収の要望が出ているわけだが、この根拠は何かというと地方鉄道軌道整備法第24条に基づく補償の一環として求めているものと思われる。

 (補償)

第24条 日本国有鉄道が地方鉄道に接近し、又は並行して鉄道線路を敷設して運輸を開始したため、地方鉄道業者がこれと線路が接近し、又は並行する区間の営業を継続することができなくなつてこれを廃止したとき、又は当該地方鉄道業の収益を著しく減少することとなつたときは、日本国有鉄道は、その廃止又は収益の減少による損失を補償するものとする。当該地方鉄道業者が、日本国有鉄道の当該鉄道線路と接近しない、又は並行しない区間につき地方鉄道業を継読することができなくなつてこれを廃止したときも、同様とする。

(第2項以下は省略)

同じ滋賀県内でいえば、江若鉄道が湖西線の建設にあたり同条に基づき補償を受けているようだ。

 

このあたりの交渉経緯を東海道新幹線工事誌は下記のように述べる。

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分2

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分3

上記要望事項の一部は、この後に出てくる。

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その3)

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新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その1)

 東海道新幹線建設時に、近江鉄道が景観の侵害(会計検査院の報告によると「沿線風致阻害観光価値減殺による旅客収入減補」)や踏切の改修に係り2億5千万円の補償を受けた件で、以前、二つの記事を書いた。

封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業

封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業(その2)

 これらについても、早稲田大学大学史資料センターに資料があったので、閲覧させていただいた。(掲載の承認をいただいております。)

 

 今回の狂言回し役としては、同センターに所蔵されていた「交通経済情報」から引用していきたい。(以下、薄い青色の枠内は交通経済情報」からの引用)

新幹線と近江鉄道の「景観補償」の検証(交通経済新聞)

△困難だった用地買収

 国鉄が琵琶湖沿岸の用地買収に乗り出したのは35年にはいってからといわれるが、その直前には、名神高速道路建設に伴なう用地買収に乗出していた道路公団が、地元側の強硬な反対に押しまくられ、当初予定コースの大幅な変更を余儀なくされていたという時期であった。このため新幹線建設の用地買収に当った大阪幹線工事局の担当者達は正に必死の覚悟で地主団との交渉に臨んだといわれる。

 「ムシロ旗こそ立たなかったですけど、地元側の反対は実にひどいもので、我々は数回に亘る話し合いを持ったんですけど、その都度滅茶苦茶にたたかれ、全く前途暗たんたる気持ちでした」とは、当時の新幹線総局用地部次長橋本巖氏(現関東支社施設管理課長)の言であったが、国鉄側は地元側との間に数回にわたる交渉をもった後に、遂に琵琶湖沿岸で高宮(滋賀県)-五個荘(同)間約7.5キロメートルを走っている近江鉄道沿いの整地に目をつけ、これの交渉に最後の望みを託することとなった。

 路線選定に係る経緯について「東海道新幹線工事誌」では、下記のように述べている。

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分

(「名神高速道路公団」ってなんだよ。。)

△話合いの発端は35年中頃

 そこでさっそく大阪幹線工事局長から近江鉄道山本代表取締役に話が持ち込まれたが、それは35年の中頃といわれる。

 ところが近江鉄道でも近代的な快速列車が自社の鉄道の側線に運行されることは迷わく千万であった。計画を変更してもらいたい、ということで一応突っぱねたが、既に設計書もできている、ということで国鉄側も「同業者」というキャッチフレーズであとにひけない。

 この時から国鉄と近江鉄道の深刻なカケヒキが続けられる。すなわち国鉄では、新幹線はオリンピックに間に合わせるように、という十河総裁の至上命令のもとに動いており、滋賀県の用地買収が実現しない場合は工事の進ちょくに決定的な打ゲキを与えるということで、なんとしても最后の望みを近江鉄道の側線獲得に託した。

このあたりで国鉄から近江鉄道へ照会があった公文書が下記のものと思われる。

国鉄から近江鉄道への土地収用関係照会文書 (1)

国鉄から近江鉄道への土地収用関係照会文書 (2)

昭和35年8月1日

 

近江鉄道株式会社

社長 堤 康次郎殿

 日本国有鉄道大阪幹線工事局

 局長 五味 信

 

土地収用法第18条第2項第3号の規定に基く意見について(照会)

 

 東海道新幹線建設工事施行に伴い土地収用法第16条の規定に基く事業の認定を申請するにあたり、起業地内に在する貴職管理にかかる別紙調書記載の土地(物件)を起業地内に編入することについて、同法第18条第2項第3号の規定に基くご意見を承りたく照会します。

 

彦根市鳥居本町 鉄道用地 約132㎡ 近江鉄道KK 跨線橋

同市 高宮町 〃 約288㎡ 多賀線

〃 約330㎡ 豊郷駅用地

〃 約1,500㎡ 愛知川駅用地

〃 約1,750㎡ 跨線橋

〃 約280㎡ 八幡線

国鉄の青焼き図面(東海道幹線大阪工事局管内線路平面図)で見るとこんな感じである。

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (1)

・彦根市鳥居本町 鉄道用地 約132㎡ 近江鉄道KK 跨線橋
・同市 高宮町 約288㎡ 多賀線
東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (2)

・ 約330㎡ 豊郷駅用地
・ 約1,500㎡ 愛知川駅用地
・ 約1,750㎡ 跨線橋

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (3)

・ 約280㎡ 八幡線

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (5)

 で、これから問題となる「景観補償」の場所はここなのである。(上記を拡大)

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (4)

 断面図でいくとこんな感じで、左側が新幹線で右側が近江鉄道と思われる。

新幹線と近江鉄道の位置関係断面図

 現在は、こんな様子だ。

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (3)

 確かに伊吹山方面の眺望は新幹線で遮られている。

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (1)

 盛土に擁壁を立てて、近江鉄道ギリギリに新幹線の線路を築造している。右側からの車は新幹線のボックスカルバートから突然出てくる感じなので運転士からすると確認しづらいのは間違いない。

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (2)

 

 この後、国鉄と近江鉄道の交渉の経緯をおってみたい。

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2)

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2014年12月17日 (水)

新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?(その2)

 「新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?」では、国会議事録を中心に、西武による新横浜駅周辺の土地の買占めについて調べてみた。

○勝澤委員 国鉄では、東海道新幹線の工事関係で、用地買収で近江鉄道に景色補償として一億五千万を支払い、伊豆箱根鉄道では三島-下土狩間の工事認可が出ないうちに工事をやって補償金を取ろうとしたわけであります。

 箱根の山では、国土計画興業株式会社所有地に送電線を通過さしてもらうために、西熱海ホテルの梅園用地を将来売る約束をさせられました。これらはどうも西武鉄道の関係会社だといわれております。新大阪駅、新横浜駅付近の土地を買い占めた資本金三百万円の日本開発株式会社の中地新吾に対して数十億の融資をしたという黒幕が出ております。これらの関連性は、私が申し上げるまでもなくよくおわかりになっておると思う。

 昭和39年5月12日の衆議院決算委員会では、このように、「黒幕」という言葉は使っているが「西武」とはここも含めて国会では誰も発言していないのである。

 では、西武側ではどう認識しているのか?西武系の書物から引用してみる。

 まずは、西武鉄道の専属弁護士にして堤康次郎の側近であった中嶋忠三郎氏の「西武王国 その炎と影  ~ 側近No.1が騙る狂気と野望の実録」では、この買占め劇はどう記されているのか?

新横浜駅周辺の買収

 東京オリンピックの前年のこと、東海道新幹線建設にまつわる土地の件では、厄介な問題が発生した。私はこれにも大いに働いた。この問題は、堤が東海道新幹線が通るであろう主要な土地の情報を得て、土地買収を手掛けたことから始まった。堤は、新横浜駅建設予定地を測量が始められる以前に知り、その周辺の地所を何万坪も買い占めていた。しかも、西武の名を出せば直ちに察知されると思い、関係する不動産会社を使って農家から買収していたのである。堤がどこから情報を得たかは、はなはだ微妙な問題ではあったが、国鉄筋からの情報には間違いないところであった。

 後日、新幹線の開設予定が公表されると、農家の人々は地団駄踏んで悔しがった。そして怒った。農家の人々の大半は土地を売った金で既に家を新築したり車を買ったりして、かなり潤っていた。しかし農家としては、「新幹線が通り地価が高騰することが事前に分かっていたら、慌てて売らなかったのに…」とクレームを付けてきた。西武としては、農家の人達がお互いに連絡を取り合い、団結して登記の無効訴訟を起こしたり、騒ぎ出しでもしたら 厄介だということで、西武の弁護団が鎮めにかかった。私はその先頭に立って問題解決に奔走した。

 堤と泥懇の間柄だった福永健司が、新横浜駅周辺の土地を一部譲ってくれと頼んできたことがあったが、堤は誤解を受けては困るからといって断った。西武がここでいかに大きな利益を上げたかは計り知れない。まかり間違えば、大変な事件に発展するところであった。その他新大阪駅周辺の土地や中国・九州方面まで買収を進め、莫大な利益を上げたのであった。

 実にあっけらかんと「新幹線の測量が始まる前に国鉄筋からの情報に基づき、別の不動産会社を使って土地を買収して莫大な利益を上げた」と書いている。

 

 また、元セゾングループ総帥の堤清二(辻井喬)氏が堤康次郎氏の生涯をもとに書いた小説と言われる「父の肖像」では、汚職捜査に怯える西武関係者の様子が描かれている。

 そんな時彼は、東京オリンピックまでに運行をはじめる予定の東海道新幹線の横浜駅が、今の横浜駅よりはずっと北の方に作られるらしいという情報を耳にした。公社になった国鉄も土地の値上りの影響に苦戦していたのだ。それによると、二子玉川附近で多摩川を渡って、日吉、綱島あたりを通って岸根というところあたりに駅が作られるらしい。

 それを知って次郎は、駅の予定地周辺をこっそり買収しておけば、転売する時数倍の値段になるだろうと考えた。その際、いくら儲けてもそれは決して不当な利益ではない、その金は人々が喜ぷ道路の建設に使うのだからと、次郎は自分に言い聞かせた。しかし同時に、駅予定地の事前買収の方法、情報収集のやり方はよほど慎重にしないと危いな、という自制心も働いた。

 こういう案件は才覚が働いて忠実な男に扱わせるべきだと考えて、次郎は神戸谷を呼んだ。次郎は拓務省時代、関東軍にスパイだと誤認されて危うく生命を落しかけた神戸谷を救ったことがあり、それ以来絶対自分の命令には忠実に動く男と考えていた。

「お前が直接動いてはいけない。埼京電鉄の幹部なんだから。信用できる不動産屋を使え。そして手に入れた土地をわしは転売するつもりはない。相手が国や公共団体だったら貸すことにするつもりだ。公的機関を相手に儲けることは政治家としてのわしの信条に反するのだ

と言った。

 次郎の誤算は、埼京電鉄と同様に綜合不動産も資金繰りに困っていることを充分認識していなかったことであった。神戸谷が言われたとおりに不動産屋を使って土地を買収したために、資金繰りはさらに逼迫した。

 次郎の心積りでは、新幹線計画が公表され数倍の値になった時、それを担保にして銀行から融資を受けようと考えていた

 もうひとつの誤算は困った綜合不動産の専務が埼京電鉄の高島に相談に行ったことであった。もともと神戸谷を、場合によっては自分たちの身辺も調べかねない、油断できない悪しき側近と見倣していた高島正一郎たちは彼を懲らしめるいい機会だと考えた。しかし彼らは陽が当る道しか歩かないから行動を起した訳ではない。

 やがて噂を嗅ぎつけて遅ればせに駅予定地の買収をはじめた別の不動産会社が逮捕された。その線から次郎に情報を提供していた国有鉄道公社の幹部が捕えられた。調べが進んでいって、検察は埼京電鉄の関連会社が意外に広い土地を駅予定地周辺に所有していることを知った。取得年月日は最近である。

 数度にわたる参考人としての事情聴取で、高島正一郎はみるみる憔惇していった。次郎は内心大いにあわてた。

 時の政府が干渉するのが当り前のようになっていた昔の選挙で幾度か選挙違反事件を経験していた次郎は、どんな型の人物が官憲の追及に強く、どんな男が意外に弱いかを知っていた。敗戦前は、警察の取調べに対して、どれだけ強い運動員を揃えるかは政治家の必須条件でさえあったのだ。

 次郎は、高島正一郎は途中までは強いだろうと信頼していた。しかし捜査がある線を超えると危い、ことに妻の良子に累が及びかねない形勢にでもなれば間違いなく崩れるだろう。円満な家庭人である彼にとっては平和な日常が何よりも大切なのであったから。

 次郎は埼京電鉄の顧問弁護士の奈間島と何回か相談し、次郎が直接動くのはまずい、それも検察に働きかけることは逆効果になりかねない、奈間島はそうした判断に立って、「警察庁長官は私も面識があります。温厚篤実な男ですから、捜査は慎重に進めて欲しい、何か協力の必要があれば協力させるから、と言うのはどうでございますかね」

と次郎の意見を聞く態度を見せた。

「そうだな、その線はいい線だと思うが」

と受けながら次郎は考えていた。

この事件で彼は恭次を使いたくなかった。あいつには妙な専門家気取りのところがあって、自分がいなければ皆さんお困りでしょうと言いたげな態度を見せる。恭次のことを次郎はそう理解していたし、自動車道の譲渡問題以来、彼の胸中に恭次を疎んじる感情が生れていたのも事実だった。

 次郎の頭のなかに、恭次ではなく清明にこの問題を処理させるのはどうだろうという考えが浮んだ。彼は基幹会社の幹部のなかに清明を引立てようとする自分の姿勢に抵抗感があるのを知っていた。この際、高島を救う手柄を立てれば、その抵抗感も薄まるだろうと、次郎は内心大いに狼狽しながらも、ただでは引退らないしぶとさを見せた。

 次郎は手を拍って秘書の甲斐田に清明を呼ばせた。いつもの癖で走って次郎の部屋に来た清明に、次郎は奈間島から事件の概要を説明させ、「高島はよく頑張っている。彼を助けてやりたいから、お前、奈間島君と一緒に警察庁に行って来い。そういう経験も悪くないそ」

 と命じた。

 しかし清明は顔色が変って、

「僕が警察に?いやそれは駄目です。この前のこともあるし、私は法律の勉強もしていませんから不向きです」

 と必死な面持になった。清明は半年ほど前、強姦未遂事件で訴えられそうになって、次郎が金を使って揉み消すということがあったのだった。

 次郎は内心、臆病者がと舌打ちしたが、

「そうか、それほど厭なら無理に行かんでもよい」

と言い、奈間島の、

「まあ、好きで行くところでもございませんですからね」

と、半ばお追従の響きのある発言でこの話はなかったことになった。

 この汚職問題は結局一年かかった。埼京電鉄は買収した土地を金利だけ乗せて国鉄に売り戻すという司法解決で、証拠不充分のまま落着した

 この小説では「楠次郎=堤康次郎」、「清明=堤義明」、「恭二=堤清二」、「埼京電鉄=西武鉄道」、「高島正一郎=小島正次郎西武鉄道社長」、「奈間島=中嶋忠三郎弁護士」をそれぞれモデルにしているのであろう。

 先に紹介した国会議事録でも、警察が捜査に動き、国鉄関係者が逮捕されたとかされていないとかといったことが取り上げられている。実際には西武側にも相当操作の手が及んでいたことになる。

 

 しかし、ここまでで、情報を提供したのは「国鉄筋」とはあっても、どの辺なのか、国会で名前が出ている「中地新吾」氏はどういう存在なのかは分からない。

 次いで、七尾和晃氏の「堤義明 闇の帝国」から関係個所を引用してみる。

一通の手紙

 数年前、堤義明宛に送られた一通の手紙がある。送り主は「中地新樹」という。中地は現在、千葉県松戸にある牧の原団地に隠棲し、齢は八十三を超えている。埼玉、神奈川と住まいを転々としたが、一時期の生活ぶりは困窮を極めていた。

 約三千五百字にのぼるその手紙はこう始まっている。

東海道新幹線の新大阪駅、新横浜駅設置場所発表前に、貴殿の父上の堤康次郎先生にお目にかかり、駅付近の用地買収を提言した中地新樹です

 兵庫県出身の中地は、旧国鉄の大阪鉄道局に勤めていた。当時の局長は、後に首相となる佐藤栄作である。「手紙」にはその佐藤もかかわった西武グループの用地買収や裏金作り、小佐野賢治と京浜急行とのトラブルでの立ち回りなどが仔細に記されていた。

 なかでも康次郎が新横浜駅周辺の土地買収を依頼した様子は生々しい。佐藤栄作の息がかかった情報員として土地の値上がりや価値上昇が見込まれる駅建設場所の情報を康次郎に流した中地は、こう記している。

〈その際父上(康次郎・筆者注)は新横浜に第二の丸の内を作ろうと決断され、今池袋で土地を売却した裏金が十億ほどあるから、西武の名前と裏金と言う事を一切明かさず、君の金で、君の名前で契約して目的達成をしてくれと申されましたので、金は即日私の名義で住友銀行都立大学支店、富士銀行自由が丘支店に預け、順次引き出し用地買収資金として使わせて頂きました。

 用地買収途中に於いて麻布広尾の父上宅にお伺いした折、御父上よりこの二人は私の息子で、兄の清二で将来百貨店をやらせようと思っている。もう一人次男の義明で鉄道と国土の方をやらせる積りだと申されました。両方にはそこで初めてお目にかかった次第です。私に対する紹介ではこの人は国鉄に努めて(ママ)居られた方で、佐藤栄作さんの直属部下の方で新大阪、新横浜の駅予定地付近を教えて貰って用地買収をして貰って居る人です と、紹介されました。

 或る時、急用が有り三時十分にお電話した折、秘書の方は大将は今御寝み中ですと申されたので、至急連絡が出来ないと困るんです、と電話を切ろうと思いました折、大声で堤ですと電話に出られ、目的を果たした事が有ります。

 この御父上の仕事に対する信念身をもって挺して居られる御姿を拝し、この方となら命をかけてもつくそうと思い、今もその気持ちに変わりは有りません。朝、夕御父上のご成仏と西武の御発展を心より祈り居る次第です。

 其の後御父上に呼ばれ、麻布広尾に御伺いした折、初め十億の予算で出発したが、東急の五島慶太の子分の小佐野が山梨交通の株を買うので二億五千万程必要なので、新大阪、新横浜の用地買収は七億五千万で止めてくれと申されたので云われる通りしました〉

中地は康次郎の意を受け、預けられた七億五千万円で着々と新幹線の駅計画地前の土地買収を進めていた

新大阪駅付近五万五干平米、新横浜付近二十万二千平方米を買収しておさめました

 東海道新幹線の駅前という一等地に、コクド・西武グループがプリンスホテルをはじめとする商業施設を数多く持っているのはなぜなのか。一度気になりはじめれば果てることなく謎は深まる。しかし、鉄道省出身の政治家として与党内でも台頭していた佐藤栄作が、かつての部下である中地新樹をパイプ役として康次郎につながっていたと考えれば、それは一転、あからさまなほどに明快な答えをもたらす。

 もちろん佐藤栄作と堤康次郎をつなぐ「政府発表前情報」がタダなはずもない。佐藤の代理としてやはり中地自身が駅建設予定地の土地を買い、土地高騰後に売ったカネは佐藤にも大きな収益をもたらしたと、中地の手紙には記されている。

 一九六〇年前後、中地は康次郎と佐藤栄作のために土地の買収に明け暮れていた。そして新たな難題が持ち上がった。それが近江鉄道と東海道新幹線をめぐる暗闘だ。

 再び、中地の手紙を引用する。

〈又其の後近江鉄道より申し入れがあったと思います。お父上より米原駅西へ三キロ程、近江鉄道と建設される新幹線に並行して走る所が有る、その区内は新幹線が高架に建設されるために近江鉄道の電車の窓より田園風景が見えなくなるので、なんとか国鉄の幹部に話をして景色保障代金として、二億五千万程払う様頼んでくれと言われました。近江鉄道は私の出身県の鉄道で深い愛着心がある、今資金難で踏切改修車輌補修も思う様にならず困っているので、なんとかしてくれと託されましたので早速国鉄幹部遠藤総局長、赤木新幹線用地部長にこの旨話した所、景色保障という話は聞いたこともなければ、そんな予算もない。今経理局長はアメリカへ行き、世界銀行より借り入れの交渉をしている、そんな金出す余裕がないと断られました。そこで今一度御父上にお目にかかり国鉄側の申すことをお伝えした所、国鉄がどうしても払わないというなら新横浜、新大阪の駅用地路線要地、簡単には売り渡さないと脅され困り果てました。そのうち、新幹線大阪建設局長等がどうしても売らないなら強制施行(ママ)の手続きを取るとの発言があったとする報道も有り、オリンピック迄になんとか新幹線開通させねば佐藤栄作先生と国鉄に対して用地買収を進め、協力すると云う大名題(ママ)がなくなってしまうと中嶋先生と宮内氏に私が大決意をもって、家屋敷その他所有する土地を保証に銀行等より、七千五百万円を借り入れて遠藤総局長、赤木用地部長、大石重成副総裁に対する対策費として用意して渡し、近江鉄道に対する景色保障を実行して貰うから、通常取引として、この立替金は必ず返済下さいと、念を押して実行致しました。その折宮内専務は大将に伺うと御父上に御話しましたところ、なにをぐずぐず云って居るのだ、早くしないと近江鉄道が死んでしまうぞ、後はどうにでもなる、早く実行して貰えと強くしかられました〉

 国鉄とコクド・康次郎との板ばさみになった中地は、事態打開のために私財を提供することになる。そして、その七千五百万円がいまだ返還されていないと、この手紙は訴えている。

 それにしても、この「景色保障(景観補償)」とはいったい何か。鉄道業界では鉄道敷設の際に「景観補償」するのが一般的だったのだろうか。関西最古の私鉄本社の関係者は次のように話す。

「景観補償を払うなど聞いたことがありません。高架や線路ができるからといって損なわれる景色を補償していたら、沿線の住民すべてに補償をしなければならず、ありえない話です。これまでも国鉄でも私鉄でも景観補償という名目を公に払ったという話は聞いたことがありません」

 それだけに中地の手紙にある近江鉄道の景観補償についての詳細は圧巻である。この近江鉄道と国鉄との「密約」の存在は地元滋賀県や鉄道愛好家の間ではまことしやかに語り継がれていた。しかし、現在までそれを裏づける資料は見つかっていなかった。

 ところがこの近江鉄道と国鉄との間で交わされた景観補償の密約文書もまた、中嶋忠三郎の死後、忠三郎名義の貸金庫の中から見つかったのだ(127ページ参照)。

一九六一(昭和三十六)年十月十五日付の「受領書」には、国鉄側幹部の名前と印が押されている。国鉄副総裁の吾孫子豊、新幹線局長の遠藤鐵二、新幹線用地部長の赤木渉の三人だ。いずれもすでに故人となり受領書についての説明を聞くことはできない。

 中地が西武を信じ、私財を投じて問題解決に道を拓いたこの年、康次郎が「百貨店をやらせる」と中地に紹介した清二は西武百貨店の代表取締役に就任している。

 康次郎のための土地の買収がひと息ついたころ、中地は一度海外に送られている。それは慰労目的ではなく、大規模な土地買収に不審を感じた司法当局の目先をくらませたい西武の思惑でもあった

〈用地買収がほぼ終わった新横浜、新大阪に関する用地買収の記事が大々的に報道されましたので、西武の名前が出ると又裏金の事や近江鉄道に対する景色保障に関する事で七千五百万円国鉄幹部に渡したことがわかれば、大変な事になるのでアメリカ其の他中南米諸国に渡り、時の過ぎるのを待ちました。当時ロサンゼルスに滞在中ロサンゼルスのホテルに中嶋先生が尋ねて(ママ)こられ、ロサンゼルスの西武百貨店で用立てして貰ったとして一万ドル御届け頂き滞在費として使わせて頂きました

 一九六二年三月、西武百貨店ロサンゼルス店は開店している。しかし二年後、同店はすぐに閉店してしまう。

 康次郎としては、裏の買収工作人であった中地をしばらく海外に留め置きたかったのであろう。忠三郎が当時、中地の面倒を見るためにアメリカに渡ったことは息子の康雄が覚えている。

 中地の大々的な買収工作はすでにその実行中から当局に目を付けられていたようだ。

〈又こんなことも有りました、用地買収さなか大阪国税局から呼び出しを受け、当時の局長塩崎じゅん氏(後の衆議院議員)より今新大阪、新横浜で数億円単位で用地を買って居られるが、とてもあなたの持ち金とは思えない何処から出た金ですか、又誰から受けた金ですか、全部あなたの名義で契約してあるが、何の金だと執拗に聞かれたが、大恩の有る方より受けた金で、なんらやましい金でもなければ、盗んだ金でもない。局長に答える必要はないと申して終わりました。後に昭和二十二年以来の友人の鈴木善幸総理の時塩崎先生に御会いした際あんたも仲々固い固い人ですなーとひやかされた事も有ります〉

  「塩崎じゅん」とは塩崎潤である。旧大蔵省主税局長出身で、現自民党衆議院議員の塩崎恭久の父親である。

 さらに、朝日新聞の記者が訪ねてきたともいう。

<数年前横浜プリンスホテル開業前、朝日新聞横浜支局の佐藤という記者が私宅に来られ横浜プリンスホテル開業に至る横浜土地物語を書くので、協力して欲しい、色々とうわさを聞いているので協力して欲しいと云われましたが、全部私がやった事で国鉄等にも西武にも何の関係もない、勿論裏金で買った事等触れて居ません。又、近江鉄道に対する景色保障支払いの事等一切触れずに終わりました。その後も、度々私宅に電話せられ逢って 呉れと云われたが、一切触れずに終わらせました。故に、朝日の記事でも西武さんに都合の悪いことは一切報道されていません〉

 私がこの〝情報"に接したのは〇三年夏のことだった。

 ホテルオークラの「ハイランダー」で中嶋忠三郎の息子、康男と話をしていたとき、

「親父はこんなこともしていたみたいだな」

 と言いながら、赤判を押した書類を見せてくれた。それが、忠三郎の貸し金庫から見つかった「手紙」と「受領書」だった。

 私はそれをその場でコピーさせてもらった。書かれていた住所を頼りに、神奈川、埼玉と中地新樹を訪ね歩き、千葉の団地へとたどり着いたのだ。

 取材ははじめ、中地に対してこの「手紙」と「受領書」を入手していることを告げず、そこで触れられていることについて件名のみを挙げて話を聞いた。団地の一室で取材に応じた中地は概ね、この手紙に記された話を展開した。食い違っている点はなかった。残された記憶だけが、中地の今を支えている。中地もまた、西武の「鉄路開拓」の犠牲者ともいえた。

 中地氏は、国鉄で佐藤栄作元首相の部下で、そこで堤氏とのパイプ役となったこと、国会でも取り上げられた中地氏の海外逃亡に西武百貨店の在米支店が一躍かっていたこと等が述べられている。また、私が以前からブログで取り上げている近江鉄道の景観補償にも関与しているという。

 また、上記の朝日新聞の記事における中地氏のインタビュー記事は下記の通りである。

新横浜駅周辺 最大地主は西武グループ

カギ握るブローカー

当時の状況を語る

堤康次郎氏に私が持ち込む

 買い占めに当たった大阪のブローカーはいま七十六歳。このほど三十年ぷりに初めてインタビューに応じた。一問一答は次の通り。

 ―新横浜の土地買収の真相は

 「私が先代の西武鉄道会長、堤康次郎氏に話を持ち込んだ」

 ―だれから情報を得たのですか。

 「だれからでもない。私は戦前、国鉄の前身の鉄道省大阪鉄道局にいて、新幹線の原型となった『弾丸列車計画』に携わった。新幹線のルートや駅は弾丸列車と同じと確信していた」

 ―なぜ西武に話をしたのですか。

 「計画公表後では、地価はつり上がり、住民の反対も起きて国のためにならない。大資本に先行買収させようと思った。西武が六億円を用意し、約六万坪を買った。商売がたきに知れないよう、西武の名は表に出さなかった。関連社員の名で仮登記したのもそのためだ」

 ―西武との約束は。

 「堤氏との間で将来、転売したら利益の三割をもらうことになっていた。国鉄に売った分はもらったが、堤氏が一九六四年に急死し、それ以降の報酬はなかった」

 ―一年近く海外に身を隠していたのは。

 「(疑惑で)周囲が騒がしくなったから。ハワイやメキシコに行っていた」

1992年3月7日 朝日新聞夕刊

 ところで、国会議事録や報道では「中地新吾」であるのに、七尾氏の著書では「新樹」となっているのは何故なのだろうか?

 また、近江鉄道の景観補償の件については、1億5千万は踏切等の施設改良に伴う補償であり、いわゆる景観補償は1億円であること、西武側は景観補償という形での要求はしていないこと、要求額はもともと2億5千万をはるかに超えるものであったこと等から、この中地氏の証言は俄かに信じがたいところがある。

 七尾和晃氏が「現在までそれを裏づける資料は見つかっていなかった。」と述べた資料のうち早大で公開された資料は私の手元にある。これをこの後に紹介していきたい。

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2014年12月13日 (土)

西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その3

西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その1

西武渋谷店A館B館の間の地下道はあります!(おぼかたさん風に)その2

で、暗渠・水路趣味界での「西武百貨店渋谷店A館とB館の間には宇田川の暗渠があるため、地下通路がない」という定説を検証してきた。

 その2では、渋谷区役所の御担当者の方から道路法に基づき地下通路を占用させているという情報をいただいたところである。

 しかし、まだ書類などを閲覧したわけではないので、一抹の不安があった。

 そこで「建築雑誌に工事の施工報文が載ってるんとちゃうのん?」ということに気が付いた。

 で調べてみると、ありましたぜ。

 「建築界1968年7月号」にそのものずばり「SKビル(西武渋谷店)の施工」。執筆者の陰山茂氏は、清水建設建築部の方。

 西武百貨店なのに、「SKビル」というのは、ここはもともと映画館で、A館とC館は松竹映画、B館は国際映画が建築主であることが由来のようだ。

昭和毎日」の昭和31年の地図でみると、日活と国際となっているが

http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.66057411149513&lng=139.69886563060004

東京 懐かしの昭和30年代散歩地図」では、松竹と国際であった。

西武百貨店渋谷店A館とB館を結ぶ地下通路1

「付属建物」の項に

2.A館とB館をつなぐ地下トレンチ

 鉄筋コンクリート造

 幅7m,高さ6.3m,長さ16m

 A・B館を地下3階でつなぐ

とある。

西武百貨店渋谷店A館とB館を結ぶ地下通路2

◇地下連絡道

 地下連絡道は,地盤を凍結する工法で工事を行った。

 A・B館の地下3階を結ぶ連絡地下道は,井之頭通り幅15mの道路の下で結ばれており,ここを掘削するにあたって,オープンカットやシールド工法が考えられたが,交通量が多いこと,道路下に幅6mの暗きょがあること,湧水量が多いこと等でいずれも好ましくなく,そこで考えられたのが凍結工法である。(以下略)

「湧水量が多い」というのが気になるなあ。水路は暗渠になってもまだ地下水は谷底に向かって流れていたのかなあ。

そして図面。見づらいがしゃあない。

西武百貨店渋谷店地下通路

井の頭通りのA館とB館の間に「地下ずい道」という文字が見えないだろうか?

ほれ。

西武百貨店渋谷店地下通路2

 いずれにせよ、地下3階部分にA館とB館を結ぶ地下通路があることが書面上も実証できたことになる。やったー。

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