« 新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?(その2) | トップページ | 新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2) »

2014年12月23日 (火)

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その1)

 東海道新幹線建設時に、近江鉄道が景観の侵害(会計検査院の報告によると「沿線風致阻害観光価値減殺による旅客収入減補」)や踏切の改修に係り2億5千万円の補償を受けた件で、以前、二つの記事を書いた。

封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業

封印したい「封印された鉄道史」(小川裕夫)とウィキペディアと堤さんの所業(その2)

 これらについても、早稲田大学大学史資料センターに資料があったので、閲覧させていただいた。(掲載の承認をいただいております。)

 

 今回の狂言回し役としては、同センターに所蔵されていた「交通経済情報」から引用していきたい。(以下、薄い青色の枠内は交通経済情報」からの引用)

新幹線と近江鉄道の「景観補償」の検証(交通経済新聞)

△困難だった用地買収

 国鉄が琵琶湖沿岸の用地買収に乗り出したのは35年にはいってからといわれるが、その直前には、名神高速道路建設に伴なう用地買収に乗出していた道路公団が、地元側の強硬な反対に押しまくられ、当初予定コースの大幅な変更を余儀なくされていたという時期であった。このため新幹線建設の用地買収に当った大阪幹線工事局の担当者達は正に必死の覚悟で地主団との交渉に臨んだといわれる。

 「ムシロ旗こそ立たなかったですけど、地元側の反対は実にひどいもので、我々は数回に亘る話し合いを持ったんですけど、その都度滅茶苦茶にたたかれ、全く前途暗たんたる気持ちでした」とは、当時の新幹線総局用地部次長橋本巖氏(現関東支社施設管理課長)の言であったが、国鉄側は地元側との間に数回にわたる交渉をもった後に、遂に琵琶湖沿岸で高宮(滋賀県)-五個荘(同)間約7.5キロメートルを走っている近江鉄道沿いの整地に目をつけ、これの交渉に最後の望みを託することとなった。

 路線選定に係る経緯について「東海道新幹線工事誌」では、下記のように述べている。

東海道新幹線工事誌の近江鉄道関連部分

(「名神高速道路公団」ってなんだよ。。)

△話合いの発端は35年中頃

 そこでさっそく大阪幹線工事局長から近江鉄道山本代表取締役に話が持ち込まれたが、それは35年の中頃といわれる。

 ところが近江鉄道でも近代的な快速列車が自社の鉄道の側線に運行されることは迷わく千万であった。計画を変更してもらいたい、ということで一応突っぱねたが、既に設計書もできている、ということで国鉄側も「同業者」というキャッチフレーズであとにひけない。

 この時から国鉄と近江鉄道の深刻なカケヒキが続けられる。すなわち国鉄では、新幹線はオリンピックに間に合わせるように、という十河総裁の至上命令のもとに動いており、滋賀県の用地買収が実現しない場合は工事の進ちょくに決定的な打ゲキを与えるということで、なんとしても最后の望みを近江鉄道の側線獲得に託した。

このあたりで国鉄から近江鉄道へ照会があった公文書が下記のものと思われる。

国鉄から近江鉄道への土地収用関係照会文書 (1)

国鉄から近江鉄道への土地収用関係照会文書 (2)

昭和35年8月1日

 

近江鉄道株式会社

社長 堤 康次郎殿

 日本国有鉄道大阪幹線工事局

 局長 五味 信

 

土地収用法第18条第2項第3号の規定に基く意見について(照会)

 

 東海道新幹線建設工事施行に伴い土地収用法第16条の規定に基く事業の認定を申請するにあたり、起業地内に在する貴職管理にかかる別紙調書記載の土地(物件)を起業地内に編入することについて、同法第18条第2項第3号の規定に基くご意見を承りたく照会します。

 

彦根市鳥居本町 鉄道用地 約132㎡ 近江鉄道KK 跨線橋

同市 高宮町 〃 約288㎡ 多賀線

〃 約330㎡ 豊郷駅用地

〃 約1,500㎡ 愛知川駅用地

〃 約1,750㎡ 跨線橋

〃 約280㎡ 八幡線

国鉄の青焼き図面(東海道幹線大阪工事局管内線路平面図)で見るとこんな感じである。

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (1)

・彦根市鳥居本町 鉄道用地 約132㎡ 近江鉄道KK 跨線橋
・同市 高宮町 約288㎡ 多賀線
東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (2)

・ 約330㎡ 豊郷駅用地
・ 約1,500㎡ 愛知川駅用地
・ 約1,750㎡ 跨線橋

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (3)

・ 約280㎡ 八幡線

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (5)

 で、これから問題となる「景観補償」の場所はここなのである。(上記を拡大)

東海道新幹線大阪幹線工事局平面図(近江鉄道関係個所) (4)

 断面図でいくとこんな感じで、左側が新幹線で右側が近江鉄道と思われる。

新幹線と近江鉄道の位置関係断面図

 現在は、こんな様子だ。

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (3)

 確かに伊吹山方面の眺望は新幹線で遮られている。

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (1)

 盛土に擁壁を立てて、近江鉄道ギリギリに新幹線の線路を築造している。右側からの車は新幹線のボックスカルバートから突然出てくる感じなので運転士からすると確認しづらいのは間違いない。

新幹線と近江鉄道の隣接具合【景観補償関連】 (2)

 

 この後、国鉄と近江鉄道の交渉の経緯をおってみたい。

新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2)

| |

« 新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?(その2) | トップページ | 新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2) »

鉄道」カテゴリの記事

東海道新幹線 開通50周年」カテゴリの記事

堤康次郎・西武・近江鉄道・伊豆箱根鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その1):

« 新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?(その2) | トップページ | 新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その2) »