新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?(その2)
「新横浜駅と新大阪駅の土地を買い占めたのは元国鉄職員?買収資金を貸したのは三和銀行?」では、国会議事録を中心に、西武による新横浜駅周辺の土地の買占めについて調べてみた。
○勝澤委員 国鉄では、東海道新幹線の工事関係で、用地買収で近江鉄道に景色補償として一億五千万を支払い、伊豆箱根鉄道では三島-下土狩間の工事認可が出ないうちに工事をやって補償金を取ろうとしたわけであります。
箱根の山では、国土計画興業株式会社所有地に送電線を通過さしてもらうために、西熱海ホテルの梅園用地を将来売る約束をさせられました。これらはどうも西武鉄道の関係会社だといわれております。新大阪駅、新横浜駅付近の土地を買い占めた資本金三百万円の日本開発株式会社の中地新吾に対して数十億の融資をしたという黒幕が出ております。これらの関連性は、私が申し上げるまでもなくよくおわかりになっておると思う。
昭和39年5月12日の衆議院決算委員会では、このように、「黒幕」という言葉は使っているが「西武」とはここも含めて国会では誰も発言していないのである。
では、西武側ではどう認識しているのか?西武系の書物から引用してみる。
まずは、西武鉄道の専属弁護士にして堤康次郎の側近であった中嶋忠三郎氏の「西武王国 その炎と影 ~ 側近No.1が騙る狂気と野望の実録」では、この買占め劇はどう記されているのか?
新横浜駅周辺の買収
東京オリンピックの前年のこと、東海道新幹線建設にまつわる土地の件では、厄介な問題が発生した。私はこれにも大いに働いた。この問題は、堤が東海道新幹線が通るであろう主要な土地の情報を得て、土地買収を手掛けたことから始まった。堤は、新横浜駅建設予定地を測量が始められる以前に知り、その周辺の地所を何万坪も買い占めていた。しかも、西武の名を出せば直ちに察知されると思い、関係する不動産会社を使って農家から買収していたのである。堤がどこから情報を得たかは、はなはだ微妙な問題ではあったが、国鉄筋からの情報には間違いないところであった。
後日、新幹線の開設予定が公表されると、農家の人々は地団駄踏んで悔しがった。そして怒った。農家の人々の大半は土地を売った金で既に家を新築したり車を買ったりして、かなり潤っていた。しかし農家としては、「新幹線が通り地価が高騰することが事前に分かっていたら、慌てて売らなかったのに…」とクレームを付けてきた。西武としては、農家の人達がお互いに連絡を取り合い、団結して登記の無効訴訟を起こしたり、騒ぎ出しでもしたら 厄介だということで、西武の弁護団が鎮めにかかった。私はその先頭に立って問題解決に奔走した。
堤と泥懇の間柄だった福永健司が、新横浜駅周辺の土地を一部譲ってくれと頼んできたことがあったが、堤は誤解を受けては困るからといって断った。西武がここでいかに大きな利益を上げたかは計り知れない。まかり間違えば、大変な事件に発展するところであった。その他新大阪駅周辺の土地や中国・九州方面まで買収を進め、莫大な利益を上げたのであった。
実にあっけらかんと「新幹線の測量が始まる前に国鉄筋からの情報に基づき、別の不動産会社を使って土地を買収して莫大な利益を上げた」と書いている。
また、元セゾングループ総帥の堤清二(辻井喬)氏が堤康次郎氏の生涯をもとに書いた小説と言われる「父の肖像」では、汚職捜査に怯える西武関係者の様子が描かれている。
それを知って次郎は、駅の予定地周辺をこっそり買収しておけば、転売する時数倍の値段になるだろうと考えた。その際、いくら儲けてもそれは決して不当な利益ではない、その金は人々が喜ぷ道路の建設に使うのだからと、次郎は自分に言い聞かせた。しかし同時に、駅予定地の事前買収の方法、情報収集のやり方はよほど慎重にしないと危いな、という自制心も働いた。
こういう案件は才覚が働いて忠実な男に扱わせるべきだと考えて、次郎は神戸谷を呼んだ。次郎は拓務省時代、関東軍にスパイだと誤認されて危うく生命を落しかけた神戸谷を救ったことがあり、それ以来絶対自分の命令には忠実に動く男と考えていた。
「お前が直接動いてはいけない。埼京電鉄の幹部なんだから。信用できる不動産屋を使え。そして手に入れた土地をわしは転売するつもりはない。相手が国や公共団体だったら貸すことにするつもりだ。公的機関を相手に儲けることは政治家としてのわしの信条に反するのだ」
と言った。
次郎の誤算は、埼京電鉄と同様に綜合不動産も資金繰りに困っていることを充分認識していなかったことであった。神戸谷が言われたとおりに不動産屋を使って土地を買収したために、資金繰りはさらに逼迫した。
次郎の心積りでは、新幹線計画が公表され数倍の値になった時、それを担保にして銀行から融資を受けようと考えていた。
もうひとつの誤算は困った綜合不動産の専務が埼京電鉄の高島に相談に行ったことであった。もともと神戸谷を、場合によっては自分たちの身辺も調べかねない、油断できない悪しき側近と見倣していた高島正一郎たちは彼を懲らしめるいい機会だと考えた。しかし彼らは陽が当る道しか歩かないから行動を起した訳ではない。
やがて噂を嗅ぎつけて遅ればせに駅予定地の買収をはじめた別の不動産会社が逮捕された。その線から次郎に情報を提供していた国有鉄道公社の幹部が捕えられた。調べが進んでいって、検察は埼京電鉄の関連会社が意外に広い土地を駅予定地周辺に所有していることを知った。取得年月日は最近である。
数度にわたる参考人としての事情聴取で、高島正一郎はみるみる憔惇していった。次郎は内心大いにあわてた。
時の政府が干渉するのが当り前のようになっていた昔の選挙で幾度か選挙違反事件を経験していた次郎は、どんな型の人物が官憲の追及に強く、どんな男が意外に弱いかを知っていた。敗戦前は、警察の取調べに対して、どれだけ強い運動員を揃えるかは政治家の必須条件でさえあったのだ。
次郎は、高島正一郎は途中までは強いだろうと信頼していた。しかし捜査がある線を超えると危い、ことに妻の良子に累が及びかねない形勢にでもなれば間違いなく崩れるだろう。円満な家庭人である彼にとっては平和な日常が何よりも大切なのであったから。
次郎は埼京電鉄の顧問弁護士の奈間島と何回か相談し、次郎が直接動くのはまずい、それも検察に働きかけることは逆効果になりかねない、奈間島はそうした判断に立って、「警察庁長官は私も面識があります。温厚篤実な男ですから、捜査は慎重に進めて欲しい、何か協力の必要があれば協力させるから、と言うのはどうでございますかね」
と次郎の意見を聞く態度を見せた。
「そうだな、その線はいい線だと思うが」
と受けながら次郎は考えていた。
この事件で彼は恭次を使いたくなかった。あいつには妙な専門家気取りのところがあって、自分がいなければ皆さんお困りでしょうと言いたげな態度を見せる。恭次のことを次郎はそう理解していたし、自動車道の譲渡問題以来、彼の胸中に恭次を疎んじる感情が生れていたのも事実だった。
次郎の頭のなかに、恭次ではなく清明にこの問題を処理させるのはどうだろうという考えが浮んだ。彼は基幹会社の幹部のなかに清明を引立てようとする自分の姿勢に抵抗感があるのを知っていた。この際、高島を救う手柄を立てれば、その抵抗感も薄まるだろうと、次郎は内心大いに狼狽しながらも、ただでは引退らないしぶとさを見せた。
次郎は手を拍って秘書の甲斐田に清明を呼ばせた。いつもの癖で走って次郎の部屋に来た清明に、次郎は奈間島から事件の概要を説明させ、「高島はよく頑張っている。彼を助けてやりたいから、お前、奈間島君と一緒に警察庁に行って来い。そういう経験も悪くないそ」
と命じた。
しかし清明は顔色が変って、
「僕が警察に?いやそれは駄目です。この前のこともあるし、私は法律の勉強もしていませんから不向きです」
と必死な面持になった。清明は半年ほど前、強姦未遂事件で訴えられそうになって、次郎が金を使って揉み消すということがあったのだった。
次郎は内心、臆病者がと舌打ちしたが、
「そうか、それほど厭なら無理に行かんでもよい」
と言い、奈間島の、
「まあ、好きで行くところでもございませんですからね」
と、半ばお追従の響きのある発言でこの話はなかったことになった。
この汚職問題は結局一年かかった。埼京電鉄は買収した土地を金利だけ乗せて国鉄に売り戻すという司法解決で、証拠不充分のまま落着した。
この小説では「楠次郎=堤康次郎」、「清明=堤義明」、「恭二=堤清二」、「埼京電鉄=西武鉄道」、「高島正一郎=小島正次郎西武鉄道社長」、「奈間島=中嶋忠三郎弁護士」をそれぞれモデルにしているのであろう。
先に紹介した国会議事録でも、警察が捜査に動き、国鉄関係者が逮捕されたとかされていないとかといったことが取り上げられている。実際には西武側にも相当操作の手が及んでいたことになる。
しかし、ここまでで、情報を提供したのは「国鉄筋」とはあっても、どの辺なのか、国会で名前が出ている「中地新吾」氏はどういう存在なのかは分からない。
次いで、七尾和晃氏の「堤義明 闇の帝国」から関係個所を引用してみる。
一通の手紙
数年前、堤義明宛に送られた一通の手紙がある。送り主は「中地新樹」という。中地は現在、千葉県松戸にある牧の原団地に隠棲し、齢は八十三を超えている。埼玉、神奈川と住まいを転々としたが、一時期の生活ぶりは困窮を極めていた。
約三千五百字にのぼるその手紙はこう始まっている。
〈東海道新幹線の新大阪駅、新横浜駅設置場所発表前に、貴殿の父上の堤康次郎先生にお目にかかり、駅付近の用地買収を提言した中地新樹です〉
兵庫県出身の中地は、旧国鉄の大阪鉄道局に勤めていた。当時の局長は、後に首相となる佐藤栄作である。「手紙」にはその佐藤もかかわった西武グループの用地買収や裏金作り、小佐野賢治と京浜急行とのトラブルでの立ち回りなどが仔細に記されていた。
なかでも康次郎が新横浜駅周辺の土地買収を依頼した様子は生々しい。佐藤栄作の息がかかった情報員として土地の値上がりや価値上昇が見込まれる駅建設場所の情報を康次郎に流した中地は、こう記している。
〈その際父上(康次郎・筆者注)は新横浜に第二の丸の内を作ろうと決断され、今池袋で土地を売却した裏金が十億ほどあるから、西武の名前と裏金と言う事を一切明かさず、君の金で、君の名前で契約して目的達成をしてくれと申されましたので、金は即日私の名義で住友銀行都立大学支店、富士銀行自由が丘支店に預け、順次引き出し用地買収資金として使わせて頂きました。
用地買収途中に於いて麻布広尾の父上宅にお伺いした折、御父上よりこの二人は私の息子で、兄の清二で将来百貨店をやらせようと思っている。もう一人次男の義明で鉄道と国土の方をやらせる積りだと申されました。両方にはそこで初めてお目にかかった次第です。私に対する紹介ではこの人は国鉄に努めて(ママ)居られた方で、佐藤栄作さんの直属部下の方で新大阪、新横浜の駅予定地付近を教えて貰って用地買収をして貰って居る人です と、紹介されました。
或る時、急用が有り三時十分にお電話した折、秘書の方は大将は今御寝み中ですと申されたので、至急連絡が出来ないと困るんです、と電話を切ろうと思いました折、大声で堤ですと電話に出られ、目的を果たした事が有ります。
この御父上の仕事に対する信念身をもって挺して居られる御姿を拝し、この方となら命をかけてもつくそうと思い、今もその気持ちに変わりは有りません。朝、夕御父上のご成仏と西武の御発展を心より祈り居る次第です。
其の後御父上に呼ばれ、麻布広尾に御伺いした折、初め十億の予算で出発したが、東急の五島慶太の子分の小佐野が山梨交通の株を買うので二億五千万程必要なので、新大阪、新横浜の用地買収は七億五千万で止めてくれと申されたので云われる通りしました〉
中地は康次郎の意を受け、預けられた七億五千万円で着々と新幹線の駅計画地前の土地買収を進めていた。
〈新大阪駅付近五万五干平米、新横浜付近二十万二千平方米を買収しておさめました〉
東海道新幹線の駅前という一等地に、コクド・西武グループがプリンスホテルをはじめとする商業施設を数多く持っているのはなぜなのか。一度気になりはじめれば果てることなく謎は深まる。しかし、鉄道省出身の政治家として与党内でも台頭していた佐藤栄作が、かつての部下である中地新樹をパイプ役として康次郎につながっていたと考えれば、それは一転、あからさまなほどに明快な答えをもたらす。
もちろん佐藤栄作と堤康次郎をつなぐ「政府発表前情報」がタダなはずもない。佐藤の代理としてやはり中地自身が駅建設予定地の土地を買い、土地高騰後に売ったカネは佐藤にも大きな収益をもたらしたと、中地の手紙には記されている。
一九六〇年前後、中地は康次郎と佐藤栄作のために土地の買収に明け暮れていた。そして新たな難題が持ち上がった。それが近江鉄道と東海道新幹線をめぐる暗闘だ。
再び、中地の手紙を引用する。
〈又其の後近江鉄道より申し入れがあったと思います。お父上より米原駅西へ三キロ程、近江鉄道と建設される新幹線に並行して走る所が有る、その区内は新幹線が高架に建設されるために近江鉄道の電車の窓より田園風景が見えなくなるので、なんとか国鉄の幹部に話をして景色保障代金として、二億五千万程払う様頼んでくれと言われました。近江鉄道は私の出身県の鉄道で深い愛着心がある、今資金難で踏切改修車輌補修も思う様にならず困っているので、なんとかしてくれと託されましたので早速国鉄幹部遠藤総局長、赤木新幹線用地部長にこの旨話した所、景色保障という話は聞いたこともなければ、そんな予算もない。今経理局長はアメリカへ行き、世界銀行より借り入れの交渉をしている、そんな金出す余裕がないと断られました。そこで今一度御父上にお目にかかり国鉄側の申すことをお伝えした所、国鉄がどうしても払わないというなら新横浜、新大阪の駅用地路線要地、簡単には売り渡さないと脅され困り果てました。そのうち、新幹線大阪建設局長等がどうしても売らないなら強制施行(ママ)の手続きを取るとの発言があったとする報道も有り、オリンピック迄になんとか新幹線開通させねば佐藤栄作先生と国鉄に対して用地買収を進め、協力すると云う大名題(ママ)がなくなってしまうと中嶋先生と宮内氏に私が大決意をもって、家屋敷その他所有する土地を保証に銀行等より、七千五百万円を借り入れて遠藤総局長、赤木用地部長、大石重成副総裁に対する対策費として用意して渡し、近江鉄道に対する景色保障を実行して貰うから、通常取引として、この立替金は必ず返済下さいと、念を押して実行致しました。その折宮内専務は大将に伺うと御父上に御話しましたところ、なにをぐずぐず云って居るのだ、早くしないと近江鉄道が死んでしまうぞ、後はどうにでもなる、早く実行して貰えと強くしかられました〉
国鉄とコクド・康次郎との板ばさみになった中地は、事態打開のために私財を提供することになる。そして、その七千五百万円がいまだ返還されていないと、この手紙は訴えている。
それにしても、この「景色保障(景観補償)」とはいったい何か。鉄道業界では鉄道敷設の際に「景観補償」するのが一般的だったのだろうか。関西最古の私鉄本社の関係者は次のように話す。
「景観補償を払うなど聞いたことがありません。高架や線路ができるからといって損なわれる景色を補償していたら、沿線の住民すべてに補償をしなければならず、ありえない話です。これまでも国鉄でも私鉄でも景観補償という名目を公に払ったという話は聞いたことがありません」
それだけに中地の手紙にある近江鉄道の景観補償についての詳細は圧巻である。この近江鉄道と国鉄との「密約」の存在は地元滋賀県や鉄道愛好家の間ではまことしやかに語り継がれていた。しかし、現在までそれを裏づける資料は見つかっていなかった。
ところがこの近江鉄道と国鉄との間で交わされた景観補償の密約文書もまた、中嶋忠三郎の死後、忠三郎名義の貸金庫の中から見つかったのだ(127ページ参照)。
一九六一(昭和三十六)年十月十五日付の「受領書」には、国鉄側幹部の名前と印が押されている。国鉄副総裁の吾孫子豊、新幹線局長の遠藤鐵二、新幹線用地部長の赤木渉の三人だ。いずれもすでに故人となり受領書についての説明を聞くことはできない。
中地が西武を信じ、私財を投じて問題解決に道を拓いたこの年、康次郎が「百貨店をやらせる」と中地に紹介した清二は西武百貨店の代表取締役に就任している。
康次郎のための土地の買収がひと息ついたころ、中地は一度海外に送られている。それは慰労目的ではなく、大規模な土地買収に不審を感じた司法当局の目先をくらませたい西武の思惑でもあった。
〈用地買収がほぼ終わった新横浜、新大阪に関する用地買収の記事が大々的に報道されましたので、西武の名前が出ると又裏金の事や近江鉄道に対する景色保障に関する事で七千五百万円国鉄幹部に渡したことがわかれば、大変な事になるのでアメリカ其の他中南米諸国に渡り、時の過ぎるのを待ちました。当時ロサンゼルスに滞在中ロサンゼルスのホテルに中嶋先生が尋ねて(ママ)こられ、ロサンゼルスの西武百貨店で用立てして貰ったとして一万ドル御届け頂き滞在費として使わせて頂きました〉
一九六二年三月、西武百貨店ロサンゼルス店は開店している。しかし二年後、同店はすぐに閉店してしまう。
康次郎としては、裏の買収工作人であった中地をしばらく海外に留め置きたかったのであろう。忠三郎が当時、中地の面倒を見るためにアメリカに渡ったことは息子の康雄が覚えている。
中地の大々的な買収工作はすでにその実行中から当局に目を付けられていたようだ。
〈又こんなことも有りました、用地買収さなか大阪国税局から呼び出しを受け、当時の局長塩崎じゅん氏(後の衆議院議員)より今新大阪、新横浜で数億円単位で用地を買って居られるが、とてもあなたの持ち金とは思えない何処から出た金ですか、又誰から受けた金ですか、全部あなたの名義で契約してあるが、何の金だと執拗に聞かれたが、大恩の有る方より受けた金で、なんらやましい金でもなければ、盗んだ金でもない。局長に答える必要はないと申して終わりました。後に昭和二十二年以来の友人の鈴木善幸総理の時塩崎先生に御会いした際あんたも仲々固い固い人ですなーとひやかされた事も有ります〉
「塩崎じゅん」とは塩崎潤である。旧大蔵省主税局長出身で、現自民党衆議院議員の塩崎恭久の父親である。
さらに、朝日新聞の記者が訪ねてきたともいう。
<数年前横浜プリンスホテル開業前、朝日新聞横浜支局の佐藤という記者が私宅に来られ横浜プリンスホテル開業に至る横浜土地物語を書くので、協力して欲しい、色々とうわさを聞いているので協力して欲しいと云われましたが、全部私がやった事で国鉄等にも西武にも何の関係もない、勿論裏金で買った事等触れて居ません。又、近江鉄道に対する景色保障支払いの事等一切触れずに終わりました。その後も、度々私宅に電話せられ逢って 呉れと云われたが、一切触れずに終わらせました。故に、朝日の記事でも西武さんに都合の悪いことは一切報道されていません〉
私がこの〝情報"に接したのは〇三年夏のことだった。
ホテルオークラの「ハイランダー」で中嶋忠三郎の息子、康男と話をしていたとき、
「親父はこんなこともしていたみたいだな」
と言いながら、赤判を押した書類を見せてくれた。それが、忠三郎の貸し金庫から見つかった「手紙」と「受領書」だった。
私はそれをその場でコピーさせてもらった。書かれていた住所を頼りに、神奈川、埼玉と中地新樹を訪ね歩き、千葉の団地へとたどり着いたのだ。
取材ははじめ、中地に対してこの「手紙」と「受領書」を入手していることを告げず、そこで触れられていることについて件名のみを挙げて話を聞いた。団地の一室で取材に応じた中地は概ね、この手紙に記された話を展開した。食い違っている点はなかった。残された記憶だけが、中地の今を支えている。中地もまた、西武の「鉄路開拓」の犠牲者ともいえた。
中地氏は、国鉄で佐藤栄作元首相の部下で、そこで堤氏とのパイプ役となったこと、国会でも取り上げられた中地氏の海外逃亡に西武百貨店の在米支店が一躍かっていたこと等が述べられている。また、私が以前からブログで取り上げている近江鉄道の景観補償にも関与しているという。
また、上記の朝日新聞の記事における中地氏のインタビュー記事は下記の通りである。
新横浜駅周辺 最大地主は西武グループ
カギ握るブローカー
当時の状況を語る
堤康次郎氏に私が持ち込む
買い占めに当たった大阪のブローカーはいま七十六歳。このほど三十年ぷりに初めてインタビューに応じた。一問一答は次の通り。
―新横浜の土地買収の真相は
「私が先代の西武鉄道会長、堤康次郎氏に話を持ち込んだ」
―だれから情報を得たのですか。
「だれからでもない。私は戦前、国鉄の前身の鉄道省大阪鉄道局にいて、新幹線の原型となった『弾丸列車計画』に携わった。新幹線のルートや駅は弾丸列車と同じと確信していた」
―なぜ西武に話をしたのですか。
「計画公表後では、地価はつり上がり、住民の反対も起きて国のためにならない。大資本に先行買収させようと思った。西武が六億円を用意し、約六万坪を買った。商売がたきに知れないよう、西武の名は表に出さなかった。関連社員の名で仮登記したのもそのためだ」
―西武との約束は。
「堤氏との間で将来、転売したら利益の三割をもらうことになっていた。国鉄に売った分はもらったが、堤氏が一九六四年に急死し、それ以降の報酬はなかった」
―一年近く海外に身を隠していたのは。
「(疑惑で)周囲が騒がしくなったから。ハワイやメキシコに行っていた」
1992年3月7日 朝日新聞夕刊
ところで、国会議事録や報道では「中地新吾」であるのに、七尾氏の著書では「新樹」となっているのは何故なのだろうか?
また、近江鉄道の景観補償の件については、1億5千万は踏切等の施設改良に伴う補償であり、いわゆる景観補償は1億円であること、西武側は景観補償という形での要求はしていないこと、要求額はもともと2億5千万をはるかに超えるものであったこと等から、この中地氏の証言は俄かに信じがたいところがある。
七尾和晃氏が「現在までそれを裏づける資料は見つかっていなかった。」と述べた資料のうち早大で公開された資料は私の手元にある。これをこの後に紹介していきたい。
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