新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その7)
新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その6)で、「景観補償」が世の中に明らかになった際の当事者の言い訳集をご覧いただいた。
その中で、堤康次郎氏による近江鉄道社員への訓示について触れられているが、その全文を紹介したい。
社報 8号 昭和38年3月19日 近江鉄道株式会社
訓示
社員諸君へ
近江鉄道の緊急問題に就て 会長 堤 康次郎
一、国鉄東海道新幹線は当社高宮―五箇荘間7.5粁の区間は当社線との距離零米即ち密着並行し、その他の大部分区間が近接並行して建設されるが、斯様の状況で巨大な国鉄新幹線が建設され運行が実施されゝば、その遥か下を通る近江鉄道の軌道線は、正常な運行は不可能となる。少なくとも旅客輸送機関としては意味をなさないものになる。
この侭手を拱いていれば歴史ある近江鉄道は、国鉄新幹線と名神高速自動車道との谷間に沈んで滅亡に至る事は間違いない。
一、斯くては近江鉄道従業員2、500人、家族合わせて壱万人は路頭に迷う他なく、滋賀県南半部地帯唯一の地方鉄道としての使命を没却する結果となる。
この事態は何としても回避すべき責任があるとして私(堤会長)は観光事業の積極的開発、名神高速道に乗る自動車事業の推進を指示すると共に、新幹線敷設に伴う極悪の影響を最小限度に喰止めるための方法に就て、国鉄当局と協議するよう指示した。
一、国鉄当局と協議する場合の基本方針が、新幹線の建設を認める前提に立つ事、即ち国の交通の発展として国鉄新幹線の建設には協力するとの前向きの姿勢である事は申すまで
もない。そこで当社は国鉄当局に対し、当社線を国鉄新幹線と同じ高さに上げるよう国鉄で施工かたを要請した。
斯うすれば新幹線の影響は一応最小限に喰止められる。これは新幹線に対処しつゝ当社線の旅客誘致をやろうとの積極策である。
一、当社は新幹線と同一の高さに上げて貰い度い、さすれば減益補償など何らの要求はしないとの公明な態度に出た。ところが国鉄側で計算した処、同じ高さに当社線の密着並行区間をあげるだけで5億以上かゝる、何とかもっと安くあげたい、何か別途の方法を考えようではないかという事で、国鉄側と種々折渉し協議を重ねた。その結果踏切増設、信号警報機の増設等の保安施設を中心に之に若干の営業補償を加えて2億5千万という最少限度のもので妥結せざるを得ないことになったものである。併し乍らこの程度の補償で新幹線の谷間を通る当社線を旅客輸送機関として満足なものに出来る筈はない。
全くこれは、国の交通幹線を強化しようとする国鉄には協力しなければならぬとの私の基本方針に基づく妥協である。
一、然るにこの国鉄交渉の真相を知らずして例の連中がまた事を構え、その結果国会論議の種とされ、答弁した国鉄側が不用意に景色が悪くなるから補償した分もあるなどと言うたので、新聞種にされた。
今回の景色補償云々の新聞記事はそれだけの事である。
一、従って今回の問題は不用意な国鉄側が景色補償などと目新しい言葉を使ったのでジャーナリズムが喰いついただけのことであるが、併し、何れにしても当社線の中心部が7.5粁もの間巨大な新幹線の底を通らねばならぬことは重大であるし、国鉄新幹線や名神高速道等に依り近江鉄道の事業範囲に交通の核心が進行しつつあるという新事態については根本的に方針を考えねばならぬ。交通革新の新事態にうまく乗れば当社は明るい将来が開けるし、一歩を誤れば明治29年の創立以来の危急事態となる。私は日夜この事を考えているし腹案も出来ている。ただ如何なる事態が惹起しようとも、縁あって近江鉄道に奉職する社員諸君の身分保障については、観光部門、自動車部門に完全に吸収して、聊かも不安のない様措置する考えは固くもっているから、この点はどうか安心してくれるよう、特記しておく。
一、たとえ今すぐ電車をどうするという事態に至らぬとしても、国鉄新幹線、名神高速道の実現は勿論、道路の改善と共に自社他社の自動車輸送が更に発展する事は自然の成いきであり、その結果旅客、貨物を問わず近江鉄道の電車線が圧迫を受ける事は、も早や動かせぬ時代の趨勢であるから、来るべき事態に備えて幹部職は勿論全社員諸君が真剣に考えて貰い度い。時勢におされる電車の運営は苦労の多いことであるが 赤字を喰止める事に最善を尽くさねばならないし、観光事業と自動車部門の強化と成績の向上には全力を挙げて努力して貰いたい。ただ前にも述べたように如何なる事態が来ても真面目に働く社員諸君の休戚には最善の措置をする考えであるから安んじて社業に精励して呉
れるよう、切に希う次第である。
昭和38年3月18日
「新幹線の谷間を通る」近江鉄道線の現在の様子は上記写真のとおりである。「巨大な国鉄新幹線が建設され運行が実施されゝば、その遥か下を通る近江鉄道の軌道線は、正常な運行は不可能」なのだろうか?
これだけ読むと、御尤もなことばかりである。ただし、以前、新幹線を妨害しようとした?伊豆箱根鉄道下土狩線(未成というか無免許工事線)その2 においても紹介したように、「国鉄に協力」といいながら、無免許状態で突然上土狩線の建設工事を開始し「国鉄からできる丈の保証額を取る」ようにと指示する御仁である。彼の脳内では全てが正当にリンクしているのかもしれないが、私のような凡人では到底理解し難いハチャメチャな状態である。
また、景観補償については「国会論議の種とされ、答弁した国鉄側が不用意に景色が悪くなるから補償した分もあるなどと言うたので、新聞種にされた。」と被害者面しているが、国鉄十河総裁への陳情書で「(1)新幹線を現計画に依り敷設せらるるに於ては、当社鉄道は全く展望を遮蔽する高い壁を以って遮断され、当社乗客は窓外の眺めも不可能となり、斯くては交通の快適性と観光価値を奪い去られる結果となり、これは旅客輸送機関として堪えうる処に非ざる点を再三再四訴えている」と述べているのは近江鉄道側であるし、旅客減収の補償を当初要求で1億5千万、国鉄資料によると最後は5億円の要求したのも近江鉄道側である。
近江鉄道側の「昭和36年10月31日附甲より乙宛の新幹線並行敷設に対して補償御願書中の観光旅客収入減その他の補償」の詳細な内容が分かるものが見つけられていないので、近江鉄道・堤康次郎側がここまでムキになって「景観補償」を否定することになったのかの流れがよく分からないのである。
新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その8)では、「景観補償は都市伝説」「景観補償はデマ」「景観補償は真実ではない」とwikipedia(修正済み)や一部ブログ等で書かれるようになったきっかけとなった、鉄道ピクトリアル誌の記事を検証してみる。
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