ほとんどの国道は、国が一部補助金をだしているだけなのか?~「ふしぎな国道(佐藤健太郎著)」の不思議(その2)
「ふしぎな国道」講談社現代新書2282(佐藤健太郎著)の、気になる点を整理してみる続きものの2回目である。
というわけで、1965(昭和40年)に一級・二級国道の区別は撤廃され、全てが「一般国道」の名で管理されることとなった。ただし、特に重要な区間のみを「指定区間」として国土交通省で直轄し、他の部分は「補助国道」として都道府県または政令指定都市が管理を受け持つよう、制度が変更されている。国道というのは国の道というくらいだから全部国で管理しているのかと思いきや、実はほとんどの部分は国が一部補助金を出しているだけというのが実情なのである。
「ふしぎな国道」佐藤健太郎著102頁
道路法の該当する条文を引用すると
(国道の維持、修繕その他の管理)
第13条 前条に規定するものを除くほか、国道の維持、修繕、公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法 (昭和26年法律第97号)の規定の適用を受ける災害復旧事業(以下「災害復旧」という。)その他の管理は、政令で指定する区間(以下「指定区間」という。)内については国土交通大臣が行い、その他の部分については都道府県がその路線の当該都道府県の区域内に存する部分について行う。(以下略)
更にいうと、戦前の道路法では
と全ての国道が「府県知事」の管理とするところであり、戦後も昭和33年の道路法改正で「指定区間」の制度ができるまでは
第14條 (前略)一級国道又は二級国道の維持、修繕、(中略)その他の管理は、都道府県知事がそれぞれその路線が当該都道府県の区域内に存する部分について行う。
と、全ての国道が都道府県知事の管理するところとされていた。
なお、費用負担については、http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/dorogyousei/2.pdfに
とされている。
これだけで見ると、「革洋同は佐藤健太郎氏の何にいちゃもんつけとんねん」ということになるが、ここからは道路法の字面だけでは理解できないところである。
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■戦前から戦後にかけての中央地方関係のおさらい等
戦前の大日本帝国憲法には「地方自治」の定めはなかった。
「府県制は、知事が府県を代表し、統括することを定めていた。しかし地方官官制にもとづき、知事は国の普通地方行政機関であり、天皇によって任命される国の役人であった。これは一般に地方団体と地方官官制の二元体系といわれているが、このようなシステムの結果、自治団体としての府県とは名ばかりであり、実際には府県は国の地方行政機関であった。(「FOR BEGINNERS 地方自治」 現代書館刊(新藤宗幸著)から引用)」
つまり、戦前は、全ての国道は知事が管理していたとはいっても、官選知事が国の機関として管理を行っていたのである。
「道路法解説」の第10条の項には「旧法(引用者注:旧道路法を指す)のもとでは国道は国の営造物とされたものの、その管理は国の機関としての都道府県知事が行い、費用はその公共団体が負担することとされ、例外的に国自らが新設、改築を行うことができることになっていた。」とある。
敗戦後、日本国憲法に地方自治が規定され、知事は公選制となったが、「戦前の行政執行を継承する方法として機関委任事務が大幅に導入された。」
「機関委任事務とは、都道府県知事、市町村長、都道府県と市町村の行政委員会を法令で国の機関と位置づけ、これらに国の事務の執行を委任した仕事の処理方法である。」
「基本的に国の仕事を国の機関に委任したものであるから、地方自治法上、地方議会の議決権も調査権も及ばないものとされてきた。」
「機関委任事務の執行にあたって、知事は主務大臣の(中略)指揮監督と職務命令に従わなければならないことになっている。」(同上)
そして、古い版の「道路法解説」の第13条の項には「国道の管理については、(中略)知事に機関委任する形態をとっていた」とある。
補助国道の管理は、国の機関としての都道府県知事が国の仕事として行ってきたのである。
(※手頃に引用するのに「FOR BEGINNERS 地方自治」 を使ってしまったが、関心のある方は「機関委任事務 国道」といったキーワードで検索して自分で調べていただきたい。)
数年前に「地方分権」がキーワードとなって政府の仕事を見直したことがあったのを覚えている方もいらっしゃるかもしれない。上記の「機関委任事務」は見直しがなされたのである。
その際、国道の管理についても地方から多くの要望がなされた。
(※「地方分権 国道」といったキーワードで検索されたい。)
http://www.soumu.go.jp/main_content/000032768.pdf
補助国道の管理は新たに「法定受託事務」と位置づけされ、結局のところ「国が本来果たすべき役割に係る事務」とされ、「指示」、「代執行」といった国の強い関与が地方自治法に定められている。
http://www.mlit.go.jp/road/ir/kihon/25/3.pdf
国土交通省のサイトでも指定区間外の国道(補助国道)は「法定受託事務」であり、都道府県道及び市町村道は「自治事務」であると切り分けられている。
なお、道路関係の地方分権一括法に係る改正事項等に関心がある方は下記PDFの「地方分権に伴う道路関係法律の改正について(道路法編)」を参照されたい。
http://www.hido.or.jp/14gyousei_backnumber/1999_data/seminar9909.pdf
このように佐藤健太郎氏が言うような「国が一部補助金を出しているだけ」ではなく、戦前からの日本の行政の歴史を踏まえた国の指揮監督・関与について定められてきたのである。
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佐藤健太郎氏も「国が一部補助金を出している」と 書いていれば、「まあそんなもんだね」となるが, 「国が一部補助金を出しているだけ」と書いてしまうと「デデーン♪佐藤健太郎アウト~、(バシッ)」となってしまうわけだ。
社会の授業で近現代史と政経(佐藤健太郎氏の頃はまだ「現代社会」かな?)をちゃんと勉強していないとアカンのですよ。
法律の読み方でいけば、前回の国道の廃止うんぬんでは、「法律に書いていないからやらないのではなく、書かなくても当然にできるから書いていないだけ」というところを説明したものだが、今回は「法律に書いていないけど、別の法律に書いてある場合もある」というところか。
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■なぜ北海道の国道は全て指定区間なのか
「ふしぎな国道」佐藤健太郎著102頁
佐藤健太郎氏は「ふしぎ」事項に挙げていないのだが、道路法では北海道も道内の補助国道を管理することができるはずなのに、全ての国道が指定区間=国=北海道開発庁が管理している。この経緯についてもネタを一つ紹介してみたい。
「民主化の進められる戦後の政治状況のなかで革新・左翼系の知事が多数登場するのではないかという、一種の政治的危機感が支配層にあった。(中略)内務省地方局は最後まで知事直接公選制に抵抗したといえる。(「FOR BEGINNERS 地方自治」 現代書館刊(新藤宗幸著)から引用)」
昭和22年の初めての知事選挙では、北海道、長野県、福岡県、徳島県で4人の革新知事が誕生し、このうち農民運動や炭労等が強い勢力を持った北海道では革新知事(田中敏文)が3選を果たしている。これが国道の管理にどうつながってくるのかというと。。。
こうした動きは道政の奪還に失敗した政府が、革新知事には国費事業はまかせられないという不信感と、北海道に直接国の支配をおよぼそうとする集権化を狙いとするものであった。せっかく、国費をつぎこんだ開発事業の成果が、革新知事の手柄にされては不本意だとする旧内務土木官僚と反田中の保守政治家の意趣返しだというのが定説となっている(鈴木英一『戦後道政史』北海タイムス社、昭和52年)。
道開発局独立の動きは、北海道に大きなショックを与えただけでなく、国会においても保守・革新の対決点になった。田中知事は上京して精力的に反対を説いてまわった。「北海道における二元行政を招く」「道民自治を有名無実にする」という理由をあげて反対運動に走り回ったが、吉田内閣は知事選が終わって二か月も経たない5月末、北海道開発法の一部改正案を国会に提出した。改正案は国会審議で荒れたが、与党の強引な質疑打ち切りによって6月4日に成立した。その結果、道庁の土木部・開拓部の大部分が国の開発部に移り、同じ庁内の一角に自治体としての北海道庁と国の機関として道開発局が同居することとなった。当時で約100億円の公共事業の主体となった道開発局の池田局長は土木知事と呼ばれ、田中民選知事とならんで北海道行政の二元化がはじまることとなる。政府に押し切られた田中知事は、男泣きに泣いたものだという。保守中央政府による露骨な革新首長いじめの、戦後自治史のなかの典型であった。
「戦後自治体改革史」日本評論社刊(鳴海正泰著)
この件は、裏取りをしたわけではないので、「これが真相だ」というつもりはなく、あくまでも「こういうことを書いている本があるよ」という御紹介として受け止めていただければ。「日評で鳴海正泰著なんで」ということで、分かる人は分かってちょ。
アメリカ占領下で瀬長亀次郎を那覇市長に選出するような沖縄県では、沖縄総合事務局とでは同様の問題はないのかといったことも調べかけたけれども、力尽きました。ご免なさい。
その3に続く。
※国道には全く関係ないが鳴海正泰氏のこれ↓はおもしろかった。
http://kjk.gpn.co.jp/work/publishing/newsletter/pdf/0141_0205.pdf
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