東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)
阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅 において、「新幹線の貨物輸送は世界銀行の融資を受けるためのダミー(フェイク)」説について、主に建設時の国会議事録等を中心に検証してきたが、この項では、東海道新幹線開業後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等を検証してみたい。
この提案を受けて国鉄はさっそく世銀との接触を開始する。(中略)また、当時の世界では、鉄道は「経済動脈」として旅客と貨物をあつかうことが常識だった(世銀の本部が置かれるアメリカでは当時、鉄道輸送のじつに95%が貨物であった)ため、東海道新幹線による貨物輸送のプランも示す必要に迫られた。
とはいえ、技師長である島の頭にははなから貨物新幹線構想などなかった。世銀への説明資料には貨物輸送の青写真も加えたものの、それはあくまでもポーズだった。このプランでは、新幹線における貨物輸送は、コンテナとピギーパック方式(トラックを直接貨車に積み込む方式)により、夜間輸送、東京~大阪を時速150キロ、5時間半程度で結ぶことが示されていた。
「新幹線と日本の半世紀」交通新聞社刊、近藤正高著 76~77頁
このように「世銀への説明資料には貨物輸送の青写真も加えたものの、それはあくまでもポーズだった」との趣旨で記す本は多い。また、当の島秀雄氏も下記のように語っている。
島はしみじみと回想する。
「私たちの新幹線に対する基本的な考え方は、東海道在来線の貨物を含む総輸送力を最も合理的に強化する方法として、新線を旅客中心にしてしまうということだった。つまり新線建設によって在来線には以前よりはるかに大きな貨物輸送力を確保することができるという、総合的な見地から決めたものであり、東海道輸送力増強の方策としてはわれわれの新幹線原案こそが最良最高のものであると考えていた。
ところがこの考えを国鉄内部でも理解することなく、新線にも貨物輸送をすべきだと単純に発言する者もあり、まして世界銀行に理解してもらうには時間がかかりすぎるおそれがあった。
したがって世界銀行に対しても一応本心は伏せて、新線でも貨物輸送をしないわけではないという態度でのぞむことにした。しかし、話し合っている最中にもつい本心が出てしまいそうで、はらはらしながらの交渉だった。日本語で日本人に話してさえなかなか理解してもらえないのに、外国人に外国諾で話すのではとても無理だろうな、と何度も思った。
ところが私たちの話を聞いたローゼンさんのほうが、『そういうことであれば、在来の東海道線は貨物輸送を中心とし、新線は旅客中心でやることにしたほうが新線建設の意味も大きいのではないか』といってくれたので、ホッとした。(以下略)
「超高速に挑む 新幹線に賭けた男たち」文芸春秋刊、碇義朗著 181~182頁
また、JR東海元会長の須田寛氏は、下記のように述べている。
須田 (中略)しかし大きな課題は、新幹線の建設資金は世界銀行から約1億ドル借りることでした。
- 世界銀行というのは国際復興開発銀行(IBRD)のことですね。
須田 IBRDは開発途上国や戦災復興の援助を目的に設立された機構です。したがって貨物をやらないような鉄道には援助はできない、貨物も旅客もやってはじめて日本の開発になるのだから、Developmentになるのだから、旅客だけでは協力しにくいと言われたので、貨物をやりますと言わざるを得なくなってしまったのです。それでいずれは貨物もやることになって、鳥飼貨物駅を新幹線基地の横に造ったりしましたが、新幹線開通のころになると、貨物をすぐやる気持ちはほとんどなくなっていましたね。今のように新幹線と在来線で使い分けて東海道の線増効果を出そうとしたのが経緯でしょうね。
- 結果論ですが、東海道新幹線で夜行貨物列車を運転していたら、貨物の輸送シェアも変わっていたのかと思ったりします。
須田 輸送シェアはともかく、新幹線で郵便と新聞の輸送をやることは強く要請されました。これは貨車ではなくて電車でいいからと。しかしいざ実施となると、新幹線で輸送時間の厳しい新聞輸送をやるとダイヤが構成できないだろうということになってお断りしましたが、民営化の頃までこの要請はありました。一時期「RAIL GOサービス」をやっていましたが、あれはそのような要望の一部に応えたのです。(以下略)
「須田寛の鉄道ばなし」JTBパブリッシング刊 68頁
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しかしながら、上記の「定説」と異なり、東海道新幹線開業後も貨物新幹線の実施について検討した証拠は残っている。
元日本国有鉄道総裁の仁杉巌氏は、東海道新幹線開業後の昭和43年に下記のように述べている。
貨物輸送
新幹線は、いま貨物輸送をおこなっていませんが、将来それをおこなう考えは十分にあり、そのために最初からいろいろ研究していましたし、貨物駅の用地もすでに買入れてあります。
はじめから貨物輸送をおこなわなかったのは、一つは、旅客輸送のための工事だけで資金がいっぱいだったことと、もう一つは、新幹線で大急ぎに荷物を運びたいという要望がまだそれほど高くなかったからです。
(中略)
そこで、いずれ新幹線による貨物輸送をもとめる声も高くなってくるだろうと思いますが、そのときは、おそらく新幹線が関西よりももっとさきへのびたときではないかと考えられます。つまり、現在建設中の山陽新幹線が下関までのびたときとか、博多までのびたときとかです。
(中略)
新幹線が日本を縦貫するようになったそのときこそ、新幹線は、直接、産業開発の一與もにない、日本の発展のために、もっともっと大活躍することになるのだろうと思います。
「世界一の新幹線」鹿島研究所出版会刊、仁杉巌・石川光男共著 157頁
この本は、子供向けに出版されたものなので、口調が子供向けに平易になっている。
なお、この本が出版されたのは、昭和43年であり、新幹線が世界銀行からの融資獲得のためのポーズなら、わざわざリップサービスをする必要もないにもかかわらず、ポーズ説を否定し、貨物新幹線の将来構想について述べているのである。
ちなみに、仁杉氏は、東海道新幹線建設にあたっては、名古屋幹線工事局長及び東京幹線工事局長を歴任しており、須田氏などよりも新幹線建設の実情を熟知していると思われる。
同様に「山陽新幹線博多延伸時には貨物営業したい」旨のことは、昭和41年に出版された「国鉄は変わる」至誠堂刊、一条幸夫(国鉄審議室長)・石川達二郎(国鉄経理局主計課長) 著においても述べられている。
このへんの面子が島氏のいう「この考えを国鉄内部でも理解することなく、新線にも貨物輸送をすべきだと単純に発言する者」なのだろうか?いずれにせよ、わざわざ島氏も言及するほど、国鉄社内における貨物新幹線に係るスタンスは一枚岩ではなかったということなのだろう。島氏の言い分だけ聞いて「貨物新幹線は世銀向けのポーズ」と断言してしまうのも一面的な取材にすぎないというわけだ。
なお、東京大学名誉教授の曽根悟氏は、
幻の貨物新幹線
「十河総裁と「島技師長」対「その他国鉄首脳」との戦いはかろうじて総裁・技師長組の勝ちになったのだが,実現までにはさまざまな困難があった。
まず,新幹線への最大の反対理由は,貨物輸送がネックになっているのに,貨車が直通できないことだった。これに対しては,今のコンテナ電車のような高速貨物列車を新幹線にも走らせることにした。こうして高速貨物電車の絵や図面は作られたのだが,どこまで本気でやる気だったのかは今となってはよく判らない。実際には,新幹線は開業直後から大人気で,旅客輸送だけで手一杯になり,開業後に貨物輸送の議論は全く立ち消えになった。
「新幹線50年の技術史」講談社ブルーバックス 曽根悟著 24頁
と述べており、「国鉄内部での新幹線実施に向けた路線対立の収束のために貨物新幹線が検討された」との見解を示している。実際のところ、世銀との交渉以前に新幹線の諸規格が貨物新幹線ありきで決定されていることとも整合が取れるものである。
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国鉄が発行した「新幹線十年史」には、山陽新幹線の建設にあたって下記の記述がある。
路線の有効長は、将来の貨物運行を考慮して500mとしている。
「新幹線十年史」313頁
世銀向けのポーズなら対応しなくてもよいと思われる山陽新幹線にも貨物用の規格が盛り込まれているというわけだ。ただ、この本には、貨物輸送についてはそれ以上のことは触れられていない。
いろいろと調べていると、「旬刊通運」という交通出版社が発行していた運送業界誌の17巻33号(昭和39年11月発行)に「どうなるか新幹線の貨物輸送問題」という記事が掲載されており、ここに、東海道新幹線開業後の国鉄内部での検討状況が非常に詳しく記載されているので、紹介したい。
-牛歩ながら検討は続行中-
旅客営業は順調にスタートしたが
スピード時代に対応した鉄道の花形として、去る十月一日華々しくスタートを切つた東海道新幹線も、ようやく一ケ月を経過した。開業当初はパンタグラフの故障をはじめ、信号、ドアなどいろいろな故障が続発して、一時は前途に暗い影を投げかける一コマもあつたが、最近はこれら開業当初特有の部分故障も殆んど影をひそめるに至り国鉄当局もようやく焦眉を開いたというのが実情で、あとは悪質な妨害を防ぐことか当面の課題になつているようである。そんなわけで国鉄公約の「一年以内に東京-大阪間三時間運転の実現」は、見通しが明るくなつたとみられている。
こうして東海道新幹緑は、未開の大地にようやく根を下した感があるが、これは旅客輸送の場合であつて、貨物輸送については未だに実施時期さえメドがついていない実情である。
当初の計画では、先づ旅客輸送から営業を開始して、追つかけ一年後に貨物輸送を開始するということであつたし、事実そのような段収りで貨物輸送に関する検討も同時に進められてきたものだが、既に旅客営業は開始された現在に至るも、貨物輸送は何時、どのような形で実施するか、今もつてそれらの基本的方針さえ決まつていないというのが実情である。
貨物輸送に対する消極論
これには、新幹線の工事半ばで完成所要資金に対し八百数十億の不足を生じ、国会の問題にまでなつて、国鉄総予算中から優先充当等特別の資金手当をもつてやつと穴埋めをしたという過去のイキサツやら、開業期限に制約された事情(聞業予定の十月はオリンピツクの開催を控えていたので、面子のうえからも開業延期は許されないと、国鉄当局は背水の陣で臨んでいた〉から、資金面は勿論のこと、あらゆる点で当面は旅客輸送の開業体制確立一本ヤリで臨まざるを得なかつたものと思われる。
つまり、これまでの状況から判断して貨物輸送の営業準備にまで手が廻わらなかつたのではないか、とする見方である。それに国鉄内部には、以前から新幹線で貨物輸送を行つてもあまり意義はないのではないか、とする消極論もある。これは、現在線から旅客の優等列車が新幹線へ移行すれば、現在線はそれだけユトリができるわけだから、その分を貨物輸送に充当するだけでも、輸送力はかなり増強できる、との観点に立つた考え方だが、その消極論というのは、東海道新幹線のような短い区間では、東京-大阪間に貨物の夜間運行をして早朝の三時、四時に着駅に着いても、即時引取りの受入体制を整えようがない実情なので、新幹線の一枚看板ともいうべきスピード化の効果が生かせないというのてある。
そこから、強いて新幹線に貨物輸送を行うまでのことはなく、更らに輪送力増強の必要があるなら、現在線から 準急程度の旅客便も新幹線へ移し、線路容量に一層余裕をつくつて貨物輪送に振り向けた方が一挙両得だ、との議論も出ているのである。
客貨分離の思想に通ずるもので、近年相次いで発生した重大事故を契機として、過密ダイヤの解消が大きくクローズアップするに至つた実情に微しても、その一環として客貨分離は必然の方向とも云えるわけで、考え方としては時宜を得たものと云える。
しかし、これには日本の国情からみてゼイタクだとする反論のあることも事実で、理想的な鉄道経営のあり方と しては確かにそうあるべきだし、鉄道輪送をサービス本位に考え、事故の絶減を期そうとするには、少くとも幹線 ぐらいは客貨分離を図らねばムリなことはわかつているが、伝統的に客貨混合の過密ダイヤを基調として成り立つている国鉄の現行体制はそう簡単に改められるものではなく、又資金面でも厖大な投資を要することでもあるので国の強力なバックアップなくしては不可能なことだ。というわけである。
それに、当初の計画では貨物列車は夜間だけ運転することになつている(但し、夜間一週に一回運転を休止して、保線作業の時間に充当する)が、開業後の実情はどうかというと、毎週一夜の予定の保線作業が毎夜行われているため、現状ではたとえ夜間であつても貨物列車を運転するユトリがなく、この面でも大きなカベに突当つている。勿論、線路の保守が軌道に栗れば毎夜保線作業を行う必要はなく、開業初期とあつて大事をとつた過渡的ソチには違いないのだが、何時常態になるか見通しがつかない現状だけに、問題点の一つになつていることは否めない。
当初の基本構想
しかし、だからと云つて貨物輸送の検討が全くなおざりにされているわけではない。囚みに三十七年当時まとめ られた一応の構想を掲げてみると次のとおりである。
(略)
白紙に戻して再検討に着手
三十七年当時まとめた東海道新幹線の貨物輸送に関する基本構想は、概ね以上のようなもので、このうち停車場(取扱駅)の設置個所とか車両形式、輸送方法等の所謂基本事項は殆んどコンクリートしているようなものゝ、輸送計画に関する事項、即ち列車計画(運転計画)などは、概ね従来の基礎資料から試算したものに過ぎないので、新らたなデーターがまとまればそれに伴つて逐次修正することになつていると云われていた。
そして、制度や施設等に関する具体的細目についても、新幹線総局(本年四月、新幹線支社に改組、貨物関係の担当者は営業局配車課へ配置換えをした)を中心に営業、運転等の関係各局担当者の間で逐次研究、協議することになつていた。
ところが、前述のようにその後新幹線の建設それ自体に資金不足等の不測の事態が生じたことから、この際新幹線で貨物輸送を行うべきか否かという基本的問題に戻して、いわば白紙の状態で問題を検討すべきだとの意見が出され、それを契機として企面的に再検討することになつた。このため新幹線の貨物輸送に関する検討は一時中断も同然の状熊になつていたが、全線試運転の成功から旅客営業の予定期日開業の目鼻がつくに至つて、貨物輸送についても四十一年度乃至四十二年度の開業を目途に、輸送計画の具体的検討を再開することになつたもので、新幹線支社営業準備委員会、本社営業局配車課、貨物課などの担当者が逐次打合わせを行つている。
コンテナ方式が有力
現在検討されている新幹線の貨物輸送方式は、(一)フラットカーを使用する方式と(二)その他大型貨車による力式の二案があり、(一)案の中にも(イ)コンテナ方式、(ロ)フレキシバンを乗せる方式、(ハ)ピギーパツク方式(トレーラーを乗せる方式とトラックそのものを乗せる方式がある)などがあるが、このうち予算駅設備等の点で最も問題が少なく、現行のものと共用がでぎるという経済性の面からも五トンコンテナ方式が有力視されており、概ねこの方式を重点に検討を推進することにしているようである。
コンテナ方式では電機牽引方式と電車貨車方式があるが.前者の場合は貨車一両当り六個積載、一列単二五両編成とし、後者なら五個積載の三〇両編成にすることが考えられている。
とはいうものゝ、これらのコンテナ方式でも全く問題がないわけではない。一例をあげると、電気機関車牽引方式にしろ電車貨車方式にしても、積卸線に架線があつては積卸作業に著しく支障を来たすので、これをどう解決するかという問題がある。この点についてば、(一)積卸線にぱ架緑を設げず、列車が構内に入つたら積卸場所までデイゼル機関車に牽引して入、出線する。(二)コンテナの貨車積卸には従来のようにフオークリフトを用いず、コンベヤ方式で積卸しができるようにする……等の考え方があるが、具体的にば未だ何らの結論も出ていない。
又、前述のように貨物輸送の予定時間帯となつている夜間は、毎夜線路の保守に当てられている現状では、貨物列車の運転のしようがないわけで、いずれは一週一夜程度の保守で間に合うようになるとしても、その時期は目下見当がつかないということだから、この点も大きな問題点に違いない。
そこで、これらの問題点も含め、東海道新幹線の貨物輸送計画はどうなつているかについて、担当の営業局配車課堀本補佐に聞いてみた。
昼間運転も考慮
問 東海道新幹線の貨物輸送計画については、巷間消極論をはじめいろいろな説が流布されているが、当局の方針はとうなのか。
答 一応、実施することを前提にいろいろな角度から検討は続けているが決定した事柄は一つもない。
問 実施時期のメドはどうか。
答 四十年度の予算にはボカして一部を組入れて要求してあるので、そのまゝ大蔵省の承認が得られば四十一年度から営業を開始することもできるわけだ。予算ソチが整つても、開業までに二年かゝるというのが常識になつている。
問 貨物関係の所要資金としてどの位を見込んているか。
答 当面考えているように、電車によるコンテナ方式で開業当初は一日往復四列車でも間に合うという見通しが ハッキリすれば、取敢えずは東京(品川)と大阪(鳥飼)の二駅を設置するだけで用が足りるわけだから、既略九 〇億円ほど投貸すれば開業できる筈だ。しかし、取扱予想数量がこの程度の輸送計画では間に合わないとすれば東京の場合、品川では相応の施設をする用地のユトリがないので、設置場所を大井臨埠頭当りにかえなければならなくなるわけだから、この埋立費用だけでも相当な額に達するばかりでなく、途中静岡と名古屋にも駅を設ける必要があるので、一日往復二六列車を運行する規模に見積つて、所要経費はざつと六〇〇億門ほどかゝる計算になつている。
問 予定通り十月一日から旅客営業を開始してからかれこれ一月になるが大事をとる意味からか、夜間は毎夜保線作業が行なわれているという。このまゝでは夜間運転を予定している貨物輸送は不可能になると思うが。
答 実はそれで弱つているわけだ。開業当初ではあり、安全運転のため過渡的ソチとしては止むを得ないことゝ 思うが、では、何時になつたら保守の手がゆるめられるかとなると、目下のところ皆同見当がつかない実情なのでこの点も一つの問題点になつているわけだ。消極論云々の話しがあつたが、資金などの問題もさることながら、幹部が貨物輸送に明確な基本方針を打出しかねているのも、こんなところにも理由があると思われる。
貨車の客車並み高速化を研究中
問 仮りに夜間の運行は先行きとも不可能になった場合には昼間運行に計画変更をせざるか得まいが、貨物の昼間運行を考慮されたことはないか。
答 勿論、そういう考え方もあるがそうするにはスピードの問題から解決する必要がある。と、いうのはこれまでの観念によれば電車貨車方式では時速一三〇キロが限度なので、このような低速の貨車を新幹線に昼間運転するとなれば高速の旅客列車と時間調整をするため、要所々々に待避所を設置する必要があるが、新幹線には用地の面でそのようなユトリはないので不可能の実情にある。
そこで、この解決策としては旅客列車並みに貨物列車のスピードアップを図る以外に方法はないわげだから、さき頃貨車を旅客列車並みにスピードアップすることができないものかどうか、技術陣に早急研究方を依頼したわけである。
問 旅客列車並みのスビードアップというと、時速二〇〇キロということか。
答 貨車の場合もこんな高速で運転している国は何処にもなく、全く未開の分野なので、技術的に果して可能性 があるかどうか、今後の研究に待たねばならないわけだ。しかし、これが完成すると、東海道新幹線では距離的に切角の高速も十分に生かし切れない憾もあるかも知れないが、将来山陽新幹線ができて東海道新幹線と直通運転するようになると、現在の「たから号」並みに夕方東京から発送するコンテナ貨物は、翌朝九州に到着してその日のタ方迄には荷受人に配達できるようになるから、驚異的な効果を発揮するものと思う。
問 最後に、新幹線の貨物輸送に関連して、通運体制をどうすべきかについて検討しているか。かつて、磯崎副総裁が常務理事当時(三十七年)、国会でこの点の質問を受けた際「新幹線の貨物輸送は、原則的にコンテナ輸送方式を採用するつもりなので、国鉄と通運会社の共同出資による新会社に任せることは考えられる」という意味の答弁をしたいきさつがあるが、こんなことがあつてから、業界内部には「国鉄はこの点についても内々研究しているのではないか」とみている向きも少なくないようだが。
答 新会社去々の問題は、当時磯崎副総裁が一つの考え方として述べたに過ぎないと思う。幹部はどう考えてい るか知らないが、われわれはその問題について検討したことは一度もない。しかし、新幹線でのコンテナ輸送と もなれば、その特殊性から云つても何らかの新方策を考えることは必要だろうから、いずればそう云つた間題とも 取組むようになるかも知れない。
「貨物新幹線ポーズ論」の根拠の一つとして「夜間は保守を行っているのだから貨物輸送を行う余地はもともとなかった」というものがあるようだが、この記事を読むと、「当初は夜間の保守は週一日で、その日は貨物新幹線は運休する予定であった。しかしながら開業後想定外に毎夜保守を行うこととなってしまい、それが貨物運行の妨げになっている」旨の記載となっている。「夜間は保守を行っているのだから貨物輸送を行う余地はもともとなかった」という論は後付にすぎないもののようだ。なにより、昼間に旅客電車並のスピードで走行できる貨物電車の開発を検討しているのだから!
(※ 新幹線の開業後の保守体制等は上述の曽根悟氏「新幹線50年の技術史」に詳しい。)
また、昭和39年11月時点でのこの記事では
「問 実施時期のメドはどうか。
答 四十年度の予算にはボカして一部を組入れて要求してあるので、そのまゝ大蔵省の承認が得られば四十一年度から営業を開始することもできるわけだ。予算ソチが整つても、開業までに二年かゝるというのが常識になつている。」
とのやりとりがなされているが、昭和40年3月の国会では、
との答弁をおこなっている。
国鉄幹線局調査役、新幹線総局調査役を歴任し、新幹線の企画から開業までを手掛けた角本良平氏は、中央公論新社のインタビューで下記のように答えている。
――本書にあるように、当初は新幹線も貨物輸送を想定していた?
開業当時は、高速道路がまったく発達していなかった。東京から名古屋、大阪まで、トラックを動かすことは考えられなかった。その後、全国に高速道路網が張り巡らされた。結果的に、新幹線は貨物輸送をせずに正解だった。無駄な競争に参入しなくてよかった。
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ところで、山陽新幹線博多延伸時に実施されるはずだった貨物新幹線はどうなったのか?
「国鉄線」昭和47年3月号(財団法人交通協力会発行)に「新幹線鉄道時代を迎えて - 21世紀の鉄道を目指して -」という国鉄局長級の座談会が掲載されている。ここで、泉幸夫貨物局長が、貨物新幹線の検討結果について下記のように述べている。
司会 さて、新幹線建設と関連して、貨物輸送をどうするかということも、国鉄としては非常に大きな問題だと思います。
泉 その前に、東海道新幹線を作りましたときに、将来は貨物もコンテナ輸送をやるという前提がありました。昭和34年に登場した5トンコンテナも、今縦積みにすれば、新幹線で使えるようにできているわけです。しかし、その後、100キロ貨車が開発され、東京~大阪間は、8時間で走るようになりましたから新幹線の貨物輸送は将来博多まで延びたときに、検討するという感じだったのです。
その博多開業時期も大体きまってきたわけですが、貨物局を中心に勉強しまして、100キロ程度を出せるコキ車を使うと、博多から東京までといっても、そう時間に大きな差があるわけでもないことと、新幹線で5トンコンテナを運んでみたところでフリークェンシーに富んだ輸送は必ずしも期待できないこと等から、現時点では新幹線による貨物輸送は原則として考えていないのです。
むしろ航空機が運んでいる-主として1トン以下の少量物品-あるいは現在旅客列車で輸送されている小荷物等を対象に、新幹線のもつ高速性が荷主さんに認められ、しかもフリークェントサービスが保てるならば、附随車を使って小型コンテナで迅速に積卸しのできる形態でやるぐらいのことが、新幹線での貨物輸送の範囲だと考えています。
いざ検討してみたら、在来線の貨物に対しての貨物新幹線のメリットはなかったということですかね。いずれにせよ、島氏のいう「この考えを国鉄内部でも理解することなく、新線にも貨物輸送をすべきだと単純に発言する者」は相応の勢力があったということでしょうな。
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以上、国鉄における東海道新幹線開業後の貨物新幹線に係る動きを整理してみた。近藤正高氏の述べるような単純なものではないことはお分かりいただけたかと思う。
この他に、運輸省(当時)側の動きもあったようだ。運輸省系のシンクタンクともいえる「財団法人運輸調査局」において昭和40年3月に「東海道新幹線における貨物輸送方式」という調査報告がなされている。貨物新幹線がポーズであれば、こんな時期に運輸省が検討を行う必要はないはずだ。
ちなみにその検討結果はというと
〔8〕結論
(略)
現状においては、新幹線に直ちに全面的にコンテナ輸送を実施するためにはコンテナ輸送を応用するのは疑問とする要素が多い。この場合、新幹線において貨物輸送を実施するためにはコンテナ方式と電車貨車方式で行うことが方法としては最もふさわしいといえるが,これに要する莫大な投資に見合う利用財源,運賃問題,経済効果に疑問が多いばかりではなく,現在線の輸送力逼迫緩和にどれ程役立つか,また保守間合いをいかに生み出すか,フォークリフトなどの荷扱機械を如何にするか,通運業との関連をいかにするか,輸送速度をいかに調節するか,列車編成の問題をいかに処理するか等幾多の懸案が残されるので本格的に貨物輸送を開始するのは時期尚早であるというほかない。
いずれにしても新幹線貨物輸送は一応採算を度外視して試行錯誤によつてやつてみることもよいが,これを本格的に実施することは余程慎重を期するというべきであろう。
調査資料第616号「東海道新幹線における貨物輸送方式 - 流通技術を中心として - 」財団法人運輸調査局 93頁
となかなか辛辣である。
同時期の昭和40年3月の国会における
との国鉄側答弁と大きく異なっている。
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ところで、東北・上越新幹線での貨物の取り扱いはどのようになっていたのか?
1.新幹線
【東北・上越新幹線】
1.17技術的諸課題解決に一歩前進
全国新幹線鉄道ネットワークには、技術的に幾多の諸問題がある。つまり、ⅰ)東海道新幹線との建設基準の相違(標準活荷重・最高速度)、ⅱ)ネットワークとしての直通・分割・併合問題、ⅲ)豪雪・寒冷地域の高速運行、ⅳ)全国的な営業施策としての夜行運転・貨物輸送、などがそれである。これらの技術的課題については、新幹線整備の進捗に先立つて解決してゆくことが必要であるが、ネットワークの総合技術の第1段階として、東北および上越新幹線などを対象として、次項以下の方針を打ち出している。
(中略)
1.23 検討すすむ営業対策(夜行運転など)
(中略)
一方、貨物輸送については、全国ネットを想定して、規格としては、東海道新幹線と同様N標準活荷重を採用することとなつているが、貨物輸送の要求する諸条件・新幹線的な高速度の必要性・航空貨物輸送との競合などの問題について検討した結果、数10年先の輸送構造の変化は予知し難いことなどから、線路設備としては対応できるものとしておくこととなった。
「交通技術」1972年10月増刊号、財団法人交通協力会発行 410・411頁から引用
つまり、貨物を運ぶ具体的な見込みは当面ないけれど、未来永劫絶対ないとは言い切れないのでとりあえず貨物輸送には使えるように作っておく ということか。
「世界銀行のためのダミー」であればここまでやる必要があるのだろうか??
4-2 車両限界と建築限界
車両限界
車両限界とは、車両の断面寸法を一定の大きさに納める範囲の限界のことです。通常、在来鉄道の車両は肩部は丸い形状ですが、新幹線の肩部は四角い特別な形状となっており、しかもすべて直線からなる極めて単純な形状をしています。
これは、新幹線の開発当初、旅客電車のほかに貨物輸送を考慮して、新幹線の車両限界が決定されたからです。後年、この大きな車両限界が生かされ、2階建て新幹線の誕生につながりました。
「図解入門よくわかる最新新幹線の基本と仕組み」秀和システム・刊、秋山芳弘・著 146頁から引用
2階建て新幹線は貨物新幹線規格故に出来たということのようだ。
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なお、元・信州大学教授で国鉄勤務時代に東海道新幹線建設工事に従事した長尚氏のウェブサイトによると、新幹線の建設基準にある活荷重(列車荷重)のうち、N標準活荷重(貨物列車荷重)は、2002年(平成14年)に改正されるまで、生きていた。つまり、それまでは貨物新幹線が走れるような構造で建設が続けられてきたのである。
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