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2015年2月11日 (水)

工学部の学者「石川栄耀は有名建築家を呼び込んだ!」商業実務者「都庁が呼んだ有名建築家の建物は使えねえ」

前回書いた「東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった」で

都市計画家 石川栄耀」鹿島出版会刊 中島直人、西成典久、初田香成、佐野浩祥、津々見崇:共著を読んでみると「有名建築家がこの設計に参加しているのも、盛り場の建築美を目指した石川の仲介によると考えられる。(238頁)」とあるが、それ以上の追及はない。まるで有名建築家さえ呼んで来れば、その背景に官民の不透明な関係があろうとなかろうと万々歳のような感想を持った。

と書いたのだが、その補足で。

 この辺をもうちょっと引用すると

 これらの建物の中には露店デパートと呼ばれ、鳴り物入りでオープンしたものも少なくない。例えば、銀座三十間堀埋立地には、銀座館(新銀座ショッピングセンター)(丹下健三設計)、銀一マート(後藤一雄設計、協働東京工業大学清家清研究室)、現三原橋地下街(土浦亀城設計)、上野百貨店(通称西郷会館、土浦設計)、新宿サービスセンターなどが挙げられ、当時の新聞や雑誌において報道がなされている。有名建築家がこの設計に参加しているのも、盛り場の建築美を目指した石川の仲介によると考えられる。

都市計画家 石川栄耀」鹿島出版会刊 中島直人、西成典久、初田香成、佐野浩祥、津々見崇:共著 238頁

 これに対して、商業専門家の見解で下記のようなものがある。

 その頃、私はまだ元気だった。そして全国を一宿一飯の旅をして回った外、東京では、戦後至る処の空地に乱雑に建てられた小店舗群や露天商を収容するために、銀座三十間堀その他の河川を埋立て、その上に、共同店舗を造り始めたので、その仕事も手伝った。私は都の委嘱を受けて、これらの指導にも当った。この計画では従来の店舗を捨てて共同店舗に収容される零細業者を集めて何回も講演し、何度も企画会議に出たりした。が、東京都が設計して建てる建物がいずれもその目的に添うようなものではなく、出来る前から失敗するように決まっているようなものばかりであった。特にその著しいものは銀座裏の三十間堀に出来る共同店舗であった。私はその設計が不適当であることを文書で述べたが、東京都の役人達はそれが建築の大家丹下健三氏の設計であるとの理由で、商店経営の専門家である私の意見を容れないので、丹下先生との対決を要求したりしたが、結局、私が手を引くこととなった。

「日本商人史考」商業界刊 倉本長治著 305頁

 このように、分野が違うと対称的な評価となっており、「一面的な物の見方はよくないなあ」と思った次第。

 

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 建築屋って、その建物の本来の使用目的よりも有名建築家を使うことが自己目的化することがあるよねえ。

 先般の国立競技場のザハをめぐる論争で、内藤廣氏の【建築家諸氏へ】を読んだのだが、PDF5頁にわたってイロイロと書いているなかで、「選手のため」「観客のため」という観点が一切出てこないうえに「ザハの代表作がソウルではなく東京であるべき」という本来のミッションではない方にいっちゃってることに大いなる違和感を覚えたものだ。

 

 ちなみに、この内藤氏の東京高速道路評はというと

今で言う民活やPFIの先駆けだ。建設費と運営費をテナントの賃貸料で回収するという画期的なアイデアだった。その筋金入りの勇気と熱意は、経済的な収支が合いさえすれば何でもありのいまどきの安易な都市再生とは違う。

「CE建設業界」2003年12月号

 「償却が終われば都に引き渡すという契約の執行を拒み最高裁まで都と争う」ような事業を「民活やPFIの先駆け」と評価していいのか?

 ちなみに内藤氏の上記文中の「何故このような他に例のない面白い道路が出来たのか。」という問いに対しての一つの答えとしては、「本当は首都高速も路下の建物を積極的にやりたかったが、東京高速道路がデタラメやりすぎたことと、国鉄も高架下でデタラメやりすぎた(新橋の京浜百貨店等)こと等を受けて、世間や国会の高架下に対する厳しい視線の下で、建設省が高架下の利用を厳しく制限したから他ではできなくなった」と考えている。「東京高速道路がエライから、他の道路にはないことが出来ているのではなく、東京高速道路がやりすぎたので、他の道路はできなくなった」のであろう。

 東京高速道路こそが「コンプライアンスも何もない利権まみれの『何でもあり』」の状況だった。

 この工事が「水面占用」で認可され、暫次「埋立」に変貌した事実-当時の認可を与えた都建設局長石川栄耀氏が、現在、高速度道路会社の顧問になっている事実は、あたかも「鉄道会館」の人事ケースと同じような表情を呈していることも、ことさら地元民の神経を刺戟しているようである。

疑惑をもたれる〝高速度道路″という貸しビル」寺下辰夫(「経済往来」1954年12月号141頁)

 石川栄耀は、不適切な便宜を民間企業に与えて、自らそこに天下った官僚で世間の不評をかっていたというわけですな。これが「筋金入りの勇気と熱意」「PFIの先駆け」とは寂しいものだ。。。

 なお、「都市計画家 石川栄耀」の「石川栄耀 年譜」には、「東京高速道路株式会社顧問就任」とか「渋谷地下街株式会社 取締役就任」といった経歴は出てこない。何か理由があって載せられないのだろうか??それともとるに足らない事項と判断されたのだろうか?

 石川栄耀と東京高速道路には、また別の「疑惑」があるのだ。

○中井(徳)委員 (中略)これは賛否両論ですが、東京で今高速道路というのをやっていましょう。あの堀を埋めまして、数寄屋橋がなくなってしまった、それを四、五年前に、自民党、社会党両党の委員がこぞって――村瀬さんもいらっしゃいますが、当時の建設委員が大いに反対したのです。ああいうものは風致を害するということでもって、やりました。そのときにだれが判を押したか調べてみた。そうしたら、安井君が二期か三期目の選挙の途中に、もう死にました石川栄耀さんという人が判を押しています。安井さんは留守です。あの人は、局長さんか何かでおられた。そういうことがあるのですよ。ですから、これはたまたま一つの事実にすぎませんが、私は十分起り得ると思うのです。皆さんのお考えの方が人がよ過ぎるように思いますので、一つ強くこの点を要望いたしておきます。御研究をいただいて、必要があるならば、この選挙期間中は代理者の行政に対する幅に規制をされた方がいいのではなかろうか、こう思います。これは強く要望いたしておきます。

昭和34年03月12日 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会

 要するに、この東京高速道路に関する都庁内の決裁については、世間の反対の中、本来は都知事が行うべきものを選挙期間中だったので石川栄耀が決裁したと。これは規制すべき事項ではないかと。

 

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 ところで、「都市計画家 石川栄耀」鹿島出版会刊 中島直人、西成典久、初田香成、佐野浩祥、津々見崇:共著の238頁に話を戻すが、「有名建築家がこの設計に参加しているのも、盛り場の建築美を目指した石川の仲介によると考えられる」物件の中に「現三原橋地下街(土浦亀城設計)」があげられている。

 ここでは無批判に、さも良いことをしたように書いてある。しかし、それでいいのか?

  三十間堀を埋め立てるにあたり、闇マーケット化等を懸念した地元の反対をおさえるために「三十間堀埋立運営委員会」を設け、利用計画として「建築物は公共的、国家的、文化的用途に供するものを主とし、工場、倉庫、ブラックマーケット等は認めない」としたうえで、入札参加資格には「禁止営業-工場、倉庫、ヤミ市的売買、将来土地発展上不適当な営業」と定め、健全な「第二銀座」として運営することを目指していた。「東京都を食いものにする男たち 三十間堀埋立に踊るボス群」大住山人著(「真相」1949年5月号)では「目的は貿易物産館、事務所またはアパートの文化的な商店街をつくり、映画館、キャバレー、ダンスホールなどの娯楽期間や工場、倉庫およびマーケットは許さない」とある。

 ところが。。

○中井委員長 御異議なしと認め、さように決定をいたします。

 参考人の諸君から陳述を、承るに先だちまして、参考人諸君に申し上げて御参考に供したいと思うのでありますが、諸君にここに御出席を願うことになりましたゆえんは、本年十月十九日付をもちまして東京都中央区議会議長宮入正則君から請願書の名をもつて本委員会に陳情書が提出されたのであります。この陳情書の要旨によりますると、高速自動車道路建設に伴い紺屋橋と難波橋との間の公有水面埋立てと、中央区銀座四丁目地先三原橋道路上の建物について疑義があるから貴職において調査を願いたい、こういうのが一つ。もう一つは、三原橋の両側の道路占用による建物について都が許可せられたる趣旨とは全然異なりたる使用方法において現在使用されておる、そこに不正があるように思われる、この許可については都と区との間に行き違いがあり、地方自治法上はなはだ遺憾であるという趣旨のものであります。

 (中略)

 それから三原橋の問題につきましては、「昭和三十三年、三十間堀埋立てに始り、代表的な市街を建設するため特に安井都知事を会長に都議会議員各派代表、関係都理事者、地元都議会議員、中央区議会代表者、区理事者、地元住民代表者二十九名をもつて三十間堀埋立運営委員会を組織し、衆知を集めて慎重に同地利用開発と健全発展方策を決定した。」三原橋下は「三原橋下は三十間堀埋立地の中心部であつて、観光都市東京にふさわしい施設たるべきものとし橋上周囲は緑地並にロータリーとすることに決定した。しかるに現在橋下はニユース館が一部を占めるのみで、他の大部分は不健全娯楽で営利を目的とする経営に充てられている。」結局これについては、そういう敷地を特に許されたものは、新東京観光株式会社であるのに、それはその目的のために使わずして、他の者に転貸しをし、ここに何らかの不正が行われているのではないか、かようなことを都がなさるについては、その都を形成するところの特別区に対しその意見を無視してやられる等のことについては、この際自治法を改正して区の意見が都の行政の上に徹底するようはかられることが必要であると思う、その点につき地方行政委員会の格別なる考慮を望む、こういうようなことがこの趣旨なのであります。

昭和29年11月10日 衆議院 地方行政委員会

三十間堀埋立地売却地図

 東京都公文書館保管の関係図面でも三原橋付近は、売却の対象外であったことが分かる。そこになぜ石川栄耀は「盛り場の建築美を仲介」したのか?

三十間堀川埋立竣工認可1
三十間堀川埋立竣工認可2

 「東京不動産史話(3)三十間堀川埋立始末(上)上坂倉次著 「不動産鑑定」1976年3月号」によると、上記三十間堀川埋立竣工認可の「緑地395.78坪」は「三原橋両側4カ所」のことだという。

三原橋商店街は不法建築 都幹部も運営参加

使用目的 ”観光案内所”が化ける

 土一升、金一升といわれる東京だけに道路にまで家がはみ出す不法建築が少なくない。都建設局ではこうした無法な道路侵略者が千数百件にものぼっているので告発や強制執行などの強権を発動して一掃につとめているが、皮肉なことに中央区銀座三原橋の都有地が問題を起こしている。三十間堀の埋立がすんだあとこの三原橋の両側と橋下は道路と指定されたにもかかわらず、安井都知事自身が会長をしている東京観光協会が観光事業のためといって借り受けたうえ、使用料をとて第三者に譲り、いまは商店街に早変わりするという現状である。しかもこの三原橋の運営には都庁幹部も監督上参画しており、都庁自ら道路を不法占用しているという事実がある。

 三原橋は三十間堀の埋立工事が行われたとき橋下もふくめて道路ということになった。ところが26年8月28日、東京観光協会の安井協会長名義で橋下を観光案内所と商品陳列所にしたいと都へ使用方が申請され、そのまま許可された。ついで27年9月30日、橋下では観光案内に不適当であるというので橋上の料は輪に2階建のビルを建てたいと同じく安井協会長の名前で申請され、同10月30日観光案内所、常設物産即売所として許可された。 ところがこれらの土地(総坪数359坪)は許可のあと年間約75万円の使用料で新東京観光株式会社(社長宮地知覚氏)に譲渡されてしまったのである。同社では橋下(253坪)は坪6万円の権利金(半額敷金)で店舗を作り業者に貸付け、橋上両側のビル(106坪)は坪60万円から75万円という八重洲口名店街以上の高い権利金で業者に転貸された。このため橋上ビルの1階に会社事務所兼用の直営案内所があるだけで物産即売所のなければ商品陳列所もなく、あるものは飲食店、パチンコ屋をはじめ20数軒の店舗ばかりとなった。

 ところが都の建築法規をみると道路や公有地に家を建てることは原則として禁止されているが、たとえ許可された場合でもその権利を他人に譲渡したり、使用目的を変更するときは道路管理者(都当局)の許可を受けることになっている。これに違反すれば即座に占用権は取消されることになっているが、観光協会の場合、橋下の商品陳列所と観光案内所の一部を映画劇場、娯楽場に使用目的を変更したいと申請しているに過ぎない。橋上の場合は申請もなければ、橋下の場合でも一部の変更を届け出て商店街に化けている。さらに不可解なのはこの三原橋の問題について第1回の申請のあった26年8月に都庁の富田都民室長はじめ直接監督取締りにあたる坪田道路部長、福田管財部長らをふくめて観光協会理事、観光会社側幹部三者の間に三原橋運営委員会が組織されているにかかわらず、こういうズサンな運営がなされている。しかも土地の権利金を寄付金として新観光会社から都に収めることになっていたが橋下の632万5千円は納付済だが橋上の約9百万円は未納といわれ、ナゾを秘めたままとなっている。

安井知事談『あの問題は私の知らない間に申請、建設されたもので、知事の怠慢といわれればそれまでだが、全く都民に対し申訳ないと思っている。現在都民の納得ゆくような改善工作をすすめ、徹底的に整備するつもりでいるが、なかなか思うようにゆかず困っている』

宮路新東京観光株式会社社長談『私は二代目社長だが都との使用契約についてよく知らない』

読売新聞 1954(昭和29)年10月30日

 ざっくりいうと、石川栄耀は、自らが運営委員となっている「三十間堀埋立運営委員会」の決定に反して、三原橋周辺に、本来設置されてはならないはずの映画館、ゲームセンター、パチンコ屋等の設置に加担していた。さらにそれは都の条例に反する「又貸し」という形をとっていた。また、知事が「あの問題は私の知らない間に申請、建設されたもの」と言っているにもかかわらず、実際には都の幹部が関与していた。ということか。

 本来、三原橋は「盛り場の建築美」を持ち込んではいけない場所であり、石川栄耀は健全運営を条件に埋立を了解した地元に対して背信行為を行ったというべきではないか。

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 ところで、 「東京都を食いものにする男たち 三十間堀埋立に踊るボス群」大住山人著(「真相」1949年5月号) に興味深い記述がある。

(略:戦災のガラを河川に埋め立てることとした経緯を記述)このプランを立てたのは当時の都建設局長大森健治(その後公職追放)で、知事安井誠一郎が都議会方面を打診したところ『これはウマイ利権になる』とホクソえむ都会議員もあつて、たちまちOK。

 戦災ガラを河川に埋め立てる件については、安井知事から依頼を受けた石川栄耀が考案したこととされているが、そうではないということか?公職追放された者が考案したのだと通りが悪いので後に石川栄耀が考案したこととしたのか?なかなかおもしろい。

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