清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(1)
2015(平成27)年4月5日付けで、乗りものニュース「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」清水草一(首都高研究家)著
http://trafficnews.jp/post/39257/
http://megalodon.jp/2015-0517-1117-15/trafficnews.jp/post/39257/2/
というレポートがネット上に発表されたので、私なりに調べた事、考えた事を述べて行きたい。
東名に相手を取られた第三京浜
そもそも第三京浜は、なぜある意味中途半端な玉川ICが終点なのでしょう。
建設当時の記録から読み取れることは、当初から玉川ICは暫定的な終点で、「そのへんにしておけば、あとあと都合がよかろう」という意図だった、ということです。具体的には、「いずれ首都高3号渋谷線との接続に好適」ということでした。
清水草一氏「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」から引用
ところで清水草一氏は以前はこう言っていた。
続いて、玉川ICがなぜあんなところにあるのか、という質問ですが、もともと第三京浜は、東急グループが渋谷-江の島間に「東急ターンパイク」という名前で高速道路を建設しようとしたのが始まりです。
時は昭和29年。東急グループは、宅地・観光開発のために、非常に積極的に動いていました。箱根ターンパイクも、東急グループが観光のために建設した有料道路です。
東急ターンパイク構想は、その後建設省に横取りされてしまい、それが第三京浜となりました(仕方なく東急は田園都市線を造りました)
起点が玉川なのは、「暫定的に」という意味合いが強かったのだと私は推定しています。
実際、首都高2号線は、昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした。その後沿道の宅地化が非常に進み、まったく不可能となって、現状のまま取り残されたような形です。
ただ、首都高2号線は、当初は第2京浜(国道1号線)上に延長する構想もあったようで、そのあたりははっきりしません。
さらなる歴史の掘り起こしが必要だなぁ、と思ってます。
オートックワン 教えてMJブロンディ 「第三京浜ってどうして安いの?玉川ICはなぜ中途半端なところにあるの?」
この間に「歴史の掘り起し」が進まれたようだ。
ちなみに、この両記事の間に、「第三京浜は首都高3号線と結ぶ計画があった」ということを言いだしたのは、私の知る限りでは、私のブログくらいしか無いと思う。清水草一氏が「読み取」ったという「建設当時の記録」とは何なのか?「私も是非読みたいので件名だけでもご開示いただけないかなー」と思う次第である。
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■当初は、第三京浜は自力で渋谷方面へ向かうはずだった。
昭和33年10月31日衆議院 - 建設委員会
○石塚説明員(首都圏整備委員会事務局計画第二部長) 東急が考えております、三軒茶屋から多摩川を通りまして江ノ島方面に参ります東急ターンパイクと称する有料道路がございます。これは、運輸省並びに建設省に申請は出ておるようでございますが、実はまだ認可にはなっておりません。この問題につきまして、首都圏道路網計画でどう考えていくべきかという問題がありしました。しかし、一方におきまして実はこれが国道網の整備計画と若干調整を要するという問題がございまして、私どもの方といたしましては、その調整さえつければ別に異存はないという考え方をとっておったわけでございます。これは、多々ますます弁ずという意味から異存がない。しかし、やはり交通道路網の一環として考えますと、できるだけこれは有効に、また効率的に考えて参らなければならぬと考えております。そこで、実は現在第三京浜と申します路線がございます。これは、横浜から三軒茶屋に抜ける路線でございますが、この第三京浜の整備という問題を私どもも幹線道路網計画で実はうたっておるわけでございます。ところが、戸塚線の道路公団で現在やっております有料道路、これが大体来年一応完成するわけでございまして、これを都内にさらにどう延ばすかという問題を現在道路公団でも検討中でございまして、第三京浜の交通量の調査を現在やっておるわけでございます。
ここには、第三京浜について「横浜から三軒茶屋に抜ける路線」「都内にさらにどう延ばすかという問題を現在道路公団でも検討中」と述べられている。
1960(昭和35)年8月18日付読売新聞には「公団としては、将来玉川野毛町から渋谷までも同様の自動車専用道路を作って結ぶ考え」とある。
「第三京浜道路調査報告書」3頁には
とある。
全体路線構想(渋谷~三軒茶屋~玉川~横浜)のうち「差し当り」玉川以西を事業化したということか。
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■東名高速は渋谷区起点だった時期がある。
下記に示すように、東海道幹線自動車国道として最初に路線が指定された際には、起点は東京都渋谷区とされている。
※余談だが、東名高速道路に路線番号12と13が割り当てられていることが分かる。現在では高速自動車国道に路線番号はない。
※中央道も杉並区起点ではなく、新宿区起点だ。
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/DGDetail_0000001953
そういう意味では、首都高3号線が第三京浜道路と接続していても東名高速道路は自力で都内(環状6号あたり?)まで入ることができるのだから特段の支障はなかったことになる。
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■環状6号線と環状8号線の間は、首都高速道路公団がやるのか日本道路公団がやるのかは明確ではなかった。
1958(昭和33)年の首都高速道路の当初基本計画では羽田線以外は、環状6号線内の路線網であった。
「伸びゆく首都高速道路」首都高速道路公団刊 21頁から引用
そこから延伸していくにあたって、東京都・首都高速道路公団と建設省・日本道路公団の間でいろいろ綱引きがあったようだ。
東名が決まってからだな。首都高速道路を延ばすか、東名をもっと中にもってくるという論争を建設省の尾之内由紀夫と僕の間で何回か往復したですね。その時ああいう道路を都心まで持ってこられちゃ迷惑だな。都市計画のことを考えないで持ってこられるから。それで都市内はこちらで引き受けると。
外郭環状線の計画をつくっているから、それから中はこちらが引き受けるということにした。だから、外郭環状線を造ることを条件として、都市内高速と都市間高速を接続すると言う約束をしたんだが、約束を守ってくれないんだから困るんだな。都心まで持ってくる分を曲げれば、同じ金でできちゃうんだ。各都市間高速をね。
「東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」 91頁から引用
このように、建設省と東京都の間で調整がされ、外環まで及び外環は日本道路公団が、外環の内側は首都高速道路公団がそれぞれ分担することに決まったようだ。
なお、前述の東名高速道路の起点が渋谷区から現在の世田谷区に変更されたのは、1966(昭和41)年7月30日の政令改正(建設省組織令の一部を改正する等の政令)による。
(余談だが、1961(昭和36)年3月23日付けの朝日新聞では、「東北自動車道へ第一歩 第1回調査まとまる」と題して東北道の路線計画を紹介しているが、その起点は「北区田端新町の都道環状5号線とする」としており、こちらは、東名高速、中央道の当初起点であった環状6号線よりも更に都心側に入り込んでいる。)
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水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(1)
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