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2015年5月 4日 (月)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

とそれぞれ「道路セミナー」及び「橋梁」に書かれた新交通システムの記事を紹介してきた。

 本稿では、日本モノレール協会の会誌「モノレール」1979年6月号掲載の「筑波研究学園都市の交通計画 」黒川洸(当時:筑波大学助教授)著からご案内したい。

3 筑波研究学園都市の交通計画

3-1 基本計画

 図4に示した都市計画道路主要8路線を中心とした交通計画は,昭和40年に日本住宅公団が日本都市計画学会に委託した「研究・学園都市開発基本計画」をベースにしたものである。しかし,井上孝(横浜国立大学教授)が述べているように,都市計画的に見ると基本的に南北18km,東西2kmの区域に,研究機関,住宅,都市施設が散在している現在の筑波研究学園都市の計画は必ずしも適当なものではない。交通計画的に見ても,区域内動線が何億に走り,その中央より,区域外の土浦へ向けての内外交通動線がT形に走るパターンは,その処理が非常に難しいパターンである。したがって,もし計画区域が細長くなるとしても,内外動線と同方向の場合(例えば,筑波学園都市の場合,東西に細長くした場合)の方が処理がまだ効率的に出来るはずである。このため,上記の日本都市計画学会の調査時点では,現在のような新交通システムのような公共交通機関は考えられておらず,むしろ東京との連絡用に通勤新幹線的鉄道が考えられており,位置的には,土浦学園線の北側の都市計画道路中央通りに駅を設置し,南北の区域内動線との連絡を図っていた。しかし,その後の経過により,この鉄道は実施計画に入らず,現在のパターンとなっているわけである。また鉄道駅用地分は,中央通り沿いに現在も公団用地として確保されている。

 このような状態であったため,基本計画では,区域内の交通は,主に自動車とバスで対処することとなっていた。しかし,この考え方がすべての施設計画に反映されているとは言い難い。

 

「モノレール」1979年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」46~47頁から引用

「通勤新幹線」キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!

通勤新幹線

「交通技術」1968年1月号「東京周辺の改良工事施工上の諸問題」菅原操著35頁から引用

 そもそも、「通勤新幹線」とはなんぞやということになるのだが

 第二の柱である東京周辺の都市交通対策の構想では、東京を中心に放射状の通勤新幹線5本(このうち1本は東北新幹線の宇都宮付近までの線で兼用)を建設する。最高時速は160キロ、駅間距離は30キロ以上、車両は現在の新幹線より1両あたり50人多い6人掛け25列、150人乗りで、原則として全員が座れるようにする。1線1時間あたりの輸送量は3万6000人で、100キロ以内の首都圏に住む人は50分足らずで都心に出られることになる。

 路線は、東京から千葉県の新東京国際空港付近(50キロ)に至るもの、東京から茨城県の中央部(100キロ)、東京から群馬県の南部(100キロ)、東京から神奈川県の湘南地区(70キロ)に至るものと、前記東北新幹線兼用の5つ。

 

「R」1966年11月号「10年後の国鉄 -鉄道網整備の基本構想-」21頁から引用

 ということはアレですかね

・筑波学研都市への公共交通機関は、まずは「通勤新幹線」を想定していた。

・通勤新幹線がぽしゃったので「新交通システム」で常磐線と結ぼうとした。

・新交通システムもぽしゃったので「常磐新線(つくばエクスプレス:TX)」で都心と直結した。(駅は通勤新幹線用にとっておいた用地を活用した。)

てなことになるのでしょうか?思いがけないものが釣れてしまったようだ。

 黒川洸先生の報文に戻ろう。

 

3-2 学園都市の新交通システム導入計画

 3-1で述べたように,基本計画時点では新交通システムのような公共輸送機関は考慮されていなかった」。しかし,その後,昭和45年の大阪万国博覧会等を契機として,わが国では新交通システムの開発が脚光を浴び,その都市への導入問題が本格化してきた。さらに「モノレール等の整備に関する法律」やインフラ補助方式等により導入の促進がされてきた。また筑波研究学園都市も独自の交通問題として,バスのみによる公共交通機関のサービスが問題となってきた。特に,学園都市へのバス交通の土浦市内,土浦駅前広場での処理問題,バス経営上の問題,国際的な計画的研究学園都市としての交通サービス水準確保の問題となり,新交通システムの導入が昭和49年頃より当該都市でも本格的に検討されてきた。代表的な調査報告書としては,以下の調査が挙げられる。

①「研究学園都市光津施設整備計画に関する研究調査」運輸経済研究センター,昭和49年

②「茨城県南広域都市交通システム調査報告書」日本都市計画学会,昭和52年3月

③「筑波研究学園都市新交通システムの需要予測等調査報告書」茨城県,昭和52年

以上の調査のうち,後者2つを対比させながら筑波研究学園都市の新交通システムの計画について以下述べて行く。(後略)

(イ) 人口想定(略)

(ロ) 交通需要想定(略)

(ハ) 新交通システムのルート

 ②の調査では,将来構想として図10のようなネットワークを提案しており,段階建設比較案として,図11に示すようなI型とT型ルートを提案している。また③の調査では図12に示すような,②の調査のT型ルートと同じルートを検討対象としている。①のT型ルートの全線は路線長が24.0kmであり,段階施工は15.0kmである。また③の調査では路線長が15.0kmで,②の段階施工とほぼ同じである。このため両者をベースに以下の比較検討を進める。

 

「モノレール」1979年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」47~53頁から引用

 

 今まで紹介したものには出てこなかった荒川沖駅への詳細なルートが出て来た。

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (2)

段階建設のT型は土浦駅と結ぶもの、I型は荒川沖駅と結ぶもののようだ。

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (5)

 

 で、ご案内のように、実際にはこの構想は実現しなかったわけだが、科学万博にあわせて「土浦ニューウェイ」が建設されている。その辺を比較してみる。

新交通システム筑波研究学園線 土浦ニューウェイ (4)

 土浦駅の東口へ入るルートは図10と同じような感じ

 

図10の「川口町」あたり

 

図10の「保健所前」あたり

 

図10の「虫掛」あたり。上記3個所と異なり、現在のバス停とは若干位置が異なるようだ。

 現在の土浦ニューウェイは、おおむね新交通システムの計画と同じものと言えそうだ。しかし後述のようにこの区間は、新交通システムとしては事業化されていない(=予算がついていない)ため、「新交通システムの施設を転用した」というのは言い過ぎである。せいぜい「新交通システムの計画を参考に(or空けてあった導入空間を活用して)新たに高架道路を作った」というところであろう。

 なお、黒川先生の報文中「大阪万国博覧会等を契機として,わが国では新交通システムの開発が脚光を浴び,その都市への導入問題が本格化してきた。」とあるが、私が先日このブログで紹介した東京都のモノレール構想も、万博のモノレールを参考にしており、いろいろな事業のトリガーとなっているのだなあと感じた。

(二) 経営収支

(前略)以上の結果により,両調査とも,筑波学園都市の新交通システムは,経営上若干の問題はないとも言えないが,その必要性については認め,導入に向けての新たな展開を計ることを述べている。

 これらの調査結果を受けて,上記T型ルートをベースにし,このうちの交通需要の比較的多い筑波大学の北側より花室地区を通り土浦駅に至るL型の14.6kmについて昭和53年度予算要求が行われ,結果的には,筑波大学附属病院より花室バスセンターに至る1.5kmの区間が事業採択された。現在は,この事業化に向けて関係機関が鋭意努力中である。

 

4 今後の課題

 筑波研究学園都市建設は,あと1~2年でその概成期を迎えようとしている。現在そこで提供されている各種都市的サービス,交通サービスは,東京より移転してきた者にとって決して満足できるものではなく,「陸の孤島」という意見すら聞かれるものである。今後数年間における新交通システムを含む都市施設整備によってこれらに対する感覚はかなり解消されるとは予想されるが,筑波研究学園都市建設は,わが国で手掛けたユニークな,また国際的な研究学園都市であり,1兆円にも及ぶ国家プロジェクトであることを考えると,現計画は,施設整備計画が中心であり,あたかも「物理的な仏像を造り,その仏像の完成が間近にせまった状態である」という感がしてならない。本来の仏像づくりは,今後これにどのような魂を入れるかによるのではないだろうか。その意味では新交通システムの導入は,経営収支上の問題を,その障害となると考えるよりも,むしろ,筑波研究学園都市建設を実験的都市建設と考え,そこへの新交通システムの導入が,今後のわが国の都市交通問題を考える際の新交通システムの位置付けを見極める実験であるとすべきである。(以下略)

 

「モノレール」1979年6月号「筑波研究学園都市の交通計画 」53~54頁から引用

 要するに「経営上問題あるかもしれないけど、国家プロジェクトなんだし、東京から引っ越してきた俺らも不便しているし、多少の赤字は実験代と思って大きく構えようぜ」てなことか?

 

 実際には「計画どおりの人口及び乗客数が見込めない,経営収支上も難があるといたしまして,昭和57年に事業休止となり,今日に至っております。(茨城県議会平成14年第3回定例会(第5号)足立寛作議員の発言)」となってしまったわけだが。

 

 なお、この黒川先生の報文では一切科学万博については触れられていない。よって、科学万博輸送のために新交通システムを計画したということについては消極的に考えるものである。

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下記の記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

・鉄道ジャーナル 2015年6月号「幻の鉄路をたどる(7)磁気観測圏に残る三者三様の未成線 加波山鉄道/土浦ニューウェイ/常南電気鉄道」草町義和著

・【幻の新交通システム(2)】土浦高架道は万博の置き土産!http://sciencecity.tsukuba.ch/e240811.html

・土浦高架橋http://satoshi.quu.cc/moku/nippn.files/hashi6/tuchiuracouka.htm

・「土浦ニューウェイ」に都市内交通のヒントを見た!?http://ken-show.net/gallery/report/046.html

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

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コメント

こんにちは!

ご紹介いただいた「モノレール」の路線ルート案は、その後変更されたのではないかと考えています。
1つは、土浦~つくばセンター間の新交通システムの導入空間は、つくばセンター周辺では中央通りに設けられ、現在の花室トンネルのルートで確保されているのに対し、「モノレール」ではつくばセンターまで土浦学園線を通っていることです。

もう1つは、T字の南に延びるルートが、「モノレール」では荒川沖駅に向かっているのに対して、「土浦・つくば・牛久業務核都市 基本構想」ではひたち野うしく駅に向かっていることです。

「モノレール」が出版された1979年から総合計画図が作成された1981年の間に、何らかの計画変更が行われた可能性が高いと考えておりますが、まだその根拠には辿り着けていません。
ただ、わかっているのは、実際に確保された導入空間や1981年の総合計画図と、「モノレール」で示された路線図に乖離があるということだけなので、どこかに事実誤認が紛れているかもしれません。

投稿: science_city | 2015年5月23日 (土) 02時09分

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