清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(5)
清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察を続ける。
1950年代、まだ日本の道路は恐ろしいほど貧しく、長距離輸送は旅客・運輸ともに鉄道が主役。東京~名古屋間をクルマで移動するなど夢物語でした。当時の自動車交通にとって、それよりはるかに重要なのは近距離移動。たとえば東京~横浜間でした。第三京浜はそこを強化するため東名より先に計画され、完成は東名より4年早い1965(昭和40)年です。よって第三京浜が3号渋谷線との接続を想定していたとしても、不思議はありません。
清水草一氏「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」から引用
■第三京浜は東名より先に計画されていたのか?
東名高速道路の計画は戦前から行われ、1953(昭和28)には、既に首都高速と接続する計画が公表されていた。
他方、第三京浜道路の計画着手は1958(昭和33)年である。
第三京浜道路工事報告「第2節 着工までの経緯」1-5頁から引用
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■第三京浜は当初東名高速の一部だったのか?
ちょっと脇道に逸れてみる。
国道研究家の松波さんはこう指摘する。
「第三京浜の工事記録である『第三京浜道路工事報告』によると、第三京浜は当初、東名高速の一部として考えられていました。東名高速の起点は玉川で、そこまでは首都高速がつなぐ構想でした」
「しかし東名のルートは最終的に、横浜経由ではなく厚木経由に決まり、用賀が起点となりました。首都高 も用賀へ向かい、その結果、本来東名の一部になるはずだった第三京浜が中途半端な道路となったのです」
東急ターンパイク計画の浮上で下火になっていた高速道路構想を、建設省がターンパイクつぶしのために蒸し返した。しかし急ごしらえで仕立て上げた第三京浜計画は結局、東名高速のルートとはならず、中途半端な状態で実現してしまった――。これが真相ではないか。そしてそのどちらにも近藤氏がかかわっていた。
「田園都市線のルーツは高速道路 東急、幻の計画」河尻定
2013/2/1 6:30 日本経済新聞 電子版
http://image02w.seesaawiki.jp/w/t/wkmt/a5a8a3790ee6d63e.pdfにUPされている。
第三京浜道路工事報告「第2節 着工までの経緯」1-6頁に下記の表記がある。
この表記から「もともと東名高速は第三京浜を延長するはずだった」と考える人がいると推測しているのだが、ここだけ読んでいたのでは十分な理解には至らないのである。
前述のように、1953(昭和28)年の段階で、東名高速は現在のルートで工事着工が新聞報道されるレベルであったのに、「なぜ1958(昭和33)年に計画を開始した第三京浜の延伸を東名高速の案として検討する必要があったのか?」というスタートの部分が第三京浜道路建設誌には書いていない。
「道を拓く 高速道路と私」から『世銀借款交渉の日々』斎藤義治(元建設省高速道路課長:先の「道路」1961年11月号「東海道幹線自動車国道の計画について」の著者でもある。)著 153~154頁から引用する。
先に青木一男氏が「東海道が交通渋滞して困るのならば、バイパスを建設してこれに対処すればよい」と述べていたのをご記憶だろうか?
「建設省は、本当は既に調査が進んでいた東名をやりたいのだけど、中央道との論争の結果次第で東名に着工できない場合を想定して、第三京浜経由でも東海道の交通量増加に対処できるように手は打ってあった。そのためにも玉川ICは首都高速と接続できるよう対策しておいた。」ということであろう。あくまでも「場合によっては」という位置づけであったことを見落としてはならないのである。
1960(昭和35)年2月27日付朝日新聞に「東京周辺自動車道は第三京浜道路終点の横浜から小田原方面に通る道で、公団は現在の東海道1号国道の北側を予定しているが、国会で問題化している東海道第二国道建設問題にからむのでルートの公表を避けている」との記事が報じられている。ここの部分が斎藤義治の著述と整合性がとれるのである。
それが、「中央道対東名」の対決は同時着工で収束し、1960(昭和35)年7月に「東海道幹線自動車国道建設法」が成立したために、もうそんな備えが必要なくなったのであろう。
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ちなみに「山手案」があれば「海岸案」があるのだが、それにご関心の方は、「産業計画会議第3次勧告「高速自動車道路についての勧告」 http://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom/recom_03.pdf にお目通しいただきたい。
(松波さん、この辺は落ち着いたら是非一献やりましょうw)
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清
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