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2015年5月17日 (日)

清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察(6)

 清水草一氏の「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」に係る考察を続けていく。

一方、2号目黒線も京浜間の輸送力増強を目的にしていますが、横浜方面へ向かう中原街道、第二京浜(国道1号線)と品川区内の戸越、荏原で接続するに留まっており、中途半端に見えます。そこから延伸する計画も、おぼろげなものでした。

ただ3号渋谷線が東名に「取られて」からは、第三京浜との接続路線に2号目黒線が浮上。基本計画に組み入れられました。しかし1960年代にお蔵入り状態になり、現在へ至っています。中原街道も第二京浜も、新たにそこへ3号線のような高架構造の4車線道路を建設するには幅員が少し足りなかったのが最大の理由で、中原街道と第二京浜で上下線を分担して敷設する案まで出たようですが、具体化しませんでした。

 

清水草一氏「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」から引用

 

■首都高速道路2号目黒線の第三京浜道路への延長計画はいつからのものなのか?

 

 清水草一氏はここでは「第三京浜との接続路線に2号目黒線が浮上。基本計画に組み入れられました。しかし1960年代にお蔵入り状態になり、現在へ至っています。」と記しており、他方、オートックワンの「第三京浜ってどうして安いの?玉川ICはなぜ中途半端なところにあるの?」においては、「実際、首都高2号線は、昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした。」と記している。

私の調べた経緯を下記に述べて行こう。

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■首都高速道路2号目黒線の第三京浜道路への延伸計画

 

 昭和40年9月、第12回東京都市計画高速道路調査特別委員会(委員長:金子源一郎)は、首都高速道路の延伸計画の検討に入った。(略)

 

 高速道路のランプ配置に当って、ランプ利用圏を都心部では半径500m、副都心環6付近では半径1km、外周部では半径2kmという設定をし、外環の内側における地域をほぼこの考えで覆うこととした。このため昭和39年度大都市幹線街路調査における提案の網計画を一部修正し、更に城南方面に2号線延伸の1路線、城東方面に11号線の1路線を追加し、それぞれの方面の将来の交通需要に対処することとした。(略)

首都高2号目黒線の第三京浜道路への延伸計画1

 

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅 62~64頁から引用

 

首都高2号目黒線の第三京浜道路への延伸計画2

 

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅 75頁から引用

 

 上記の資料によると、首都高2号線の第三京浜道路への延伸計画は、1968(昭和43)年に首都高速の基本計画に組み入れられており、1970(昭和45)年には国の「首都圏整備計画」に位置づけられたようだ。

 

 また、1975(昭和50)年の「PLANNING OF TOKYO 1975 首都の整備」(東京都発行)にも2号目黒線が第三京浜へ延伸する「計画構想線」が掲載されている。

昭和50年の首都高速路線図

 

 清水草一氏の「昭和30年代までは第三京浜まで延長される構想でした」「1960年代にお蔵入り状態」という記述とは食い違いを見せている。清水草一氏が論拠を開示してそれぞれの資料を突合せれば食い違いの原因も分かるだろうか。

 

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■首都高2号線の「中原街道と第二京浜で上下線を分担して敷設する案まで出たようですが、具体化しませんでした。」は、どこへ向かう路線だったのか?

 

 昭和37年度には、2号延伸線について、幅員40mの導入空間が無いことから、往復分離させて、第2京浜及び中原街道の上を通す案とした。また3号延伸線は、新たに決まった東名高速道路と接続する案に変更した。併せて第3京浜と接続し中央環状線の中目黒付近とを結ぶ線を加えた。(略)

 

 昭和38年度には、2号線延伸について、幅員25mの中原街道と幅員30mの放射1号(第2京浜)に往復分離で入れることの困難性などから割愛した。また、第3京浜との接続路線についても、用地取得の困難性から取り止めることとした。(略)

 

「首都高速道路のネットワーク形成の歴史と計画思想に関する研究」 古川公毅 57~58頁から引用

 

 古川氏によると「2号延伸線について、幅員40mの導入空間が無いことから、往復分離させて、第2京浜及び中原街道の上を通す案とした」とあるが、その行き先は第三京浜ではなく、第2京浜国道部分の神奈川県境までの延伸である。

第三京浜道路が首都高速3号線とも2号線とも異なる路線で直結していた計画図

「首都高速道路と都市間幹線道路との連絡に関する研究」(昭和37年)から引用。

 

 前述のとおり、3号線は、東名高速へ接続し、2号線は第二京浜国道を神奈川県境へ向かい、第三京浜には新たに9号線をもって接続させようというのが1962(昭和37)年の計画だったのである。

 

 

 
 

2号目黒線延伸

 
 

3号渋谷線延伸

 
 

9号線新設

 

1961(昭和36)年度

「調査報告書」

 

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第三京浜へ接続

 

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1962(昭和37)年度

「研究」

 

第二京浜国道及び中原街道を神奈川県境へ

 

東名高速へ接続

 

第三京浜へ接続

 

1964(昭和39)年度

「羽田横浜高速道路計画 」

 

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第三京浜と東名高速道路の中間で外環に接続(城南線)

 

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1968(昭和43)年度

「基本計画」

 

第三京浜へ接続

 

東名高速へ接続

 

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清水草一氏の「ただ3号渋谷線が東名に「取られて」からは、第三京浜との接続路線に2号目黒線が浮上。基本計画に組み入れられました。しかし1960年代にお蔵入り状態になり、現在へ至っています。中原街道も第二京浜も、新たにそこへ3号線のような高架構造の4車線道路を建設するには幅員が少し足りなかったのが最大の理由で、中原街道と第二京浜で上下線を分担して敷設する案まで出たようですが、具体化しませんでした。」というのは、そこらあたりがチャンポンになっているのではないか? 私も整理しきれているわけではないが、ソースは御覧のようにオープンにしているのでブログの読者の方も含めて考察が進めばよいのではないか?

 

しかし2号目黒線と第三京浜の接続にあたり、現在なら、そうした幅員不足の問題はシールドトンネル化で解決できます。加えて、このトンネルを乗用車専用(大型車通行禁止)にすれば、トンネルを1本にしてそれを上下2層構造とし、建設費を大幅に節約することができます。

 

(中略)  パリにできて東京にできないはずはありません。首都高最後の「夢」として、実現を目指せないものでしょうか。

 

清水草一氏「中途半端な目黒線と第三京浜、実は渋滞解消の特効薬? ヒントはパリに」から引用

 

 首都高は、バブル期に都心の地下を乗用車専用の高速道路を作る計画があったのだから、相応のノウハウはあるはずだ。もっともこいつは単独路線だったはず。本線料金所で一旦停止していた時代ならいざしらず、ETC時代でノンストップで100km/h近い速度で突進してくる大型車の誤進入を排除するのはとても難しそうだ。パリのお友達にその辺の交通処理方法について是非深堀して調べていただきたいものだ。

 

首都高速の弾丸道路

1988(昭和63)年5月28日朝日新聞

 

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