583系ひたち/みちのく
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やめたいのに?やめられない土浦ニューウェイのネタであるが、多分これが本当に最後。(でもね、多分、きっと。)
土木学会関東支部茨城会さんのサイトに「いばらきの建設文化を語る懇談会」という冊子が掲載されている。
その「第1部 基調講演「茨城の道路づくり」講師:立原信永(元土木部総括技監)」に、ニューウェイのことが書いてあったのでご紹介したい。
次に、土浦高架道路である。西大通の事業手続きを順調に進めていたが、これだけでは不安もあったのか、建設省街路課から仮設駅(臨時駅)から立体街路を造る気があれば協力してもよい旨の話があった。
① 仮設駅はあくまで臨時のものであり博覧会後は撤去するものである。
② 平面道路でも対応できるよう計画している。
として立体街路を造るなら県南の核となっている商業業務都市土浦市と筑波学園都市との連携を強化するため、土浦駅東口広場から市街地を抜けるまでの間(3km)に造りたいと申し入れた。この土浦にできる高架街路で博覧会会場へのバス輸送に使用すれば、サブシステムとしても有効であった。建設省も快く理解していただいた。
立体街路の約半分は土浦市の事業であり、市も是非やりたいということで早速取り掛かったのである。しかし博覧会の始まりまで3年を切っていた。用地買収、補併(※補償の誤植か?)交渉など市区間の方が多かったのである。市は全庁を挙げてこれにあたった。設計にあたっては市街地のため、東京にある首都高速のような構造でなく美観を重視し橋脚を鉄筋コンクリート製のY字型のスレンダーなものとした。上部構造もこれと一体感をもたせたプレストレスト・コンクリート構造とした。一部鋼構造としたがコンクリート色に塗装し一体感をもたせた。実質的工期は1年3ケ月余りで完成した。
事業の執行にあったては、県土木部の出先である国際博関連公共事業建設事務所(初代所長石崎瑛男、二代目小沼寛)が関連事業の一切を実施していたが、既に実施中の事業で手一杯なので、土浦土木事務所(当時岩間昌平所長)がこの執行機関となり事務所を挙げてあたった。
博覧会時には東口広場から立体街路を使って、県内のバス会社が50人乗りの普通バスで輸送にあたったのである。
この街路の意義は、とかく中心市街地の交通混雑解消のため外部にバイパスを造ることばかりでなくこの様に高架あるいは地下トンネルという事もあることを立証したのではないか。間もなく開通する水戸市街地の水戸トンネル、これから造る常陸太田市の市街地のトンネルも同じような役割を果たすものと期待できる。
「茨城の道路づくり」立原信永 11頁から引用
建設省が、科学万博にあわせて万博中央駅から会場へ高架道路の建設を検討したところ、地元としては、一旦は採算性の問題から断念していた新交通の想定ルートにおいて建設を要望したという経緯のようだ。
なお、この報文には花室トンネルについても触れている箇所がある。
その後広い幹線道賂も年々交通量が増大し、土浦方面から東大通りの交差点での右折も多くなり、トンネルの道路などもできた。このトンネルは将来土浦学園間に新交通やライトレールを導入する場合にその軌道として転用する事も可能であろう。公共交通機関であるバスやタクシーの優先道路としても活用できるであろう。
「茨城の道路づくり」立原信永 8頁から引用
この「茨城の道路づくり」は、常磐道や北関東道、東関東道の茨城県内ルート決定の経緯等も紹介されているので、ニューウェイに関心がない方も一読されては如何だろうか?
http://www.jsce-ibaraki.com/publication/h14conference.pdf
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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)
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土浦ネタはもうやめようと思ったのだが、ついググったらまた出てきちゃった。ググれば出てくるやん。なんで今まで皆さんちゃんと見やんとwikioediaに嘘ばかり書いとんねん。
土浦市議会の議事録を検索したらいろいろ答弁されている。
【 平成15年 第2回 定例会-06月09日-02号 】
◆26番(川口玉留君)
それでは,本題に入ります。土浦駅東学園線高架街路事業についてでございます。一つは,高架道が開通して20年,その役割と総括についてご質問をいたします。高架道は,1982年12月10日,立体事業として建設省から80億円の予算の内示と,それに伴う総事業費132億円を明らかにしたのが,1982年12月14日の市議会全員協議会で明らかにされました。これを受けまして,土浦市商工会議所,あるいは商店街連合会,川口地区地権者に対し高架道の計画概要が説明をされました。市民が初めてこの計画を示されたのが,ご案内のとおり12月14日でございました。同時に,新交通システムの導入の布石であると箱根市長が当時強調されました。高架道の建設の目的は,その一つは立ちおくれた土浦市を,この商店街の活性化を図ることが第一の目的でございました。二つ目の目的は,交通体系の整備及び交通の緩和,すなわち新交通システム導入でございました。三つは,筑波研究学園都市との一体化が主な建設計画の骨子でありました。この計画について,即高架道建設に反対する市民の会が結成されましたのが1983年2月1日でございました。この高架道建設反対市民の会には,同時に11町内会の市高架道建設路線変更協議会というものも結成をされました。市長,市議会に対し,陳情,請願,抗議文,あるいは市役所へ抗議のデモ,全戸チラシによる抗議,高架道が抱える問題点を明らかに指摘をしたのでございます。多くの高架道建設に反対する市民の声を無視をして,当時の市長は土浦市活性化のため,そして百年の大計であるとしながら,この高架道建設を強行いたしました。もともと箱根元市長は中国歴史に深い関心を持たれた方でございまして,好きな万里の長城,今も市内に横たわる万里の長城に足が出てきて嫌がるムカデと悪評が言われているのがあの高架道でございます。そこで,お伺いをいたしますが,一つ,高架道は中心市街地活性化のためにお役に立ったでしょうか。二つ,高架道は立ちおくれた土浦市を救ってくれたでしょうか,お伺いをいたします。三つ,学園都市との一体化でございますが,学園都市と一体化されたでしょうか,お伺いいたします。それから,高架道周辺では雨が降ると黒い雨が降るというふうに言われております。この黒い雨は,一体どこから降ってくるのでしょうか,これもお伺いをいたします。また,低周波による環境破壊と公害に悩まされている住民も多くございます。これらについての対応はどのようにされますか,お伺いをいたします。
2番,新交通システムはやっぱり幻だったのか。高架道の開通が1985年,科学万博開催時期でございましたから,開催後3年以内に新交通システムを開通させると言っておられました。本来であれば,1988年には既に新交通システムが事業化されていなければなりません。しかし,いまだに第6次総合計画,あるいは第5次総合計画,第4次総合計画を見ると,少しばかりちょろっと将来的には新交通システムをと書いてある。たった五つぐらいです。これでこの問題をごまかしているわけでございまして,したがいまして当時から現在にわたって執行部は新交通システムが幻とわかりながら市民をミスリードしたのではないか,この点について指摘をいたしたいと思っておりますので,お答えをいただきたいと思います。
◎都市整備部長(神戸信洋君)
まず,大きい1番の土浦駅東学園線高架街路事業についてでございますが,この中で1点目,「高架道開通20年,その役割と総括は」,(2),「新交通システムはやっぱり幻だったのか」につきましてお答えをいたします。ご質問の高架道,これは都市計画道路土浦駅東学園線ですが,土浦駅東口から学園大橋まで延長約3キロメートルが昭和60年2月に開通し,ことしで18年が経過いたしました。この間,高架道の利用状況でございますが,開通1年後の昭和61年には1日当たりの交通量は約6,000台前後でありましたが,その後約1万台以上に増加しました。昨年10月現在の調査におきましても同様の交通量となっており,本市の都市基盤を支える極めて重要な都市交通施設として利用が図られているものであります。また,毎年春,秋に開催され,多くの来訪者でにぎわいます,かすみがうらマラソン大会や全国花火競技大会時のシャトルバスの運行路となるなど,本市のまちづくりには欠かせない重要な路線であることはご理解いただけるものと考えております。さらに,高架道を利用する通過交通が生活道路を含む中心市街地に入り込まないことによりまして,市民の安全,安心な生活を確保するとともに,西口周辺の円滑な交通の確保や,物流,情報の伝達にも貢献するなど,中心市街地の活性化に寄与してきたものと考えております。こうしたことからも,高架道の果たしてきた役割や効果は極めて大きなものがあると考えております。まちづくりの基盤施設として地域にも定着した,そういうふうに認識してございます。また,土浦駅周辺地区のまちづくりを考える上では,広域的な位置づけが期待できる発展要素を備えているなど,この高架道は今後も県南の中心都市としてのまちづくりに活用が期待される資産として生かしていきたいというふうに考えております。
先ほどのご質問の中に,高架道の沿線で雨が降ると黒い雨が降る,あるいは低周波問題が起こっているというご質問がございました。これにつきましては,実はそのお話を聞いたのは初めてでございまして,実情がどうかということについては把握してございませんし,またそういうようなことがあるのかどうかということについて調査はしてみたいというふうに思っております。
次に,2点目の新交通システムのご質問でございますが,常磐線土浦駅とつくばエクスプレスつくば駅とを結ぶ新交通の導入につきましては,本市の第6次総合計画はもとより,つくば市の総合計画においても位置づけがなされておりまして,将来の両市の発展にとって必要な都市交通施設であると共通の理解をされているということでございます。さらに,新交通システムを利用したまちづくりは,人と環境に優しいまちを将来像とする本市にとりまして,高齢社会にも対応した,自家用車に頼らない良好な都市環境を守っていくためにも欠かせない交通施設であると考えております。しかしながら,現在の経済情勢におきまして具体的な取り組みを行うということは極めて難しいというふうに考えておりまして,土浦駅東学園線の沿線開発の進捗状況など,事業採算性などを見きわめながら,導入につきましてはこれからも研究,検討をしてまいりたいというふうに考えておりますので,よろしくご理解をお願いします。
【 平成17年 第1回 定例会-03月15日-03号 】
◆ 8番(入江勇起夫君)
土浦市でも,過去に県南の雄都としての土浦市の飛躍的な発展に強力な指導力と熱意で,また人生をかけた市長さんがおられたことを母から聞いたことがございます。その人は,第11,14,15代市長を務められました箱根宏氏でございます。彼の業績の1つに土浦の高架道路があります。この高架道路は,新交通システム計画が目的で建設された道路でございます。目的は,学園都市と土浦市がともに繁栄していくための架け橋であり,両地域の将来のため,昭和56年再選を果たした氏が,当時の竹内知事をはじめに建設省関係者に積極的に働きかけたそうであります。その理由は,1つ,土浦市の活性化をすること。昭和51年には,土浦市の商業力指数が県内1位でしたが,徐々に低下し,昭和57年にはその沈滞傾向が一層強い状態に陥った。2つ,土浦の中心市街地の交通混雑を緩和させ,モール化政策により商店街の魅力を回復させること。3つ,学園都市との人的交流を図り,ともに繁栄するための交通軸とすること。4つ,新交通システムを導入して周辺開発をすること。昭和57年時点では,新交通システム計画は消えた状態でしたが,氏の復活の熱意が建設省に通じ,土浦駅から学園に向けて,将来新交通に切り替え可能な構造を持つ高架橋道路の計画案を県を通して打診されたそうでした。県に対する回答について,市役所内で検討が進められたそうでした。最大の課題は,次の3点でございました。1つ,路線ルートに市街地の中心部が選定されること。2つ,60年の科学万博に使うには2年2カ月しかないこと。3つ,短期間のため,幾多の障害が出た場合,対応に困難が予想されることであったそうでございます。これに対し,氏は,「都市計画部長さん,私についてきてください」と言ったそうであります。
これについては対応する答弁なし
【 平成19年 第3回 定例会-09月11日-03号 】
◆21番(竹内裕君)
次に,新交通システムと高架道ですが,最近は意識的に高架道を走るようにしております。大変すばらしい道路ですよ。もうつくばから守谷,阿見,牛久の方に行くには最高の道路です。まして阿見の方からつくばに行くのも最高の道路です。人は歩いていませんし,渋滞はありませんし,すばらしい道路だなといつも思っております。夜の夜景など,バス停のところに止まって見ますと,本当にたばこを1本2本吸いたいぐらいなきれいな道路です。
しかし,すばらしい道路で通過道路だけでは大変困るんですね。本当は土浦市のために何ぼか貢献する高架道でなければならないと思うんですが,私は,たしか60年の万博の頃ですから,市の方に当時の高架道に関する何か資料はあるのかと聞いたらば,もうほとんどありません。57年から始まっていますので,ほぼ25年前のことですからほとんどなくて,こんなのがありました。ここには総事業費が当時で約132億円となっておりますが,132億円の内訳の中で,土浦市分と茨城県分とわかると思いますので,それから,いつも気にはなっていますが,高架道の残債はまだあるのだろうか。まだ借金は返しているのだろうか。この辺についてもお述べいただきたいと思うんですが,もうそろそろ返し終わってもいい頃だなと思うんですが,私,最初の当選した頃,当時,砂田市長公室長の頃に聞いたのは随分前ですけれども,その辺について,あと残債と償還年度はどの辺なのか,お答えいただきたいと思います。
それから,1日約1万台の車両が高架道を通過していると,前神戸部長はいつもここで答弁していましたが,それはエクスプレスが開通する前ですので,エクスプレスが開通した以降は,高架道は1日平均何台の車両が通過しているのか。それから,エクスプレスが開通をした後,私の耳には一番もろに影響をこうむったのが東口立体駐車場と聞いております。定期のお客ががたんと減って,1日の利用者もがたんと減ったと聞いておりますけれども,エクスプレス開通後の東口立体駐車場の状況について,同時に,西口の立体駐車場の動向について。それから,JRの通勤通学の推移ですね。そして,駅前商店街への影響についても,わかる範囲でお答えください。
本題に入りますが,私が一番問題にしているのは,この613万2,000円で平成17年3月,株式会社アルメックが検討をして,報告をした土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査の報告書です。中身は前も本会議でやったことがあるんですけれども,何しろ613万円もの税金を使って作った報告書ですから,私は,これを十分に活かさなければ意味がないだろうと思っております。ここに書かれている内容は,もちろん執行部は御承知だと思います。第六次総ではどういうふうにこれは総括をされて,第七次総ではどういうふうにこれを活かそうとしているのか,御見解をいただきたいと思います。
(中略)
それから,「新交通システム」という活字は随分昔から出ているんですけれども,第六次総までは,きっちりと新交通システムというのは軌道型の中期輸送力であると書いてありますが,第七次総にいきますと,どこを探しても「新交通システム」という活字はありません。そして,「都市軸の形成」という項目の中に「新たな交通システム」というふうな表現があります。「新交通システム」と「新たな交通システム」の違いについてお話をお願いしたいんですが,どこが違うのかわからないんですけれども,ずっと新交通システムで箱根元市長の頃から来ていたんですが,これがなくなりまして「新たな」になったんですが,これはただ単なる活字の間違いなのか。それとも,新交通システムではない違う形の本当に新たな交通システムを模索するのか。それによってはこの検討調査報告書も大分狂ってきますので,よろしくお願いしたいと思います。
いずれにしても,あの高架道を有効に活用して,土浦市のために何らかと活かす方策を真剣に考える時期が来たかと思います。(「ないよ,そんなの」と呼ぶ者あり)高架道を有効に活用する方策はないというようなお話も議場から少しありますが,私は,あれだけの巨費を投じて,そしてあれだけの道路が土浦市を縦断して,商店街からさまざまなところの上をただ素通りしていくというのは,いかにも財産を活用していないと思うんです。そういう意味で,あの高架道を有効に活用する方策をみんなで考えていくような,そういう機運を作っていかなければもったいないと思っております。交通体系調査委員会でも愛知県に行かれて,高架道を利用した何とかというのを見てきたそうですが,赤字のところもあるでしょう。しかし,千葉のモノレールだとか,そういうところは黒字のところもありますし,そういうようなことも含めまして,みんなであの高架道を正しくうまく使っていける方策を検討する時期が来たと思いますが,その辺,中川市長はどういうようなお考えなのかと思っております。
◎市長(中川清君)
最後に,土浦,つくばを結ぶ新交通システムの現状と土浦駅東学園線(高架道)の活用についての中で,土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査結果の総合計画への位置付けと新交通システムの第六次総合計画と第七次総合計画の違い,並びに西部地区のまちづくりについて,私の方からお答えをしたいと思います。
御案内のように,都市計画道路土浦駅東学園線の高架道は,市内の交通混雑の緩和,土浦市中心市街地と周辺部及びつくば市を結ぶ交通体系の強化を目的に,総事業費132億円で,総延長が約3.0キロメートル,そのうち市施行約1.3キロメートルと県施行約1.7キロメートルで整備した高架街路でございます。昭和58年から2カ年で整備して,将来的には新交通システムの導入も視野に入れて施行をしておりまして,昭和60年開催のつくば万博にも輸送路として活用されたところでございます。
土浦駅・つくば駅間のバスの運行につきましては,現在,往復では1日約170本のバスが運行をされております。高架道利用のバスは57本,内訳は高速バス53本,路線バス4本でございます。つくばエクスプレス,いわゆるTXですけれども,開通前後でほとんど変わりはありません。TXの開通前後の土浦駅とつくばセンター間のバス利用者数は,1日当たりの乗車人員を比較いたしますと,開通前が1,936人,開通後が2,087人と,151人の約8%の増加となっております。また高架道は,春のかすみがうらマラソン大会,秋の花火大会では土浦駅東口と会場の往復を約700本で,約3万7,000人の輸送の実績がございます。このように,催事の際などにシャトルバスの輸送ルートとして活用されるとともに,最近では,土浦駅の東口から成田空港や大宮方面への高速バス路線として利用が図られております。
さて,御質問の土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査についてでございますが,この調査はTX開通の影響や交通対策を検討するため,平成16年度に茨城県やつくば市,バス業者,学識経験者等から成る,「土浦・つくば間公共交通連携方策検討委員会」を設置し,検討を行いました。その結果,土浦駅とつくば駅を結ぶ新交通システム導入につきましては,土浦市とつくば市の連携したまちづくりの進展や,土浦駅東学園線沿線の拠点開発状況,交通需要の増加,事業採算性等を見極めての導入が望ましいとしており,短期的にはシャトルバスシステムの提案が出されております。
現在,土浦駅・つくば駅間のバスの乗降客は,8%程度の増加はあるものの,大きな需要の拡大は難しい状況にありますことから,TX会社,県,つくば市等の関係機関との話し合いはただ今行っておりませんが,土浦市とつくば市の連携強化は大変重要であり,将来,50万都市構想を目指す上からも,その一方策として新交通システムの導入も大きな役割でありますので,第七次総合計画へその位置付けを盛り込んだものでございます。
次の御質問の第六次総合計画の「新交通システム」と第七次総合計画の「新たな交通システム」の違いでございますが,近年の交通システムの技術進歩により,モノレールばかりではなく,高性能の路面電車,LRTというらしいですが,路面電車,そして線路と道路を走れる車両,DMVというらしいんですが,その開発等が進んでおりますことから,幅広い交通システムということで,新たな交通システムとしたものでございまして,新交通システム導入につきましては第七次総合計画へ引き継いでおります。
なお,JR常磐線とTXを結ぶ土浦・つくば間の交通体系の強化は,茨城県南を始め,県内全体の公共交通ネットワーク上からも大変重要であります。また,TX利用者が年々増加していることから,このTX利用者を本市へ呼び込むためにも,土浦とつくばを結ぶ交通体系強化の必要性は十分認識しております。今後も,土浦駅東学園線の沿線開発の進捗状況,交通需要の増加,事業採算性などを見極めながら,国や県,関係機関に積極的に働きかけをしてまいりたいと考えております。
【 平成20年 第4回 定例会-12月09日-03号 】
◆24番(川口玉留君)
2番目が,もったいないです。もったいないねと書いたんですけれども,事務局のほうで「ね」は外してくれと言うんです。何でと聞いたら,どうもそれは文章に合わない,こういうことでございます。私の文章には「もったいないね」と入っているんです。もったいないね。高架道川口町に設置されたエスカレーターについて。
日本にしかない「もったいないね」という言葉ですが,日本ほど使い捨ての国はないと言われております。昔から,「もったいないね。残さんと食べなさい。もったいない」,「まだ使えるのに捨ててしまう。もったいないね」。食べ物やまだ使えるものを容赦なく捨てるのである。今,地球環境は温暖化,あるいは大気汚染,森林破壊など様々な原因の悪化によって,たくさんの生物が絶滅すると言われております。政府や企業が研究や対策を打ち出して,制度化や商品の生産をすることは大事でございますけれども,もったいないはもう少し考える必要があるのではないかと思うのであります。
そこで,「もったいないね」は,土浦・学園線に架かる高架道川口地内に設置されているエスカレーターであるが,この高架道は総事業費132億円と,当時,膨大な建設費用をかけて建設されました。当時の箱根市長は,1982年,市議会において初めて高架道計画を明らかにしたのであります。その建設の理由の1つは,立ち遅れた土浦の中心市街地の活性化と同時に,新交通システムの導入の布石であると強調されたわけでございます。市民の反対を押し切り強行に強行を繰り返して,でき上がったのは悪評高い高架道であるわけでございます。あわせて,川口モール505へのお客さんの乗り入れのために利便を図るとして設置されたのがあのエスカレーターでございます。利用者がなく,2002年以後休止となっておりますが,もったいないね。再利用はないかお伺いをし,第1回の質問を終わります。
◎都市整備部長(古渡善平君)
それから,2つ目の御質問でございます。もったいないねということで御質問でございます。御質問のエスカレーターにつきましては,昭和60年3月,これは筑波研究学園都市で行われました科学万博の開催にあわせて整備されました,いわゆる先ほど議員さんから御指摘があった高架道にまたがるエスカレーターでございまして,またぐと申しますか,つながると申しますか,高架道につながる川口一丁目地内バス停留所に設置されているエスカレーターでございます。このエスカレーターは,高架道のバス停と隣接する商業施設モール505及び高架下の川口ショッピングモールを立体的に連結する目的で,エスカレーター4基と,階段4基と,それぞれエスカレーター部分と階段部分と計8基の昇降施設を設置しておりますけれども,歩道部と高架道のバス停との高低差が約9.5メートル,いわゆる地べたから9.5メートルあるということで,この高さの昇降を容易にすることによって利用者が快適に移動できる施設として,上り・下り線両側にそれぞれ2基ずつエスカレーターを設置しているということでございます。
また,エスカレーターを供用開始しました当時は科学博もやっていましたので,高架道の路線バスの乗降,ショッピングモールなど近隣商業施設への利用者も多数ございまして,このエスカレーターも利用されておりました。
〔「ない」と呼ぶ者あり〕
◎都市整備部長(古渡善平君) ないということでございますが,これはそれなりの利用者があったという調査結果がございます。しかし,その後に大型店舗が閉鎖になり,次第に利用者も減少します,それに並行して路線バスの運行本数も減ると。
こういうことでございまして,平成14年には1日9.5往復,それに伴う1日当たりのエスカレーターの利用者数も,休日でも10人弱,そういったふうに落ち込んでいった。さらに,年間の保守点検費用も4基の合計で約540万円,これはこれとしてかさむ。やむなく平成14年の4月に運行を停止して現在に至っておりまして,その間の保守点検も実際してございません。なお,現在は路線バスの運行本数も1日1往復でございます。朝1本,夕1本。朝行って,帰り夕方1本というか,そういう1往復ですね。そうなっています。
さて,議員御指摘の当該エスカレーターの活用でございますけれども,これは一般論で申しますと,エスカレーターを設置するには,最初に建物などの施設の整備計画を立案して,その用途や規模から需要の予測をして,そして,その検討結果に基づいた配置計画を立てて,設置スペースや階高に合わせた規模を決定して,最後に工場製作し,運搬設置を行う。いわゆる受注生産ということです。
一方,今度は御指摘の当該エスカレーターの場合は,高架道のバス停に設置されているエスカレーターでございますけれども,一般的な建物に設置されているものに比べまして,先ほど申し上げましたように,階高が大きくて利用勝手はあまりよろしくないということ。今度はそれをもし仮に利用する場合においても,再利用箇所の大規模な補強改造が必要になってくるのかなということがまず1つ。
それから,メーカーから内々の聞き取りを行ったところによりますと,施設の整備に合わせてエスカレーターをもし仮に新設した場合は,その施設費用というのは1基当たり約1,500万円を要するだろうということです。しかし,今度は,御指摘の当該エスカレーターを移設して再利用した場合は,今の骨組み,それから外装以外の手すりも,駆動装置も,踏み板も,踏み段のチェーンも,安全装置等ほとんどの部品の交換が必要になってくるということで,再利用に要する費用は1基当たり約1,300万円ぐらいかかるのではないかということです。それはそれとして,骨組み,外装以外の,ただいま申し上げましたような交換の部分の部材は撤去費用がかかるということで,1基当たり約500万円ぐらいかかってしまいますということの情報をちょうだいしてございます。
そもそもエスカレーターの耐用年数というのは,屋内型,屋根かぶりで18年,屋外型で15年と言われているということですけれども,そうはいっても,一般的には約25年程度使用しているのが実情だということでございまして,御指摘のエスカレーターも設置後既に23年を経過しているということを思います時には,仮にすべて再利用が可能であった場合においても,間もなくその更新の時期を迎えることになるのではなかろうかということでございますので,なかなかこのエスカレーターをある施設に当てがって,直ちに再利用するということについては難しいものがあろうということでございますので,御理解賜りたいと思います。
◆24番(川口玉留君)
こんなことは市民は知りませんよ。こういうバスを走らせます,それで格好よく水上交通も作りますなんて言っているんだ。高架道にも新交通システムを導入しますと書いているんだ。導入を検討なんだ。検討する必要はないでしょうよ。今までも60本から90本のバスが土浦駅東口から学園まで走っているんですよ。空気を運んでいるの,空気を。人は乗っていないんですよ。関東鉄道は年間4,000万円の赤字を出しながら,路線廃止できないでいるんですよ。それに新交通システムも検討で,検討しても,何を検討するんですか。古渡部長,何を検討するのかはっきりしてください。
(中略)
そういう点からすると,この高架道川口線にかかっているエスカレーターは,私が設置当時から再三再四この壇上で取り上げて,1日4名,朝8名,夕方8名しか乗らないエスカレーターを何で年間300万円の経費を費やして必要があるのかというのを再三都市整備部長に追及をして,やっと2002年止めたんです。そうしたら,もったいないねというんです。何で止めたきりですか。部長は,今ではもうこれは任期満了になったという話だな。しかし,使っていないわけですから,専門家にちゃんと検証させるべきです。使っていないから,まだ使えるんですよ。 このプロセスを申し上げますと,1985年,これは科学万博が開催の年ですね,それを遡ること1982年,都市計画審議会というのが土浦市にもございまして,この高架道の基本計画にはエスカレーターの設置はなかったんです,
この計画を一生懸命鉛筆なめなめ書いたのが今の都市整備部長の古渡なんです。古渡も一生懸命エスカレーターを作るために鉛筆なめなめ書いたんです。そして,それを強力に推し進めたのが副市長の瀧ケ崎です。それを万歳したのが箱根宏です。残念ながら亡くなったけれども。
そういう点で,このエスカレーターについての検証をさらにお願いすると同時に,もう任期満了が来ているというふうな話でございますけれども,まだまだ使えるんですよ。この責任問題と,今後のエスカレーターの活用について,瀧ケ崎副市長は責任があるわけです。具体的な答弁を求めます。
◎副市長(瀧ケ崎洋之君) 川口議員のもったいないねの再質問にお答えをいたします。
突然60年当時にタイムスリップしまして,高架道計画,鉛筆をなめたのが古渡部長で,それを押し進めたのが瀧ケ崎だと。エスカレーターが使われていないこの責任問題をどう考えるのかという御質問だったかと思います。当時,私は財政課におりました。先ほど132億円のお話がありましたけれども,この資金をどうするか,当時を振り返りますと非常に苦労したことがよみがえってまいります。観光資金というような資金を使いまして,高架道を建設したわけです。エスカレーターは当初に計画はなかったというお話,私もそのように記憶いたしております。平成14年から中止になっておりますが,その理由は先ほど部長のほうから縷々御説明がありました。
私は,当初の予定どおり公共バスが使われて利用されて,エスカレーターが予定どおり使われているということであればもう万々歳ですけれども,先ほど申し上げたように,14年から利用者がいないというようなことでストップしているということに関しましては,誠に残念であるという言葉一言でございます。議員のほうはもったいないねというような視点で捉えておりますけれども,私は,このエスカレーターが使われていないということについてはまさに残念だという一言でございますので,御理解をいただきたいと思います。
◎都市整備部長(古渡善平君)
新交通システムについては,現在,事務方で具体的な検討というものは実施してございません。
【 平成23年 第3回 定例会-09月13日-03号 】
◆23番(竹内裕君)
さて,②の質問ですが,これはもう過去3回,中川市長に質問と答弁を求めていますが,どなたが見ても,つくばエクスプレスのあの周辺の活況化した状況というのは,子どもが見てもおわかりのようでございます。私は,まだエクスプレスという名前がついていない頃から,常磐新線が開通をしたならば,当然土浦の活性化と土浦を元気にするために何らかの対策を講ずることが必要だろうということを何回か質問いたしました。
特に平成15年12月,これは市長が初当選をした時ですが,そして市長の1回目の選挙の公約の中にも,「土浦・つくば間交通の延伸」という項目が入っていましたね。多くの市民は,土浦・つくば間の交通を,当選したならば新しい市長はやってくれるだろうという期待もあって票を投じた方もおられると思います。1回目の公約です。
当選をいたしましたので,当時私は監査委員でしたが,議長の承認をいただいて,あえて一般質問させていただきました。「この公約について,どういうような内容のことを考えているんですか」と。その時の答弁は,「常磐線とのアクセスを図ることは,土浦,つくば地域のみならず,茨城県にとっても必要不可欠なものと考えています。このTXが土浦駅まで延伸されることがベストであると考えています。エクスプレス整備の効果を本市が最大限に生かすための策を講じてまいりたい。エクスプレス延伸や新交通システム導入については,国や県や関係機関と働きかけをしていきたいと考えています」。私はこの時に,「モノレールというのを1つの選択肢の中に入れたらどうだ」という質問をいたしました。「モノレールを実施している自治体は幾つかありますが,ほとんど赤字という話を聞いております。しかし,調査はさせていただきたいと思います」。
私は,エクスプレスが開通をして,そして当然のように利用者が増える。その方たちが土浦市のほうに出向いてもらって,常磐線から帰る。そしてまちの中もできるだけ歩いてもらう。そういうことがTXの波及効果だろうと思っておりますし,今でも思っております。
そして,平成17年,また同じような質問をいたしました。市長の代表的な答弁,「モノレール等の中量輸送機関は,高津地区,宍塚大池地区など拠点地区に関する交通需要や両市に重なる発展など,多くの課題が成立要件であると考えています。長期的な視点で検討することが大事です」。この時も,国や県やつくば市,または都市鉄道と私は話し合いをしたほうがいいのではないかということを提案いたしましたが,その時の答弁は,「まだ開通をしていないので,開通をしていない段階で話し合いをしても仕方がないということなので,今はしておりません」。しかし,私はいずれ開通をすることは間違いないんですから,内部で協議をして,外部と交渉するような係を設けて,しっかりとエクスプレスの波及効果を土浦市のほうに呼び込むための対策を具体的に国,県,関係機関と交渉したほうがいいのではないですかということを提案いたしましたが,市長の答弁は,「適切な時期が来たらば,作って,外部との交渉,内部での協議,できるような機関を作るほうがいいのではないかと今時点では思っております」,これは平成17年の9月でございます。
さて,つくばエクスプレスは開通をいたしました。平成19年9月,もう1度質問をいたしました。常磐線とつくばエクスプレスを結ぶ土浦・つくば間の交通体系,これは6次総にも書いてあるし,7次総にも書いてある,中期輸送力という新交通システムのことを言うんですが,これは土浦市が発行している総合計画です。「県南を始め,県内全体の公共交通ネットワークからも大変重要である。エクスプレス利用者が年々増加していることから,この利用者を本市に呼び込むためには,土浦・つくば交通体系強化は必要だと,十分認識しています」,これは市長答弁ですよ。「今後も国や県,関係機関に積極的に働きかけをしていきたいと思います」。私はこの時に,「できれば花室と高架道の入り口までの沿線の開発,特に高津地区や宍塚地区,西部地区のまちづくりに対して意向調査をしたほうがいいのではないですか」という質問をいたしましたが,西部地区に対しては,「まちづくりの方向性を今後見定めていきたい」というのが答弁でした。過去3回やっていますので,もっともっと大事な答弁もあるんですが,主にこういうのが代表的な答弁だと思っております。
そこで,質問をいたしますが,エクスプレスは開通してもう6年です。先般,石井という社長の今後のエクスプレスの課題についての新聞報道が大きく載りました。初年度は15万人だったそうですが,昨年は28万人だそうです,利用者は。それで,一層,編成車両を増強して輸送力をもっと増強するんだと新聞の談話に載っております。そして,何をやるかというと,「沿線自治体とこれから観光について力を入れて取り組んでいきたい」と書いてあります。
そこで,中川市長に,こういう立派な答弁を過去3回やられている,そして選挙の公約でもありますこの課題について,この答弁を踏まえた上で,今まで具体的に2期8年,何をやってきたのでしょうかというのをあたり前ですが,聞かせていただきたいと思います。
そして,国や県,関係機関,積極的に働きかけをしていきたい,何回も言っていますが,具体的に国や県や関係機関とどういうような働きかけをして,少なくとも8年前から見れば,エクスプレスの利用者を本市へ呼び込むためにこういうようなことをしています,そしてこういうような方向で今後もやっていきます,まさかそういうような答弁がなければ,答弁は整合性があるとは言えません。その場しのぎの答弁をしているとしか言えないので,しっかりとした答弁をお願いしたいと思います。
それから,エクスプレスの利用促進協議会というのがありますよね。年間3万円を負担しています。会長は橋本県知事で,事務局は県の企画部です。こういうような時に,土浦市は3万円の負担金を払って,この8年来ているわけですが,一体何を発言しているんですか,何を他の沿線自治体の皆様に,または県に,どういうような提案をしているんですか。少なくとも私が知っている範囲で,県にも聞きました。いろんなところに聞きましたけど,何にもしゃべっていませんよ,土浦は,言ってはなんですが,来てはいます。でも,しゃべっているのは,つくば,牛久,守谷,つくばみらい,沿線自治体の担当者や首長はよくしゃべっています,土浦は来てはいますけど,具体的に土浦のことも少しは考えてくれとか,土浦も本会議でこういう答弁をしているんで,できれば延伸は鉄道であれ,モノレールであれ,時間はかかるんですよ,しかし,そういう考え方を持っているので,利用促進協議会の沿線自治体の首長さん,茨城県の皆さん,これは会社も入っているんですから,ちょっと聞いてくださいということを言わなければ駄目でしょう。2期8年間,何も言ってないそうではないですか。何のために3万円も負担金を払って出ているんですか。ということについて,市長,市長の公約ですから,しっかりと答えてください。
それからこの青い紙,「土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査」,これは613万2,000円かかったんです。でも,この名簿はすごいですよ。委員長筑波大学大学院システム情報工学,それから東日本旅客鉄道,バス,茨城県企画部,つくば市,当時の新治村,この下にワーキング会議というのもあるんです。これだけの優れた国やら県やら学識経験者やら,一番の入り口であるつくば市やら,これだけのメンバーが入って作ったのがこれです。この613万2,000円で作ったこの成果品を私は具体的に生かすのは市長の役目でしょうというのを前に提案をいたしました。当然,そういうようなことも長期的に見て,国や県や関係機関と積極的に協議をして,ここに書かれている内容についてやっていきたいと言ってはいたんですが,この613万2,000円かけて作ったこの検討調査会の報告書は,一体今どういうふうな取り扱いを受けて,この中に書かれているものを具体的に生かそうとしているのかどうかお聞きしたいんです。
◎市長(中川清君)
それから,2番目のご質問の土浦・つくば間公共交通連携の考え方について,何点かのご質問がございましたので,順次お答えをしたいと思います。
まず最初のご質問で,つくばエクスプレス利用者を本市へ呼び込むことに関しましては,平成19年第3回定例会の竹内議員のご質問に対して,「TX利用者を本市に呼び込むためにも,土浦市とつくば市を結ぶ交通体系の強化の必要性は十分に認識をしている」と答弁をさせていただきました。この考えは現在も変わっておりません。
呼び込むためには,具体的に何をしてきたのかというご質問もございました。議員も先ほど申しておりましたけれども,茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会,この協議会は,県及びTXの沿線と周辺の自治体及び商工会議所等で組織をしている団体でございまして,土浦市も参加をしております。
促進協議会では,TXの茨城エリア沿線に関する観光等の情報誌を作成しておりまして,この活用を図るべく,情報誌の紙面を割いて,「TXつくば駅からバスに乗り換えて土浦方面へ」とか,「ちょっと足を延ばして土浦へ」等のタイトルで土浦市の魅力や観光をPRしているところでございます。この情報誌は,TX各駅管理事務所やTX秋葉原駅構内にある茨城情報ステーション等に配布をした他,イベントでのPR活動等に活用をしておりまして,多くの方々がご覧になっているものと思っております。また,TX秋葉原駅内にある茨城情報ステーションの中に,本市で作成をしております観光パンフレット等も置いてございますので,TX利用者へのPRも行っているところでございます。今後もこのような取り組みを行いながら,土浦市の魅力を内外にアピールして,TXの利用客を少しでも呼び込んでいきたいと考えております。
次に,つくばエクスプレスの延伸や新交通システム導入に関して,国,県,関係機関等に土浦市の考え方を働きかけてきたかというようなご質問がございました。
これらに関しては,具体的な働きかけにつきましては,ただいまのところ,そのような状況になく,現在のところ行っていない現状でございます。
導入につきましては,土浦駅東学園線,これは宍塚地区,そして高津地区の沿線開発等による交通需要の増加,それから事業の採算性等を見極めることが必要不可欠でありますことから,何年も経っているということでございますけれども,時間ではなく,そういうような状況といいますか,その時期が来たら,働きかけを行ってまいりたいと考えているところでございますので,ご理解をいただきたいと思います。
次に,平成17年3月に策定をいたしました,土浦・つくば間公共交通連携方策検討調査に方針化されたことを今まで具体的に進めるために何をしてきたのかというご質問がございました。この公共交通連携方策検討調査では,目前に,平成17年8月に迫ったつくばエクスプレスの開業,そして県南地域や土浦市やつくば市などのまちづくりへ,より良い形で取り入れていくために,県南地域全体と土浦市,それからつくば市の2つの地域を対象に今後のまちづくりや交通体系の方向性をまとめたものでございまして,両市の連携のシンボルとなる基幹的公共交通について,まずはシャトルバスの運行を優先的に行い,その後はLRTの導入,それからTXの延伸等の段階的な整備計画の提案を行っております。この調査を行ったことにより,土浦・つくば間の新交通システムの導入についての現状把握と課題整理ができまして,長期的にはなりますが,今後の導入に向けた足がかりができたのではないかと考えております。
具体的に何をしてきたか,進んだかと言われますと,経済状況による宅地需要の落ち込み,それからそういう状況もございまして,具体的には進んでいないことは事実でございまして,当面の間は土浦・つくば間の人の往来を増やす策としてバス路線を充実させることが重要との認識から,既存のバス路線をさらに充実させるべく,先ほど申し上げました観光面のPRや各交通機関の連携しての利用券の発行など,その利用促進を図ってまいりたいと考えておりますので,ご理解をいただきたいと思います。
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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)
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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について、いろいろと調べて来たが、科学万博との関連も、ソースが確認できたので、蛇足までに書いておく。
ネタ元は、引き続き日本交通計画協会機関誌の「都市と交通」で、今度は1988年14号。
土浦市は首都東京から60kmの位置にあり、西方10kmには我国が世界に誇る頭脳都市「筑波研究学園都市」が隣接しており、水と緑にめぐまれた人口約12万人の地方都市であり、県南地方の政治、経済、 文化の中心となっている。
近年は、周辺に工業団地や住宅団地造成等の開発が行なわれ、急速な都市化が進み、また筑波研究学園都市の玄関口として、商業を中心とした第3次産業の進出が著しい。
土浦市の道路交通状況は中心市街地に国県道が集中し、中心市街地は、慢性的な交通渋滞をひきおこしていたが、昭和57年3月の国道6号バイパス・常磐自動車道の開通に伴い、南北方向の交通渋滞は緩和された。しかし、東西方向の交通渋滞は、依然解消されず、公共輸送機関であるバスの運行にも支障をきたしていた状況にあり、それらに伴い、中心市街地の商業活動も衰退の方向にあった。
一方、業務・商業サービス等の機能を有する土浦市と、学術機能を有する筑波研究学園都市は、相互に補完しながら発展してゆくことが期待され、このためには、この都市間を密接に結びつける交通軸の強化が必要であった。
さらに、昭和55年11月、昭和60年3月に筑波地区において、国際科学技術博覧会が開催されることが決定、観客輸送のルートとして、土浦駅から博覧会会場まで100万人を運ぶ計画が定められ、輸送路問題が懸案となった。
これらの背景を踏まえ、交通体系を検討したところ、経済的でかつ短期間に投資効果があがる路線として、土浦駅東口を起点に、当時の国鉄常磐線を横断し、市営駐車場・中心市街地を縦貫させ、既設の都市計画道路に接続させる、延長3kmの高架街路が計画された。
(中略)
2.都市計画決定から事業認可までの経過
昭和57年12月、市において土浦高架街路の素案がまとまり、ただちに市長を陣頭に、関係職員を総動員し、沿線住民への事業概要説明を連日開催して協力を求めた。
そして58年3月上旬、都市計画法17条に基づく案の公告・縦覧を行い、その後、茨城県都市計画地方審議会の議を経て、茨城県知事は、昭和58年4月14日土浦高架街路の計画決定の告示をした。
土浦高架街路は科学万博の輸送路にも利用されるため、万博直前の60年2月までに工事を完成させるという使命があったこともあり、県と市は、ただちに都市計画法59条に基づく事業認可申請の手続を進めると同時に沿線住民に対し、工事概要の説明会を実施した。
(中略)
おわりに
土浦高架街路は、裁判が始まって間もなく、高架道下部工事に着手、昭和60年3月には計画どおり完成し供用を開始した。科学万博における輸送路として大きな成果を得るとともに、日々、土浦市の道路交通の円滑化に所期の目的を果している。
ということで「つくば万博のために新交通システムを検討した」というのがダウトであることを実証した。しかし、都市計画決定から2年で供用とは猛スピードだ。
ところで、引用箇所の最後にしれっと「裁判が始まって間もなく、」とあるのだが、実はこの報文は「土浦高架街路都市計画事業認可取消訴訟の東京高裁判決(63.2.25昭和62年(行コ)第78号)について」茨城県土木部都市施設課 技佐 菅野一郎・著 なのである。
土浦ニューウェイは地元の事業反対派から裁判を起こされていたのだ。その詳細は、http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi14.pdfで確かめてほしい。
原告らは、事業認可の取消しを求める理由として、①この事業は、長期的展望に立った都市計画でも土浦市民の生活を考えたものでもなく、高架道は博覧会後は不要となることが当然予測される、②この事業は、高架道であるため、一般道路では考えられなかった環境に対する影響が確実に考えられ、大気汚染・騒音・振動・日照被害等が発生することは必定である等を主張した。
原告住民は結局敗訴したわけだが、「この事業は、長期的展望に立った都市計画でも土浦市民の生活を考えたものでもなく、高架道は博覧会後は不要となることが当然予測される」という主張について、今となっては如何なもんでしょうか。
私は、現地は知らないので、是非コメント欄に投稿を御願いします。
(追記)
土浦高架橋の反対活動については、国会の質問主意書でも取り上げられているのでご関心のある方は、下記リンク先をどうぞ。
(質問)http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a098008.htm
(回答)http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b098008.htm
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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)
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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について~草町義和 @kusa_yoshi 氏の記事に支援
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)
と、土浦には一生で一度しか行っていないにもかかわらず、土浦の記事を集中的に書いてきたところである。
すると、参考にさせていただいたブログ「研究学園の生活」さんが、実際に現地で空地となっている導入空間について大変素晴らしいレポートをしていただいた。
そこで、返礼に、もういっちょ書いてみる。
土浦ニューウェイは、この悩ましい線形やバス停の長さから、ネット上では、「新交通システムとして作ったものを道路に転用した」とか「将来新交通システムに転用できるように作った」等と書かれている。
しかしながら、上記記事において「新交通システムは、土浦ニューウェイ以外の箇所で一部事業化されたものの、採算性の問題から当該区間については新交通システムとしては事業化されていない」ことを明らかにしてきたところである。
だが「将来は転用できるようにした」かどうかは分からなかった。ところが奥さん、いい報文が見つかったんですよ。じゃーん。
日本交通計画協会機関誌の「都市と交通」1985年6号に「土浦高架街路」茨城県土木部都市施設課長 田沢 大・著が!
この横断図だけでも燃えますわな。
例によって、字面ばかり長いので、結論だけ先に出します。ででーん。
さて、新交通システムが採算性の問題から断念されたのに、土浦ニューウェイは何故に作られたのだろうか?
2.事業の目的・必要性
都市計画道路・土浦東学園線は、県南の拠点都市土浦と国際的都市である筑波研究学園都市とを結ぶ幹線道路である。両都市を連結し、土浦市の新しい都市づくりの根幹となる土浦高架街路事業は、地方中核都市における全国初の試みとしても、注目されている。
(1) 中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化
現在、土浦市においては、国鉄土浦駅周辺市街地域の道路交通混雑が著しいため、公共交通機関であるバスの機能低下が大きな問題となっており、良好な都市空間の確保と安全で快適な道路網の整備を図るため、土浦駅東口駅前広場整備、土浦駅西口駅前地区再開発等の都市開発事業が進められている。これらの整備計画とあわせて、土浦駅東学園線の一部を高架構造とすることにより、一般平面街路への通過交通の削減や、バスのサービスレベルの向上を図り、あわせて中心市街地における産業活動の活性化を図るものである。
(2) 中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化
筑波研究学園都市は、首都圏における学術機能を中心とした都市開発区域として位置づけられており、県南地方の業務核都市である土浦市と、相互に機能を補完しながら発展していくことが期待されている。全国的な輸送網と筑波研究学園都市を結び、また、土浦市と緊密かつ迅速な連絡を図るうえからも、特急の停車駅となっている国鉄土浦駅と、筑波研究学園都市間を結ぶ交通軸の強化が不可欠である。
3.土浦高架街路事業の概要
本事業は、土浦・阿見都市計画道路3・2・30土浦駅東・学園線の土浦駅東口から桜川に架かる学園大橋までの延長約3㎞区間を整備するものである。当街路は、複断面形式の道路で、標準横断面構成は、平面街路部2~4車線、高架部2車線で、延長L=2,739.5mあり、途中3ケ処にバスストップを設置している。
4.都市景観
土浦高架街路は、土浦市の中心市街地に建設されるため、都市の環境や景観を配慮し、とくに高架構造物については、美観を重視して計画されている。
下部工においては、スマートなバチ形の橋脚を主標準横断図体として、その橋脚の大きさを均一化すると共に、断面を極力縮少するため、PC橋梁は、反力分散方式のゴム支承を採用している。
上部工においては、桁の支間長L=25m~31mの3径間連続PCホロースラブ桁及び4径間連続PCホロースラブ桁を主体とし、主桁形状は、圧迫感のないソフトな軽快さを出すため、下床版巾をしぼった逆台形とし、下部工のバチ形状と一体観を出すため、曲線ハンチをつけている。
特徴のある外観から「これは新交通システムの遺構に間違いない」と思われがちなのだが、実はなんてこたあなあい美観重視のデザインだっただけのようである。
ところが、ここからが本筋なのだが、「道路だけど、実は新交通システムにも転用できるんだもんね」と書いてあるのだ。
せっかくなので画像で紹介したい。「ソースを見せろ」とか串カツ屋みたいなことを言う御仁もいる世界だし。
6.新しい都市交通
(1)現状と課題(略)
(2)新しい交通システムの導入可能性調査
土浦高架街路は、平面部及び高架部ともに道路として共用(※供用の誤植か?)される。現時点では、基盤整備の状況や人口の集積度などから、需要、採算性の面から新しい交通システムなどの導入は困難であるが、将来、地域の需要動向に応じ、この土浦高架街路の高架部を新しい交通システムヘと順次切換えていく計画も考えられる。土浦高架街路の高架部は、道路橋仕様に基づき設計されているが、将来の新交通システム導入への構造的な可能性についても、検討をしている。
新交通システムの設計条件及び設計仕様は、「新交通システムの標準化とその基本仕様(日本交通計画協会、昭和58年3月)」を中心に、神戸のポートライナー、横浜のシーサイドラインの計画を参考に種々検討している。
新しい交通システムに切換える場合の荷重条件は、(表-3)のように定め、土浦高架街路の高架部にこれを載荷した場合、部材断面力等の過不足について検討した。
上部工について、許容応力度の扱いは、TL-20荷重と新交通荷重で設計した場合と同様であるので、断面力について比較検討を行った。
また、下部工については、上部工の死荷重反力がTL-20荷重で設計した場合が大となったため、新しい交通の計画時に必要となるであろう柱断面の破壊安全度の照査を行った。この結果、上部工及び下部工とも、許容値内であるので、将来の新交通へと切換えても、構造力学的には対応できるものと考えられる。
土浦の新しい交通システムの平面線形については、横浜の新交通システムを参考にして、道路線形との比較検討をしたが、緩和曲線のとり方や設計速度を調節することにより、新交通中心線を土浦高架橋中心線と同一にすることが可能であり、問題ないと考えられる。
これらにより、土浦高架街路の高架部については、本計画どおち(※どおりの誤植か?)実施しても、将来の新しい交通システムに対応出来るものと考えられるが、尚、新交通システムの基準は、現時点では統一されたものがないうえ、将来、もし土浦高架街路を新しい交通システムのインフラ部として使用する時点では、現行の基準が大きく改訂されている可能性があるなど、不確定要素が多いと思われる。
おもしれー。「ぼくのかんがえたしんこうつうしすてむにもてんようできるかっこいいどうろ」みたいなことを本当にやっちゃってるんだ。
あの中途半端に長いバス停は、4両編成の新交通システム用だったのだ。
しかし、この報文には、「科学万博」については、一言も触れられていない。
長くなったので、その辺を次にご案内しよう。
ところで、ニューウェイの施工中の写真等も載っているので、この報文は是非とも現物にお目通しくだされ。
http://www.jtpa.or.jp/contents/pdf/toshi06.pdf
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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)
土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)
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過去、いくつかの記事で「安井都政の七不思議」について触れてみたが、どの不祥事を数えたら七つあるのかよく分からなかった。
「時の流れ・都市の流れ 」山田正男(元東京都首都圏整備局長)著 から引用
ということで、ちょいと手間をかけて調べてみたので披露してみる。
「東京の七不思議」
安井知事は五五年二月の衆院選出馬を断念し、四月の統一地方選挙で三選を目指した。 選挙の直前になって、都政専門紙の「都政新報」がパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」を発行した。
安井都政の暗部が表面化
七不思議に数えられたのは、
1 東京駅八重洲口の外濠を埋め立てて駅前広場を造成するはずが、なぜかデパートなどの入る鉄道会館や国際観光会館が建った。このため、当初計画外だった約五〇〇世帯が新たに立ち退きになった
2 江東区の竪川橋の改修工事をめぐる談合に有力都議の関係建設会社がからんでいた
3 東京都庁大手町分庁舎跡地五七六五平方メートルが約七〇〇〇万円で払い下げられ、そこに建ったビルの一部を都が借りて、五四年に都立産業会館をつくった。その賃借料として年間約七〇〇〇万円を払っていた(都立産業会館は八〇年に老朽化で閉鎖された。会館の後身は現在、「都立産業貿易センター」として浜松町駅近くの港区海岸にある)
4 世田谷区砧の東京都市計画緑地が、民間会社のゴルフ場に賃貸された(現在は世田谷区美術館などのある公園になっている)
5 千駄ヶ谷駅前の東京都体育館は完成早々から雨漏りし、補修費が、都議会の承認を得る前に支出された
6 五一年に有楽町と銀座の間の外濠を埋め立てて、二階建ての建物の上部に自動車専用道路をつくり、建物にはショッピングや飲食の店を入れる「東京高速道路会社」ができた。はじめは事業者が埋め立てをやるということで公有水面占有を申請したのが、いつのまにか都自身の費用で埋め立てを行う公有水面埋め立てに変わった
7 焼け跡の残土で埋め立てた三十間堀の三原橋下を東京都観光協会(会長=安井都知事)に使用許可したが、実際には別会社が映画館やパチンコ屋を経営し、観光協会は都への使用料と別会社からの賃貸料との差額を手に入れた
など、安井都政の暗部を指弾する内容だった。このパンフレットは大評判になり、一般の書店でも販売された。
七不思議の中で最も話題になったのは、「放送時間になると女湯が空になった」という伝説のラジオドラマ「君の名は」の舞台になった、数寄屋橋下の外濠埋め立てにかかわる問題である。
当時、多くの運河や中小河川は「黒い水と悪臭のどぶ川」と安井知事自身が認める状態になっていた。外濠も例外ではなく、悪臭の源をなくすということで、賛成する者も多かった。
自動車道路の建設費をそっくり民間会社に負担させ、そのかわり道路下の店舗の賃貸料収入は会社のものとする。三五年後には道路を都へ贈与させる、という仕組みは、都の財政負担を最小限にして自動車道路を建設できるという着想が評価された。都は地代として三・三平方メートル四〇〇円を受け取ったが、当時の銀座・数寄屋橋周辺の地価は同五万円といわれ、露骨な利権供与として都議会で問題になった。
江戸以来の外濠の埋め立てに反対する水上デモまで行われたが、東京都が押し切った形で、安井知事三選後の五六年に埋め立てられて姿を消した。橋も翌年に数寄屋橋ショッピングセンターが開業した後、まもなく撤去された(注16)。
安井知事は左右両社会党の推した有田八郎元外相を破って三選を果たしたものの、差はわずか11万七〇〇〇票で、現職知事としては苦戦というべき結果だった。「東京の七不思議」のように、安井都政への批判が高まってきたためだろう。
(注16)京橋~新橋の自動車専用道路は一九六一年に全通したが、本格的な都市内自動車専用道路の建設は五九年六月に発足した首都高速道路公団が引き受けることになり、東京高速道路京橋~新橋線は首都高速道路内環状線のバイパスという役割にとどまっている。そうした利用のされ方が、都心交通の渋滞緩和よりも、埋め立て利権のほうに重点があったのではないかと、いまだに疑われるもとになった。五四年に結ばれた東京都と東京高速道路会社との契約によると、東京高速道路会社は建設後三五年が経過した時点で自動車道路施設を都に贈与し、その後、同社は店舗部分を都から借りて収入の四割を都に払うことになっていた。
ところが、八〇年になって都が贈与を交渉すると、会社側は道路下の店舗などは贈与の対象ではないと主張し、訴訟になった。東京地裁は九五年六月、道路と店舗部分を一体の建物と判断、そっくり都に返還するよう判決した。東京高速道路側は控訴したが、九七年東京高裁、九九年最高裁で、ともに都が勝訴した。二〇○○年になって、都は財政難を理由に約五五億円で同社へ全体を売却した。
「東京都の肖像」塚田博康著 85~87頁から引用
と、これが七つのようだ。ここで紹介されているパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」を見てみたいのだが、国会図書館にも都立図書館にも首都大図書館にも無いようだ。。
これだけだとアレなので、他の図書からも探してみた。
しかし他方、第三期は安井都政にほころびがみえ始めた時期でもあった。一九五五年知事選の前には、戦災復興にともなう都市改造をめぐって「七不思議」と呼ばれた利権疑惑が問題にされたのである。
これらの問題は、保守系議員からも追及が行われた。一九五五年一〇月鯨岡兵輔(足立区、同年日本民主党から当選)は、都の事業をめぐる疑惑の本質を明らかにした。特定の人物や会社に恩恵を与え、かつ都の外郭団体に退職した都庁幹部が入っていることを指摘した。例えば「七不思議」の一つとして疑惑の渦中にある外郭団体の会長が前副知事であるなど具体的な事例をあげて批判したのである。さらにこの質問が行われる以前の安井三選直後にも、東京地検が、職員保養所の建設をめぐり汚職があったとして、都庁総務局などを家宅捜索した。これによって部長級の幹部職員など、関連業者の逮捕者を出したのである。鯨岡はこの事件にも言及して、昔の伏魔殿とは違い、こんにちの東京は知事のいう「明るい都、住みやすい都」となったと都民は信じていたにもかかわらず、過般の汚職事件によって都政に対する不信が生じたと厳しく指弾した。
「東京市政」源川真希著 223-224頁から引用
追い込まれた官僚知事
安井三選と腐敗汚職
(略)こういう社会党の進出が安井知事の辛勝の一因であった。しかしもう一つの原因は都政の腐敗汚職が明るみに出てきたことである。
知事選挙の僅か五日後、東京地検特捜部は約百名の係官で都庁総務局勤労部と都職員の健康保険組合を捜索した。それから七月下旬までの三カ月間、都庁は、都政はじまって以来の検察旋風に大ゆれとなった。この間、勤労部長をはじめ部長級三名、課長七名など十八名の職員と土建業者十二名を含む三十名以上の民間人が逮捕された。捜査の最終段階では、建設局長、建築局長、前建設局長、前水道局長の任意出頭まで求められた。上層部には波及しなかったものの、役人と業者が結託し、入札制度や許認可の裏をかいて不正な利得を得ていた容疑で、明らかに構造汚職の摘発であった。すでに知事選挙の最中から革新側は安井都政の利権に汚れた腐敗を批判していた。とくに革新系の庁内誌「都政新報」社がつくったパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」は、都内の一般書店でも販売されて都民の反響が大きく、安井都政の汚職批判はかなり都民に浸透した。
この「七不思議」のうち、もっとも有名なのはすでにのべた数寄屋橋の下の濠を埋め立て、いま京橋から新橋へかけて高速道路が走っているが、この高速道路建設の名目でその下につくれらた(ママ)貸ビルの問題である。安井知事は、このためにできた「東京高速道路株式会社」なる民間会社に、この外濠の埋立権を与え、六千坪の土地に地上二階地下一階の貸ビルをつくって営業してもよいことにしてしまった。(一九五七年七月、フードセンター、数寄屋橋ショッピングセンターなど開業。)埋め立ての費用は都が負担し、この会社からとる地代は月坪四百円。当時この辺は坪当たり地価五万円といわれていたから、会社は店子から莫大な家賃や権利をとれるはずだ。「七不思議」としては、銀座三原橋下の堀の埋立て、跡地の使用許可、世田谷の砧緑地の東急によるゴルフ場経営許可などもあるが、公有水面の埋立権や都有地にからむものがほとんどで、安井三期都政になってからも都議会で論議された。また七不思議にはないが、東京の工業用地、埠頭用地として開発が進む東京湾の埋立てにまつわって、東京電力、東京ガスなど大企業に広大な土地の利権を譲渡するものも目立つようになっていた。
都政に関する汚職は、戦前は東京市政や東京府政が伏魔殿といわれて絶えることなく起こっていた。それが戦後はこの年になって初めて都庁幹部に及ぶことになり、その後も毎年起こって東都政の下でさらに大型化する。この都政の腐敗汚職の原因としては、戦後地方自治制の民主的改革にかかわらず、都庁がマンモス化するとともに、すでにのべた都庁官僚制が強まり都の役人が民間業者や一般都民に対し権限をふりまわすことが多くなった。当時の都庁の局長など幹部は、議会では不勉強で意味不明な答弁をしていても、夜になると議員や業者との宴会には精を出した。都民には予算がないと開き直るのに、料亭などの宴会はひんぱんに開き、幹部になるほどウラ金を自由に使っていた。安井謙氏の参院進出をはかるころから、警察の眼からみてかなり目にあまる公金の乱費、業者との癒着が進み、都民の見えないところで汚職がおこっていたと思われる。しかし田中警視総監時代はその幹部への摘発が抑えられていたが、国家公務員の警視総監になって幹部にも追及が及んだのである。
このように腐敗の進む都政内部の上に安井ワンマンがいて、弟や自らの選挙のために、この各局幹部を使って票集めをやっていたのであり、票集めの多いものほど重用されるといわれた。
「東京都知事」日比野登著 41~42頁から引用
大企業との癒着
東・鈴木時代の自民党保守都政と大企業の癒着ぶりは目にあまるものがあった。都有地をべらぼうに安く払い下げ、駅前開発では私鉄独占に便宜を供与するなど、いたれりつくせりであった。「東京七不思議」ということばも生まれた。
大資本との癒着ぶりの一端を示そう。事実は何よりも雄弁である。
安井知事時代
高速道路という名の貸ビル
「みなさま、ただいま渡りましたのが”君の名は”で有名な数寄屋橋でございます。大岡越前守の南町奉行所もこの橋のタモトにあったのでございます。これより銀座に入りますが、お濠にそって南にまがりますと、アレアレごらん下さい。お濠が埋って山下橋から新幸橋まで二階建ての細長いビルが建っております。皆さま、これが只今、東京都御用命で建築中の高速道路でございます。ご覧の通り、屋上は道路らしくなっておりますが、自動車の昇り口も降り口もなく、一方、下の貸室は早くも一パイにふさがっております。三年以内にはあの数寄屋橋もカゲをけし、難波橋から紺屋橋までの濠川も埋め、一三〇〇メートルの細長いピルが銀座をとりまく計画になっております。どうぞ、ごゆっくりとご覧下さいませ」(パンフ「東京の七不思議」より)
これは、当時一躍名をはせた高速道路という名の貸ビルについての都内遊覧バスガイド風の説明である。
ことの起こりは、一九五一年、東京高速道路株式会社なるものが、銀座・新橋の境を流れる汐留川の難波橋-京橋川・紺屋橋間の外濠一三六〇メートルの「公有水面占有」を都に出願したことにはじまる。最初から埋立てとしたのでは都民が騒ぐし、手続き上も都議会の同意が必要になる。しかし、「水面占有」は知事専決である。”魚心あれば水心”とでもいうべきか、安井知事は待ってましたとばかりに、出願一ヵ月後には許可を出し、同社は二年後工事に着工、事実上の埋立てをはじめた。世間が騒ぐので、都ははじめて五四年五月の議会に計画の概要を明らかにした。それによると、外濠一万三〇〇〇坪(約四万三〇〇〇平方メートル)を埋立て、そこに六 〇〇〇坪(約二万平方メートル)余りの自動車専用の高速道路をつくる。その埋立て工事を東京都は前記会社に委託する、都はその委託料として三億一〇〇〇万円を三〇年賦で払う、会社は高速道路をつくり、道路下の貸ビルを経営し、三五年たったら都に寄付するーというものだった。高速道路といっても狭いビルの上で車は通れない(その後六三年から一部車が通れるようになり、今日ではすべて通れる)。事実上の細長い貸ビルである。なんのことはない、都の財産を東京高速道路株式会社に提供しようというものに他ならなかったわけである。三五年たったら都に寄付する契約だが、寄付したあとも「運営は会社に委託する」という念の入れようだった。
問題は同社役員の面々だが、財界、大企業代表がズラリとならんでいる。社長は三菱土地株式会社の社長で、監査役は当時の石坂泰三経団連会長。株主は電通、日通、読売、ラジオ東京などが名を連ねている。当時、坪一〇万円の権利金として一八億円、家賃坪二〇万円で三六億円―その後、権利金などははるかに値上がりした―という莫大な金が会社にころげこんだといわれる。その契約期限が二年後の八六年に迫っている点でこの問題は今日的なものでもある。さまざまな恋とロマンの歌や映画の舞台となった有楽町「君の名は」で有名な数寄屋橋、銀座一帯も、大企業と都の幹部にとっては、利潤追求と利権の場にすぎなかったようである。
都立産業会館事件(略)
都有緑地を東急資本に
世田谷区砧に一三万坪(約四三万平方メートル)弱にのぼる東京都の縁地があった。一九四〇年「東京都市計画緑地」として内務省から指定され、都が強制的に買収したものであった。ところが安井知事は、この緑地のうち六〇%の七万七〇〇〇坪(約二五万四〇〇〇平方メートル)弱について、つぎのような条件で東急の出願に応じ、東急と委託契約を結んだ。つまり、東急が七〇〇〇万円で、そこにゴルフ場をつくり、それを東京都に寄付する、そのかわりその経営管理を向う一〇年間東急に委託するという形で、住宅用地としても最適な広大な土地をいわばタダ同様の条件で東急に肩入れしたのである。それも、知事任期があと五ヵ月にせまった一九五四年十 一月、強引に議会を通過させたのであった。
事業主東急資本のねらいは明白であった。議会での都の答弁によると、「東急としてはこれによる付近の開発を考えている」とされていた。東急との結びつきはそれだけにとどまらない。同じく世田谷の駒沢にある都有地八〇〇〇坪(約二万六四〇〇平方メートル)についても、タダ同然、これもいたれりつくせりの条件で東急に総合グラウンドをつくらせた。さらに、丹羽文雄の「恋文横丁」などで名をはせた渋谷駅前広場から立退いた露天商を収容するという名目で、実際は東急の子会社の「東光ストア」に地下売場をつくらせた。その大部分は東横デパートの売場としてつかわれている。
そのほか、東横デパートや東急文化会館のために都電の発着所をわざわざかえるなど、渋谷駅を中心とする東急ターミナルをつくるために、都は東急独占に便宜と利権をゆずりわたしてもいるのだ。
「革新都政史論」有働正治著 23~24頁から引用
こうした利権の例としては、かつて東京の七不思議と騒がれたものの多くがこれにあたる。すなわち、第二部でふれた高速道路という名のビルをはじめ、産業会館(都心の都有地を安く会社に払下げ、そこに融資して会館を建設)、三原橋(銀座の堀をうめて不要となった橋の下を、公共性をもった都の外郭団体に貸し、それが又貸しされ転用されていった)、砧ゴルフ場(都有地七万坪の実質上の一定期間払下げ)などがとりあげられている。また、東京湾の埋め立て地も、一般都民にたいしてはほとんど利用されず、大会社と公営賭博とゴルフ場にのみ使われるというので非難されている。
「東京 - その経済と社会 -」柴田徳衛著 185頁から引用
また、「でんでこでん: 都電エレジー」 田村徳次・著にも、下記URLのリンク先(google ブックス)に、七不思議についての記述がある。
砧のゴルフ場とは、下記右の写真のように、現在世田谷美術館等がある砧緑地が東急のゴルフ場となっていたものである。
ところで、七不思議のうち、石川栄耀氏が絡んでいたものは、少なくとも「東京高速道路」「三原橋」があるし、七不思議以外にあげられている「渋谷地下街」にも絡んでいる。渋谷地下街については取締役に天下っているし、東京高速道路については顧問に天下っているという報道(疑惑をもたれる 高速度道路 / 寺下辰夫)がある。
しかし、「都市計画家 石川栄耀」鹿島出版会刊 中島直人、西成典久、初田香成、佐野浩祥、津々見崇:共著には、一切その辺の記述は出てこない。不都合な真実なのかしらん?
安井知事が後に知事を辞めたときに、「(略)石川栄耀はあのわけのわからん銀座の高速道路なんかを人に勧めてやらせておいて後始末をしなかったが、あれを後始末をしてくれて本当にありがとう」と言ってくれた。
「東京の都市計画に携わって:元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」東京都新都市建築公社まちづくり支援センター刊 17頁
ところで、新国立競技場の迷走でも有名になった内藤廣氏の東京高速道路評はというと
今で言う民活やPFIの先駆けだ。建設費と運営費をテナントの賃貸料で回収するという画期的なアイデアだった。その筋金入りの勇気と熱意は、経済的な収支が合いさえすれば何でもありのいまどきの安易な都市再生とは違う。
じゃあ、なんで「安井都政の七不思議で最も有名」になるんですかねえ。これも「分かりやすい正義」で、「根源的な議論」じゃないということなんですかねえ。「建築家の良識とは、その範囲のものだったのでしょうか。」
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