「安井都政の七不思議」って結局どの七つなのか調べてみた。
過去、いくつかの記事で「安井都政の七不思議」について触れてみたが、どの不祥事を数えたら七つあるのかよく分からなかった。
「時の流れ・都市の流れ 」山田正男(元東京都首都圏整備局長)著 から引用
ということで、ちょいと手間をかけて調べてみたので披露してみる。
「東京の七不思議」
安井知事は五五年二月の衆院選出馬を断念し、四月の統一地方選挙で三選を目指した。 選挙の直前になって、都政専門紙の「都政新報」がパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」を発行した。
安井都政の暗部が表面化
七不思議に数えられたのは、
1 東京駅八重洲口の外濠を埋め立てて駅前広場を造成するはずが、なぜかデパートなどの入る鉄道会館や国際観光会館が建った。このため、当初計画外だった約五〇〇世帯が新たに立ち退きになった
2 江東区の竪川橋の改修工事をめぐる談合に有力都議の関係建設会社がからんでいた
3 東京都庁大手町分庁舎跡地五七六五平方メートルが約七〇〇〇万円で払い下げられ、そこに建ったビルの一部を都が借りて、五四年に都立産業会館をつくった。その賃借料として年間約七〇〇〇万円を払っていた(都立産業会館は八〇年に老朽化で閉鎖された。会館の後身は現在、「都立産業貿易センター」として浜松町駅近くの港区海岸にある)
4 世田谷区砧の東京都市計画緑地が、民間会社のゴルフ場に賃貸された(現在は世田谷区美術館などのある公園になっている)
5 千駄ヶ谷駅前の東京都体育館は完成早々から雨漏りし、補修費が、都議会の承認を得る前に支出された
6 五一年に有楽町と銀座の間の外濠を埋め立てて、二階建ての建物の上部に自動車専用道路をつくり、建物にはショッピングや飲食の店を入れる「東京高速道路会社」ができた。はじめは事業者が埋め立てをやるということで公有水面占有を申請したのが、いつのまにか都自身の費用で埋め立てを行う公有水面埋め立てに変わった
7 焼け跡の残土で埋め立てた三十間堀の三原橋下を東京都観光協会(会長=安井都知事)に使用許可したが、実際には別会社が映画館やパチンコ屋を経営し、観光協会は都への使用料と別会社からの賃貸料との差額を手に入れた
など、安井都政の暗部を指弾する内容だった。このパンフレットは大評判になり、一般の書店でも販売された。
七不思議の中で最も話題になったのは、「放送時間になると女湯が空になった」という伝説のラジオドラマ「君の名は」の舞台になった、数寄屋橋下の外濠埋め立てにかかわる問題である。
当時、多くの運河や中小河川は「黒い水と悪臭のどぶ川」と安井知事自身が認める状態になっていた。外濠も例外ではなく、悪臭の源をなくすということで、賛成する者も多かった。
自動車道路の建設費をそっくり民間会社に負担させ、そのかわり道路下の店舗の賃貸料収入は会社のものとする。三五年後には道路を都へ贈与させる、という仕組みは、都の財政負担を最小限にして自動車道路を建設できるという着想が評価された。都は地代として三・三平方メートル四〇〇円を受け取ったが、当時の銀座・数寄屋橋周辺の地価は同五万円といわれ、露骨な利権供与として都議会で問題になった。
江戸以来の外濠の埋め立てに反対する水上デモまで行われたが、東京都が押し切った形で、安井知事三選後の五六年に埋め立てられて姿を消した。橋も翌年に数寄屋橋ショッピングセンターが開業した後、まもなく撤去された(注16)。
安井知事は左右両社会党の推した有田八郎元外相を破って三選を果たしたものの、差はわずか11万七〇〇〇票で、現職知事としては苦戦というべき結果だった。「東京の七不思議」のように、安井都政への批判が高まってきたためだろう。
(注16)京橋~新橋の自動車専用道路は一九六一年に全通したが、本格的な都市内自動車専用道路の建設は五九年六月に発足した首都高速道路公団が引き受けることになり、東京高速道路京橋~新橋線は首都高速道路内環状線のバイパスという役割にとどまっている。そうした利用のされ方が、都心交通の渋滞緩和よりも、埋め立て利権のほうに重点があったのではないかと、いまだに疑われるもとになった。五四年に結ばれた東京都と東京高速道路会社との契約によると、東京高速道路会社は建設後三五年が経過した時点で自動車道路施設を都に贈与し、その後、同社は店舗部分を都から借りて収入の四割を都に払うことになっていた。
ところが、八〇年になって都が贈与を交渉すると、会社側は道路下の店舗などは贈与の対象ではないと主張し、訴訟になった。東京地裁は九五年六月、道路と店舗部分を一体の建物と判断、そっくり都に返還するよう判決した。東京高速道路側は控訴したが、九七年東京高裁、九九年最高裁で、ともに都が勝訴した。二〇○○年になって、都は財政難を理由に約五五億円で同社へ全体を売却した。
「東京都の肖像」塚田博康著 85~87頁から引用
と、これが七つのようだ。ここで紹介されているパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」を見てみたいのだが、国会図書館にも都立図書館にも首都大図書館にも無いようだ。。
これだけだとアレなので、他の図書からも探してみた。
しかし他方、第三期は安井都政にほころびがみえ始めた時期でもあった。一九五五年知事選の前には、戦災復興にともなう都市改造をめぐって「七不思議」と呼ばれた利権疑惑が問題にされたのである。
これらの問題は、保守系議員からも追及が行われた。一九五五年一〇月鯨岡兵輔(足立区、同年日本民主党から当選)は、都の事業をめぐる疑惑の本質を明らかにした。特定の人物や会社に恩恵を与え、かつ都の外郭団体に退職した都庁幹部が入っていることを指摘した。例えば「七不思議」の一つとして疑惑の渦中にある外郭団体の会長が前副知事であるなど具体的な事例をあげて批判したのである。さらにこの質問が行われる以前の安井三選直後にも、東京地検が、職員保養所の建設をめぐり汚職があったとして、都庁総務局などを家宅捜索した。これによって部長級の幹部職員など、関連業者の逮捕者を出したのである。鯨岡はこの事件にも言及して、昔の伏魔殿とは違い、こんにちの東京は知事のいう「明るい都、住みやすい都」となったと都民は信じていたにもかかわらず、過般の汚職事件によって都政に対する不信が生じたと厳しく指弾した。
「東京市政」源川真希著 223-224頁から引用
追い込まれた官僚知事
安井三選と腐敗汚職
(略)こういう社会党の進出が安井知事の辛勝の一因であった。しかしもう一つの原因は都政の腐敗汚職が明るみに出てきたことである。
知事選挙の僅か五日後、東京地検特捜部は約百名の係官で都庁総務局勤労部と都職員の健康保険組合を捜索した。それから七月下旬までの三カ月間、都庁は、都政はじまって以来の検察旋風に大ゆれとなった。この間、勤労部長をはじめ部長級三名、課長七名など十八名の職員と土建業者十二名を含む三十名以上の民間人が逮捕された。捜査の最終段階では、建設局長、建築局長、前建設局長、前水道局長の任意出頭まで求められた。上層部には波及しなかったものの、役人と業者が結託し、入札制度や許認可の裏をかいて不正な利得を得ていた容疑で、明らかに構造汚職の摘発であった。すでに知事選挙の最中から革新側は安井都政の利権に汚れた腐敗を批判していた。とくに革新系の庁内誌「都政新報」社がつくったパンフレット「東京の七不思議-裏から見た都政」は、都内の一般書店でも販売されて都民の反響が大きく、安井都政の汚職批判はかなり都民に浸透した。
この「七不思議」のうち、もっとも有名なのはすでにのべた数寄屋橋の下の濠を埋め立て、いま京橋から新橋へかけて高速道路が走っているが、この高速道路建設の名目でその下につくれらた(ママ)貸ビルの問題である。安井知事は、このためにできた「東京高速道路株式会社」なる民間会社に、この外濠の埋立権を与え、六千坪の土地に地上二階地下一階の貸ビルをつくって営業してもよいことにしてしまった。(一九五七年七月、フードセンター、数寄屋橋ショッピングセンターなど開業。)埋め立ての費用は都が負担し、この会社からとる地代は月坪四百円。当時この辺は坪当たり地価五万円といわれていたから、会社は店子から莫大な家賃や権利をとれるはずだ。「七不思議」としては、銀座三原橋下の堀の埋立て、跡地の使用許可、世田谷の砧緑地の東急によるゴルフ場経営許可などもあるが、公有水面の埋立権や都有地にからむものがほとんどで、安井三期都政になってからも都議会で論議された。また七不思議にはないが、東京の工業用地、埠頭用地として開発が進む東京湾の埋立てにまつわって、東京電力、東京ガスなど大企業に広大な土地の利権を譲渡するものも目立つようになっていた。
都政に関する汚職は、戦前は東京市政や東京府政が伏魔殿といわれて絶えることなく起こっていた。それが戦後はこの年になって初めて都庁幹部に及ぶことになり、その後も毎年起こって東都政の下でさらに大型化する。この都政の腐敗汚職の原因としては、戦後地方自治制の民主的改革にかかわらず、都庁がマンモス化するとともに、すでにのべた都庁官僚制が強まり都の役人が民間業者や一般都民に対し権限をふりまわすことが多くなった。当時の都庁の局長など幹部は、議会では不勉強で意味不明な答弁をしていても、夜になると議員や業者との宴会には精を出した。都民には予算がないと開き直るのに、料亭などの宴会はひんぱんに開き、幹部になるほどウラ金を自由に使っていた。安井謙氏の参院進出をはかるころから、警察の眼からみてかなり目にあまる公金の乱費、業者との癒着が進み、都民の見えないところで汚職がおこっていたと思われる。しかし田中警視総監時代はその幹部への摘発が抑えられていたが、国家公務員の警視総監になって幹部にも追及が及んだのである。
このように腐敗の進む都政内部の上に安井ワンマンがいて、弟や自らの選挙のために、この各局幹部を使って票集めをやっていたのであり、票集めの多いものほど重用されるといわれた。
「東京都知事」日比野登著 41~42頁から引用
大企業との癒着
東・鈴木時代の自民党保守都政と大企業の癒着ぶりは目にあまるものがあった。都有地をべらぼうに安く払い下げ、駅前開発では私鉄独占に便宜を供与するなど、いたれりつくせりであった。「東京七不思議」ということばも生まれた。
大資本との癒着ぶりの一端を示そう。事実は何よりも雄弁である。
安井知事時代
高速道路という名の貸ビル
「みなさま、ただいま渡りましたのが”君の名は”で有名な数寄屋橋でございます。大岡越前守の南町奉行所もこの橋のタモトにあったのでございます。これより銀座に入りますが、お濠にそって南にまがりますと、アレアレごらん下さい。お濠が埋って山下橋から新幸橋まで二階建ての細長いビルが建っております。皆さま、これが只今、東京都御用命で建築中の高速道路でございます。ご覧の通り、屋上は道路らしくなっておりますが、自動車の昇り口も降り口もなく、一方、下の貸室は早くも一パイにふさがっております。三年以内にはあの数寄屋橋もカゲをけし、難波橋から紺屋橋までの濠川も埋め、一三〇〇メートルの細長いピルが銀座をとりまく計画になっております。どうぞ、ごゆっくりとご覧下さいませ」(パンフ「東京の七不思議」より)
これは、当時一躍名をはせた高速道路という名の貸ビルについての都内遊覧バスガイド風の説明である。
ことの起こりは、一九五一年、東京高速道路株式会社なるものが、銀座・新橋の境を流れる汐留川の難波橋-京橋川・紺屋橋間の外濠一三六〇メートルの「公有水面占有」を都に出願したことにはじまる。最初から埋立てとしたのでは都民が騒ぐし、手続き上も都議会の同意が必要になる。しかし、「水面占有」は知事専決である。”魚心あれば水心”とでもいうべきか、安井知事は待ってましたとばかりに、出願一ヵ月後には許可を出し、同社は二年後工事に着工、事実上の埋立てをはじめた。世間が騒ぐので、都ははじめて五四年五月の議会に計画の概要を明らかにした。それによると、外濠一万三〇〇〇坪(約四万三〇〇〇平方メートル)を埋立て、そこに六 〇〇〇坪(約二万平方メートル)余りの自動車専用の高速道路をつくる。その埋立て工事を東京都は前記会社に委託する、都はその委託料として三億一〇〇〇万円を三〇年賦で払う、会社は高速道路をつくり、道路下の貸ビルを経営し、三五年たったら都に寄付するーというものだった。高速道路といっても狭いビルの上で車は通れない(その後六三年から一部車が通れるようになり、今日ではすべて通れる)。事実上の細長い貸ビルである。なんのことはない、都の財産を東京高速道路株式会社に提供しようというものに他ならなかったわけである。三五年たったら都に寄付する契約だが、寄付したあとも「運営は会社に委託する」という念の入れようだった。
問題は同社役員の面々だが、財界、大企業代表がズラリとならんでいる。社長は三菱土地株式会社の社長で、監査役は当時の石坂泰三経団連会長。株主は電通、日通、読売、ラジオ東京などが名を連ねている。当時、坪一〇万円の権利金として一八億円、家賃坪二〇万円で三六億円―その後、権利金などははるかに値上がりした―という莫大な金が会社にころげこんだといわれる。その契約期限が二年後の八六年に迫っている点でこの問題は今日的なものでもある。さまざまな恋とロマンの歌や映画の舞台となった有楽町「君の名は」で有名な数寄屋橋、銀座一帯も、大企業と都の幹部にとっては、利潤追求と利権の場にすぎなかったようである。
都立産業会館事件(略)
都有緑地を東急資本に
世田谷区砧に一三万坪(約四三万平方メートル)弱にのぼる東京都の縁地があった。一九四〇年「東京都市計画緑地」として内務省から指定され、都が強制的に買収したものであった。ところが安井知事は、この緑地のうち六〇%の七万七〇〇〇坪(約二五万四〇〇〇平方メートル)弱について、つぎのような条件で東急の出願に応じ、東急と委託契約を結んだ。つまり、東急が七〇〇〇万円で、そこにゴルフ場をつくり、それを東京都に寄付する、そのかわりその経営管理を向う一〇年間東急に委託するという形で、住宅用地としても最適な広大な土地をいわばタダ同様の条件で東急に肩入れしたのである。それも、知事任期があと五ヵ月にせまった一九五四年十 一月、強引に議会を通過させたのであった。
事業主東急資本のねらいは明白であった。議会での都の答弁によると、「東急としてはこれによる付近の開発を考えている」とされていた。東急との結びつきはそれだけにとどまらない。同じく世田谷の駒沢にある都有地八〇〇〇坪(約二万六四〇〇平方メートル)についても、タダ同然、これもいたれりつくせりの条件で東急に総合グラウンドをつくらせた。さらに、丹羽文雄の「恋文横丁」などで名をはせた渋谷駅前広場から立退いた露天商を収容するという名目で、実際は東急の子会社の「東光ストア」に地下売場をつくらせた。その大部分は東横デパートの売場としてつかわれている。
そのほか、東横デパートや東急文化会館のために都電の発着所をわざわざかえるなど、渋谷駅を中心とする東急ターミナルをつくるために、都は東急独占に便宜と利権をゆずりわたしてもいるのだ。
「革新都政史論」有働正治著 23~24頁から引用
こうした利権の例としては、かつて東京の七不思議と騒がれたものの多くがこれにあたる。すなわち、第二部でふれた高速道路という名のビルをはじめ、産業会館(都心の都有地を安く会社に払下げ、そこに融資して会館を建設)、三原橋(銀座の堀をうめて不要となった橋の下を、公共性をもった都の外郭団体に貸し、それが又貸しされ転用されていった)、砧ゴルフ場(都有地七万坪の実質上の一定期間払下げ)などがとりあげられている。また、東京湾の埋め立て地も、一般都民にたいしてはほとんど利用されず、大会社と公営賭博とゴルフ場にのみ使われるというので非難されている。
「東京 - その経済と社会 -」柴田徳衛著 185頁から引用
また、「でんでこでん: 都電エレジー」 田村徳次・著にも、下記URLのリンク先(google ブックス)に、七不思議についての記述がある。
砧のゴルフ場とは、下記右の写真のように、現在世田谷美術館等がある砧緑地が東急のゴルフ場となっていたものである。
ところで、七不思議のうち、石川栄耀氏が絡んでいたものは、少なくとも「東京高速道路」「三原橋」があるし、七不思議以外にあげられている「渋谷地下街」にも絡んでいる。渋谷地下街については取締役に天下っているし、東京高速道路については顧問に天下っているという報道(疑惑をもたれる 高速度道路 / 寺下辰夫)がある。
しかし、「都市計画家 石川栄耀」鹿島出版会刊 中島直人、西成典久、初田香成、佐野浩祥、津々見崇:共著には、一切その辺の記述は出てこない。不都合な真実なのかしらん?
安井知事が後に知事を辞めたときに、「(略)石川栄耀はあのわけのわからん銀座の高速道路なんかを人に勧めてやらせておいて後始末をしなかったが、あれを後始末をしてくれて本当にありがとう」と言ってくれた。
「東京の都市計画に携わって:元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」東京都新都市建築公社まちづくり支援センター刊 17頁
ところで、新国立競技場の迷走でも有名になった内藤廣氏の東京高速道路評はというと
今で言う民活やPFIの先駆けだ。建設費と運営費をテナントの賃貸料で回収するという画期的なアイデアだった。その筋金入りの勇気と熱意は、経済的な収支が合いさえすれば何でもありのいまどきの安易な都市再生とは違う。
じゃあ、なんで「安井都政の七不思議で最も有名」になるんですかねえ。これも「分かりやすい正義」で、「根源的な議論」じゃないということなんですかねえ。「建築家の良識とは、その範囲のものだったのでしょうか。」
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