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2015年7月に作成された記事

2015年7月27日 (月)

大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線

大阪モノレール9キロ延伸計画、府と東大阪市合意へ

 大阪モノレール(大阪空港―大阪府門真市)の延伸計画で、府と東大阪市が負担額について大筋で合意し、今年度内にも事業化を決めることになった。東大阪市は府との協議で、66億円を市で負担する案を検討。今後、70億円程度を上限に、最終調整を進める。松井一郎府知事と野田義和東大阪市長が22日午後に会談し、正式に発表する。

 大阪モノレールは府の第三セクター「大阪高速鉄道」(OKT)が運行する。延伸計画は、現在の終点の門真市駅から、東大阪市瓜生堂(うりゅうどう)まで南に約9キロ。大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線やJR学研都市線、近鉄奈良線などと接続させるために4駅を新設する。

2015年7月22日12時55分

http://www.asahi.com/articles/ASH7Q36T8H7QPTIL007.html

http://megalodon.jp/2015-0727-2218-46/www.asahi.com/articles/ASH7Q36T8H7QPTIL007.html

 「東大阪市瓜生堂」ってどこや?なんで近鉄の駅の真ん中に作るんや?って考えたら、中央環状線と近鉄奈良線の交点なのだな。

大阪モノレール延伸計画

「道路セミナー」から引用(何年何月号かメモが行方不明。。。前後の記事の文脈から1977(昭和52)年頃と思われる。)

 もともと、大阪モノレールは、中央環状線に沿って、近鉄大阪線久宝寺口駅までの計画なのだ。大阪空港は廃港しようとしていたからか当初計画にはなかった模様。

 そのため地図を見ると近畿自動車道と中央環状線の間に、導入空間らしきものが久宝寺口駅まで準備されているのが分かる。(言い方を変えると、久宝寺口駅から美原ロータリーの間は、近畿道と中央環状線の間に導入空間は無い。モノレールの堺延伸を言うのは簡単かもしれないが、現状では設置する場所が無いのではないか。)

 ところで、モノレールについては、

成田山のモノレール未成線 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-b50b.html

東京都の未成モノレール計画(環5、環6、環7、環8、江東) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-62f0.html

東京湾横断道路併用モノレール(未成線) 新横浜~アクアライン~かずさアカデミアパーク http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-cece.html

と未成線について記事を書いてきたし、未成新交通システム関連の「土浦ニューウェイ」については飽きるほど書いてきたところである。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-85e8.html

 

 先日、「公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 という本にたまたま出合った。

 そこに1973(昭和48)年から1983(昭和58)年までの「都市モノレール等調査実施箇所と事業化状況」という一覧表が載っているので引用させていただく。

都市モノレール・新交通システム 未成線及び事業化路線一覧

 36都市について建設省(当時)の補助金を使って都市モノレール又は新交通システムの導入調査をしたところ、事業化にこぎつけたのはわずかに?8都市でそのうち1都市は着手せずに事業中止されている(筑波学園都市線については、別頁に「収支見通しがつかないため再検討中。」と書かれている。)。

 また、岐阜市、熊本市、岡山市、鹿児島市といった路面電車を持つ都市がモノレールやガイドウェイの調査を行っていたことも興味深い。

 川崎市の「多摩連環線」とは、前述の「道路セミナー」の記事によると下記のようなもののようだ。

川崎モノレール未成線

 建設省の補助事業となる都市モノレール以前のモノレール構想としてはこちらが興味深い。広報ひめじ昭和39年2月15日号

日本のモノレール一覧

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ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった

ブラタモリで東京駅の地下にトンネル発見 ※ネタバレあり #未成道 #ロリ鉄 #東京駅 #ブラタモリ にまとめていただいたおかげで

ブラタモリに出てくるという「東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネル」の記事に強烈なアクセスを頂戴したところである。感謝感激雨あられ。

ブラタモリに出てくる謎の東京駅地下通路2

 ところで、その後も1週間ほど例の「幻の地下道」をおっかけていたのであるが、大体その正体が分かったのでご報告したい。

 togetterに一緒に纏められていた上記ツイートを基に資料を探してみると、当該報文に、型式の選定経緯や配筋図等が載っていた。(時間の都合上コピーはとれず。)

 ざっくり纏めると下記の図の如し。

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった6

 この架道橋の橋脚を幻の地下道の両側の壁が支えているのだ。

 工事の経緯は「「東工」90年のあゆみ」(日本国有鉄道東京第一工事局発行)455頁に具合よく纏められているので引用させていただくこととしたい。

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった1

 しかしこれを見ても「国鉄が営団から受託して工事を大林組・住友建設等に発注した」ことは分かるのだが、自動車道自体が何者かは分からない。

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 ちなみに「景観を考慮 した中央線重層化工事の設計 ・施工」コンクリート工学 Vol. 32 (1994) No. 12https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/32/12/32_41/_pdfには、下記のように3層構造の当該隧道が顔を出したりしている。メトロは分からなくなっていてもJR東日本はちゃんと押さえている。そりゃ自分の処の橋が載っているんだからなあ。。

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった3

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ところで、幻の地下自動車道の正体なのだが、こういう時は山田正男・元東京都建設局長の著作集「時の流れ・都市の流れ」を見れば出てくるはずと思って調べたらやはり載っていた。「関係者の英知と努力に敬意-常盤橋地区の再開発竣功にあたって-」という昭和46年に山田氏が建設工業新聞に寄稿したものから引用させていただく。

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった2

 放射16号とは永代通りのことだ。「幻の地下自動車道」は都市計画決定された道路だったのである。下記のように官報告示されている。

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった7

 この付近はそんなに混雑していたのだろうか?

「大都市の都心路面交通の諸問題」清水馨八郎・著https://www.jstage.jst.go.jp/article/newgeo1952/5/3/5_3_20/_pdfによると、

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった4

ということで、当該箇所は、都内でも「特にひどい低速地区」の一つにあげられているようだ。

 なお、「東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」によると

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった8

 誰の「債務不履行」かは明記されていないが、前後の文脈からすると、東京駅八重洲口の駅前広場を巡る国鉄との協議不調により実現しなかったということだろうか。。

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 銭瓶ポンプ所が再開発したビルの地下に潜った様子は下記のURの図面からも分かる。タモリはこっちも見たかったんじゃないかな?

http://www.ur-net.go.jp/otemachi/pamph_j/index.html#page=7

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった5

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 ところで例の縦断図をよく見ると

ブラタモリに出て来た幻の地下道の正体が分かった9

 青枠でくくったところに「地下横断自動車道」と書いてあるように見えないか?ブラタモリで東京メトロの担当者が示した「当時の計画図」にはこんなもの載っていなかったぞ。これこそ「幻の自動車道」ないか?

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2015年7月20日 (月)

山田正男「宮城外苑地下道計画案に就いて」

 ブラタモリ関係でアクセス数がえらいことになっているが、当初「東京駅付近の国道1号の地下に謎の地下道」と聞いたときには、下記にご紹介する「宮城外苑地下道」のことかと思っていたのである。

 というのも、戦前、皇居前の道路は交通が集中し、東京随一の交通量を示すに至っていたため、そこの渋滞解消が必要であったからである。

 この解消のため、皇居前の内堀から日比谷公園までの地下道が計画された。

 下記報文は、後の東京都建設局長・首都高速道路公団理事長・山田正男氏が1939(昭和14)年に「道路」11月号に寄稿したものである。

 先般東京市の宮城外苑整備委員会で正式に決定したので,編輯係の御注文により掲げることにした.

 尤も之は若し都市計画事業とする場合には尚正式の手続きを経なければならない.その意味に於て之は未だ「案」の域を出て居ない.

「道路」1939(昭和14)年11月号 「宮城外苑地下道計画案に就いて」山田正男・著

 
 という位置づけである。

宮城外苑地下道計画1

 

宮城外苑地下道計画3

 

宮城外苑地下道計画2

 戦前のものであるので、防空壕としての機能について関心をお持ちの方も多いかとは思うが、下記のとおり書かれている。

宮城外苑地下道計画5

 

宮城外苑地下道計画4

 考察については、おって展開したい。

 なお、本稿では「時の流れ・都市の流れ」山田正男・著に掲載されたものから引用している。

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2015年7月19日 (日)

ブラタモリに出てくるという「東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネル」

 本日、私のツイッターのTLを「東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か」というネタが流れている。

なんでも、「空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。
この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。」

 ということだが、「交通技術」1966(昭和41)年3月号に「脚光あびる営団地下鉄5号線」という報文を吉沢慶蔵・帝都高速度交通営団建設本部工事第1課長(当時)が執筆している。

 そこに、件の「地下自動車道路」らしき図面が掲載されているようだ。

ブラタモリに出てくる謎の東京駅地下通路

 該当部分を拡大してみる。

ブラタモリに出てくる謎の東京駅地下通路2

ブラタモリに出てくる謎の東京駅地下通路3

ブラタモリに出てくる謎の東京駅地下通路5

 

 東京オリンピックにあわせて日比谷に作るはずだった下記地下道が営団地下鉄日比谷線との調整不調につきできなかったことの代替路線なのだろうか?(画像は「5年の学習」1958年5月号から引用)

できるか地下三階の立体道路

以前、書いた「東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった」

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3bf6.html もあわせて読んでいただけますと幸いです。

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(追記)

 「パンフレットで読み解く 東京メトロ 建設と開業の歴史」 東京地下鉄株式会社・編著 実業之日本社・刊 に東西線建設パンフレットがカラーで掲載されており、番組で出てきた当時の計画図も載っています。

 ↑
 拡大すると、丸ノ内線の下をくぐるぶぶんだけフロアーが下がっていることも分かります。

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(追記 その2)

 ニュースの中身がブラタモリの予告と微妙に違うのだな。。。ニュースの方が敢て「謎」感を煽っている感じがする。どっちがニュースなのか分からん。。。

NHKニュース
「東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150719/k10010159251000.html
魚拓
ブラタモリ予告
「ブラタモリスペシャル」取材中に、50年前の幻の自動車道を大発見!
http://www.nhk.or.jp/buratamori/yokoku.html#Tokyo
魚拓
 空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。

 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、今回、偶然見つかって非常に驚いた。安全性には問題ないが、当時の建設計画は詳細が分からず謎が残る」と話しています。
 東京メトロによると「存在は知っていたものの、どこに入口があるのか分からなかった。今回、バリアフリーのための東西線大手町駅改装工事の際に、天板をはがしたところ、見つかった」ということでした。今回番組取材を進めている中で、偶然発見されました。
 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。  昭和42年当時の完成予想図によると、それは、永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道でした。当時は、急激に自動車の交通量が増えた時代。インフラ整備の際に空間を確保しておくため、地下鉄の工事に合わせて一部作られたものが使用されないまま残っていたのです。
 まさにこれ。

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(追記 その3)

番組に出て来た首都高速の八重洲地下駐車場直結ランプについてもブログを書いておりますので是非ご覧ください。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-7fe0.html

 また、番組では取り上げられませんでしたが、戦前に皇居から日比谷公園にかけて地下道を造る計画だったことについてもブログを書きましたのであわせてご覧ください。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-6c82.html

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2015年7月11日 (土)

「名神全通50周年企画」建設省 東京・神戸間高速自動車国道計画図

 まだまだ続く「名神全通50周年企画」

 今度は、昭和38年に建設省で作られた「東京・神戸間高速自動車国道計画図」である。色刷りで中央道の南アルプスぶち抜きルートが残っているのは珍しいのではないか?

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (1)

 房総半島から淡路島までが収められた50万分の1の地形図だ。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (2)

 青は名神高速道路。赤は東名高速道路。緑は中央自動車道と振り分けられている。

 名神高速道路の部分を拡大してみる。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (3)

 残念ながら神戸~西宮の路線は既に縮小済だ。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (4)

 名神高速の全体図

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (5)

 東名高速と中央道の愛知県附近

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (6)

 東名高速と中央道の静岡県・長野県附近
 中央道が中津川ICから天竜峡IC、木沢IC、大井川IC、富士川ICと赤石山脈をぶち抜いていく。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (7)

 この中央道のルート変更にあたっての経緯については「南アルプスを越えられなかった中央自動車道」ケンプラッツ 高槻長尚・著http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20101224/544889/等にも触れられているが、身延あたりの経緯だけを持ち出すのは実に片手落ちな記事であって、実は猛反対したのは静岡側であったという。

 

 しかしその陰には非常に困難な課題があった。それは中央自動車道と九州縦貫自動車道の大幅なルート変更の促進である。ルート変更の内容は、中央自動車道の場合は東京-大月市-富士吉田市-井川村(静岡県の山地部)-飯田市-中津川市-小牧市となっていたルートを、井川村を削除して、現行の大月市から交付し、諏訪市を経由して飯田市に至るルートに変更しようというものであるが、静岡県と同県選出の足立篤郎氏ら多数の国会議員が強くこれに反対した。

(略)

 静岡県側の反対の理由は、既定の路線は静岡県北部地域の開発に不可欠であり、地方住民の期待は極めて大きい。もし甲府市、諏訪市経由の路線がどうしても必要なら、新たに追加すればよいのであって、そのために既定の井川村経由の路線を廃止するという考え方は、既得権を剥奪するものであり、絶対に承服できないというものであった。この主張は一応の理にかなっているようにみえるが、実際問題としては富士吉田市-飯田市間に二つの高速国道を建設せよということになり、とても世論の理解を得ることは難しい問題である。しかし、既得権を奪われる静岡県の立場を考えると、論理を超えた県民感情の問題なので、事態は極めて深刻である。

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「青木先生と共に三十三年」秋山寛一・著 444~446頁から引用

 東名高速と中央道の神奈川県・山梨県・東京都附近

 中央道は、富士川ICから精進湖ICを経て河口湖ICへ。そこから東は現在と同じルートだ。

 また、東名高速の富士ICが旧市名の「吉原IC」となっている。

 東名、中央道ともに、起点は現在の東京IC、高井戸ICよりも更に都心側に破線が伸びている。山手通り(環状6号線)が起点だったのである。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (8)

 下記に色鉛筆で追記されている線は、おそらく堤康次郎が記入したものであろう。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (9)

 中央道を活用して、富士五湖~甲府~八ヶ岳~奥秩父~秩父~西武線という観光周遊ルートを考えていたのであろうか?

 山梨交通を巡っては、小佐野賢治(国際興業)と堤康次郎(西武)が激しい争奪戦を繰り広げ、結局小佐野賢治に軍配が上がったのであるが、ここで再度堤康次郎は山梨に攻め込み、五島慶太との箱根山大戦争の富士山版を目論んでいたのだろうか??

 

 ところで、古い地図なので、いろいろと現在とは異なる部分がある。まずは、中央道上野原=相模湖インターチェンジ。

上野原にある相模湖IC

 もともとは、中央道には相模湖ICの計画はなく、上野原ICが計画されていた。

中央自動車道報告書

中央自動車道報告書3

http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/H1430a00330000/061200747073.pdf

 手書きで「上野原IC」のところに「さがみ湖に変わるかもしれぬ」と記されている。

 この頃(※引用者注:昭和37年頃と思われる。)、神奈川県(内山岩太郎知事)から「県内には中央道のインターチェンジが一カ所もできない計画人なっているので何とか一カ所だけは作ってもらいたい」という要請があった。これは考えてみればもっともな要望なので、早速、建設省と協議したところ「インターチェンジの追加は中央道の採算性からみて極めて困難な問題である」ことが明らかになった。

 そこで私は天野山梨県知事に対して、山梨県の上野原町に設計する計画のインターチェンジを神奈川県に譲ってやってもらえないか、と要望したのである。神奈川県内にインターチェンジを設けるためには、当時としてはこれ以外に方法がなかったので、無理を承知で頼んだのである。天野知事は数日の検討ののち「青木先生からの要請では断るわけにゆかないので承知するが、上野原町になるべく近い地区に設置するようにしていただきたい」という回答をくれた。

 私はこの回答に基いて、ただちに内山神奈川県知事らとともにインターチェンジの候補地を視察し、現在の神奈川県津久井郡藤野町が最高の適地であることを確認した上で、中村建設大臣、河北道路局長らにこの旨を説明して了承を求め、計画の変更をお願いしたのである。

 

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「高速道路の青木と呼ばれて」青木一男・著 24~25頁から引用

 この地図が作成されたのが昭和38年だからなのか、場所は上野原でICの名前が相模湖という中途半端な状況になっている。

 結局、上野原ICについては、昭和58年に追加ICとして施行命令が出され、平成元年に供用開始している。

この辺は、中央自動車道 南アルプスルートを国立公文書館デジタルアーカイブで探るもあわせてお目通しいただけると幸いである。

 

新幹線浜松駅ルート変更前

 高速道路とは関係ないが、東海道新幹線(黄色の線)の浜松駅付近のルートが市内の南側を通る以前のルートのままだ。

 このルート変更と変更後開通に間に合わせるために奮戦した国鉄用地買収担当者の手記「国鉄東海道新幹線用地取得回顧録」桑沢弘・著は大変興味深いものであったことを申し添える。

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「名神全通50周年企画」近江鉄道の高速バス路線計画

「名神全通50周年企画」建設時のインターチェンジ青焼き図面において「早稲田大学大学史資料センター」所蔵の名神高速道路のインターチェンジの図面を紹介したが、これは近江鉄道が高速バス路線開設の免許申請のために日本道路公団から入手したものであったことは既に紹介したとおりである。

 では、近江鉄道の高速バス計画はどのようなものだったのか、それを示すパンフレットを紹介したい。

近江鉄道高速バス (1)

 

近江鉄道高速バス (2)

 

近江鉄道高速バス (3)

 

近江鉄道高速バス (4)

 

近江鉄道高速バス (5)

 

近江鉄道高速バス (6)

 

近江鉄道高速バス (7)

 

近江鉄道高速バス (8)

 

近江鉄道高速バス (9)

 

近江鉄道高速バス (10)

ところで、名神高速道路概成にあたっての高速バス申請路線一覧にも書いたのだが、

昭和三十四年二月以来、日本急行バス・日本国有鉄道をはじめとして、近畿日本鉄道・名神高速自動車・近江鉄道・北陸急行バス.。関西高速自動車・京阪自動車・名古屋近鉄バス・名古屋鉄道・江若鉄道・滋賀交通・三重交通など十三社から、二九二の路線と一〇四の系統について、順次に免許の申請がなされて来たのである

 

「地域間高速道路と定期バス事業-名神高速道路のバス免許をめぐって」 西藤雅夫・著 http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/handle/10441/3228 から引用。

 多くの会社から多くの路線の申請があり、その調整の困難さから「道路公団がやればよい」との意見も出たほどであった。

名神高速のバスは道路公団で

1964年8月15日朝日新聞

 そんな中で実際に免許された路線は名神高速道路概成にあたっての高速バス申請に係る審査結果に記したとおりである。

 注目すべきは、近鉄、名鉄、京阪といった大手鉄道会社が単独での路線開設ができず、日本急行バス等に出資する形でしか路線開設できなかったにもかかわらず、近江鉄道は単独で路線開設が認められているのである。

近江鉄道高速バス (11)

 ここで気になる文書がある。

 以前、東海道新幹線建設に係る近江鉄道との景観補償を巡る攻防を、早大大学史資料センター所蔵の資料をもとに解説したが、新幹線と近江鉄道にまつわる「景観補償」の検証(その3)

(4)尚また貴国鉄自動車部門に於かれましては名神間高速自動車道の敷設に伴いこの程17系統にも及ぶ路線免許を出願されましたが、これとても当社既設バス木の本-彦根間33粁9系統に重複し、而も仝大垣-大津間101粁10系統の現行路線に完全並行する競合申請で、前叙鉄道部門の赤字を補いつゝ当社の事業基礎を一応安定して来た当社自動車部門いもその死命を制するが如き影響を与える重大案件ではあります。

さり乍ら当社は貴国有鉄道の立場を尊重申し上げて、他同業が挙げて貴国鉄自動車の申請に協力反対をなしているにもかゝわらず、にわかに之に同調することなく貴国鉄自動車に依る幹線輸送網の造成には賛同して話し合いたいとの方針を打ち出し、御協力申上げているのであります。勿論、貴国鉄自動車当局ではこの大方針実現のためには関係民業と十分協調する用意ある旨言明されてはおりますが、さればとて貴国鉄自動車御当局よりは現状之に対する何等の具体的保証を得ているものではありません。若し万一、一方的に何の話合いもなくして高速自動車道に依る国鉄自動車の路線設定を強行されるならば当社自動車部門もこれ亦新幹線により大影響をうける鉄道部門同様に恐らくは崩壊の運命をたどらねばなりません。斯くては自動車部門の黒字によりかろうじて余喘を保持し得ている当社鉄道部門は、この面よりも更に壊滅的な圧迫を受け、益々窮地に追い込まれるは火を見るよりも明らかであります。

 

昭和36年6月19日付け 日本国有鉄道 大阪幹線工事局長 高橋 好郎 宛て 「東海道新幹線の当社線路と並行建設について」 近江鉄道株式会社 代表取締役 山本 広治

 近江鉄道は、新幹線建設だけでなく、国鉄による高速バス路線解説についても近江鉄道経営の支障になると申入れていたのである。

 それに対し、国鉄側は

 自動車路線関係のことにつきましては、早速関西支社長へ連絡しておきましたので何卒御了承下されたくお願い申し上げます。

 

昭和36年7月12日付け 近江鉄道株式会社 代表取締役 山本 広治宛て 「東海道新幹線を貴社と並行し建設することについて。」 日本国有鉄道 大阪幹線工事局長 高橋 好郎

 と、何やら低姿勢である。

 そして昭和36年7月17日付けの日本国有鉄道  総裁 十河 信二 及び 新幹線総局長 大石 重成宛ての陳情書「東海道新幹線を当社鉄道線に膚接並行して建設されるに対し御再考方陳情の件」からは、国鉄高速バスについての言及はなくなっている。

 

 大変下種な勘繰りであるが、ここのところのやりとりがあって、近江鉄道に高速バスの路線が免許されたんじゃないかなー等と思ってしまう訳でありまする。根拠はないけど。

 

 「高速バス進化の軌跡: 1億人輸送機関に成長した50年の歴史と今」和佐田貞一 ・著という本が出版されるようだが、この辺の経緯なんかは絶対出ないだろうなあ。

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2015年7月 8日 (水)

「名神全通50周年企画」なぜ名神高速道路は神戸まで行かないのか

 「名神全通50周年企画」建設時のインターチェンジ青焼き図面で、少し書いたのだが、名神高速道路は名古屋市も神戸市も通っていない。名古屋市は東名高速が通っているが、神戸市はどうしたのか?

 再度整理してみたい。

■名神高速の西宮―神戸間が削減された経緯

名神高速 官報

 官報に掲載されているように、本来は「高速自動車国道吹田神戸線」として、現在の終点の西宮市から芦屋市を経由して神戸市が終点となっていた。

神戸が終点になっている名神高速道路の路線図

土木図書館資料 デジタル化コレクション

「行きづまる国道1号線」高速道路調査会 から引用

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/book/pdf/55033.pdf

 しかし、予算オーバーとなってしまい、削減策の一環として、西宮市以西は第二阪神国道を活用することとなったのは前述のとおりである。

 というのは、建設費について大蔵省主計局との交渉に当ったのであるが、名古屋-神戸間高速道路の建設折衝時において建設費としては当初31年4月、建設省の積算は550億円となっていた。また次いで世銀借款の話が生じたとき、建設費の概算として建設省は700億円程度に増加すると非公式に説明をしていた。従って大蔵省としてもこの程度までは止むを得ないと予想していたと思われる。しかし、公団で建設費を検討してみると1千億円を超す見込みとの作業結果が出て来たのである。大蔵省にこの事情を説明し、概算建設費を決める交渉を行ったのでこれでは到底納得することはできないという結果となったのである。

(略)

 いろいろと交渉の結果、事業費を700億円程度に圧縮しないことには、了解に至らない事情であったので、(略)事業規模を圧縮する方法で建設費の概算を793億円でまとめたわけだ。修正の主要な点は、西宮-神戸間の高架区間を削除した(この区間は第二阪神国道でとりあえず交通処理可能と考え、将来追加を予定したが、のちに阪神高速道路公団により建設された。)。(略)

 

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「世銀借款交渉の日々」斎藤義治・著 127~128頁から引用

 国会議事録でも概ね裏が取れる。

○中島(巖)委員 (略)

 次に高速自動車国道の関係について申し上げますが、本年度の実施要綱によりますと、「昭和三十二年度に引続き用地買収、機械購入等を行い建設を促進する予定であります。」用地の買収、機械の購入だけを書いてあって、工事を促進するというようなことはここに何もないのであります。さらにもう一つお尋ねすることは、昨年度道路公団の全予算が百二十億程度であった。しかしながら現在の国土開発縦貫自動車道審議会に政府が提案いたしまして、吹田・小牧間、吹田・神戸間の高速自動車国道を建設する、この予算が、最近実施計画に移しまして、約一千億近いものになっておるということを聞いておるのでありますが、これを約三年間で実施するといたしますれば、昭和三十三年度におきましては相当予算規模も拡大せねばならないわけであります。また建設事業もせねばならない、こういうように私ども推測するのでありますけれども、昭和三十三年度におけるところの公団予算はどんな規模の考えであるか、そして工事はどんなふうに行う考えであるかという二つの点を大ざっぱに、大臣でおわかりにならなければ局長でもよろしゅうございますので、御答弁を要求するわけでございます。

 

○根本国務大臣 高速度自動車道路の問題について今御指摘になりましたが、その書類に、用地買収と機械の購入を促進するとあって、工事の促進が抜けているということでございますが、御承知のように現在用地買収の問題が非常に難関なんで、これができなければ工事が促進できないということと、それから今度は相当大規模の工事量になりますので、従来の日本の機械だけではなかなか進捗ができないということで、その機械整備を重点に置く、従ってそうなりますれば当然工事が促進されるという意味でございまして、工事そのものはどうでもいいということでありません。特に重点を指向したのでございますから、さように御承知を願います。

 なおまた、御指摘の通り明年度からの高速度自動車道路における予算が、従来五百億とか七百億といわれましたが、正確な数字は後ほど事務当局から御説明申し上げますが、一千億近くになるというふうに考えております。これについて大蔵省と今折衝中でございますが、まだ確定はいたしておりません。従いまして三十三年度におきましては、やはり従来に比べて相当程度の増額になりますので、これを円満に実施するということはなかなかむずかしい問題がたくさんございます。その意味において現在すでに各要所々々に調査事務所を設けまして調査と、同時に地元とのある程度の接触をいたしまして、用地の買収その他のいろいろの条件の要求がございますので、それらを聴取しまして、予算が編成されたならばすみやかに工事ができるような準備態勢を現在命じている次第でございます。

昭和32年10月09日- 衆 - 建設委員会

 

○三鍋委員 閉会中行いました名古屋―神戸間高速自動車国道の調査について御報告申し上げます。

 調査は昨年十一月二十六日より五日間、本員のほか四名の委員によりまして、愛知、岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫の各府県にわたって行いました。

 御承知の通り、本事業は愛知県小牧市から大阪府吹田市までが国土開発縦貫自動車道建設法によって中央自動車道とし、また吹田市から兵庫県西宮市までが高速自動車国道法によって吹田神戸線として建設されるものでありまして、その延長は前者の区間が約百七十・七キロ、後者の区間が十五・四キロであります。その事業費は、前者が六百五十二億円、後者が百四十一億円、計七百九十三億円を要する見込みであります。

昭和33年01月29日- 衆 - 建設委員会

 昭和32年時点では、「小牧-神戸間で1000億円」で大蔵省と折衝中だったのが、昭和33年時点では、「小牧―西宮間で793億円」となっている。

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■名神高速道路の西宮―神戸間はどこを通るはずだったのか

(※追記修正があります)

 戦前の高速道路の路線を調査した片平信貴氏(内務省-建設省-日本道路公団)は、昭和18年から19年にかけて実施した東京神戸間の高速道路路線調査を振り返って、下記のように述べている。

神戸付近は神戸の山手を通ることを考えたが,その路線が軒並みに大邸宅にかゝることと神戸市へのインターチェンジの適当な場所がないことで疑問があつたが,山陽方面に伸びるためには止むを得ないと結論したとおぼえている。

「道路」1963年8月号「名神高速道路の一部完成までをかえりみて」片平信貴(日本道路公団高速道路第一部長)著から引用

http://www.katahira.co.jp/archives/img/mr_k_1_1.pdf

 現在、阪神高速道路は、阪神間は海岸沿いを走っているが、当時は山手に計画していたようだ。

 名神高速道路は、東西に走っていたところを、阪急西宮球場付近で急激に南へ舵を切っている。

 これをそのまま西へ走らせれば、片平氏のいう「神戸付近は神戸の山手を通ることを考えた」にあたるのだろうか?

 ここで参考になるのが、阪神高速道路の初期の計画路線である。

 以前、阪神高速道路が直結するはずだった新幹線大阪貨物駅で阪神高速道路の当初計画路線を紹介したが、再掲してみる。

阪神高速道路当初建設予定路線

路線番号8番 阪姫線 西宮市大屋町~須磨区月見山町という路線があるのがお分かりだろうか?

起点の西宮市大屋町はまさに名神高速道路がカーブする箇所である。

 そして、昭和38年6月25日の官報資料版 [政府関係機関のあらまし ─公社・公団・公庫・事業団の目的と事業─] には「大阪、神戸を直結する文字通りの阪神高速道路、神戸の山沿いを走る阪姫線といった路線について検討をすすめている。」という記載がある。

 阪神高速道路阪姫線は、戦前の高速道路計画から神戸市が終点だったころの名神高速道路の路線計画の名残だったと推測できるのではないか?

 ちなみに路線図は下記のとおりである。

当初の阪神高速道路計画

出典「阪神高速道路公団史」(上記「建設予定路線」とも)

現在、山手幹線として整備されている路線もこの辺の計画と関連があるのだろうか。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/yamatekansen2.pdf

(※追記修正)

 名神高速道路の西宮~神戸間は山手沿いを予定していたのではないかということで記事を書いていたが、後日、国立公文書館のウェブサイトに掲載されている「名古屋・神戸高速自動車国道計画路線図」を見つけた。これによると、国鉄線の更に海側を走っており、現在の阪神高速西宮神戸線と同様のルートのようだ。

名神高速道路の西宮-神戸間の幻の計画路線図

http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/high-growth/contents/15/photo27/imgs/i_zoom01.jpg

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■阪神高速道路大阪茨木線の名残

 話は変わるが、「名神全通50周年企画」建設時のインターチェンジ青焼き図面で、茨木ICの将来形の青焼き図面を御紹介したところである。

祝名神高速全通50周年 茨木IC将来計画図 (10)

 現在の茨木ICの南側に、ランプウェイらしき形状の道路があり、これ自体は名神高速道路への乗り降りには関係ないよなあ、なんのランプだろうと思って不思議に思っていたのだが、これは阪神高速5号大阪茨木線が名神高速道路へ接続する計画を反映しているのではなかろうか?

 もしかしたら、茨木ICは名神高速道路と東海道新幹線鳥飼貨物駅を結ぶ重要な交通結節点となっており、上記のランプを貨物新幹線のコンテナを満載したトラックが疾走していたかもしれないのである。

なお、阪神高速5号大阪茨木線接続計画前と思われる茨木ICが、前述の「行きづまる国道1号線」 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/book/pdf/55033.pdf の15頁に載っているのでご関心のある方はどうぞ。

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「高速なページ」http://cwoweb2.bai.ne.jp/~jec19501/20120601/top.htmを参考にさせていただきました。ありがとうございました。

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2015年7月 1日 (水)

「名神全通50周年企画」建設時のインターチェンジ青焼き図面

 2015年7月1日は、名神高速道路全線開通50周年ということらしいので、ウチも「名神全通50周年企画」をやってみよう。

 新幹線VS西武ネタでさんざんお世話になった「早稲田大学大学史センター」には、創成期の高速道路の資料も沢山ある。

 まずは、全インターチェンジの青焼き図面をご披露。

祝名神高速全通50周年 当時のIC (2)

「高速道路計画部」とは日本道路公団の当時の組織だが、下に書いてある「近江鉄道資料統計室」とは何故に?答えは、次の写真に。

祝名神高速全通50周年 当時のIC (3)

 近江鉄道が高速バスの免許申請用に日本道路公団から借りたもののようだ。

 全体の路線に係る施設の配置状況がこちら

祝名神高速全通50周年 当時のIC (4)

大津ICが二つある!京都東ICと京都南ICは無くて、京都ICがある!詳細はおって。

祝名神高速全通50周年 当時のIC (5)

まず1枚目は西宮IC

祝名神高速全通50周年 当時の西宮IC (6)

 阪神高速が未だ無く、第二阪神国道のみと接続している。

 名神の起点である西宮インターチェンジ(IC)は、第二阪神国道に接続する筈のものであるが、初めは同国道に直角に交差する平面街路に降ろし、出入り交通はそこから阪神電車の踏切を渡って第二阪神にたどり着くような形であった。これを立体交差で直結することになったのだが、交差点の真上に作ることになるので、なかなかうまい型式が見つからなかった。京都の宿屋で大塚氏(引用者注:大塚勝美氏)と二人で布団の上で天井を眺めながら思いついたのがロータリー型で、これが実際に作られた。今ではそこに阪神高速道路が重ね合わされて、複雑な形となっている。

 

「道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「対叡房会議が原点」武部健一・著 382頁から引用

 ここで「名神の起点である西宮インターチェンジ」とあるが、名神高速開通当初の路線図を見ると、西宮ICのIC番号が「1」となっている。(現在と逆。)

「地図」Vol. 1 (1963) No. 2「「名神高速道路地図」について」中野 達彦・著 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/1/2/1_2_39/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/1/2/1_2_AP1/_pdf

 次いで尼崎IC

祝名神高速全通50周年 当時の尼崎IC (7)

 ここは、その名もズバリ、尼崎市名神町だ。

 大阪府に入って豊中IC

祝名神高速全通50周年 当時の豊中IC (8)

 ここも豊中市名神口だ。そして西宮IC同様、阪神高速は未だ無い。

 吹田ICは大阪万博の時にできたので、当初は無し。

 ところで、吹田ICのど真ん中に茨木市の飛び地がある。

 吹田ICがある土地は、もともと「八町池(八丁池)」という溜池があったのである。(今でも名残の池がある。)

 その溜池を利用していた集落は、現在の吹田市以外に属する集落だったことから、現在でも池の形で茨木市の飛地という形で残っているようだ。

http://www.city.settsu.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000001/1301/inisie51.pdf 

 

 茨木ICは当初の図面と将来形の図面の2種類ある。

祝名神高速全通50周年 当時の茨木IC (9)

将来形は、阪神高速が鳥飼の新幹線貨物駅を経由して茨木ICに接続することを想定したものだろうか。

祝名神高速全通50周年 茨木IC将来計画図 (10)

阪神高速道路当初建設予定路線

 (阪神高速道路公団史から引用)

一般道側が50余年前の将来計画にまだ追いついていないということか。。

そして「京都IC」!

祝名神高速全通50周年 当時の京都IC(京都南IC) (11)

 「京都南IC」じゃないですよ。「京都IC」ですよ。

 更に「大津IC」!なんか形が違うけど!

祝名神高速全通50周年 当時の大津IC(京都東IC) (12)

 実は、京都東ICは当初は「大津IC」だったのである。行政上も京都市と大津市の境目に位置している。

名神高速道路計画図

出典「日本道路公団事業箇所めぐり」(昭和35年)

 大津ICというのは、もとは今の京都東ICのことであった。名神高速道路は、今でいう京都東-同南IC間を山科バイパスとして先行させる予定であった。(※引用者注:実際には「京都バイパス」として事業化されている。)したがって、京都東では、山科の東端の追分で、京都南の方からきた交通を国道1号に取り付けて大津方向に流すのが主体であった。そのため大津ICと呼ばれていたのである。その後、名神高速道路が全線一体として建設されるようになり、大津ICも両方向にサービスすることになったが、あとから無理につけたために、出入口が二箇所に分かれたり、具合が悪かった。そのために大津SA(サービスエリア)に付加的なICを付けることにもなっていた

 紆余曲折の結果、山科で計画されていた国道1号の東山バイパスに立体的に取り付けることを主体に、本線ICはY型とする計画に変更されたのだが、これには本線自身の位置をかなりずらし、また大幅な追加買収を必要とすることでもあったので、公団としてはかなり決断のいる仕事であった。

 

「道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「対叡房会議が原点」武部健一・著 382~383頁から引用

 この京都南~京都東間は旧東海道本線の跡地であることは今更言うまでもない。山科駅跡地が山科バスストップとなっている。

 ところで、鉄道の駅は地名に東西南北の方角を付けて区別する際に、「地名+方角」駅とするが、高速道路の場合は「方角+地名」ICだ。(西舞鶴駅と舞鶴西ICの如し。)その最初が京都東ICである。

 インターチェンジの命名法もアメリカ流儀を採用した。日本では一般に東西南北などは地名の前につける。しかしアメリカでは逆にOregon-westのように後ろにつける。名神高速道路ではアメリカ流儀を採用した。偶然のことながら名神の場合、後につけることが成功につながった。京都東インターチェンジである。これを従来の方式通りとすれば、東京都インターチェンジになるところであった。

 

「道路の日本史」中公新書 武部健一・著 196~197頁 から引用

 現在の「大津IC」は「大津サービスエリア」という名前の図面にランプウェイが後から取り付けてあるような感じだ。

祝名神高速全通50周年 当時の大津SA(大津IC) (14)

 一般道側の取り付けが現況とちょっと違うようだ。

 栗東IC

祝名神高速全通50周年 当時の栗東IC (15)

 八日市IC

祝名神高速全通50周年 当時の八日市IC (16)

 彦根IC

祝名神高速全通50周年 当時の彦根IC (17)

 現在は、東海道新幹線がIC内を横切っているが、当初は想定されていなかったのだろうか?

 関ケ原IC

祝名神高速全通50周年 当時の関ケ原IC (18)

 大垣IC

祝名神高速全通50周年 当時の大垣IC (19)

 一宮IC

祝名神高速全通50周年 当時の一宮IC (20)

 こちらには、現在名古屋高速道路が乗り入れている。

 最後に終点小牧IC

祝名神高速全通50周年 当時の小牧IC (22)

 「名神高速」と言いながら、名古屋市も神戸市も通らないんだよなあ。(名古屋ICは東名高速。神戸ICは、予算オーバーでカットされた。)

名神高速 官報

 というのは、建設費について大蔵省主計局との交渉に当ったのであるが、名古屋-神戸間高速道路の建設折衝時において建設費としては当初31年4月、建設省の積算は550億円となっていた。また次いで世銀借款の話が生じたとき、建設費の概算として建設省は700億円程度に増加すると非公式に説明をしていた。従って大蔵省としてもこの程度までは止むを得ないと予想していたと思われる。しかし、公団で建設費を検討してみると1千億円を超す見込みとの作業結果が出て来たのである。大蔵省にこの事情を説明し、概算建設費を決める交渉を行ったのでこれでは到底納得することはできないという結果となったのである。

(略)

 いろいろと交渉の結果、事業費を700億円程度に圧縮しないことには、了解に至らない事情であったので、(略)事業規模を圧縮する方法で建設費の概算を793億円でまとめたわけだ。修正の主要な点は、西宮-神戸間の高架区間を削除した(この区間は第二阪神国道でとりあえず交通処理可能と考え、将来追加を予定したが、のちに阪神高速道路公団により建設された。)。(略)

 

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「世銀借款交渉の日々」斎藤義治・著 127~128頁から引用

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