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2015年7月11日 (土)

「名神全通50周年企画」建設省 東京・神戸間高速自動車国道計画図

 まだまだ続く「名神全通50周年企画」

 今度は、昭和38年に建設省で作られた「東京・神戸間高速自動車国道計画図」である。色刷りで中央道の南アルプスぶち抜きルートが残っているのは珍しいのではないか?

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (1)

 房総半島から淡路島までが収められた50万分の1の地形図だ。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (2)

 青は名神高速道路。赤は東名高速道路。緑は中央自動車道と振り分けられている。

 名神高速道路の部分を拡大してみる。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (3)

 残念ながら神戸~西宮の路線は既に縮小済だ。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (4)

 名神高速の全体図

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (5)

 東名高速と中央道の愛知県附近

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (6)

 東名高速と中央道の静岡県・長野県附近
 中央道が中津川ICから天竜峡IC、木沢IC、大井川IC、富士川ICと赤石山脈をぶち抜いていく。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (7)

 この中央道のルート変更にあたっての経緯については「南アルプスを越えられなかった中央自動車道」ケンプラッツ 高槻長尚・著http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20101224/544889/等にも触れられているが、身延あたりの経緯だけを持ち出すのは実に片手落ちな記事であって、実は猛反対したのは静岡側であったという。

 

 しかしその陰には非常に困難な課題があった。それは中央自動車道と九州縦貫自動車道の大幅なルート変更の促進である。ルート変更の内容は、中央自動車道の場合は東京-大月市-富士吉田市-井川村(静岡県の山地部)-飯田市-中津川市-小牧市となっていたルートを、井川村を削除して、現行の大月市から交付し、諏訪市を経由して飯田市に至るルートに変更しようというものであるが、静岡県と同県選出の足立篤郎氏ら多数の国会議員が強くこれに反対した。

(略)

 静岡県側の反対の理由は、既定の路線は静岡県北部地域の開発に不可欠であり、地方住民の期待は極めて大きい。もし甲府市、諏訪市経由の路線がどうしても必要なら、新たに追加すればよいのであって、そのために既定の井川村経由の路線を廃止するという考え方は、既得権を剥奪するものであり、絶対に承服できないというものであった。この主張は一応の理にかなっているようにみえるが、実際問題としては富士吉田市-飯田市間に二つの高速国道を建設せよということになり、とても世論の理解を得ることは難しい問題である。しかし、既得権を奪われる静岡県の立場を考えると、論理を超えた県民感情の問題なので、事態は極めて深刻である。

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「青木先生と共に三十三年」秋山寛一・著 444~446頁から引用

 東名高速と中央道の神奈川県・山梨県・東京都附近

 中央道は、富士川ICから精進湖ICを経て河口湖ICへ。そこから東は現在と同じルートだ。

 また、東名高速の富士ICが旧市名の「吉原IC」となっている。

 東名、中央道ともに、起点は現在の東京IC、高井戸ICよりも更に都心側に破線が伸びている。山手通り(環状6号線)が起点だったのである。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (8)

 下記に色鉛筆で追記されている線は、おそらく堤康次郎が記入したものであろう。

建設省東京神戸間高速自動車国道計画図 (9)

 中央道を活用して、富士五湖~甲府~八ヶ岳~奥秩父~秩父~西武線という観光周遊ルートを考えていたのであろうか?

 山梨交通を巡っては、小佐野賢治(国際興業)と堤康次郎(西武)が激しい争奪戦を繰り広げ、結局小佐野賢治に軍配が上がったのであるが、ここで再度堤康次郎は山梨に攻め込み、五島慶太との箱根山大戦争の富士山版を目論んでいたのだろうか??

 

 ところで、古い地図なので、いろいろと現在とは異なる部分がある。まずは、中央道上野原=相模湖インターチェンジ。

上野原にある相模湖IC

 もともとは、中央道には相模湖ICの計画はなく、上野原ICが計画されていた。

中央自動車道報告書

中央自動車道報告書3

http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/H1430a00330000/061200747073.pdf

 手書きで「上野原IC」のところに「さがみ湖に変わるかもしれぬ」と記されている。

 この頃(※引用者注:昭和37年頃と思われる。)、神奈川県(内山岩太郎知事)から「県内には中央道のインターチェンジが一カ所もできない計画人なっているので何とか一カ所だけは作ってもらいたい」という要請があった。これは考えてみればもっともな要望なので、早速、建設省と協議したところ「インターチェンジの追加は中央道の採算性からみて極めて困難な問題である」ことが明らかになった。

 そこで私は天野山梨県知事に対して、山梨県の上野原町に設計する計画のインターチェンジを神奈川県に譲ってやってもらえないか、と要望したのである。神奈川県内にインターチェンジを設けるためには、当時としてはこれ以外に方法がなかったので、無理を承知で頼んだのである。天野知事は数日の検討ののち「青木先生からの要請では断るわけにゆかないので承知するが、上野原町になるべく近い地区に設置するようにしていただきたい」という回答をくれた。

 私はこの回答に基いて、ただちに内山神奈川県知事らとともにインターチェンジの候補地を視察し、現在の神奈川県津久井郡藤野町が最高の適地であることを確認した上で、中村建設大臣、河北道路局長らにこの旨を説明して了承を求め、計画の変更をお願いしたのである。

 

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「高速道路の青木と呼ばれて」青木一男・著 24~25頁から引用

 この地図が作成されたのが昭和38年だからなのか、場所は上野原でICの名前が相模湖という中途半端な状況になっている。

 結局、上野原ICについては、昭和58年に追加ICとして施行命令が出され、平成元年に供用開始している。

この辺は、中央自動車道 南アルプスルートを国立公文書館デジタルアーカイブで探るもあわせてお目通しいただけると幸いである。

 

新幹線浜松駅ルート変更前

 高速道路とは関係ないが、東海道新幹線(黄色の線)の浜松駅付近のルートが市内の南側を通る以前のルートのままだ。

 このルート変更と変更後開通に間に合わせるために奮戦した国鉄用地買収担当者の手記「国鉄東海道新幹線用地取得回顧録」桑沢弘・著は大変興味深いものであったことを申し添える。

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