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2015年7月 1日 (水)

「名神全通50周年企画」建設時のインターチェンジ青焼き図面

 2015年7月1日は、名神高速道路全線開通50周年ということらしいので、ウチも「名神全通50周年企画」をやってみよう。

 新幹線VS西武ネタでさんざんお世話になった「早稲田大学大学史センター」には、創成期の高速道路の資料も沢山ある。

 まずは、全インターチェンジの青焼き図面をご披露。

祝名神高速全通50周年 当時のIC (2)

「高速道路計画部」とは日本道路公団の当時の組織だが、下に書いてある「近江鉄道資料統計室」とは何故に?答えは、次の写真に。

祝名神高速全通50周年 当時のIC (3)

 近江鉄道が高速バスの免許申請用に日本道路公団から借りたもののようだ。

 全体の路線に係る施設の配置状況がこちら

祝名神高速全通50周年 当時のIC (4)

大津ICが二つある!京都東ICと京都南ICは無くて、京都ICがある!詳細はおって。

祝名神高速全通50周年 当時のIC (5)

まず1枚目は西宮IC

祝名神高速全通50周年 当時の西宮IC (6)

 阪神高速が未だ無く、第二阪神国道のみと接続している。

 名神の起点である西宮インターチェンジ(IC)は、第二阪神国道に接続する筈のものであるが、初めは同国道に直角に交差する平面街路に降ろし、出入り交通はそこから阪神電車の踏切を渡って第二阪神にたどり着くような形であった。これを立体交差で直結することになったのだが、交差点の真上に作ることになるので、なかなかうまい型式が見つからなかった。京都の宿屋で大塚氏(引用者注:大塚勝美氏)と二人で布団の上で天井を眺めながら思いついたのがロータリー型で、これが実際に作られた。今ではそこに阪神高速道路が重ね合わされて、複雑な形となっている。

 

「道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「対叡房会議が原点」武部健一・著 382頁から引用

 ここで「名神の起点である西宮インターチェンジ」とあるが、名神高速開通当初の路線図を見ると、西宮ICのIC番号が「1」となっている。(現在と逆。)

「地図」Vol. 1 (1963) No. 2「「名神高速道路地図」について」中野 達彦・著 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/1/2/1_2_39/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/1/2/1_2_AP1/_pdf

 次いで尼崎IC

祝名神高速全通50周年 当時の尼崎IC (7)

 ここは、その名もズバリ、尼崎市名神町だ。

 大阪府に入って豊中IC

祝名神高速全通50周年 当時の豊中IC (8)

 ここも豊中市名神口だ。そして西宮IC同様、阪神高速は未だ無い。

 吹田ICは大阪万博の時にできたので、当初は無し。

 ところで、吹田ICのど真ん中に茨木市の飛び地がある。

 吹田ICがある土地は、もともと「八町池(八丁池)」という溜池があったのである。(今でも名残の池がある。)

 その溜池を利用していた集落は、現在の吹田市以外に属する集落だったことから、現在でも池の形で茨木市の飛地という形で残っているようだ。

http://www.city.settsu.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000001/1301/inisie51.pdf 

 

 茨木ICは当初の図面と将来形の図面の2種類ある。

祝名神高速全通50周年 当時の茨木IC (9)

将来形は、阪神高速が鳥飼の新幹線貨物駅を経由して茨木ICに接続することを想定したものだろうか。

祝名神高速全通50周年 茨木IC将来計画図 (10)

阪神高速道路当初建設予定路線

 (阪神高速道路公団史から引用)

一般道側が50余年前の将来計画にまだ追いついていないということか。。

そして「京都IC」!

祝名神高速全通50周年 当時の京都IC(京都南IC) (11)

 「京都南IC」じゃないですよ。「京都IC」ですよ。

 更に「大津IC」!なんか形が違うけど!

祝名神高速全通50周年 当時の大津IC(京都東IC) (12)

 実は、京都東ICは当初は「大津IC」だったのである。行政上も京都市と大津市の境目に位置している。

名神高速道路計画図

出典「日本道路公団事業箇所めぐり」(昭和35年)

 大津ICというのは、もとは今の京都東ICのことであった。名神高速道路は、今でいう京都東-同南IC間を山科バイパスとして先行させる予定であった。(※引用者注:実際には「京都バイパス」として事業化されている。)したがって、京都東では、山科の東端の追分で、京都南の方からきた交通を国道1号に取り付けて大津方向に流すのが主体であった。そのため大津ICと呼ばれていたのである。その後、名神高速道路が全線一体として建設されるようになり、大津ICも両方向にサービスすることになったが、あとから無理につけたために、出入口が二箇所に分かれたり、具合が悪かった。そのために大津SA(サービスエリア)に付加的なICを付けることにもなっていた

 紆余曲折の結果、山科で計画されていた国道1号の東山バイパスに立体的に取り付けることを主体に、本線ICはY型とする計画に変更されたのだが、これには本線自身の位置をかなりずらし、また大幅な追加買収を必要とすることでもあったので、公団としてはかなり決断のいる仕事であった。

 

「道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「対叡房会議が原点」武部健一・著 382~383頁から引用

 この京都南~京都東間は旧東海道本線の跡地であることは今更言うまでもない。山科駅跡地が山科バスストップとなっている。

 ところで、鉄道の駅は地名に東西南北の方角を付けて区別する際に、「地名+方角」駅とするが、高速道路の場合は「方角+地名」ICだ。(西舞鶴駅と舞鶴西ICの如し。)その最初が京都東ICである。

 インターチェンジの命名法もアメリカ流儀を採用した。日本では一般に東西南北などは地名の前につける。しかしアメリカでは逆にOregon-westのように後ろにつける。名神高速道路ではアメリカ流儀を採用した。偶然のことながら名神の場合、後につけることが成功につながった。京都東インターチェンジである。これを従来の方式通りとすれば、東京都インターチェンジになるところであった。

 

「道路の日本史」中公新書 武部健一・著 196~197頁 から引用

 現在の「大津IC」は「大津サービスエリア」という名前の図面にランプウェイが後から取り付けてあるような感じだ。

祝名神高速全通50周年 当時の大津SA(大津IC) (14)

 一般道側の取り付けが現況とちょっと違うようだ。

 栗東IC

祝名神高速全通50周年 当時の栗東IC (15)

 八日市IC

祝名神高速全通50周年 当時の八日市IC (16)

 彦根IC

祝名神高速全通50周年 当時の彦根IC (17)

 現在は、東海道新幹線がIC内を横切っているが、当初は想定されていなかったのだろうか?

 関ケ原IC

祝名神高速全通50周年 当時の関ケ原IC (18)

 大垣IC

祝名神高速全通50周年 当時の大垣IC (19)

 一宮IC

祝名神高速全通50周年 当時の一宮IC (20)

 こちらには、現在名古屋高速道路が乗り入れている。

 最後に終点小牧IC

祝名神高速全通50周年 当時の小牧IC (22)

 「名神高速」と言いながら、名古屋市も神戸市も通らないんだよなあ。(名古屋ICは東名高速。神戸ICは、予算オーバーでカットされた。)

名神高速 官報

 というのは、建設費について大蔵省主計局との交渉に当ったのであるが、名古屋-神戸間高速道路の建設折衝時において建設費としては当初31年4月、建設省の積算は550億円となっていた。また次いで世銀借款の話が生じたとき、建設費の概算として建設省は700億円程度に増加すると非公式に説明をしていた。従って大蔵省としてもこの程度までは止むを得ないと予想していたと思われる。しかし、公団で建設費を検討してみると1千億円を超す見込みとの作業結果が出て来たのである。大蔵省にこの事情を説明し、概算建設費を決める交渉を行ったのでこれでは到底納得することはできないという結果となったのである。

(略)

 いろいろと交渉の結果、事業費を700億円程度に圧縮しないことには、了解に至らない事情であったので、(略)事業規模を圧縮する方法で建設費の概算を793億円でまとめたわけだ。修正の主要な点は、西宮-神戸間の高架区間を削除した(この区間は第二阪神国道でとりあえず交通処理可能と考え、将来追加を予定したが、のちに阪神高速道路公団により建設された。)。(略)

 

道を拓く-高速道路と私-」全国高速自動車国道建設協議会・刊 「世銀借款交渉の日々」斎藤義治・著 127~128頁から引用

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