« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月に作成された記事

2015年10月31日 (土)

日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた

 日比谷のガード下を走る地下道を巡るあれこれについては、過去何回か記事にしてきたところである。

日比谷地下道

東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残

東銀座「幻の地下街」を作った経緯が(ほぼ)分かった

 

ざっくりおさらいすると

・東京都が首都高速道路の当初計画を1959年に建てた際に、「皇居の南側において国会方面から銀座方面に通ずる路線の計画につき検討する」とされた。

・東京都が日比谷―三原橋間の地下自動車道計画を建てる。

三原橋地下街を潰すはずだった銀座地下道計画

「都市計画と東京都」都政調査会発行(1960)から引用

・他方、営団地下鉄は2号線(日比谷線)の建設を計画し、日比谷駅-東銀座駅で上記地下自動車道と競合する。

・東京都は、地下鉄の地下1階のコンコースに自動車道路を通し、地下鉄の既存のコンコースを地下2階に移設することを主張するが、営団地下鉄側はそれを拒否しこう着状態に。

・東京オリンピックに間に合うかどうか関係者間をやきもきさせ、国会でも議題となる。

・1962年に両者は地下自動車道は地下3階に日比谷線を抱き込む形で設置することで合意。(下図上段。「交通技術」1962年10月号(財団法人交通協力会刊)「営団地下鉄2号線銀座-日比谷間建設計画」から引用加筆。)

三原橋地下街と地下鉄日比谷線と有楽町ガード下地下道の関係

・1963年に東京都市計画地方審議会で地下自動車道は銀座から日比谷方面に至る一方通行だけが建設されることで本決まりとなり現在に至る。(上図下段。営団地下鉄「日比谷線建設史」から引用加筆。)

------------------------------------------------------

 ここからが今回の本番。今回言いたいのは、1962年の東京都と営団地下鉄での合意にあたって、その条件の一つとして「地下鉄5号線分岐線=現6号線=都営地下鉄三田線」について、営団から東京都に譲渡するとされたという記事を見つけたのである。

 昔、いしいひさいちのマンガ「がんばれタブチくん」で「田渕(当時阪神タイガース)が南海電鉄(当時南海ホークスの親会社)の電車〇両とトレード!」というギャグがあったが、これに負けじと「東京都の道路の建設位置と営団の地下鉄路線をトレード!」という夢の大型移籍が実現していたというわけだ。

 記事を見てみよう。

日比谷―三原橋/地下道本決まり 営団の3階案に

 遊歩道(1階)総合駅(2階)車道(3階)

 銀座を中心とした交通マヒを打開するため日比谷―三原橋間の地下に建設する自動車専用道路”三原橋地下道”(900メートル)の計画は都と帝都高速度交通営団が対立、3年ごし折衝していたが、12日、斎藤運輸、中村建設両相と東知事との話し合いでやっと原則的に意見が一致した。

 この日決まったのは、都側が主張し続けていた自動車道地下1階案をひっこめ、営団案の地下三階にする。かわりに営団が建設免許を持っている地下鉄五号分岐線(板橋―大手町間=皇居の東側を通って五反田方面へ延長)を都に譲渡するというもので、早急建設をのぞむ世論に押された政治的妥協案といえる。

 都は営団地下鉄二号線(北千住―中目黒)がこの区間の地下三階を走る予定なので、地下一階に自動車専用道路をつくり、交差して現在地下二階を走っている営団地下鉄銀座線、丸の内線とともに立体交差網を建設する計画をたてた。

 営団は、地下一階を遊歩道にして地下鉄各線の銀座駅を結び二階は「総合銀座駅」。自動車は地下三階の二号線わきに建設する案を主張していた。

 都の計画担当者の一部には自動車専用道路を地下三階にすると①換気が困難②工事をするさい商店の軒先に鉄矢板を打ち込むので震動が大きく、営業が不可能になるばかりか歩道は使えなくなる③工費が約二倍、二五、六億円かかる、などで難色を示す向きもあるが、結局はこの案に沿って施工することになるものとみられる。

 なお、将来の地下鉄網計画もほぼ了解点に達したので、近く都市交通審議会と都市計画地方審議会で正式に決める。

1962(昭和37)年1月13日付け毎日新聞から引用

 さて、地下鉄五号線分岐線を確認してみる。五号線は現在の東京メトロ東西線だが、当時は現在の都営三田線の一部が五号分岐線として位置づけられていた。

地下鉄五号線分岐線

「東京地下鉄道千代田線建設史」から引用

 

 また、「東京史学」東京十三路線物語「第6回 都営三田線~欲望と裏切りに翻弄された悲劇の路線」小久保せまき・著によると

 この区間の建設を熱望したのは東京都でした。元々このルートの地上には都電が走っており、自動車交通の増加は大きな問題になっていたからです。1960年に東京都は5号線分岐線免許の譲渡を申し入れ、それを踏まえて1962年の地下鉄計画改定では5号線の分岐線ではなく、(2)水色の点線のように独立した「6号線」として位置付けられることになります。

 とあり、毎日新聞の記事と時系列としては平仄があう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年10月25日 (日)

松浦 晋也氏「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」について(その3)

 日経トレンディネットの「新モビリティビジョン 」という連載(執筆:松浦 晋也氏)に「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」という記事が掲載され、触発されたので、私も松浦氏のモノレールネタに便乗した記事の第3弾である。

沖縄モノレール首里駅

 松浦氏は、環状線をキーワードに「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」と比較している。 ところで、多摩モノレールは環状線ではないのだろうか?

 公共事業ガイドシリーズ「都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社・刊 24頁掲載の「都市モノレール等実施箇所と事業化状況」によると、昭和54年度の東京都の調査路線は「多摩環状線」となっている。東京都も環状路線であることについて意識はしていたようだ。今の路線と54年度の路線の相違が分からないので何とも言えないが。(川崎市は「多摩連環線」だ。環状と連環の違いってなんだ??)

都市モノレール・新交通システム 未成線及び事業化路線一覧

 松浦氏は「現在の北側の終着駅である上北台駅から真っ直ぐ北に向かうと、多摩湖を越えて埼玉県に入り、距離2kmほどで西武線・西武球場前駅がある。環状線の機能を優先するなら、こちらにまっすく路線を延ばすべきだ。」と主張するがどうだろうか。

 現在この区間は西武ライオンズの試合がプリンスドームで開催される際の臨時バスしかないはず。一度、交流戦の埼玉西武ライオンズ対横浜ベイスターズ(田代監督代行のとき!)を観戦する際に乗ったが、環状線の需要があるような沿道の雰囲気ではなかったような。村山貯水湖の堤体に橋脚を建てるわけにもいかないし。。。

----------------------------------------------

 ところで、東京の環状モノレール構想といえば、私のブログの読者の方ならご存知の方もいらっしゃるかもしれないのだが、「東京都の未成モノレール計画(環5、環6、環7、環8、江東)」ですよ、奥様。

都営モノレール計画(環5、環6、環7、環8、江東)

 東京都首都整備局「モノレール開発計画報告書」から引用。

 松浦氏が「モノレールと新交通システム、仰ぎ見た未来とやってきた現実」で取り上げておられる「エイトライナーとメトロセブン」と路線が一緒じゃないか!と思うが、よく考えるとどちらも環七、環八の上か下を走るのだから当たり前か。。。

(環五モノレールと大江戸線の関係も気になるのだが、この辺は「鉄道計画は変わる。―路線の「変転」が時代を語る」で大江戸線の路線の変遷の経緯を書いた草町義和氏がお詳しいのだろうとブン投げておく。)

----------------------------------------------

 東京、大阪といけば、名古屋には環状モノレール構想はあらへんのか?というところだが、道路セミナー1976年10月号「新道路交通システムに関する調査費について」建設省道路局路政課課長補佐 沢山民季・著によると、下記のように名古屋の環状二号線沿いに環状新交通システムの調査を行ったようだ。北側には、城北線があるが、東側ということである。

名古屋環状新交通システム

 なお、城北線は、過去の「むにゃむにゃ」な経緯を踏まえて複線非電化で単行のディーゼルカーが大阪モノレールのように環状高速道路(名古屋第二環状自動車道)の横をブリブリいわせながら走る楽しい路線である。

城北線と名二環

----------------------------------------------

 松浦氏は「大阪モノレールの万博記念公園駅にある入れ替え軌条。雄大で未来感あふれる景観だが、大規模な入れ替え軌条を必要とするのは、モノレールの欠点」と日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だったで述べているが、単に分岐点を見るだけならば、多摩モノレールの車庫への分岐点が楽しい。

多摩モノレールのジャンクション!

多摩モノレールのジャンクション!2

多摩モノレールを満喫し終わったら、立川駅北口のサイゼリアで打ち上げだ。ここの窓際席は、超モノレールビューである。

立川のサイゼリア

この項終わり

| | コメント (3) | トラックバック (0)

松浦 晋也氏「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」について(その2)

 日経トレンディネットの「新モビリティビジョン 」という連載(執筆:松浦 晋也氏)に「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」という記事が掲載され、触発されたので、私も松浦氏のモノレールネタに便乗した記事の第2弾である。

 前回は、法制面で書き散らかしたが、今回は導入空間について書き散らかしてみる。

大阪モノレール大阪空港駅

環状線という基本構想を貫いた大阪モノレール

(略)

 大阪モノレールはこの2つの条件をかなり満たしている。きついカーブは大阪空港駅から中国自動車道に沿って走るまでのあたりに集中していて、残る路線はかなりの部分が高速道に沿うようにほぼ直線で敷設されていて速度を出しやすい。(中略)

 大阪モノレールで持ち上がっている延伸計画は門真市駅から、東大阪市の瓜生堂まで南へ9km延ばすというもの。延伸区間には4つの駅を新設し、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線、JR西日本・学研都市線、近鉄けいはんな線、近鉄奈良線の4つの放射状路線との乗り換えを可能にする。環状線という基本コンセプトに忠実な延伸なので、完成するとより大阪モノレールはよりいっそう便利に使えるようになるだろう。

同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」松浦 晋也著  から引用

 以前、別の記事(「大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線」)でも書いたのだが、大阪モノレールは、もともと北大阪急行の千里中央駅から近鉄の久宝寺口駅までの構想だった。

 「きついカーブ」の大阪空港関連部分は当初の構想外だ。千里中央以南については、大阪の方はお分かりだと思うが、松浦氏の言うような「高速道路に沿うように」というより厳密には「大阪府道中央環状線の上に」走っていることが多い。前回の道路法の理屈でいけば、日本道路公団(当時)の高速道路の附属物ではなく、「府道中央環状線の附属物」としてのモノレールということだろう。下記写真のように場所によってはかなり変態的に窮屈な高架橋の上に軌道が載っている。

大阪モノレールと中央環状線と近畿自動車道

 そして近畿道の門真ICから久宝寺口までは、近畿道と中央環状線の間に場所を空けて待っているかのような空間がある。

 なぜ、門真ICを境に扱いが違うのか?実は、近畿道の門真IC以北及び中国道の中国池田IC以東は、1970年の大阪万博に間に合わせるためにわずか2年の突貫工事で作った区間である。

大阪万博アクセス図

 都市モノレール法が成立したのは、万博の後の1972年であるから、門真IC以南を作る際には、中央環状線にモノレール分の導入空間を最初から取っておいたということだろうか?

 なお、一定年齢層以上の日本人男性にとっては、モノレールといえばやっぱりこいつなのである。

大阪万博モノレール

(「日本万国博覧会公式ガイド」257頁から引用)

バス代替を目指したが、課題を抱える多摩都市モノレール

 表定速度は26.7km/h。主に都道の上を通っているために急なカーブが多く、駅間距離が短いので速度を出せるところも少ない。もうすこし真っ直ぐ路線を通せなかったものかと思うが、大阪モノレールのようにちょうどいい環状に走る高速道路などはないし、この地域はもともとこれらの都道を中心に発達してきたので、乗客のニーズを考えても都道の上に路線を作るしかなかったのだろう(もちろん前回述べた、下の道路と一体と考えて、モノレールに補助金を出すという政策も関係してはいる)。乗ってみると感覚は、郊外のバスそのものである。

同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」松浦 晋也著  から引用

 

 大阪のようなちょうどいい環状の道路(高速道路じゃなくて府道ね)がないので、「東京は都道の上に路線を作るしかなかったのだろう」と松浦氏は書いているが、実際には都道すらないところをまずは区画整理を実施して公共減歩で都道自体の敷地をひねり出したと思われるような区間が散見される。

多摩モノレールと用地買収

用地ジャーナル1995年10月号「多摩都市モノレール整備事業について」から引用)

 下記は甲州街道駅及び万願寺駅周辺の地形図の新旧比較である。もともと都道すら無かったのがよくお分かりであろう。

 そして下記は区画整理実施中(一部仮換地済)と思われる万願寺駅周辺の地図である。

多摩モノレール万願寺駅付近

(「ワイドミリオン全東京10,000市街道路地図帖」東京地図出版株式会社(1992年1月10日発行)から引用)

 「飛び地」というレベルではない状態。これだけ地名がぐちゃぐちゃということはそれなりに必然があって、土地の権利関係もそれを相応に反映してぐちゃぐちゃなのだろうか。これを区画整理して今のような綺麗な地形に仕上げたということについて地権者をはじめ関係者の御苦労がうかがいしれるものだ。(ちょうど地図の左下に「東京都新都市建設公社(現・公益財団法人 東京都都市づくり公社)万願寺区画整理事務所」という記載が見える。また余談だが、公益財団法人 東京都都市づくり公社には「まちづくり資料室」があってモノレールの資料等も閲覧できそうだ。平日に八王子駅まで行くのはへっぽこサラリーマンにはつらいものがあるが。)

 (その1)では、建設省都市局(当時)の関与については、深く触れなかったのだが、このような土地区画整理事業といった街づくりと一体的に整備していく根拠を与えたというところに都市モノレール法第3条の意義があるのだろう。

------------------------------------------------------

 ところで、都市モノレールではなく、新交通システムなのだが、場所を空けてあったのに、事業化もされたのに、結局工事着手できずに幻の導入空間となったものがある。

 筑波研究学園都市~土浦駅の新交通システムは、1978年度に全体構想のうち桜村(当時)内の区間が事業化され、国の予算もついたのだが、結局採算性の問題から工事着手することなく休止されてしまった。 事業化された区間は下記のとおりである。

筑波研究学園都市新交通システム事業化部分

(公共事業ガイドシリーズ「都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社・刊 103頁から引用)

※参考

http://sim.nilim.go.jp/Tsukuba/plan/cp81c.jpg

 また、その断面図は下記のとおりである。

筑波新交通システムの標準幅員

(自動車技術1979年4月号「筑波研究学園都市の新交通システム」大川勝敏・著から引用)

 現在も空地になっている筑波研究学園都市内の新交通システム導入空間については、下記のブログが詳細なレポートを掲載しておられるので是非ご参照のほどを。

研究学園の生活「【幻の新交通システム(5)】センター~大学病院間は用地も確保されていた!

 ところで、私も松浦氏も「死屍累々」という言葉を使っているのだな

その3)へ続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

松浦 晋也氏「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」について(その1)

 日経トレンディネットの「新モビリティビジョン 」という連載(執筆:松浦 晋也氏)に「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」という記事が掲載され、触発されたので、私も松浦氏のモノレールネタに便乗した記事を書いてみたい。

 別に松浦氏と何か勝負しようというわけではなく、インスパイヤされて私が書きたいことをただグダグダと書き散らかすだけであるが。

 

 ところで日本でモノレールが増えた理由は、モノレールが本当に便利だからというだけではなかった。政府が1972年に都市モノレールの整備の促進に関する法律を制定して、モノレールが市街地の道路の上に非常に作りやすくしたのである。

 見る通り、この法律は非常にざっくりとしたもので、具体的な施策は行政に委ねられていた。そこで運輸省(当時)は、道路法で道路が「トンネル、橋、渡船施設、道路用エレベーター等道路と一体となつてその効用を全うする施設又は工作物及び道路の附属物で当該道路に附属して設けられているものを含む」と定義されていることを利用して、モノレール線路を下の道路の付属物と見なすようにした。こうすると、道路整備関連の豊富な財源をモノレール建設に振り向けることが可能になる。

日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」松浦 晋也著  から引用

 道路法は建設省(当時)所管の法律だし、道路特定財源(当時)は建設省所管の財源だ。運輸省が目を付けたからといって勝手に振り向けられるものなのか?

 そこで、「都市モノレールの整備の促進に関する法律」をもう一度よく見てみる。

都市モノレールの整備の促進に関する法律 (1)

都市モノレールの整備の促進に関する法律 (2)

都市モノレールの整備の促進に関する法律 (3)

 運輸大臣と建設大臣が連名で署名している。つまり運輸省所管の法律でもあり建設省所管の法律でもある(共管)わけだ。勝手に運輸省が見做すことなどできない、建設省が決めるのだ。ちなみに建設省の中ではどうなるかというと、第3条は「都市計画において定める」とあるので建設省都市局(当時)の所管、第5条は「道路管理者は~」とあるので建設省道路局(当時)の所管となる。

 さて、道路財源から支出するとなれば、それは道路側にメリットがなければ、整理がつかないのであるが、モノレールに手を出すことに道路側にとってどういう整理がされて、モノレールに対して道路財源の支出を正当化したのか?

 当時の業界誌「道路セミナー」の昭和49年度道路局予算を道路局職員が解説した記事に下記のようなくだりがある。

都市モノレールと道路

道路セミナー1973年11月号83頁から引用

 

 つまり、こういうことか。

路面電車と都市モノレールの関係

 余談だが、都市モノレールのインフラ部分は斯様に「道路」なので、このような3層構造の「道路」も北九州では見ることができる。

北九州モノレールと都市高速道路

 JR小倉駅の中も道路法の道路が入り込んでいる。

北九州モノレール小倉駅1

モノレール小倉駅は道路だった

(財)道路空間高度化機構の「立体道路事例集」115頁から引用(日比谷図書館にあります。)

ここも道路だよ メーテル。。。

北九州モノレール小倉駅 (2)

(この小倉駅のど真ん中にモノレールの駅=道路を設置する際の補償や権原設定の考え方に興味のある方は、「用地ジャーナルアーカイブ」にログインして「モノレール」で検索すると報文が出てくるのでどうぞ。)

 余談だが、トヨタCMの「神打撃」も小倉駅だ。

 他方、都市モノレールでは、ぞれ以前のモノレールのような家の真ん中に橋脚を建てることもない。

姫路モノレール

 では、都市局の関与についてはどうなのか?まとめるのが面倒なので、関心がある方は、「都市と交通」にやたらと新交通システムや都市モノレールの記事が載っているのでその辺にお目通しいただきたい。

 「運輸省が道路財源に目をつけた」というより、「建設省がこれから伸びると思われるモノレールに権限を確保した」とも読めるのかな?或は両省の思惑が一致したと。

 なお、松浦氏が「モノレールと新交通システム、仰ぎ見た未来とやってきた現実」で「良く分からない」とした埼玉のニューシャトルや「間違った未来、新交通システム(その1) 新交通システムは軽便鉄道である」でとりあげた「山万が運営するユーカリが丘線と、西武が運営するレオライナー山口線」は、道路の上を走る「都市モノレール(新交通システム)」ではない。(神戸のポートライナーと大阪南港のニュートラムも港湾区域の上は道路法の道路の上にはないので、軌道法として道路財源でインフラ部を整備するのではなく、鉄道事業法として港湾の金=運輸省の金でインフラ部を整備している。)

 ところで、松浦氏は「政府が1972年に都市モノレールの整備の促進に関する法律を制定」と記しているが、厳密にいうとこれは議員立法である。「この法律は非常にざっくりとしたもの」となっている理由もその辺にあるのかもしれない。「都市モノレールは、建設省都市局と道路局がカネも口も出すよ」と言ってるだけの法律だ。

 「道路法は田中角栄の議員立法で利権がうんたら」とおっしゃる方がいらっしゃるが、都市モノレールが何故に議員立法になったのか、そこに利権はないのか?(提案議員がナントカ製作所とかナントカ重工から政治献金を貰ったりしていないのか?)とかはお好きな方がどうぞ。え、さっきの法律の画像に「総理大臣 田中角栄」って書いてあるって??うーん。総理なら自分で政府にやらせるわなぁ。。。

その2)へ続く。

<

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »