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2015年10月25日 (日)

松浦 晋也氏「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」について(その2)

 日経トレンディネットの「新モビリティビジョン 」という連載(執筆:松浦 晋也氏)に「 日本でなぜそんなにモテる? 実は我が国は「モノレール大国」だった」「同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」という記事が掲載され、触発されたので、私も松浦氏のモノレールネタに便乗した記事の第2弾である。

 前回は、法制面で書き散らかしたが、今回は導入空間について書き散らかしてみる。

大阪モノレール大阪空港駅

環状線という基本構想を貫いた大阪モノレール

(略)

 大阪モノレールはこの2つの条件をかなり満たしている。きついカーブは大阪空港駅から中国自動車道に沿って走るまでのあたりに集中していて、残る路線はかなりの部分が高速道に沿うようにほぼ直線で敷設されていて速度を出しやすい。(中略)

 大阪モノレールで持ち上がっている延伸計画は門真市駅から、東大阪市の瓜生堂まで南へ9km延ばすというもの。延伸区間には4つの駅を新設し、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線、JR西日本・学研都市線、近鉄けいはんな線、近鉄奈良線の4つの放射状路線との乗り換えを可能にする。環状線という基本コンセプトに忠実な延伸なので、完成するとより大阪モノレールはよりいっそう便利に使えるようになるだろう。

同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」松浦 晋也著  から引用

 以前、別の記事(「大阪モノレール南伸と都市モノレール死屍累々の調査路線」)でも書いたのだが、大阪モノレールは、もともと北大阪急行の千里中央駅から近鉄の久宝寺口駅までの構想だった。

 「きついカーブ」の大阪空港関連部分は当初の構想外だ。千里中央以南については、大阪の方はお分かりだと思うが、松浦氏の言うような「高速道路に沿うように」というより厳密には「大阪府道中央環状線の上に」走っていることが多い。前回の道路法の理屈でいけば、日本道路公団(当時)の高速道路の附属物ではなく、「府道中央環状線の附属物」としてのモノレールということだろう。下記写真のように場所によってはかなり変態的に窮屈な高架橋の上に軌道が載っている。

大阪モノレールと中央環状線と近畿自動車道

 そして近畿道の門真ICから久宝寺口までは、近畿道と中央環状線の間に場所を空けて待っているかのような空間がある。

 なぜ、門真ICを境に扱いが違うのか?実は、近畿道の門真IC以北及び中国道の中国池田IC以東は、1970年の大阪万博に間に合わせるためにわずか2年の突貫工事で作った区間である。

大阪万博アクセス図

 都市モノレール法が成立したのは、万博の後の1972年であるから、門真IC以南を作る際には、中央環状線にモノレール分の導入空間を最初から取っておいたということだろうか?

 なお、一定年齢層以上の日本人男性にとっては、モノレールといえばやっぱりこいつなのである。

大阪万博モノレール

(「日本万国博覧会公式ガイド」257頁から引用)

バス代替を目指したが、課題を抱える多摩都市モノレール

 表定速度は26.7km/h。主に都道の上を通っているために急なカーブが多く、駅間距離が短いので速度を出せるところも少ない。もうすこし真っ直ぐ路線を通せなかったものかと思うが、大阪モノレールのようにちょうどいい環状に走る高速道路などはないし、この地域はもともとこれらの都道を中心に発達してきたので、乗客のニーズを考えても都道の上に路線を作るしかなかったのだろう(もちろん前回述べた、下の道路と一体と考えて、モノレールに補助金を出すという政策も関係してはいる)。乗ってみると感覚は、郊外のバスそのものである。

同じようでも実は違う! 大阪と東京、二都を走るモノレール」松浦 晋也著  から引用

 

 大阪のようなちょうどいい環状の道路(高速道路じゃなくて府道ね)がないので、「東京は都道の上に路線を作るしかなかったのだろう」と松浦氏は書いているが、実際には都道すらないところをまずは区画整理を実施して公共減歩で都道自体の敷地をひねり出したと思われるような区間が散見される。

多摩モノレールと用地買収

用地ジャーナル1995年10月号「多摩都市モノレール整備事業について」から引用)

 下記は甲州街道駅及び万願寺駅周辺の地形図の新旧比較である。もともと都道すら無かったのがよくお分かりであろう。

 そして下記は区画整理実施中(一部仮換地済)と思われる万願寺駅周辺の地図である。

多摩モノレール万願寺駅付近

(「ワイドミリオン全東京10,000市街道路地図帖」東京地図出版株式会社(1992年1月10日発行)から引用)

 「飛び地」というレベルではない状態。これだけ地名がぐちゃぐちゃということはそれなりに必然があって、土地の権利関係もそれを相応に反映してぐちゃぐちゃなのだろうか。これを区画整理して今のような綺麗な地形に仕上げたということについて地権者をはじめ関係者の御苦労がうかがいしれるものだ。(ちょうど地図の左下に「東京都新都市建設公社(現・公益財団法人 東京都都市づくり公社)万願寺区画整理事務所」という記載が見える。また余談だが、公益財団法人 東京都都市づくり公社には「まちづくり資料室」があってモノレールの資料等も閲覧できそうだ。平日に八王子駅まで行くのはへっぽこサラリーマンにはつらいものがあるが。)

 (その1)では、建設省都市局(当時)の関与については、深く触れなかったのだが、このような土地区画整理事業といった街づくりと一体的に整備していく根拠を与えたというところに都市モノレール法第3条の意義があるのだろう。

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 ところで、都市モノレールではなく、新交通システムなのだが、場所を空けてあったのに、事業化もされたのに、結局工事着手できずに幻の導入空間となったものがある。

 筑波研究学園都市~土浦駅の新交通システムは、1978年度に全体構想のうち桜村(当時)内の区間が事業化され、国の予算もついたのだが、結局採算性の問題から工事着手することなく休止されてしまった。 事業化された区間は下記のとおりである。

筑波研究学園都市新交通システム事業化部分

(公共事業ガイドシリーズ「都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社・刊 103頁から引用)

※参考

http://sim.nilim.go.jp/Tsukuba/plan/cp81c.jpg

 また、その断面図は下記のとおりである。

筑波新交通システムの標準幅員

(自動車技術1979年4月号「筑波研究学園都市の新交通システム」大川勝敏・著から引用)

 現在も空地になっている筑波研究学園都市内の新交通システム導入空間については、下記のブログが詳細なレポートを掲載しておられるので是非ご参照のほどを。

研究学園の生活「【幻の新交通システム(5)】センター~大学病院間は用地も確保されていた!

 ところで、私も松浦氏も「死屍累々」という言葉を使っているのだな

その3)へ続く

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