玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(番外編その1)
新宿駅の発展と玉川上水の関係を(その1)から(その3)までおってみた。
ところで、玉川上水の暗渠と鉄道といえば、京王だろうと言われそうだが、有名なので、私が書かなくてもぐぐればいくらでも先人の調査結果が出てくる。
ということで暗渠関係なしの番外編を入れてみる。
先日ツイッターで、下記のつぶやきが有名になった。
今日一番の衝撃はこちら。
京王線新宿駅のホームは、JR東日本の所有物だった。
まだまだ知らないこといっぱいあるな。。。 pic.twitter.com/rkRzTvCYtx
— Asami Yuuki (@asami_vtj) 2015, 9月 19
(参考) http://togetter.com/li/877002
また、J-CASTニュースが検証記事を書いたところである。
新宿駅の土地は誰のもの? 京王線ホーム端の「貸付票」めぐるミステリー
ちょっと時系列から追ってみよう。
もともと戦後の新宿駅は京王も小田急もホームは地表のみだった。
「国鉄線」1963年5月号「変貌する新宿駅とその周辺」須田寛・著 8頁から引用
小田急が、地表と地下の2階建てにしたのは(その3)に書いたとおりである。
京王は、そのまま地下にホームを移した。(ここでいろいろ紆余曲折があったがそれは(番外編その2)に書く。)
なお、「④は西武新宿駅。この仮駅から矢印の方向に乗入れる。」とも書いてあるがここでは無視しておく。
「交通技術」1960年11月号「新宿駅改良計画の構想」森垣 常夫・著 4頁と5頁に、当時の新宿駅の改良計画の前後が掲載されている。
この段階では、京王も小田急も地表にホームがあり、西口の駅ビルは一つもない。
(参考)http://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_id=2517
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_id=2589
この計画の段階では、京王線は地下化しているが、今の10両編成対応ではないので、ホームも現在のルミネの敷地にははみ出していない。
なお、「新宿駅改良計画の構造図」の「東口本屋」に「西武」とも書いてあるがここでは無視しておく。
(追記:西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れについては、記事を書きましたのであわせてご覧ください。http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/jr-b475.html )
ここに、上記J-CASTニュース記事に掲載されていた公図をあててみよう。
1-1、1-8、1-21、30-1がルミネ
1-2、1-10が京王
1-9、1-20、1-21が小田急といったところか?
905は、もともと駅敷地だったところを甲州街道にした部分か?
京王線新宿駅の地下化としては下記図面のようになっている。
「交通技術」1961年9月号「京王帝都電鉄新宿駅の改良工事」大野康雄・著 23頁から引用
これで、一応、玉川上水が出てくるので許してください。
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それにしても、小田急電鉄の商業ビル・新宿ミロードや京王百貨店、甲州街道に囲まれたあの区画に、なぜJR東日本関連の建物がポツンと建っているのだろう。
(中略)
京王百貨店の建っている土地は現在、京王グループ所有となっている。 ということは、どこかのタイミングで京王線新宿駅の部分を譲渡し、角地は国鉄に残したと推察される。
土地の所有については、「国有鉄道」1973年2月号「新宿にターミナルビル建設」中西 将・著 28~29頁に経緯が書いてある。
「新宿駅南口の再開発にあわせて、国鉄、小田急、京王、営団地下鉄でそれぞれの開発区域にあわせて、昭和36(1971)年に底地の名義も「行って来い」で整理したということか。
これは、1963年に撮影された国土地理院の空中写真(MKT636-C8-15)だ。
ちょうど、京王が地下に潜り、京王百貨店、小田急百貨店、新宿パレットビル、マイシティ(新宿ステーションビル)等が建築中の頃だ。
話をルミネに戻そう。
小田急、京王の10両編成化工事にあわせて国鉄との連絡を円滑にすることが目的の一つであるため、今回話題となった京王のホームはビルと一体的に整備されているようだ。
「国鉄線」1976年4月号「新宿ターミナルビル開業」木村英夫・著 23頁から引用
そのため、ルミネの正式社名たる「新宿ターミナルビル」には京王や小田急も出資していたのである。(前述のJ-CASTニュースによると現在の株主構成は異なっているようだが、国鉄のダミーで出資している鉄道弘済会や鉄道会館の持ち分が整理されるのは当然であろう。)
「国鉄線」1976年4月号「新宿ターミナルビル開業」木村英夫・著 23頁から引用
なお、マイシティたる「新宿ステーションビル」の出資者には西武が入っていたがここでは無視しておく。
ということで、戦前に四谷新宿から現在の京王新宿駅に移る際の土地の所有権はともかくとして
・ルミネ部分の土地の所有権は1971年に国鉄のものとなっていた。
・ルミネと京王線新宿駅の10両編成対応は一体的に工事を行った。
・それを適正にガバナンスするために?(負担するために?)京王もルミネの株主だった。
というところで如何だろうか?
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もとのツイートにあった「貸付」については、以前、小林一郎著「ガード下」の誕生-鉄道と都市の近代史(祥伝社新書)が糞だった(その2) で触れているので、ご関心のある方はご覧いただきたい。
国鉄の高架下貸付(アメ横とか新橋とか)があまりにも乱脈で国会問題にもなってようやく「貸付規則」ができた という経緯を書いてある。
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J-CASTニュースで出てくる「30-1」の筆と家屋に係る「ミステリー」については、「分筆する際に、法務局が1-30と書くべきところを30-1に間違えた。」ということではないかと推測する。なので、西新宿の家屋がでてきたりするのではないか?
実際にはそのレベルのミスはそれなりにあるので。。。
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京王線新宿駅についてはこの後も続くのだ。
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