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2015年11月 2日 (月)

【暗渠】玉川上水と新宿駅南口地区の開発について(その1)

 下記イベントを見て来た。

高円寺フェス2015 すぎなみ「道草のススメ」トークイベント ~下も向いて歩こう~

ゲスト:はな

出演:白浜公平、吉村生、小林政能、荻窪圭

コーディネーター:高山英男(自称中級暗渠ハンター)

 なので、私も暗渠と境界ネタを書いてみようと思う。

 現在、JR新宿駅南口地区基盤整備事業が進められている。ちょっと時点は古いが大山顕さんの写真レポ「 まさか埼京線の下があんなだったとは……!」を見ていただければ「ああ、アレね」とお分かりいただけると思う。

 ところで、あの辺りには、玉川上水が暗渠で走っているはずだ。手元の「玉川上水 親と子の歴史散歩」によると

 明治通りからここ(引用者注:大木戸)まで、新宿御苑北側の道が堀の跡です。地下は人が立てるほどのトンネルの水路になっています。三年前にこのトンネルのなかを、はき水門から上流に向かって歩かせてもらったことがあります。10センチくらいの深さで水が流れていました。

 まっくらなトンネルのところどころが明るくなります。そこはマンホールのふたの穴から光がさしこんでいるのです。「このマンホールは甲州街道陸橋下の植えこみのところですよ」、といわれてからしばらく、あじけないコンクリートのかべが、とつぜん煉瓦にかわりました。かべからてんじょうまでレンガを積んだアーチ形をしています。かいちゅう電灯の光にうかんだ曲線はとてもやわらかで、美しいという感じがしました。この上は新宿駅で、明治時代のおわりごろに線路の下をあんきょにしたそうです。

「玉川上水 親と子の歴史散歩」たましん地域文化財団・刊 伊藤好一・監修 比留間博・著242~243頁から引用

 ということである。(この頁には新宿駅下を走る煉瓦造りの暗渠の内部の写真も掲載されているので是非ご覧ください。)

1919(大正8)年の様子を国際日本文化研究センターの地図データベースで見てみるとこんな感じだ。http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1303.html

新宿駅と玉川上水

 甲州街道の陸橋を架け替え、新しいビルをJRの線路上に建築しているというところで、地下の玉川上水はどうなっているのだろうか?

 

 それが分かる資料を入手したのでご案内したい。

 「日本鉄道施設協会」の機関誌「日本鉄道施設協会誌」2008年1月号に「新宿駅南口地区基盤整備事業に伴う玉川上水用地処理」森重達美、佐藤英明、柴田勇・共著(いずれもJR東日本東京工事事務所契約用地課)が掲載されている。

「当該敷地の中には当社用地のほかに東京都所有の玉川上水敷地も約560㎡存在しているため、当該用地の取り扱いについて国土交通省、東京都及び当社の三者で協議を重ね、その処理方針について合意に至ったことから、当該用地の処理内容について紹介するものである。」とのこと。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水

 ざくっとコメントを付けてみると、今バスターミナルを作っている西側の低いビルのあたりの地下に走る玉川上水が支障となるので、甲州街道を拡幅する際にそっちに移設したということのようだ。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (2)

 国土交通省東京国道事務所のウェブサイトによると、下図のような感じで甲州街道拡幅部の基礎の中に玉川上水の暗渠を抱き込んでいる。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (3)

この辺を玉川上水が潜ってるわけでしょうか。。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水(8)

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 ところで、この玉川上水の線が渋谷区と新宿区の境界になっているようだ。

(下図下段は、「ワイドミリオン 全東京10,000市街道路地図帖」(東京地図出版 1992年発行)から引用)

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (5)

 そして渋谷区と新宿区の境界は、明治時代の千駄ヶ谷村と角筈村が玉川上水と甲州街道を挟んで対峙しているその境界を踏襲しているように思えるのだ。

(下図下段は、「江戸から東京へ 明治の東京」人文社刊のうち「明治11年実測東京全圖」から引用)

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水 (6)

 ちょうど線路の中の折れ点が同じように折れているように思えないだろうか?

 他の境界線については、町の開発に伴い新しい地型にあわせて変わっていったが、鉄道線路下の暗渠となった玉川上水に基づく境界線だけは、今まで触られなかったのでそのまま現在も区界になっていると言えるのではないだろうか?

この辺は「境界協会」の小林政能さんにご判断いただきたいところだ。

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(余談)

 JRの新しいビル(JR新宿ミライナタワー)を見ていると、地下の使い方が随分もったいないような気がする。新宿高島屋にしたって地下をいきなり駐車場にはせず、食料品売り場等に使っているはず。。

新宿駅南口地区基盤整備事業と玉川上水(7)

https://www.jebl.co.jp/admin/news/pdf/20120904.pdf から引用。

 玉川上水が支障になるならともかく、玉川上水は甲州街道の下に移設したので問題ないはずだ。何か地下に展開できない理由があるのだろうか。

 

 

まさか、アレでは??

 

新幹線新宿駅1

「交通技術」1975年4月号10頁から引用

東北・上越新幹線新宿駅

「交通技術」1975年5月号9頁から引用

新幹線新宿駅2

「交通技術」1975年5月号11頁から引用

 そう、東北・上越新幹線(成田・中央新幹線も来るはずだったけど)の新宿地下駅構想のために空けてあるのではなかろうか??

いや、実際には基礎杭があるわけでそんな空間を取っておく余地は無いと思うけどね。

(その2)へ続く

(新幹線ネタは続きません)

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(追記)

(新幹線ネタは続きません)と書いたが、その後新幹線ネタのデカイやつを見つけましたので続いてしまいましたとさ。

上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その1)

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

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コメント

革洋同様
こんばんは

副都心線・新宿三丁目駅E6出口から新宿郵便局近くの職場まで歩いて通勤しているのですが、甲州街道の地下が東西で行き来できれば大変便利だと思います。E10出口と都営新宿駅の間の地下がつながっていないのは玉川上水のせいかと思い、久々にこちらの記事を拝見したのですが、そうではなさそうですね。基礎杭だの小田急線が支障しているのでしょうか。
雨の日や寒い日は伊勢丹口から丸ノ内線上の地下道を歩いて西口まで行くのですが、西口の地下から地上に出るエレベータやエスカレータが極端に少なくて、本当にクソな街づくりだと思います。

投稿: たくみ | 2019年12月20日 (金) 23時36分

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