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2016年1月24日 (日)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

 土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7) で「やめたいのに?やめられない土浦ニューウェイのネタであるが、多分これが本当に最後。(でもね、多分、きっと。) 」と書いたが、またネタが出てきました。というかこんなにネタがあるのに、なんで調べもせずにデタラメばっかり書く人が多いのん?

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (3)

 『東工』90年のあゆみ (日本国有鉄道東京第一工事局)から引用

 なぜ国鉄の工事局の記念誌に載っているのかよく分からないのだが、今までいろいろ探した中で完成予想図はこれしか見たことが無い。

 

 ところで、「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-26638-2/の23章が土浦高架街路を紹介している。

■1 時代背景と事業の意義・評価のポイント

1.1 土浦市と筑波学園都市の一体化

 茨城県土浦市は、首都東京より北東60km、筑波研究学園都市から南東10kmに位置し、人口12万人を擁する県南地域の経済・教育・文化の中心都市として発展してきた。首都改造構想(素案、1983)において、土浦市と筑波研究学園都市は、東京を取り巻く自立都市圏の核となる業務核都市に位置づけられており、両市が適切に機能分担しながら一体化する構想であった。土浦市は国鉄常磐線の特急停車駅を擁し、筑波研究学園都市の表玄関口として、都市再開発事業、駅前広場整備等が計画されていた。一方、研究学園都市における大学、国の研究機関等の移転は相当に進歩していたが、都心部の熟成が進んでおらず、全体として都市的な魅力に乏しい状況にあった。筑波における国際科学技術博覧会 (科学万博:1985年3〜9月) は、研究学園都市の今一段の充実を期して誘致したものであった。

1.2 筑波新交通システムの段階整備構想

 筑波研究学園都市の新開発地区は縦長で、北端に位置する筑波大学と中央に位置するセンター地区とを結ぶ、新交通システムの導入が1972年頃から構想され、 将来的には土浦駅まで延伸、結節させる構想 (図1) が示されていた。筑波新交通システムは、1978年には国庫補助による都市モノレール等整備事業(筑波研究学園線、延長1.5km)として採択され、事業化に向けた導入システム、採算性の検討ならびに詳細設計が開始され た。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (4)

 また、筑波研究学園都市建設法に基づき、1980年に策定された「筑波研究学園地区建設計画」において 「新交通システム筑波研究学園線を整備する」ことが謳われた。しかしながら事業化区間である研究学園都市の都心部の熟成が未だしの状況にあること、延伸構想区間である土浦・研究学園都市間の都市開発の見通しも立たないことから、当初はバス又は簡易ガイドウェイバスを走らせ、需要が高まってきた段階で新交通システムに転換する段階的な整備が必要とされ、1982年に至り国庫補助に基づく都市モノレール等整備事業そのものは休止の扱いとなった。 なお、広く県南地域についてみると、首都圏の他の方面と比べ放射方向の鉄道網の密度が低く、国鉄常磐線に集中する交通需要を分散させるとともに、沿線地域の開発を促進することを企図して、常磐新線が構想されていた。しかしながら、当時の国鉄財政は破滅的な状況であり、国鉄を事業主体と想定した構想は暗礁に乗り上げていた。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 そして、上記の「国庫補助による都市モノレール等整備事業(筑波研究学園線、延長1.5km)として採択され」た路線は下図のとおりである。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (2)

公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 から引用

 ここでも「収支見通しがつかない」とされている。

 また、その断面図は下記のとおりである。

筑波新交通システムの標準幅員

(自動車技術1979年4月号「筑波研究学園都市の新交通システム」大川勝敏・著から引用)

 

1.3 プロジェクトの意義・目的

 本プロジェクトは、土浦市街部区間において、複断面(高架・平面) 構造の街路を計画・建設したもので、 その意義・目的は次の4つである。

(1)中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化

 土浦駅東口駅前広場整備とあわせて、都市計画街路の一部を高架構造で整備することにより、一般平面街路上の通過交通を削減し、平面街路の交通混雑を緩和し、あわせて都心部商業地域へのアクセス性を向上させ商業活動の活性化を図る。

(2) 筑波研究学園都市と土浦市を結ぶ交通軸の形成

 当面、土浦駅東口と筑波研究学園都市を結ぶバスのサービスレベルの向上を図る。将来は新交通システムをこの交通軸上に導入し得るよう、高架街路は新交通システムの下部構造として転用し得るよう必要な設計諸元をもたせる。

(3) 国際科学技術博覧会開催時の観客輸送

 科学万博の開催時、土浦駅東口から万博会場へスムーズにバス輸送するため、高架街路は科学万博の開催までに開通させる。

(4) ショッピングモールの設置

 高架街路のうち土浦駅に近い区間は、旧来からの沿道商店街を縦断する形で計画するため、立ち退きを迫られる商店街の移転と中心市街地の活性化を視野に入れたより積極的な対策として、商店街を収容する建物整備と周辺の歩行者空間整備を実施する。

1.4 プロジェクトの評価

 本プロジェクトは、計画及び事業の両面から当時高く評価された。まず計画面では、本プロジェクトは新交通システムの段階的整備の考え方の先行事例であって、高架橋は交通混雑緩和対策 としての単なる高架橋ではなく、将来新交通システムのインフラとして転用し得るよう、計画・建設された点であった。新交通システムの経営には沿線の交通需要が十分に高まる必要が不可欠であるが、需要の低いうちは高架街路上のバスサービスで対応し、需要の高まりを見極めてから、高架街路上に新交通システムの走行路、電力線、通信線等を付加し、従来のバス停を新交通システムの駅へと改造することが段階整備の眼目である。この考え方は、交通需要の相対的に小さい地方中核都市および大都市圏内の周辺都市において、現在も適用可能な考え方である。 次に事業面での第一は、土浦市が実施したショッピングモール事業 (川口ショッピングモール、通称モール505) は、移転を迫られる店舗を一括して高架橋の沿道残地に新築した商業ビルに収容したばかりでなく、高架橋の足下周りに造成された歩行者空間と相侯って、中心市街地に新しい賑わいの都市空間を創出した点である。高架街路上のバス停から直接モールにエスカレーターで連絡したことも併せ、本プロジェクトの計画に反対していた住民からも評価を受けた。 事業面の第二は、高架橋のユニークな設計で、小手先のお化粧の美しさではなく、基本構造型式の根本から景観に配慮して設計した点にあった。完成した高架橋は圧迫感があるのではないかとの事前の予想を超えて軽やかであったし、高欄のデザイン、橋梁の色彩などのデイテールまでの配慮は、その後の各都市における市街地の高架橋設計の手本の一つと目された。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 ネットで検索してみると、「土浦ニューウェイは、土浦の商店街を衰退においやった元凶」という評価が見られるが、その一方で都市計画の世界では高く評価されているのである。

 この事業は、日本都市計画学会の1985(昭和60)年度石川奨励賞を受賞している。

http://www.cpij.or.jp/com/prize/award/list.html

 この「石川奨励賞」とは「都市計画に関する独創的または啓発的な業績により、今後の都市計画の進歩、発展に寄与しうる貢献をした個人または団体を対象とする(会員に限らない)。」ものだそうだ。石川とは私のブログでは三原橋とか都政七不思議で取り上げている「石川栄耀」氏である。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (5)

http://www.cpij.or.jp/com/prize/upload/file/1985.pdf

 学者の評価と市民の評価が正反対であるというのもなかなか興味深いものだ。

 下記の写真はかつての土浦市中心街(「新しい日本」国際情報社刊から引用)

土浦市中心街

■2 プロジェクトの特長

2.1 新交通システムを考慮した高架街路

 本事業は、都市計画道路土浦駅東学園線の土浦駅東口駅前広場 (8,500m2) から市外縁部の桜川に架かる 学園大橋手前までの延長約3km区間を整備したものである。標準断面構成は、平面街路部2~4車線 (幅 25~30m)、高架部2車線(幅7.5m)で、途中高架橋上3箇所にバス停留所を設置している。

 事業の区分は、市道区間である土浦駅東口から桜町4丁目交差点までの延長約1.3km区間が土浦市施行、 県道である同交差点から学園大橋までの延長約1.7 kmが茨城県施行であった。なお、県施工区間、市施工区間とも国庫補助の街路事業として実施されたが 国庫補助金以外の地元負担分は、住宅・都市整備公団が負担した。

 土浦高架街路に係る都市計画決定は、1983年4月に行われたが、その後当該計画に反対する住民による公害調停および都市計画事業認可取り消し訴訟が出された。これらの対応を終え工事着手からわずか約420日で工事を終え、1985年3月科学万博開催前の供用にこぎつけたものである。

 なお、将来の新交通システムとしては、1編成4両(1両当たり75人)、満車時重量18tのものであれば、高架街路をそのまま新交通システムのインフラとして転用することが可能なよう、平面線形および橋梁構造を検討した上で設計した。また、将来の転用に備えて新交通システムの走行路等の設置に必要な鉄筋の受け口を舗装面下に設置済みである。

2.2 移転店舗のためのショッピングモール事業

 高架街路と併せてモール事業を行った区間は、土浦市の中心街の東側の道路の沿線に、旧来からの商店が雑然と並び、それら商店街の裏側は、昼間でも薄暗い一団の街並みを形成していた。高架街路建設を契機として、それら商店街の面目を一新する方向で市と商店街の間に話合いがまとまった。その結果、商業用建物 59棟(RC構造物33戸、鉄骨構造8戸、木造18戸)を高架街路脇に新設した3階建ての線状ビルへ一括移転することが短期間に実現した。また、中心市街地の狭い道路に接して設置されていた市営駐車場を土浦駅 東の霞ケ浦ドック埋立地に移転し、その跡地に高架街路と一体となった線状の歩行者広場整備を行った。多数の樹木、水路・池等を配置するほか、市民が集い 催し物ができるようイベント広場やお祭り広場を設置した。歩行者広場の上を通っている高架橋上には、バスで中心商店街へ来る人達のためにバス停留所が設けられ、停留所から広場へスムーズに乗降できるようエスカレーター2基が取り付けられている。

2.3 都市景観に配慮した軽やかな高架橋

 高架橋の設計にあたっては、施工性や工事の簡易さよりも景観を優先した。

①上部工は、T桁等により底版面の暗さを無くするため、主桁とスラブが一体となったPCホーロースラブ橋とした。また下部工形状との一体感と合わせて柔らかさを出すため、曲線ハンチの入れた逆台形型とした。

②下部工は、コンクリートの固いイメージを取り除き スマートに見せるよう、三味線のバチを立てたような形状とした。 ③また橋面排水のためのドレーンの設置については、橋脚面に10cmの凹みを付け、そこにコンクリートと調和す る亜鉛メッキを施した排水パイプを収納した。

④高欄は、壁高欄とし、外側の水平方向に2本の目地ラインを入れ、視線を横方向に誘導することにより、高 欄の幅広さを感じさせないようにした。

⑤主要道路との交差点、曲線部となる箇所に使用した鋼橋の塗装の色彩決定にあたっては、 シミュレーションを実施したり、模型を作ったりして、明るいソフトな色調で塗装した。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 反対運動を報じる当時のものとして下記のものがある。

土浦高架街路 反対派が阻止行動/ 筑波學生新聞 (19) 1983-12-10筑波大学学生新聞会

https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=19620&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (1)

■3 プロジェクトのその後

3.1 学園都市における立体街路と新交通システム

 科学万博終了後、筑波研究学園都市は概成し熟成の秋を迎え、1991年度に研究学園都市における新住宅市街地開発事業等を終了することになった。これを契機として、1991年に筑波研究学園地区において立体街路が計画・整備され、1995年に供用された。この立体街路は土浦高架街路の対として位置づけられ、当面は従来型のバスが通行するが、将来は土浦と研究学園都市を結ぶ新交通システムの学園地区におけるインフラ部として転用しうるよう設計された。

 立体街路は、都市計画道路土浦学園線の竹園高校付近から同学園中央通り線の交通ターミナル付近までの延長約1km区間に堀割・地下トンネル形式の2車線街路(幅7.5m) を整備するもので、途中にバス停を 1箇所設置している。また、この立体街路を受け入れるため、都市計画街路学園中央通り線を約1kmにわたって40mに拡幅する事業が行われた。事業主体は茨城県であった。この立体街路の完成により、将来両都市を結ぶ新交通システムの受け入れ体制が両中心市街地においてできあがったこととなった。

 しかしながら未だに新交通システムの導入は実現に至っておらず、2010年末現在、土浦高架街路上には高速バスを中心として5路線、1日12〜13往復のバスが運行されるにとどまっている。

つくば花室トンネルと新交通システム、土浦ニューウェイの関係

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 つくば花室トンネルの経緯も書いてある。ここも土浦ニューウェイと同様に「当面は従来型のバスが通行するが、将来は土浦と研究学園都市を結ぶ新交通システムの学園地区におけるインフラ部として転用しうるよう設計された」ものであるとされている。

 巷間で言われるような「新交通システムの作りかけ」ではないことが分かる。

 花室トンネルの様子は、こちらのブログに詳しいので是非ご覧いただきたい。

研究学園の生活 【幻の新交通システム(1)】花室トンネルにある謎のバス停!

http://sciencecity.tsukuba.ch/e240810.html

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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コメント

こんにちは!

貴重な完成予想図の公開をありがとうございました。
完成予想図があったんですね。

また、路線図で軌道らしき線が松見公園の方に延びているのが気になります。
車両基地を公園内に造るつもりだったのでしょうか。

なお、土浦ニューウェイが商店街を衰退させたというネット上の評価については、私はあまり同意できません。
当時はまだバスで土浦に買い物という行動が普通にあった時代だったので、商店街が反映していたのだと思います。
その後のモータリゼーションと郊外の大規模小売店舗の増加(そして、つくばの商業拠点化の進行)が商店街を壊滅させたのであって、たまたま土浦ニューウェイが同じ時期に完成したので槍玉に上がっているだけだと私は感じています。

モール505も当時としては画期的だったと思いますが、今では地方の再開発商業ビルがうまくいかないのと同じ状況になっているのだと思います。

投稿: science_city | 2016年2月 5日 (金) 01時59分

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