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2016年1月に作成された記事

2016年1月30日 (土)

堤康次郎は、目白経由だった有楽町線のルートを池袋経由に曲げて、西武池袋線と新宿線を乗入れさせようとしていた?

 ああ、題名がいつも乍ら長い。あれこれ悩んで結局こうなった。本文も長いぞ。

 東京メトロ有楽町線といえば、都心から池袋をとおって成増で東武東上線に、西武有楽町線経由で練馬で西武池袋線に乗り入れているのはご案内のとおりである。

 ところでこんな路線図がある。「地下高速鉄道網改訂路線図」

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (14)

 有楽町線らしき路線が池袋付近で不自然に曲がりつつも西武池袋線の南側を走り、中村橋からの西武池袋線と野方からの西武新宿線の双方が乗り入れている。

 で、この路線図(を含む文書)の持ち主が堤康次郎なのである。(現在は早大大学史センターが所蔵。)

 リアル「ぼくのかんがえたさいきょうのちかてつろせんず」なわけだ。「ぼく」じゃなくて「大将」か。

 くどいのを承知で経緯を追っていきたい。

 もともとの地下鉄有楽町線は、都市交通審議会の運輸大臣宛答申第6号(1962(昭和37)年)では中村橋~目白~都心のルートであった。

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(交通技術1968年7月号「東京周辺地下高速鉄道網の整備計画」から引用:下記2つの図表も同様)

 当時は私鉄との乗換となる国鉄のターミナルは大混雑で処理しきれなかったため、日比谷線は恵比寿、千代田線は原宿と少し従来のターミナル駅からずらしてある。そのため、池袋線が乗入れる有楽町線(上記では10号線)は目白、東上線が乗入れる三田線は巣鴨でそれぞれ国鉄と接続するというのも平仄が合う話である。(ちなみに、成増~池袋は丸の内線の延伸である。)

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (16)

 ただし、答申第10号(1968(昭和43)年)では有楽町線のルートは中村橋~目白~護国寺の従来のルートに加え、練馬~池袋~護国寺のルートと成増からそれに合流するルートが追加されて三又のルートとなっている。中村橋~目白~護国寺以外は現状のルートだ。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (2)

(東西線が西船橋から先に延伸して東武野田線に乗入れというのも気になる。。)

 地下鉄の計画ルートが変更される事は珍しくないため、普通は何とも思わない。ところが上記の両計画の間に、ルートを池袋経由に変更するよう求める「陳情書(案)」が西武鉄道名の便せんに書かれ、堤康次郎が持っていたとなれば話は別だ。

 その「陳情書(案)」に添付されていたのが冒頭の路線図であり、その内容は下記にご案内するところである。

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陳情書(案)(附図参照)

東京及びその周辺の交通難を根本的に解決するため、高速鉄道特に地下高速鉄道による輸送力の整備増強を図ることは予想外の交通需要の増大に対処して適切な施策と思料されます。

今般都市交通審議会よりの運輸大臣宛答申第6号に於ける、その根本的な計画の改訂意見も又かかる見地に立つものと考えられ、都市交通の一翼を負う当西武鉄道としても、その趣旨には一般に賛意を表するものでありまして、当社線と直接関係のある4路線中、第4第5第9号の3線については何等異議なく、既に第4号路線については池袋及び新宿に於いて又第5号路線について

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は高田馬場に於いて夫々当社線と地下鉄と連絡について相互に協力して施設を進めて居る現状であります。

併し乍ら中村橋を起点とし目白を経由する第10号路線案については単に当西武鉄道としてのみならず東京西北郊外全般の交通緩和の点並に都の新しい街造りの点から見て是非一部のルート変更を希望して已まないものであります。即ち第10号路線は中村橋及び野方の各方面より池袋、護国寺の各方面を経由する路線とし西武池袋線に連絡するのみでなく将来急速に輸送需要の増大を予想される西武新宿線とも連絡し双方より地下高速鉄道が多くの既設線の連絡に便利で而も副都心である池袋方面を経由して都心に向かう様、路線を選定することが是非必要なのであります。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (6)

以下その理由とするところを記述して御詮議の参考に資したいと存じます。

 理由

第一「10号路線の一つの起点を中村橋とすることは賛成であること」

西武池袋線の沿線人口は近年頓に増加し特に社会増による人口は多くの通勤、通学者を含むため、通勤時の乗車人員は人口以上の急速な増加率を示し昭和33年より5年刊の増加率は83%に達し池袋近くに於ては全国私鉄中最高の乗客密度を示して居ります。それが為、運輸当局の指示に基く整備増強計画による車輌の増備、施設の改善なども会社の多大な資金的努力にも拘らず通勤時の混雑は以前として緩和する迄の域に達せず

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乗客の迷惑、披露を思うとき詢に遺憾に耐えないところであります。特に練馬より池袋寄りの区間は最も甚しく昭和45年以降の乗客を推算するときは現在既に運行の回数が限度に達して居る関係上車輌数を全線に約400輌(約80億円)増備して池袋線を10輌連結の運転にしても定員輸送力の200%遥か以上に達することとなり、手の施し様もない状態となることは必然であります。数年前迄は比較的楽観的観測をして居りまして、特に環状山手線外に地下鉄を導入せずとも道路の新設、改良等による路面交通の収容力増大等も考え合わせ輸送需要に十分応じ得るものと判断して居ったのでありますが、西武池袋線は上述の様な逼迫した

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状態にありますので、答申第6号10号線の通り当線の中村橋以遠の乗客を可及的多く地下鉄道により吸収する様路線を選定せられることは当然であり当社としては、これに賛成し協力を惜しまないものであります。

第二「10号路線の今一つの起点を西武新宿線の野方方面にとられたきこと」

西武新宿線は小金井付近迄国鉄中央線に併行せる関係上現在迄池袋線程の乗客密度はなく最近5年間の増加率は54%程度であるが近い将来は前期の池袋線以上の上昇率を見るものと予想せられるのであります。その要因となるべきものの主なものを挙げると次の様なものであります。

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1.新宿線の現在の幹線は西武新宿-高田馬場-小平-所沢-本川越であるが現在建設中の玉川上水拝島間が完成するときは小平より分岐して小川-玉川上水-拝島迄新宿より直通運転せんとなり小川-拝島間約12粁の沿線両側の広大な未開発地域が開発され更に首都圏整備の一環として、発展途上にある青梅、福生、羽村等の地域と連絡輸送が密接となるときは新宿線に流入する乗客数は急速に上昇するものと推測されます。

2.新宿線はここ数年新所沢の公団団地の影響によって乗客が相当増加をしておりますがその周辺は現在も住宅地の開発が盛んに

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行われ更に狭山市、川越市間に当線に沿っての工業団地の計画が進められ、これに伴う鉄道、道路の改善と相俟って乗客入口の増加は急伸するものと予想されます。

3.現在の西武新宿駅は假駅でありますが、現在工事中の国鉄新宿駅東口駅の完成と共に当社新宿線がこれに乗入れることとなりますので国鉄、地下鉄を始めとする国鉄に集中する既設線との連絡が非常に便利となり更に答申第6号による9号路線と高田馬場を通ずる5号線により都心との連絡が益々密となり且つ、その収容力が増大するので沿線の住宅誘致と相俟って、高田馬場以遠

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の乗客は著しい増加を来たすのと思料されます。

第三「10号路線は中村橋方面よりのものと野方方面よりのものとお一本に絞り池袋方面を経由して都心より錦糸町方面に至る路線とするのが適当であること」

前記の中村橋及び野方の両方面よりの路線を個別に都心と連絡することは莫大な建設経費を擁する許りでなく池袋線、新宿線共々の「ターミナル」又はその附近に於いて答申第6号案の4号5号9号の書く地下鉄或は中央線、山手線の各国鉄によって都心の書く方面に連絡して居りますので、この10号路線の幹線はこれを一本として、これに中村橋方面よりの地下鉄と野方方面よりのものを椎名町五丁目付近にて合流せしめて都心方面に

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通ずることが適当であります。

又本陳情書による、この路線は上述の様に西武新宿線を通じての背後地が所沢、狭山、川越方面のみでなく武蔵野、小金井、砂川、昭島、福生、羽村、青梅方面を広く含むこととなりますので、国鉄中央線の沿線乃至その背後地と重複することとなります。従って西武新宿線、国鉄中央線は既に多くの既設線の結節点である新宿を通じて居るのに対しこの10号線は当然目白などの中間点を通ずることなく東京の西北郊外に於ける既設線の一大結節点であり且つ副都心である池袋を通ずるべきであります。これによってこそ第2回高速鉄道網小委員会に於いて了承された

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路線網の再検討に当っての留意事項中第3第4項に示された「既設線を含めて路線相互の連絡を便利にし」「副都心の育成」にも適切有効な路線となるのであります。

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 そしてこの陳情書案の末尾に冒頭紹介した路線図が添付されている。

 

 まあ、堤康次郎による「我田引鉄」なわけだ。

 この陳情書案が作成された時期が不明だが、6号答申が出たのが1962(昭和37)年であり、西武新宿線が国鉄新宿駅乗入れを断念したのが1965(昭和40)年であるからその間ということになる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗入れ断念

(1965(昭和40)年3月16日付け朝日新聞)

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(交通技術1971年6月号「地下鉄8号線建設計画」には「分岐線」として護国寺-中村橋の当初の計画路線がまだ掲載されている。)

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  早大所蔵の青焼きの「陳情書案」だけで事を断じるのもアレなので裏をとってみる。

THE Rail レイル No.92」に「昭和中期の西武鉄道こぼればなし」と題して元西武鉄道常務取締役の長谷部和夫氏が執筆している。その中で「8号線経緯」という章があるので一部を引用してみる。

 戦後、東京の私鉄各社は都心乗り入れを希望していましたが、西武は希望しませんでした。

 これは堤康次郎氏が宿敵としていた、五島慶太運輸大臣の下で、 官僚主導で戦時中行なわれた交通統制そして戦後も続くその体制に対して、都心乗り入れを希望することは五島の軍門に下ることを意味し、堤としては耐えられないことでありました。

 この結果都市交通審議会では、西武池袋線のみ中村橋-目白の並行ルートを新設し、他社線については、それぞれ都心直通ルー ト(当時ターミナル駅の混雑に手を焼いていた国鉄の意向により渋谷、新宿、池袋を外した)が決定されました。このとき5号線で中央線の東西線への乗り入れが決まると、さすがに堤も乗り入れ反対とばかりいっていられず、急遽新宿線の下落合から高田馬場の乗り入れを申し入れましたが、当然のことながら拒否されてしまいました。この乗り入れ問題は、かたちを変えて現在まで尾を引いております。

 昭和40/1965年に日比谷線と東横線との直通運転が開始されると渋谷駅の乗降客が減少し、それに伴い東急デパートの売り上げに影響が出ました。このことは池袋に デパートを持っていた西武、東武にとってもショックな出来事でありました。

 西武も直ちに池袋経由の都心直通ルートの検討を始め、最初に出てきたのは池袋でのスイッチバック案でありましたが、この案にはスイッチバックという 根本的な問題点のほか、中村橋-目白の並行ルートが残ってしまうことになるので没になりました。

 一方営団では、丸ノ内線の新宿口(四谷-赤坂見附)、池袋口の送力不足が問題となっていました。しかし、この対策として6号線と旧8号線が作られることは営団にとっては大問題でありました。それは当時6号線が都交通局の建設線と決まっており、また旧8号線についても都交通局が建設に意欲を示しており、測量及び谷原ガスタンク付近に車庫用地を求めるといった行動を起こしておりました。この2線が作られることは池袋からの東武、西武からの乗客を都交通局に取られてしまうことになるのです。

 西武は直通の相手として都交ではなく営団を希望していました。都交の本質的体質として地元の意向、特に政治家に弱いこと。また経営感覚の欠如や官僚的発想、1号線建設時に露呈した施工能力の低さなどを考えれば、民間企業の西武としては過去に民間企業としての東京地下鉄道、東京高速のDNAを持つ営団に親近感を持つのは当然のこ とでありました。このことは東急、東武についてもいえることでありました。一方、運輸省もせっかく営団 に一元化していた東京の地下鉄道に、政治力を使って割り込んできた都交に対してよい感情を持っていなかったことも事実であり ました。

 その当時、東急も東武もそれぞれ問題を抱えておりました。 東急は田園都市線の大井町経由での乗り入れルートの問題であり、東武は6号線の問題でありました。そこで西武、東武、東急, 営団は水面下で運輸省、首都圏整備委員会、都都市計画局、都市交通審議会などに対して運動をおこしました西武は営団と組んで東武とも連絡を取りながら、池袋線の都心直通ルートの検討を進めました。この際このルートの免許を営団が確実に取得できるようにするためには既に営団が免許を持っていた池袋-向原間ルートの一部を新規ルートに組み込んでおくこ とが必須条件でありました。

 作られた案は

1案 要町より、山手通りを南下して椎名町に至るルート

2案 千川 付近より、江古田に至るルート

3案 現西武有楽町線ルート

でありました。

 池袋線複々線化の観点からすれば3案は分岐駅が最遠方になってしまうので必ずしも望ましい案とはいえませんが、駅構内用地が十分に取れるのと、練馬 が練馬区の中心地(区役所、警察署、消防署、郵便局)であり、また豊島線の分岐駅でもあることから3案に決まりま した。

 向原-成増間については、将来丸ノ内線をそのまま延長することが決まっていましたが、延長区間の軌間が1,067mmになったことで東上線がすんなり乗り入れできる可能性が出てきました。そこで東武としては既に決定されていた(一部用地の買収も進めていた)6号線による都心乗り入れを白紙に戻さなくてはならなくなりました。そこで東武は当時浦和西部地区からの都心直通路線新設を要望していた埼玉県に働きかけ、6号線をそちらへ振り向けることとしてこの問題を解消させ、現有楽町線ルートにすんなり と振り替えさせてしまいました。なお、その後東北新幹線建設に伴い埼京線が建設されたため、6号線は西高島平から先の行き先 がなくなってしまい、行き止まり線となってしまいました。 6号線乗り入れ駅が和光市であった経緯、また営団として車庫用地の問題などもあり、乗り入れ駅は成増駅から和光市に変更されました。この件に関しては、後日行なわれた都市交通審議会の ヒヤリングの際、東武は8号線が成増で接着するので6号線乗り入れは不要になります。と絶妙な発言をされたことが今でも昨日のことのように思いおこされます。もとより出席された委員さんたちが裏で決まっていた事柄について総て承知されていたことはいうまでもないことです。

THE Rail レイル No.92「昭和中期の西武鉄道こぼればなし」長谷部和夫・著から引用

・6号答申までは地下鉄乗り入れは検討していなかった。

・日比谷線と東急東横線の直通開始により渋谷のデパートの売り上げが減少したため東武・西武とも池袋から乗客を逃がすわけにいかなくなった。また東京都交通局とは組みたくなかった。(これは東急も)

・営団は東京都交通局に路線を取られたくなかった。

・西武、東武、東急、営団の利害が一致し、既存の丸の内線延伸部の免許を生かして有楽町線を池袋経由として三田線乗り入れを解消した。

ということか。

 この長谷部氏の記事を読むと、東京都交通局が国・同業者から嫌われていたということがうかがい知れる。猪瀬知事が東京都交通局とメトロの合併を声高に叫んでも誰も乗ってこない背景が分かるような気がする。

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 以前、「日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた」という記事を書いた。

 ざっくり言うと、東京オリンピック前のインフラ整備にあたり東京都の日比谷地下道と営団地下鉄の日比谷線の導入空間がバッティングし、結果東京都が場所を営団に譲る代わりに既に営団が免許を得ていた三田線の運営を東京都交通局に譲渡したというものである。

 もし、このような取引がなく、三田線が営団運営のままであったら

・東京都交通局の体質が嫌われない。

・浅草線と三田線の線路の幅を揃えようということがなく、「狭軌・広軌問題」は生じなかった。

・日比谷線による渋谷のデパートの売り上げ減少を見るまでもなくあっさりと東武が三田線に乗り入れていたかもしれない。

・有楽町線のルートもまた変わっていたかもしれない(東武の乗り入れを考慮せずに西武池袋線の南側を走って池袋線に乗り入れていた?)?

※参考文献 上記記事に引用したものの他に

東京の通勤鉄道路線網計画に関する研究」八十島義之助

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グリーンパーク球場と大山顕さんのDPZ「団地は「都市の文脈保存マシーン」だ!」の補足ネタ

 @ニフティのデイリーポータルZに大山顕さんが「団地は「都市の文脈保存マシーン」だ!」というナイスな記事を書いておられる。

 それを読んで私もインスパイアされて補足ネタを書いてみよう。大山さんの記事に難癖をつけるんじゃなくて、この際勝手に自分のネタを開陳するだけである。

 本文中に出てくる「野球チケット博物館」さんには野球知識も愛妻家ぶりも足元にもおよばないのだが、私ももともと関心範囲は
「野球>>>>>>道路>>>>>>>>>>>>>>>>>その他のインフラ、ドボク」
なんである。

 上記記事では武蔵野緑町パークタウンとグリーンパーク球場についても取り上げている。

 まずグリーンパーク球場の平面図はこんな感じだ。

東京グリーンパーク (5)

 そして記事中の

そして彼の解説によれば、フィールドを慣らした土を盛って土手のように観覧席をつくったのではないか、とのこと。上のイラストにもそれが見て取れる。

つまり、現在の団地の凹みは、観客席とフィールドとの高低差の名残なわけだ。そう思うと、特に野球好きというわけでもないぼくでもじんとする。

 を断面図で確かめてみよう。

東京グリーンパーク (7)

 グランドが地盤よりも掘り下げられているようだ。

 上記2枚の図面は「野球場建設の研究」沢柳正義著(1951(昭和26)年発行)から引用したものであるが、その本文に下記のような記述がある。

東京グリーンパーク (6)

 「地盤より4.1m堀下げ、その土を用いて土盛式スタンドとした。」とある。大山さんがDPZに掲載した「微妙に凹んでいる」が4.1mに合致するのだろうか。(私が見た現地ではそこまで深いようではなかった。スタンドの土を埋め戻したのだろうか??)

グリーンパーク (2)

 そしてここにまだ「建設以前の土地の使われ方が独特の形で残っている」ものがある。

 「野球場建設の研究」には、グリーンパークまでの鉄道路線図が掲載されている。

東京グリーンパーク (4)

 京王井の頭線がグリーンパーク経由で田無まで延伸されていたり、西武多摩川線がグリーンパーク経由で東伏見まで延伸されていたり、(これは両社が壮絶に争った結果どちらも未成に終わった。)と興味深いのだが、実際に実現されたものは三鷹から武蔵野競技場前駅までの国鉄延伸のみである。

東京グリーンパーク (8)

(三鷹事件控訴審死刑判決の翌々日に三鷹から武蔵野競技場前までの延伸がなされているんですね。。。)

東京グリーンパーク  (1)

 上段の地図(ワイドミリオン全東京(1992年))に「JRむさしのアパート」という字が見えるだろうか。この敷地が西から東に向かって順に扇状に広がっている。

 そして下の写真(整理番号USA、コース番号 M578-2、写真番号 175、撮影年月日 1956/04/13(昭31))を見てみると国鉄武蔵野競技場前駅が見える。この路線は単線なのだが、野球場という大量輸送をさばくために、ホームには2本の線路が見え、西から東へ順々にその分広くなっている。

 この線路の広がり方が、鉄道が廃止された後も「国鉄→JRの社宅」そして現在の「武蔵野ガレリアルーチェテラッツァ」及び「武蔵野ガレリアヴェルデテラッツァ」の敷地の地型に生きているのである。(赤い線参照)

 「JRむさしのアパート」の建物の角度が線路の広がりにあわせて徐々に向きを変えていく(日当たりの関係で南側に向けるようにしている?)のが分かる。

 また、「JRむさしのアパート」の1号棟から3号棟のあたりが扇形の広がりからは外れているが、この辺は駅の改札口と駅から球場への通路の地型が反映されているようなのだがうまく線を落とす自信がなくて線を引いていない。

 なお、「国鉄武蔵野競技場前駅」の写真等については、上述の野球チケット博物館さんも協力しておられる旧新橋停車場 鉄道歴史展示室「野球と鉄道―幻の球場と思い出の球団」のパンフレット(今でも汐留に行けば売っているのではないか)に掲載されているので関心のある方は是非。

グリーンパーク (3)

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 大山さんは、記事の中で隣接する都立武蔵野中央公園にも触れておられる。そして「そこには一連の経緯が記された碑がある」と紹介しているのだが、この碑には重大な経緯が欠落している。

- 衆議院 - 決算委員会 - 6号 昭和50年12月11日

 武蔵野市に実は所在いたします。ここに二万七千坪と広大な土地を擁しております。建物もございます。これはずいぶん長い間裁判で争ってまいりました。最高裁まで参りまして、そして国が負けました。これはもとは国有財産であります。これが日本文化住宅協会の財産に帰属いたしまして、ずっと推移いたしてまいりまして、その後ここに、これがグリーンパークとして米軍宿舎に提供したというようなこともございまして、その間の賃借料等の請求裁判等もありまして、百数十億の請求に対しまして、最終二十二億で和解が成立、国は二十二億を払いまして、この土地、建物ももちろん日本文化住宅協会の所有に帰属した、二十二億円をさらに追い銭を打った、こういう経緯がございました。

 この「ずいぶん長い間裁判で争ってまいりました。最高裁まで参りまして、そして国が負けました。」に係る控訴審判決がこれ

 東京都の山田天皇こと山田正男氏も、「東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く」において下記のように述べている。

東京グリーンパーク  (2)

 大山総裁も記事中で触れている中島飛行機が空爆でボコボコにされたあと、進駐軍宿舎グリーンパークになり、その後返還されるのだが、すんなりと東京都の公園になったわけではなく、「日本文化住宅協会」という財団法人と政治家(三井不動産も?)がからんでごちゃごちゃやっていたようなのだ。

 山田氏が「技術屋だからといって油断も隙もありゃしない」と言っているのは岩沢忠恭氏のこと。下記の参議院議事録には「参議院議員でございました。この方は御承知のように建設省事務次官をしておりました」とある。自民党議員からも「利権道路」と呼ばれていた東京高速道路(KK線)のバックでも暗躍していたようだ。

 

- 衆議院 - 決算委員会 - 6号 昭和50年12月11日

○土橋委員 この問題は非常に複雑な内容を持っておりまして、すでに本委員会においてもお話があったと思いますが、昭和二十五年の七月、財団法人日本文化住宅協会が設立をしましたときの名簿をちょっと参考までに申し上げたいと思います。

 敬称を略しまして、理事長は岩沢忠恭、参議院議員でございました。この方は御承知のように建設省事務次官をしておりました。理事として、愛知揆一、これは当時、前の銀行局長として参議院に入っておったかどうか、ちょっとそこははっきりしませんが、現在の大蔵大臣愛知揆一さんです。中村重喜、これは大和建設の取締役副社長でございます。松前重義、これは元逓信院総裁で、ついせんだってまで衆議院議員をしておられた方です。小林秀彌さん、この方は元経済安定本部建築課長さんをやっておりました。同じく理事の山沢真龍さん、これは前建設大臣秘書官をしている方であります。それから林文爾さん、この方は前北国産業取締役社長、元内閣情報局情報官、これが理事の方々であります。監事は、塚越虎男、日本銀行監事でございます。それから甲田勝博さん、こういう方が監事として、いま申し上げますように、二十五年の七月十日に設立の内容をいたしております。これは東京都知事の認可が当時必要でございまして、認可も公益法人として受けておるのであります。  現在の理事はいろいろかわりまして、いまは岩沢忠恭さんがなくなられまして、盆谷秀次さんが理事長です。専務理事が林文爾さん、それから同じく山沢真龍さん、それから秋葉好雄、宮本愛三郎、小田拓三、山内勝、小林秀彌、小鍛治芳二、この方は三井不動産総務部付の方であります。この方々が常務理事でございます。そして理事として、益谷充、松前重義、相川久雄、細川勇五郎、高橋政知、原平助、監事は原昭邦という方がやっております。途中いろいろかわったと思いますが、この新聞にも出ておりますように、私は非常に乱脈な限りを尽くしておるということをまず冒頭申し上げたいと思うのでございます。

 そしてこれが調査経過としましては、御承知のように経過の内容について申し上げたほうがいいと存じますので、時間もそうたくさんございませんが、かいつまんで私の記憶のあるところを、この訴訟の資料によって証人の尋問などから推察をいたしましてお話し申し上げますと、大まかに申しますと、昭和二十四年ごろ林文爾さんが金沢の三竹旅館というところで、中島飛行機会社の後身である富士産業の取締役をしておった小口さんという方とたまたま旅館で一緒になった。そこで、いま物納の問題で富士産業は約四億数千万円の物納をしなければならぬ、それは戦時臨時的な税制の規定によってさようなことがきた、何とかならぬものだろうか。ところが中島飛行機工場のあとは御承知のとおり富士産業が受けておりますけれども、いわゆるじゅうたん爆撃を受けまして、そしてたいへんな状態で、とてもじゃないが関東財務局はそれを物納の対象にすることはできないということをいわれて非常に困っておるのだという話が出まして、林文爾さんが、それじゃ私が骨を折ってあげましょうというようなことで、大体二十四年の暮れごろから御本人もいろいろ鹿島組の幹部とか、あるいは建築の専門家とか、いろいろな人を帯同してそこを調査いたしました。そしてこれは大体いけるというふうに価格を踏まれたようでございます。つまり当時の、これはあとでわかったことですが、三井不動産の江戸英雄さんの関係の豊さんという三井不動産の幹部級の方が、当時の証言によりますと、大体原価が土地が約二万三千坪ばかり、それから建物は四万とか五万という高いものでございましたので、坪数はそれよりずっと多くなっております。価格は大体五億円か六億円するだろうということを値を踏んでおられました。したがって林文爾さんは、そういうことを十分いろいろ研究され、世間のことについては非常に詳しい方でございますので、いろいろの角度から研究されたと思います。そこで、その調査を終わりまして、当時ポツダム宣言の規定によるいわゆる日本の機械類あるいは軍需工場にあるものなんかは御承知のように賠償的な機械として当時の賠償庁、これが東京都知事と一緒になって管理をするという形をとっておったわけであります。ところが、これはアメリカのいわゆる民政部、東京、神奈川方面の民政部の指導のもとにそれらが行なわれておるという事情でございました。ですから林さんはここに賠償の機械が約四千台近くあるということは十分御承知でございました。またこれがその当時の二十四年ごろでは移転ができるかどうかというようなことについてもかなり研究をされておったと推定ができるわけであります。そして林さんという方は、たいへん器用な方でございまして、一内閣の情報官であったにもかかわりませず、これがいわゆる興業銀行の部屋で富士産業の社長の野口さんという方と会見をしまして、そうしてそこで、私が責任を持って物納させましょうということで、野口社長も手に余っておったのです。それは三鷹工場、それから田無工場、それから浅川工場などの問題があったわけで、一つの問題は、三鷹工場のうしろにいま国際基督教大学ができておりますが、そういうような機械を集めたり分散したり、いろいろなことを大体知っておられたと推定ができるわけであります。この林文爾さんを中心に山沢さんという人、これは当時盆谷建設大臣の秘書官をしておられまして、これは新日本製鉄の要するに業務部長をしておった男でございます。この方が中心になって、いま読み上げたような方々、いわゆる愛知さんだとか中村さんだとか松前さんだとか、あるいは岩沢参議院議員、これらを要するに幹部として財団を発足させて、一方においては関東財務局にいろいろ交渉されました。その中に、ふしぎなことには、当時たしか大蔵大臣をしておられました池田勇人氏のいわゆる秘書官というので大平正芳という人がおります。この人に相談を持ちかけたところ、それは気の毒だ、そうして千二百世帯の六千人の住宅をつくることはいまわが国の政策としては非常に正しいことだ、大いにやりなさい、私も骨を折ってあげましょうというようなことで、いろいろ骨を折られたといわれておるわけであります。ここにおいて秘書官というものが池田さんにもお話しになったようでございますが、いずれにしても行為が一体国家のどういう官職の地位としての行政行為であるのか、この点が非常に疑問であるわけです。そこで、この林さんと山沢さんを中心にいたしまして、そうして秘書官をしておられた大平正芳さんが人選をやったわけです。それは建設省関係と大蔵省関係の人材をここに入れようということで、最初、このいただいた資料にはございませんが、これは意識的に落としておるわけですが、この中には山際元日銀総裁が官職で何もしておられないので山際さんを入れておられる。これは建設省は私に間違った報告をしておるわけでございますけれども、この中に山際さんが入っておるわけです。山際さんは御承知の有名な日銀総裁にあとでなられた方です。そういう方、及び建設省からは当時事務次官をしておって、そうして参議院に出られた岩沢忠恭さんが入っておられるわけです。それから同じく建設大臣の秘書官をしておられた山沢真龍さん、それから大蔵省関係は銀行局長をしておりました愛知揆一さん、この方々が入って、そうして非常に多彩な幹部を中心に、これがいま申し上げましたような定款の規定やいろいろなものによって文化住宅を建設するのだというので発足いたしまして、そうして片一方においては、林さんと山沢さんの御奮闘によりまして、ついにこれが物納ができるようになったわけです。それで大体二十四年の終わりから二十五年の当初にこれが物納が成功いたしまして、価格は大体いま申し上げるように六億程度の価格のものであったといわれておりますが、これが大体約八千万の価格前後で物納のカタに大蔵省の関財に入ったわけであります。ところが続いて、この物納を払い下げをしてもらうということで、林さんをはじめとして愛知さんや、あるいはその他松前さんとか岩沢さん、これは建設省の元幹部でございますが、こういう方がいろいろ奔走いたしまして、そうしてたしか二十五年の秋口ごろにこれが払い下げになったわけです。そのときの条件は、これはまた奇怪なことでございますが、調べた内容をいろいろ見ますと、大体一億一千万円くらいで払い下げしようということを当時大蔵省並びに関財は考えておったのですけれども、林文爾さんの奮闘によって、これが約七千九百何十万、八千万足らずで払い下げになっておるわけです。このこと自身が大蔵省にとって一関東財務局長だけの権限で、一億一千万に見積もったものが八千万とかあるいは七千万というそんな膨大な金を下げて一体えてかってにできるものかどうか。当時私は国会議員でございまして、給料は二万八千円でございました。当時一般の給与体系なんか大体六千円ベース前後でございました。したがいまして、当時の金としてこの八千万円近い金を集めるということは容易なわざじゃございません。ところが、この文化住宅という財団は資金がたった百二万円しかないわけですよ。それで岩沢忠恭さんを理事長としてこれはやっているわけですね、いま申し上げるように。大蔵省へ返す金約八千万近くあるわけです。そしてその第一期分を二十六年の二月二十日に納入する、これは約二千万ばかりです。次の一千万は同じ二十六年の三月三十一日に納める、あと残りは二十七年あるいは二十八年の三月三十一日にそれぞれ大体約二千五百万ずつ納める、こういうことで約八千万ばかりの金の決済をつけるということになっておったようでございます。これは文書で明確でございます。ところがこの財団法人は、いま申し上げたように公益法人でありながら資金はたった百万円。そして当時この人たちが考えておったことは、住宅金融公庫ができたから、そこで大体八割くらい借りていこう、あとの大体二千万前後は寄付によっていきましょう、こういう目算を一応立てておられたようでございます、いろいろの証言から見ますと。ところが賠償の機械がそこにすわっておった。これは動かすことがなかなか困難だということで、資金繰りがつかなくなってきた。千葉銀行、帝国銀行その他の信用組合など多方面にわたって金策をしたけれども、金は一向集まらない。したがって、二十六年の二月二十日にも第一回分の約二千万円の金を払うことができない。続いて三月三十一日にも一千万円の第二期分の金を払うことができない。じんぜんとして日を暮らして、結論としては、大体二十六年の十月ごろになって、やいのやいの催促をしたけれども、金が集まってこない。そこで、この人たちはどういうことをおやりになったかというと、再びまた大平正芳さんのところへ泣き込んで、信用のできる資本家は大体江戸英雄さんだ、当時井上義海という方が関財局長をしておりましたが、これに会ってもらって少し延期してもらおうじゃないかということで、山沢専務理事と林文爾専務理事、そして大平正芳さんがくっついて江戸英雄さんのところへ行って面通しをしたわけです。そして、ひとつたいへん困っておるから何とか融資をしていただきたい、こういうことがやはり記録にはっきりしておるわけですね。これは大体二十六年の十月前後であったと思います。

 そこで井上関財局長は、あなたが保証してくださるなら私たちは少しお待ちしましょうということで、十一月ごろまで待ったわけであります。一向金を払いそうにない。納入していない。そこで業を煮やして、御承知のようにいろいろ催促もやったわけです。それでこの書類を見ますと、この人たちは二十数回延期方を申し入れて、関財局へ、あるいは大平正芳さんやその他の幹部に接触をしておるわけです。しかし依然として金は集まらない。どうか待っていただきたいということでやってきたわけです。ところが、江戸英雄さんがこつ然としてあらわれましてから、ある程度関財はこれを認めまして、たしか期限を十一月の二十日ころであったと記憶しておりますが、そこまで待ったわけだ。それでもまだ金ができてこない。江戸さんは御承知のように三井不動産の幹部でございました。この人のあとの証言から見ると、当時三井不動産はそんな金を出す余裕はなかったのだ、特にアパートを建てるとかそういう建築をやることについて、三井不動産はそんな金を出すことはできない、こういうことをあとの証言において言われているわけだ。にもかかわらず、江戸英雄さんは、いま申し上げたように大平正芳氏のあっせんによって、林文爾さんと山沢それがしに面接をして、わざわざ関東財務局の井上義海さんのところへ行っておるわけです。そして払う気はないけれども、自分が顔を出しておけば何とか延ばしてくれるだろうという甘い考えを持っておったと推定ができるのであります。ところが十二月になっても金を払わない。井上関財局長は、再三の催促をしたけれども金を払わないというので、いわゆる民法の五百四十条及び四十一条の規定によって契約解除の通知を発したわけです。この通知は十二月二十五日に出しておるわけです。ところが、二十五日をこえまして、この法人の事務所を移転しておったわけです。山沢さんという人は、どこか江戸川の方面に事務所を移転しておったけれども、肝心かなめの関財局や大蔵当局に事務所移転の通知を出してなかった。それまでは銀座のほうで営業しておった形をとっておったわけです。ところがこの郵便物は、いろいろ回ってまいりまして、結局返ってしまった。関財局に一月八日の日に返りました。名あて人がわからないということで返ってしまった。そこでまた関財局は、あわててそれをさらに封筒に入れて、今度は岩沢忠恭参議院議員の官舎に送ったわけです。つまり議員会館に送ったわけです。ところがここに赤尾という秘書がいて、それを見たけれども、これはおれのほうに関係はないと考えたらしくて、そのまままた山沢氏のところに転送してしまった。転送しててんでんばらばらになって、翌年の二月八日にわかったということを言っておるわけであります。当時私は全逓の委員長として、郵便物が通常送達でどういう状態にあったかよく知っておるのであります。これが一月八日に参議院に行っている。この点はあとで清瀬大先生とか岡村玄治先生とか本間喜一郎先生などの弁護人を立てて、高裁において、これは正当な契約解除の到達主義がとれないという判決を下しておるわけです。これは法務省の方にも聞いていただきたいのだが、こういうことが一体まかり通るのかどうか。これが第一点であります。

 次の点は、二十七年の一月二十日から国会は開かれておったわけです。そうして岩沢参議院議員は二十日、二十一日、二十二日、二十三日、二月一日、二日、三日、九日まで参議院の中で議員活動をしておったことは証明されておるわけです。ところが、いまお話をしますように、岩沢さんが見たというのは実は二月の八日であったというふうに言っておるわけです。ところが御本人はあとの証言では、私は九日、十日ごろはいなかったのだ、広島に行っておったのだ、こういう証言をしておる個所もあるわけです。ところが三井不動産は二月の七日に融資をしておるわけだ。つまり一月の八日にこれが関財局に返っていって、それをまた再び今度参議院会館に送ったところが、その赤尾という秘書が、これは参議院議員の岩沢理事長の受けるものではないと思って山沢さんのところに送った。それが日にちから推定いたしまして、十四、五日ごろ山沢さんのところに行ったと推定できる。山沢さんたちは、それまでは関財局に毎日のように出入りしておった人なんです。したがって、この郵便物を見たときに、これはたいへんだ、契約解除だといってあわてなければならない人が、二月の八日になって岩沢参議院議員が来て、実は契約解除になったのだ、帝国銀行には七日に約二千万の金を入れたのだ、こういうことが問題の中心になっているわけですよ。こんな見え透いたことが――しかもあとで参議院議員の岩沢さんは、読んでみると、私は九日、十日は旅行しておったということをあるところで証言しておられるわけです。こういうことについて当時の関財の皆さん、大蔵省は知っておったかどうか。私が申し上げるように、裁判では、これは到達主義をとれないという高裁や最高裁の判決が出ておるわけだ。それで国会のキーを預かるところのカウンター事務の人とか、そういう人を証人にあげて喚問しておるのですが、そういうことについてはいわゆる国会法上の公務じゃないからして、個人の、千葉かどこかに住んでおられた岩沢さんの家に届けなければ正当な郵便物の送達にはならないというような解釈を下しておるのであります。

 嗚呼、要約する気も起きない。。

グリーンパーク (1)

  周辺には、戦争遺跡が各所に残っている。

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2016年1月27日 (水)

昭和30年代の日本道路公団が調査し(殆んどが未成に終わった)有料道路~石榑峠も有料化を検討していた!?~

 日本道路公団は、1956(昭和31)年に発足したのだが、名神高速道路に着工する前は横浜新道のようなバイパスや仙人トンネルのような峠越えの一次改良の道路そして遠笠山道路のような観光スカイラインを主に建設していた。

 そのころに全国で有料道路の事業化を図る道路を調査している。

 某図書館に「日本道路公団調査・技術資料総覧」日本道路公団計画部調査課 編(1962(昭和37)年3月) という書籍があった。「資料総覧」とあるが、文書の件名だけがひたすらズラズラと書いてあるだけで、図面も何もついていないのだが、道路の名称でなんとなく場所の想像はつくものだ。 

 道路名だけ写してきたので、なんの芸もなく書いておく。掲載順は、上記図書に出て来た順である。

湯河原沼津道路 国道246号東京沼津線、国道135号下田小田原線、主要地方道三島熱海線

大館小坂道路

雁峠道路

秋田船川道路 主要地方道秋田男鹿線

月山道路 国道112号

葛飾橋道路

上高地道路 国道158号福井松本線 県道上高地公園線

赤城道路 主要地方道前橋赤城線

伊豆スカイライン

石榑峠道路 県道桑名彦根線、県道津彦根線(鞍掛線)

白川金山道路 国道41号 岐阜県七曲隧道

名港一宮道路

神岡道路 国道41号

大阪四日市道路

倶利伽羅峠道路

六甲トンネル

橋本長野道路

米子境道路

琵琶湖大橋

桂大橋 国道9号

四国中央トンネル 国道11号 主要地方道西条徳島線

広島バイパス

福島橋

島原フェリー

門司福岡道路

 

 この他に「技術課」の頁に「由良」「須崎」との地名があった。「由良道路」「須崎道路」という構想があったのだろうか?

 もっとも現在のNEXCOの自動車専用道路のような高規格の道路ではなくて、当時は下記(「道路公団5年の歩み」から引用)のような砂利道の有料道路がゴロゴロしていたのである。

道路公団 仙人トンネル

 酷道として有名だった「石榑峠道路」が日本道路公団の有料道路として昭和30年代に調査されていたのか。。

 「大阪四日市道路」は、後の名阪国道かな?

 「琵琶湖大橋」は、実際に日本道路公団の有料道路として着手されていたようだ。

 1962(昭和37)年の日本道路公団滋賀建設局の概要に「近江大橋工事事務所」が掲載されている。

※(追記修正)「琵琶湖大橋」と「近江大橋」は、別の有料道路でした。

日本道路公団近江大橋工事事務所

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2016年1月25日 (月)

高速道路 今日は何の日?(12月)

 乗物系やデータベース系のニュースサイトでは「今日は何の日?」ネタが多いので、当方では「高速道路 今日は何の日?」をやってみる。

 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

 

道路名      
参宮道路 1953 12 1     開通
幕の内トンネル 1954 12 1     開通
西海橋 1955 12 1     開通
東名阪道 1979 12 1 名古屋西 蟹江 開通
頓原道路 1981 12 1     無料開放
霧島道路 1985 12 1     無料開放
東北道 1978 12 2 築館 一関 開通
関越道 1982 12 2 小出 越後川口 開通
東水戸道路 1996 12 2 水戸南 水戸大洗 開通
北関東道 2000 12 2 友部 友部JCT 開通
太子竜野バイパス 1985 12 3     開通
大分道 1992 12 3 別府 大分 開通
東名阪道 1993 12 3 名古屋 勝川 開通
徳島道 1997 12 3 脇町 美馬 開通
音戸大橋 1961 12 4     開通
道央道 1971 12 4 千歳 北広島 開通
札幌小樽道路 1971 12 4 小樽 札幌西 開通
山陽道 1987 12 4 防府東 山口JCT 開通
東九州道 2010 12 4 門川 日向 開通
横浜横須賀道路 1979 12 6 朝比奈 日野 開通
伊勢道 1990 12 6 久居 勢和多気 開通
中部縦貫道(安房峠道 路) 1997 12 6 平湯 中ノ湯 開通
常磐道 2014 12 6 浪江 南相馬 開通
常磐道 2014 12 6 相馬 山元 開通
近畿道 1983 12 7 東大阪北 東大阪JCT 開通
山陽道 1988 12 7 広島 広島JCT 開通
九州道 1989 12 7 八代 人吉 開通
浜田道 1991 12 7 千代田JCT 開通
阪和道 1991 12 7 美原北 開通
笹子トンネル 1958 12 8     開通
大山道路 1963 12 8     開通
北陸道 1977 12 8 武生 敦賀 開通
東北道 1976 12 9 古川 開通
安治川大橋 1969 12 10     無料開放
広島岩国道路 1987 12 10 廿日市JCT 大野 開通
山陽道 1997 12 10 三木小野 山陽姫路東 開通
銚子大橋 1962 12 11     開通
姫路バイパス 1975 12 11 高砂北 姫路東 開通
姫路バイパス 2000 12 11     無料開放
太子竜野バイパス 2000 12 11     無料開放
下田道路 1957 12 12     開通
南伊豆道路 1972 12 12     開通
伊勢湾岸道 2004 12 12 豊田JCT 豊田南 開通
九州道 1973 12 13 加治木 薩摩吉田 開通
北陸道 1983 12 13 朝日 滑川 開通
東海北陸道 1998 12 13 一宮JCT 尾西 開通
東九州道 2014 12 13 行橋 みやこ豊津 開通
米子道 1989 12 14 江府 米子 開通
東北道(改築) 1999 12 14 大谷P A 宇都宮 拡幅
阪和道 2003 12 14 御坊 みなべ 開通
中央高速 1967 12 15 調布 八王子 開通
九州道 1978 12 15 御船 松橋 開通
大分道 1994 12 15 日出JCT 速見 開通
東 名(改築) 1994 12 15 厚木 伊勢原市 拡幅
東 名(改築) 1994 12 15 秦野中井 大井松田 拡幅
宇佐別府道路 1994 12 15 宇佐 院内 開通
横浜新道戸塚支線 1964 12 16     無料開放
高松道 1987 12 16 善通寺 川之江JCT 開通
松山道 1987 12 16 川之江JCT 三島川之江 開通
山陽道 1993 12 16 備前 岡山 開通
中部横断道 2006 12 16 増穂 南アルプス 開通
遠笠山道路 1960 12 17 (全線)   開通
米子道 1992 12 18 落合JCT 江府 開通
東京湾アクアライン連絡 道 1997 12 18 木更津金田 袖ケ浦 開通
東京湾アクアライン 1997 12 18 浮島 木更津金田 開通
第三京浜道路 1965 12 19 京浜川崎 保土ケ谷 開通
中央道 1976 12 19 韮崎 小淵沢 開通
北陸道 1980 12 19 滑川 富山 開通
中央高速 1968 12 20 八王子 相模湖 開通
東京川越道路 1971 12 20 練馬 川越 開通
東北道 1974 12 20 矢板 白河 開通
中央道 1977 12 20 大月JCT 勝沼 開通
山陽道 1990 12 20 熊毛 徳山東 開通
北関東道 2008 12 20 真岡 桜川筑西 開通
中国道 1974 12 21 美作 落合 開通
乙女道路 1984 12 21     無料開放
京奈和道(京奈道路) 1991 12 21 田辺西 精華下狛 開通
東九州道 2012 12 22 都農 高鍋 開通
仙台北部道路 2013 12 22 富谷JCT 富谷 開通
芽吹大橋 1958 12 24     開通
中国道 1976 12 24 落合 北房 開通
阪奈道路 1958 12 25     開通
日光宇都宮道路 1976 12 25 宇都宮 日光 開通
阪奈道路 1981 12 25     無料開放
新湘南バイパス 1995 12 25 茅ヶ崎西 茅ヶ崎海岸 開通
伊勢湾岸道 2003 12 25 豊田南 豊明 開通
敦賀道路 1972 12 27     無料開放
名四道路 1972 12 27     無料開放
東九州道 2001 12 27 大分宮河内 津久見 開通
白浜道路 1963 12 28     開通
高松道 2000 12 29 板野 津田東 開通

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

高速道路 今日は何の日?(3月)

高速道路 今日は何の日?(4月)

高速道路 今日は何の日?(5月・6月)

高速道路 今日は何の日?(7月・8月)

高速道路 今日は何の日?(9月)

高速道路 今日は何の日?(10月)

高速道路 今日は何の日?(11月)

高速道路 今日は何の日?(12月)

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高速道路 今日は何の日?(11月)

 乗物系やデータベース系のニュースサイトでは「今日は何の日?」ネタが多いので、当方では「高速道路 今日は何の日?」をやってみる。

 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

 

道路名      
鳥飼大橋 1954 11 1     開通
碓氷バイパス 1971 11 1     開通
中部縦貫道(油坂峠道 路) 1999 11 1 全線   開通
北陸道 1976 11 2 福井 武生 開通
磐梯吾妻道路 1959 11 6     開通
上信越道 1995 11 7 佐久 小諸 開通
釜石道 2002 11 7 東和 花巻JCT 開通
関越道 1984 11 8 湯沢 六日市 開通
道央道 1983 11 9 札幌 岩見沢 開通
北陸道 1983 11 9 米山 上越 開通
北九州道路 1973 11 10 全線   開通
中央道 1982 11 10 勝沼 甲府昭和 開通
秋田道 1995 11 10 湯田 横手 開通
東海北陸道 1997 11 10 郡上八幡 白鳥 開通
碓氷バイパス 2001 11 11     無料開放
阪和道 2007 11 11 みなべ 南紀田辺 開通
東北道 1972 11 13 岩槻 宇都宮 開通
秋田道 1997 11 13 秋田南 秋田北 開通
北陸道 1997 11 13 新潟空港 新潟亀田 開通
秋田道(秋田外環状道 路) 1997 11 13 秋田北 昭和男鹿半島 開通
中国道 1973 11 14 小月 下関 開通
関門橋 1973 11 14 下関 門司 開通
上信越道 1996 11 14 小諸 更埴JCT 開通
山陽道 1996 11 14 神戸JCT 三木小野 開通
磐越道 1996 11 14 津川 安田 開通
北関東道 2007 11 14 笠間西 友部 開通
西湘バイパス 1970 11 15 小田原西 箱根口 開通
九州道 1977 11 15 薩摩吉田 鹿児島北 開通
東北道 1977 11 15 古川 築館 開通
九州道 1973 11 16 鳥栖 南関 開通
松山道 1994 11 16 いよ西条 川内 開通
東海北陸道 2002 11 16 白川郷 五箇山 開通
長崎バイパス 1967 11 17 一期   開通
北陸道 1982 11 17 柏崎 米山 開通
長崎道 1982 11 17 大村 長崎多良見 開通
志賀草津道路 1992 11 17     無料開放
草津道路 1964 11 18     開通
道央道 2006 11 18 八雲 国縫 開通
霧島道路 1957 11 19     開通
蔵王道路 1962 11 19 (全線)   開通
東北道 1977 11 19 一関 盛岡南 開通
道央道 2001 11 19 国縫 長万部 開通
明石フェリー 1986 11 20     明岩海峡フェリーへ譲渡
東関東道 1987 11 20 佐原香取 潮来 開通
越路橋 1959 11 21     開通
京葉道路 1979 11 21 千葉東JCT 終点 開通
米沢南陽道路 1997 11 21 米沢北 高畠南陽 開通
湯沢横手道路 1994 11 22 横手 十文字 開通
山陰道 2006 11 25 宍道JCT 斐川 開通
東北道 1973 11 26 白河 郡山 開通
九州道 1976 11 26 熊本 御船 開通
大分道 1996 11 26 大分 大分米良 開通
道央道 2011 11 26 落部 開通
東北道 1973 11 27 白石 仙台南 開通
八戸道 1986 11 27 一戸 八戸 開通
広島岩国道路 1990 11 27 大野 大竹 開通
東京外環道 1992 11 27 美女木JCT 三郷 開通
東海北陸道 1999 11 27 白鳥 荘川 開通
東九州道 1999 11 27 大分米良 大分宮河内 開通
東京外環道 2005 11 27 三郷 三郷南 開通
東北道 1975 11 28 仙台南 開通
山陰道 2009 11 28 斐川 出雲 開通
九州道 1976 11 29 溝辺鹿児島空港 加治木 開通
通岡道路 1963 11 30     開通
道央道 1983 11 30 白老 苫小牧西 開通
西九州道(武雄佐世保道 路) 1989 11 30 波佐見有田 武雄南 開通
山陽道 1990 11 30 河内 西条 開通
上信越道 1995 11 30 須坂長野東 信州中野 開通
道央道 2012 11 30 大沼公園 開通

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 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

 

道路名      
日光道路 1954 10 1 (第一いろは坂)   開通
大川橋 1955 10 1     開通
京葉道路 1964 10 1 船橋 花輪 開通
京葉道路 1980 10 1 穴川 千葉東JCT 開通
九州道 1981 10 1 都城 宮崎 開通
大山道路 1981 10 1     無料開放
日光道路 1984 10 1     無料開放
磐越道 1997 10 1 西会津 津川 開通
関越道 1985 10 2 前橋 湯沢 開通
中の谷トンネル 1963 10 4     開通
北陸道 1975 10 4 富山 小杉 開通
山形道 1990 10 4 宮城川崎 笹谷 開通
道央道 2000 10 4 旭川鷹栖 和寒 開通
道央道 2003 10 4 和寒 士別剣淵 開通
秋吉台道路 1970 10 5     開通
中央道 1972 10 5 多治見 小牧JCT 開通
京奈和道(京奈道路) 1988 10 5 城陽 田辺西 開通
阿蘇登山道路 1957 10 6     開通
第三京浜道路 1964 10 6 玉川 京浜川崎 開通
日光宇都宮道路 1981 10 6 日光 清滝 開通
南九州道(八代日奈久道 路) 2001 10 6 八代南 日奈久 開通
東伊予道路 1960 10 7     開通
日光道路 1965 10 7 (第二いろは坂)   開通
金精道路 1965 10 7     開通
金精道路 1995 10 7     無料開放
道東道 1999 10 7 千歳恵庭JCT 夕張 開通
東海北陸道 2000 10 7 荘川 飛騨清見 開通
中央道 2012 10 7 安曇野   名称変更
東北道 1980 10 8 滝沢 西根 開通
沖縄道 1987 10 8 石川 那覇 開通
高知道 1987 10 8 大豊 南国 開通
沖縄道 1987 10 8 許田 石川 一般有料道路を高速道路に切り替え
道央道 1988 10 8 美唄 滝川 開通
湘南道路 1964 10 9 (逗子区間)   開通
道央道 1986 10 9 登別室蘭 登別東 開通
道央道 2009 10 10 落部 八雲 開通
北陸道 1978 10 12 金沢東 金沢西 開通
山形道 1988 10 13 村田JCT 宮城川崎 開通
寒霞渓道路 1970 10 14     開通
北陸道 1973 10 16 小杉 砺波 開通
中国道 1975 10 16 宝塚 西宮北 開通
中国道 1975 10 16 福崎 美作 開通
上信越道 1997 10 16 信州中野 中郷 開通
北九州道路 1958 10 17 一部   開通
北陸道 1973 10 17 小松 丸岡 開通
中国道 1980 10 17 鹿野 山口 開通
磐越道 1996 10 17 会津坂下 西会津 開通
北陸道 1972 10 18 金沢西 小松 開通
中国道 1979 10 18 三次 千代田 開通
東北道 1979 10 18 盛岡南 滝沢 開通
道央道 1985 10 18 登別東 白老 開通
浜田道 1989 10 18 浜田 開通
東北道 1982 10 19 西根 安代 開通
第二磐梯吾妻道路 1972 10 20     開通
第二磐梯吾妻道路 1972 10 20     福島県道路公社へ引継
境大橋 1977 10 20     無料開放
東北道 1983 10 20 鹿角八幡平 鹿角八幡平 開通
日本海東北道 2002 10 20 聖籠新発田 中条 開通
九州道 1972 10 21 南関 植木 開通
道東道 2007 10 21 トマム 十勝清水 開通
東名阪道 1975 10 22 蟹江 桑名 開通
伊勢道 1975 10 22 久居 開通
道央道 1997 10 22 虻田洞爺湖 長万部 開通
道央道 1978 10 24 苫小牧東 千歳 開通
道東道 2009 10 24 占冠 トマム 開通
頓原道路 1964 10 25     開通
阪和道 1974 10 25 阪南 海南 開通
道央道 1985 10 25 札幌南 札幌 開通
道央道 1991 10 25 室蘭 登別室蘭 開通
榛名道路 1962 10 26     開通
関越道 1983 10 26 六日町 小出 開通
山陽道 1993 10 26 福山西 河内 開通
日本海東北道 2002 10 26 岩城 秋田空港 開通
武生トンネル 1958 10 27     開通
新空港道 1971 10 27 宮野木JCT 富里 開通
東名阪道 1986 10 27 名古屋西 七宝 開通
道央道 1992 10 27 伊達 室蘭 開通
横浜新道 1959 10 28     開通
乙女道路 1964 10 28     開通
中国道 1978 10 28 北房 三次 開通
山形道 1998 10 28 寒河江 西川 開通
北陸道 1974 10 29 砺波 金沢東 開通
道央道 1979 10 29 北広島 札幌南 開通
東北道 1980 10 29 碇ケ関 大鰐弘前 開通
道央道 1980 10 29 苫小牧西 苫小牧東 開通
宮崎道 1981 10 29 えびのJCT 栗野 開通
北陸道 1981 10 29 西山 柏崎 開通
磐越道 1992 10 29 猪苗代磐梯高原 会津坂下 開通
山形道 1999 10 29 西川 月山 開通
道東道 2011 10 29 夕張 占冠 開通
芽吹大橋 1968 10 30     無料開放
道央道 1990 10 30 深川 旭川鷹栖 開通
道東道 1995 10 30 十勝清水 池田 開通
山形道 1997 10 30 庄内あさひ 酒田 開通
上信越道 1999 10 30 中郷 上越JCT 開通
第二神明道路 1964 10 31 名谷 大蔵谷 開通
大垣羽島道路 1980 10 31     無料開放
八王子バイパス 1985 10 31 相原 打越 開通
磐越道 1990 10 31 郡山JCT 磐梯熱海 開通
圏央道 2015 10 31 桶川北本 白岡菖蒲 開通
八王子バイパス 2015 10 31 相原 打越 無料開放

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

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 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

道路名      
厚岸フェリー 1972 9 1     廃止
伊香保榛名道路 1981 9 1     無料開放
真鶴道路 1959 9 4     開通
名神 1964 9 6 一宮 関ケ原 開通
名神 1964 9 6 尼崎 西宮 開通
中央道 1973 9 6 瑞浪 多治見 開通
八戸道 1989 9 7 安代JCT 一戸 開通
北陸道 1975 9 9 丸岡 福井 開通
東北道 1987 9 9 浦和 川口JCT 開通
京都縦貫道 1993 9 9 亀岡 千代川 開通
志賀草津道路 1970 9 12     開通
道央道 1989 9 12 滝川 深川 開通
常磐道 2009 9 12 山元 亘理 開通
仙人トンネル 1959 9 13     開通
東海大橋 1987 9 15     無料開放
東海環状道 2012 9 15 大垣西 養老JCT 開通
東北中央道 2002 9 16 山形上山 東根 開通
高知道 2002 9 16 伊野 須崎東 開通
中央道 1976 9 18 伊北 駒ケ根 開通
道央道 1987 9 18 岩見沢 美唄 開通
北陸道 1978 9 21 新潟黒埼 長岡 開通
黒之瀬戸大橋 1990 9 21     無料開放
山陰道(江津道路) 2004 9 21 江津 浜田JCT 開通
天草五橋 1966 9 25     開通
横浜新道 1974 9 25 狩場 新保土ケ谷 開通
阪和道 1993 9 25 岸和田和泉 開通
若戸大橋 1962 9 27     開通
東北道 1979 9 27 大鰐弘前 青森 開通
北陸道 1980 9 27 長岡JCT 西山 開通
東北道 1984 9 27 鹿角八幡平 十和田 開通
富士宮道路 1965 9 28 (朝霞区間)   開通
富士宮道路 1995 9 28     無料開放
秋田道 2002 9 28 昭和男鹿半島 琴丘森岳 開通
青森道 2003 9 28 青森JCT 青森東 開通
札樽道 1992 9 30 札幌西 札幌JCT 開通
山形道 2000 9 30 湯殿山 庄内あさひ 開通
東海北陸道 2000 9 30 五箇山 福光 開通
真鶴道路 2005 9 30     神奈川県道路公社へ引継
中部縦貫道(油坂峠道 路) 2005 9 30     無料開放
豊川橋 2005 9 30     無料開放
若戸大橋 2005 9 30     北九州市へ引継

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

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高速道路 今日は何の日?(7月・8月)

 乗物系やデータベース系のニュースサイトでは「今日は何の日?」ネタが多いので、当方では「高速道路 今日は何の日?」をやってみる。

 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

 

道路名      
立山登山道路 1955 7 1     開通
伊東道路 1956 7 1     開通
湘南道路 1956 7 1 (鎌倉区間)   開通
縄地道路 1956 7 1     静岡県から引継
明石フェリー 1956 7 1     兵庫県から引継
鳴門フェリー 1956 7 1     徳島県から引継
伊勢神トンネル 1960 7 1     開通
名神 1965 7 1 小牧 一宮 開通
阿蘇登山道路 1970 7 1     熊本県へ引継
湘南道路 1986 7 1 (逗子区間)   無料開放
秋吉台道路 1990 7 1     無料開放
山形道 1998 7 1 笹谷 関沢 一般有料道路を高速道路に切り替え
松江道路 1958 7 2     開通
常磐道 1985 7 3 日立南太田 日立北 開通
大島大橋 1976 7 4     開通
館山道 2007 7 4 君津 富津中央 開通
東海北陸道 2008 7 5 飛騨清見 白川郷 開通
日本海東北道 2001 7 7 秋田空港 河辺JCT 開通
敦賀道路 1962 7 8     開通
芦有ドライブウェイ 2010 7 8     買収
今治小松道 2001 7 9 今治湯ノ浦 東予丹原 開通
湯浅御坊道路 1994 7 11 広川 吉備 開通
浦戸大橋 1972 7 12     開通
蔵王道路 1962 7 15 (宮城県側)   開通
知多半島道路 1970 7 15 半田 阿久比 開通
知多半島道路 1971 7 15 全線   開通
蔵王道路 1985 7 15     無料開放
名神 1963 7 16 栗東 尼崎 開通
舞鶴若狭道 2011 7 16 小浜西 小浜 開通
関越道 1980 7 17 東松山 前橋 開通
東九州道 2010 7 17 高鍋 西都 開通
館山道 1995 7 18 姉崎袖ケ浦 木更津南 開通
八戸道 2002 7 18 八戸JCT 八戸北 開通
日本海東北道 2009 7 18 中条 荒川胎内 開通
北陸道 1988 7 20 名立谷浜 朝日 開通
大分道 1989 7 20 湯布院 別府 開通
舞鶴若狭道 2014 7 20 小浜 敦賀JCT 開通
海門橋 1959 7 21     開通
高野山道路 1960 7 21 (全線)   開通
九州道 1977 7 21 若宮 古賀 開通
北陸道 1987 7 21 上越 名立谷浜 開通
高松道 2002 7 21 鳴門 板野 開通
境水道大橋 2002 7 21     無料開放
境水道大橋 1972 7 22     開通
東水戸道路 1999 7 22 水戸大洗 ひたちなか 開通
中国道 1970 7 23 中国豊中 宝塚 開通
秋田道 1997 7 23 北上西 湯田 開通
長府道路 1971 7 24     無料開放
秋田道 1991 7 25 横手 秋田南 開通
山形道 1989 7 26 山形北 寒河江 開通
箱根新道 2011 7 26     無料開放
山陽道 1988 7 27 西条 志和 開通
九州道 1995 7 27 人吉 えびの 開通
仙台東部道路 1995 7 27 岩沼 仙台空港 開通
北関東道 2000 7 27 栃木都賀JCT 宇都宮上三 川 開通
磐越道 1994 7 28 安田 新潟中央 開通
北陸道 1994 7 28 新潟亀田 新潟西 開通
松山道 2000 7 28 伊予 大洲 開通
富士宮道路 1971 7 30 (北山・小出区間)   開通
東北道 1986 7 30 十和田 碇ケ関 開通
中国道 1974 7 31 小郡 小月 開通
山陽道 1990 7 31 山陽姫路西 竜野西 開通
山形道 1991 7 31 関沢 山形北 開通
今治小松道 1999 7 31 東予丹原 いよ小松 開通
掛塚橋 1955 8 1     開通
伊勢道路 1973 8 1     三重県道路公社へ引継
音戸大橋 1974 8 1     無料開放
姫路バイパス 1982 8 1 中地 姫路西 開通
南伊豆道路 1983 8 1     無料開放
遠笠山道路 1985 8 1     無料開放
仙台東部道路 2001 8 1 亘理 岩沼 開通
仙台東部道路 2001 8 1 仙台東 仙台港北 開通
湖西道路 2005 8 1 志賀 坂本北 無料開放
厚岸フェリー 1959 8 2     開通
磐越道 1995 8 2 いわきJCT 郡山JCT 開通
愛岐道路 1957 8 3     開通
愛岐道路 1987 8 3     無料開放
長野道 1988 8 3 松本 豊科 開通
秋田道 1994 8 4 北上JCT 北上西 開通
磐越道 1991 8 7 磐梯熱海 猪苗代磐梯高原 開通
関越道 1975 8 8 川越 東松山 開通
東名阪道路 1971 8 9 桑名 四日市 開通
東北道 1973 8 9 宇都宮 矢板 開通
徳島道 1995 8 9 徳島 藍住 開通
山形道 2001 8 9 酒田 酒田みなと 開通
天草五橋 1975 8 10     無料開放
名神 2003 8 10 大山崎JCT 久御山淀 開通
伊勢道路 1965 8 14     開通
新空港道 1972 8 19 富里 成田 開通
大川橋 1966 8 20     無料開放
名 神(改築) 1996 8 20 栗東 瀬田東 拡幅
中央道 1975 8 23 駒ケ根 中津川 開通
東富士五湖道路 1986 8 28 富士吉田 山中湖 開通
東伊豆道路 1962 8 29 (熱川区間)   開通
京滋バイパス 1988 8 29 瀬田東 巨椋 開通
広島呉道路 1996 8 30 天応 開通
島原道路 1960 8 31     開通

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 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

道路名      
東山道路 1959 5 1     開通
東山道路 1979 5 1     無料開放
仙人トンネル 1980 5 1     無料開放
寒霞渓道路 1981 5 1     無料開放
尾道大橋 1987 5 9 全線   開通
中央道 1976 5 18 高井戸 調布 開通
仙台北部道路 2002 5 19 利府JCT 利府しらかし台 開通
新空港道 1978 5 21 成田 新空港 開通
銚子大橋 1974 5 23     無料開放
東名 1969 5 26 大井松田 御殿場 開通
日本海東北道 2002 5 26 新潟空港 聖籠新発田 開通
広島呉道路 1974 5 29 仁保 開通
富津館山道路 2004 5 29 富浦 鋸南富山 開通
圏央道 2011 5 29 白岡菖蒲 久喜白岡JCT 開通
上江橋 1968 6 1     無料開放
白浜道路 1981 6 1     和歌山県へ引継
知多半島道路 1981 6 1     愛知県道路公社へ引継
大島大橋 1987 6 1     山口県道路公社へ引継
北陸道 1989 6 1 新潟西 新潟黒埼 国道移管
中国道 1974 6 4 西宮北 福崎 開通
雲仙道路 1957 6 5     開通
圏央道 2015 6 7 神崎 大栄JCT 開通
道東道 2003 6 8 池田 本別・足寄 開通
鳴門フェリー 1978 6 14     廃止
高野山道路 1959 6 17 (一部)   開通
伊香保道路 1958 6 21     開通
圏央道 2007 6 23 八王子JCT あきる野 開通
別府阿蘇道路 1964 6 25     開通
湖西道路 1986 6 25 志賀 仰木雄琴 開通
山陽道 1992 6 25 岩国 熊毛 開通
別府阿蘇道路 1994 6 25     無料開放
湯沢横手道路 1997 6 26 十文字 湯沢 開通
那覇空港道(南風原道 路) 2000 6 28 南風原南 西原JCT 開通
日光宇都宮道路 2005 6 28     栃木県道路公社へ引継
東九州道 2008 6 28 津久見 佐伯 開通
圏央道 2014 6 28 相模原愛川 高尾山 開通
九州道 1971 6 30 植木 熊本 開通

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

高速道路 今日は何の日?(3月)

高速道路 今日は何の日?(4月)

高速道路 今日は何の日?(5月・6月)

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2016年1月24日 (日)

高速道路 今日は何の日?(4月)

 乗物系やデータベース系のニュースサイトでは「今日は何の日?」ネタが多いので、当方では「高速道路 今日は何の日?」をやってみる。

 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

道路名      
住之江橋 1955 4 1     開通
衣浦大橋 1968 4 1     無料開放
住之江橋 1968 4 1     無料開放
濃尾大橋 1969 4 1     無料開放
幕の内トンネル 1969 4 1     無料開放
掛塚橋 1970 4 1     無料開放
立山登山道路 1970 4 1     無料開放
伊勢神トンネル 1971 4 1     無料開放
東伊豆道路 1972 4 1 (伊東区間)   無料開放
松江道路 1972 4 1     無料開放
札樽道 1973 4 1 小樽 札幌西 一般有料道路を高速道路に切り替え
関越道 1973 4 1 練馬 川越 一般有料道路を高速道路に切り替え
東名阪 1973 4 1 桑名 亀山 一般有料道路を高速道路に切り替え
西名阪 1973 4 1 天理 松原JCT 一般有料道路を高速道路に切り替え
通岡道路 1973 4 1     無料開放
雲仙道路 1973 4 1     無料開放
島原道路 1973 4 1     無料開放
中の谷トンネル 1973 4 1     無料開放
東北道 1975 4 1 郡山 白石 開通
中国道 1975 4 1 山口 小郡 開通
東伊豆道路 1982 4 1 (熱川区間)   無料開放
東伊豆道路 1982 4 1 (稲取区間)   無料開放
東伊豆道路 1982 4 1 (下田区間)   無料開放
高野山道路 1987 4 1     無料開放
国道九四フェリー 1988 4 1     国道九四フェリーへ譲渡
新富士川橋 1992 4 1     無料開放
阪和道 2005 4 1 海南 吉備 一般有料道路を高速道路に切り替え
山陰道(米子道路) 2006 4 1 淀江大山 米子東 無料開放
西富士道路 2012 4 1     無料開放
西富士道路 1982 4 2     開通
関西空港道 1994 4 2 泉佐野JCT りんくうJCT 開通
藤枝バイパス 1981 4 4     開通
名 神(改築) 1998 4 4 京都南 吹田 拡幅
山陽道 1998 4 5 三木JCT 神戸西 開通
第二神明道路北線 1998 4 5 垂水JCT 永井谷JCT 開通
国道九四フェリー 1969 4 6     開通
南九州道(鹿児島道路) 2002 4 6 市来 伊集院 開通
北陸道 1980 4 7 敦賀 米原JCT 開通
新利根川橋 1981 4 7     開通
新利根川橋 2001 4 7     無料開放
横浜横須賀道路 1982 4 8 逗子 朝比奈 開通
常磐道 2012 4 8 南相馬 相馬 開通
黒之瀬戸大橋 1974 4 9     開通
深川留萌道 1998 4 11 深川JCT 深川西 開通
名神 1964 4 12 関ケ原 栗東 開通
北関東道 2008 4 12 桜川筑西 笠間西 開通
圏央道 2014 4 12 稲敷 神崎 開通
常磐道 2004 4 14 広野 常磐富岡 開通
新東名 2012 4 14 御殿場JCT 三ヶ日JCT 開通
圏央道 2013 4 14 茅ヶ崎JCT 寒川北 開通
笹谷トンネル 1981 4 15     開通
真鶴道路 1982 4 15 新道   開通
京奈和道(京奈道路) 2000 4 16 山田川 木津 開通
東名阪道路 1970 4 17 四日市 亀山 開通
西九州道(佐世保道路) 1998 4 17 佐世保みなと 佐世保大塔 開通
松山道 2004 4 17 西予宇和 大洲北只 開通
北関東道 2010 4 17 佐野田沼 岩舟JCT 開通
東海北陸道 1996 4 18 美並 郡上八幡 開通
東海環状道 2009 4 18 美濃関JCT 関広見 開通
東海大橋 1969 4 19     開通
高松道 1992 4 19 高松西 善通寺 開通
広島呉道路 1989 4 20 天応 開通
南九州道(八代日奈久道 路) 1998 4 20 八代JCT 八代南 開通
京都縦貫道 2013 4 21 沓掛 大山崎JCT 開通
笹子トンネル 1971 4 24     無料開放
草津道路 1993 4 24     無料開放
圏央道 2010 4 24 つくば中央 つくばJCT 開通
東伊豆道路 1967 4 25 (稲取区間)   開通
東名 1968 4 25 東京 厚木 開通
東名 1968 4 25 富士 静岡 開通
東名 1968 4 25 岡崎 小牧 開通
京葉道路 1969 4 25 花輪 穴川 開通
安治川大橋 1963 4 26     開通
新富士川橋 1971 4 26     開通
館山道 1995 4 26 起点(千葉市) 姉崎袖ケ浦 開通
中部縦貫道(油坂峠道 路) 1999 4 26 油坂峠 白鳥西 開通
常磐道 1981 4 27 谷田部 開通
東関東道 1982 4 27 市川JCT 宮野木JCT 開通
横浜横須賀道路 1984 4 27 衣笠 逗子 開通
京都縦貫道(京都丹波道 路) 1996 4 27 千代川 丹波 開通
圏央道 2013 4 27 東金IC・JCT 木更津東 開通
西湘バイパス 1971 4 28 西湘二宮 小田原 開通
東 名(改築) 1995 4 28 厚木 秦野中井 拡幅
京葉道路 1960 4 29 京葉口 船橋 開通
館山道 2003 4 29 木更津南JCT 君津 開通
関西空港連絡橋 2009 4 29 りんくう 関西国際空港 関西国際空港会社から移管

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

高速道路 今日は何の日?(3月)

高速道路 今日は何の日?(4月)

高速道路 今日は何の日?(5月・6月)

高速道路 今日は何の日?(7月・8月)

高速道路 今日は何の日?(9月)

高速道路 今日は何の日?(10月)

高速道路 今日は何の日?(11月)

高速道路 今日は何の日?(12月)

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高速道路 今日は何の日?(3月)

 乗物系やデータベース系のニュースサイトでは「今日は何の日?」ネタが多いので、当方では「高速道路 今日は何の日?」をやってみる。

 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

 3月は、年度末なので大変開通区間が多いぞ

 

道路名      
近畿道 1970 3 1 門真 吹田 開通
中国道 1970 3 1 中国吹田 中国豊中 開通
西海橋 1970 3 1     無料開放
湘南道路 1975 3 1 (鎌倉区間)   無料開放
海門橋 1979 3 1     無料開放
山陽道 1988 3 1 早島 福山東 開通
常磐道 2015 3 1 常磐富岡 浪江 開通
東九州道 2015 3 1 豊前 宇佐 開通
東九州道 2002 3 2 末吉財部 国分 開通
近畿道 1987 3 3 八尾 東大阪JCT 開通
尾道大橋 1968 3 4 一部   開通
宮崎道 1976 3 4 えびの 高原 開通
東九州道 2000 3 4 国分 隼人東 開通
中央道 1975 3 5 中津川 瑞浪 開通
東海北陸道 1986 3 5 岐阜各務原 美濃 開通
長野道 1988 3 5 岡谷 松本 開通
東関東道 2010 3 6 茨城空港北 茨城町JCT 開通
上江橋 1957 3 8     開通
第二神明道路 1970 3 8 全線   開通
九州道 1979 3 8 八幡 若宮 開通
千葉東金道路 1979 3 8 東金 千葉東JCT 開通
北九州直方道路 1979 3 8     開通
北関東道 2008 3 8 伊勢崎 太田桐生 開通
圏央道 2015 3 8 寒川北 海老名JCT 開通
舞鶴若狭道 2003 3 9 舞鶴東 小浜西 開通
長府道路 1958 3 10     開通
関門トンネル 1958 3 10     開通
大分道 1990 3 10 朝倉 日田 開通
大分道 1995 3 10 日田 玖珠 開通
圏央道 2007 3 10 つくば牛久 阿見東 開通
参宮道路 1967 3 11     無料開放
徳島道 2000 3 11 井川池田 川之江東JCT 開通
山陽道 2001 3 11 宇部JCT 下関JCT 開通
紀勢道 2006 3 11 勢和多気JCT 大宮大台 開通
九州道 1980 3 12 松橋 八代 開通
九州道 1975 3 13 古賀 鳥栖 開通
東名阪道 2005 3 13 亀山 伊勢関 開通
徳島道 2015 3 14 鳴門JCT 徳島IC 開通
椎田道路 1991 3 15     開通
岡山道 1997 3 15 岡山総社 北房JCT 開通
伊勢湾岸道 2003 3 15 豊田東 豊田JCT 開通
北関東道 2008 3 15 宇都宮上三川 真岡 開通
鳥飼大橋 1964 3 16     無料開放
山陽道 1991 3 16 岡山総社 倉敷JCT 開通
松江道 2003 3 16 三刀屋木次 宍道JCT 開通
山陰道 2003 3 16 宍道JCT 宍道 開通
中央道(改築) 2003 3 16 談合坂SA 大月JCT 拡幅
東九州道 2014 3 16 日向 都農 開通
中央高速 1969 3 17 相模湖 河口湖 開通
宮崎道 1981 3 17 高原 都城 開通
近畿道 1988 3 17 松原 八尾 開通
徳島道 1994 3 17 藍住 脇町 開通
長崎道 1987 3 18 武雄北方 佐賀大和 開通
舞鶴道 1987 3 18 丹南篠山口 福知山 開通
舞鶴道 1998 3 18 舞鶴西 舞鶴東 開通
北関東道 2000 3 18 友部JCT 水戸南 開通
小田原厚木道路 1969 3 19 小田原西 厚木 開通
東名阪道 1991 3 19 勝川 清洲東 開通
東北道(改築) 1999 3 19 鹿沼 大谷PA 拡幅
館山道 2005 3 19 富津中央 富津竹岡 開通
伊勢湾岸道 2005 3 19 豊田東JCT 豊田東 開通
東海環状道 2005 3 19 豊田東JCT 美濃関JCT 開通
北関東道 2011 3 19 太田桐生 佐野田沼 開通
広島道 1985 3 20 広島北 広島JCT 開通
山陽道 1985 3 20 広島JCT 五日市 開通
名港西大橋 1985 3 20     開通
山陽道 1991 3 20 福山東 福山西 開通
高知道 1998 3 20 南国 伊野 開通
三陸道(矢本石巻道路) 1998 3 20 鳴瀬奥松島 石巻河南 開通
伊勢湾岸道 1998 3 20 東海 名港中央 開通
山陰道(米子道路) 1998 3 20 淀江大山 米子東 開通
山陰道(安来道路) 1998 3 20 米子西 安来 開通
中部横断道 2004 3 20 南アルプス 白根 開通
横浜横須賀道路 2009 3 20 馬堀海岸 佐原 開通
第二京阪 2010 3 20 枚方東 門真JCT 開通
西九州道 2010 3 20 佐世保みなと 佐世保中央 開通
名古屋二環 2011 3 20 名古屋南 高針JCT 開通
西名阪道路 1969 3 21 天理 松原 開通
伊勢湾岸道 2003 3 21 みえ川越 四日市JCT 開通
圏央道 2005 3 21 あきる野 日の出 開通
圏央道 2007 3 21 木更津JCT 木更津東 開通
圏央道 2009 3 21 阿見東 稲敷 開通
近畿道 1976 3 22 門真 東大阪北 開通
九州道 1980 3 22 栗野 溝辺鹿児島空港 開通
西湘バイパス 1995 3 22 早川 石橋 開通
東名阪道 1988 3 23 清洲東 名古屋西 開通
湖西道路 1989 3 23 仰木雄琴 坂本北 開通
日高道 1998 3 23 苫小牧東 沼の端西 開通
常磐道 2002 3 23 いわき四倉 広野 開通
伊勢湾岸道 2003 3 23 豊明 名古屋南 開通
東九州道 2014 3 23 苅田北九州空港 行橋 開通
浜名バイパス 1978 3 24     開通
掛川バイパス 1981 3 24     開通
磐田バイパス 1981 3 24     開通
中国道 1983 3 24 千代田 鹿野 開通
山陽道 1987 3 24 志和 広島東 開通
常磐道 1988 3 24 日立北 いわき中央 開通
舞鶴道 1988 3 24 吉川JCT 丹南篠山口 開通
西九州道(武雄佐世保道 路) 1988 3 24 佐世保大塔 波佐見有田 開通
東海北陸道 1997 3 24 一宮木曽川 岐阜各務原 開通
山陰道 2001 3 24 松江玉造 宍道 開通
中央道(改築 ) 2001 3 24 上野原 談合坂SA 拡幅
山陰道(安来道路) 2001 3 24 安来 東出雲 開通
伊勢湾岸道 2002 3 24 湾岸弥富 みえ川越 開通
紀勢道 2013 3 24 紀勢大内山 紀伊長島 開通
長野道 1986 3 25 岡谷JCT 岡谷 開通
山陽道 1988 3 25 広島東 広島 開通
隼人道路 1992 3 25 隼人東 加治木 開通
長野道 1993 3 25 豊科 更埴JCT 開通
上信越道 1993 3 25 更埴JCT 須坂長野東 開通
京奈和道(京奈道路) 1993 3 25 精華下狛 山田川 開通
東海北陸道 1994 3 25 美濃 美並 開通
常磐道 1999 3 25 いわき中央 いわき四倉 開通
伊勢湾岸道 2000 3 25 飛島 湾岸弥富 開通
東九州道 2000 3 25 宮崎西 清武JCT 開通
圏央道 2012 3 25 高尾山 八王子JCT 開通
東北道 1980 3 26 浦和 岩槻 開通
中央道 1980 3 26 甲府昭和 韮崎 開通
舞鶴道 1991 3 26 福知山 舞鶴西 開通
横浜横須賀道路(金沢支 線) 1991 3 26 釜利谷JCT 並木 開通
圏央道 1996 3 26 青梅 鶴ケ島JCT 開通
高松道(高松東道路) 1998 3 26 津田東 さぬき三木 開通
南九州道(鹿児島道路) 1998 3 26 伊集院 鹿児島西 開通
常磐道 1984 3 27 千代田石岡 那珂 開通
九州道 1984 3 27 門司 小倉東 開通
松山道 1985 3 27 三島川之江 土居 開通
山陽道 1986 3 27 徳山西 防府東 開通
長崎バイパス 1991 3 27 二期   開通
上信越道 1993 3 27 藤岡 佐久 開通
三陸道(仙塩道路) 1997 3 27 仙台港北 利府中 開通
富津館山道路 1999 3 27 鋸南富山 富津竹岡 開通
長崎道 2004 3 27 長崎 長崎多良見 開通
仙台北部道路 2010 3 27 利府しらかし台 富谷JCT 開通
海南湯浅道路 1984 3 28 吉備 海南 開通
長崎道 1985 3 28 佐賀大和 鳥栖 開通
東関東道 1986 3 28 大栄 佐原香取 開通
山陽道 1991 3 28 山陽姫路東 山陽姫路西 開通
松山道 1991 3 28 土居 いよ西条 開通
東 名(改 築) 1991 3 28 大井松田 御殿場 拡幅
東海北陸道 1992 3 28 福光 小矢部砺波JCT 開通
百石道路 1995 3 28 八戸北 下田百石 開通
大分道 1996 3 28 玖珠 湯布院 開通
湾横連絡道 1996 3 28 袖ケ浦 木更津JCT 開通
南阪奈道路 2004 3 28 羽曳野 葛城 開通
那覇空港道(南風原道 路) 2009 3 28 南風原南 西原JCT 無料開放
圏央道 2010 3 28 川島 桶川北本 開通
山陽道 1988 3 29 大竹JCT 岩国 開通
九州道 1988 3 29 鹿児島北 鹿児島 開通
広島岩国道路 1988 3 29 大竹 大竹JCT 開通
阪和道 1989 3 29 松原 美原北 開通
東富士五湖道路 1989 3 29 山中湖 須走 開通
阪和道 1990 3 29 岸和田和泉 阪南 開通
横浜横須賀道路 1990 3 29 佐原 衣笠 開通
伊勢道 1993 3 29 勢和多気 伊勢 開通
宇佐別府道路 1993 3 29 院内 速見 開通
高松道 2001 3 29 三木町高松市境 高松中央 開通
高松道(高松東道路) 2001 3 29 さぬき三木 三木町高松市境 開通
圏央道 2002 3 29 日の出 青梅 開通
東名阪道 2003 3 29 高針JCT 上社JCT 開通
播磨道 2003 3 29 播磨JCT 播磨新宮 開通
圏央道 2003 3 29 つくばJCT つくば牛久 開通
圏央道 2008 3 29 鶴ケ島JCT 川島 開通
圏央道 2015 3 29 久喜白岡JCT 境古河 開通
大垣羽島道路 1963 3 30     開通
中央道 1981 3 30 小淵沢 伊北 開通
関越道 1982 3 30 越後川口 長岡 開通
常磐道 1982 3 30 谷田部 千代田石岡 開通
山陽道 1982 3 30 竜野西 備前 開通
新湘南バイパス 1988 3 30 藤沢 茅ヶ崎西 開通
山陽道 1990 3 30 徳山東 徳山西 開通
道央道 1994 3 30 虻田洞爺湖 伊達 開通
東京外環道 1994 3 30 大泉 美女木JCT 開通
仙台東部道路 1994 3 30 仙台空港 仙台東 開通
湯浅御坊道路 1996 3 30 御坊 広川 開通
伊勢湾岸道 1998 3 30 名古屋南 東海 開通
千葉東金道路 1998 3 30 松尾横芝 東金 開通
徳島道 1999 3 30 美馬 井川池田 開通
中部横断道 2002 3 30 白根 双葉JCT 開通
秋田道(琴丘能代道路) 2002 3 30 琴丘森岳 能代南 開通
日出バイパス 2002 3 30 速見JCT 日出 開通
高松道 2003 3 30 高松中央 高松西 開通
京滋バイパス 2003 3 30 巨椋 久御山JCT 開通
第二京阪道路 2003 3 30 巨椋池 枚方東 開通
藤枝バイパス 2005 3 30     無料開放
掛川バイパス 2005 3 30     無料開放
磐田バイパス 2005 3 30     無料開放
浜名バイパス 2005 3 30     無料開放
圏央道 2013 3 30 海老名 相模原愛川 開通
箱根新道 1962 3 31     開通
東名 1969 3 31 厚木 大井松田 開通
東名 1969 3 31 御殿場 富士 開通
横浜横須賀道路 1981 3 31 日野 狩場 開通
九州道 1988 3 31 小倉東 八幡 開通
北九州道路 1991 3 31     福岡北九州高速道路公社へ引継
北九州直方道路 1991 3 31     福岡北九州高速道路公社へ引継
山陽道 1993 3 31 岡山 岡山JCT 開通
北関東道 2001 3 31 高崎JCT 伊勢崎 開通
東九州道 2001 3 31 西都 宮崎西 開通

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

高速道路 今日は何の日?(3月)

高速道路 今日は何の日?(4月)

高速道路 今日は何の日?(5月・6月)

高速道路 今日は何の日?(7月・8月)

高速道路 今日は何の日?(9月)

高速道路 今日は何の日?(10月)

高速道路 今日は何の日?(11月)

高速道路 今日は何の日?(12月)

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高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

 乗物系やデータベース系のニュースサイトでは「今日は何の日?」ネタが多いので、当方では「高速道路 今日は何の日?」をやってみる。

 当面は日本道路公団・NEXCO系の高速自動車国道及び一般有料道路でやってみよう。

 まずは1月・2月から

道路名      
遠笠山道路 1960 1 1 (一部)   開通
磐梯吾妻道路 1972 1 1     福島県道 路公社へ引継
第二京阪 2008 1 19 阪神高速 接続部 巨椋池 開通
武生トンネル 1968 1 20     無料開放
東伊予道路 1975 1 22     無料開放
三陸道(矢本石巻道路) 2008 1 23 鳴瀬奥松島 石巻河南 無料開放
常磐道 1985 1 24 三郷 開通
長崎道 1990 1 26 大村 武雄北方 開通
西湘バイパス 1972 1 27 小田原 小田原西 開通
高知道 1992 1 30 川之江 JCT 大豊 開通
戸塚道路 1955 2 1     開通
衣浦大橋 1956 2 1     開通
濃尾大橋 1956 2 1     開通
越路橋 1967 2 1     無料開放
東名 1969 2 1 静岡 岡崎 開通
尾道大橋 1988 2 1     本州四国 連絡橋公団へ引継
浦戸大橋 1997 2 1     高知県道 路公社へ引継
大分道 1987 2 5 鳥栖 JCT 朝倉 開通
紀勢道 2009 2 7 大宮大台 紀勢大内 山 開通
境大橋 1964 2 12     開通
新東名 2016 2 13 浜松いな さJCT 豊田東 JCT 開通
名四道路 1963 2 16     開通
豊川橋 1983 2 17     開通
老ノ坂亀岡道路 1988 2 17 沓掛 亀岡 開通
常磐道 1985 2 20 那珂 日立南太 田 開通
東海北陸道 1998 2 20 尾西 一宮木曽 川 開通
延岡南道路 1990 2 21     開通
新名神 2008 2 23 亀山 JCT 大津 JCT 開通
八木山バイパス 1985 2 26     開通
山陽道 1987 2 26 五日市 廿日市 JCT 開通
広島岩国道路 1987 2 26 廿日市 廿日市 JCT 開通
松山道 1997 2 26 川内 伊予 開通
東九州道 2006 2 26 北九州 JCT 苅田北九 州空港 開通
東関東道 1985 2 27 成田 大栄 開通
圏央道 2010 2 27 海老名 JCT 海老名 開通

高速道路 今日は何の日?(1月・2月)

高速道路 今日は何の日?(3月)

高速道路 今日は何の日?(4月)

高速道路 今日は何の日?(5月・6月)

高速道路 今日は何の日?(7月・8月)

高速道路 今日は何の日?(9月)

高速道路 今日は何の日?(10月)

高速道路 今日は何の日?(11月)

高速道路 今日は何の日?(12月)

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

 土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7) で「やめたいのに?やめられない土浦ニューウェイのネタであるが、多分これが本当に最後。(でもね、多分、きっと。) 」と書いたが、またネタが出てきました。というかこんなにネタがあるのに、なんで調べもせずにデタラメばっかり書く人が多いのん?

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (3)

 『東工』90年のあゆみ (日本国有鉄道東京第一工事局)から引用

 なぜ国鉄の工事局の記念誌に載っているのかよく分からないのだが、今までいろいろ探した中で完成予想図はこれしか見たことが無い。

 

 ところで、「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊http://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-26638-2/の23章が土浦高架街路を紹介している。

■1 時代背景と事業の意義・評価のポイント

1.1 土浦市と筑波学園都市の一体化

 茨城県土浦市は、首都東京より北東60km、筑波研究学園都市から南東10kmに位置し、人口12万人を擁する県南地域の経済・教育・文化の中心都市として発展してきた。首都改造構想(素案、1983)において、土浦市と筑波研究学園都市は、東京を取り巻く自立都市圏の核となる業務核都市に位置づけられており、両市が適切に機能分担しながら一体化する構想であった。土浦市は国鉄常磐線の特急停車駅を擁し、筑波研究学園都市の表玄関口として、都市再開発事業、駅前広場整備等が計画されていた。一方、研究学園都市における大学、国の研究機関等の移転は相当に進歩していたが、都心部の熟成が進んでおらず、全体として都市的な魅力に乏しい状況にあった。筑波における国際科学技術博覧会 (科学万博:1985年3〜9月) は、研究学園都市の今一段の充実を期して誘致したものであった。

1.2 筑波新交通システムの段階整備構想

 筑波研究学園都市の新開発地区は縦長で、北端に位置する筑波大学と中央に位置するセンター地区とを結ぶ、新交通システムの導入が1972年頃から構想され、 将来的には土浦駅まで延伸、結節させる構想 (図1) が示されていた。筑波新交通システムは、1978年には国庫補助による都市モノレール等整備事業(筑波研究学園線、延長1.5km)として採択され、事業化に向けた導入システム、採算性の検討ならびに詳細設計が開始され た。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (4)

 また、筑波研究学園都市建設法に基づき、1980年に策定された「筑波研究学園地区建設計画」において 「新交通システム筑波研究学園線を整備する」ことが謳われた。しかしながら事業化区間である研究学園都市の都心部の熟成が未だしの状況にあること、延伸構想区間である土浦・研究学園都市間の都市開発の見通しも立たないことから、当初はバス又は簡易ガイドウェイバスを走らせ、需要が高まってきた段階で新交通システムに転換する段階的な整備が必要とされ、1982年に至り国庫補助に基づく都市モノレール等整備事業そのものは休止の扱いとなった。 なお、広く県南地域についてみると、首都圏の他の方面と比べ放射方向の鉄道網の密度が低く、国鉄常磐線に集中する交通需要を分散させるとともに、沿線地域の開発を促進することを企図して、常磐新線が構想されていた。しかしながら、当時の国鉄財政は破滅的な状況であり、国鉄を事業主体と想定した構想は暗礁に乗り上げていた。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 そして、上記の「国庫補助による都市モノレール等整備事業(筑波研究学園線、延長1.5km)として採択され」た路線は下図のとおりである。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (2)

公共事業ガイドシリーズ 都市モノレール・新交通システム事業」公共投資ジャーナル社編集部 編 から引用

 ここでも「収支見通しがつかない」とされている。

 また、その断面図は下記のとおりである。

筑波新交通システムの標準幅員

(自動車技術1979年4月号「筑波研究学園都市の新交通システム」大川勝敏・著から引用)

 

1.3 プロジェクトの意義・目的

 本プロジェクトは、土浦市街部区間において、複断面(高架・平面) 構造の街路を計画・建設したもので、 その意義・目的は次の4つである。

(1)中心市街地の交通混雑解消と商業の活性化

 土浦駅東口駅前広場整備とあわせて、都市計画街路の一部を高架構造で整備することにより、一般平面街路上の通過交通を削減し、平面街路の交通混雑を緩和し、あわせて都心部商業地域へのアクセス性を向上させ商業活動の活性化を図る。

(2) 筑波研究学園都市と土浦市を結ぶ交通軸の形成

 当面、土浦駅東口と筑波研究学園都市を結ぶバスのサービスレベルの向上を図る。将来は新交通システムをこの交通軸上に導入し得るよう、高架街路は新交通システムの下部構造として転用し得るよう必要な設計諸元をもたせる。

(3) 国際科学技術博覧会開催時の観客輸送

 科学万博の開催時、土浦駅東口から万博会場へスムーズにバス輸送するため、高架街路は科学万博の開催までに開通させる。

(4) ショッピングモールの設置

 高架街路のうち土浦駅に近い区間は、旧来からの沿道商店街を縦断する形で計画するため、立ち退きを迫られる商店街の移転と中心市街地の活性化を視野に入れたより積極的な対策として、商店街を収容する建物整備と周辺の歩行者空間整備を実施する。

1.4 プロジェクトの評価

 本プロジェクトは、計画及び事業の両面から当時高く評価された。まず計画面では、本プロジェクトは新交通システムの段階的整備の考え方の先行事例であって、高架橋は交通混雑緩和対策 としての単なる高架橋ではなく、将来新交通システムのインフラとして転用し得るよう、計画・建設された点であった。新交通システムの経営には沿線の交通需要が十分に高まる必要が不可欠であるが、需要の低いうちは高架街路上のバスサービスで対応し、需要の高まりを見極めてから、高架街路上に新交通システムの走行路、電力線、通信線等を付加し、従来のバス停を新交通システムの駅へと改造することが段階整備の眼目である。この考え方は、交通需要の相対的に小さい地方中核都市および大都市圏内の周辺都市において、現在も適用可能な考え方である。 次に事業面での第一は、土浦市が実施したショッピングモール事業 (川口ショッピングモール、通称モール505) は、移転を迫られる店舗を一括して高架橋の沿道残地に新築した商業ビルに収容したばかりでなく、高架橋の足下周りに造成された歩行者空間と相侯って、中心市街地に新しい賑わいの都市空間を創出した点である。高架街路上のバス停から直接モールにエスカレーターで連絡したことも併せ、本プロジェクトの計画に反対していた住民からも評価を受けた。 事業面の第二は、高架橋のユニークな設計で、小手先のお化粧の美しさではなく、基本構造型式の根本から景観に配慮して設計した点にあった。完成した高架橋は圧迫感があるのではないかとの事前の予想を超えて軽やかであったし、高欄のデザイン、橋梁の色彩などのデイテールまでの配慮は、その後の各都市における市街地の高架橋設計の手本の一つと目された。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 ネットで検索してみると、「土浦ニューウェイは、土浦の商店街を衰退においやった元凶」という評価が見られるが、その一方で都市計画の世界では高く評価されているのである。

 この事業は、日本都市計画学会の1985(昭和60)年度石川奨励賞を受賞している。

http://www.cpij.or.jp/com/prize/award/list.html

 この「石川奨励賞」とは「都市計画に関する独創的または啓発的な業績により、今後の都市計画の進歩、発展に寄与しうる貢献をした個人または団体を対象とする(会員に限らない)。」ものだそうだ。石川とは私のブログでは三原橋とか都政七不思議で取り上げている「石川栄耀」氏である。

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (5)

http://www.cpij.or.jp/com/prize/upload/file/1985.pdf

 学者の評価と市民の評価が正反対であるというのもなかなか興味深いものだ。

 下記の写真はかつての土浦市中心街(「新しい日本」国際情報社刊から引用)

土浦市中心街

■2 プロジェクトの特長

2.1 新交通システムを考慮した高架街路

 本事業は、都市計画道路土浦駅東学園線の土浦駅東口駅前広場 (8,500m2) から市外縁部の桜川に架かる 学園大橋手前までの延長約3km区間を整備したものである。標準断面構成は、平面街路部2~4車線 (幅 25~30m)、高架部2車線(幅7.5m)で、途中高架橋上3箇所にバス停留所を設置している。

 事業の区分は、市道区間である土浦駅東口から桜町4丁目交差点までの延長約1.3km区間が土浦市施行、 県道である同交差点から学園大橋までの延長約1.7 kmが茨城県施行であった。なお、県施工区間、市施工区間とも国庫補助の街路事業として実施されたが 国庫補助金以外の地元負担分は、住宅・都市整備公団が負担した。

 土浦高架街路に係る都市計画決定は、1983年4月に行われたが、その後当該計画に反対する住民による公害調停および都市計画事業認可取り消し訴訟が出された。これらの対応を終え工事着手からわずか約420日で工事を終え、1985年3月科学万博開催前の供用にこぎつけたものである。

 なお、将来の新交通システムとしては、1編成4両(1両当たり75人)、満車時重量18tのものであれば、高架街路をそのまま新交通システムのインフラとして転用することが可能なよう、平面線形および橋梁構造を検討した上で設計した。また、将来の転用に備えて新交通システムの走行路等の設置に必要な鉄筋の受け口を舗装面下に設置済みである。

2.2 移転店舗のためのショッピングモール事業

 高架街路と併せてモール事業を行った区間は、土浦市の中心街の東側の道路の沿線に、旧来からの商店が雑然と並び、それら商店街の裏側は、昼間でも薄暗い一団の街並みを形成していた。高架街路建設を契機として、それら商店街の面目を一新する方向で市と商店街の間に話合いがまとまった。その結果、商業用建物 59棟(RC構造物33戸、鉄骨構造8戸、木造18戸)を高架街路脇に新設した3階建ての線状ビルへ一括移転することが短期間に実現した。また、中心市街地の狭い道路に接して設置されていた市営駐車場を土浦駅 東の霞ケ浦ドック埋立地に移転し、その跡地に高架街路と一体となった線状の歩行者広場整備を行った。多数の樹木、水路・池等を配置するほか、市民が集い 催し物ができるようイベント広場やお祭り広場を設置した。歩行者広場の上を通っている高架橋上には、バスで中心商店街へ来る人達のためにバス停留所が設けられ、停留所から広場へスムーズに乗降できるようエスカレーター2基が取り付けられている。

2.3 都市景観に配慮した軽やかな高架橋

 高架橋の設計にあたっては、施工性や工事の簡易さよりも景観を優先した。

①上部工は、T桁等により底版面の暗さを無くするため、主桁とスラブが一体となったPCホーロースラブ橋とした。また下部工形状との一体感と合わせて柔らかさを出すため、曲線ハンチの入れた逆台形型とした。

②下部工は、コンクリートの固いイメージを取り除き スマートに見せるよう、三味線のバチを立てたような形状とした。 ③また橋面排水のためのドレーンの設置については、橋脚面に10cmの凹みを付け、そこにコンクリートと調和す る亜鉛メッキを施した排水パイプを収納した。

④高欄は、壁高欄とし、外側の水平方向に2本の目地ラインを入れ、視線を横方向に誘導することにより、高 欄の幅広さを感じさせないようにした。

⑤主要道路との交差点、曲線部となる箇所に使用した鋼橋の塗装の色彩決定にあたっては、 シミュレーションを実施したり、模型を作ったりして、明るいソフトな色調で塗装した。

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 反対運動を報じる当時のものとして下記のものがある。

土浦高架街路 反対派が阻止行動/ 筑波學生新聞 (19) 1983-12-10筑波大学学生新聞会

https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=19620&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム) (1)

■3 プロジェクトのその後

3.1 学園都市における立体街路と新交通システム

 科学万博終了後、筑波研究学園都市は概成し熟成の秋を迎え、1991年度に研究学園都市における新住宅市街地開発事業等を終了することになった。これを契機として、1991年に筑波研究学園地区において立体街路が計画・整備され、1995年に供用された。この立体街路は土浦高架街路の対として位置づけられ、当面は従来型のバスが通行するが、将来は土浦と研究学園都市を結ぶ新交通システムの学園地区におけるインフラ部として転用しうるよう設計された。

 立体街路は、都市計画道路土浦学園線の竹園高校付近から同学園中央通り線の交通ターミナル付近までの延長約1km区間に堀割・地下トンネル形式の2車線街路(幅7.5m) を整備するもので、途中にバス停を 1箇所設置している。また、この立体街路を受け入れるため、都市計画街路学園中央通り線を約1kmにわたって40mに拡幅する事業が行われた。事業主体は茨城県であった。この立体街路の完成により、将来両都市を結ぶ新交通システムの受け入れ体制が両中心市街地においてできあがったこととなった。

 しかしながら未だに新交通システムの導入は実現に至っておらず、2010年末現在、土浦高架街路上には高速バスを中心として5路線、1日12〜13往復のバスが運行されるにとどまっている。

つくば花室トンネルと新交通システム、土浦ニューウェイの関係

 

「60プロジェクトによむ日本の都市づくり」日本都市計画学会 編・朝倉書店 刊「23 土浦高架街路」

 つくば花室トンネルの経緯も書いてある。ここも土浦ニューウェイと同様に「当面は従来型のバスが通行するが、将来は土浦と研究学園都市を結ぶ新交通システムの学園地区におけるインフラ部として転用しうるよう設計された」ものであるとされている。

 巷間で言われるような「新交通システムの作りかけ」ではないことが分かる。

 花室トンネルの様子は、こちらのブログに詳しいので是非ご覧いただきたい。

研究学園の生活 【幻の新交通システム(1)】花室トンネルにある謎のバス停!

http://sciencecity.tsukuba.ch/e240810.html

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土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その2)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その3)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その4)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その5)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その6)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その7)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その8)

土浦ニューウェイ(筑波研究学園都市新交通システム)について(その9)

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2016年1月22日 (金)

「午前2時羽田着の国内便 スカイマークが運航へ」 と聞いて

午前2時羽田着の国内便 スカイマークが運航へ

1月21日 21時00分

スカイマークは、北海道の新千歳空港を午前0時台に出発し羽田空港に午前2時に到着する定期便を、ことし7月から運航することになりました。現在、羽田空港では午前1時より後の深夜に到着する国内線の定期便はなく、外国人が夜まで地方で観光し羽田からの国際線で帰国する新たなルートになるか注目されます。

 

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160121/k10010380781000.html

 昔、国内便で羽田を起点に札幌、大阪、福岡と夜行の飛行機が飛んでいた。

 その名も、ムーンライト、オーロラ、ポールスター

日本国内航空_ムーンライト_オーロラ_ポールスター

 JALに合併された東亜国内航空(TDA)の前身の日本国内航空だ。

 国内航空があれば東亜航空もあるわけで。

東亜航空

 こちらは<JALのムーンライト

JAL_ムーンライト

 なお、西鉄バスのムーンライトは運行開始して3日目くらいに乗ったなあ。

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2016年1月17日 (日)

熱海(来宮)の新幹線新丹那トンネルのズリ捨て場で西武・堤康次郎がやらかしたこと

 ブラタモリで熱海が登場したと聞いて、さぼっていた熱海ネタを書く。

 以前、新幹線を妨害しようとした?伊豆箱根鉄道下土狩線(未成というか無免許工事線)その2 という記事を書いた。

 その中に、堤康次郎の指示事項と思われるメモで

伊豆箱根鉄道下土狩線文書 (1)

「4.来の宮(旧河川広場)継続使用する。(政令改正が成立したとき随契にする。)」という項目がある。

 説明するのがとても面倒くさいわりにはあまり面白くもなさそうなので先に結論を言っちゃう。

 場所は、多分ここ。

西武と国鉄でひと悶着あった「来宮の新丹那トンネル土捨て場」

 ざっくりした経緯は

・戦前の弾丸列車で新丹那トンネルを掘り始める。

・来宮駅近くにトンネルズリ(残土)の捨て場を作って残土を入れ始める(上記の「河川広場」)。

・戦況が厳しくなり、弾丸列車の工事は中止。ズリ捨て場も土を入れ切る前に放置。

・戦後、駿豆鉄道(伊豆箱根鉄道)が「来宮-十国峠間のケーブルカー」を作るということで国鉄から使用許可を得る。

・東海道新幹線建設開始に伴い、国鉄が伊豆箱根鉄道に返還を要求したところ、伊豆箱根鉄道は静岡地方裁判所の沼津支部に、占有妨害禁止仮処分命令を申請。(ざくっというと裁判所に「この土地を伊豆箱根鉄道が使うことを邪魔しちゃだめだ」(国鉄には使わせるな)という命令を出してもらおうとした。)

・国鉄はトンネル工事をしても残土を捨てられなくて困る。

・ちょうど三島では、伊豆箱根鉄道下土狩線と新幹線のゴタゴタが起っていた。

・伊豆箱根鉄道は大雄山線と新幹線の交差でもゴタゴタを起こしている模様。

・新幹線の送電線が国土計画の土地を通ろうとしてゴタゴタが起している模様。

・その手打ちとして、来宮のトンネルズリ捨て場を伊豆箱根鉄道に随契(随意契約→競争入札ではなく、一社決め打ちで契約すること)で売却したんじゃないかという疑惑が国会で何度も取り上げられる。

 その問題の「来宮のトンネルズリ捨て場」の写真が早大に残されている。

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (12)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (13)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (1)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (11)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (4)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (7)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (10)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (3)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (8)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (9)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (5)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (6)

伊豆箱根鉄道関連来宮の土地 (2)

 下記でいうと西熱海ホテルの西側の土地なんじゃないかと。

伊豆半島ジオパーク推進協議会さんで「熱海市街ぐるぐる三次元地図」という興味深いコンテンツを提供しておられるのであわせて参照していただきたい。

http://izugeopark.org/office/3D/atami/geo_atami.html

 細かい経緯は、例によって国会議事録から引用していく。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0016/04303080016012c.html

第043回国会 運輸委員会 第12号
昭和三十八年三月八日(金曜日)


(略)
○久保委員 資料をいただいてから再び申し上げますが、そのほかにやはり新幹線工事で丹那の隧道のズリ捨て場に使おうとした鉄道用地をあるホテルに払い下げたそうでありますが、事実でありますか。
○大石説明員 丹那の隧道のズリ捨て場を某ホテルに払い下げたという事実はございません。おそらく先生のお話はズリ捨て場の予定地をお話だと思いますが、これは前から西武鉄道に――丹那付近のくぼ地でございますが、ここをケ-ブルカーをつくるということで西武に貸してあったのであります。丹那トンネルの着工前にすでに貸してあったのであります。しかしながら直ちにその工事はやらないで、むしろ私たちといたしましては丹那トンネルのズリを捨てるのに適したくぼ地であるということを見まして、返してほしい、丹那トンネルのズリを捨てる間はこちらへ返せということで、丹那トンネルの着工と同時にそのくぼ地はこちらに返していただきました。そうして工事中そこにズリを捨てて工事を進めたのであります。最近に至りましてその土地を再び貸してくれ、ないし売ってくれというようなお話がございますので、私たちといたしましては、今申し上げましたようにもともと貸してあった土地でございますから、丹那の工事のズリをそこに一ぱい捨ててしまったのでありまして、国鉄といたしましては使用の目的もございませんので、これの適当な値段につきましては国鉄内に土地建物評価委員会というものがございますので、その委員会にかけまして値段をきめていただきまして、そうして運輸大臣の認可が得られましたならば貸す――ということよりも売却をいたしましょうというお話をしておりますので、まだ売却をしたというところまではいっておりませんが、そういうような意思を持っておる次第でございます。
○久保委員 そうしますと、今まだ国鉄の所有地でありますね。賃貸借というか、貸借関係は今あるのですか。
○大石説明員 ただいまは貸借関係もございません。まだ国鉄の用地になっております。
○久保委員 それじゃその以前の貸借関係の書類の写しをいただきたい。以前に貸借関係があったのでしょう。それからいつ返してもらったのですか。
○大石説明員 それは丹那トンネルの着工と同時に返していただきました。
○久保委員 それではその資料を出して下さい。

(略)

 この国会での質疑のあとに上記の堤メモが出ているわけだ。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0016/04303130016014c.html

第043回国会 衆議院運輸委員会 第31号
昭和三十八年六月十一日(火曜日)

    
○木村委員長 これより会議を開きます。
 日本国有鉄道の経営に関する件について調査を進めます。
 質疑の通告がありますので、これを許します。久保三郎君。
○久保委員 東海道新幹線の工事に関連してまずお尋ねするわけでありますが、先般予算委員会でも若干質問がありましたので、多少重複するところがあるかと思うのでありますが、一応順を追うてお尋ねをいたしたいと思います。
 まず第一に伊豆箱根鉄道と新幹線に関係してでありますが、これは伊豆箱根鉄道が昭和三十七年の四月に下土狩線の免許申請を出しておるわけであります。まず第一に、この下土狩線の免許申請に関して運輸省の見解はいかようになっておるか、これをお尋ねしておきたい。
○広瀬説明員 免許申請は名古屋の陸運局に提出されまして、陸運局の手元にしばらくございまして、ごく最近本省に上がってまいりました。ただいま鉄道監督局において審査中でございます。
○久保委員 この会社は、すでに予算委員会でもお話がありましたとおり、免許を待たずして路盤を構築し始めたということでありまして、その中間において警告を発したというのでありますが、よろしくこれは法に照らして処断すべき性質のものではないだろうかと思うのであります。新幹線の妨害であるかどうかは別にして、免許申請中にもかかわらず、工事施行認可も受けずして――もちろん受けませんから。――それを路盤構築を始めたというのでありますから、当然これは法に基づいて処断をなし、その免許申請は却下すべき性質のものではないだろうか、かように思うのですが、いかがですか。
○広瀬説明員 名古屋の陸運局長から文書で工事中止命令を出しまして、これに従いまして会社のほうは工事を中止したということでございます。現在は工事を中止しておるという段階でございます。
(中略)

○中畑説明員 その地点は、先ほども申し上げましたように、会社が工事をいたしましたそれとは関係なく、当初国鉄が計画いたしました工事計画で工事を進めるということで会社に申し出をしてございます。会社のほうもその国鉄の原案で考えてみようという話し合いで、ただいま折衝を進めておる状態でございます。
○久保委員 そうしますと、その路盤についても、将来折衝の過程では、補償なり何なりを要求される見込みはありますか。
○中畑説明員 会社からは格別の要求が工費担当の幹線工事局にただいまのところ出ておりませんので、おそらく話は出ないのではないかというふうに判断しております。
○久保委員 それはたいへんすなおな話です。すなおな話の裏には来宮の鉄道用地の問題がからんでおるそうですが、そうですか。
○中畑説明員 来宮の用地問題は、その件とは全然別個の問題としまして、会社のほうで使いたいという申し出はあります
○久保委員 この来宮のほうはそれじゃ会社の申し出どおり認める方針でございますか。
○中畑説明員 ただいまのところ検討いたしておりまして、まだ結論を得ておりません。
○久保委員 大石政務次官にお尋ねするわけでありますが、この下土狩線と来宮の鉄道用地の問題を相関関係をつけまして、それで下土狩のほうは国鉄の大体要求どおりに折り合おう、しかし来宮のほうは用地は払い下げる、こういう運輸大臣のメモがあるそうでありますが、そのとおりですか。
○大石(武)政府委員 そういう話は聞いておりません。
○久保委員 メモは別として、そういう話を聞いたことはございませんか。
○大石(武)政府委員 そういううわさは聞いたことがございますが、われわれはそういうことは別に考えておりません。
○久保委員 これは中畑さんでは答弁ができないかもしれませんが、来宮の土地は、あなたの御答弁では、いま検討中というか、これはそういうことで伊豆箱根のほうへひとつ払い下げよう、こういう話し合いになっているそうです。そのとおりだと思うのですが、いかがですか。
○中畑説明員 具体的な先生のただいまお尋ねのございました点についての内容は、私、承知いたしておりません。
○久保委員 あなたのところでなければ、それじゃどこですか。そういう問題を扱うのはあなたではないですね、これはもっと上のほうですか。
○中畑説明員 事務上の手続といたしましては、来宮の土地と申しますのは、静岡の幹線工事局と東京鉄道管理局の両局で分けて管理いたしておりますので、もう一度使いたいという話でございますれば、両管理局に手続があるものと考えております。
○久保委員 この土地について、われわれは、現地を調査した際に、ある鉄道関係者からそういう話を伺っているわけです。これは大体そうだろうと思うのです。何か代償がなければすなおにおりるはずはない、この案件に関係している人の人柄を見れば、こういうふうに思うのが大体世間の通り相場になっているのです。そうですよ。しかもこれは、名前を出しては悪いのでありますが、前の常務理事から非公式に、これは払い下げあるいは貸し渡しの考えでおりますというお話を私は聞いた。非公式な話を公式に出しては悪いのですが、いかがですか。
○中畑説明員 ただいまお話の、前常務理事から格別私は話を聞いておりませんので、どんな話がございましたものか、一向に不案内でございます。
○久保委員 これは大石政務次官、あなたにお尋ねするのもちょっとどうかと思うのでありますが、まあ運輸委員会でありますから、やはり根掘り葉掘り聞かぬと、あとで禍根を残すもとだと思うのであります。やはりどうも取引があったように聞いておるのでありますが、運輸省も一枚加わったのじゃないかと思うのですけれども、いかがでしょう。
○大石(武)政府委員 これは、私の知っている範囲では、そのようなことはございません。
○久保委員 前の民鉄部長は御退席になったが、国鉄の部長がおられるから、どうですか、あなたは聞いておられますか。
○向井政府委員 存じておりません。
○久保委員 もっとも存じておると言ったらぐあいが悪いでしょうから、しかし実態は、それじゃ国鉄の方針として前どおり再び貸すのか、あるいは譲り渡しをするのか、大体おおよその見当はどうなんです。いかなる点で調査をしておりますか、いかなる点で審議をしているのか、どういう観点から審議しているのかお聞きします。
○中畑説明員 将来伊東線の線路工事などの場合に、その用地がどういうことになるかといったようなことも検討をいたしまして、結論をつけたいと存じております。現在のところは、国鉄としましては、いま申し上げました伊東線の工事関係でどうなるかということの問題を除きましていたしますと、大体不用地であると考えてよろしいと思います。
○久保委員 ちょっと聞き漏らしたのですが、結論的には伊東線の問題があるからそれを中心に検討している、こういうふうにとってよろしいかどうか。そうですな。伊東線の将来についてはどういうことになるのですか。つけかえなり線増なりということは考えられないですね。考えているのですか。
○中畑説明員 直接私の担当でございませんのでお答えいたしかねますが、関東支社で具体的に検討しておると聞いております。
○久保委員 たとえば、伊東線の関係がなければ、これを払い下げるということになりますか。
○中畑説明員 その点はこの間も申し上げましたように、大体不用地ということになっておりますので、よく検討をいたしまして結論を求めるようにしたい、かように考えております。
○久保委員 よくわかりませんな。
 そこでこれは鉄監にお尋ねするのでありますが、来宮-十国峠の、途中の銀山というところまでは、これは鉄道でありますが、その先は索道という話でありますが、これは免許の申請は認可した。工事施行の認可にあたって、何項目か膨大な項目にわたって照会したのだが、いまだに返事がない、こういうことでありますが、こういう鉄道の認可にあたって、長年懸案になっているものがこんなにたくさんあるのですか。この認可は二十一年の九月に申請して、二十五年の二月に免許をしているということになっています。そこで途中いろいろな変更がありまして、三十年の三月に最終的な認可をした、こういうふうに書いてあります。それから三十三年の三月に工事施行認可申請のこれは追加申請が出ております。ところが三十五年の六月に民鉄部長から、二十五項目の照会をしたがいまだに返事がない、こういうふうになっているわけです。これは前の民鉄部長御退席でありますからなんでありますが、これは鉄監局長に、就任早々でたいへんなにでありますが、こういうことがはたして鉄道建設の意欲があるのかどうか、実際言って私は疑わしいのでありますが、当初の計画からいくと、とてもこれじゃ登山鉄道というか、そういうものの基準に合わぬということで突っ返しているのですね。そこで再三持ってきたんだが、最後には二十五項目にわたって質問しているわけですね。ところがいまだに返事がない。これはおそらく何か別な目的があるのではなかろうかと私は思うのであります。しかも今日こういうところから鉄道でやることが必要かどうか。りっぱな道路もできたし、十国峠の観光道路というか、そういうものもできているわけですね。しかも申請してから長年になっているのですね。こういうことを、しかも鉄道用地を借用したのは、その認可申請を出してから、古い昔これは出しているのですね。これははっきり言うと、国鉄もばかだから、これにまんまと貸しているわけですね。それで今度の新線工事になってから返せという。返せと言ったら、立ち入り禁止の仮処分をやってきた。話がついたかどうか知らぬが、二回目の日の前日に取り下げておる。取り下げた裏にはおそらく何かの密約がある。御案内のとおりこの付近は景勝の地であります。熱海の貴重な土地であります。実際鉄道などでやるべき筋合いのものではありません。はっきり言うとホテル街ですよ。こういうものを運輸省も国鉄も知らぬはずはないと思うのです。国鉄もずいぶんばかなことをしたと思うのであります。人に貸すときには十分用心して貸すべきだと思うのです。また財産を有効に使えということで幾たびか国会並びに行政管理庁その他からも注意が出ているわけなんです。しかもこれは使いもしない土地を借りていたのです。いままで一つも使っていない。それを今度返せと言ったら仮処分にしておる。何の意図があるのか。どう思いますか。
○広瀬説明員 免許あるいは工事施行認可申請の経緯は、ただいま先生のおっしゃったとおりでございまして、三十七年の五月に民鉄部長から二十数項目につきまして照会をいたしました。これに対しまして三十七年の九月に回答がございました。なお、いろいろ技術的な問題あるいはただいまおっしゃいましたような客観的な情勢の変化ということもございますので、この点についてただいま検討いたしておるわけでございます。
 なお、先ほどいろいろ許認可関係の事務が遅滞しておるんではないかというお話がございましたが、一般論でございますが、かなり時間のかかっておるものがございますが、鉄監におきましては、事務を促進しまして、従来に比べますとかなりスピードアップしておりますが、こういった問題点は、ぐずぐずしておりますと、いろいろ疑惑という点も生まれてまいりますので、今後さらに一そう事務を促進して、てきぱきと処理をしてまいりたいというふうに考えております。
 それからもう一点。先ほど政務次官にもお尋ねがございましたが、何か運輸省が一枚加わっておるのではないかというお話でございますが、これは前局長からもそういった点は何も聞いておりませんし、また運輸省の重要な問題につきましては、私官房長として大体のことは承知しておると思いますが、そういった話は現在まで何も出ておりません。
○久保委員 そこで免許をする場合に、工事施行の期限というのが条件としてあるはずだと思うのですが、それはいかがですか。
○広瀬説明員 もちろん一定の期限というものは付しておりますが、従来の例によりますと、いろいろな事情から期限の延伸を願い出ておりまして、やむを得ないというものはこれを認めております。そういう手続をとっておるものだと考えております。
○久保委員 本件はいつまでの期日をつけておるのでしょう。
○広瀬説明員 話は先ほどに戻りますが、工事施工の認可申請に対しまして、認可は出したわけであります。認可を出すにあたりまして、先ほど申しました二十数項目のいろいろ解明しなければいけない項目がございますので、これを照会をして、これについて先ほど申し上げましたように回答があったわけでありまして、工事施行認可の期限という問題は、したがって本件に関しましては一応ないということが言えると思います。
○久保委員 工事施行の期限はない、こういうのでありますが、たとえば免許申請をした場合に、大体何年何月から始まって工事の完成は何年何月までに終わる予定である、こういうものはとらないのですか。
○広瀬説明員 先ほどの私の答弁が少し間違っておりましたが、二十数項目につきまして、まだ完全に回答はきておりません。したがって回答がきてから、いつ着工していつまでに工事を完成しろということを言うわけであります。まだその段階に至っていない、向こうからの回答がまいっておらないというわけであります。
○久保委員 そうしますと、たとえば甲という鉄道事業者がある地点について工事の認可を受けた、しかし、これは実際においてやる能力も何もない、あるいはそういう考えもなくなってきたという場合に、新しい企業家が出てきてこの地点でこれならばできるということがあっても、もう重複いたしますから、免許の認可はしませんね。そうなりますと、単に権利をとるだけでそういう免許申請を出す場合が往々にしてあると思います。たとえば武州鉄道のごときは、これはあとの問題でありますが、これもどうもその後の事情を勘案すれば、土地の値上がりとかそういうものでさや取りをしようというもくろみが多かった。免許だけは受けよう、しかし工事の、いわゆる鉄道を建設するという本命については消極的である、こうなった場合に、この免許申請にあたって考えたところの目的というものは永久に達せられない、こういう矛盾があるわけであります。本件についても、私はどういう項目について照会をしたかわかりませんけれども、できないような目論見書を出し、あるいは工事施行の中身を出して、運輸省からおそらく指摘してくるだろう、これに対しては回答しないでそのままにしておけば、いつまでもこの免許は生きておる、こういうことになるのじゃなかろうか、眼光紙背に徹するような審理が私は必要だと思いますが、いかがですか。
○広瀬説明員 まず一般論を申し上げますが、いわゆる俗にいうつばをつける式の免許申請というものが従来もないわけではございません。私が前に民営鉄道部長をやっておりましたときも、そういった種類のもの、あるいはずっと前に免許をとりまして、まあ当時はやる意思があったのでございますが、いろいろ道路事情その他客観情勢が変わりまして、あまり価値のない、またしたがって免許申請者がこれを真にやるという意思が非常に薄いというようなものもかなりございまして、そういったものは免許を取り下げさせるというようなことでかなり大幅に整理した経験もございますので、本件を含めまして、そういった観点から真にやる意思のあるのかどうか、あるいは客観情勢の変化によって価値があるかどうかというようなことを至急検討いたしまして、極力整理といいますか、事務を促進して、実情に沿うようなかっこうにいたしてまいりたいというふうに考えております。
○久保委員 これは二十五項目ですかの回答を迫ったのでありますが、これは期限を付してありますか。
○広瀬説明員 本件に関しては期限を付しておりません。
○久保委員 これはどうして付さないのでしょうか。これは付さないのが普通だと思いますか。どうして付さないのか、なぜ付さないのか。
○広瀬説明員 一般的に照会をいたした場合には、大体すみやかに回答をもらう、従来もらっておりますので、特に期限を付していないということだと思います。
○久保委員 それじゃこれは条件つき工事施行認可を出したということでございますか。いかがです。条件つきで、二十五項目についての回答あり次第これは認可をした、工専施行認可をした、こういうことになりますか。このことはいかがですか。工事施行の認可はしないのか、したのか、どっちなんです。
○広瀬説明員 先ほどちょっと私が途中で言い直しましたので誤解があると思いますが、工事施行認可は出しておらないのでございます。二十数項目について照会を出して、その上で出そうということで、照会中でございます。
○久保委員 免許にあたっては工事施行の認可は期限を切りますね。そうでしょう。いかがですか。
○広瀬説明員 工事施行認可を出す場合には、免許の場合は期限をつけます。
○久保委員 それじゃその免許をしたときには工事施行の期限は、免許申請の期限はいつまでになっていましたか。
○広瀬説明員 いまちょっとこまかい資料を持っておりませんので、後刻いまの手続関係を全部調べまして御報告をいたします。
○久保委員 いずれにしてもそれは後刻資料をいただきますが、こういう長期にわたって質問を出して回答がないというのは、これは誠意がないということであります。これは地方鉄道法を改正して、そういうものはみんな免許失効という条項に当てはめるべきだと私は思うのです。政務次官、いかがでしょう。
○大石(武)政府委員 あまり法律的な具体的なことはわかりませんが、常識的にはお説のとおりだと思います。
○久保委員 そこで国鉄にまたお尋ねするわけでありますが、国鉄は先ほど言ったように、この当該地を貸すか貸さぬか、いま検討中だというが、私ははっきり申し上げておくが、この鉄道は大体建設する見込みはなさそうです。鉄道建設ならある程度協力してもいいと思うのでありますが、大体地点からいって違う目的に使用する、万が一施行認可もできて工事がやれるという段階になればあらためて考えていいのであって、いま貸すか貸さぬかなんということを考える必要は私はないと思うのだが、いかがでしょう。
○磯崎説明員(日本国有鉄道総裁) 私からお答え申し上げます。
 先ほど先生のお話のように、この土地につきましては多少のいきさつがあったことは事実のようでございます。しかし現在の、今日ただいまの段階で申し上げますと、私のほうから昭和三十三年十二月に使用承認を取り消すという通知、これは三十四年二月一日から使用承認を取り消すという通知を出しまして、それに対して会社のほうから延長願いが出ております。その延長願いに対してさらに三十四年三月に否認の通知を出しております。したがいまして、いまの時点におきましては、あの土地につきましては、全く会社の使用権なり一切の法律的な権限がないというふうに見ていいと思います。現在手元にあります資料によりますとそういうふうになっております。したがいまして、現在全くあの土地につきましては白紙であると申せると思います。今後工事が進みまして、あの土地が、一応新丹那トンネルのズリ捨て場として使った相当な場所、――約一万平米近い相当広い土地でございます。ズリを捨てましたので、いままでのくぼ地が相当平地になっているようで、土地の価値も相当変わっているのじゃないかというふうに考えます。一方、先ほどの御質問にありましたように、新幹線ができますと伊東線の問題はどうしても新しい問題として私ども考え直さなければなりません。現在の単線ことに熱海と来宮の間を現在線と併用して運転していくということは、将来の伊豆地方の開発にとりまして非常に輸送上大きな問題になりますので、この伊東線の複線化と申しますか、伊東線の改良は相当新幹線完成後の大きな問題として考えなければいけないというふうに考えられます。そういった諸般の事情を考えますと、たまたま法律的に現在用地が白紙であるということと、それから将来国鉄自体としてその土地を一部でもあるいは半分でも全部でも使う可能性が皆無ではないという問題等をいろいろ考えますと、一応いままでの多少のいきさつがあったにいたしましても、この際純粋な法律的な立場からこの問題を白紙に返しまして、新しい目でもって再検討する必要があるのじゃないかというふうに考えます。
 ただ、非常にこれは法律的にむずかしい問題でございまして、いまの運輸省のお話の免許があるかないかという問題、それから、これはちょっと私がいま考えた問題だけでございますが、会社側が免許を受ける期待権というようなものがはたしてあるのかどうか、すなわち国鉄の土地を借りた上で鉄道を敷設するという認可申請になっておるわけでありますが、その借りるつもりの土地が借りられなかったということは、はたして会社側が持っている免許を受ける期待権を侵害するかどうか、私どもといたしますと、十分そういう点を検討いたしませんと、いますぐにここでどうこう申し上げられませんが、ただいま手元にございます資料から申しますと、あの土地は現在法律的に全く白紙の問題である、全く国鉄が一〇〇%所有権、使用権を持っておる土地であります。それから、先ほど申しましたように、将来の伊豆の開発と関連して、どうしても伊東線の問題をこの際考え直す必要があると思うのであります。それから土地の価値が、先生も御指摘のとおり、非常に変わってきておると思うのであります。こういった問題等をすべて勘案いたしました上で、運輸省御当局の新しい鉄道敷設に対する御方針等も承りまして、十分法律的に間違いのないような処置を講じたい、講ずべきであるというふうに考えております。
○久保委員 そこで運輸省にもう一ぺんお尋ねするのですが、当該鉄道の建設について、工事施行認可にあたって二十五項目の回答を求めているわけなんですね。その回答の中には、国鉄の所有地が使用できるかどうか、そういう問題についての回答を迫っておりますか。
○広瀬説明員 ただいま手元に資料を持っておりませんので、二十数項目の内容を明らかにしておりませんが、工事施行認可に関連して質問を出しておるわけでございますから、当然経過地あるいはどの土地を具体的に使うかというようなことも聞いておるかと存じますが、これはなお調べまして後ほど御報告いたします。
○久保委員 それは鉄監局長がおっしゃるように、どういう土地を通るかというような、そんなことじゃないと思うのです。工事施行認可にあたっての質問は、いわゆる技術的な問題、特にそういう問題が多いのではないかと思うのです。私が聞きたいのは、国鉄の土地が使用できる見込みがあるのかないのかという質問をその中に出しているかどうかです。これは国鉄部長、わかりませんか。
○向井政府委員 二十五項目の質問書の内容を承知しておりませんので…。
○久保委員 いや全部でなくて、ぼくが質問する点……。
○向井政府委員 まだ質問書そのものを私は検討しておりませんで、調べればすぐわかりますから、御報告いたしたいと思います。
○久保委員 ちょっと質問中に電話で聞いてください。――そこで副総裁から、全く国鉄のものであって他人の容喙を一切許さぬ土地であるということだが、そのとおりだと私は思います。そこで中畑局長は先ほど、払い下げるかどうかについても伊東線の問題とからんで検討中だというのですが、その検討の必要はないと私は言うのです。ところが副総裁の答弁とあなたの答弁は若干違います。いまさら何も、鉄道建設に対して国鉄の所有地について従来どおりこの会社に貸すか払い下げるかなんというそういうものを頭に置いて、伊東線のつけかえなり線増というか、そういうものを検討していくというのは、それは全く誤りであります。私はおかしいと思う。いかがでしょう、必要ないじゃないですか。
○磯崎説明員 先ほど中畑総務局長から御答弁いたしましたのは、中畑総務局長はいままでずっとこの問題に関係いたしておりましたので、いろいろ過去のいきさつが頭にあったために、そういう御答弁を申し上げたと思うのですが、その点私がただいま御答弁いたしましたとおりというふうに御了承願いたいと思います。
○久保委員 そういたしますと、当該土地については一切もう考えておらぬ、こういうふうに了解してよろしいですね。だめを押しますが……。
○磯崎説明員 ただいま手元にございますいろいろな資料を見ますと、法律的に全く白紙の事態に戻つているというふうに私は了解いたしております。裁判上いろいろのいきさつなどもございまして、私の答弁に間違いないと思いますが、もう一ぺん法律的に検討いたしました上で御返事いたしませんと、またいろいろ問題を起こしますので、私のいまの認識では完全に一〇〇%国鉄の所有権の昔に返っているというふうに了承いたしておるのですが、さらに法律的にもう一ぺん検討さしていただきたい、こういうふうに考えております。
○久保委員 政務次官、私が申し上げるとおりだと思うのです。運輸省としてもそうだと思うのですが、いかがでしょう。国鉄は来宮のズリ捨て場をこの会社に貸すかどうかという観点から検討する必要は今日の段階では何もない、毛頭ない、こういうふうに思うのですが、いかがでしょう。
○大石(武)政府委員 全くそのとおりでございます。

(略)

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0106/04604140106018a.html

第046回国会 決算委員会 第18号
昭和三十九年四月十四日(火曜日)
 
○押谷委員 (略)
 新幹線の送電線の問題について、箱根の地区で国土計画興業株式会社の所有地を送電線が通過をしたということがあると思うのですが、この箱根の国土計画興業株式会社――なかなか名前がでかい名前なんですが、この会社所有地の箱根で送電線の塔を建ててやったのですが、これはスムーズにできておりますか、あるいは工事に非常にお困りのようなことがなかったですか、一応お伺いします。
○石原説明員(日本国有鉄道常務理事 お答えいたします。  これもうまくいきましたほうでございまして、だいぶん支障はございましたのですが、折衝の結果承諾を得まして現在工事を進めております。このいきさつを申しますと、これも御承知と思いますが、新幹線は六十サイクルの交流を使いますので、富士川から東のほうは五十サイクルの電源しかございませんので、買電をいたしまして、これを六十サイクルに直しました高圧線を一本通さなければ新幹線が運転できないというはめになっております。それで富士川から東京の近くまで高圧線をずっと引いてまいります途中で、どうしても国土計画興業の敷地を通さなければならないという事態になりまして、これも折衝いたしましたがなかなか話に乗りませんで、長い間かかりましてやっと案をまとめたのでございますが、一応の案を電気工事関係の局長と国土計画興業とできめましたあとで、西武鉄道系からこの線は観光開発上障害があるから三年間だけただで貸す、けれども三年以上の契約はしないという申し入れが昨年の十月にございました。それで直ちに理事会にはかりまして、こういう重要な東海道新幹線の電源を運んでくるものに対して、しかもこれは二年越しで折衝してきめたルートに対して、三年の期限のついた契約というようなことには応じられないし、それからただで貸すと言われてもこれはただでは借りられない。これは土地自身といたしましては、電柱を建てるのが十一基だったと記憶しておりますが、十一基の電柱の基礎とそれから線下補償の問題だけでございますけれども、三年後にどうなるかわからぬというようなことでは応じられないということで強硬に西武系と折衝いたしまして、直ちにこれも事業認定を受けることにいたしまして、一方において収用法発動の手続をいたしまして期限を切って折衝いたしました結果、起工承諾を受けまして工事に着工いたしました。現在はもうほとんど完成いたしております。ただしまだ正式の契約は――このときは覚え書きをかわしまして、将来観光開発上必要があった場合は、そのルートを別のルートに変えることの交渉に国鉄は応ずるという覚え書きをかわしまして、着工いたしまして、すでに工事はほとんど完了いたしております。
○押谷委員 この工事に関してルートの変更をしたことはありませんか。
○石原説明員 これは何べんもいろいろなルートで変更をいたしまして、初めからでありますと、ずいぶん何べんも変更をいたしました。それで最後的にやっと落ちついたのが昨年の十一月だったと記憶いたしております。
○押谷委員 まあ国鉄の新幹線の工事なり運営に協力をしようとする人の態度としては、この送電線の塔をつくり、送電線を通すということについて、いろいろルートに注文をつけるまではよろしいけれども、三年間という期限をつけること自体がこれは無理で、国鉄の強腰の態度でもって、ついにここも大体目的を達成せられたことは喜びにたえませんが、しかしこういうことの折衝にあたって、何かほかに条件でもつけて、こうしてくれればまた便宜をはかるとかなんとかいうような、たとえば熱海の丹那トンネルのズリ捨て場がある、ああいうものを貸すとか貸さぬとかいうような条件でもついているのじゃありませんか。
○石原説明員 これは折衝の過程において、そういうものを条件として出してきた時期がございますが、それを条件として妥結したというわけではありません。ただし、これは高架鉄道の鉄道敷にこちらに貸してくれという問題が将来の問題として残ってくると思いますが、そうなりますればこれはその場合で考えなければならぬ問題かと思いますが、条件ということにはちょっとなっておりません。
○勝澤委員長代理 いまの西熱海の問題で関連をして御質問申し上げますが、条件にはなっていないけれども、その出されてきた条件については将来国鉄としては検討しなければならぬようなことになっているのですか、どうですか。
○石原説明員 ちょっと前の答弁を修正いたします。
 御質問のありましたズリ捨て場の梅園の用地でございますが、これは「梅園附近の国鉄用地を伊東線の線増その他国鉄の事業に支障がない範囲において、地方鉄道法に規定する地方鉄道の用に供するための線路敷として、運輸大臣の許可を得た後売却するものとする。」という約束になっております。
○押谷委員 まあ、むずかしい文章を並べてのいまの御答弁でありますが、ここにもやはりごね得の一つのあらわれがあるのじゃないかと思うのです。そのズリ捨て場というのは梅園ですか、相当問題のあるところでありまして、これを政府の関係で使うか使わぬかということは問題なんです。相当の大きな利益があるのです。その利益を提供することが、一つの送電線の、架線の通過、鉄道の建設に条件を付せられたようになると、やはり一つの妥協にあたってのごね得があらわれているような感じがいたしますが、そういうことのないように、国鉄の財産を国鉄の利益のためにはあくまでも確保する、一部の権力者のごね得は許さないというき然たる態度をもって臨んでもらいたいと思います。これはまだ未定の問題で、これからの問題にかかっておりますが、そこを私鉄の認可を得、私鉄の用に供するという条件はありますけれども、そういうことで、他にまた適当な口実等を設けて観光用ホテルの施設に使うとかあるいはケーブルカーの建設に使うとか、何かそういうことでどんどん使う道を考えるかもしれない。そうなると、架線を、送電線を通すという条件に大きな利益を与えたということになりますと、やはりゴネ得ということが考えられる。その点は特に御注意を願いたいということを希望いたしておきます。(略)


○廣瀬政府委員 先ほどお尋ねがございました国鉄から伊豆箱根鉄道に買収の申し込みをいたしましたのが、三十七年の三月三十日、伊豆箱根鉄道から名古屋の陸運局へ鉄道敷設免許申請がありましたのが、三十七年四月二十五日でございます。
勝澤委員 あまり時間がありませんから、なるべく簡単にお伺いいたしますので、答弁のほうも簡単にお願いしたいと存じます。
 最初に、先ほど押谷委員が箱根の送電線の関係で、この送電線と西熱海ホテルですか、この用地とが条件になっていないのかどうか、こういう質問があったわけであります。資料をいまいただいたのを読んでみますと、国鉄のほうが熱海の梅園付近の用地を貸してやる、そのかわり送電線やら、あるいはまた大雄山線の、この辺の線路を通ることについて了解する、こういうように書面がなっておりますが、この書面どおりなんでしょうか
石原説明員 さいぜんの答弁、ちょっと勘違いいたしましたので、訂正いたしたいと思いますが、昨年の二月に、新幹線その他の整備に関係いたします諸問題と、それから梅園の土地の貸し付け等につきまして覚え書きをかわしております。この梅園の土地のいきさつを申し上げますと、駿豆鉄道と申しました時分に、昭和二十七年八月に、来宮から十国峠に至ります鋼索鉄道を敷設するという認可を、当時の駿豆鉄道、いまの伊豆箱根鉄道がとりまして、それに伴って用地を、この場合は借りるのでございますが、貸してくれということで、よろしいという返事をいたしたのでございます。ところが、その後になりまして一向に施工をいたしませんでしたので、これは新幹線のズリ捨てをするのにその土地を使う以外に方法がありませんので、またそのときにはそのズリ捨てに使うぞという条件がつけてございましたので、三十三年の十二月になりまして、東鉄局長から、使用最中の国鉄用地は三十四年度から国鉄が工事を再開する新丹那トンネルのズリ捨てに使うから、三十四年一月三十日限り使用承認を取り消すという通告をいたしました。それに対しまして、伊豆箱根鉄道から抗議を申し込んでまいりまして、ついに三十四年八月に、静岡地方裁判所の沼津支部に、占有妨害禁止仮処分命令の申請というのを伊豆箱根鉄道でいたしましたが、続いて十月十日にはその仮処分申請を取り下げております。そういったようないきさつになっておりまして、伊豆箱根といたしましては、この工事の着工が非常におくれておりましたが、もし工事認可を受けて着工する場合には再びこれを貸してくれというのが向こうの言い分でございます。これに対しましては、その前に過去いきさつがあるというばかりではございませんで、もし、ルート認可も得ますし、工事の認可も運輸大臣から得られました暁におきましては、ほかにルートがおそらくとりにくいと思いますので、その場合にはこれは協議に応じなければならないかと思います。これはあまり利権とか非常な利益とかいう問題ではありませんで、当然それに見合うだけの正当な時価で土地を売り払うということになりますので、特別の利権を与えたとか特別の利益をあらかじめ約束したとかいうことにはなるまいかと思います。
勝澤委員 伊豆箱根鉄道はそこに何をつくろうとしているのですか。
石原説明員 お答えいたします。
 これは、昭和二十七年に届け出ましたときには、熱海市来宮――十国峠間の鋼索鉄道敷設ということで認可を求めております。その後、この鋼索鉄道が非常に急勾配なので、その認可についても運輸省で疑義を持っておられたような話も聞いておりますが、いずれにいたしましても着工が非常におくれておりましたので、いまのような取り消しというところまでまいったわけでございますが、何でもいま聞いておりますのでは、従来の鋼索鉄道と設計を変えまして、新しい方式の登山鉄道で認可を求めるつもりだというようなことを聞いております。
勝澤委員 そうすると、これはあくまで鋼索鉄道なりその鉄道に関係があることをやるのですか。
石原説明員 当然さように了解しております。鉄道に使う用地だけを売り払うということに考えております。
勝澤委員 相手は国鉄よりも、極端に言いますと、一枚上手の人物ですから、何をやらすかわからないと思うのですよ。この文書を見てみますと、これはあとでたいへん問題になると思うのです。ここ二、三年あるいは四、五年、これを見ますと、二十七年からの問題ですから、問題になると思うのです。ですから、これはやはりもう少しいまの段階できっちり詰めた意見にしておいていただきたいと私は思うのです。そうしないと、運輸大臣の許可があったら、必ずこれは売却するものとする、売り払う、売ったということになっているわけですから、許可があって売り払った、その売り払ったあとどうするかというのは、これまた問題なんです。ですから、これはやはり使用目的にきっちりついた、かりに売らんとするならば、それが実行されない場合には、また取り立てができるようなしかたをしておいてもらわないといけないと思うのですが、そこまでお考えになっておるでしょうね。
石原説明員 これは私が締結した条文ではございませんが、これは私取りかわした文面をその後見まして、大体抜けがないのではないかと実は思っております。それがいかに老獪に解釈されましても、大体だいじょうぶだろうと思うのでございますが、それは「甲は、乙に対し熱海市梅園附近の国鉄用地を伊東線の線増その他国鉄の事業に支障がない範囲において、」ということが一つの条件、「地方鉄道法に規定する地方鉄道の用に供するための線路敷として、」というのが一つでございます。それから「運輸大臣の許可を得た後売却する」こういう条件になっております。線路敷に、カッコで条件がついておりまして、「最小限度の附帯施設を含む。」となっております。したがって、これはほかのものにはこちらは売らない。運輸大臣の許可を得た後に、地方鉄道法に規定する地方鉄道の用に供するための線路敷(最小限度の附帯施設を含む。)としてだけ売るのだ。こういう相当厳密な条件がつきまして、さらに伊東線の線増その他国鉄の事業に支障がないという条件をもう一つつけております。いかに老獪にかかってきましても、これで大体抜けが――そうやられることもないのじゃないかと思います。
勝澤委員 それは「運輸大臣の許可を得た後」となっておる。運輸大臣の許可とはいつの時点かということです。
石原説明員 これは工事認可の許可を得たということだと思います。
勝澤委員 工事認可を得なくとも工事を行なったことの経験のある会社なんですね。ですから、法律がどうあろうと、こうあろうと、とにかくやって、負けたら裁判を下げればいい。元っ子だ。かかった分は国鉄が補償してくれる――補償したかどうかよくわかりませんけれども。ですから、ここで運輸大臣の許可を得た、運輸大臣が許可をした、実際には工事認可の許可を得たけれども工事が行なわれなかった、行なわれなかった場合においては当然これは国鉄が買い戻すのだ、その辺ははっきりしたことをしておいていただきたい。これはかつて国有財産の処理で大蔵省にあった例ですから。売った、一週間たって転売された、買い戻しができないという例が現実にいま起きているわけですから、ひとつ国鉄の参考のために。それくらいでこの問題は終わっておきます。
 次に、ただし来宮構内について貸し付けるものはそのままだ。来宮構内では何を貸し付けておるのですか
石原説明員 これは、この前の計画でございますと、向こうの鋼索鉄道の終端の停車場を駅の前につくるようなことになっておりました。この場合にはこちらの鉄道の将来の計画とも関連いたしますので、売却をしないで貸し付けだけをするという契約になっております。
 なお、一言申し落としましたが、国鉄の用地を売却いたします場合には運輸大臣の認可を受けることになっております。したがいまして、工事施行の認可が運輸大臣から向こうにおりまして、こちらが売却の価格その他全部交渉が済みますれば、運輸大臣の認可を得て売却するということになります。
勝澤委員 そこで、次に、別紙二の覚え書きというのがありますね。別紙二の覚え書きの中で見ますと、先ほども言っておりました「将来乙の観光開発計画の実施に伴い乙の要請により前項の施設の変更を必要とする場合は、友好的に両者、誠意をもって協議する。」これはこの一札が入っておるわけですね。しかし、これを別紙一の二月の四日に結んだ覚え書きにつけ加えて八月の二十九日に結ばざるを得なくなったということは、どういうわけですか。二月の四日の覚え書きで明確になっているわけですから、その明確になっているのへ八月の二十九日にプラスアルファをして、あなたのほうで、必要なときには相談に乗りますよ、相談に乗りますよと言っておりながら第一の覚え書き、これでは梅園付近の問題がひっかかるじゃありませんか。これは両方とも、また片一方でおどかされてまた今度はこっちのほうを譲るということになるじゃありませんか。そこはいかがですか。
石原説明員 お答えいたします。これはさいぜんもちょっと申しましたように、あそこは観光開発の計画を持っております。これは事実持っておりまして、すでにゴルフ場だとか、ヘルスセンターみたいなものをつくっております。そういったような場合に、景色をじゃまをしたとした場合にはルートの変更をすることについて協議に乗ってくれという申し出がございましたのです。さいぜん申しましたように、それは三年間の期限につきであるというようなことは、こちらがけとばしましたのですが、そういう期限なしに、一応つくったからには将来こっちは絶対にルート変更には応じないということではないのだということでございまして、この程度のことは向こうの希望を入れておいても、送電が途中で中断するという問題もございませんし、それから経費の問題につきましては当然原因者負担になるものと考えます。そういったような点がございますので、これはこちらが一度引いた送電線は、幾ら国土計画のほうで言ってきても絶対に変えてやらないといったような意地悪はしないということになりますので、こちらといたしまして格別将来の大きな負担になる問題ではございませんので、向こうの希望どおりに覚え書きをかわしまして、着工いたしたわけであります。
勝澤委員 そこで乙の要請があった場合においては友好的に誠意を持って相談に乗らにゃいかぬ。相談に乗った結果、移転をするということになったら、原因者負担だから、この国土計画興業株式会社ですか、ここが負担をするのだということが、国鉄の態度ではっきりいたしました。はっきりしたけれども、友好的に誠意を持って協議するということは、ただ単なる期待だけであるということになると思うのです。期待権だけを持たしたために三億の補償をしたという例があるのです。これは一つ申し上げますと、電源開発株式会社が奈良県にダムをつくるときに、この道をつくりますという約束をしたわけです。そうしたら電源開発株式会社で計画が変更になったわけです。計画が変更になって、こっちへ行くからこの道路はつくらなくてもいいということになったわけです。しかしこの道路をつくるという約束をしたから、この道路をつくる補償をせよと言われて、三億円電源開発株式会社が奈良県に払って、奈良県は三億一般財源に入れた例があるのです。これは会計検査院の報告書に載っておるのです。あるいは国鉄も例があるのです。何も影響のないところに景色補償をしたという近江鉄道の例です。近江鉄道という会社と、このいまあなたがやっておる送電線の会社との関係は同じじゃないでしょうか。同じだとするならば、いまあったことがまた将来ないとはいえないと思うのですが、その点をもう少し明確にしておいていただきたい。
石原説明員 お話のございましたように、近江鉄道は西武系の会社でございまして、近江鉄道に関する交渉は全部主として西武鉄道の社長がいたしております。したがいまして、これも全く同じ系統でございます。しかし少し違いますのは、国鉄が違っておりまして、今後はこれはあくまで相互に誠意をもって友好的に交渉するのでございまして、先方が友好的、好意的でございませんければ、こちらとしては決して友好的、好意的にやるつもりはございませんし、今後はさような言いがかりにつきましては、少なくともこの問題なんかにつきましては、こちらは近江鉄道の二の舞いをするようなことはいたしません。
勝澤委員 近江鉄道と伊豆箱根、それから国土計画興業株式会社というものは、同じ立場にある人であるということが明確になりました。(略)

H.FUK 様の「西武グループの歴史 History of Seibu Group」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

http://web2.nazca.co.jp/dfg236rt/page083.html

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2016年1月12日 (火)

幻のゆりかもめ「東京駅延伸計画」

 「ゆりかもめ」といえば、豊洲駅でその先に伸びたそうにしているところである。

ゆりかもめ豊洲駅

 東京都が2015年3月6日に発表した「交通政策審議会答申に向けた検討の中間まとめ」では、豊洲から晴海を経て勝どきまでの路線が「目標年次(平成 27 年)までに整備着手することが適当である路線」とされているようだ。

ゆりかもめ延伸

 では勝どきの先はどうするのだろうか?

 現在、東京都では都心から勝どきを経由して臨海副都心に至るBRTの具体化を進めているところである。

 しかしかつては、東京都は勝どきから都心へ向けてゆりかもめを延伸することを計画していたのである。

 それは東京都が1989年3月に発行した「大都市幹線街路調査報告書(昭和63年度)」に掲載されている。

 これはまさにバブル期で「その後青島都政が都市博覧会を中止する」なんてことが想像もできない時期であるが、臨海副都心への将来の交通をどうさばくかといった検討資料であり、題名のとおり幹線となる道路計画を検討したものである。

 そのメニューの一つとして新交通システム「ゆりかもめ」を更に都心へ延伸する可能性、高架について検討している。

ゆりかもめ延伸計画

■東京駅ルート

補助305号線及び放射33号線を利用し、東京駅に接続する。

ゆりかもめ延伸東京ルート2

 東京、兜町、新川、大川端、月島の5駅を新設することとなっている。

ゆりかもめ延伸東京ルート1

 東京駅にはこのように乗入れることを想定していたようだ。

ゆりかもめ東京駅乗入れ

 

■有楽町ルート

 晴海通りを利用し、JR駅に最短距離で接続する。

ゆりかもめ延伸有楽町ルート2

 新築地、東銀座、有楽町の3駅を新設することになっている。

ゆりかもめ延伸有楽町ルート1

 備考(問題点)にもあるように晴海通りには地下鉄が埋設されているため、門型橋脚で通過することになる。銀座の和光前等を高架でふさいでしまうことになる。

 

■新橋ルート

都営地下鉄12号線(大江戸線)と接続し、ゆりかもめを環状線にすることが可能。

ゆりかもめ延伸新橋ルート2

新築地、築地市場、新橋の3駅を新設することになっている。

ゆりかもめ延伸新橋ルート1

 報告書によると、大江戸線と上下一体構造となる高架橋を想定していたようだ。

 バブルもはじけてしまい、ゆりかもめの延伸は当分出番はなさそうである。

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2016年1月11日 (月)

新宿駅への上越新幹線・成田新幹線の乗入れについて報道をまとめてみた(その2)

 新宿駅への上越新幹線・成田新幹線の乗入れについて報道をまとめてみた(その1)では上越新幹線の新宿駅乗入れに係る報道をまとめてみたが、本頁では、成田新幹線の新宿駅乗入れに係る報道をまとめてみる。といっても2本しかないけど。

成田新幹線新宿駅乗入れ (1)

成田新幹線の新宿起点、年内に結論 国鉄と公団

 国鉄と日本鉄道建設公団は、新東京国際空港(千葉県成田)と都心を結ぶ成田新幹線の工事計画について近く協議会を開くが、席上同新幹線のターミナル駅を上越新幹線と同様将来は新宿駅に設けることを検討する。これが実現すると、新宿-成田間の直通運転はもちろん、上越新幹線と東海道新幹線の直通運転も可能となり、新宿駅は一躍全国新幹線網の大拠点となる。国鉄と同公団は年内に結論を出す方針。

 これまで成田新幹線の東京都内のターミナルは東京駅八重洲口側の鍛冶橋の国鉄用地に地下で設けることに内定していたが、これを将来新宿駅に移すという構想が篠原武司同公団総裁らの主張によって浮かび上がってきた。この主張の根拠は●鍛冶橋をターミナルとすると、同新幹線が東京-成田だけを結ぶいわば枝線的な変則新幹線となってしまう●それよりも成田-鍛冶橋-新宿と結べば、上越新幹線や、計画中の中央、北回り両新幹線が将来完成した際、これら新幹線と東京国際空港を結ぶことができ、さらに新宿駅を結節点として上越新幹線と東海道新幹線とを直通運転することも技術的に可能になり、成田新幹線が文字通り全国新幹線網の一つとして生きる、というもの。

 新宿駅は東京外環状線が52年に全線開通すれば、山手貨物線で現在結んでいる貨物がすべて外環状線に移されるので現在駅南口の新宿貨物駅があく。この跡地を利用して上越新幹線のターミナルができるが、これを広げて成田新幹線のターミナルを兼ねることは可能だという。これに中央、北回り両新幹線などのターミナルを加えることになれば、新宿貨物駅跡は全国新幹線網の表玄関となる。

 ただ、成田新幹線のターミナルを将来新宿に置くとすれば、鍛冶橋-新宿間を地下鉄道で結ぶことは避けられないが、それには膨大な費用が必要となる。東京国際空港の利用客が乗客の中心となる成田新幹線のためにそこまでの費用をかけるべきか否か疑問を投げる関係者もあり、国鉄と同公団の協議会ではこれらの点も含めて検討されることになる。

読売新聞 1971(昭和46)年11月26日 朝刊

 これを読むと、一旦成田新幹線の東京駅は鍛冶橋(現在の京葉線東京駅がある場所)と内定した後に鉄建公団が新宿延伸(そして上越新幹線や中央新幹線との乗入れ)を言い出したことになる。

 ウソペディアwikipediaによると

東京駅

将来の新宿方面への延伸を考慮し、東海道本線と鍛冶橋通りが交差する地点(東京駅 - 有楽町駅間のほぼ中間)の地下に、成田新幹線用の駅施設が計画された。

成田新幹線 - Wikipedia

とあるが、これでは順番が異なることになるうえにwikipediaには参考文献も書いていない。

 まあ、実際には将来延伸のノリシロ込みで鍛冶橋に内定しておいて、後出しで新宿駅延伸を言い出したんじゃないかなーと邪推するのだが。

 ちなみに読売新聞記事中の「北回り新幹線」は現在の北陸新幹線だ。

成田新幹線新宿駅乗入れ (2)

成田新幹線、年内申請見送り

 篠原武司日本鉄道建設公団総裁は25日、丹羽運輸大臣と会い「成田新幹線(東京-新東京国際空港間65キロ)の工事実施計画を年内に提出することはむずかしい」と報告した。

 建設公団は同新幹線について今月中旬●ルートは、東京都江東区越中島を経て千葉県印西地区に同県が建設する予定の千葉ニュータウンを通る北回りとする●途中駅は、同ニュータウン内一駅とする●都内のターミナルは東京駅八重洲口の鍛冶橋とするが、将来は新宿駅とする、との構想をまとめ、年内に申請、年明け早々に着工する計画だった。しかし、最近になって国鉄から「営業政策の面から現在の国鉄成田線成田駅にも停車させ、途中停車駅を二つにすべきだ」という強い要望が出された。これに対して建設公団は、新東京国際空港と成田駅の間は7キロしかないので、停車させれば新幹線の特性である高速性が発揮できなくなるとして反対しており、この調整がつかないため、年内の申請を見送ることとした。

読売新聞 1971(昭和46)年12月26日 朝刊

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 報道ではないが、これらの記事をさかのぼる1年ほど前に、1970(昭和45)年3月11日に鉄道建設審議会が全国新幹線整備法案の検討を決議している。その別表路線網では成田新幹線は常磐新幹線の一部として扱われている。

新幹線鉄道整備法案要綱別表

 ご関心のある方はこちらのファイルを開いてみていただきたい。

http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/H1530a00870000/024704398137.pdf

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 で、成田新幹線はご存知のとおり未成線に終わったわけだが、ネットでは「サヨクガ―」「プロ市民が-」みたいなことを書き散らかしている御仁もいらっしゃるが、一番強烈な反対は土着保守とも言える江戸川区長ご本人である。「江戸川区住民が訴訟を起こした」みたいなことを書く方もいらっしゃるが、それは嘘でバリバリ保守の江戸川区長が江戸川区住民をまとめて反対運動を起こしていったようだ。

 ご関心のある方は小久保 晴行・著「地方行政の達人」

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/kokuboharuyuki.pdf

にお目通しいただきたい。

 新幹線については31頁以降に書いてある。

 もっとも、その前の26-30頁を見ると、運輸省の飛行機騒音に係る対応に非常に不満を持っていたことが分かる。それがようやく解決の糸口が見えて来たところにまた問答無用で新幹線を持ちこまれたという意識が強かったのか。

 ちなみに江戸川区は運輸大臣を相手どって「日本鉄道建設公団に対してした成田新幹線東京・成田空港間工事実施計画その1に関する認可を取り消せ」との行政訴訟を提起している。

 これは法学部で行政法を学ぶ際には絶対出てくる超基本判例である。

 裁判所のウェブサイトに判決文が掲示されているので是非見てみよう。

・昭和47(行ウ)52  行政処分取消請求事件 昭和47年12月23日  東京地方裁判所

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/154/018154_hanrei.pdf

・昭和47(行コ)95  行政処分取消請求控訴事件 昭和48年10月24日  東京高等裁判所 

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/099/018099_hanrei.pdf

 私の記憶が確かならば江戸川区はずーっと保守区政だったと思うのだが、今でも江戸川区のサイトには

 その後、葛西地区ごみ公害問題・航空機騒音問題・成田新幹線区内通過問題の、いわゆる三大公害問題が発生しましたが、環境浄化対策協議会を中心とした区民と行政一体の根強い活動により、いずれの問題も解決に至りました

環境をよくする運動とは:江戸川区ウェブサイト

とある。

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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新宿駅への上越新幹線・成田新幹線の乗入れについて報道をまとめてみた(その1)

 新幹線の新宿駅構想についてまとめてきたが、ついでに当時の新聞ではどのように報道されてきたか調べてみた。

上越新幹線新宿駅乗入れ (1)

新宿から「上越」新幹線

国鉄、鉄建公団の最終構想

山手貨物線使う

東京駅は「東北」と「成田」

上野 池袋 誘致運動にケリ

 51年完成をめざす東北、上越、成田の三新幹線建設をめぐって、大きな焦点となっていた東京都内のターミナル駅は、東京駅を東北、成田、新宿駅を上越ターミナルとする”両立て方式”となることがはっきりした。建設に当たる国鉄鉄道建設公団では、いま新幹線のルートや停車駅を確定させるにしぼってきた構想を修正、「新幹線利用客がふえた際に改めて考えよう」と、第二候補にしてきた「新宿駅」を一躍、東京駅と並ぶ”主役”に抜てきしたもの。正式決定は、今月中に丹羽運輸相の承認を得てからとなるが、新宿、上野、池袋の三つどもえとなって地元から激しい誘致運動が展開されてきたターミナル問題も、ようやくケリがつくことになる。

(略)

読売新聞1971(昭和46)年9月15日朝刊

 新宿駅と池袋駅と上野駅で第二ターミナルの位置を争っていたわけだ。

 東京都の意向については

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

上越新幹線新宿駅構想 (19)

上越新幹線新宿駅構想 (20)

という文書のやりとりを掲載したところである。

上越新幹線新宿駅乗入れ (5)

 問題は着工時期だが、現在、鉄建公団が建設中のいわゆる外環状線(武蔵野線、小金線、京葉線の一部をつなぎ東京外周をぐるり取り巻く新線)が、52年に全線開通すると、新宿を含め、いまの国電山手線に並行する山手貨物線はすべて外環状線経由となり、山手貨物線が不要となる。新幹線はそのあとを利用する計画で、国鉄、鉄建公団では当面、東京駅のホーム増設工事を先行させ新宿ターミナルは外環状線工事の進行状況とにらみ合わせて建設準備を進め東京駅より2、3年遅れの着工となりそうだ。

 国鉄、鉄建公団では、51年の開通当初は東北、上越両線を東京駅から大宮駅付近まで併用とし、新宿駅完成後に東北新幹線は東京駅、上越新幹線は新宿駅に分離したい考え。東京駅を出た列車は、高架から秋葉原付近でいったん地下にもぐり、田端付近でカオを出すが、分離後の上越新幹線は、この田端を分岐点に、山手貨物線あとをたどり新宿駅と結ばれる。さらに新宿から山手貨物線あとを延長し大崎付近で東海道新幹線と直通させる計画も出ている。

読売新聞1971(昭和46)年9月15日朝刊

 田端から山手貨物線を通って新宿貨物駅に至るとは書いてあるが、地下を通るとも地上を通るとも書いていない。貨物は通らなくなるというのだから地上が当然なのかな?

 そのまま西進して大崎から東海道新幹線に乗入れるというのもなかなか興味深い。

 

上越新幹線新宿駅乗入れ (2)

明るいターミナル駅へ

上越新幹線が来る新宿南口

”ドヤ街返上だ”意気込む旅館街

早くも活発、不動産業者

 東北、上越、成田の三新幹線(五一年開通予定)の都内ターミナル駅は、東北、成田を東京駅、上越を新宿駅南口側にある新宿貨物駅とすることで、国鉄の構想がまとまったが、誘致運動を進めて来た上野と池袋は”落選”でがっかり。”選”にはいった新宿駅南口の旅館街では「これまで東口と西口の発展に比べ取り残された南口もこれで追いつく」と大歓迎。早くも不動産業者の動きが活発。地元では「これを機会にドヤ街のイメージを返上、ターミナルにふさわしい明るい街づくりを」と意気込んでいる。

 上越新幹線のターミナルとなる予定の新宿貨物駅は、新宿駅南口から代々木駅寄りにひろがり、甲州街道から眼下に見おろせる広大な場所。鉄道建設公団が建設中の外環状線が52年に開通すると、山手貨物線は不要になるため地元でも跡地に新幹線ターミナルを建設するよう国鉄などに要望していた。

(略)

読売新聞1971(昭和46)年9月16日朝刊

 数日遅れて朝日新聞も報じている。

上越新幹線新宿駅乗入れ (3)

始発は東京駅に 東北・成田新幹線

大宮まで同じ路線 

今週詰め 将来、上越は新宿移転

 東北、上越新幹線とも都内のターミナルは東京駅。東京-大宮間は両新幹線で線路を共用、大宮付近で分岐させる。将来は新宿貨物駅に上越新幹線ターミナルを移す構想だ。

 東京駅をターミナルとする最大の理由は、東北新幹線と東海道・山陽新幹線の直結。東北品kン線開業の時点には、山陽の岡山-博多間も完成しているので、盛岡-博多間という大動脈に効果的に列車を走らせ、相互乗り入れも考えているためだ。

 (略)

 東京のターミナル構想には当初、上野、池袋などもあがり、盛んな誘致運動も行われたが、新幹線ホームをつくるスペースが不足などの理由から”脱落”した。

 (略)

 当初東京駅にはいる上越新幹線を将来新宿駅へ移すのは、武蔵野線など東京の外をとりまく貨物線が昭和52年に完成すると、いまの山手貨物線、新宿貨物駅の転用ができ、さらに田端から新宿まで東北新幹線と分かれて山手貨物線ルートで上越新幹線をいれることもできる、東北新幹線の新宿乗り入れや大崎付近から東海道新幹線との直結もできる、などの点からである。当面は上越新幹線の需要増が見込まれる段階で新宿ターミナル構想の具体化を検討する方針だが、こんどの認可申請のさい、口頭あるいは文書で運輸省にこの構想を説明する。

朝日新聞1971(昭和46)年9月20日朝刊

 翌1972(昭和47)年及び1973(昭和48)年には、国会答弁で新幹線新宿駅乗入れについて取り扱われているが、それについては前頁をご覧いただきたい。

http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 その後、北陸新幹線の具体化にあたり、新宿駅への乗入れの早期化が検討されたようだ。

上越新幹線新宿駅乗入れ (4)

上越・北陸両新幹線

新宿乗入れに見通し 運輸省

 運輸省は10日、埼玉県の畑知事、東京都北区の小林区長が東北、上越、北陸各新幹線の建設について地元側の希望を陳情したのに対し①48年度中に着工ずる北陸新幹線の大宮以南は、原則として上越新幹線の線路と共用、新宿を始発駅とする②東北新幹線と並行して赤羽ー大営間に通勤新線を建設し、現在の赤羽線と結ぶ③赤羽駅はすべて高架にする、などの構想を明らかにした。

 運輸省が上越、北陸新幹線の新宿乗り入れの可能性をはっきり述べたのは初めて。すでに発表されている東北、上越新幹線の工事計画によると、52年4月の開業後10年ほどは、どちらも東京駅を始発都市、東京-大宮間は複線の線路を共用し、大宮北方の埼玉県北足立郡伊奈町で分岐することになっていた。

 その後、47年6月、北陸新幹線の基本計画が決り、48年度に着工、53年度松までに完成をめざして建設されることになったので、東京-大宮間は複線では無理なため、この区間の複々線化について検討していた。

 その結果、48年4月、武蔵野線が開通するのを機会に東北線の貨物線、山手貨物線がいらなくなるので、その敷地を利用して大宮-赤羽-新宿間に上越、北陸新幹線を乗入れることができると考えた。(略)

 この計画では上越新幹線ははじめ東京始発、その後新宿始発とする計画だったのが、開業時から新宿始発ができる見通しが強まった。

 一方、東北、上越新幹線は46年11月着工、51年度中に完成し、52年4月から開業する方針。工事計画によると東京-秋葉原(高架)、秋葉原-日暮里(地下)、日暮里-戸田(高架)、戸田-浦和-与野(地下)、与野-大宮(高架)となっている。埼玉県と東京・北区の陳情は、これを全線地下にしてほしいというもの。

 これに対して、運輸省は荒川両岸の地域は10年間に1メートルの地盤沈下があり、地下にするのは技術的に困難なので、工事計画を変更して日暮里-大宮間は全線高架にしたいと強調。さらに地元側でそれを了承してもらえれば、通勤用の電車新線を建設してもよい、との構想を明らかにした。

 この計画は、大宮または伊奈-赤羽間の約18キロを東北新幹線と並行して現在線の西5キロのところを高架で走り、赤羽から池袋までの赤羽線とつなごうというもの。赤羽-池袋間は将来、複々線にすることも計画している。

(略)

朝日新聞1973(昭和48)年3月11日朝刊

 もともと一部地下化として計画していたところ、地元自治体から「全線地下化」の陳情に来た際に、国は「全線高架」で返したと。それが泥沼化したのはご存知のとおり。その辺りの経緯は髙松良晴・著「もう一つの坂の上の雲  鉄道ルート形成史」に詳しい。

 また埼京線については、当初は埼玉新都市交通(ニューシャトル)の区間も念頭に置いていた他、赤羽線の複々線化も検討されていたことが分かる、

 

 次は成田新幹線の新宿乗り入れの経緯の記事をまとめてみたい。

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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2016年1月 3日 (日)

上越新幹線新宿駅は国会でどのように答弁されてきたのか? (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その8)

 ものの行きがかり上ついでにまとめてみた。

昭和47年06月09日- 参議院- 運輸委員会 - 17号

 

○瀬谷英行君 武蔵野線の完成によって山手貨物線等を旅客線として活用するという方法も考えていいことではないかと思いますね。現在山手貨物線の果たしている役割りというものは、武蔵野線の完成によって変わってくると思います。それを全然従来と同じで、山手環状線の中の輸送力というものを増強させないという手はないと思います。したがって、武蔵野線の完成と相まって、たとえば東北線方面からの貨物線を利用する電車運転といったようなことは可能性はないのかどうか、あるいはそういう考えはないのかどうかお聞きしたいと思います。

 

○説明員(長浜正雄君:日本国有鉄道理事) 先生御指摘のように、武蔵野線ができますと、山手貨物線がだいぶあくことになります。したがいまして、これの活用法についてはわれわれも十分検討を進めておるところでございますが、いま考えておりますのは、上越新幹線がとりあえずは東京のほうに入るようにしておりますけれども、これは都市計画サイドの御要望もあり、また、われわれもそういう点は十分勘案いたしまして、東京、新宿というふうに考えておりますので、将来新宿のほうに入れるということになりますると、この山手貨物線のあきました用地を活用していこうと、こういうふうに考えております。どの程度活用することになりますか、具体的な計画を今後進めなければならないと思いますが、その活用のしかたのぐあいによりまして、いま先生の御意見のような、中距離電車あるいはその他のいわゆるげた電といったものを、どう山手線を増強するかということを一緒に合わして考えなければいかぬということを考えておりますので、十分そういうことを、物理的な可能性と、それからコストの面からと両方から十分山手線の活用方を考えさしていただきたい、こういうふうに考えておる次第でございます。

 

昭和48年09月04日-参議院- 運輸委員会 - 27号

○鈴木強君 それでは次に、東京の新宿の駅のことで伺いたいんですけれども、まあ新宿は東京都の副都心というようなことで、いま御承知のように、高層ビルをどんどんと建築中ですね、それで今後は、小田急とか、あるいは京王、西武、それから国鉄はもちろん山手とか中央とかと入っているわけですが、それで相当に輸送量はふえてくると見なきゃなりませんね。先般来、新宿駅は民衆駅というかどうかわかりませんが、駅舎は大きくなりましたね。そのときにホームもかなり整備したようですけれども、現実に私どもが使わしていただいておりますと、中央線もかなり特急とか急行がふえてくる。そうなりますと、いまでも八時の下り「あずさ」ですね、これは中央線の下りのホームから出発するようなことになりまして、そこには乗客がたくさんおるもんですから、ホームがかなりふくそうするというようなことで、確かにホームの整備はしていただいたんだが、現状でも非常にラッシュ時にはホームが混雑して不便をしているんですよ。ですから将来の構想として、何か新宿駅について拡充計画といいますか、整備計画というのを持っておられるかどうか。土地が限られておりますから、これは非常にむずかしいと思います。さらに地下利用というようなことをお考えになるということになると、これはまたたいへんな金がかかるでしょうけれども、いずれにしても現状ではちょっと心もとないですね。
 したがって何とか新宿駅の増改築といいますか、こういうものを私たちはやるべきだと思うんですが、どうなんでしょうか。いつか新聞に上越線だったか東北線だったか、新宿に乗り入れるというような計画をちょっと見たことがあるんですよ。そうなると、いまのところではどうにもならないから、そこいらを基本的にどういうふうにして、まあ首都圏の交通が非常にふくそうするのに対して輸送力増強の手を打つのかという、そういうことを含めて、これは総裁でしょうか、お伺いしたいんです。

 

○説明員(磯崎叡君) 具体的な問題は後ほど担当から申し上げますけれども、いま先生のおっしゃった問題でございますが、私どもといたしましては、やはり新幹線と関連して考えなければいけないというふうに考えております。現在の新宿駅は、一応私のほうの工事としては一段落いたしておりますが、問題は甲州街道のガードの代々木寄りの貨物駅でございます。これは非常に現在、都市交通の問題もございますし、また場所として、はたして適当かどうかというふうなものもございます。一方、東北、上越あるいは北陸を東京都内に入れる際に、東京都から、東京駅に集中しないでほしいという強い御要請がございました。その際に、私どももそれを受けまして、東北、上越の認可を大臣からいただきます際には、将来そのターミナルを東京駅以外のところに持っていきたいということをつけ加えて大臣の御承諾を得ております。その際に、やはりその第一候補となるのは新宿でございます。相当広い土地も持っておりますし、あの新宿に、いまの計画中の上越新幹線あるいは北陸新幹線を入れることが、それ以外に方法がないんじゃないかというふうに思っておりますが、その際には相当根本的に、現在の電車駅も改良しなければいけないし、先ほど申し上げました貨物駅も、いずれ移転しなければいけないということが考えられます。その際に、それらを包括いたしまして、大新宿駅と申しますか、が、いずれできることになりますし、また先ほど先生の御質問の、いわゆる中央新幹線との接続地点と申しますか、あるいは新宿を通り抜けてそのまま行くということも考えられないことはないかと存じますが、それら、いずれ新宿は、私のほうから見ましても相当大きな東京における新幹線交通のセンターであり、また在来線交通のセンターである。しかし、またあまりあすこへ過密に集めてもいけないということで、貨物をどけるということが一つの方法と、その行く先等はいまいろいろ考えておりますが、新幹線の建設状態あるいは副都心の今後の進捗状況等を見まして、やはり新宿につきましては、たぶんこの十年ぐらいの間に相当また根本的な改良をせざるを得ないというふうに考えておりますし、やはりその起動力となるのは、東京都からのかねがねの御要請の、東京における新幹線のターミナルを東京駅だけにしないで分散してほしいという、その強い東京都の御要請を含んだ上で、私のほうも、幸い新宿に土地を相当持っておりますから、それらを利用して根本的な計画をつくり直すのは、たぶん十年から十二、三年ぐらい先のことだと思いますが、いまそういったことを頭に置きまして青写真をかいているところでございますが、また現実の今日の問題につきましては、後ほど担当から申し上げます。大体ビジョンとしてはそういうビジョンを一応持っております。

 

○説明員(原岡幸吉君:日本国有鉄道理事) 現実の問題といたしましては、先生御指摘のように、ことに朝の「あずさ一号」でございますか、御乗車になるときは、ことにホームが狭いと、こう感ぜられるのはもっともな点でございまして、新宿にはいまホームが五面ございまして、そのまん中の幅を見ますと、一番狭いのが九メートル、太いのが十二・二メートルと、こういうぐあいになっております。で、特急は大体一番幅の広い第一ホームから発着するということになっておるわけでございますけれども、「あずさ一号」の時間帯は、御承知のようにラッシュの関係がございまして、やむなく第三ホーム、一番狭いホームで御乗車願っていると、こういうことで、特に狭い感じが持たれているわけでございます。現実の問題といたしまして、すぐ幅員を広げるということは、御承知のような用地環境でございますので、現在すぐ拡幅するということは、きわめて不可能に近いと、こういう状況でございます。

 

○鈴木強君 私は専門家でないからよくわかりませんけれども、まあ一番線、二番線、三番線、四番線とありますね。一番、二番のホームと三番、四番とのホームがどの程度の距離になっているのかわかりませんが、これをもう少し中間のほうに寄せて、そして九メートルの狭いほうのプラットホームをもう少し広げるとか、そういうことはできないでしょうかね。まん中にたしか幾らかわれわれが見るとあいているところがあるように思うんですけれど、もうあれ以上は狭めたら安全対策上あぶないということで、もう全然そのスペースがないというふうに考えていいんですか、その辺は。

 

○説明員(原岡幸吉君) 私も、詳しくは技術的によくわからぬわけでございますけれども、全体といたしまして、旅客ホームの、何といいますか、本屋側に貨物の仕分け線がいろいろございます。それを少し横にふらないと、いま先生おっしゃったようなホームの振りかえによる拡幅といいますか、こういうことができないと、こういう物理的条件になっている、こういうふうに思っているわけでございます。

 

○鈴木強君 ホームとホームの間に一本いまあなたが、おっしゃったような貨物か何かが通る引き込み線といいますか、そういうものがないですね、あそこ。ないでしょう。だから、もう少し現状をちょっと調べてみていただけますか。そういうスペースがあるならやってもらえばいいんだけれど、まあしかし、せんだって総裁がおっしゃるように終わったところですから、おそらくそのことも計算してやったと思いますけれど、そのことをもう一回ひとつ調査してもらって、できれば何かくふうすればいいと思うんですが、どうでしょうね、現状認識で私が違っている点があれば、またいけませんけれどね。

 

○説明員(原岡幸吉君) ただいま申し上げましたように、貨物の線の関係で私は一応不可能じゃなかろうかと、こう思いますけれども、なお御指摘のように、検討して、可能なものなら改善すると、こういうことはやってみたいと、こう思います。

 

○鈴木強君 それから総裁、貨物駅は、小田急があそこへちょっと入っておりますね。そして国鉄の電報や何か打つところですかね、鉄道病院のほうに寄ったほうですが、あの辺は小田急かいま輸送力増強で近代化しておりますね。それとの関連は、将来貨物駅を移転して、大新宿駅をつくるという構想を踏まえてやっておられるんですか。またそのときになって、せっかくやった小田急か手をつけなきゃならぬということになると、これは経済効果から見てもとるべからざることですから、そういう点は読んでやっているんでございましょうか。それから、どのくらいあそこに敷地がありますか、貨物駅の。

 

○説明員(磯崎叡君) 広さはちょっとあとで申し上げますけれども、一応私どもの構想といたしましては、いま小田急が十両編成の工事をやっております。例のホームを延ばす仕事をやっております。甲州街道の先のほうへずっといま工事をいたしておりますが、それとは全く関係なしに、私のほうのいまの考えはそれの逆なほうでございます、市内側のほうでございます、内側のほうでございます、新宿御苑に近いほう、あそこに貨物駅の私どもの事務室あるいはいまコンテナの置き場になっているところがございますが、あの辺と、先ほど原岡が申しました貨物の仕分け線がございます。いまの先生の御指摘の旅客ホームと駅ビルの間に十数本の貨物の仕分け線がございます。それがいずれ山手貨物線がかりにもし要らなくなるとすれば、その用地があくわけでございます。したがって、いまの大体のビジョンといたしましては、甲州街道のガードの上に置きまして、その下にいまの貨物駅のコンテナを置いてあるところからいまの仕分け線のホームというところには、相当広大な土地がございますので、山手貨物線を相当程度武蔵野線に移すことができますれば、結局いまの山手貨物線のあとが大体要らなくなるということになります。したがって、先生の御指摘の小田急でないほうの、市内側のほうに大体新幹線のホームを、あるいはある程度の――あそこは幸い立体的に使えるところでございますから、甲州街道のガードが高こうございますから、それをうまく使えば相当平面的にも立体的にも広大な土地があく。それにはやはり何と申しましても山手貨物線を武蔵野線に移すということが前提になりますが、これが大体計画は、多少おくれておりますが、進んでおりますので、それができれば一応いまの問題と関係なしに考えてよろしい。まあ小田急、京王はいろいろやっておりますが、これは全部そういうことを踏まえた上でやっているわけでございます。
 用地の広さは約十六万平米だそうでございますが、その大体半分ぐらいが貨物ではないかと。ただ一つだけ申し上げておきますと、かりにあそこに新宿の新幹線の大ターミナルをつくるといたしますと、相当駅前広場が要るわけでございます。その場所がはたしてとれるかどうかということは相当問題でございます。私どもの土地がございますが、私どもの土地を相当程度駅前広場に提供するということは、またなかなかできませんし、問題はあそこに――いまの新宿でも非常に駅前が狭くて困っておりますが、あそこに新幹線を入れますときに、はたして駅前がいまのままでいいかどうか、相当広大な駅前広場が御苑との間にとれるかどうか、あるいは新宿の繁華街との間に問題がございますし、西口のほうも大体いま形がきまってきておりますので、その辺にひとつ問題がございます。一応いずれにしても新宿を将来の東京の交通の中心にしたいという考え方には変わりございません。

 

昭和49年04月08日 -参議院- 予算委員会第三分科会 - 4号

○瀬谷英行君 それでこの新幹線の今後の問題ですけれども、そうすると、東京-大阪間を結ぶ中央新幹線なら中央新幹線を新たに建設する場合には、東京駅から出すのか、それとも新宿駅から出すのか、その辺の東京のターミナルをどういうところに置くのか、その点は考えておかなくてもいいことではないと思うんですが、その点はどうでしょうかね。必要なことじゃないでしょうか、それは。

 

○政府委員(秋富公正君:運輸省鉄道監督局長) かつて東北新幹線、上越新幹線の整備計画を定めました際に、東京都におきましてもいわゆる都心の駅につきまして一カ所に集中することは極力避けられたいと、こういう要望も強く出た次第でございまして、現在は東京駅だけでございますが、今後新しい新幹線ができる場合に新宿ということも一つの重要な考慮の問題であるということは考えておる次第でございまして、必ずしも現在の東京駅にすべてを集中するという考えではございません。

 

○瀬谷英行君 これはわれわれが常識で考えてみても、もう一度東海道に新幹線の役割りを果たす新幹線をつくる場合に、東京駅というのはなかなか因難じゃないか。特に中央新幹線ということになりますと、山梨県へ抜けるわけですからね。これは新宿あたりが副都心として候補にあげざるを得ないのじゃないかということは、これは常識的に考えられることなんです。
 そこで、上越新幹線なり東北新幹線、北陸新幹線の関係ですけどね、これからも東京へ入れるということになると、将来計画として東北、上越あるいは北陸、これが全部東京へ入ってくるということは相当困難になるんじゃないか。それならばいっそのこと新宿へ入れて、新宿へ入る線と東京へ入る線とを分けて、そして中央新幹線とたとえば上越新幹線を接続をさせるといったような方法をとることが、わりあいと妥当ではないかという気がいたしますが、そこまで検討しているのかいないのか、その点どうでしょう。

 

○政府委員(秋富公正君) 現在、北陸新幹線は鉄道建設公団におきまして整備計画を策定中でございます。  それから中央新幹線につきましては、いまだ建設主体もきまっていない段階でございますが、いずれにいたしましてもこれが建設された暁は、日本国有鉄道においてその運営をお願いする次第でございまして、ただいまお話のございましたようなスルー運転というようなことにつきましても、最も旅客の利便になりますように国鉄当局とも十分協議して、この運行形態というものは決定いたしたいと考えております。

 ということで、「武蔵野線ができたら山手貨物線が空くのでそこに新幹線を入れる」旨の答弁をしているようだ。当時の新聞も大体そんな論調であった。

 

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■自分用の備忘録

http://report.jbaudit.go.jp/org/s59/1984-s59-0234-0.htm

会計検査院検査報告データベース

「東北新幹線建設に伴い取得した都市施設用地について」

 上記部局では、東北新幹線の建設に伴い、本線用地及び工事用道路用地のほかに沿線の大宮、与野、浦和及び戸田の各市の要望に基づき、各市が将来、道路、公園等として利用したいとしている用地(以下「都市施設用地」という。)を取得しているが、取得費用の負担について各市との協議が進展しないため、多額の費用を投じて取得した都市施設用地は、利用されないばかりでなく、その取得費用の未回収の状態が継続することになり、しかも、建設利息の負担も累増している。

(説明)

 日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)では、東北新幹線(以下「新幹線」という。)建設用地取得の際、新幹線及び埼京線の本線用地並びに工事用道路用地(以下「本線用地等」という。)のほか、大宮市並びに与野、浦和及び戸田の3市(以下「県南3市」といい、大宮市を合わせ「関係4市」という。)の要望により、都市施設用地を本線沿いの工事用道路用地の外側に沿って取得していて、昭和59年度末におけるその取得面積及び取得費用は、大宮市内では約27,400m2 約22億2300万円、また、県南3市内では約247,500m2 約532億2200万円、計約275,000m2 約554億4600万円となっている。
 しかして、これらの都市施設用地を取得するに至った経緯についてみると、

(1) 大宮市においては、46年10月に国鉄が大宮市内の新幹線建設について高架構造方式とする建設計画を発表したところ、新幹線通過に伴う騒音等の公害発生及び地域分断を理由とする地元住民の反対運動が起こり、国鉄は、大宮市及び地元住民と協議を重ねた結果、50年12月、大宮市から、新幹線に沿って将来都市施設の設定を計画しているので、工事用道路用地の外側に幅16mの用地を国鉄が本線用地等と併せて取得されたい、また、その取得に要する費用負担については別途協議とされたいとの要望があったこと、

(2) 県南3市においては、当初の新幹線建設計画の埼玉県南部ルートが地下構造方式から、48年3月に高架構造方式に変更される案が提示されたのを受けて、公害発生等を理由とする地元住民の強い反対運動が起こり、国鉄は、県南3市及び地元住民と協議を重ねた結果、55年9月、埼玉県及び県南3市から、新幹線及び埼京線に沿って将来、道路、公園等の都市施設の設定を計画しているので、工事用道路用地の外側に幅20mの用地を国鉄が本線用地等と併せて取得されたい、また、その取得に要する費用負担については別途協議とされたいとの要望があったことによるものである。

 この要望に対して、国鉄は、新幹線建設に伴う協議を重ねてきた経緯及び建設工事の円滑な進ちょく等を配慮して、大宮市については50年12月、県南3市については56年3月、それぞれ本線用地等と同時に都市施設用地を取得することを了承し、その取得に要する費用負担については、将来、関係4市と有償譲渡の協議を行うこととして、国鉄の費用で先行取得することとしたものである。

以下略

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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2016年1月 2日 (土)

上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか? (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その7)

  「上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編)」の連作では、新幹線新宿駅について「新宿駅貨物敷活用基本構想」から紹介してきたが、実際のところどうなのか?

 少し検証してみる。

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■高島屋タイムズスクエアの下に新宿駅はできるのか?

ちなみに1970年代に上越新幹線の東京側のターミナル候補地として新宿駅の名前が浮上し、この建物の地下にそのためのスペースが残っている。

 wikipedia「タカシマヤタイムズスクエア

 

新宿駅の地下空間(高島屋、タイムズスクウェア下)が新幹線用に確保されているというのは有名な話ですが

 Yahoo!知恵袋 tchnvvshogogo0306さん

 

本来の計画では、上越新幹線は「新宿」へ延びる予定だったが、上越新幹線の新宿地下駅予定地には既に高島屋タイムズスクエアが建設されてしまい、新宿延伸は絶望的である。しかし大江戸線などは、上越新幹線が地下を通ることを考慮して、地中深く造られている。

上越新幹線 (路線名) ‐ 通信用語の基礎知識:

 

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」では、新幹線の新宿駅は、タイムズスクエアの下ではなく、埼京線ホーム地下に作られるようになっているが、これはあくまでもラフな計画であり、その後変更されているのかもしれないので新たに検証してみる。

タカシマヤタイムズスクエア

 上記断面図は、「近代建築」51巻1号に掲載された「作品 タイムズスクエアビル 設計監理 日建設計」から引用したものである。

地下は、びっしりと機械式駐車場が詰まっている。

 上記記事には、タイムズスクエアビルの軒高について「本館77.0m、アネックス44.9m」と記しているが、残念ながら地下階の高さ?(深さ?)については記していない。物差しをあてて換算すると約25mほどの深さがありそうだ。

 また、 NISSAN CARWINGS「新宿高島屋の地下にハイテクな駐車場があった!」によると「リフトが30メートルほど下がります」とのことである。

 であれば、新幹線は地下25m(ないし30m)よりも深い所を走らねばならない。しかし、新幹線の想定深さは、私が調べた範囲では分からなかった。

 ただし、「新宿駅貨物敷活用基本構想」には、新幹線よりも更に下を走る都営地下鉄新宿線(10号線)の深さが記載されている。

都営新宿線の深さ

 都営新宿線の深さは、約22mだ。新幹線は、タイムズスクエアの地下25m(ないし30m)より深く、都営新宿線の地下22mよりも浅く走らなければならない。これでは新幹線は収まらないように思えるが如何だろうか?

タカシマヤタイムズスクエア2

 上記の図は、同じく近代建築に掲載されていたタイムズスクエアビルの平面図である。「タイムズスクエアの柱は杭が新幹線駅のホームに合わせた位置になってたはず。一度、巻き尺で測ってみたいものだが無理。」と大貫剛氏はツイートしているが、これで大体の比定はできるんじゃないかな?

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■では、埼京線の下はどうなっているのか?

 新宿駅南口地区基盤整備事業を請け負っている大林組さんのウェブサイトに興味深い記事が載っている。

http://www.obayashi.co.jp/projects/project31

『「新宿駅南口地区基盤整備事業」と「新宿駅新南口ビル(仮称)新築工事」の施工エリア断面図』と題した工事のイラストに埼京線下の地下空間が赤線で記載されている。

上越新幹線新宿駅位置図

 上記の「新宿駅貨物敷活用基本構想」に載っている「新幹線(B3Fレベル)」とも合致する。ひょっとしてこれは新幹線コンコースとホームの準備工なのではないか??

 先程の大林組のウェブサイトに戻ると「埼京線直下では緊密な配筋による基礎工事と大径の支柱構築が進む」という地下躯体の構築現場写真が載っている。

 しかし、新幹線が入るにはタッパが低い。本来上越新幹線は貨物新幹線が入る規格である。

 むむむ。

 では、JR側で何か文献はないかと思ってたどり着いたのが、JRガゼット2000年8月号に掲載された坪田卓哉・著「甲州街道新宿跨線橋の架け替えと新宿駅改良」である。関係部分を抜粋すると

新宿駅地下の工事は

 はあ、ケーブルを集約して敷設する電気洞道ですか。。

 つまり、上越新幹線新宿駅は

・タカシマヤタイムズスクエアの下には物理的に収まらない。

・埼京線の下には、電気洞道を作っちゃうのでもう入れられない。

ということでよいのかなと。。。

(蛇足)

 上記「新宿駅貨物敷活用基本構想」の「新宿ターミナルイメージ図」では、都営12号線(大江戸線)が(B3Fレベル)とされており、現在と異なる。今でも新線新宿駅から大江戸線に乗りかえる際には一旦地下2階を経由するが、これはその名残だろうか?

 また、「新幹線地下駅は京王線の下に予定していた」という説を見かけたが、このときに大江戸線用に空けておいた地下3階が結果的に空白となってしまったことから「新幹線ホーム」と思われたのであろうか?

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 <上越新幹線新宿駅関係記事>

 その1 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6225.html

 その2 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-6883.html

 その3 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d383.html

 その4 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-f365.html

 実際のところどうなっているのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-9452.html

 国会でどのように答弁されてきたのか? http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-6db4.html

 報道をまとめてみた(その1) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d5ec.html

 報道をまとめてみた(その2) http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a27d.html

 「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)表紙トップの上越新幹線ネタを検証してみる http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-7007.html

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新宿駅 御大典記念碑の経緯を確認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編その5)

 『上越新幹線新宿駅(地下3階)構想を図面で現認する (玉川上水と新宿駅南口地区の開発について・超番外編)』を延々と続けてきたわけだが、「新宿駅貨物敷活用基本構想」には、もう一つおもしろいネタが載っていた。

 それが「新宿駅御大典記念碑」である。(下図は、「ワイドミリオン 全東京10,000市街道路地図帖」(東京地図出版 1992年発行)から引用)

新宿駅 御大典記念碑 (1)

 写真で見るとこんな感じ。

 今の新宿駅東南口には、バブル期のころまで怪しげな空間があったものだ。多くのサイト、ブログ等で紹介されているので是非ご覧あれ。

二邑亭駄菓子のよろず話http://www.dagashi.org/tokyo/shinjuku_se.html

続々・たそがれ日記http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-08-12-2

誰も来ない廃園よりhttp://ameblo.jp/arbrcr/entry-11386123893.html

 まだまだ戦後の猥雑さが引き継がれていたこのあたりであるが、地元にとっては「御大典記念碑跡地の大きな問題」(新宿区商店会連合会)ということで、ややこしいことにはなっていたようだ。この辺も一気に開発してしまおうとしていた様が窺える。

 「新宿駅貨物敷活用基本構想」には「甲州街道沿広場整備」としてあげられている。

上越新幹線新宿駅構想 (2)

 この「基本構想」には、御大典記念碑付近が何ゆえにあのまま長い間開発の波にもまれつつも残ってきたのかが分かる経緯の整理がされていた。

新宿駅 御大典記念碑 (2)

新宿駅 御大典記念碑 (3)

新宿駅 御大典記念碑 (5)

新宿駅 御大典記念碑 (6)

・ 昭和2年に甲州街道陸橋を拡幅し、その結果の段差を埋めるために斜路・階段を設置

 ↓

・戦後、適法に道路法による占用許可を受けて店舗等が建設されるるも、道路法の運用方針が改正されたために「既存不適格」的な状況に。

 ↓

・正常化しようとするも転売、転貸が繰り返され、権利関係がグチャグチャになり手が付けられなかった。

 てなところですかね。。。

 現在は御大典記念碑は、「碑像マップ」さんによると新宿中央公園裏の熊野神社に移設されているそうです。

http://hizou.30maps.com/map/47493

http://hizou.30maps.com/map/47492

 

  「新宿駅貨物敷活用基本構想」基にしたお話はこれでおしまい。

  道路法の占用物件として当初は適法に許可されたものの紆余曲折を経て許可が更新されなかったものとしては、私のブログで取り上げてきたものとしては、

三原橋(東京・中央区)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/cat23477491/index.html

中津高架下(大阪市北区)http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-8111.html
がある。

 ところで、道路法の高架下占用許可基準が改正され、「壁体は、原則として橋脚から 以上空けること」とされたので、大阪の船場センタービルも、道路法上は「既存不適格」となった可能性が。。。

 末尾ではありますが、本年も宜しくお願いいたします。

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