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2016年1月30日 (土)

堤康次郎は、目白経由だった有楽町線のルートを池袋経由に曲げて、西武池袋線と新宿線を乗入れさせようとしていた?

 ああ、題名がいつも乍ら長い。あれこれ悩んで結局こうなった。本文も長いぞ。

 東京メトロ有楽町線といえば、都心から池袋をとおって成増で東武東上線に、西武有楽町線経由で練馬で西武池袋線に乗り入れているのはご案内のとおりである。

 ところでこんな路線図がある。「地下高速鉄道網改訂路線図」

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (14)

 有楽町線らしき路線が池袋付近で不自然に曲がりつつも西武池袋線の南側を走り、中村橋からの西武池袋線と野方からの西武新宿線の双方が乗り入れている。

 で、この路線図(を含む文書)の持ち主が堤康次郎なのである。(現在は早大大学史センターが所蔵。)

 リアル「ぼくのかんがえたさいきょうのちかてつろせんず」なわけだ。「ぼく」じゃなくて「大将」か。

 くどいのを承知で経緯を追っていきたい。

 もともとの地下鉄有楽町線は、都市交通審議会の運輸大臣宛答申第6号(1962(昭和37)年)では中村橋~目白~都心のルートであった。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (15)

(交通技術1968年7月号「東京周辺地下高速鉄道網の整備計画」から引用:下記2つの図表も同様)

 当時は私鉄との乗換となる国鉄のターミナルは大混雑で処理しきれなかったため、日比谷線は恵比寿、千代田線は原宿と少し従来のターミナル駅からずらしてある。そのため、池袋線が乗入れる有楽町線(上記では10号線)は目白、東上線が乗入れる三田線は巣鴨でそれぞれ国鉄と接続するというのも平仄が合う話である。(ちなみに、成増~池袋は丸の内線の延伸である。)

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (16)

 ただし、答申第10号(1968(昭和43)年)では有楽町線のルートは中村橋~目白~護国寺の従来のルートに加え、練馬~池袋~護国寺のルートと成増からそれに合流するルートが追加されて三又のルートとなっている。中村橋~目白~護国寺以外は現状のルートだ。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (2)

(東西線が西船橋から先に延伸して東武野田線に乗入れというのも気になる。。)

 地下鉄の計画ルートが変更される事は珍しくないため、普通は何とも思わない。ところが上記の両計画の間に、ルートを池袋経由に変更するよう求める「陳情書(案)」が西武鉄道名の便せんに書かれ、堤康次郎が持っていたとなれば話は別だ。

 その「陳情書(案)」に添付されていたのが冒頭の路線図であり、その内容は下記にご案内するところである。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (4)

陳情書(案)(附図参照)

東京及びその周辺の交通難を根本的に解決するため、高速鉄道特に地下高速鉄道による輸送力の整備増強を図ることは予想外の交通需要の増大に対処して適切な施策と思料されます。

今般都市交通審議会よりの運輸大臣宛答申第6号に於ける、その根本的な計画の改訂意見も又かかる見地に立つものと考えられ、都市交通の一翼を負う当西武鉄道としても、その趣旨には一般に賛意を表するものでありまして、当社線と直接関係のある4路線中、第4第5第9号の3線については何等異議なく、既に第4号路線については池袋及び新宿に於いて又第5号路線について

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (5)

は高田馬場に於いて夫々当社線と地下鉄と連絡について相互に協力して施設を進めて居る現状であります。

併し乍ら中村橋を起点とし目白を経由する第10号路線案については単に当西武鉄道としてのみならず東京西北郊外全般の交通緩和の点並に都の新しい街造りの点から見て是非一部のルート変更を希望して已まないものであります。即ち第10号路線は中村橋及び野方の各方面より池袋、護国寺の各方面を経由する路線とし西武池袋線に連絡するのみでなく将来急速に輸送需要の増大を予想される西武新宿線とも連絡し双方より地下高速鉄道が多くの既設線の連絡に便利で而も副都心である池袋方面を経由して都心に向かう様、路線を選定することが是非必要なのであります。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (6)

以下その理由とするところを記述して御詮議の参考に資したいと存じます。

 理由

第一「10号路線の一つの起点を中村橋とすることは賛成であること」

西武池袋線の沿線人口は近年頓に増加し特に社会増による人口は多くの通勤、通学者を含むため、通勤時の乗車人員は人口以上の急速な増加率を示し昭和33年より5年刊の増加率は83%に達し池袋近くに於ては全国私鉄中最高の乗客密度を示して居ります。それが為、運輸当局の指示に基く整備増強計画による車輌の増備、施設の改善なども会社の多大な資金的努力にも拘らず通勤時の混雑は以前として緩和する迄の域に達せず

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (7)

乗客の迷惑、披露を思うとき詢に遺憾に耐えないところであります。特に練馬より池袋寄りの区間は最も甚しく昭和45年以降の乗客を推算するときは現在既に運行の回数が限度に達して居る関係上車輌数を全線に約400輌(約80億円)増備して池袋線を10輌連結の運転にしても定員輸送力の200%遥か以上に達することとなり、手の施し様もない状態となることは必然であります。数年前迄は比較的楽観的観測をして居りまして、特に環状山手線外に地下鉄を導入せずとも道路の新設、改良等による路面交通の収容力増大等も考え合わせ輸送需要に十分応じ得るものと判断して居ったのでありますが、西武池袋線は上述の様な逼迫した

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (8)

状態にありますので、答申第6号10号線の通り当線の中村橋以遠の乗客を可及的多く地下鉄道により吸収する様路線を選定せられることは当然であり当社としては、これに賛成し協力を惜しまないものであります。

第二「10号路線の今一つの起点を西武新宿線の野方方面にとられたきこと」

西武新宿線は小金井付近迄国鉄中央線に併行せる関係上現在迄池袋線程の乗客密度はなく最近5年間の増加率は54%程度であるが近い将来は前期の池袋線以上の上昇率を見るものと予想せられるのであります。その要因となるべきものの主なものを挙げると次の様なものであります。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (9)

1.新宿線の現在の幹線は西武新宿-高田馬場-小平-所沢-本川越であるが現在建設中の玉川上水拝島間が完成するときは小平より分岐して小川-玉川上水-拝島迄新宿より直通運転せんとなり小川-拝島間約12粁の沿線両側の広大な未開発地域が開発され更に首都圏整備の一環として、発展途上にある青梅、福生、羽村等の地域と連絡輸送が密接となるときは新宿線に流入する乗客数は急速に上昇するものと推測されます。

2.新宿線はここ数年新所沢の公団団地の影響によって乗客が相当増加をしておりますがその周辺は現在も住宅地の開発が盛んに

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (10)

行われ更に狭山市、川越市間に当線に沿っての工業団地の計画が進められ、これに伴う鉄道、道路の改善と相俟って乗客入口の増加は急伸するものと予想されます。

3.現在の西武新宿駅は假駅でありますが、現在工事中の国鉄新宿駅東口駅の完成と共に当社新宿線がこれに乗入れることとなりますので国鉄、地下鉄を始めとする国鉄に集中する既設線との連絡が非常に便利となり更に答申第6号による9号路線と高田馬場を通ずる5号線により都心との連絡が益々密となり且つ、その収容力が増大するので沿線の住宅誘致と相俟って、高田馬場以遠

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (11)

の乗客は著しい増加を来たすのと思料されます。

第三「10号路線は中村橋方面よりのものと野方方面よりのものとお一本に絞り池袋方面を経由して都心より錦糸町方面に至る路線とするのが適当であること」

前記の中村橋及び野方の両方面よりの路線を個別に都心と連絡することは莫大な建設経費を擁する許りでなく池袋線、新宿線共々の「ターミナル」又はその附近に於いて答申第6号案の4号5号9号の書く地下鉄或は中央線、山手線の各国鉄によって都心の書く方面に連絡して居りますので、この10号路線の幹線はこれを一本として、これに中村橋方面よりの地下鉄と野方方面よりのものを椎名町五丁目付近にて合流せしめて都心方面に

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (12)

通ずることが適当であります。

又本陳情書による、この路線は上述の様に西武新宿線を通じての背後地が所沢、狭山、川越方面のみでなく武蔵野、小金井、砂川、昭島、福生、羽村、青梅方面を広く含むこととなりますので、国鉄中央線の沿線乃至その背後地と重複することとなります。従って西武新宿線、国鉄中央線は既に多くの既設線の結節点である新宿を通じて居るのに対しこの10号線は当然目白などの中間点を通ずることなく東京の西北郊外に於ける既設線の一大結節点であり且つ副都心である池袋を通ずるべきであります。これによってこそ第2回高速鉄道網小委員会に於いて了承された

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (13)

路線網の再検討に当っての留意事項中第3第4項に示された「既設線を含めて路線相互の連絡を便利にし」「副都心の育成」にも適切有効な路線となるのであります。

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (14)

 そしてこの陳情書案の末尾に冒頭紹介した路線図が添付されている。

 

 まあ、堤康次郎による「我田引鉄」なわけだ。

 この陳情書案が作成された時期が不明だが、6号答申が出たのが1962(昭和37)年であり、西武新宿線が国鉄新宿駅乗入れを断念したのが1965(昭和40)年であるからその間ということになる。

西武新宿線 国鉄新宿駅乗入れ断念

(1965(昭和40)年3月16日付け朝日新聞)

西武堤康次郎が有楽町線のルートを曲げていたのか (3)

(交通技術1971年6月号「地下鉄8号線建設計画」には「分岐線」として護国寺-中村橋の当初の計画路線がまだ掲載されている。)

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  早大所蔵の青焼きの「陳情書案」だけで事を断じるのもアレなので裏をとってみる。

THE Rail レイル No.92」に「昭和中期の西武鉄道こぼればなし」と題して元西武鉄道常務取締役の長谷部和夫氏が執筆している。その中で「8号線経緯」という章があるので一部を引用してみる。

 戦後、東京の私鉄各社は都心乗り入れを希望していましたが、西武は希望しませんでした。

 これは堤康次郎氏が宿敵としていた、五島慶太運輸大臣の下で、 官僚主導で戦時中行なわれた交通統制そして戦後も続くその体制に対して、都心乗り入れを希望することは五島の軍門に下ることを意味し、堤としては耐えられないことでありました。

 この結果都市交通審議会では、西武池袋線のみ中村橋-目白の並行ルートを新設し、他社線については、それぞれ都心直通ルー ト(当時ターミナル駅の混雑に手を焼いていた国鉄の意向により渋谷、新宿、池袋を外した)が決定されました。このとき5号線で中央線の東西線への乗り入れが決まると、さすがに堤も乗り入れ反対とばかりいっていられず、急遽新宿線の下落合から高田馬場の乗り入れを申し入れましたが、当然のことながら拒否されてしまいました。この乗り入れ問題は、かたちを変えて現在まで尾を引いております。

 昭和40/1965年に日比谷線と東横線との直通運転が開始されると渋谷駅の乗降客が減少し、それに伴い東急デパートの売り上げに影響が出ました。このことは池袋に デパートを持っていた西武、東武にとってもショックな出来事でありました。

 西武も直ちに池袋経由の都心直通ルートの検討を始め、最初に出てきたのは池袋でのスイッチバック案でありましたが、この案にはスイッチバックという 根本的な問題点のほか、中村橋-目白の並行ルートが残ってしまうことになるので没になりました。

 一方営団では、丸ノ内線の新宿口(四谷-赤坂見附)、池袋口の送力不足が問題となっていました。しかし、この対策として6号線と旧8号線が作られることは営団にとっては大問題でありました。それは当時6号線が都交通局の建設線と決まっており、また旧8号線についても都交通局が建設に意欲を示しており、測量及び谷原ガスタンク付近に車庫用地を求めるといった行動を起こしておりました。この2線が作られることは池袋からの東武、西武からの乗客を都交通局に取られてしまうことになるのです。

 西武は直通の相手として都交ではなく営団を希望していました。都交の本質的体質として地元の意向、特に政治家に弱いこと。また経営感覚の欠如や官僚的発想、1号線建設時に露呈した施工能力の低さなどを考えれば、民間企業の西武としては過去に民間企業としての東京地下鉄道、東京高速のDNAを持つ営団に親近感を持つのは当然のこ とでありました。このことは東急、東武についてもいえることでありました。一方、運輸省もせっかく営団 に一元化していた東京の地下鉄道に、政治力を使って割り込んできた都交に対してよい感情を持っていなかったことも事実であり ました。

 その当時、東急も東武もそれぞれ問題を抱えておりました。 東急は田園都市線の大井町経由での乗り入れルートの問題であり、東武は6号線の問題でありました。そこで西武、東武、東急, 営団は水面下で運輸省、首都圏整備委員会、都都市計画局、都市交通審議会などに対して運動をおこしました西武は営団と組んで東武とも連絡を取りながら、池袋線の都心直通ルートの検討を進めました。この際このルートの免許を営団が確実に取得できるようにするためには既に営団が免許を持っていた池袋-向原間ルートの一部を新規ルートに組み込んでおくこ とが必須条件でありました。

 作られた案は

1案 要町より、山手通りを南下して椎名町に至るルート

2案 千川 付近より、江古田に至るルート

3案 現西武有楽町線ルート

でありました。

 池袋線複々線化の観点からすれば3案は分岐駅が最遠方になってしまうので必ずしも望ましい案とはいえませんが、駅構内用地が十分に取れるのと、練馬 が練馬区の中心地(区役所、警察署、消防署、郵便局)であり、また豊島線の分岐駅でもあることから3案に決まりま した。

 向原-成増間については、将来丸ノ内線をそのまま延長することが決まっていましたが、延長区間の軌間が1,067mmになったことで東上線がすんなり乗り入れできる可能性が出てきました。そこで東武としては既に決定されていた(一部用地の買収も進めていた)6号線による都心乗り入れを白紙に戻さなくてはならなくなりました。そこで東武は当時浦和西部地区からの都心直通路線新設を要望していた埼玉県に働きかけ、6号線をそちらへ振り向けることとしてこの問題を解消させ、現有楽町線ルートにすんなり と振り替えさせてしまいました。なお、その後東北新幹線建設に伴い埼京線が建設されたため、6号線は西高島平から先の行き先 がなくなってしまい、行き止まり線となってしまいました。 6号線乗り入れ駅が和光市であった経緯、また営団として車庫用地の問題などもあり、乗り入れ駅は成増駅から和光市に変更されました。この件に関しては、後日行なわれた都市交通審議会の ヒヤリングの際、東武は8号線が成増で接着するので6号線乗り入れは不要になります。と絶妙な発言をされたことが今でも昨日のことのように思いおこされます。もとより出席された委員さんたちが裏で決まっていた事柄について総て承知されていたことはいうまでもないことです。

THE Rail レイル No.92「昭和中期の西武鉄道こぼればなし」長谷部和夫・著から引用

・6号答申までは地下鉄乗り入れは検討していなかった。

・日比谷線と東急東横線の直通開始により渋谷のデパートの売り上げが減少したため東武・西武とも池袋から乗客を逃がすわけにいかなくなった。また東京都交通局とは組みたくなかった。(これは東急も)

・営団は東京都交通局に路線を取られたくなかった。

・西武、東武、東急、営団の利害が一致し、既存の丸の内線延伸部の免許を生かして有楽町線を池袋経由として三田線乗り入れを解消した。

ということか。

 この長谷部氏の記事を読むと、東京都交通局が国・同業者から嫌われていたということがうかがい知れる。猪瀬知事が東京都交通局とメトロの合併を声高に叫んでも誰も乗ってこない背景が分かるような気がする。

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 以前、「日比谷未成地下道とのバーターで地下鉄三田線が営団から東京都へ譲渡されていた」という記事を書いた。

 ざっくり言うと、東京オリンピック前のインフラ整備にあたり東京都の日比谷地下道と営団地下鉄の日比谷線の導入空間がバッティングし、結果東京都が場所を営団に譲る代わりに既に営団が免許を得ていた三田線の運営を東京都交通局に譲渡したというものである。

 もし、このような取引がなく、三田線が営団運営のままであったら

・東京都交通局の体質が嫌われない。

・浅草線と三田線の線路の幅を揃えようということがなく、「狭軌・広軌問題」は生じなかった。

・日比谷線による渋谷のデパートの売り上げ減少を見るまでもなくあっさりと東武が三田線に乗り入れていたかもしれない。

・有楽町線のルートもまた変わっていたかもしれない(東武の乗り入れを考慮せずに西武池袋線の南側を走って池袋線に乗り入れていた?)?

※参考文献 上記記事に引用したものの他に

東京の通勤鉄道路線網計画に関する研究」八十島義之助

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コメント

http://www5.atpages.jp/akaden/mat/ktcb/his01.html

東西線の野田線乗り入れは、千葉ニュータウン構想と絡んでいたようですね。

投稿: dai | 2016年12月10日 (土) 11時02分

dai様
ご教示ありがとうございます。千葉県営鉄道にからんでいるのですね。
ところで、このページがteacupの掲示板に貼られている(ここ数日teacupからかなりのアクセスがあるので)ようなのですが、どこかお分かりになりますでしょうか?

投稿: 革洋同 | 2016年12月10日 (土) 15時45分

http://6408.teacup.com/narashinohara/bbs?page=2

ご報告してなくて申し訳ありません。

投稿: dai | 2016年12月10日 (土) 16時54分

dai様
重ねてありがとうございます。

投稿: 革洋同 | 2016年12月11日 (日) 12時20分

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